『判決、ふたつの希望』(L'insulte)
監督 ジアド・ドゥエイリ

 深い人間観察と高い知性の窺える素晴らしい作品だった。レバノン人のトニー(アデル・カラム)が発する「俺は、ヤワじゃない」との台詞が象徴するものを人が、失ってしまうことも徒に発揮してしまうことも、ともに問題なのだが、賢愚とか善悪では片のつけられないことがあるのも事実だ。

 水に流すのは至難のことながらも、トニーとヤーセル(カメル・エル・バシャ)の間に最後に生まれていたものが、民族レベルのものになる日が来ることを願わずにいられない。とはいっても、それがレバノン人とパレスチナ難民の間だけでは、ユダヤ人や錯綜する様々なアラブの民を含めた中東問題は決して片がつかないわけで、本当に至難のことだと改めて思う。

 だが、かの複雑で根深い問題を実にパーソナルで普遍的な問題状況に落とし込んで、中東問題は非常に複雑ではあるが、決して特殊な問題などではないことを、ここまで明快に提示し得ている作劇に、本当に感心した。発端となったトラブル自体は、中東地域の専売特許とは凡そ最も遠いところにある卑近さであったし、ささやかな問題だったはずの発端が裁判沙汰に持ち込まれることで、当事者の思惑を超えて収拾がつかなくなっていくさまの現実感に端倪すべからざるものがあったように思う。

 また、レバノン人であろうがパレスチナ難民であろうが、沽券に執着して事態を拗らせていく男たちに対して、どちらの妻もともに夫をたしなめ宥めようとしていた男女の対比が印象深かった。男たちが突っ張っていたこだわりを綺麗さっぱり捨てられれば、事態は変わって来るに違いないのだが、損得勘定では片付けられないものを含んでいて、ある意味、厳しい状況のなかを生き延びていくうえでの心の支えとも直結していることがよく判るからこそ、滑稽視することもできない。しかも、これが決して男たちだけに特長的なことではないことが、奇しくも三日後に観た女と男の観覧車の元女優のジニーが棄てられずにいたドレスに窺えたところが今回、特に心に残った。

 しかし、その執着こそが、幸いや平和から人々を遠ざけているのは間違いない。トニーやヤーセル、ジニーらの“固執している人々”に共通するものが、生の根底の部分でひどく誇りを傷つけられていることだったりするのが何とも哀しい。

 
by ヤマ

'18.11. 2. シネマート新宿



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