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『証言 沖縄スパイ戦史』を読んで | |||||
三上智恵 著<集英社 新書> | |||||
一年ほど前に観た『沖縄スパイ戦史』の映画日誌を読んでコメントしてくれていた三上監督が、「追加取材は最低限にしようと思いつつ、彼ら一人ひとりに追っ手をかけるような取材が暴走をはじめ、終わってみれば机の上に立つ厚さの新書になってしまった」(おわりにかえて P734)と述べている著作を読んだら、撮影記などとは次元の異なる圧倒的な熱量の籠もった証言集だった。 「映画公開後のインタビューなので、『沖縄スパイ戦史』には登場しない」(P95)という方々や、「映画では少年兵は護郷隊だけに絞ったため、…割愛せざるを得なくなってしまった」(P539)との第三二軍通信隊に所属した少年兵及び海軍部隊の白石隊にいて魚雷艇で出撃もした少年兵の証言も加えられていて、映画で示されていた以上の証言や資料に基づく記録が綴られており、強い感銘を受けた。「映画を見てくださったご縁で岐阜の記者の方と繋がった。…終戦間際に全国に作られた、主に少年を活用した住民ゲリラ部隊の全容がまだほとんど見えてこない中で、岐阜県の事例…を追いかけている地元紙の女性記者の方が連絡をくださり、そのゲリラ戦の教官ご本人と、部下だった元少年兵のお二人に…お会いすることができた」(P410~P411)と記している、教官だった方の最後の弁「にしても、あんたもえりゃあ仕事にはまったもんで。一代、ついて回るよ? 抜けられんで、もう」(P431)にがっぷり四つで組んでいるジャーナリスト魂に畏敬の念が湧いた。映画も破格の作品だったけれど、本書には、映画とはまた異なる迫力と眼差しの深さがあって、凄い人だなと改めて思った。時間経過とともに不断に展開していく映画とは違うから、しばしば読み進められなくなって本を閉じて一息ついたり、考え込んだりしながら読んだ。 本書の「おわりにかえて」に記された「よく「軍隊がいなければ戦争にならないなんて、頭の中がお花畑(能天気)ね」という言葉が投げつけられるのだが、果たしてそうだろうか。米軍が自分を守ってくれると、なぜ思えるのか。旧日本軍は住民を守らなかったけれど、自衛隊、または未来の国防軍が、古い体質を完全に脱ぎ捨てて、過去の反省のもとに有事には徹底的に私たち国民を守る集団に生まれ変わったという情報は、どこかにあるのか。それがあるならぜひ提示していただき、安心させてもらいたい。しかし、私が知る限り、自衛隊と旧日本軍の連続性は、どう見ても非連続性を凌駕している。…少なくともそこを十二分に確認してから島に軍事組織を入れるかどうかを判断するのでなければ、今後何が起きるか、沖縄戦を知るほどに震え上がる思いがする。米軍ではない、日本政府による島の再軍事化という我が身に迫る問題に一沖縄県民としていやおうなく直面し、歴史を掘り起こし、防衛省の資料をひっくり返して映画や本で必死に警鐘を鳴らす私たちと、「強い軍隊に守ってもらいたい」と指先一つでネットに基地反対運動へのバッシングを書き込む人々の、いったいどちらがお花畑なのか。」(P726~P727)との気迫と道理に応える“十二分の確認”を怠り、タブー化してきたことのツケを現況に観るような思いがした。 お花畑の住人などという如何にも冷ややかで斜に構えた揶揄表現を好む人たちのような能天気さを排した現実認識に関しては、五年前に綴った『日本のいちばん長い日』の映画日誌でも言及したとおりなのだが、『戦争と人間』(第一部、第二部、第三部)に描かれた伍代財閥当主兄弟のように確信的に臨んでいる者を除いて、多くの人において「軍備というのは、政治的にも経済的にも利権でしかない」という観点が余りにも抜け落ちている気がしてならない。 五年前に綴った映画日誌で言及した原作者の半藤一利が指摘していた「軍隊からの安全」について、本書ほどに生々しく重みを持った証言を数々集めた著作は例がないのではなかろうか。数々の証言者から異口同音に繰り返されていた「いかなる軍隊もいらない。戦争は基地に向かってやるんだから、一切反対。基地がなければ攻撃もこっちには来ないわけ。どうして余計な経費を使って敵がここに来る? 民間人だけならこれを殺すバカはいないでしょう?」(P71 第一護郷隊員一六歳入隊)、「敵は陣地にしか撃たないから、僕ら恩納岳にいたが、基地があるからアメリカがあっちこっちから攻撃した。その辺が一番頭にあるね。だから基地というものは作らせてはいけないなと。…基地がある所にしか弾は来ないから。子や孫に負担をかけさせたくない。一番頭の中にあるね。」(P231~P232 第二護郷隊員一七歳入隊)、「嘘!守らないよ。戦場になるんであって。戦場になるんだよ!? 基地を作れば戦場さ。」(P461 国頭村浜出身女性沖縄戦当時一〇歳)、「今、尖閣諸島のニュースを見ると、この場所になるんじゃないかな、また戦闘地になりはしないかなと、北朝鮮じゃなくても、中国からでもさ。こんな感じがする。与那国に今、軍隊が入っているでしょう、自衛隊が。やはり昔のこと思い出しますよ。昔の軍隊を思い出します。」(P481 大宜味村喜如嘉出身男性戦争時一五歳)、「今度戦争が始まったら沖縄なんかなくなる。日本なんかなくなるというのに。一番は基地ですね。本当に基地があったら、そこから攻撃するんですよ、必ず。」(P504 屋我地島我部メーガチ出身女性当時一八歳)、「結局は軍事基地がある所は最初に標的にされるのはあたりまえであるわけ。何かことが起きれば。よくよく考えないと、大変なことになるよ。」(P562 読谷村渡慶次出身男性沖縄戦当時一五歳)こそは、著者の指摘する“十二分の確認”が何らされていないことの証左に他ならない。 だが「軍隊からの安全」という点で最も痛烈なのは、軍隊基地があることで敵の攻撃目標に晒されることではなく、守られるべきはずの住民が自国の軍隊によって虐殺されてしまうという「軍隊は軍隊のために戦うのであって、決して自国民を守ったりしない」事実の証言を得ている点だと思う。本書に登場する証言者のなかでも取り分け印象深い“一八歳でスパイリストに載った少女”との見出しになっている方が「基地は造らさん方がいいと思いますがね。基地はもう最初にやられますよ。」としたうえで「基地だけならいいけど、民間の人たちのあれが一番怖いですよね、そこに住む人たちが疑われて。また軍のこと言う人いたら、殺されよったんだからね、昔は。だから、みんな黙っていたんでしょうね。」(P505)と語っているほか、続々と「住民虐殺の証言」が記録されていた。そして「米軍の宣撫工作に乗って食糧をもらい情報を漏らす者がいたら、それはスパイ同然というのが日本軍の論理である。軍事機密を漏洩する者は死刑という軍機保護法の精神が、「スパイは処置せよ」という現場判断を可能にした。その結果、「スパイ容疑」の名のもとに、日本軍による身勝手な「住民処刑」が頻発した。敵に殺されるのではなく、自分たちを守ってくれると信じていた「友軍」に殺害される。沖縄戦の最も深い闇がここにある。」(P568)と述べる著者の指摘する「住民を使った秘密戦を学んだ彼ら(陸軍中野学校出身者)が持ち込んだ構図、つまりスパイは常に周りから入り込むという恐怖を煽り、警戒させること。軍の機密を知ってしまった住民が米軍に投降すればこれも通敵=スパイ行為とみなすという価値観と密告の奨励は機能していった。捕虜になるのは恥で、最後は国民皆兵で老幼婦女子も武器を持って戦う気概を涵養することなど、民衆を利用して住民の生活圏で遊撃戦をするために必要な、マニュアル通りのこうした考え方に地域が染まった結果、中野学校出身者がそこにいなくても、軍民共に疑心暗鬼にとらわれ、密告、処刑が発生した。…スパイという言葉が持つ恐怖と魔力が地域を縛り上げていく様相を沖縄戦では各地で見ることができるが、少なくとも陸軍中野学校という頭脳が、秘密戦の中でその恐怖をコントロールし利用するアイディアを持っていたこと、それをベースに…住民を教育していたこと、そんな中野学校出身者が四二人も沖縄全域に投入されていたことは、見逃してはならないポイントだろう」(P348)との点は、非常に重要だと思った。 それにより「極限状況に置かれた集団が疑心暗鬼に陥ったときに現れる、恐怖を起爆剤に出現する人間の残虐性」(P564)が随所で見られることとなり、とりわけ“共同体の内部で生じるスパイ嫌疑”については、『十五年戦争極秘資料集 第三集 沖縄秘密戦に関する資料』の大城将保氏による「…当時の沖縄には、強制的に軍隊の末端に序列化された“にわか兵隊たち”よりも、より積極的に軍の方針に加担した人々もあったのである。在郷軍人、県町村官公吏、教職員、議員、役員といった民間指導層である。彼らは「軍命」をふりかざして“スパイ狩り”に協力し、「戦陣訓」を唱えて地域住民を死地に追いやった。各地で多発した集団自決事件や住民虐殺事件には、ほとんど例外なく現地の指導者や在郷軍人たちが関与していた実態が、最近市町村史などで進められている戦災調査で徐々に明るみに出されつつある。 要するに、沖縄県民は自らの内部に「被害者」の面だけでなく「加害者」の側面をもかかえこんでいるのであり、加害者を告発することは、ひいては自分たちの共同体の内部にはね返ってくる危険をはらんでいる。人々が沈黙する理由の一つがここにある。…」(P684)との解説も引き、「この住民虐殺についての証言は、沖縄戦の中でも最も聞き取りが難しい分野の一つだ。それは、「虐殺は、冷酷な日本軍がやった」という形に留めておかなければ立ち行かない、それ以上の調査を拒む地域の事情が絡むからである。踏み込んで言えば、「手を下した日本軍」の中に、沖縄県民が含まれていることもあるからである。密告した人と、殺した人、殺された人の遺族が戦後も同じ集落に住み続けなければならない地域もあった。」(P444)と記している。沖縄戦の闇ではとても済まされない軍の残した罪業の深いところに光を当て、細心の注意を払いつつ闇から引きずり出してきているのは、大城氏が記した「戦地における軍隊と住民の関係、陰惨な住民犠牲をひきおこした背後のメカニズム等を解明する決定的なカギになるはず」(P684)との思いを著者もまた抱いているからに他ならないと思った。 そして、「「そんなことを言っても沖縄戦みたいな地上戦はもうないのでは?」「次の戦争ってのは、核兵器や原発攻撃でピカッと光って終わりだよ」と思考停止している人が周りにも実に多い。しかし、考えてみて欲しい。ヒロシマ・ナガサキから七五年、ピカッと光って終わった戦争は世界に一つもない。」(P731)と述べ、『沖縄戦と天皇制』での纐纈厚氏の指摘を引いたうえで、「つまり、専守防衛の自衛隊はそもそも国土戦を想定せざるを得ず、その場合敵を内陸に引き込んで戦うわけだから国民の自発的な協力は不可欠であると捉えていて、沖縄戦の時のような状況が再び実現すると纐纈さんは言っているのだ。自衛隊が国土戦に備えるなら、当然過去に国内で実践された遊撃戦とその時の住民の動向が最大の参考事例になる。ということであれば、なおさら私たちはこの本でつぶさに見てきたような沖縄戦の中のゲリラ戦と、その時に住民の置かれた状況をよく理解しておく必要がある。自衛隊が国民に自発的に協力してもらうためには、平時から構造的にも思想的にも国民を統制しやすい体制を作っておくことが肝要である。そして軍事作戦に協力をさせる一方で、軍事機密を漏らされては困るので軍の機密を守る法整備を完了させておく必要がある。これは、まさに今、日本で進行中のことではないか。国民を「始末のつく」状態にしておくことこそ、戦争に勝てる国の必須条件だという考えが戦前から一貫して変わっていないことは、歴史的証拠を積み上げて論理的に理解しておくべきだろう。」(P732~P733)と指摘していた。そして、「住民を巻き込んだ秘密戦を展開していけば、どう転んでも最後は住民をスパイ視してしまうという、出口のない秘密戦の構造」(P730)に迫るべく、当時の数々の戦闘教令に当たり、「第六章 戦争マニュアルから浮かび上がる秘密戦の狂気」を最終章に置いている。 そのように“背後のメカニズム等の解明”に思いが向かっているからこそ、「護郷隊を知ることによって、私は初めて素直に戦う兵隊側の気持ちになってみることができた。住民目線一辺倒だった私が、沖縄戦の兵士の立場を考えることが可能になった」(P733)のだろう。住民側目線ではない兵士側にも立つ眼差しの深さで捉えられた「第二章 陸軍中野学校卒の護郷隊隊長たち」「第三章 国土防衛隊――陸軍中野学校宇治分校」「第五章 虐殺者たちの肖像」には本当に心打たれた。第二章で詳しく読めば読むほどに映画日誌に「22歳とか24歳とかの若さゆえにある意味、純粋で清廉な人格と胆力の元に任務に就いていればこそのものだったろうと思うと、尚更に軍律とか軍隊組織といったものの罪深さが沁みてくる。…酒井工作員の任務に村上大尉や岩波大尉が就いていれば、やはり同じことになっているに違いないのだ」と綴ったようなことを改めて思った。 そのうえで、「戦い続けている限りにおいては「防諜のためのスパイ粛清」は彼の中では任務であって、「住民虐殺」ではない。逆にいえば、敗北を認めれば単なる虐殺者になってしまうという究極の自己矛盾が、悲劇を繰り返す行動に繋がったのかもしれない。そうしなければすべてが瓦解するという極限まで自分を追い込み、沖縄戦の奈落に迷い込んだ一人の日本兵の肖像に照準を合わせると、「残虐な日本軍」という定型句からは見えてこない人間の姿が浮かび上がる。同時に、彼を大いなる加害者に追い込んでいく力の正体は何か。それを考える手がかりになるのではないかと思う。」(P587)というような視座こそが、史実に学ぶことの神髄であって、自身の感情や妄想願望に沿って“歴史”などと大括りにして“自由”気儘に捏ねあげようとする史観とも言えないような代物の対極にあるものだと思った。そして、そういった視座によって綴られた“軍隊による自国民の虐殺はなぜ封印されたか”との見出しのもとにある考察と提起(P652~P654)に共感を覚えるとともに、“海軍の残虐行為を知る人々の気持ちの変化”との見出しのもとに記された考察(P666~P672)の示唆しているものに強い感銘を受けた。 また、「沖縄戦末期から終戦後にかけて「多くの沖縄人がスパイを働いたために沖縄は負けた」という噂が主に軍によって本土にまで流布されて、沖縄の人々が二重三重に傷ついたという出来事」(P730)に関連して、「沖縄戦の中では、女スパイの話がよく登場する」(P627)ことに言及し、そういった「虚像があちこちで同じように繰り返し立ち現れる現象を、私たちは事実としてではなく集団が求める物語として分析する必要がある」(P627)と述べている“男性社会が生み出す沖縄戦証言のゆがみについて”との見出しの項(P626~P630)が目を惹いた。このことに限らず、証言として語られることについては、証言という事実が必ずしも内容の事実性を担保するものではないという認識の重要さを改めて促してくれる。俗にいう色眼鏡を外すことが個々人には難しいとなれば、単なる複眼ではなく多様性を担保した複眼でなければならないのは当然だ。行間を読む仕事となれば、尚更にそうだとつくづく思う。 そして、「護郷隊の隊員たちの証言を収録するときに強く感じたのは、これまでほとんど人に語ってこなかった戦争のエピソードというものは、いざ語りはじめると、話者は話す内容とは不釣り合いな笑顔になるということだった。…普通は話者も沈痛な面持ちになる。…しかし、護郷隊の方々は語る機会が極度に少なかったために、「言われてみたらこんな記憶だったな、今考えたら信じられないな」というためらいの方が先に来るのだろう。こちらがのけぞるような話も笑顔で話されることが多く面食らった。」(P58~P59)との記述を読んだとき、十八年前に『日本鬼子 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白』を観たとき、証言者の心境に想像が及ばず面食らったことを思い出した。 個々の証言でとりわけ印象深かったのは、映画でも一際強い印象を残していた“僕でも思うよ「スパイは殺せ」”との見出しになっている読谷村渡慶次出身の男性(当時一五歳)の方(P554~P566)、“虐殺壕にいた一四歳の少年通信兵”との見出しの前掲少年兵(P513~P538)、“ある家族の虐殺が頭から離れない”との見出しの前掲第二護郷隊員(P219~P232)だった。そして、前掲“一八歳でスパイリストに載った少女”による「真(マクトゥ)ソーンケヨー、真(マクトゥ)タカラドウ」(P501)との母の逸話に感じ入り、「結局は馬車で避難する住民を苦しめただけだった。」(P281)と語る“子供の着物で自在に敵陣に出入りしていた”との見出しの第二護郷隊員(一五歳入隊)による「護郷隊はみんな橋を壊したり、松並木を倒してアメリカ軍を通さないようにしたんだが、アメリカは橋もすぐに架けるし、ブルドーザーで松の木もすぐどける。石川の橋と伊芸の橋は先輩が壊したが、アメリカはすぐに鉄橋架けてブルドーザーを通していた。」(P281)との話に、そんなことのために命を投げうっていたのかと、何とも情けなく哀れな思いがした。 また、「当時は中国や台湾の人もいて、ものすごく差別されていた。沖縄も二等国民と言われた。あんたらは二等国民だと言って足で蹴られるんだから。手も使わないよ、足で。」(P543)という“魚雷艇で特攻出撃をした少年水兵”との見出しの海軍少年兵(一五歳入隊)の“二等国民”という言葉に、昨年観た劇団文化座 公演『銀の滴 降る降る まわりに―首里1945―』を思い起こした。 風呂がないから集団で遠くまで入りに行った帰り道に半袖の上着の隊員たちに肘をついた匍匐前進をさせていたとの小隊長や分隊長の話に、お風呂帰りに?と訊ねた著者に「そう。また汚れますよ。それが軍隊なんですよ。軍隊は正常じゃないから。あたりまえだったら、正常だったら人を殺したりはしないよ。…」(P108)と答え、「どうやって兵隊を「あたりまえじゃないように」するんですか?」と問われ、「教育でしょ。長い教育で、ああだこうだ考える余地もないんですよ。寝ても起きても。自分で考えることができなくなるんだと思いますよ。今の人みたいに教育受けていたら違うけど、そうじゃないから。…」(P108)と答えていた“負傷した戦友を守り続けた”との見出しの第一護郷隊員(一七歳入隊)の言うように、教育の問題が非常に大きいと思う。だからこそ、著者も「過去の戦争を肯定し「戦争できる国づくり」に邁進する今の社会の流れ…」(P406)のなかで「道徳教育の強化、公民意識の徹底、教育勅語の見直し……。国のために命を散らす美学を否定しない教育に回帰し、積極的な犠牲を顕彰し褒めたたえて自分たちは助かろうとする靖国思想もじわじわと息を吹き返しつつある」(P406)ことに危機感を覚えているわけだ。 本書の冒頭「はじめに」で、「近年日本では「スパイ天国の汚名返上」という号令の下で特定秘密保護法や、いわゆる共謀罪(テロ等準備罪)の制定など監視国家化が進んでいるが、「スパイ」という言葉が強調され、その恐怖に支配されるようになっていけば、その社会はすでに黄色から赤信号に移行したと見るべきだろう。諜報・防諜網を国民の間に徹底させていった結果、何が起きたのか、それを沖縄戦が具体的な事実をもって示してくれている。今こそ、長い間沖縄北部の村々に封印されていた証言に耳を傾けて欲しい。そして私たちはそれを、再び戦争ができる「強い国」を指向しつつある日本国民の目を覚ます良薬に昇華させなければならない。時を逸して、犠牲者たちの声が呪いに変わる前に。」(P6)と結んである著者の想いが、「おわりにかえて」の末尾に「この本を少年兵の桜がほころぶ大宜味村の山で、瑞慶山良光さんに一番に捧げたいと思います。」(P738)と記されている“戦争PTSDに苦しめられた”との見出しの第二護郷隊員(一六歳入隊)による「やはり日本の軍隊は、悔い改めるという精神がない。日本の大本営にいた人たちが悔い改めなければ。まだ精神が変わっていないんだ。これ、魂入れ替えなきゃ大変ですよ。日本魂ではいけないと思いますよ。平和魂じゃないと。戦争魂を持ってきたらこれはだめだ。日本はもう謙遜であって欲しい。威張らないでね、謙遜して信頼されて欲しい。よそより偉い国にはならなくていい。」(P193)との言葉とともに、とてもよく伝わってきた。 それにしても、「護郷隊も年金(恩給のことか?)はあるんですか?」との著者の問いに「いえ、もらえないです。ただの飾りの軍隊ですから。決死隊みたいなもん。魚のエサみたいなもんです。本当の軍隊じゃないですもん。本当ならもらえるだろうけど、秘密部隊ですから護郷隊というのは。軍隊として統計されてないんですよ。追い詰められて仕方なく招集された仮初めの軍隊ですよ、仮の軍隊。家族の利益にならない。軍隊が僕たちを連れて歩いたのは、まず地域の人が土地もわかるし伝令役が上手ということはわかっていて、軍用犬みたいにね。お使い役、戦させるつもりじゃなくて彼らの連絡係。着物着けて民間の人に化けるわけですよ。それで斥候、様子探ってまた報告するわけ。こんな仕事させたいわけよ、地元の人雇って。」(P160~P161)と、自らを軍用犬のようなものだと語っていた瑞慶山良光さんの答えに暗然たる想いが湧いた。 | |||||
by ヤマ '20. 8.17. 集英社<単行本> | |||||
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