『オアシス』をめぐって
ミノさん
咆哮」:シューテツさん
TAOさん
映画通信」:ケイケイさん
ヤマ(管理人)


  No.4733 から [2004/08/02 10:39]

(ミノさん)
 今拝読しましたが、映画が終わってからのおばちゃんたちの会話に冷や水を・・ってとこ、哀しいですよねえ。

ヤマ(管理人)
 なんかねぇ〜、最初ムカッときたものの、次には何か気の毒な気さえしてきましたよ。

(ミノさん)
 おばちゃんたちにとっての韓国って、あくまで「美・イケメン」でしかないですから、歌舞伎鑑賞みたいな感じだと思うんで、さすがに『オアシス』はキツかろうと思いますが。
 私はこれ、見逃してて、悔しい思いをしました。ただ、見るのにある意味、勇気のいりそうな映画ではありますよね。予告編見た時、胸がドキドキしましたもの。

ヤマ(管理人)
 予告では、そんなに強烈なシーンがなかったように思えるのは、本編がものすごくパワフルだったことの証になるんでしょうかね(笑)。それにしても、かのおばちゃんたち、チラシやポスターの写真では、その線を想定しても不思議ないとこがありますが、最後まで観たうえでアレはないだろうって、ね(とほ)。

(ミノさん)
 予告編見て胸がドキドキしたのは、なんとなく、ただならぬ迫力を感じたわけですよ。こう、おきれいな恋愛とかじゃないですから、安心して観れるわけではないでしょう。こちらの存在とか、脅かされる感じするじゃないですか。設定から言ってね。

ヤマ(管理人)
 僕もそうだったのかもしれませんが、本編を観てしまった後では予告編なんか何も印象に残らないほど霞んじゃってます(笑)。

(ミノさん)
 パワフルな映画だってことは、十分ヤマさんのレビューからも伝わってきましたね。これが今の韓国映画の力なのかしら。

ヤマ(管理人)
 きっと、イ・チャンドンは別格だろうって気がしますね。中国映画のチャン・イーモウ張りじゃないかって密かに思い始めました(笑)。

(シューテツさん)
 ヤマさん、こちらは御無沙汰です。『オアシス』拝読しました。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます、シューテツさん。すっかりオフづいているようで、楽しそうですね。

(シューテツさん)
 凄い映画でしたよねぇ〜。

ヤマ(管理人)
 全く!です。久々に圧巻でした。

(シューテツさん)
 それとミノさんとの会話にもありましたが、文末のおばちゃんの会話なんですが、この作品ってどう言ったらいいのか解からないのですが、観客に対してのある意味リトマス試験紙になっているような気がしませんか?(器というのか、本性と言ったら良いのかよく解かりませんが…)。本性曝しても別に構わないのですけどね…。f^_^;;(ちょっと情けないんとちゃうってだけで

ヤマ(管理人)
 ちょっと凄いでしょ、あの会話(笑)。ドラマチックというか(苦笑)。
 試験紙という気はしますよね〜。観てて自身の内側に湧いてくるものが試されているというか、僕も折々に動揺させられました。特にジョンドゥの奴に対して、ね。

(シューテツさん)
 それと、ジョゼと虎と魚たち』のお茶屋さんとの往復書簡は相変わらず面白いですねぇ〜。というか毎回勉強になり、今回も色々と発見させていただきました。

ヤマ(管理人)
 勉強とは恐縮ですが、ありがとうございます。
 褒められたり、突っ込まれたりしながら、観後感を深めていただきました。この掲示板でも、みなさんから、そうしていただいてるんですけどね。

(シューテツさん)
 弱さと強さは裏表なんですよねぇ。コントロールは難しいですが…。

ヤマ(管理人)
 ホントにそうなんですよね〜。常日頃そういうものだとは思っていても、ついつい女性に対しては強さにばかり目が行く始末でして(たは)。


(ミノさん)
 ヤマさんがチャン・イーモウ張りの別格とおっしゃるイ・チャンドン。この人、知りませんでしたけど、作家出身なんですね。

ヤマ(管理人)
 らしいですね。

(ミノさん)
 活字から映像にいって成功する人っているんですね。

ヤマ(管理人)
 そう言えば、少ない気がしますね。日本でも村上龍なんか御執心でしたが(笑)。

(ミノさん)
 私、ぜんぜん知りませんでしたが、この人って国のお役人みたいなこともしてる高名な人だったりするみたいですね。

ヤマ(管理人)
 のようですね。映画庁みたいなののトップ職に就いてるとか聞いたように思います。


(TAOさん)
 ヤマさん、こんにちは。
 『オアシス』を見逃した、いや見送ったのは惜しかったです!

ヤマ(管理人)
 ようこそ、TAOさん。それは残念!
 あれは観逃すには惜しい作品ですよ。

(TAOさん)
 ちょっとまえに読んだ障害者のためのセックスボランティアに関するノンフィクションがとても刺激的だっただけに、今猛烈に見たい気分なんですけどねー。

ヤマ(管理人)
 河合香織さんの著作でしょ。僕も気になってる本ですが、まだ読んでません。

(TAOさん)
 そうそう、それです。ヤマさんもやっぱりチェックしてましたか。

ヤマ(管理人)
 えぇ、ちょっと気になってたんですよ。

(TAOさん)
 これねえ、たいへんな力作でしたよ。こういうものって、著者の立ち位置が問われるところがあるでしょう?

ヤマ(管理人)
 はい。僕も著者が女性であるところに惹かれた部分がありますね。どういう立ち位置にあるだろうって(笑)。

(TAOさん)
 なまじの好奇心で取材したんじゃあ本音を語ってもらえないでしょうし、ただのネタ勝負だと別冊宝島みたいに浅くなっちゃう。その点、この本はとてもディープで、Fさんの話じゃないけど、けっして分かった気にならず、じゃあ自分にとって性とは何か、という観点に必ず立ち返る、謙虚な姿勢で書かれていることに感銘を受けました。

ヤマ(管理人)
 ほほぅ、期待が裏切られない立ち位置のようですね。

(TAOさん)
 取材にはたぶん何年もかけてますねー。海外の事情まで調査していて、これまた興味深いのです。とにかくとてつもない深淵をのぞいたような読後感を持ちました。

ヤマ(管理人)
 早速、書店を当たってみようっと。
(参照)2006年10月11日23:46 MIXI日記 河合香織著『セックス・ボランティア』
 出版当時の話題になっていた最中は、近所の書店では売り切れで図書館には入ってきてなくて、読めずにいたのだが、先日ブックオフにあるのを見つけて買ってきた。この本にも出てくる“寝た子を起こすな”という言葉は、四半世紀前に知的障害者施設に勤めていたとき、生の言葉として聞いたことのあるものだ。
 読後感として最も強かったのは、性の問題というのは、とことんパーソナルなものだということで、およそ善悪とか正邪とは馴染まないものだということだった。唯一キーワードになり得るのは、“納得感”と“自己決定権”ではないかと思った。であるにもかかわらず、性の問題には関係性というものが抜きがたいところが悩ましいわけだ。でも、少なくとも他人から是非や価値観を最も押しつけられたくないものであるがゆえに、他者への押しつけや非難というものに最も馴染みにくいものだとの思いを新たにした。
 オランダでは、障害者が性的サービスを受けるために係る経費が密かに裁量的に公的補助の対象になっているというのにはホントに驚いた。言わば、補助金でフーゾクに行くという話だ。パーソナルな領域に公が入り込むというのは、実に難儀だし、ろくなことがないというのが通り相場なのに、大したものだ。


No.5050 から [2004/11/17 00:06]

(ミノさん)
 ヤマさん、こんばんわ。今日は念願の『オアシス』が例の神戸随一場末映画館で上映しているのを知り、鑑賞しました。・・そしてぶっとびました。

ヤマ(管理人)
 もう完全に韓国映画とかいう枠を越えてますよね。パワフルで且つデリケートで、ほんとに凄いもんです。

(ミノさん)
 すごいすごいといわれているのは知っておりましたが・・すごい映画ですね。まさに奇跡が宿るとはこういう事なのか、あるいは作り手の伎なのかわかりませんけど。

ヤマ(管理人)
 作り手の技あって尚その技を越えて宿った奇跡があったように思いますね。

(ミノさん)
 主演の演技も、まあスゴイとしか言いようがないんですけどね。って余りにもボキャブラリーが貧困で申し訳ないんですが。

ヤマ(管理人)
 いやぁ、こういうのは凄い凄いと連呼するのが最も似つかわしい作品ですよ。
 僕も人に観に行くよう勧めたときは、知人にも帰省中の長男にもこれでしたもん。「凄い映画やから観に行け」(笑)。

(ミノさん)
 地下鉄のシーンなど、もう信じられないような魔法みたいなシーンでしたね。あり得ない幻想を、相手も受け入れ、共有しているという恋愛の真髄であるところが見事に表現されていて驚きました。ほんと、こんなラブストーリー見たことないって感じです。
 確かにジョゼと虎と魚たちもこれに比べると・・ってなっちゃいますいね。

ヤマ(管理人)
 あれもイイ映画なんですけど、作品世界の格が違うというか次元が違う感じですよね。

(ミノさん)
 そういや、この場末劇場でこの前に見たのは『ジョゼ』でした。

ヤマ(管理人)
 僕が『オアシス』を観たのも、地元ではそんなふうに言われている劇場です(笑)。

(ミノさん)
 誰も知らない』の談義でヤマさんは「大事なことというのは、やはりそれなりに重たいですからね」とおっしゃってましたが、重たさといえば、この映画、モチーフは十分重いのに、映画は見ていてちっと重たくならない、ばかりか全篇にコミカルなムードさえあるんですよね。やっぱり最強映画ですよね。これ。(笑)

ヤマ(管理人)
 そうなんですよ。それって、本当に「凄い」ことですよね。映画のスタイルは全然違いますが、それと似たような点で、近頃感心したのが、一昨日観た東京原発でしたよ。これも題材的には非常に重たいものを含んでいるのですが、とてもコミカルに描いていて大したものでした。
 当地では『オアシス』を上映してくれた劇場が今頃になって上映してくれたんですが、僕、20人くらいにメール出して「めちゃ面白い、お奨めです」って触れ回りましたよ。なにせ僕が観たとき、三人でしたからね、三人(とほほ)。こんな面白い映画、もったいないもんな〜。
 長男に『オアシス』勧めたときは、どんな映画かも言わずにチラシだけ渡して、ほぼ命令形(笑)。彼はチラシをちらりと観ただけで行ったもんだから、チラシに映っている二人が登場してないと思ってたらしく、コンジュが脳性麻痺から脱した自分をイメージするシーンには、ぶったまげて思わず椅子から立ち上がりそうになったそうです(笑)。

(ミノさん)
 あはは、そうですね。

ヤマ(管理人)
 僕が帰宅するなり、やっぱり誰しも同じ「凄い映画やったねぇ。」と漏らし、「お父さん、いつものが、どうせ書いちゅうろ? 見せて、見せて」と言って来ました(笑)。

(ミノさん)
 『オアシス』をめぐるヤマ家のシーン、いいですね(笑)。映画を媒介に盛り上がるなんて素敵ですね。

ヤマ(管理人)
 恐れ入ります。でも、そんなに盛り上がったわけでもないんですよ。ただ最後の下りを読んで、それには同情してくれましたけど(笑)。


-------『オアシス』の傑作性は、普遍的なのか否か-------

(ミノさん)
 しかし、この映画ってモチーフがモチーフだけに、誰にでも飲み込める映画という風には思わないのですが、感受性の違いもありますけど、恋愛の重要性がより高い年若い人々の方が、爆走恋愛のこの二人により感情移入できるかもしれませんね。受け入れがたいという人には受け入れがたいものですもんね。レビューにも書いてらっしゃいましたけど。

ヤマ(管理人)
 そうなんでしょうかねぇ。他の方のレスにも書いたことがありますが、全ての作品が元々人それぞれで評価が分かれる宿命のなかにもあって、敢えていわゆる「人それぞれ評価が分かれる作品」だとか「観客を選ぶ作品」というふうに言われる作品があるわけですよね。それで言えば、僕は、この作品がそういったカテゴリーに属する映画だというようには思えませんでしたよ(たは)。
 概ね誰が観ても凄い作品だと圧倒され感銘を受けるだろうとね。だから、たまたま劇場で出くわした中年女性たちは、極めて例外的な存在だろうと思ったのですが、案外そうでもないんでしょうかね(苦笑)。

(ミノさん)
 う〜〜ん・・どうなんでしょうねえ・・
 例えば『エレファント』みたいな「映画の好き嫌いが分かれる映画」というのとは全く違った意味合いになりますけど・・ただ、ヤマさんの出会った女性たちの会話が、この社会の中で非常に少数派の感覚である、というのは微妙ですがどうかなあと・・。

ヤマ(管理人)
 題材がってことですか? そーなのかぁ。あれだけの作品であっても、その映画の持つ力を上回る強固な殻のほうがってことですかね。でも、それだけ頑なな殻を持たざるを得ないほどに切実なものではないように思うんですけどね、その殻(笑)。案外そういうものなのかなぁ(苦笑)。

(ミノさん)
 でもおっしゃる通り、いい悪いとか好き嫌いを超えて凄い、と思わしめる迫力は普遍的ですね。

ヤマ(管理人)
 ただどこか忘れたけれども某所の掲示板への書き込みにあったんですが、その書き込みによれば、その方はコンジュほどではないけれど障害を持っているそうで、その方からすれば、あの映画は何ともツラくて応えたそうです。映画のなかでは嘘でもいいから嬉しくなれるような話を観たいのに、尾を引いてしまいそうだとお書きでした。
 なるほど、それはそうなのかもしれないと、改めて古いタイプの啓発映画のような作品をただそれだけで以て貶めるのは、少し違うんだよなと再認識したことでしたが、この『オアシス』に寄せられた書き込みとしては、僕にとっては忘れがたい内容でした。でも、その方も「良くない作品」だなんて一言もおっしゃってないんですよね。僕はミノさんが誰も知らないに対して受け取った印象に近いものをイメージしたものでした。

(ミノさん)
 その方が「尾を引いてしまいそうだとお書きでした」というのは、実にわかります。自分が日々格闘してる日常ではなくて、それを忘れさせてくれるような非日常を見に劇場に来てるんだぞ、ってありますから。

ヤマ(管理人)
 やっぱりミノさんの『誰も知らない』後遺症(笑)に通じるとこアリでしたね(笑)。

(ミノさん)
 まさしく私もモチーフが子供でなかったら『誰も知らない』とはもっと距離をとって観れたと思いますし。わかり過ぎる世界のことだと、わかりすぎてしんどいんですよね。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。


-------ファンタジーの持つ意味-------

(ミノさん)
 そうそう、私も息子さん同様、コンジェが女優で演技してるとはあのシーンまで思ってませんでした。あれが演技だとは思えませんよ。ものすごいアクション観て「スタント?本物?」みたいな(笑)。私もまさかこんな「ファンタジー」の味付けがしてあるとは思いもしてませんでしたから、驚きでしたね。
 監督はインタビューの中で言ってたんですが「映画とはファンタジーを与えるモノであり、ファンタジーが人々の心を変えるきっかけになるかもしれない。それは恋愛と同じようなモノなんだろうか?」ということを考え始めたのがオアシスの始まりだそうで。

ヤマ(管理人)
 そういう意味では、上に紹介した障害者の方には、この作品のファンタジーがうまく機能するには至らなかったということなんでしょうね。うちの息子の場合は、ファンタジーにっていうよりも、コンジュを演じていた女性が本当に障害を持った方だと思い込んでいて、ぶったまげたということなんですが(笑)。

(ミノさん)
 言葉をうまく発して効率よく相手に自分の気持ちを伝えることができたらというコンジェのファンタジーが、相手という受け皿を得て、そして相手にもそれが受け入れられる。これは健常者だとか障害者だとは関係なく我々にも得がたいものですよね。

ヤマ(管理人)
 そうですね。僕もそういう観点から観ました。自分を必要としてくれる他者の存在の大きさというところで。

(ミノさん)
 映画はそれをやってのけられるメディアであるということを表現していて、目が覚める思いでしたね。CGだけじゃないぞ、って。

ヤマ(管理人)
 そう言えば、僕が日誌で映画なればこそのマジカルで痛切なシーンとして光の蝶や街路樹の影の幻想的なイメージも列挙の一つに数えていることを大いに褒めてくださった方がおいでたんですよ(嬉)。

(ミノさん)
 『ジョゼ』も好きな映画なんですけど、おっしゃる通り違う次元というか。丁寧さにおいては、『オアシス』の方が丁寧かな〜と思いました。あとやっぱ過激さにおいては、『オアシス』は根性焼きみたいなとこあるでしょ。主人公たちの設定からして(笑)。

ヤマ(管理人)
 まぁ、街路樹に登って、いきなり枝切りなんか始められても困りますよね(笑)。

(ミノさん)
 私はあの枝切りのシーンの逆バージョンというのをあれで思い出しました。昔読んだマンガ(大島弓子という作家モノ)で、やはり外界とうまくコンタクトできない若者が描かれていて、彼は、自分ちの外の街路樹の中の樹の一本を友達みたいに思って生きているわけですよ。で、ある日外を見ると道路整備の関係などでその街路樹をお役所が切ってるの。で、彼は友達の手足が切られているというので、その樹によじ登って、阻止しようとして大騒ぎするんですが、傍から見ればタダの狂人、みたいな話でした。これも、彼の内部をストーリーとして観ているから意味がわかりますが、そこに通行人として通りがかったら、ヘンな人、で済ませてるんだろうな(笑)。

ヤマ(管理人)
 まさか街路樹にそこまで入れ込んでいるとは誰も思わないですよね(笑)。でも、そういう類の不承知って、人間関係のなかでは、ある面、付き物ですよ。通りすがりさんでなく、案外近い間柄でも、まさかとか、思いも掛けないってこと、けっこう多いものだろうという気がします。


-------ノーマライゼイションの果たす役割-------

(ミノさん)
 この作品、特に周囲の人々の描き方に置いては、「大人とは行動に責任を負うものだ」なんて責任を説いている兄が、自分の行動のつけをちゃっかり人に押し付けていたり、実に酷薄で、かつフツーの人々が描かれていましたよね。

ヤマ(管理人)
 そうなんですよね。積極的虐待をしているわけでもないんですよね。でも、酷薄なんですよ、実に。

(ミノさん)
 でも弟クンが味方だったり、ラストのヒロインの成長の描き方においては、似てますよね。こういう事書くとなんですが、私、脳性麻痺の人っていうのを演技の上とは言え、これほど長く正視したのは、人生初めてなんですよ。

ヤマ(管理人)
 そうですか、僕はそうでもないんですけどね。

(ミノさん)
 世の中でばったり出くわした場合、大抵目を伏せるか、正視しないでいるんですよね。どうしていいかわからないというか。まあそういう意味で言うと、映画の中の周囲の人々と全く同じです。

ヤマ(管理人)
 どうしていいかわからないというのは、多くの人にとって正直なとこですよね、実際。でも、別にどうしなきゃいけないってことは何もないらしくて、あまり意識する必要はないようですよ。ごく普通に通りすがりの人ともそうであるように、たまたま目が合えば、会釈するなり、挨拶してすれ違うなりするだけで、目が合わなければ、ただ通りすがるってなもんですよ。

(ミノさん)
 でもこの映画で、最初コンジェを観たとき、正直「うわわわわ」と思ったのに、途中から平気になったんですよね。物語が面白いからっていうのももちろんあるんですけど、慣れた、っていうのあるのかもしれません。

ヤマ(管理人)
 これって、とっても大きいですよね〜。慣れてないという意識が働くことに対しては、誰しも緊張するのが常としたもんですよね。

(ミノさん)
 ですよね。だとしたら、偏見ってのは、絶対数が少ない人々を隔離したり、目につかないところに入れておくことで、ますます増大するわけだから、逆に接触に対し量的に慣れることで、ある一部分は氷解し得るとも言えますね。

ヤマ(管理人)
 このへんが近頃はやりのノーマライゼイションの流れでもあるんでしょうね。

(ミノさん)
 差別ってなくならないとは思うんですが、虚しく過剰生産されるのは止められるんではないかと。
 ところで、日本だと障害者を描くというと、『典子は今』みたいな教育的なものか、かなり美しく描かれたモノしか観たことないので、そういう意味でも新境地を見ましたよね。キョーイク的なもの10本見るよりこっちの方がよっぽどいいですわ。

ヤマ(管理人)
 『典子は今』ですか。23年も前に観た映画ですよ、僕(笑)。

(ミノさん)
 私の中学時代に学校で上映されたんですよ。

ヤマ(管理人)
 うっ、お若い(たは)。僕はもう大学卒業してましたからねぇ。
 「キョーイク的なもの10本見るよりこっちの方がよっぽどいい」というのは、確かに僕らにとっては間違いなくそうなんですよね。でも、うえに紹介した書き込みなんぞにも見られるように、それを必要としている方々もいるわけで、映画として価値がないわけでは決してないんですよね。自分にとっては、たいして必要がないというだけで、ね。

(ミノさん)
 あ、そうそう。ごめんなさい。必要ないって意味で言ったんじゃあないんですよ。実際、『典子は今』という映画観て、すごく感動したし、彼女が海を泳いでいくラストシーンは気持ちよかったです。

ヤマ(管理人)
 しっかと記憶に残ってるんですね。きっとその頃から海好きでもあったんでしょうね(笑)。

(ミノさん)
 あれはあれで大事な映画なんです。ただ、その後私がいまだに目にしている障害者を描いたドラマって、大抵ある一定の安全領域から出ないことでつまらんモノになってると感じることが多かったんですよね。タブーが多すぎるというか。あくまで、ビジュアルに差し支えのない障害者を美男美女が演じているモノって、タブーには触れないでいて、かつ障害のある人々を描いているんだぞみたいな気概だけ感じて、それはそれでいいんですが、そればっかりなのもどうかなあって。
 映画に限らず、何かを表現していくということは、誰かを傷つけるリスクを多かれ少なかれ背負っているというものなんですが、やはり安全地帯から出ずに何事かを伝えようとしてる姿勢はつまらんですよね。

ヤマ(管理人)
 お、なかなか過激派ですね(笑)。確かに「誰かを傷つけるリスクを多かれ少なかれ背負っている」から、作家も演出家もタフでないと務まらなさそうですよね。


(ケイケイさん)
 ヤマさん、こんにちは。ミノさんとのお話を読んで、やっぱり今年のNO.1は、『オアシス』かなぁと、なんて思っています。

ヤマ(管理人)
 ようこそ、ケイケイさん。4コーナー回ってもう直線に入ってますからね、逃げ切りくさいですね(笑)。僕は自分の誕生日の関係で、年度で整理してますから、いよいよ第4コーナーに差し掛かるかなってとこですが、好位置に付けているのは間違いないですね。
by ヤマ(編集採録)



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―