『毎日がアルツハイマー』['12]
監督 関口祐加

 認知症がかつて老人性痴ほう症と呼ばれていたからか、よく観る劇映画では実の子供や配偶者を認知できなくなっている姿ばかり観るからか、介護認定5段階のうちの要介護3まで来ていても、これだけしっかりしているのかとすっかり驚いた。

 通帳と印鑑の置いた場所を忘れたり、数日前の誕生祝のことを忘れたり、ときに徘徊姿を目撃されたり、12ロールあったトイレットペーパーを1日で9ロール使ったり、といったことをするようになっていても、ほとんどの脳機能には支障を来していないのは、専門医による「認知症と言っても脳機能の95%以上は正常」との説明を待つまでもなく、本作でのアラ8宏子さんを観ていれば、実によくわかる。

 それだけに、スクリーンに映し出された姿から垣間見えた映らない宏子さんの苦衷を思うと、そりゃあ、外にも行きたくないだろうし、自分にばかりカメラを向けるなと娘の祐加さんに文句も言いたくなるだろうと思わずにいられなかった。僕も他者に頼ったり弱みを見せたりすることがかなり苦手なほうだから、宏子さんと同じ状況になったら、相当に苦労しそうな気がしてならない。少なくとも、幸せな気分になれる気がするなどと言っていた医師の心境には及ばない。

 それからすれば、この母はなかなか見事で、相当に気丈で巧まざるユーモアセンスにも溢れているのだが、それ以上に、外国に暮らし二十九年も離れていた後の同居とは思えない娘の距離感の取り方の巧みさに大いに感心させられた。自分は未経験ながらも、要介護者と同居すると、おそらくは過干渉になっていくものではないかと思われるのだが、そのあたりにかなり意識的に注意を払って抑制しているような気がした。もしかすると、スクリーンには映し出されなかった時間のなかで、初めの頃にかなり激しいバトルがあったのかもしれないけれども、スクリーンから現われてくるのは、程よく力の抜けた、それでいて丹念な情報収集や行政サービス調査に短期間で勤しんだことの窺える見事な伴走ぶりだった。

 会場では、今夏公開されるとの『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル』のチラシが配布されていた。あれから六年。先人くんも含め、関口家の人々のどういう時間を映画に編集してきているのか、劇映画のシリーズものを思わせるタイトルの醸し出すユーモアに包まれて何が語られているのか、大いに興味深く感じた。
 
by ヤマ

'18. 5.13. 民権ホール



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