『トリコロールに燃えて』(Head In The Clouds)
監督 ジョン・ダイガン


 ノン・ポリティカルよりも自覚的で確信的なアンチ・ポリティカルで戦争の時代を生きようとすることは、それはそれで筋金が要るわけで、'30年代的な頽廃と享楽を体現していたときも、打って変わって孤独なレジスタンス活動をしていたときも、どちらも同じようにギルダ(シャーリーズ・セロン)は、常に生の時間に対して不断の自覚を抱いていたのだろう。二十年前に『生きる』('52)を観て「“生きる”ということの本質は何なのか。それを問う鍵は、主人公の『私にはもう時間がないのだ』という言葉にあるように思う。つまり、自分が生きている時間への不断の認識なのである。今その時その時への強い自覚である。」と日誌に綴ったことを思い出した。ガイ(スチュアート・タウンゼント)に宛てて遺した手紙に、精一杯生きてきたことと併せて自らを運命論者であるとも語っていたギルダが、'24年に十代で将来を占ってもらったときに、占い師からの何も見えないとの答えに食い下がり、34歳の貴女が見えたと聞いたことに自身の寿命と運命を感じ、囚われ続けていたことが窺える。彼女の奔放で破天荒な生き方は、それゆえのものであって、彼女の遺した言葉のとおり精一杯に生きたのであろうし、ガイが二人の間の子供を望んでも、ミア(ペネロペ・クルス)との間で作れ、と言って取り合わなかったのもそういうことなのだろう。
 心の赴くままに恋愛遍歴を重ね、世界を旅し、女優も経験し、写真家としてパリでミアとガイとのバイセクシュアルの共棲を堪能していたギルダは、やはり精一杯人生を謳歌していたのだろうと思う。人一倍、生の時間に対して自覚的な人間が自ずと宿すパワーとタフさというものが、パーソナリティとして備わっていることを印象づけるエピソードに事欠かないギルダだったが、とりわけ愛するミアを鞭打ちプレイで痛めつけたサド男を誘惑し、逆にベッドに縛り付けてマゾ性感に目覚めさせつつ、帰宅して事もなげに「あの人は保守的だから言わないで」とガイには教えないようミアに言いつけていたエピソードが目を惹いた。
 苛烈に強く生を疾走しているギルダにとって、ガイは本当に寛ぎと癒しを与えてくれる存在だったのだろう。おそらくガイは、自分が彼女に与えているものへの自負も自信も自覚せぬままに、彼女の眩しいまでの吸引力に魅せられていて、なぜ自分のような凡庸な者とギルダが関係し続けているのか解せないでいる心許なさに苛まれるようなところがあったのではないかという気がする。イギリス人の彼が、留まることを求めるギルダと離れてミアと共にその母国スペインに向かい、ケン・ローチ監督の『大地と自由』に描かれたファシズムとの戦いに身を投じたのも、単に時代的使命への目覚めでじっとしていられなかっただけのことではないはずだ。そして、ミアが爆殺され、ギルダの願う三人での共棲が二度と再び叶わないものとなったことを知ったことが、ギルダに“ノン・ポリティカルよりも自覚的で確信的なアンチ・ポリティカル”を捨てさせたのだろうという気がする。
 パリに戻ったガイとふと目を合わせ、思わず微笑みかけた顔を強張らせ、踵を返すように黙殺した時点で既に彼女は、売女と罵られる孤独なレジスタンス活動に手を染めていたわけで、ガイを危険に晒したくはないとの思いによって発揮するその心の苛烈な強さは、いかにも彼女にふさわしいものだったように思う。
 しかし、この魅力的なキャラクターを映画は充分には描き得てなかったような気がしてならない。ミアとギルダの関係にしても、ガイへのギルダの想いと行動にしても、変に謎めかし思わせぶりに描いておいて種明かしをするような運びと手法で綴っていたために、造形された人物像自体の魅力へ向かうはずの視線を逸らせてしまいがちだったように思う。また、シャーリーズ・セロンとペネロペ・クルスという名うての美女をキャスティングしながら、そのフォトジェニックな美しさを少々損ねていた場面が頻見されたのも残念だった。特に、チークのメイクにムラが目立って見映えを損なっているように思えることが、二人ともに何度もあったような気がする。
 ところで、33歳の誕生日をドイツ将校に祝ってもらっていたギルダが、'44年のパリ解放のときに既に34歳になっていたかどうかは、実は微妙なところだが、映画での描写は、レジスタンスたちに捕らえられ処刑されかけているところで止められていた。二十年前の占い師の言葉どおりの運命として彼女がそこで殺されたと見ることも、占い師の予言とは異なり34歳を待たずして殺されたと見ることも、必ずしも殺されてはいないはずと見ることも、観客に委ねられた形にはなっているが、映画の作りとしてギルダの苛烈な生涯と彼女の運命とをこういう形で観客に投げかけるのは、少々小賢しい気がしなくもない。三つのうち最初の解釈に立てば、占いに囚われた運命論者としてのギルダと同じ位置を選ぶことにはなる。だから、僕は敢えて第二の解釈すなわち「34歳を待たずして殺された」と解したいと思う。

by ヤマ

'04.12.19. 高知東宝3



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