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『すばらしき映画音楽たち』(Score: A Film Music Documentary) | |||||
監督 マット・シュレイダー
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二十二年前に刊行してもらった拙著の第一部第一章「(2)映画を構成する諸要素」の項に“音楽・音・言葉”として「…映画作品の基調となる印象を、例えば、明るくポップな感じとか、淡々と落ち着いたイメージとか、しっとり温かい感じとか、クールで乾いた感じなどとよく言いますが、それらを決定づけているのは、場合によっては、映像以上に音楽ではないかという気がします。…一度、字幕付きの映画の音を消し去って観てみると、映画にとって、いかに映画音楽が大事な要素になっているかがよくわかると思います。特にホラー映画やスペクタクルもの、ロマンティックなラブストーリーなどで自分が傑作だと思っているものを試してみると、とても面白いことに気づくのではないでしょうか。」(P46~P47)と記していた僕としては、『サイコ』['60]のシャワーシーンにおけるバーナード・ハーマンの音楽を入れた映像と抜いた映像を並置して見せてくれていた本作は、まさに我が意を得たりの快作で、数々の映画作品と共に流れてくる耳に覚えのある映画音楽以上に、映画音楽にまつわる仕事に携わっている人々の映画音楽に注ぎこんでいる熱意とエネルギーを垣間見聞きできたことが、非常に面白かった。 最初に『ロッキー』['76]から始まったときに、かのビル・コンティの代表作を聴きながらニンマリとしつつ、本作の監督・脚本・編集・製作ほかを担ったマット・シュレイダーは、僕と同じくらいの年頃かと思った。だが、考えてみれば、主催者からの紹介コメントにテレビの現場でエミー賞を三度も受賞した実績がありながら、本作を撮りたくてCBSを退社してクラウドファンディングで資金集めをしながら製作したとのことだったから、僕よりはかなり若いようだ。『ロッキー』のあとは、一気に世界最初の興行実写映画であるリュミエールの『工場の出口』にまで遡り、無声映画時代における伴奏音楽を奏でる装置を見せてくれたのが目を惹いた。 そして、RKOの『キング・コング』['33]が切り開いたとのオーケストラ音楽が主流になっていくハリウッドの映画音楽が、その後、'50年代のジャズの隆盛や『めまい』['58]などを手掛けたバーナード・ハーマンのみせた音楽というよりも音響効果と言えるような映画音楽の持つ力を得て、'60年代のイギリス映画007シリーズでのビッグバンドや『続・夕陽のガンマン』['65]などのマカロニ・ウエスタンでギターを印象づけたとのエンニオ・モリコーネやらの影響も受けつつ、『俺たちに明日はない』['67]、『卒業』['67]、『イージー・ライダー』['69]といったニュー・シネマでの若者音楽であったフォーク、ロックを取り入れるなど、数々の革新と変転を見せながら進化してきた歴史を辿るなかで、『猿の惑星』['68]や『チャイナタウン』['74]でジェリー・ゴールドスミスのみせた象徴性について特筆しながら、ジョン・ウィリアムズの『スターウォーズ』['77]によってオーケストラ音楽の復権が顕著になったといったハリウッド映画音楽史をもコンパクトに概観してくれていたのが、実に興味深かった。文字で読む音楽史と違って、映像も音も摂取しながら辿る音楽史は、やはり格別だ。 折しも友人から1941年公開の映画『Kings Row』のコルンゴルトによる音楽を教えてもらったばかりだった奇遇が面白かったが、ともあれ、現代ハリウッド映画音楽におけるジョン・ウイリアムズとハンス・ジマーの存在の大きさに改めて思いが及んだ。また、映画音楽におけるジャズというと決まって出てくるのは仏映画『死刑台のエレベーター』['57]なのだが、本作はあくまでハリウッド映画を前提にしているからか『欲望という名の電車』['52]が挙がってきていたことが目を惹いた。同作をそういう観点で意識したことがなかったので、あちらではそういう位置づけなのかと妙に新鮮だった。そして、オバマの大統領選勝利宣言で使われたとの『タイタンズを忘れない』['00]にまつわるエピソードが、映画音楽ならではのものに感じられ、とても面白かった。音楽が映画を色づけるように、映画もまた音楽を色づけているわけだ。 | |||||
by ヤマ '18. 5.13. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター | |||||
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