『人間の骨』('78)
監督 木之下晃明


 僕が反戦詩人槇村浩の『間島パルチザンの歌』を本名の吉田豊道の名と共に記憶したのは、後年、自宅を小さなビルマンションにして1Fを「平和資料館・草の家」として開き、初代館長を務めた故西森茂夫先生が教職にあった土佐高校の生物の授業中の余談講話においてだった。当時、生物という科目は受験科目として軽んじられていて、理系に進む者は専ら物理と化学を選択し、文系に進む者は受験科目に理科を要しないのが殆どだったから、僕のように生物をとりつつ受験科目に想定している者は例外中の例外だった。そのせいもあってか余談の多い授業で、詩の好きな先生がいろいろな詩人の作をプリントして配ったりする風変わりな授業であった。

 そんななかで、吉田豊道については地元高知の反戦詩人ということもあり、先生の話に熱が入っていたのだが、当時の僕は代表作『間島パルチザンの歌』自体にはそれほど強い感銘を受けなかったものの、幼時から神童として名高かくも反戦運動で獄に入り、二十代半ばで夭折したという吉田豊道なる人物には興味を惹かれたものだった。

 その吉田豊道の生涯を描いた『人間の骨』という地元作家の土佐文雄氏の小説が映画化されたとき、僕は大学生で東京にいて事情をよく知らず、観る機会も得ずにいたのだが、当時の雀友だった土佐文雄氏の息子からは「たいした映画じゃない」と聞かされながらも、ずっと気になっていた作品だ。西森先生同様に土佐氏も既に亡くなっているが、映画のなかでは、吉田豊道(佐藤仁哉)が日本共産青年同盟のオルグ活動者の竹村悌三郎に社会運動への思いを語る酒場に居合わせた、放歌する酔客としてエキストラ出演しており、その姿を留めていた。

 南田洋子が母親丑恵の役で、風間杜夫が活動仲間だった。その他、加藤嘉の先生や大泉滉の易者、山本麟一の特高刑事、小倉一郎の久邇宮殿下といったところが目に付いたが、雀友だった先輩が言っていたように、映画作品としては、その志は窺えるもののそう大した出来映えとは思えなかった。吉田豊道の伝え聞く人となりやエピソードがなぞられているだけで、彼の心情胸中が作り手の表現として浮かび上がってくるところに欠けているのが何とも頼りない。佐藤仁哉は、明るく迷いのない吉田豊道像を割合よく演じていたように思うのだが、脚本に弱みがあった気がする。チラシ資料では脚本に監督の木之下晃明の名しか記されてないが、クレジットでは高橋伴明の名も添えられていた。しかし、まだほんの補助役だったのだろう。

 そのチラシ資料で言えば、企画の杉本峻一氏の名前が杉下に誤記されていた。杉本氏は、郷土出身の映画人として高知でもっと目を向けられるべき人物だと思われるのだけれども、今や地元でも殆ど知られないようになっていることが、図らずも露見しているように思えた。

 それにしても、三十年前に観逃した作品がこうして再映されるとは思っていなかった。僕にとっては幻の映画だったわけだが、これで何か一つ宿題を片付けたような気分になれた。
by ヤマ

'08. 7. 6. 自由民権記念館・民権ホール



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