『ボルベール<帰郷>』(Volver)
監督 ペドロ・アルモドバル


 気丈で行動力に満ちてきびきびとしたライムンダ(ペネロペ・クルス)の姿に、「母は強し!」という女性讃歌の作品かと思いながら観ていたら、なんともとんでもない顛末が秘められていて、驚かされた。彼女が娘パウラの父親殺しに際して見せた対応は、ただの性格的な気丈さというものではなかった。ライムンダは、娘パウラ以上の過酷な体験に見舞われていたのだった。そのことが明らかになり、彼女が十代で家を出て母イレーネ(カルメン・マウラ)の姉パウラを頼って身を寄せ、接触を避けたのは、実は母親を気遣ってのことだったと打ち明ける姿を観、娘が殺害した夫の死体を故郷の近くの川の畔に冷凍庫に詰めて埋めた際に、傍らに立つ木の幹を削っていたのは、目印ではなくて名前の刻めない生没年のみの墓標であったことが判明したとき、僕のなかで彼女の気丈さや馬力の底に透けるように感じられていた脆さや危うさに得心がいった。本当は繊細で気優しいのに、誰にも言えない秘密を抱え、強く生きるしかない状況のなかで強がっているうちに身に付いた気丈さともいうべきものだったような気がしたわけだ。

 十五歳になった娘に対し、酔っていたとは言え、血は繋がってないと迫る父親というのは、とんでもない男だが、パウラが生まれたばかりの頃にライムンダと二人で抱き上げている仲睦まじい写真が中盤で映し出されていたのが効いて、十五年前にライムンダが置かれた状況のなかで、彼女にとって彼との出会いがどれだけ強い助けになるものだったかということが、この墓標の場面に現れていたように思う。オープニングシーンが墓石の掃除から始まっていたことと呼応して場面的にも強調されていたわけだが、決して「死体の始末」ではなく「遺体の埋葬」という気持ちにライムンダがなっていたことが偲ばれた。先頃観たばかりのアフター・ウェディングにもそういうことを思わせる部分があったのだが、彼女がそうなったのは、十五年前に自分を救ってくれ、娘が幼い時分にはきちんと父親を担ってくれた夫への感謝の気持ちが、失業して酔って娘に手を出す体たらくに堕してしまった夫に対しても、まだなお強く残っているからで、それだけシングルマザーを余儀なくされた女性の見舞われる不安と孤独には痛烈なものがあるということなのだろう。加えてライムンダには、もしかすると前の晩にベッドで求められて自分が拒んだことが事態の引き金になったのかもしれないという自責の思いもあったような気がする。夫がまるで当てつけるように隣で横たわったままマスターベーションをしている気配に物思うライムンダの様子を捉えた場面までも設えていたのはそういうことなのだろう。「悪いのはあんただけじゃない」との思いが埋葬という態度に彼女を向かわせたような気がした。もっとも、そういった事々があったにしても、酔って娘に迫ることへの情状酌量とはならないのは自明のことだが、それはともかく、自分の娘に手を出そうとして殺された夫に対して「死体の始末」ではなく「遺体の埋葬」という気持ちになったり、母を気遣って家を出た果てにようやく母の元に“ボルベール<帰郷>”して涙するライムンダの姿には、強がらずを得ない人生のなかで抑圧してきた彼女の繊細で気優しい本性が窺えたように思う。

 さればこそ、娘にさえも血迷ってしまうのは個人の人格としての男ではなく“男の血”のようなものであって、ライムンダの夫にしても父親にしても、それを制御できなかった弱い男にすぎず、男というのは本来、本当にどうしようもない生き物だという感覚が前提になったうえで、女は女同士で助け合うしかないといった“女の連帯”を描く映画になっていたような気がする。そこのところが、男の僕には、少々蚊帳の外に置かれた気分を催させる作品だったように思う。また、その連帯を最も強固に約束してくれるのが、父親のもたらした秘密を孤独のなかに抱え込むというかつての思いとは逆に、“誰にも言えない秘密を女の連帯のなかで共有共犯すること”であるという形になっているところが、これまた蚊帳の外というか疎外感をもたらしているようにも思えた。そして、ストレートにターゲットを女性に置いた作品のように感じた。主だった配役に男性が全くいない映画だった。

 それはともかく、ペネロペ・クルスの個性と存在感が遺憾なく発揮され、活かされていたのには、圧倒された。おそらくは彼女の代表作になるに違いない。『ハモンハモン』も『オープン・ユア・アイズ』も観る機会を得ずに来ている僕は、『オール・アバウト・マイ・マザー』では少し惹かれたものの、『バニラ・スカイ』『コレリ大尉のマンドリン』『ブロウ』『赤いアモーレ』『トリコロールに燃えて』では、格別に惹かれるものがなかったのだが、この作品では、ある種の貫禄とともにスクリーン映えがしていたように感じた。母イレーネから教わった♪ボルベール<帰郷>♪を歌っている姿もよかったのだが、レストランで忙しそうに働いているときの活き活きとした立ち居振る舞いがとりわけ素敵だった。





推薦テクスト:「マダム・DEEPのシネマサロン」より
http://madamdeep.fc2web.com/Volver.htm
推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20070710
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2007hocinemaindex.html#anchor001635
by ヤマ

'08. 2. 1. 高知市文化プラザかるぽーと大ホール



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