『るろうに剣心 京都大火編、伝説の最期編』
監督 大友啓史


 第1作を観逃しているのだが、それでも難なく楽しめた。思いのほか面白くて驚いた。緋村剣心(佐藤健)が瀬田宗次郎(神木隆之介)に「一度や二度の勝ち負けで簡単に答えが出るものなら、誰も生き方を間違えたりしないでござるよ」と言っていたが、善悪是非を単純に色づけたりしていないところが気に入った。画面も良かったし、上々のエンタテイメントだという気がする。

 宗次郎は、幼時に酷い虐待とイジメにあったことから、何事も笑いでやり過ごす術が刷り込まれた青年だったが、力しか信じられなくなっていたものが、緋村との対決によって壊れていく姿に凄みがあったように思う。その際の魂の叫びのようなものを神木隆之介がよく演じていて、とりわけその直前の緋村の弁に対し、「あ~、イライラする」と髪をかきむしっていたときの風情がなかなかのものだったような気がする。

 志々雄(藤原竜也)の陣営に付いている者の多くが呉越同舟で、決して彼にコミットしているわけではないのもよかった。徳川討幕の当時もそうだったように、反政府ということで体制側を最も脅かすのは、一致団結して一丸となった少数先鋭勢力ではなく、呉越同舟でも政府打倒の一点で種々の反政府勢力が集結したときであろう。ただ、その後のビジョンと戦略が甘いと、とんでもない事態を引き起こして却って状況を悪化させるような気がする。そういうことでは、つい近年の“反自民”の一点で野合した民主党が政権奪取後、自らメルトダウンしてしまった惨事にまるで呼応するかのように現実のメルトダウンが福島で起こった現代日本の状況を想起せずにはいられない。その後の自民党政権の復活は確実に以前の自民党政権よりも悪化、劣化している気がしてならない。

 そういう意味で、相楽左之助(青木崇高)の発していた「俺も政府は嫌いなんだ。だけど、やっと収まった戦乱を繰り返すのはもっと嫌なんだ」との弁には、日頃感じている、政局やメディアでの議論とも論争とも言えない品性を欠いた非建設的な叩き合いに対するうんざり感と憤りの気持ちに重なってくるものがあった。




推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-23a0.html
by ヤマ

'14.10. 4. TOHOシネマズ1



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