『15時17分、パリ行き』(The 15:17 To Paris)
監督 クリント・イーストウッド

 これは、戦争で心を蝕まれる有為の兵士を描いていたアメリカン・スナイパー['14]とセットとなるべき作品だな、などと思いながらエンドロールを観ていたら、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンの三人の名前がクレジットされながらも、キャスト名が出なかった。訝しんでいると、キャストクレジットで役名と役者名が同名で記されたので「なんとまぁ、当人たちに演じさせていたのか」とすっかり驚いた。観ている間は全く気付かなかった。凄い演出力だと舌を巻いた。

 前作ハドソン川の奇跡からさらに踏み込んで、主役をも当人たちに演じさせていたわけだ。台詞も動きも格段に多い役回りを素人の当人たちに演じさせるとは思い掛けなかった。きっと最後に実際の彼らの画像が出てくるはずだからと楽しみにしていたのだが、「そしたら、なんと!」という驚きがあって儲けものだった。しかも、人種を越えた落ちこぼれ三人組というところが、誂えたように劇的だったように思う。予定を変えてのアムステルダム行きをしていなければ…、最初に乗り込んだ車両でもWi-Fi(無線LAN)が使えていたら…、などということを偲ばせていたことも含めて、彼ら三人が幼い頃から居住地を異にしたりしながらも交遊を続けていたのは、まさしく“15時17分、パリ行き”に乗り合わせるための天の配剤だったのかもしれないとの作り手の思いを感じた。

 それにしても、フランスで勲章を授与されたのは、手当てに当たった医師らしき御仁を含めた四人だけだったのだろうか。被弾して瀕死の重傷を負った、最初に自動小銃を奪った人物が顕彰されないのは、いささか腑に落ちない気がした。会場に来ることができないだけだったのなら、それが判るようにする必要があるように思った。そして、至極当たり前のことではあるのだけれど、何かの役に立ちたい、誰かの役に立ちたいという日頃からの思いとしての志は、カネを儲けて贅沢をしたいという私欲には生み出せない瞬発力を、TPO次第で発揮させるのだなと改めて思った。志のベクトルが誤った方向を指してしまうと、無差別テロ犯人にもなってしまうわけで、実に厄介なものでもあるのだけれども。

 その直後に観た日本のアニメーション映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』は、『15時17分、パリ行き』とは、実話とファンタジー、洋と邦、実写とアニメーション、と尽く対照的な作品だったのだが、本作を観たばかりだったからか、国の覇権争いには戦争が憑き物であることが強く残った。そして、この覇権主義にまさる悪はないと改めて強く感じた。

 それと同時に、その覇権主義とは対極にある“母なるもの”への想いも湧いてくる映画で、悪くない作品だったのだけれども、登場人物の名前が覚えにくくて少々難儀した。

 
by ヤマ

'18. 3. 1. TOHOシネマズ9



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