『悪人』をめぐって
映画通信」:(ケイケイさん)
(灰兎さん)
ヤマ(管理人)


  ケイケイさんの掲示板にて
投稿日:2010年 9月19日(日)15時20分
ヤマ(管理人)
 ケイケイさん、こんにちは。
 『悪人』、僕も観てきました。拙日誌を綴ろうかと思っていましたが、お誘いを受けて、早速、ケイケイさんの映画日記を拝読しました。

(ケイケイさん)
 ようこそお越し下さいました。ありがとうございます

ヤマ(管理人)
 海外映画祭で受賞した深津絵里のみならず、登場する全ての人物像にリアルで確かな存在感を与え、忘れがたい演技を役者から引き出している演出に最も感心したのですが、…

(ケイケイさん)
 主役は元より、端役の一人一人までちきんと描き込んでいて、その辺りは本当に出色でしたね。善意の人悪意の人、皆が皆身近な人に感じました。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんもお書きのように、とりわけ妻夫木くんは頑張ってましたね。おっしゃるように最初の登場シーンでの魚が死んだような目の祐一にははっとさせられました。佳乃に邪険にされ、彼女の乗り込んだ増尾の車を追跡し始めたときの険相も凄かったです。

(ケイケイさん)
 ラスト近くの形相もね。
 それと光代に告白する時やホテルに誘う時のたどたどしさと、その前後の行為の粗野な荒々しさの対比なんかも、同じ人間の中に潜む素養だと感じさせる演技は、とても難しいと思うんですよ。その辺も上手でした。本当にびっくりしました。

ヤマ(管理人)
 たどたどしさと荒々しさというのは、一見相反しているようでありながら、実はセットになっていることのほうが多いように僕は思いますよ。荒々しくないソフトな洗練というのは、流暢な余裕とともに醸し出されるものだと思います。ですが、いかにも器用そうに見える妻夫木くんがそれをあのようにありありと感じさせてくれる演技を果たしていたことに圧倒されました。

(ケイケイさん)
 彼には爽やかな好青年のイメージが付いて回っていますからね。私も嬉しい誤算でした。

ヤマ(管理人)
 僕は、どうもジョゼと虎と魚たちの印象が強くて、優しいヘタレってイメージです(笑)。爽やかな好青年とは少し異なるのですが、いずれにしても、今回の祐一は、意外な役どころでしたね。

(ケイケイさん)
 そうそう、なんちゃって好青年ですよね(笑)。あの時の妻夫木聡は、出色でしたよ。いずれにしても、好青年役が彼の定番ですよね。


-------祐一は本当にセックスがうまかったのか-------

ヤマ(管理人)
 でもって、『悪人』で妻夫木くんが見せてくれた、たどたどしさと荒々しさというのは、紛れもなく観客たる我々が目にすることのできた祐一でしたが、どう見ても佳乃の語った運転とセックスだけはうまいんやけどねぇとは映らなかったのは、祐一の別の一面なのか佳乃の見栄を張った虚言なのか、ケイケイさんは、どう御覧になりますか?

(ケイケイさん)
 虚言ではないと思います。佳乃は何か人に自慢できるような事がある相手としか、付き合わなかったと思います。

ヤマ(管理人)
 そうですよね。そういう思いがあるからこそ、女友達にはそう言うわけです。
 でも、光代に対した際の性急な荒々しさに佳乃の言うような感じは見えなかったのですが、それこそが光代の欲しているスタイルとして察した祐一の高度な技巧だったとケイケイさんは御覧になったということなんでしょうか?

(ケイケイさん)
 そういう荒々しいスタイルが佳乃にとっては、良かったという事なんじゃないですか?

ヤマ(管理人)
 ほほぅ(笑)。

(ケイケイさん)
 でもって、欲しているスタイルを察するほど、祐一は女慣れしてないでしょう。

ヤマ(管理人)
 ですよね。僕もそう思います。
 ラブホでのセックスの後、光代に金を渡すときの風情がそのことをありありと物語ってましたよね。

(ケイケイさん)
 佳乃にお金を要求されたからと言ってましたよね。女性とセックスする時は、そうするもんだと思ってたんですね。

ヤマ(管理人)
 そのへんが哀しいですよね〜。あれだけ感受性の強い祐一なのに、人間関係の経験が貧弱で、なおかつ幼時に母親から捨てられたことで負っている対人不安というか自信のなさが染みついていると、対女性に限らず“人を観る目”が育ってないんですよね。だから、光代の“本気で求めていた出会い”を感受できないんですよ、自分も本気だったくせに。

(ケイケイさん)
 そうですよね、自信がないからお金を払うんだと、私も思いました。でも光代には屈辱ですよ。お金を受け取らなかった光代を観て、初めて心の鎧を脱ぐんですよね。

ヤマ(管理人)
 これねぇ、捨てられ感さえなければ、がばいばあちゃんに育ててもらった洋七の例もあるように、祖母に育てられること自体が問題だということではないんですけどね。

(ケイケイさん)
 そうですよね。自分を愛してくれる祖母がいると、祖母しかいない、では、全く違いますから。

ヤマ(管理人)
 また、最初からいなければ、これまた捨てられ感は生じる余地がないんですが、祐一の幼い時分の記憶によれば、別れも告げられない騙し打ちのようなものですから、最もキツイですよね。家の中でもない屋外での置き去りですから、捨て猫のようなものです。捨てるにしても捨て方があるのは、どんな人間関係にも言えることですが、とりわけ子供に対しては、粗末なことをしちゃいけないと心底思います。あれだけの悔しさを発露させる房枝が手塩にかけても、乗り越えさせられなかったのですからね。
 でも、光代にはそれが出来たわけで、ここんとこが男にとって異性たる女性の持つ意味の重さです(笑)。

(ケイケイさん)
 これは女性にとっても、同じじゃないですか? 暴君な父親にトラウマがある女性が、優しい男性と巡り合い。心を溶かせる事はあると思います。私はこの辺に、血の通った者では、当人のトラウマを払拭させるのには限界がある、と感じました。

ヤマ(管理人)
 これ、なかなか意味深長で、真実を突いていると思います。血の通った者同士の中に閉じて取り組んでいると必ずと言っていいほど、カタストロフが訪れるような気がしますよ。

(ケイケイさん)
 観ていて、これが一番痛感したことでした。家族と疎遠なわけじゃなく、むしろ自分の事を思ってくれているだろう肉親と暮らしている。でも明らかに二人とも不幸ではなく、不満足でしたよね?

ヤマ(管理人)
 ある意味、贅沢とも言われそうですが、不幸なら闘うこともできるけど、満たされない思いというのは、闘いようがない分、却って深刻かもしれませんよね。ましてや、性のほう以上に、生の喜びを感じられない閉塞感なんですから。

(ケイケイさん)
 性的な欲求不満より、ずっと深刻だと思いますよ。
 祐一の場合は、造形からも教養の薄さを強調していたと思うんですね。私は教養の豊富さというのは、自分の人生を心豊かにするものだと思っています。彼の場合、閉塞感のはけ口がセックスや車でしか、方法がわからなかったんだと感じるんです。
 光代の場合は、生まれてから「国道沿い」以外では暮らした事がない、と言う言葉が全てですよ。彼女の場合は、外に飛び出そうと思えば出来たはずなのに、それをしなかったのは、どうしてでしょうね? 妹と二人暮らしでしたけど、あれは両親を早めに亡くして、それでなのかな? そう想像すると、肉親とは重い足かせですよね。
 そういう意味からも、肉親とだけ濃く生きるのは、とても閉塞感があると感じました。

ヤマ(管理人)
 そうなんです。鮮度ってのが乏しくなりますよね。とりわけ若者には、キツイことなんだろうと思います。

(ケイケイさん)
 年齢がいくと、また戻ってくるんですけどね(笑)。


-------幼時の母親との関係がもたらすものの重さ-------

ヤマ(管理人)
 幼い時分に母の言葉を信じてずっと待っていたのに裏切られた記憶との対照が効いて、食料調達に出たはずの光代がなかなか戻らないのを待つ場面での葛藤が偲ばれましたね。

(ケイケイさん)
 母親に置き去りされた記憶は、一生忘れられないと思います。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。僕は、増尾圭吾にも母親との間に何かあるという気がしました。

(ケイケイさん)
 私はマザコン気味の子かと感じました。

ヤマ(管理人)
 それは間違いないでしょう。佳乃に対して言った母親についての言い方からも。

(ケイケイさん)
 色々問題の多かった私の母ですが、捨てられる事は露ほども子供に思わせなかった人でしてね、それがどんなに有り難い事か、今になってわかります。

ヤマ(管理人)
 得てして人は、自分の得ているものは当然のものだと勘違いしてしまいがちですから、その有り難さに気づくことは、いくつになっても必要ですよね。

(ケイケイさん)
 ワンシーンしか出てこなかった祐一の母ですが、どんな母親か、あれだけで充分わかりましたから、演出と余貴美子は本当に大したもんです。

ヤマ(管理人)
 同感です。画面を通じて僕らが見知っている祐一が、たまに会って千円でも二千円でもわずかな金でも巻き上げていっているとしたら、ケイケイさんもお書きのようにお金をむしり取る事が、愛情の不足感を埋めることに他ならない“代償と抗議の訴え”だという気がしますよね。


-------祐一の母 依子の人物像-------

ヤマ(管理人)
 依子さんは、ホントに泣いて謝ったりしてたんでしょうか。僕はしてないような気がします。母親の房江に対してそう取り繕っているだけでね。

(ケイケイさん)
 母親に取り繕う必要はなかったんじゃないですかね? むしろ私は、お門違いに、こんな子に育てたのはあんただろう?と、抗議しに来たように見えました。

ヤマ(管理人)
 なるほど、抗議ですか。確かに発した言葉は文句でしたね。全くお門違いも甚だしいってわけですね。
 僕が感じた取り繕いっていうのは、わりと女性に多く見られることのように感じているのですが、大概の場合、必要もないのにすることが多くて、それによって却って馬脚を現してしまっているという感じです。

(ケイケイさん)
 そういうのは、私も身に覚えがあります(笑)。

ヤマ(管理人)
 取り繕いとは違うかもしれませんが、問うてもないのに言い訳するってこと、僕は圧倒的に女性のほうが多いように感じてます。

(ケイケイさん)
 個人差があると思いますよ、これは。

ヤマ(管理人)
 そうですか。でも、…(笑)、「私は悪くないのよ」ってこと、女性はすごく重視するような気がしますよ。誰が悪い悪くないということを問題にしていない場面でも、先ずそこから入ってくるというような感じが職場などでもよく見受けられます。

(ケイケイさん)
 私も無意識にしているかも知れません。

ヤマ(管理人)
 どういう事実によって何が起こっているか把握したいときに、誰彼の〜のせいでこうなったのだということしか言わないので、状況把握がひどくむずかしいってな報告の仕方をするのは、僕の経験則では、圧倒的に女性です。

(ケイケイさん)
 そうなんですか。というか、私はほとんど女性で回している職場しか知らないんで、意識していないかも?

ヤマ(管理人)
 でもって、それがいかにひどいものかってことばかり詳しく報告するので、詳しく知りたいのはそういうことじゃないんだけどって言わざるを得なくなるんですよね(苦笑)。

(ケイケイさん)
 ミスは気をつけていても、どうしても起こりますからね。私なんてケアレスミスの女王ですから…。ひどいものかって言うのは、人間関係に起因していると言う事ですか?

ヤマ(管理人)
 それはケースバイケースで、人間関係の場合もあれば、相手の無理解や無能力を訴える場合もありますが、要は、状況説明としての報告であるべきところを、友人に対して共感や同意を求めるときと同じような表現をしがちということです。

(ケイケイさん)
 ふむふむ、要するにいい訳ですね。

ヤマ(管理人)
 はい(笑)。言い訳などしなくてもいい場面でもね(苦笑)。
 そういう意味で、僕は、依子が「(子供を捨てた)私が悪いんじゃないからね」と、問われてもいないのに、わざわざ言いに来ているように感じました(たは)。

(ケイケイさん)
 そういう観方は充分ありだと思います。

ヤマ(管理人)
 で、それは取りも直さず、彼女が息子を捨てたことに負い目を感じている証拠のような気がしたのです。

(ケイケイさん)
 なるほど。それなら「負い目」も納得です。でも素直に観ると、やっぱり抗議だなぁ、私は。

ヤマ(管理人)
 ええ。それはそれで充分、アリだと思いますよ。っていうか、普通に素直に観ると、そっちのほうが自然なんだろうと気づかせていただいたように感じてます。でも、僕が思ったのは、あんなふうに迷惑そうにしてたり、手を焼いてるなどと訴えるのは全部全部、依子自身の“負い目”がさせていることのように感じたということです。

(ケイケイさん)
 私の場合は、負い目には感じませんでした。祖母が祐一と母親が会っていたことに驚愕していたでしょう? あれはいくら祖母が頑張って育てても、息子は実の母に会いに来てるんだよと、誇示しているように感じました。最低の母親ですよ。

ヤマ(管理人)
 なるほどねー、誇示ですか。それも興味深い受け止めですね。僕の想像の埒外でした。わざわざ誇示しに来たわけではないけれど、我が子を育てさせた母親に対して、そのように上位に立って強がりたい気持ちは生じるんでしょうね、確かに。
 でも僕的には、そもそも事件が起こったことでわざわざ母親の元を訪れ弁明していること自体が彼女が“負い目”を感じていることの証だと思うのです。

(ケイケイさん)
 なるほど。ヤマさんは弁明に感じ、私は抗議に感じたわけですね。

ヤマ(管理人)
 いずれにせよ、「自分は悪くない、むしろ被害者だ」という主張ですよね(笑)。

(ケイケイさん)
 だからムカムカ来たんですよ。あれで謝ったり後悔したりすれば、自分も救われるのに。やっぱ母親には厳しいですかね?(笑)

ヤマ(管理人)
 この件ですが、原作を読んでて映画をまだ観ていない方から、つい最近、とても重要なことを教えてもらったんですよ。僕は、映画のなかにその台詞があったような記憶がなかったのですが、原作には祐一の台詞として二人とも被害者ということは有り得ないという言葉があるのだそうです。

(ケイケイさん)
 映画ではなかったですね。

ヤマ(管理人)
 もしそうなら、この重要な台詞を割愛することによって意図した脚色が映画化作品にはあるような気がしますね。そこのところが祐一の母親の人物造形に対して働いているのかもしれませんね。

(ケイケイさん)
 ヤマさんや私が感じた母親像にしたかった、ということですね。

ヤマ(管理人)
 そうです。いずれ読むであろう原作ですが、その際の一大関心事は、そこのとこです。もう一つは、お察しの通り、増尾の母子関係ですよ(笑)。

(ケイケイさん)
 描かれているといいですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 で、原作によると、祐一が母親からハシタ金をせびるようになったのは、母親が自責の涙を流したときからのことらしいです。

(ケイケイさん)
 感受性は強い子なんですね。愛情不足ではなく、お母さんを赦していたんですね。

ヤマ(管理人)
 そのようです。房枝がスカーフを取り出して嘆息していたように、祐一は介護の手助けもする“優しい子”でしたからね。彼女が佳乃殺害現場の橋の欄干にそのスカーフを括り付けたのは、決して優しかったはずの祐一との決別ではなく、殺された佳乃の魂に祐一の優しさを伝えたい思いからだったのでしょうね。

(ケイケイさん)
 私も決別とは感じませんでした。私は謝罪だと感じましたが、意味はヤマさんと同じです。

ヤマ(管理人)
 あのスカーフは、房枝にとって祐一の優しさの象徴ですからねー。
 で、依子の自責の涙の件ですが、映画では依子の台詞でしか示されていませんでしたから、僕などは、泣いて謝ったりは本当はしてないんじゃないかと受け止めていましたよ(苦笑)。

(ケイケイさん)
 普通はそう見えると思いますよ。私もヤマさん寄りの観方でしたし。

ヤマ(管理人)
 余貴美子の演じた依子の人物像にそういうニュアンスが演出されていたような気がしますよね。

(ケイケイさん)
 そう思います。

ヤマ(管理人)
 それで原作のほうでは、祐一が金をせびったことが「私だって十分罰を受けている」と公言する根拠を母親に与えたようで、原作既読で映画未見の友人は、そのことが最後の光代に対する祐一の行動にも作用していると受け止めておいでました。

(ケイケイさん)
 そういう思考ですよね。それこそ彼女の負い目をぬぐってあげたかったんでしょうね。

ヤマ(管理人)
 僕は、先にも書いたように依子の訴えは、それが抗議であれ弁明であれ、そういう行動に出ていること自体に着目したのみで、訴えていることの真偽についてはあまり気を留めていなかったのですが、お茶屋さんなんかは、祐一がハシタ金をせびったのは彼の優しさゆえだと、原作を読まずして映画のみからそう受け止めていたようです。それって、もしかして妻夫木くん効果?(笑)

(ケイケイさん)
 妻夫木聡、恐るべし(笑)。というより、お茶屋さんが卓抜した観方をされたのだと思います。


-------祐一にとっての光代の存在の重さ-------

ヤマ(管理人)
 幼い時とは違って、光代の帰還を信じきることは叶わなくなっていたところに彼女が随分と遅れながらも戻ってきたものだから、祐一は強い衝撃を受けたろうと思います。

(ケイケイさん)
 あの時の祐一の表情にも、胸が締め付けられました。

ヤマ(管理人)
 ほんとうにね。
 彼らの人生には“やり直しの機会も与えられている社会”だとは思えないのが、今の現実です。

(ケイケイさん)
 その後の光代の「ごめんね、ごめんね」に、もう涙が止まらなくてね、隣の方も号泣されてるんですよ。いい席に座りました(笑)。

ヤマ(管理人)
 遅くなって不安にさせたことを詫びているのかと思いきや、自首しようとしたのを翻意させて、より“悪人”への道に進ませたことを詫びてましたね。

(ケイケイさん)
 冷静になって考えてみれば、祐一の罪を重くしたのは自分ですからね。その意味では、男性に我を忘れさせる情念を持っていた人だと思います。

ヤマ(管理人)
 祐一は、我を忘れて自首を止めたのではないと思いますよ。

(ケイケイさん)
 自首は確かにそうでしたが、その前の警察が捜査に及んだ時は、咄嗟の激情で光代を連れだしているわけです。

ヤマ(管理人)
 確かに。

(ケイケイさん)
 佳乃のように尻軽ではなく、会ったばかりの自分の気持ちを理解してくれるんじゃないか、そう思わせる母性ではない女性の情念のようなものを、光代に感じたからだと思いました。

ヤマ(管理人)
 なるほど。それはそうかもしれませんね。“男性に我を忘れさせる情念を持っていた人”という男一般向けの魔性的イメージは、光代に感じられなかったのですが、祐一という個別事例においてなら了解です。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます。

ヤマ(管理人)
 祐一の自首は、光代によって翻意させられたというよりも、元々ある意味、投げやりというか、そのまま逃亡を続けても何の当てもないから、もう潮時って感じで他に行くとこもなく警察に向かったのに過ぎなかった気がします。そもそもが決意で臨んだ自首ではないわけだから、それに替わる何かを提示されたら、あっさりと翻すわけですよ。

(ケイケイさん)
 私は、投げやりには見えませんでした。潮時というか、光代と過ごして覚悟が出来たんだと思いました。翻したのもあっさりには見えなかったなぁ。

ヤマ(管理人)
 あ、それはそうですね。でも、覚悟のほどは、あの自首しようとした時点と再度逃避行を重ねて捕まる時点では、格段に違っていたもんで、あの時点での心境としては、先に記したように、かなり消極的な表現になってしまいました。

(ケイケイさん)
 やっぱり光代と過ごした時間がそうさせたんでしょうね。

ヤマ(管理人)
 それでも他に行くとこもなく警察に向かったのに過ぎない」「そもそもが決意で臨んだ自首ではないというのは、不適切でしたね。あの自首には、刑期を終えさせた後に再会するという目的があったわけだから。ただ、そうであっても、僕は、潮時が潮時ではなくなり、逃亡のほうに再び目的を持つことができるようになったら、あっさりと(即ち何の迷いもなく)自首することを止めたようには思いました。

(ケイケイさん)
 うん、それはそうですね。やっぱり自首は怖いですよ。正しくても怖い。でも一人で逃避行はもっと怖い。そこへ光代と言う道連れが出来て、逃げると言う、ある意味希望が湧いて来たわけですよね。あっさりに感じられたのは、妥当だと思います。


-------光代の人物像-------

(ケイケイさん)
 光代も一見浅はかに見えるけど、決して軽薄な気持ちでは無いですよね。

ヤマ(管理人)
 いや、全然浅はかとは思いませんでしたよ。妹に張り合う気持ちを顕在させる機会を得たという部分に後押しされているようには思いましたが、それとても浅はかだとは思いません。

(ケイケイさん)
 私は妹に張り合うとは観ていませんでしたが、そうかも知れませんね。でも張り合うと言うより、卑屈になっていた、と言う方が、光代らしい気がします。

ヤマ(管理人)
 妹に電話していたときの高揚にちょっと誇示する感じを受けたものだから、張り合う気持ちと書きましたが、確かに、それ以前の“卑屈”のほうが核心ですね。

(ケイケイさん)
 この人、頭ではすごく自分の境遇を受け入れていたと思うんですね。でも頭と心は、若干のすれ違いがあったと思います。根は聡明な人だと思うんです。

ヤマ(管理人)
 うんうん、そんな感じです。なまじ頭で受け入れるものだから、人間関係の経験蓄積が乏しくもなるんですよね。遠い日の我が身を振り返っても非常によく分かりますよ(苦笑)。恋愛って、むずかしい人には、とってもむずかしいものですからね。

(ケイケイさん)
 難しい人は、真剣度が高いんだと思いますよ。でもね、人生ずっと同じ場所で暮らしている人ですから、職にしろ世間体にしろ、逃避行することで失うかも知れない物は、いっぱいあったはずですよ。それを捨てる覚悟を一瞬で決めるのは、やっぱり浅はかだと思います。

ヤマ(管理人)
 想いの強さでもって是認することはできないと(ふふ)。それが良識ということにはなるんでしょうねぇ、やっぱり。

(ケイケイさん)
 そうそう、良識ですね。でもその浅はかさに、観る者は私も含めて、「私もそうするかも知れない」と、濃密なシンパシーを感じたんだと思います。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、僕なんぞ小心者ですし、そんな蛮勇は若いときでも発揮できたとは思えません。『ジョゼと虎と魚たち』の恒夫(妻夫木)のヘタレぶりなら、身につまされますが(苦笑)。せいぜいで、往男の残したスパナでガラステーブルを叩き割った学生くらいのとこですよ(たは)。

(ケイケイさん)
 私が光代なら、同じ事したかもしれません。スパナの方がしないな(笑)。

ヤマ(管理人)
 このへん、面白い差異ですねー。

(ケイケイさん)
 女性の方が激情に走り易いですからね。

ヤマ(管理人)
 思わずクラクションを鳴らしてしまった思いには切実な真情があったんだろうと思います。だからこそ、少々驚いたはずの祐一は、自首する決意をあっさりと翻したんでしょうね。

(ケイケイさん)
 この人たち、他人との関わりは非常に希薄ですよね?

ヤマ(管理人)
 はい。

(ケイケイさん)
 私は、この希薄さが浅はかな行動を呼んだと感じました。ある意味人間関係で経験を積んでいないから、濃密になるかもしれない相手と、いきなりあんな激情に駆られて行動に出たとも感じました。そこには投げやりや潮時ではなく、真心があったと思います。そういう経験を、それまで男女間で感じたことがなかったんじゃないですかね、二人とも。

ヤマ(管理人)
 僕が「投げやり・潮時」と書いたのは“逃避行”に対してであって、あの二人の関係についてではありません。二人の関係においては、二人ともかつて感じたことのない手応えと真心を感じ合っていたと思います。

(ケイケイさん)
 そこは理解出来ています。

ヤマ(管理人)
 二人があのような逃避行に出たのは、確かに仰るように、二人に濃密な男女関係の経験がなかったからでしょうね。経験を重ねると、激情に駆られたりは、なりにくくなりますよね、やはり(苦笑)。


-------自首を翻したことで生じたもの-------

ヤマ(管理人)
 でも、あのクラクションがなければ、彼は間違いなく自首していたでしょうから、決定的といえば、決定的な事でした。だからこそ、光代は、そこに“負い目”も負ってしまうわけでね。

(ケイケイさん)
 これは同意ですね。

ヤマ(管理人)
 先ほど触れた原作のみ読了済みの友人の解釈によれば、祐一の自首を翻意させて罪を重くした光代の加害者意識と自責の念から彼女を解放しようと自ら「加害者」になることを選んだ祐一のかの『汚れた顔の天使』ばりの行動は、母親からの金せびりの件で学習した「二人とも被害者ということは有り得ない」との考えが根底にあるなかで、はじめて愛した大切なひとを「加害者」にしてはいけないと思う情動に突き動かされて取った行動ということになるようです。そういう激情には、どこか眩しいところがありますよねー。

(ケイケイさん)
 純粋かつ情熱的ですよね。確かに年を取ると、両方失っていくもんです(笑)。

ヤマ(管理人)
 代わりに得ていく、それなりに悪くないものもあるんですけどね(笑)。

(ケイケイさん)
 受容や寛容ですか?(笑)

ヤマ(管理人)
 それもあるけど、鈍感力とか余裕とか(笑)。

(ケイケイさん)
 あぁ、鈍感!これは素晴らしい力ですよ(笑)。それが余裕にも繋がる気がします。他には忘却力ですかね?(笑)

ヤマ(管理人)
 もちろん未経験のことには発揮しようがなくて、佳男が逆上したように、房枝がヤクザのところへ直談判に行ったように、のぼせ上るんですけどね。
 それはともかく、僕は、祐一が光代に対し“求める愛”を超え、“捧げる愛”の対象にまで至ったから、自分を見限らせ「ずっと待ってるから。必ず待ってるから。」との彼女の言葉を翻意させるためにあのような行動を取ったと解していたのですが、同じ“捧げる愛”であっても、彼女を加害者にしないよう被害者にするための行動だったとの観方が原作からは浮かび上がってくるみたいです。面白いです。原作も読まなくっちゃね〜。

(ケイケイさん)
 私も是非読もうと思っています。この作品に限っては、原作ファンも満足度が高いみたいですね。

ヤマ(管理人)
 あの光代のほうの謝罪に僕は、ちょっと不意を突かれたような気がしたんですよ。彼女の生真面目さを眩しく感じました。祐一が自首しようと警察に向かったときにクラクションを鳴らして呼び止め、一緒にいたいと告げて彼に翻意させた光代の想いは、祐一の魂の蘇生に不可欠のことながら社会的には祐一の悪行を深めさせることにしかならないわけですよね。両方のいいとこ取りは出来ないにしても、せめて法廷審議に際しては、逃げた事実より逃走中に何が起こっていたのかを問題にする視点が必要な気がします。

(ケイケイさん)
 それは必要ですよね。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんが自分を忘れてもらうのが光代のため、忘れてあげるのが祐一の願いと書いておいでの『汚れた顔の天使』ばりの行動に祐一が出るのも、自分を見捨てずに戻ってきた光代の「ごめんね」の衝撃ゆえだったろうと僕は思います。

(ケイケイさん)
 私もそう思います。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。


-------光代の選択は、どこにあったのか-------

(ケイケイさん)
 「でもあの人は、やっぱり悪人なんですよね・・・」というセリフ、彼女が祐一の気持ちを受け取ったからと、私は感じたんですが、ヤマさんはどうご覧になりました?

ヤマ(管理人)
 『汚れた顔の天使』が子供たちのために演じた醜態を素直に受け取るほど光代は子供じゃないので、僕も祐一の気持ちを受け取っただろうと思います。ただ、受け取ったものをどう受け止めるかに迷っていて、ケイケイさんがお書きの自分を忘れてもらうのが光代のため、忘れてあげるのが祐一の願いの通りにすればいいのか、逃避行中に強い口調で「ずっと待ってるから。必ず待ってるから。」と自ら発した言葉を貫けばいいのか、自問を重ねているように感じました。

(ケイケイさん)
 自問して忘れようとしと決心したのが、「悪人なんですよね」なんだと思いました。それで花束を置かなかったのかと思いました。待つなら置くと思うんですよ。

ヤマ(管理人)
 佳男が立ち去るのを待ってですか? なるほどね。

(ケイケイさん)
 いいえ、佳男が来たから、花束を置かなかったと思いました。自分は佳乃とは違うのだと、心が反応してしまったと思いました。

ヤマ(管理人)
 映画では、その時間までも追ってましたかね? 僕は、そこまでは画面に出てきていなかったと思いますが、既に答えを出したからこその呟きだというのは、そういう観方もあろうと思います。だいたい優柔不断度は、おおむね男のほうが強いとしたものです(苦笑)。女性はやっぱ潔いですね、結論が早い(笑)。

(ケイケイさん)
 迷っていたというより、佳乃が殺された場所に来て、自分が何を感じるかと確かめたかったんじゃないですかね? あの言葉は、娘を思う父親を観ても尚、気持ちが揺らぐ自分に対して、言い聞かせるための言葉だと思います。

ヤマ(管理人)
 ん? え〜と、ちょっと混乱したので、確認です。
 光代が花を置かなかった理由について、ケイケイさんがおっしゃってたのは、祐一を忘れようと決心したからってことでしたが、それは住男が来たことで花を置くタイミングを失してしまったことから生じた反応であって、最初は花を置くつもりだったからこそ買ってきているんだから、祐一を忘れようという決心は、まだしてなかったけど、佳乃殺害の現場を訪ね、たまたま佳男を目撃したことで決心したってことなんですか?

(ケイケイさん)
 う〜ん、自分でもわからなくなってきた(笑)。

ヤマ(管理人)
 観た時どう思ってて、今どう思ってるってことでいいんじゃないですか?(笑)

(ケイケイさん)
 殺害現場へ向かう時には、これで祐一とは決別しようと、理性では思っているけど、心は揺れていたんじゃないですかね?

ヤマ(管理人)
 なるほど。僕の自問中ってのとかなり近い感じですね、それ。そこからの変化があるってのがケイケイさんで、僕は自問中のままってことになるのかな。

(ケイケイさん)
 そうなりますね。そこへ佳乃の父親の絶妙の登場。今度は逆で、自分と祐一は佳乃とは違い、心で結ばれていた。しかし娘を殺害された父親の姿を観て、感情も理性も一致した、という感じですかね。

ヤマ(管理人)
 「理性⇒決別(忘れる)」「心⇒待つ」の不一致が、タクシーのなかでようやく一致に至り、「悪人なんですよね」の言葉になったという解釈になるわけですね。よく分かりました(礼)。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます(笑)。でも、なんか前に書いたのとは違う気がしてきたわ(笑)。

ヤマ(管理人)
 反芻するうちに違ってくることは、あって当然ですし、ある意味、反芻のしがいというものではないでしょうか(笑)。だとすると、父親を観て揺らいだ気持ちというのは、「待つ⇒忘れる」への揺らぎ? それとも、「忘れる⇒待つ」への揺らぎ? どっちなんでしょうか?

(ケイケイさん)
 ずっと忘れたいんですが、決心がつかない状態ですね。答えは「忘れる」と決めてあるのに。

ヤマ(管理人)
 で、自分に言い聞かせるのは、忘れるんだって言い聞かせるというのがケイケイさんの受け止めなんですよね? そう解してて、いいですか?

(ケイケイさん)
 はい、それで結構です。

ヤマ(管理人)
 それくらい複雑で揺れもする光代の心情を引き起こすだけの祐一の行為だったわけですが、マスコミなぞは間違いなく“警察を誘き寄せたことへの怒りと逆上で発作的に”と報じるのでしょうけどね。

(ケイケイさん)
 マスコミとかワイドショーとかは、片面しか観ないで断定しているとはわかっていても、知らず知らずに刷り込まれていますよね。ほどほどに警鐘を鳴らしている点も効いていました。

ヤマ(管理人)
 自分のmixi日記にも書いたように、表層で騒ぎ立てるだけのマスコミレベルでは、おそらくコメンテーターがTVで賢しらぶって、“ストックホルム症候群”の一言で片付けてしまうであろう光代の思いや、育った家庭環境や風体からろくでなしにされてしまうであろう祐一の人生に深く分け入り、人を必要とする人間の生と、心を持つが故にダメにもなる人間の本性に迫っていて、見事な作品でした。

(ケイケイさん)
 確かに彼らの今の境遇は、事件が起これば格好のマスコミの餌食ですよね。なので感想にはそうではないのだと言いたくて、その点を頑張って書きました。

ヤマ(管理人)
 引用すると確かに出会ってすぐにセックスする二人ですが、私たちが認識する思いとは、この二人は違う」「髪こそ金髪に染めてはいますが、祐一は真面目に肉体労働に従事し、光代もやはり真面目な販売員。二人ともきちんとした社会人」「一見無軌道で激情に駆られた行動に出る二人ですが、決して特別な人ではなく、ごくごくありふれた身近な人達なのですといったあたりですね。ご自身の家族に対する心境を絡めて引き寄せるくらい頑張っておいでましたね。そんな気持ちにさせてくれる二人だったと僕も思います。

(ケイケイさん)
 書いてから感想を読んで回ったんですが、自分は孤独ではないことに感謝した、と言うのが多かったんすね。ヤマさんがお書きのように、今の境遇は当たり前ではなく、ありがたいのだと。この辺も作り手の狙いだったように思います。


-------そして、悪人とは何だったのか-------

(ケイケイさん)
 孤独という言葉は、一断面だけで語れるほど、簡単な意味を持つ言葉じゃないと思うんでう。ヤマさんや私のように家庭持ちだって孤独を感じる事はあるし、むしろ一見大ぜいに囲まれている時の孤独の方が壮絶だったりするでしょう?

ヤマ(管理人)
 みんなの褒めている映画を自分だけが気に入らないときなど、ひどく孤独です(笑)。ってな冗談はさておき、一人でいるときの孤独は孤独であることを前提に感じる孤独なのに、大勢に囲まれているなかでの孤独は孤独でないことを前提にしたなかで感じる孤独なので、その孤独感はより強くなるんでしょうね。

(ケイケイさん)
 愛情を持つ家族がいるのに、というところが、とてもリアルでしたね。

ヤマ(管理人)
 はい。

(ケイケイさん)
 人間とは弱くて強いもんだと思います。その強さと弱さが一歩間違うと、祐一と光代になる、彼らは私であなたなのだと言う事を、ひしひし感じました。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんの映画日記を読んで最も伝わってきたのは、確かにこの部分でしたよ。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます! 頑張った甲斐がありました。

ヤマ(管理人)
 悪人とはなにかを問い直したときに、悪で100%満たされた人間などいようはずもなく、せいぜいで“悪行を為した人”としか言いようがないとすれば、この世に悪人ならざる人など誰一人いないことを本作は示していたような気がします。

(ケイケイさん)
 無自覚なんですよね。でも、無自覚というのは、実はとても始末が悪い。

ヤマ(管理人)
 そういう意味では、増尾も然りで、彼は己の卑小さを知っていたような気がしました。老舗高級旅館の跡取りであることが重荷で苦痛でもあったような気がします。

(ケイケイさん)
 私はそれはあまり感じませんでしたね。卑小な自分の事も無自覚に感じました。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんがおっしゃるような意味でのきちんとした自覚ではないかもしれませんが、上にも書いた、祐一の母親である依子が感じていたと思われる“負い目”のような、そうですねぇ、コンプレックスと言えばいいかな、そういう形で彼は知ってたと思いますよ。

(ケイケイさん)
 コンプレックスですか。確かにマザコンならそうです(笑)。でも、ヤマさんのお感じの意味とは、ちょっと違うかなぁ。私は単に、何でも出来るママが大好き!的なものだと感じました。

ヤマ(管理人)
 それだと、とってもシンプルですね(笑)。でも、コンプレックスという複雑なものがあるからこそ、顔を引きつらせながら笑い飛ばそうとするのだし、友人の賛同を求めて止まないわけでしょ。そのへんの卑小さを岡田くんは、ムカつくほどに上手く演じていたように僕は感じました。

(ケイケイさん)
 あれは柄本明に単純に怖れをなしたからじゃないですか? その意味では無く、またスパナで襲われるという、暴力的な意味で。

ヤマ(管理人)
 暴力にビビってただけのことだって? まるで猿扱いですな(笑)。

(ケイケイさん)
 警察に捕まった時も、「お母さん!」みたいな、情けない事言ってましたから(笑)。

ヤマ(管理人)
 でも、またスパナで襲われるって、最初に路上で佳男がスパナをポケットから落としたとき、増尾はもう立ち去るべく背を向けてませんでした?

(ケイケイさん)
 その辺は覚えてないなぁ。

ヤマ(管理人)
 孤独という点では、田んぼの中を国道が走るだけの何もない田舎で希望の持てない光代や道もなく先への行き場もない海が迫っているだけに余計に強い閉塞感に囚われている祐一と同じく、増尾もまた自分の器を超えた重荷から逃れられない人生に喘いでいたように思います。ただ映画では、祐一や光代は語られたけど、増尾については語られなかっただけです。

(ケイケイさん)
 なるほど。私はバカで厭な奴としか感じませんでした(笑)。

ヤマ(管理人)
 僕も同じですよ(笑)。でも、あんまりバカで厭な奴なもんだから、そのうち哀れになってね。

(ケイケイさん)
 ヤマさん優しいなぁ。私はスパナで血まみれになりゃいいのにと思ったのに(笑)。

ヤマ(管理人)
 それしちゃうと、祐一と一緒になりますから、役がダブります(笑)。佳乃の八つ当たり的暴言に挑発されて制御不能になった祐一と徳俵で踏み留まる佳男の対比があってこその物語ですから(笑)。

(ケイケイさん)
 それはそうですね。すっかり忘れてました。

ヤマ(管理人)
 その二つを分かつのは、厳罰の恐怖でも法規制でもなく、半ば“運”に近いもののような気がします。そこでまた「悪人とはなにか」となるわけで(笑)。

(ケイケイさん)
 運かなぁ。私は思いとどまったのは、妻の存在だと思います。祐一にとって祖父母は、佳男にとっての妻ほど大切な人ではなかったと思います。

ヤマ(管理人)
 大切な人がいれば、激情に駆られて我を忘れることがなくなり、我を忘れたりするのは、大切な人がいなかったり、大して大切な人ではないからってことになるんでしょうかねぇ。

(ケイケイさん)
 大して、ということではないと思います。ただ自分が人の子の親になってみて、自分が父母や兄弟を思うより、格段に夫や子供が大事なんですね。なのでその辺は感想にも書いたように、そうなっていくのが人としての自然なんだと感じました。

ヤマ(管理人)
 お茶屋さんのおっしゃる“身から出た感想”というやつですね。
 大切な人の存在というのは、確かに大切で、佳男に増尾のところに行かせたり、房枝にヤクザのところに向かわせたり、祐一に『汚れた顔の天使』ばりの行動を取らせたりするのですが、佳男が凶器まで準備しながら暴行にまでは及ばず、凶器どころか送り届けようとする好意を備えていた祐一が殺害にまで至る差異が、本当に大切な人の有無だけに集約されることなのか、僕は少々懐疑的です。佳男が「大切な人がおらん人間は駄目だ」と語っていた言葉の重さと真実は僕も大いに感じるのですが、それが凶行に及ぶ及ばないの差異になるとも思えないところがありますね。場合によっては、大切な人の存在が却って弾みになる場合だって大いにありうるように思うのです。

(ケイケイさん)
 それは失う大切な人が、もう他にいなくなった場合じゃないですかね?

ヤマ(管理人)
 なるほどねー。それにしても、あの滅多に出ないはずの店の鏡を拭きながら夫の帰りを待っている妻(宮崎美子)の姿は、良かったですねー。そして、それを目にしたときの佳男も。ケイケイさんが“妻の存在”と断言なさるのも分るような気がしますよ。

(ケイケイさん)
 夫婦っていうのは年月がそうさせますから。私は結婚して何十年と経っても、自分の家庭より実家が大切だと公言する人は、私的には不幸だと思います。

ヤマ(管理人)
 このへんに夫婦差というものはあるのでしょうか。僕なんかには、そもそも二つを天秤に掛ける発想自体があまりないのですが、それは形骸化しつつあるとはいえ、“嫁入り”という言葉に示されているような“家”というものに対する意識が作用するから、妻にとっては大問題ってことなんでしょうね。

(ケイケイさん)
 これも年代によって廃れる感覚だとは思いますけど、私はいつまでも実家に入り浸りの奥さんは、健康的じゃないとは思いますね。

ヤマ(管理人)
 少なくとも夫は面白くないと感じるでしょうね。それは、奥さんにとっても決して良い結果には繋がらない気がしますね。
 で、そうしてみると、増尾がそこまでの醜態を晒すのは何ゆえかってことでの、強がらなくてはいられない“負い目”や“不安”のほうに想いが移り、そう言えばそれは、依子にも佳乃にも繋がっていくことで、まさにケイケイさんのおっしゃる彼らは私であなたなのだと言う事だったんですよ。

(ケイケイさん)
 ヤマさんは「負い目」が、この作品のキーワードなんですね。

ヤマ(管理人)
 はい。

(ケイケイさん)
 これは新たな視点ですね。私はこの作品で負い目を感じているのは、祖母に祐一、光代だと思います。

ヤマ(管理人)
 僕は、この世に生きている人の全てに、何らかの“負い目”があると思ってますね。

(ケイケイさん)
 大人になると、大なり小なり、それはありますね。子供の頃からそれがあるのは、とっても不幸だと思います。祐一はそうだったんじゃないかなぁ。

ヤマ(管理人)
 親に捨てられた経験のある子供のほぼ全てが間違いなく、その不幸を負いますね。それを乗り越えられる子、乗り越えられない子は、さまざまですが、完全に克服できる子なんていないような気がします。失恋なんぞの比じゃないですよねー(笑)。

(ケイケイさん)
 絶対そうですよ。子供の時分は、親が人生の全てですもん。

ヤマ(管理人)
 この掲示板への最初の書き込みに悪人とはなにかを問い直したときに、悪で100%満たされた人間などいようはずもなく、せいぜいで“悪行を為した人”としか言いようがないとすれば、この世に悪人ならざる人など誰一人いないことを本作は示していたような気がしますと書いたことにも通じるのですが。

(ケイケイさん)
 そうですね。決して悪人=罪人で括るのではなく、悪意=悪人と置き換えて描こうとしたと思います。

ヤマ(管理人)
 そうです、そうです。悪人=罪人のように単純じゃないってことで、悪意なき罪人もいれば、悪意があって悪行を為しても罪人にならない人がいて、悪意はあっても悪行を踏みとどまる人もいて、善意から悪行を為す人もいるなかで、悪人とはなにかを問い直している作品だったように思います。でもって「悪意=悪人」なら=万人ってことになることを示していたように思いますね。
 増尾については、ケイケイさんが傲慢で尊大、その心ない様子は、佳乃以上に嫌悪を抱かせますとお書きの通りに僕も受け止めたのですが、さればこそ、語られなかった増尾の物語を知らずして、その表象どおりに受け止めることを戒めているのが本作の立場ではないかと思いました。

(ケイケイさん)
 またまたなるほど(笑)。そういう風に感じ取れば、一層この作品の奥行きが増しますね。

ヤマ(管理人)
 ええ。「A中」たる所以です(笑)。ご賛同いただけて嬉しいです(礼)。


-------佳乃の人物像-------

ヤマ(管理人)
 岡田将生の演技には本当に感心です。ケイケイさんもお書きのように、増尾はとても強く印象に残りました。同情さえ沸きませんとお書きの佳乃についても同様で、満島ひかりが素晴しかったですねー。

(ケイケイさん)
 岡田将生、とっても頑張ってましたね。でも私がヤマさんほどには増尾からインスピレーションを受け取れなかったのは、演技は「健闘している段階」のせいもあるかな? 今回の妻夫木聡の上手さは、化けたというより、彼本来の上手さを引き出す作り手と巡り合えたと思うんです。妻夫木聡と比べると、まだまだ小物だなと感じました。それを考えると、満島ひかりはパーフェクトですよ。

ヤマ(管理人)
 僕は三人ともっていうか、本作は、上にも書いたように全員の演技が素晴しく、優劣を殆ど感じませんでした。ですが、満島ひかりは本当に大したものです。汚れ役ということではこのうえないもので、増尾に媚を売る卑しさから、女友達に見栄を張り祐一を見下す高慢、失望と怒りから祐一に八つ当たりをする際の下品さ、いずれをとっても、ケイケイさんが殺害される場面でも、同情さえ沸きませんとお書きの役ですよね。でも、だからこそ、ケイケイさんもご指摘のように“父親の娘への想い”が際立つばかりか、非常に示唆に富むものとなって浮かび上がってきたわけですから。
 佳乃は佳乃で、なまじ可愛いものだから強迫されてしまう“上昇志向”に囚われていっぱいいっぱいになっている哀れさを、満島ひかりが見事に体現してました。

(ケイケイさん)
 ああ、なるほど。それはあったでしょうね。同僚三人と並んでいたら、彼女が一番可愛かったですし。

ヤマ(管理人)
 カラフルで宮崎あおいが声演していた唱子は、真から押し倒されて眼鏡が飛んだときに「ブスは眼鏡を取ってもブスだな」などと酷いことを言われますが、唱子は、それをとても悲しく感じても、耐え難い衝撃は受けないだろうと思います。だから、その後もあのように冷静を保っていられるわけですよね。ところが、佳乃のようになまじ可愛いと、モテないでいることやレベルの高い彼氏がいないことに耐え難い強迫を覚え、上述した卑しさや高慢、下品さに囚われやすくなる面があるように思います。そのあたりのところを彼女は実に上手く演じていましたよ。

(ケイケイさん)
 これは脱帽の考察ですね。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります。

(ケイケイさん)
 私はそこまで頭が回りませんでした。やっぱ女性を見る目は常に確かですね、ヤマさん(笑)。

ヤマ(管理人)
 え! そうなんですか? 女性からそのように言っていただけると、ナンだか乗せられて真に受けちゃうじゃないですか(笑)。ま、確かに好きですからねー、僕…。

(ケイケイさん)
 これからもヤマさんの女性考察には期待しています(笑)。

ヤマ(管理人)
 おやおや(笑)。ある意味、ケイケイさんが映画鑑賞について、勘としか言いようがないです(笑)。映画観る時に、人生の全てを賭けて、研ぎ澄まして観てるんだと思います。と書いておいでるのと似たようなものなのかもね(あは)。

(ケイケイさん)
 彼女が殺されたのは、彼女自身、増尾から蔑まれ傷ついたはずなのに、手を差し伸べる祐一を払いのけるどころか、お門違いの因縁つけて、増尾にされた事と同じ事をしたからですよね。殺されて当然のような若い子を、憎々しく鬱陶しく演じるのって、難しいですよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 全く同感です。しかも、それ以上のものを体現していたように思いますもん。


-------身につまされた親の側の心情-------

ヤマ(管理人)
 でも、我々のように、子や孫を持つ身となると、誰にも増して、やっぱり佳男(柄本明)と房枝(樹木希林)の姿が身につまされますよね。その悔しさは推し量りようがなく、己が全人生を天秤に掛けたくらいのものだろうと思います。

(ケイケイさん)
 演出以上に観客の心を揺さぶったのは、やっぱり演じる人の力量かと思います。樹木希林と柄本明が大好きだなんて、映画好きで良かったわ(笑)。映画好きじゃなかったら、この人達の素晴らしさを味わえなかったんですから。

ヤマ(管理人)
 それだけの悔しさに対して屈しているだけではいられないからこそ、直接的な悔しさの筋は違っても、房江は健康商法とも呼ばれる悪徳商法の脅しに屈した被害の回収のための直談判に赴くし、佳男は刑事的には何らの責を問われないで済む増尾に誅罰を加えに赴かずにいられないことが、万感を以って迫ってきたように思います。

(ケイケイさん)
 あのお金、祐一のために貯めたお金ですもんね。取り返しに行くところに、彼女の孫への強い思いを感じました。

ヤマ(管理人)
 領収証の金額が30万円いってないところがまた切なかったですねー。

(ケイケイさん)
 孫に今何が出来るのか?と考えた時、咄嗟に浮かんだんじゃないですかね?

ヤマ(管理人)
 孫の祐一のためになることとして回収に行ったというよりは、僕には、居ても立ってもいられない“悔しさ”への対応というものが引き出されたように映りました。
 どういうことかというと、手塩に掛けて育ててきたつもりの“優しい祐一”がこんなことになったという事態そのものから受けた悔しさについては、メディアを前にしても太刀打ちの仕様がないけれども、その悔しさというのは、前述したように彼女の全人生を天秤に掛けられているほどの重さを持つものだから、それには屈したままでしかいられないわけです。その代わりと言っては何ですが、それから比べれば、ずっと小さい悔しさであっても、悪徳商法に脅されて巻き上げられた金の件で抱いた悔しさくらいは回収しないではいられないという形で引き出されたように見えました。
 ヤクザの元に直談判にいく怖さを凌駕するほど、祐一の起こした事態から房江が受けた悔しさには途轍もないものがあることが描かれているように感じたわけです。

(ケイケイさん)
 対比ですか。私は祐一の為に貯めたお金というのに、注目しましたけど、ヤマさんの御指摘の方が腑に落ちますね。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。

(ケイケイさん)
 佳男はもう一度、「娘を殺された父親を笑うのが、そんなに楽しいか?」と言いに行ったシーンで、もう滂沱の涙。あれこそ親ですよ。

ヤマ(管理人)
 そうですね。
 所持してたスパナを結局は使わずに落としてしまう自制部分も含め、あれでこそ親ですね。奥さんへの物言いについては、いくら娘の不祥事に動転したとはいえ、随分だと思いましたが、あの取り乱しようこそが迫真なんでしょうね。

(ケイケイさん)
 私はすごくリアルだと思いましたよ。『シークレット』の感想にも書きましたが、夫って無神経な言葉を連発する種族ですよ。一部の人を除いては(笑)。ヤマさんは一部の方ですね(^◇^)。

ヤマ(管理人)
 とても、とても、そうはいかないかと(苦笑)。まぁさすがに連発まではしてないつもりでいますが、果たして…(たは)。


-------映画作品としての周到さ-------

(ケイケイさん)
 この作品、もうひと押しがすごく効いてた気がしませんか?

ヤマ(管理人)
 ええ。一歩誤れば、蛇足や筋違いになりかねないものをむしろ主題にしかねないくらい効いてましたね。
 世代論に帰結させたりしないよう、佳男に同調する若者の存在を配する工夫にも怠りなく、まさしくケイケイさんが日記に表面だけをなぞり、野次馬的にはやし立てるマスコミに眉をひそめながら、隣人の裏側の実情に思いを馳せる事は少ないでしょう。自分とは縁のないようなセンセーショナルな事件を題材に、実は誰でも祐一と光代になるかもしれないという現代の世相を、二人に愛情をこめて描いていたと思います。彼らを私を救うのは、やはり彼らで私なのだとも、強く感じました。とお書きのように、本当に身近に迫ってくる秀作だったと思います。

(ケイケイさん)
 登場人物を身近に感じるか、そう感じないかが、作品の評価の分かれ目かもしれませんね。

ヤマ(管理人)
 え? 評価、分かれてるんですか?(不思議〜)

(ケイケイさん)
 ワタクシたちのお仲間は、全て絶賛ですよ。でも、北京波さんの日記が忘れられなくて。
 「映画館で観て良かったな。ドラマやったら、10分でチャンネル変えたわ」というカップルがいたそうですよ。映画に何を求めるかですよね。映画好きには、映画を観て人生について思い悩む事も娯楽ですから(笑)。

ヤマ(管理人)
 そうですよねー。でも、そのカップルの言葉そのものは、映画館で観たおかげで最後まで観ることができて結果、満足しているというふうに聞こえるから、作品的には評価している発言になるんじゃないですか?
 北京波さんの日記を読んでないので、詳しくは分りませんが。

(ケイケイさん)
 それがそうでもなく、お金を払ったから仕方なく最後まで観た、風の感想だったのだとか。
 帰りのエレベーターで、一生懸命「あのお金、何でお婆ちゃんは取り返しに行ったんかな?」と、語り合っていた若い男子二人もいましたよ。一生もんの立派な映画オタクになって欲しいですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 北京波さんの日記を追ってみたら、ケイケイさんが「映画館で観て良かったな。ドラマやったら、10分でチャンネル変えたわ」と書いておいでの「映画館で観て良かったな。」の部分がないじゃありませんか!
 この差は大きいってば(笑)。

(ケイケイさん)
 そうですか。私が勝手に脳内変換して記憶してたんですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 でも観た後、生じた疑問について振り返り話し合う若者は見所、大ありで嬉しいですねー。グリコじゃないけど、一粒で少なくとも三度は美味しい映画の味わい方を見つけてくれるといいな(笑)。
 さてさて、北京波さんの日記を追ったことで面白いことに気づきましたよ。ケイケイさんは、結論的には、光代は祐一を待たないことを決心した。僕は、祐一の意を汲んで忘れるべきか自分の想いを貫いて待つべきか自問中。北京波さんは、待つ決意を固めている。と、三者三様でしたね。これはでも、もう受け手の人間観、女性観の問題ですから、どれが正解なんてものじゃありませんけどね。

(ケイケイさん)
 私が一番、厳しいようですね(笑)。

ヤマ(管理人)
 “ロマンの男、現実の女”などと言われがちなゆえんです(笑)。

(ケイケイさん)
 そのようで(笑)。

ヤマ(管理人)
 ところで、本作について話してて、佳乃殺害に至る状況の回想が何ゆえイカの目玉から始まったかという話になったのですが、それについては、ケイケイさん、何か思うところ、ありますか?(笑)

(ケイケイさん)
 う〜ん、長崎って、イカが名産でしたっけ?

ヤマ(管理人)
 いえ、佐賀のほうですよ。

(ケイケイさん)
 この辺はよくわかりませんが、『欲望』でヒロインがさんまの塩焼きを飯屋さんで食べるシーンが、冒頭にあったでしょう? あれでこの人はどんな生活をしている人か、一気にわかったじゃないですか? そういう効果があったんですかね? あまり感じませんでしたが。

ヤマ(管理人)
 そういうのとは違います。

(ケイケイさん)
 ですよね。

ヤマ(管理人)
 一つには、明彦さんがこちらに書いておいでた“何もない佐賀”のなかで、呼子のイカは、とっても美味しい名物ってことはありますが、だからといって、そこから回想を始める必然性があるわけではないですからね。僕もあまり気に留めてなかったのですが、そう問われて思ったのは、映画の回想シーンなどでよく使われてた「アイリス・イン」技法の見立てかなって。近頃、とんと見かけなくなったでしょ、アイリス・インとかアイリス・アウトって。ま、その場での思い付きだったんですけどね(たは)。

(ケイケイさん)
 この言葉、初めて知りました。思わず検索しましたよ(笑)。確かにクラシックな技法のような解説でしたが、その効果を狙っていたのかもですね。

ヤマ(管理人)
 そうそう、佐賀・長崎ってことで言えば、僕は福岡〜佐賀〜長崎を車で走ったことありますが、とってもとっても遠いです。あのドタキャンは、形相変わって当然だろうと思います。




拙サイトの掲示板にて
No.8305 2010/10/07 19:45
(灰兎さん)
 ヤマさん、こんばんは。『悪人』拝読しました。
 『どろろ』で妻夫木がとても孤独な瞳をするシーンが上手だったので、期待していましたが期待以上で、大好きな深津も、そして樹木、柄本etc・・・どの役者も見事で、胸がいっぱいになりました。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、灰兎さん。『どろろ』は、観逃していますが、そういえば、チラシでさえも険相を見せていたような気がします。本当にどの役者も見事でした。近年類を見ないほどのアンサンブルの良さでしたねー。

(灰兎さん)
 『悪人』観た後、ケイケイさんちでのやり取りやら、お二人のレビューを楽しく拝読しました。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。ケイケイさんちでの遣り取りは、思いっきりの長文でしたのに、楽しく読んでいただけて、とても嬉しく思います(礼)。

(灰兎さん)
 「あのメールは本気だったのよ、ダサイでしょ?」的な光代の発言に何気にジェネレーションギャップを感じました。つまり空気が読めないのはダサイのであって、自分を客観的に観る事ができて普通みたいな・・・昭和な私にはコレってエコじゃないよな!って思います。

ヤマ(管理人)
 素とか自然さ、むきだし、みたいなものへの身構えというか、互いに距離を置くことで互いに脅かさずに身を守る不文律のようなものが強く感じられるようなところがありますね。それってただの臆病さの裏返しでしかないように思うのですが、実際、めっぽう傷つきやすくなっているものだから、仕方ないんでしょうね。

(灰兎さん)
 先日、行定勲監督の『パレード』(藤原達也、小出恵介etc出演)という映画をDVDで見たのですが、2LDKのマンションに深い繋がりもない男女4人が共同生活をしている青春群像劇なんです。

ヤマ(管理人)
 僕も観てます。拙日誌も綴ってますよ。

(灰兎さん)
 表面的な人間関係で満足しているって感じで、平和主義というよりは保身主義の若者達に見えてきて・・・・ちょっと怖かったんですが。この映画のお陰で、ヤマさんのお書きになられている事がリアルに伝わってきました。

ヤマ(管理人)
 確かに、この作品での若者達の距離感の取り方って、とても“平成な”感じでしたねー。なかなかの作品でした。

(灰兎さん)
 頭の中の整理力って言えばいいのでしょうかねぇ? 傷つくべきか?否か?って、自分の中の基準が強くある方がいいんじゃないかと思います。無神経って言われそうですが(苦笑)

ヤマ(管理人)
 高校時分に、後輩からちょいとした相談をされたときに、傷つけることを恐れてはいけない。恐れるべきは傷つけ合えることさえ出来ない、稀薄で冷淡な人間関係しか結べないことのほうだ。などと偉そうに能書きを垂れたことがあるのを思い出しました(あは)。

(灰兎さん)
 おばちゃんになると、ある意味いろんな事に恐れなくなるんでしょうか?(笑) 自分の事を常に客観的に観れるくらいだったら、人生苦労はしないでしょうな。

ヤマ(管理人)
 他人事でないからこそ、我が事なんですけどねー(笑)。

(灰兎さん)
 かっこ悪くても、みっともなくても、自分は自分じゃないの!な〜んて、思っていたので、祐一が仕事着のままで光代を尋ねたシーンは、本当にグッと来ました(笑)。

ヤマ(管理人)
 近頃の子は本当にオシャレだし、女の子のほうも男の子にそれを求めているようですね。でも、灰兎さん同様に昭和な僕(笑)は、着飾るのって苦手です(たは)。

(灰兎さん)
 何しろ男性がエステにいっちゃう時代、やっぱちょっとヘンですわね。

ヤマ(管理人)
 もうちょっと違うとこから磨けよな〜とか思っちゃいます(苦笑)。だから、昭和なオヤヂなんでしょうけどね(たは)。

(灰兎さん)
 困りますよ、男性に小奇麗になられても(笑)。

ヤマ(管理人)
 もうオカマなどとは決して呼ばれない近頃のニューハーフとか、かなり困りますか?(笑)

(灰兎さん)
 必要以上に自分を良く見せても疲れますよねー。と言っておきながら、美肌な男性は好きです(爆)。

ヤマ(管理人)
 男の美肌って、女性の美肌とはまた少し基準が違うでしょ。色合いにしても触感にしても。でも、エステ系ってのは、女性の美肌に近づく方向にあるんじゃないかな。<偏見

(灰兎さん)
 佳男に同調する若者の行動も、またとっても良かったですよねー(笑)。

ヤマ(管理人)
 あそこのところには、作り手の非常に強い意思を感じました。佳男の行動をそれこそ“昭和な男”にはしないという意思を。

(灰兎さん)
 この監督『スクラップヘブン』の舞台挨拶でビーチサンダルで登場した人なんですよ。

ヤマ(管理人)
 『スクラップ・ヘブン』は未見です。青chong69 sixtynineフラガールは観てるんですけどね。

(灰兎さん)
 やっぱり昭和の男(フラガールのトヨエツとかも良かったし)なんでしょう!

ヤマ(管理人)
 70年代生まれですから、最後の昭和世代でしょうね。それに『69』なんか監督してるあたり“遅れてきた系”っぽいですしね(笑)。

(灰兎さん)
 ヤマさんのレビューにあります、“人を必要とする人間の生”と“心を持つが故にダメにもなる人間の本性”に迫っていた・・・には、いつもながら、本当に感心してしまいました。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります。本作の核心はそこにあり、さればこそ「悪人」といった言葉で括ってしまうことのできないのが人間であるということだろうと思います。

(灰兎さん)
 そうなんですね。ただ観たばかりの時は、色んな人に感情移入してしまうので、興奮してしまって、ヤマさんのレビューを2回拝読して、やっと理解に到達できたんですよ(^^;)

ヤマ(管理人)
 そんなに丁寧に読んでくださって、ホントにホントに、ありがとうございます。

(灰兎さん)
 正直、佳乃って良きご両親に育てられているのに、現場での言動に私はビックリ!でしたが、妻夫木の演技も上手くて2度ビックリ!

ヤマ(管理人)
 僕も、深津=妻夫木の場面以上に、満島=妻夫木の場面が強烈に感じました。

(灰兎さん)
 佳乃の役の俳優の演技って、後から考えると上手なんだと褒めてあげるべきだなって思いました。だって演技に見えなかったもん。

ヤマ(管理人)
 ケイケイさんとこでの遣り取りでも触れたような気がしますが、祐一が犯行に及ぶのも已む無いと思わせるだけのものを出せなかったら、この作品は根底から壊れちゃいますんで、ある意味、いちばん鍵を握っていたのは、彼女の役のあの場面だったと思いますよ。

(灰兎さん)
 ちょっと可愛いとそれだけでは満足出来ずに、更なる不満が生まれるのですね?

ヤマ(管理人)
 いや必ずそうなるということでは決してなくて、勿論そうでない方がおいでることもよく知ってはいるのですが、「そうなりやすくなる面があるような気がしないでもない」ってとこは感じますよ。それもある意味、プレッシャーですから、気の毒な面もあるような気がするわけです(あは)。少し頭がいいとか、お金持ちの家に生まれてってなことでも、同じようなことが起こりやすい面があるような気がしますよ。

(灰兎さん)
 そっか、本人にとってはプレッシャーだとすると確かに気の毒ですね。少し頭がいいとかお金持ちって言われると、判りやすいです(笑)。

ヤマ(管理人)
 そういう意味で、佳乃と増尾は、似た境遇だったかと思います。

(灰兎さん)
 息子に彼女ってどんな子?って質問すると、いつも同じ答えが返ってくるんですよ。「可愛い系と綺麗系なら、可愛い系だよ」って(聞いてないんですけど・・・みたいな笑)。彼女が学生なのか社会人なのかという事より、大事みたいで!?

ヤマ(管理人)
 男の子の標準的回答なんじゃないでしょうかねぇ(笑)。

(灰兎さん)
 これが女性にプレッシャーを与えている根源かもしれませんな(笑)。

ヤマ(管理人)
 どーゆーこと?

(灰兎さん)
 まぁ、女性方が美意識も高いかもしれないし、複雑ではありますものね。

ヤマ(管理人)
 間違いありません。

(灰兎さん)
 私若い時からブサイクなんで、ちっとも知らなかったです(笑)。佳乃の言動がちょっと謎だったんですが、ヤマさんとお話できてスッキリできました! どうも有難うございましたm(__)m

ヤマ(管理人)
 こちらこそ、どうもありがとうございました。
 このところ、更新のお知らせしか書き込むことがなかったので、とても嬉しく思いました(礼)。

by ヤマ(編集採録)



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―