『ラスト、コーション[色/戒]』(Lust,Caution)
監督 アン・リー


 鮮やかな演出で、窮地を察したときに見せた脱兎の如く機敏な逃げ方のなかに、鍛え上げられた反射というものを感じさせることでも、只者ではないと思わせる、一分の隙もないはずのイー長官が、本体の諜報機関の長として実は甘かったという設定などに少々首を傾げたりしたのだけれども、158分を少しも長いと感じさせずに、むしろいつまでも画面を観ていたい気分で引っ張って行ってくれる、「これぞ映画!」とも言うべき作品だったように思う。二年前に本作と同様にベネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得したブロークバック・マウンテンは、無論悪くはないものの、さほどにも思わなかったのだけれども、今回は金オゼッラ(最優秀撮影)賞も受賞しているのが納得の充実した作品であった。グリーン・ディスティニーが圧巻だったアン・リー監督は、やはり大した作り手なのだと恐れ入った。

 蛇蠍のごとく冷徹で隙のないイー長官(トニー・レオン)の心を溶かし、その歌声に涙させ得た抗日レジスタンスの女性工作員ワン・チアチー(タン・ウェイ)と、そのチアチーに「逃げて」と言わせたイー長官の、最後には真情で交わるに至った“闘い”に観応えがあった。二人の関係をあくまで闘いとして捉えていたことが、R18もやむなき激しいセックスシーンを常にバトルとして描いていたところに明確に表れているように思った。激しく戦い合い、高いレベルでの拮抗した力量のぶつかり合いの果てに、気を許してはならない間柄ながら、互いに認め惹かれ合うに至る好敵手物語のような作品は、かつて映画という娯楽の顧客の主流が男性だった時分には、西部劇や戦争映画においてよく描かれたものだが、そんなふうな関係として、恋愛をフィールドにしてセックスシーンをそういった意味でのバトルとしてかくも鮮やかに描きあげた作品には、そうお目にかかれるものではないという気がした。さすがはベネチア金獅子賞だけのことはあると思った。



 幾度か送り込まれた女性工作員の正体を見破っては、逆に抗日レジスタンス側の情報を吐かせていたとのイー長官が、貿易商の夫を持つマイ夫人と名乗る、妻が香港で知り合った若き有閑夫人の麻雀仲間チアチーと三年ぶりに上海で再会して、三年前にも惹かれつつ罠の可能性ゆえに踏み止まった誘惑に遂に乗るわけだが、最初のセックスで服を引き裂き、後ろ手に縛ってベルトで尻を鞭打ち背後から犯すようにして手荒く接したのは、それが彼の性的趣味というよりも、探りの手段としてのことだったような気がする。彼が乗ったのは無論チアチーに惹かれてのことではあろうが、一旦仕掛けておきながらも上海に転任しただけで何の音沙汰もなくなったのは、左遷ならともかく昇進しただけに不可解で、もしかするとあれは色仕掛けの工作接近ではなかったのかもしれないとの想いも手伝ってのことだったような気がする。だが、強烈な探りと試しを初回に入れるところなんぞ、やはり流石の強者だ。チアチーがイー長官に対して三年間も完全空白を置いたのは、油断させるための周到な戦略としてではなく、単純に最初の工作活動が抗日レジスタンスによる組織的な作戦ではなく、若く純粋な愛国心による反日感情以上に許し難き同朋の裏切り行為への憤りに高ぶった学生たちの組織外行動だったからなのだが、さすがのイー長官もそこまでは推察が及ばないのも無理ない、巧みな設定だった。彼らが劇団活動をしていて芝居の心得が少々あることや国情を憂い民衆に闘う勇気を鼓舞する芝居を打っていたことも効いている。

 もし彼が自分の性的嗜好の相手としての継続性を求めるつもりであれば、おそらく女体の反応を探りつつ、快感と苦痛の交錯する渦に引き込む形での馴致を企てたはずで、あのようにいきなり縛って鞭打つ出方はしないように思うし、その際にもまず先に繰り出し与えるのは快感のほうであって苦痛ではない気がする。そうしなかったのは、彼女の側にそういった性的嗜好さえなければ、むしろ突き放しとなるような形で彼女の誘惑に応えることで、その出方を探り試すためのものだったからだという気がしてならない。犯すように手荒く接しつつ、己が高ぶりに任せて振る舞っているようにはついぞ見えなかったのは、その初回のチアチーの反応のなかに、彼女がそういった性的嗜好を予め備えた女性であるのか否かをきっちりと観極めなければ、仕掛けた探りと試しの狙いを充分に果たせないからだろう。そんな彼の眼差しのなかに映ったチアチーは、施された強烈な探りと試しに忽ち呼応するだけの被虐嗜好を備えていないにもかかわらず、香港への帰還に対する自分の引き留めには直ちに応えるわけで、やはり工作員かとの思いが抜き難かったはずだ。

 他方、チアチーにしてみれば、四年前に劇団を率いるクァン(ワン・リーホン)に憧れ惹かれて携わるようになった反政府活動のなかで、三年前に香港でイー暗殺のためにいよいよ身を挺して罠に掛けるうえでは、夫人を名乗りながら処女であるわけにはいかず、大義のために劇団仲間の唯一の経験者を相手にセックストレーニングまでして、クァンの企てたイー暗殺に挑んだものの、イーの上海転任によって中途で挫折してしまい、心に空洞を抱え、人生を虚ろにしたままのときを過ごしてからの再チャレンジであり、今度はクァンのためではなく、まさに自分自身と祖国のために、その遂行こそが「生の証」であるかのように“全身全霊で打ち込む闘い”として臨んでいたのだろう。三年前に重ねたトレーニングのなかで自ら腰を使うようになって「馴れてきたじゃないか」と言われるに至った程度の浅い性体験が、その後、上海に住む叔母の元に身を寄せて学業に戻る生活になったなかで、急激な進展を見せているとも思えないから、ようやくイー長官との逢い引きに漕ぎつけて施された手荒い探りと試しには強い衝撃を受けたような気がする。三年前に同じ洗礼を受けていたら、それだけで挫けたかもしれない闘いに彼女が怯まなかったのは、虚ろに過ごした時間を経ての再チャレンジだったからで、イー長官が自分を疑って掛かっていることを充分に承知しながら、いかにして籠絡するか、片時の油断も緩みも許されない状況で闘いに挑んでいったように思う。

 そんな二人のセックスは、だから睦み合うような官能性とは無縁で、互いを探り見極めようとする意志に支えられたバトルであることが、見据えるように目を開いて激しくぶつかり合う姿によって示されていたように僕の目には映った。バトルとして二人のセックスを描出しているなかで、もうひとつ印象深かったことは、激しい交わりの高まりのなかで女が男に胸を合わせて抱きつこうとするたびに、男が女の上体を押し返し、常に胸と胸を直には重ね合わせないようにするばかりか、性器の一点で繋がっていることを女に強く意識させるよう、脚を絡めることも許さない伸脚での大開股に男が腿で抑えつけた体位を取りながら、激しく追い込んでいた姿だった。

 僕の記憶では、松葉崩しの種々のアレンジ形や結合した状態で女が背を倒して仰臥している男の腹面に背中をぴったり重ねたかのような体位など、種々の体位のバリエーションを織り交ぜて、男女が性器結合したままの二つの裸身でさまざまなフォルムを描き出しながらも、男が主導権を握っている間はついぞ二人の胸を重ね合わせた形での交わりを見せなかったように思う。つまり、全身で一体となって、胸すなわち心も重ね合わせて取り込もうとする女と、性器すなわちセックスでしか繋がっていない関係であることに従わせようとする男の、二つの意志を二人の行為そのものに視覚化して、実に明瞭に描き出していたような気がする。そうしたなかで、一つの頂点とも言えるような、とても窮屈そうで女の身体の柔らかさが驚異的な、実にアクロバティックな体位が登場する。女の片足を体操選手のように頭のほうに高く伸ばして二人の身体の間に挟むようにした対面側位でぴったりと抱き合い、お尻を剥き出すような形にして挿入していたように記憶しているが、その体位でそれまでに味わったことのない深い達し方に追いやられた様子がチアチーに窺えた後に、静かに涙を流していた。想像を遙かに超えたエクスタシーの頂きに導かれた随喜とそのときさえも決して直に胸を合わせられなかった悲哀が入り交じっているように思えて、とても印象深い涙だった。

 だが、その後に、今度はチアチーが、このバトルのようなセックスにおいて初めて主導権を握る場面が訪れる。彼女が、行為の際中にベッドサイドに掛けたイー長官の携行している拳銃にチラリと目をやり、それを彼がすかさず観て取った様子が窺えた後に、彼の肩に手をついて騎乗位で交わっていたチアチーが、枕で長官の目を塞いで激しく追い込む腰使いをしたことで、たまらず高まった彼が上下を入れ替えてクライマックスに猛進することになり、遂にイー長官のほうから胸を合わせる形で精を放ったように描かれていた。その際、チアチーがイー長官の視界を奪うということが強く印象づけられていたのが、それまでのセックスの場面で見据えるように目を開いて激しくぶつかり合う姿が映し出されていたことと呼応して、とても鮮やかだった。セックスシーンが濃密な意味と充実した感興を与えてくれる秀作は少なからずあるが、セックスシーンそのものがこれだけ明瞭に作り手のいくつもの具体的な表現意図を演出として感じさせてくれた作品を僕は他に知らない。十代で感知できるとは到底思えないものが豊かにあって、裸身の露出が激しいからということではなく、紛れもない“大人の映画”として、成人指定作品の面目を施していたように思う。



 しかし、僕が最も感銘を受けたのは、作り手が二人の感興の頂点を性愛バトルのなかには置かなかったことだ。かくも凝縮された含蓄のある性愛バトルの果てに、最後の一押しを決めたのは、男にあっては、大日本帝国軍人のために設えられた様子の遊郭の宴座敷に一人残っていた彼の呼び出しを受けた女が彼のために歌った恋唄であり、女にあっては、遂に籠絡を果たし、自分に気を許して機密に関わる役目を与えるに至ったと思っていた女の予想を超えて、まさに意表を突く形で与えられた、まるで先に導かれたエクスタシーの頂きをそのまま形にしたような大きく豪華で美しい宝石指輪だった。両者ともにおいて、無論それまでの性愛バトルにて、激しく戦い合い、高いレベルでの拮抗した力量のぶつかり合いを果たしていればこそのものなのだが、とどめを刺したのが共に性感ではなかったところに深みがあるように感じられた。誰をも信じることのできなかった蛇蠍のような男が、自分に寄せられた恋唄の歌声に込められた想いに感応して涙してしまう恋に出会い、中途で挫折した暗殺計画が人生を虚ろにさせ、その再チャレンジでは、暗殺遂行こそが“生の証”かというほどに全身全霊で打ち込む闘いとして臨んだ女が、自らその全てを御破算にしてしまう「逃げて!」との声を発してしまうだけの想い人を得たのだから、性愛バトルを通じて得たものの大きさからすると、バトルの結果ということでは、両者共に勝者であるというふうに描いていたところが、実にロマンチックだった。

 そして、正反対と言える位置から敵対していた二人が、尋常ではない性愛に深く耽った果てに二人して到達した“余人には解しがたい境地”のようなものを感じたとき、僕は、思わず愛のコリーダ(大島渚監督)を想起した。『愛のコリーダ』は、バトルそのもののような性愛を決してバトルとして描いてないところが白眉の作品だったが、“永遠”を性愛によって得たところでこの作品と通じており、殺し殺された男と女は入れ替わっているけれども、両者共にバトルの勝者であることにおいても通じる観後感と余韻を残してくれたように思う。



 自業自得とは言え、最も割を食っていたのは、三年前にチアチーから想いを寄せられていたクァンだったような気がする。チアチーが人妻であることを装うために、覚悟を決めて受容したセックストレーニングを、彼女の自分への想いを察しながらも、自分にも同じ想いがあるゆえに、おそらくはリーダーとしての自戒ないしは面子および計算から、唯一の経験者という理由付けをして、暗殺計画の資金源を担っていたメンバーを指名した挙げ句、チアチーに強いたトレーニングを無意味なものにしてしまう暗殺計画の頓挫に対して手立てを講じられずに、彼女の離脱とその生の虚ろを招く羽目になっていたような気がする。三年後に、今度は抗日レジスタンス組織の一員として彼女を訪ねて、暗殺計画への再チャレンジを取り付けたものの、チアチーが身を挺してもなかなか籠絡できずにいるなかで、彼女がイー長官によって性感を磨き上げられて行っている変化の程を連絡員としてのコンタクトを取るたびにおそらくは身に沁みて感じ取り、三年前に自分が指名した仲間がチアチーとトレーニングを重ねているなかで待機していた時間と同様かむしろそれ以上に苦しい想いをしていたような気がする。だから、いくらセックスを重ねても眼光鋭くガードの堅いイー長官を必死に攻略しようとするなかで味わっている、正体がばれることへの緊張や、性感開発によって心を揺るがされつつある女の性への実感から、憎むべき敵に心を奪われそうな不安と脅えが湧いて止まないチアチーの苦衷に対して、抗日組織の幹部が目を逸らすことが彼女に与える痛みに気づいていたように思う。それゆえに、付け入る隙を見せなかったイー長官を遂に彼女が籠絡し、作戦決行の時が訪れたとき、彼女の払った代償の大きさに想いが及んだからこそ、「僕は分かっているよ」と伝えたい気持ちから、思わず彼女にキスをしてしまったような気がした。ところが、チアチーからはむしろ反発を示すように「今頃になって…。なぜ三年前にしてくれなかったの?」と咎められてしまう。観客の目には彼女の反発が当然だと思えるクァンのいい気さ加減に、彼自身は決して気づきはしないだろう。チアチーが遠くに行ってしまったように感じるだけだったような気がする。このクァンの挙動が、イー長官に「逃げて!」とチアチーが呟いてしまうことに影響を及ぼした部分というのが、果たしてあったのだろうか。女性の目に映ったものを訊ねてみたい気がした。




参照テクスト:再見日誌['19]


推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0802_3.html
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2008/2008_02_25.html
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2008lacinemaindex.html#anchor001703
推薦テクスト:「yt's blog」より
http://blog.livedoor.jp/thinkingreed0605/archives/51663151.html
推薦テクスト: 「なんきんさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=706309434&owner_id=4991935
by ヤマ

'08. 2. 9. TOHOシネマズ3



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