『あなたを抱きしめる日まで』(Philomena)
監督 スティーヴン・フリアーズ


 紹介稿の掲載を求められた地元紙に「イギリス映画の『あなたを抱きしめる日まで』では、10代で未婚の母となったアイルランド人の元看護婦が、修道院の一存で幼児期に養子に出された息子の消息を追って、50年後に米国まで訪ねて行く。BBCの看板記者を降ろされても、社会面は「心が弱くて無知な人々が読むもの」などと思い上がっている元政治記者が、ベタなメロドラマ小説を愛好する元看護婦を連れて“三面記事”の取材をしていく道中になかなか味があった。
 実話に基づくとは思えないほどの数奇な展開以上に、記者のマーティン・シックススミス(スティーヴ・クーガン)と元看護婦フィロミナ・リー(ジュディ・デンチ)の人物造形が素晴らしく、ユーモアもあって、心に沁みる。二人の抱えている“喪ったものへの向かい方”の対照が絶妙だ。
 フィロミナが「赦しには大きな苦しみが伴う」と絞り出すように零した場面が痛烈で、老修道女ヒルデガード(バーバラ・ジェフォード)の歪な頑なさが効いていた。宗教的モラルにかこつけて厳しく罰しようとする修道女、同じく宗教的モラルから何とか赦しに向かおうとする元看護婦、社会正義から悪行は許すべきではないと考えるジャーナリスト。それぞれの対照が際立つ。世の中の向かっている方向がひたすら厳罰化にあるなかだから、なおさらに響いてくるものがある。そもそも罪とはいかなるものなのか。そして、罪に与えられるべきものは、罰なのか赦しなのか、根源的な問い掛けを含んでいる秀作だ。
」と寄稿してあったのだが、予め業務用DVDで観た際には、堕天使のパスポート['02]には及ばないにしても、ヘンダーソン夫人の贈り物['05]やクィーン['06]に並ぶ秀作だと思ったけれども、スクリーン鑑賞してみると出演者のデリカシーに富んだ表情に惹きつけられ、『堕天使のパスポート』に匹敵する作品だと思い直した。

 探していた息子アンソニー=マイケル(ショーン・マホン)が自分の消息を訊ねるために戻っていたことを知りながら踏みにじっていた修道女に対し、率直な本心ではなくても受苦を負って赦すべきだと考える庶民と、悪行は赦すべきではないと考えるジャーナリスト。どちらが正しいのかといった答えのあるような問題ではない。そもそも、その罪にしてから、何を以て罪とすべきかは、ヒルデガードとマーティンとフィロミナで異なろうし、罪というものに対し、罪は罪だとその度合いを問わない絶対視という問題もある。そして、老修道女を罰することとカトリック修道院が過去に行っていたことを個人レベルで行状を暴くことは異なるという考え方も勿論ある。だが思えば、昔に比べて人々がやたらと「許せない」と口にするようになった気がする。本心の程度は、さまざまなのだろうが、すぐに「訴えてやる!」とか、それを煽り立てたりする風潮が顕著になり、僕が若い頃とずいぶん価値観が変わってきているような気がする。

 他にも、かつては、こだわりなど持たないほど人間の器が大きくて徳があるよう見られていた気がするのに、近ごろは、こだわりを持っていることのほうが立派だと思われていたり、簡単に赦したりはしない厳しさが甘い人間よりも上等だと思われていたり、クレームなどというものは余程の場合だったはずが、品質向上を口実にどんどんすべきことのように言われたり、何だか違和感を覚えて仕方がない。

 人生に対する“修業”などという感覚も廃れてきていて、人生とは、他者との交渉や駆け引きで渡っていくものであって、自らが修業するようなものではないというか、そういうふうには考えたこともないような人々が世に出て、公人として暴言を吐いているような気がしてならない昨今だ。

 そのようなこともあって、養子に出たことで得られた息子の境遇が自分の元で育っていたら、到底与えてやれなかったものだろうことを、相手方の修道院を責め立てること以上に自分に対して深く刻む姿が繰り返し描かれ、印象づけられていたフィロミナという老女が心に沁みてきたのだろう。そのような部分こそがフィロミナの希有な特質だったのだが、50年前に10代というのは些かサバの読み過ぎだろうというジュディの深く強い表情の素晴らしさを大画面で目の当たりにし、彼女に60代を演じさせるのは無謀だという気もしなくはなかったDVD観賞時の不明を恥じた。素晴らしい作品だ。





推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20140320
by ヤマ

'14. 9.26. 高知市文化プラザかるぽーと大ホール



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