『アヒルと鴨のコインロッカー』
監督 中村義洋


 映画を観る前に原作を読むことはほとんどしないのだが、上映会を企画した佐川町桜座の女性職員さんが、原作を読んでからの映画作品としての注目どころを町の公報に掲載する推薦文にして書いてほしいと言っているとのことで託された単行本を9月に読んでいた。作者の伊坂幸太郎というのは人気作家らしいが、僕が読むのは初めてだ。ミステリーとしての物語的な謎よりも、肩の力の抜けた感じで、人の魂というものについて問いかけてくるところを備えている部分に、なかなかの力量と魅力のある小説で、思いのほか面白かった。ちょっと斜に構えた感じの気の利いたフレーズが頻出する饒舌感に味のある文体で、この雰囲気を映画で巧く出すのは、かなりむずかしいぞと思いながら読んでいたのだが、二年前と現在という二つの時制を細かく交互に綴っていく構成は、ある意味、非常に映画的だと思いつつ、登場人物のなかで河崎と麗子のキャスティングは誰にしているのだろうということが気になった。独特の雰囲気を持ったキャラクター造形がされていたのだが、体現できる役者が思いつかなかったからだ。

 また、僕は河崎のようにモテたりすることはなかったけれども、異性交遊に関することに限らず、彼の持っている感覚全般については、懐かしさとともに親近感を覚えるところが多く、にんまりしながら読んでいたのだが、終盤で明らかになった事柄が驚くべきことで、これは小説だからこそ取れる構成であって、この小説の構成をそのまま映画に取り入れることは決してできないと思われるような話だった。だから、どんなふうに映画化しているかがとても興味深くなったものだった。そして、クローズド・ノートを観たときに一つの回答を出されたように感じて、もし全く同じやり方をしていたら、ちょっと痛手を蒙ることになると思ったのだが、実際に似たような手法を取っていたことで僕が蒙った痛手は、予期していたものとは異なっていた。

 『クローズド・ノート』で、香恵が自分の部屋に貼ってあるポスターの映画スターで、伊吹の日記に綴られていた隆を見立てていたように、『アヒルと鴨のコインロッカー』での二年前の河崎やドルジは、事の顛末が椎名(濱田岳)に露わになるまで、彼の想像のなかでの再現しか映し出されなかったので、何ら不自然ではなかったのだが、単純に手法が同じであることで意表を突かれなくなることを懸念していた僕の思いというものは、手法のこと以前に既に原作を読んでいて驚きようがないことからすれば、まるで大したことではなかった。ところが、この手法を取ったことで失われた別の大きなものがあって、それが僕には痛手だったことに気づいた。すなわち、原作では現在の語り手が椎名であることで描き出されていたドルジ(瑛太)の演じる河崎や麗子(大塚寧々)の姿があって、二年前の語り手が琴美(関めぐみ)であることで描き出されてた河崎(松田龍平)、ドルジ、麗子の姿があり、そこに浮かび上がってきている人物像と関係性に妙味があったのに、映画の話法では、琴美の視線がすっぽり抜け落ちてしまうわけだ。人物像としては、むしろ琴美の目に映っていた三人こそが魅力的で、そこに琴美の想いが窺えるところに味があったのに、それが抜けてしまうと、物語は了解できても、味わいがかなり損なわれるように思う。

 また、人物像を浮かび上がらせるに必要なエピソードの量が小説に比べて大幅に少なくなっていて、河崎を振る舞っていたドルジが歩道に並んでいる駐輪違反の自転車を次々に蹴り倒していく姿に椎名がふと気づきを見出すという僕の気に入っていたエピソードなども削られていた。それにもかかわらず、それなりの造形を果たし得ていたのは役者の力量だと思われたのだが、河崎や琴美にかなりの影響を及ぼしたと思しき、彼らにおけるブータン観というものが、映画では充分に表れてなかったように感じられたのは、エイズ患者や外国人に向けられる差別的な視線というものが背景にあってこそ生きてきていた四人の関係性とドラマだっただけに、かなり残念だった。

 ただ僕にとっては、映画化作品を観たことで新たな気づきとして認識できたように思われることがあったのは、収穫だった。原作を読んだときは、ドルジの犯行計画は、どのようにして組み立てられていたのだろうというところが今ひとつ腑に落ちないでいたのだが、計画自体は繰り返し頭のなかで妄想しつつも、いざ実行には移せずに来ていた二年間の後で、本当にたまたま椎名の歌う♪Blowin' in the Wind♪を耳にして決意を固めたのだろうという気がした。もし椎名が現れなければ、ドルジはまだ決行できずにいたかもしれないというような印象は、原作を読んだときには持ち得ずにいたものだったが、映画という実際の姿形と音声を示すことのできる媒体によって初めて了解できるものがあるというのは、よくあることだ。そういった部分をきちんと備えていたのだから、映画化作品のほうも、それなりの出来栄えだったと言うべきところなのかもしれない。
by ヤマ

'07.12. 2. 佐川町桜座



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