『オー!ファーザー』
監督 藤井道人


 この軽妙さとあり得なさのなかにある実感溢れる味わいがたまらない。僕は、伊坂幸太郎の造り出すそういう世界と、とても相性がいいようだ。

 四年前に観たゴールデンスランバー['09]も、五年前に観た重力ピエロ['09]もフィッシュストーリー['09]も、七年前に観たアヒルと鴨のコインロッカー['06]も、そして本作も、映画化作品として監督が違っていても、この味わいは共通していたように思う。「唱和って、いいなぁ」などとしみじみ思ったのは、初めてかもしれない。どちらかというと、学校の先生などから指示されて否応なく“させられるもの”だというイメージが強いのだが、思い起こせば「ハッピーアイスクリーム!」などと言って遊んでいたこともあるから、むしろ大人になってからのイメージだという気がしなくもない。ともあれ、本作では“親密さにおける共有・共存”のある種の象徴として繰り返されていて、それがなかなか効いていたように思う。

 由紀夫(岡田将生)からの「なんで窓から逃げる必要があったのか」との問いに、「だって思い出になるじゃないか!」と鷹(河原雅彦)が明快に答えていたが、人という“記憶を有するもの”に生まれて、限りある人生における最大の宝物としては、確かに思い出こそが最も掛け替えのないものなのかもしれないと思った。『ゴールデンスランバー』のオープニング&ラストで強調されていた“親密の証としての見覚え”や「痴漢は死ね」の符号とかが、本作においても手旗信号や鷹に向かって言った「おとうさん」との言葉に窺え、それを耳にしたときの河原雅彦の気付きの表情の程のよさがなかなか良く、TV画面に映っている四人の父親たち(佐野史郎、村上淳、宮川大輔、河原雅彦)が真剣な眼差しで懸命に手旗信号を送る姿に、それを見つめる由紀夫と同じく大いに感じ入った。

 そんななか、互いに「そうそう、そうそう」と相槌を打ち合うことはできても、難なく唱和するような共有を果たして僕は持っているのかと振り返ると、残念ながら思い当らない。だが、明言しなくても伝わり合う想いとか記憶の共有というものは、家族を含め、いろいろな人との関係のなかで得てきているようには感じている。

 さすがに妻や息子を四人で共有するなどという桁外れのことは、唱和同様にとても真似できないが、軽やかに共にし、分け合うことの素敵な感じが平明に伝わってきて、何だか非常に気分がよかった。そして、きっと1千万円で片を付けることにしたのだろうと思っていた富田林(柄本明)との経緯については、見事に裏をかかれたのが爽快だった。「金でケリをつけるような野暮を伊坂幸太郎はしないのだ!」と言われたような気がした。原作でも映画同様に、クイズ賞金の顛末には言及していないのか、確かめてみたくなった。

by ヤマ

'14.10. 2. 美術館ホール



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