『蒲田行進曲』['82]
『犬神家の一族』['76]
監督 深作欣二
監督 市川崑

 公開当時に高知松竹で増村保造の怪作『この子の七つのお祝いに』との二本立てで観てすぐに原作小説を読み、同じくつかこうへいによる脚本ながら、映画化作品のほうが断然いいと思ったのみならず、わずか三か月後に、あたご劇場で今度は岡本喜八の快作『近頃なぜかチャールストン』との二本立てで再見している僕には珍しい映画なのに、映画日誌を残していない『蒲田行進曲』を三十九年ぶりに再見した。

 『犬神家の一族』と合わせた角川映画のカップリングによる課題映画として提示されたからなのだが、平田満の出世作となった本作を観ながら、つくづくキャスティングの重要さを感じた。とりわけ松坂慶子が素晴らしい。同年作品の道頓堀川のまち子のほうがより好みではあるけれども、本作で小夏を演じている当時三十歳の彼女がとにかく好くて、他の演者に替えがたい彼女ならではの説得力と魅力を湛えていたように思う。銀ちゃんったら、どんな顔してたっけ、女って薄情ねぇ。などという台詞に、いささかの蓮っ葉さをも感じさせないピュアな情感が籠っていて恐れ入った。

 それにしても、久方ぶりに再見すると、造形されていた映画世界の“単なるカリカチュアライズを突き抜けた過剰さと倒錯”に改めて感心するとともに、こういう性質の女性の強さと弱さ、男の情けなさ健気さを描く映画は、今ではもう撮ることが出来なくなっているのではないかという気がした。

 書棚にあった原作小説をほぼ四十年ぶりに流し読みすると、前述した小夏の台詞の出てくる場面はなく部屋に戻ると、ヤスはもう大口あけて、イビキをかいて眠っていた角川文庫 P127)し、決死の覚悟を要する「階段落ち」の撮影を前にして荒れたヤスこと村岡安次(平田満)が銀ちゃんの屁は嬉しくて、俺の屁は臭いのか!との名台詞で当たったりする場面もなかった。小夏との暮らしへの想いから死が怖くなって覚悟ができなくなっていることを泣きながらぼやく台詞は全く異なっていて、銀ちゃんこと倉岡銀四郎(風間杜夫)が絞首刑の13階段の三倍もある39階段でヤスの銜えた煙草に火を点けてやる場面もなかった。そもそも銀ちゃんがヤスに身重になった小夏を押しつけに来た場面で銀ちゃん、小夏さんの気持ちも聞かないことにはと言いながらも、小夏が銀ちゃん、わかったよ、もうわがまま言わないと言うのを聞いてヤスが引き受けたことに対して、小夏への未練が俄かに生じてそんなにうれしいのか…そんなに女に飢えていたのか、おまえと当たり始めた(P89)後に、ヤスの目の前で小夏の服を剥ぎ取り、交わるのを見せつけたりはしておらず、また、ヤスにしても、前段の「ヤスのはなし」に続く後段「小夏のはなし」によれば、俺、もし小夏さんに出ていかれたら銀ちゃんから殺されます。…悪さはしません。トルコに入り浸って、あなたには手を出したくても出せないようにします。危険はありません。安全です。まずとにかく、僕がここを出て他で泊まります。お願いします、僕の人となりを見てくださいと言って献身を重ねたことに対して、数週間後に「トルコには行ってるの」「はい」「ほんとね」「ほんとです」「じゃ泊まっていいわよ」「はい」返事はしおらしかった。P105)と声を掛けるとけど、案の定、その夜襲いかかってきたのよね。P105)という大人の了解事項が交わされていた。

 何より興味深かったのはラストの場面だ。原作小説では、階段落ちの場面でのヤスの悪態自体が、そんなヤスを見ながら、あたしは、出て行こうと決心していたP205)という小夏が撮影当日に現場に出向く前のヤスから聞かされた妄言でしかなく、ズキズキするお腹の、はち切れそうな痛みはこらえようがない。陣痛が始まっているのかもしれないと思い、病院をさがそうと立って歩き始めた。寒さと不安に、目の前がぐるぐる回り、歩きながら何度も気が遠くなった。P209)なかで、小夏の目に映ってきたものだったことだ。つかこうへいの脚本にどこまで深作欣二が手を加えたのか判らないが、原作小説と映画化作品では随分とテイストに違いがあるように感じた。夢物語たるキネマを称える行進曲としては、松竹蒲田ではなく京都太秦の東映を舞台に繰り広げつつ、高らかに戦前歌謡の♪蒲田行進曲♪を謳い上げて、大団円の笑顔で終える映画化作品のほうが、小夏の遠くなる意識の中でP210)観る幻によって終える原作小説よりも、遥かに気持ちがいいように思う。


 『犬神家の一族』も久しぶりに観たのだが、やはり面白い。観るのは何十年ぶりかになるように思うが、大野雄二によるオープニング曲だけでもすっかり持っていかれる堂々たる娯楽作だ。なかなか凝った意匠に富んでいるし、警察署長(加藤武)の「よぉ~し、わかったぁ!」のリフレインにしても、一族の人々のキャラクターや死体の見せ方にしても、実に運びが巧いように感じた。随所にユーモアというか遊び心が散りばめられているのがいい。もっとも今となると、鄙びた那須ホテルの女中はる(坂口良子)が金田一(石坂浩二)に「外食券、持ってますか」と問うような、戦後間もない昭和22年当時から遡る佐兵衛(三国連太郎)の行状にしても、古館弁護士(小沢栄太郎)に託して残した遺言の中身にしても、特異に過ぎて、若い世代が観るとピンと来ないかもしれないという気もした。

 そして、この時分の島田陽子には他の女優に替え難いイノセンス感があると改めて思った。他の娘や孫に対しては見せない珠世への想いを佐兵衛に抱かせるうえで、特別な因縁ゆえでは済まないだけのものを説得力として備えていたような気がする。また、犬神小夜子を演じた川口晶が、佐智(川口恒)の死体を見つけて、まさに仰天した顔には、なかなか迫力があって大いに感心した。映友によると小夜子がスケキヨと思しき死体を発見する場面は、脚本では彼女が人形を抱いて現れることになっていたものが、生きたカエル(本物)に変わったものだそうだ。どういう経緯でそうなったのかは不明だということだったので、それは“ひっくりカエル”なんじゃないでしょうか、やっぱり。と返したのだが、ホラー・サスペンスのなかに随所でユーモアや遊び心をくすぐっていて、大いに感心した。

 それにしても、佐清(あおい輝彦)は、少々だらしなくはないかと思わずにいられない。金田一耕助が「もう少し早く気づいていれば…」などと言うまでもなく、彼には犯人の連続殺人を止めさせる手立てがあったような気がしてならない。もっとも、それではお話にならなくなるけれども。
by ヤマ

'21. 1. 7. DVD観賞
'21. 1. 9. DVD観賞



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