『シルミド SILMIDO』(実尾島)
監督 カン・ウソク


 この作品を観て僕の印象に最も強く残ったのは、過酷な訓練のなかでの人間ドラマでもなければ、事実を隠蔽されたまま非業の自爆に至った不条理な顛末でもなく、彼らをそこまで追い込むに至った軍司令部の高官の言葉だった。

 金日成暗殺のために秘密裡に組織された684部隊を直接指揮していたチェ・ジェヒョン(アン・ソンギ)が部隊員全員の抹殺を命じられ、異議を唱えた後に続いた言葉だったと思うが、確か「権力を持つ者が自分の意志で発したものが国家命令だ。」との傲岸不遜極まりないものだった。

 このような思い上がりが全ての権力者に当てはまるものでもないだろうが、強大な権力というのは、人を自ずとそういうふうに蝕むものだろうという気がする。手にした権力に損なわれないだけの器を備えることは、その権力が強大になればなるほどに生半可なことではなく、大半の人間はスポイルされてしまうとしたものだ。だからこそ、通常人の器を超えるほどの権力を人は得ないほうが幸いだし、社会というものがシステム的に準備すべきなのは、強大な権力を一手に握るような仕組みを出来るだけ作らないようにすることだろうと思う。しかしながら、他方で人は、金であれ、腕力であれ、軍事力であれ、強い力というものに憧れ、獲得しようとしたりする。僕は、自分がスポイルされ醜態を晒すようになることの不安のほうが強くて、そういう憧れや欲求に乏しい小心者なので、上昇志向に欠けると言われたりしてきた。だから、こういう作品を観ると、最も社会がシステム的に準備すべきでないものを見せつけられたような気になる。

 また、ひとたび極秘特殊部隊のほうに目を転じれば、あれをやはり鍛え上げられていると人は観るのだろうかとの疑問が湧いてくる。それでも、少なからぬ人間が集められ、集団生活をすると胆力の個人差というのは露呈していくものだし、意志力や腕力や俊敏さなどは増していくにしても、いくら鍛え上げたところで、弾けんばかりの下半身の欲求に民間人女性への強姦を自制できない者を輩出してしまうのでは何処にも面目の所在がないように思う。通常の社会環境とは著しく異なる特殊な環境で日々訓練という名のストレスに晒されるのが軍隊で、そんな環境に身を置くことで蝕まれる部分が虐待事件や強姦事件を引き起こすような気がするのは、根絶されることが決してない沖縄米兵の強姦事件を想起したり、イラクやスーダンの惨状をかいま聞いたり、旧大日本帝国の新兵イジメの行状を読んだりするまでもないことで、そもそもが根本的に間違っているような気がする。

 思うに、およそ人間の歴史のなかで、国家と国民との関係において、軍隊が国民を守るという機能を果たし得たことがあったのだろうか。大いに疑問がある。支配者の権力や大金持ちの権益を守ることはあっても、そのために真っ先に犠牲を強いられるのは常に敵国民以上に自国民であったような気がするのは、何も684部隊に限った話ではないように思う。まして彼らは元々犯罪者などであったため、まさに虫けら同然の扱いを受けたのだろう。それからすると、なぜ聞かせた? と問うカン・インチャン班長(ソル・ギョング)の前で自決したチェ部隊長は、実話の映画化と言いながらも、脚色に満ちた人物のような気がしないでもない。しかし、仮にそうであったとしても、造形された人物像を見事に体現していたアン・ソンギは大したもので、作中最も深い印象の刻まれる人物であった。




推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20040621
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2004/2004_06_28.html
by ヤマ

'04. 6.28. 高知東映



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>