『14歳』
監督 廣末哲万


 上映会主催者から告知記事としての寄稿を求められ、三年前にある朝スウプはを観て、自主製作映画とは思えない充実ぶりに驚嘆し、すぐさま未見の『さよなら さようなら』を観たくて仕方なくなった映像ユニット「群青いろ」の劇場デビュー作。だから、僕にとっては、まぎれもなく必見作なのだが、彼らが自主製作の枠を越えた場で、どんな映画を撮り上げたのかが、僕の一番の注目どころだ。今回の監督は廣末哲万だが、彼は高知の出身で、二日目には監督トークも用意されているのがまた嬉しい。『ある朝スウプは』で登場人物の心の襞を見事に画面に捉えていた彼らが、“14歳”という最も多感で揺れ動く微妙な年頃をどのように描いているか、とても楽しみだ。そして、26歳の若き大人たちに、どのような照射を与える物語を紡いでいるのだろうか。勝手な予見だが、きっと台風クラブ('85 相米慎二監督作品)を越えているに違いない!などと思っている。と綴っていたのだが、千倍の製作費を得て、場や登場人物の数が増え、画面の幅が広がるなかで、テイスト的に損なわれたものが殆どなく、『ある朝スウプは』以上に荒々しい強烈さと繊細な鋭敏さのどちらをも刻み込み得ていたのは、なかなか大したものだと思った。

 冒頭から、立たせた女生徒の唇を不躾に捲り挙げ鼻を寄せて臭いを嗅ぎ、指先も鼻に寄せる行為がひどく静かで暴力的な強烈さでもって描き出される。そして、「煙草も吸ってないようなのに、なぜライターなんか持ってるの」と取り上げられ質された、「深津さん」と呼ばれた女生徒が、生徒“指導”のあと、教室を出て廊下を歩く女性教師を追って彫刻刀で背中を刺す場面に続くわけだが、そのあと更に、廊下の窓際で女生徒の両手を引き上げてガラスに抑えつけ、校則違反の口紅を塗っていることを咎める小林教諭(香川照之)の暴力的な“指導”場面が続けざまに重ねられることで、何の説明もなく突発的に暴力に晒される緊張感と不安とが植え付けられたような気がする。ズームサイズやアングル、編集を観慣れた感覚とは馴染まない構成にすることで、その落ち着かない心地の悪さが最後まで弛むことなく持続し、更には、冒頭に限った話ではない種々の14歳にまつわる暴力が画面に現れてくるので、やり切れなさと重苦しさが終始、画面を覆っていたように思うのだが、その持続力と圧力には生半可でないものがあって、作り手の力量が偲ばれた。


 来高した監督を居酒屋で囲む席が前の晩にあったのだが、映画を観ることには余り熱心ではないとの廣末監督から伺った好みは、ミヒャエル・ハネケ監督作品だそうだ。成る程あの救いのない厳しい眼で人間を見つめるハネケかと大いに得心がいった。高知では、セブンス・コンチネントピアニストしか上映されていないが、両作品とも緊張感と不安の持続の程に作り手の力量を思い知らされるような作品で、突発的に静かで強い暴力シーンに見舞われる点でも通じるところがあるように思う。

 しかし、徹頭徹尾救いのないハネケ作品に比べると、『14歳』は、もう職場復帰はないだろうと噂されていた深津稜(並木愛枝)が教科書を提げて教室に入っていく場面で終わるのだから、希望を感じさせてくれる面があるようにも思えるところが大きな違いだ。しかも単に復帰するのではなく、14歳の生徒たちと“とことん向き合おうとすること”について、精神科の女医から「人生は0か100かではないのよ」と諭されていたことに対し、「0か100かで向き合わなければならないときがあるんだ」という自答を経ての教壇復帰だった。また、最も危うい状況にあったときの稜が自室で飼っている小動物に食用油を掛けようとしていた場面の緊迫感は特筆すべきものだったと思うのだが、ちょうどそのとき杉野(廣末哲万)から電話が掛かってきて中断されるのが『14歳』だったわけだ。そういった点では、僕は厳しさの透徹しきったハネケ作品よりも、ぎりぎりの温かみのある「群青いろ」作品のほうが好みなのだが、考えようによっては、稜の職場復帰というものは、彼女の通っていた精神科医の見立てからすれば、離れるべき職業から離れられず、危険域から抜けられない業の深さを示していると言えなくもない。

 だが、作り手の立ち位置は、やはり“とことん向き合おうとすること”の肯定だったように思う。14歳のときの自分を思い出せないと呟いていた杉野がピアノの教え子雨宮大樹(染谷将大)にふっと口にしてしまった言葉が、14歳のときに自分が言われて最も傷つき嫌だった言葉であったことをきっかけに、次第に“14歳感覚”を蘇らせてきているかのように、稜への向かい方も次第に変化していたわけだが、杉野がクリーニング店で突如奇声を発したこととか、大樹から呼び出されて訪問した際にドアを開きざまに取った行動とかは、まさしく彼が“14歳感覚”を蘇らせていることを示していたのだろう。そうしたうえで、彼が教え子に語った言葉に込められていたものが“とことん向き合おうとすること”の肯定であり、大人からの決意表明であると同時に、14歳に向けては応分の意識化を求めつつも、その表現の仕方は“14歳感覚”に則って果たされていたのだから、僕はそれがそのまま作り手の立ち位置だったのだろうと受け止めている。さればこそ、ラストシーンには希望が宿っているような気がするわけだ。


 それにしても、最後に未遂に終わった大樹の暴力以外の遂行された暴力行為は、ほぼ全て、冒頭の教師たちの行為にしても、稜が教え子の一原知恵(小根山悠里香)に向けた「バレエは勉強と違って遊びだから」との言葉にしても、知恵が稜の精神科通いを黒板に書き付けたことや林路子(夏生さち)に重ねた数々の心ない行為にしても、バレエに最も大切な足にダメージを与えた路子の反射的逆襲にしても、騒がしい教室を静めるとあられもない喘ぎ声の響き渡るレコーダーを停止ボタンが利かないように細工して教卓に忍ばせて26歳の若い女性教師への嫌がらせとすることにしても、大樹が島村美枝(相田美咲)に投げつけた言葉にしても、相手に与えるダメージの大きさに拮抗するだけの悪意や敵意が不在のままに放たれているものであることが見事に現れていて、強烈だった。それと同時に、いずれもが根底にある強いストレスと不安、持って行き場のなさの奔出であることを窺わせることにおいても、どれも見事な描出だったように思う。14歳のときの稜が見舞われていたものも、おそらくはそういうものだったのだろう。

 それからすれば、村田のイジメに端を発したらしい芝川と村田の抗争は、それも相当に深刻な問題ながら、事態が顕在化している点において、まだしもだという気がする。通常のドラマなら、それ自体を以て重いテーマを抱えた作品に仕上げそうな部分を対照させることで、より深く重いものを状況として浮かび上がらせようとした作り手の意図が奏功していたように思う。それにしても、かつてなら若さという過剰エネルギーのなかで補い得ていた範囲を超えるほどの“強いストレスと不安、持って行き場のなさ”に晒されることで、加速度的に人の耐性レベルが落ちてきているのだと改めて思った。七年前にこの窓は君のものを観たときの映画日誌に引用した僕が二十代時分の拙詩のことを思い出した。状況は、やはりより深刻になってきているのだろう。少なくとも拙詩に綴った「三人の少年の親密さに溢れる笑顔」といったものとは無縁の作品だったし、芝川の母親との面談で異常に長い沈黙のあと、教え子の目を視て叱ることが出来ないことを吐露し、詫びる小林教諭の姿に、冒頭の生徒“指導”や教育についての稜への言葉やらが“強いストレスと不安、持って行き場のなさ”に晒されているなかでの虚勢であることを窺わせていたのは、作り手の状況認識がそこにあるということなのだろう。だから、そのうえで織り込まれたラストシーンは、希望と言うよりも願いであったのかもしれない。そうではあっても、そこに安易さを感じさせない作品に仕上げていたのは、やはり立派なことだと思う。


推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2007sicinemaindex.html#anchor001605
推薦テクスト: 「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=448993811&owner_id=3700229
by ヤマ

'08. 7.12. 自由民権記念館・民権ホール



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