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『ピアニスト』(La Pianiste) | |||||
監督 ミヒャエル・ハネケ | |||||
ある意味で、観ている側の感受性を傷つけ、損なうことで、否応なく映画の持つ力を印象づけ、記憶に残る作品というものがある。鮮烈なものとしては、ギャスパー・ノエ監督の『カノン』なんかがそうだったけれども、あの場合は、なにゆえそうしていたのかが、観終えて了解できたから納得がいく。だが、ミヒャエル・ハネケの作品では、半年ほど前に観た『セブンス・コンチネント』もそうであったように、そのあたりのビジョンが今ひとつ自分には開けないようなところがある。 作品的には、スタイリッシュさにおいて、より精彩を放っていた分、『セブンス・コンチネント』のほうが魅力的だったが、「私の映画に出てくるのはあなたです」と語っているというハネケ監督の言葉を想起して振り返ると、『ピアニスト』のほうが恋愛における思い込みとディスコミュニケーションを語って、より確かに普遍的な側面をドラマの構成として持っているような気がする。 ワルター(ブノワ・マジメル)のかなり一方的な思い込みから始まったエリカ(イザベル・ユペール) への恋は、ある意味で彼の願望する女性像の相手への身勝手な投影でもあるわけだが、それが彼女の心を動かし、今度は彼女の側が長年ひそやかに蓄えてきた願望を投影しようとすると、双方の間で、力関係の移動が生じたり、あるいは、自分が相手の願望に応えようとすることが、相手からはそのように受け取ってもらえないというようなディスコミュニケーションの悪循環に繋がったりすることが起こる。願望と実際のずれのなかで起こる許容と譲歩、要求と対応という恋愛における男女の関係性を描いた作品として観ると、一見したところ特異で過激に見える物語が、かなり普遍的なものであって、相当に繊細で微妙なニュアンスで描かれていることに気づく。 しかし、一番の観処というのは、やはりエリカの人物造形とその表現であったように思う。澱のように沈殿して長らく堆積され、もはや対象さえも自覚できない形で欝積している怒りの感情を内包し、抑圧している女性像として、イザベル・ユペールは不気味なまでの迫力と説得力でエリカを演じていた。自身の音楽の才への自負とそれに投じた自分の人生の重みに比して、果し得ている自己実現の不均衡さへの怒りが、根底のところにあったように思える。彼女には、およそ微笑みというものがなく、教え子にも同僚にも母親にも冷たく、アグレッシヴだ。恋愛も音楽のために犠牲にし、遠ざけてきたのだろう。おそらくは今に至るまで性体験も持たぬままに来ているように思われる。そんなエリカが、美男のワルターに積極的にアプローチされ、動揺しつつも自分では平静さを保っているつもりだったのに、思いの外、心動かされていることを自覚させられる。それは、大事な演奏会の前に緊張で下痢になり遅刻をした教え子のマリアに、ワルターがステージ奥で声を掛け、微笑みを引き出すとともに、彼女から今までにない演奏を引き出したことを目撃して、抑えがたい嫉妬心に見舞われたときだったと思われる。逆上して、マリアに対し、悪意に満ちた陰湿な怪我を負わせるが、トイレにまで追ってきて、自分に求愛したワルターに対して、素直に身を開くことができない。ポルノ・ショップに通って見聞した性技でその場を取り繕うしかない悲しく哀れな強がりが、今に至るまで性体験のない気後れと不安を感じさせていた。それと同時に、威圧的に臨むことで、からくも自身を保とうとしている姿が、何とも情けなかった。このあたりの描写の容赦のなさは、原作が同性たる女性作家の手になるもの故なのか、監督ハネケの個性なのか、判然としないが、強烈この上ないものだった。 また、エリカが母親の強すぎる干渉と音楽への献身によって経験しそこねた歪んだ青春期の代償として、ポルノ・ショップを通じて得た官能のファンタジーも実体験のない妄想で培ったものだったから、いざ現実にワルターから暴力的に向かってこられると、彼女自身がワルターに求めたことだったはずなのに、官能どころか、恐怖しか呼び起こさない。妄想ファンタジーと現実は異なるものだから、当然と言えば、当然のことなのだが、ワルターにしてみれば、妙な妄想に巻き込まれた挙げ句、相手からは拒まれるという踏んだり蹴ったりの状態に追いやられ、翻弄されたようなものだ。自身が招いたこととは言え、ほとんど強姦に近い形で身を割られるエリカも哀れだが、ワルターも気の毒な話だ。 しかし、ワルターはエリカに比べて遥かに若い。とんだ顛末ではあったが、ある意味で屈託を残さない清算を自身のうちで果すことが素早くできている。怪我をさせたマリアに代わってピアノを演奏するために赴いた会場に、解消できない屈託の帰結として、密かにナイフを忍ばせて出向いたエリカが、ワルターから向けられた明るい笑顔と激励の言葉に打ちのめされたのは、いかにも想像にかたくない。どこまでも残酷に、哀れな女性を追い詰めて描いた作品だ。だが、この容赦のなさは、何ゆえに必要だったのだろう。エリカを笑い物にするのは、いかにも趣味が悪いし、原作者も映画の作り手も、そうは考えていないように思えるのだけれど、やはり今ひとつ僕にはビジョンが開けないでいる。映画として力に溢れているのは、疑いようがなく、惹きつけられ、気になってしようがないのだけれど、どうも好きにはなれない。 参照テクスト:「チネチッタ高知」より http://cc-kochi.xii.jp/taidan/0305pianist.html 推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2002/2002_04_08.html 推薦テクスト:「シネマの孤独」より http://homepage1.nifty.com/sudara/kansou6.htm#pianist 推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0209-1pianist.html#pianist 推薦テクスト:「cubby hole」より http://www.d4.dion.ne.jp/~ichiaki/2002-3.htm#ピアニスト 推薦テクスト:「Ressurreccion del Angel」より http://homepage3.nifty.com/pyonpyon/Pianist.htm 推薦テクスト:「my jazz life in Hong Kong」より http://home.netvigator.com/~kaorii/eu/pianotea.htm 推薦テクスト:「BELLET'S MOVIE TALK」より http://members.tripod.co.jp/bellet/movie/review102.html 推薦テクスト:「FILM PLANET」より http://homepage3.nifty.com/filmplanet/recordP.htm#lapianiste 推薦テクスト:「K UMON OS 」より http://www.alles.or.jp/~vzv02120/imp/ha.html#jump28 推薦テクスト:「シネマ・サルベージ」より http://www.ceres.dti.ne.jp/~kwgch/kanso_2002.html#pianist | |||||
by ヤマ '02. 9. 8. 県立美術館ホール | |||||
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