『靖国 YASUKUNI』
監督 李纓


 映画作品自体よりも、その上映に係るさまざまな問題が噴出した後、都会での上映は既に一通り終えた段階だというのに、上映中止を求めて県知事や会場ホールに「上映すれば、会場を爆破する」などという脅迫電話が入ったことが地元紙を賑わせていた上映会だった。同じ県内で一ヶ月ほど前に何事もなく上映を済ませた四万十市と違って、物々しさだけは三ヶ月遅れで都会での上映並みとなったことが、却って気恥ずかしさを促してくる。いくら件の刀匠が県内に在住する地元の県都だとは言え、愉快犯にしても些か間の悪い、随分と御粗末な脅迫電話だ。

 そういった喧噪からすれば、騒ぎ立てるほどの過激さなどない平凡な作品だという印象を与える報道がなされていたように思うが、確かに、ドキュメンタリーフィルムが捉えた8月15日の靖国神社の光景の異様さという点では、六年前に観た新しい神様のほうがインパクトがあったような気がする。しかし、合祀であれ、公人参拝であれ、靖国問題それ自体よりも、例えば日本鬼子 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白の日誌でも触れたような“自由主義史観”を標榜して“自虐史観からの脱却”を唱える連中が靖国にかこつけて侵略戦争を否定しつつ勢力を伸ばし始めていることに対して異議を唱えるという点では、明確に作り手の意図が現れている作品だったように思う。公開されたのは今年なのだが、画面に映っていた映像の大半は、小泉首相が公式参拝をした2001年から戦後六十年となる2005年あたりだったから、時期的にも符合している。

 靖国にまつわり映し出されていたことの多くは、靖国刀のことを除くと、大半が既知のものであったが、1978年のA級戦犯合祀に向けた動きに対して昭和天皇が参拝を止めた最後のものから三十年経った戦後六十年の年に、天皇親拝復活をスローガンにした靖国参拝20万人動員運動が展開され、石原都知事が煽っていたことは失念していたので、改めて見直す機会が得られてよかった。

 なぜ靖国刀の刀匠を追っていたのかが明白になったのは、映画の終盤のニュース写真やフィルムで示された軍刀による残虐行為を映し出したときだった。“向井・野田両少尉による百人斬り競争”については、僕は、学生時分に本多勝一の『中国の旅』を読んで知っていたが、南京大虐殺と並び、物理的に不可能だとして“自由主義史観”派が標的にしていた象徴的な事件だ。思えば、李纓監督が刀匠に何人も斬るのは不可能ではないかと訊ね、刀匠がそんなことはないと答えるインタビュー場面があった。刀匠はそういった背景と意図の元に問われたとは露知らぬ様相がそのまま画面に現れていたが、否定派が「敢えて刀で大量虐殺をするのは不合理だ」と主張するような言質に対して「旧日本軍人にとって特別な意味を持つ軍刀を使うことは合理性の問題とは別のところにある」との見解を作り手は示したかったのであろう。この作品が靖国刀に焦点を当てていたのは、そういうことなのだと思う。この映画には、平原に巻藁のような標的を並べ立て、駆け抜けながら次々に斬り倒していく演習光景のフィルムも挿入されていたが、帰宅後、ほぼ三十年ぶりに書棚にある『中国の旅』を取ってみると、映画のなかで大阪毎日新聞となっていた“百人斬り競争の記事”が東京日日新聞となっていた。

 それにしても、靖国刀があのような小汚い作業場のようなところで作られているとは驚きだった。熱した鉄に垂らす水を入れているのが特別な器ではないどころか、大きく「ゆず」の文字が入った空き缶だったりするのが、何とも滑稽だった。かつては、遺体も遺骨も帰還することのなかった英霊の宿る神体とも言うべきものとして鋳造されてもいたらしい刀が、まるで農機具を作るのと何ら変わらない職人の丹精のもとに作られているわけだ。その現実と、靖国刀に特別な意味と価値を付与して取り沙汰していることの落差の大きさに思わず滑稽を誘われたのだが、あまりにも鮮やかだった。靖国問題に対し、賛否の立場は正反対であろうとも、靖国刀に特別な意味と価値を付与して取り沙汰している点では、両者が全く同じであることを図らずも照射しているように感じられた。こういうところがドキュメンタリーフィルムのいいところだと改めて思う。

 刀匠の仕事場には、さすがに神棚と思しきものが設えられ、榊も活けられていたのだが、作業場のラック棚の片隅にわりとぞんざいに構えられていた。かしこまった仕事着を着用したりはしていない。奉納刀を打つ刀鍛冶の烏帽子装束というものを何かの時代劇映画で観たことがあるように思うのだが、考えてみれば、実際の作業場は暑くて暑くてそれどころではないはずだ。誰の目にも留まらない作業場で無理な格好で仕事をして、肝心の細工物の出来に支障をきたすと本末転倒に他ならないわけで、当然と言えば、当然のことなのだ。見覚えのある劇映画の刀鍛冶の仕事ぶりのほうが、もっともらしく見えながらも、不合理かつ虚構であることに大いに納得した。




参照テクスト:丸谷才一 著 『裏声で歌へ君が代』読書感想

推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/special/pu0807.html
by ヤマ

'08. 7.21. 県民文化ホール・グリーン



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