『オアシス』(Oasis)
監督 イ・チャンドン


 最近の韓国映画の充実ぶりには目を見張るものがあるが、なかでもイ・チャンドンの監督作品の存在感は群を抜いているように感じる。『ペパーミント・キャンディ』にも圧倒されたけれど、『オアシス』のパワフルな映画の力には、ほとほと感心させられた。物量や奇抜な映像、破天荒なドラマで圧倒するのではない。存在としての人間の根底のところにある哀切や歓びを掬い取るようなドラマで圧倒的なパワーを感じさせるのだから恐れ入る。こういう作品を観ると、先に観た『ジョゼと虎と魚たち』も佳作であると思いながらも、いささか霞んでくるような気がした。

 一般的な価値観や社会常識とずれた感覚ゆえに社会性を欠き、不適応などにより刑務所生活を重ねる羽目になっていたジョンドゥ(ソル・ギョング)が、家族に見捨てられた脳性麻痺の女性コンジュ(ムン・ソリ)を訪ねる。そして、自身の連絡先を渡し残す彼の意識ではそうではなくとも常識的には暴行以外の何ものでもない関わりから始め、思わぬ誠実を尽くして恋情を昇華させていくというラブストーリーだ。厄介者として疎んじられている二人が、互いにそれぞれ相手に必要とされていることを実感できることで歓びを得ていくさまと、それにより生が輝き、人間として活き活きしていくさまが、驚くべきデリカシーとインパクトに満ちた演技によって綴られている。この歓びが人間としての根底を支えるものであることやそれにもかかわらず簡単にはそれが得られないという哀切は、彼らほどに際立ってはいなくとも、誰の心のなかにもある普遍的なもので、男女の関係における性の交わりというものは、まさしくそこの処の橋渡しをするために賦与された機能であり、欲求でもあることを示していて奥深いものがあった。

 ジョンドゥの行為に暴行以上の意味を受け取り得たコンジュの心境は、むろん普遍的なものとは言えず、また彼の行為そのものも結果によって正当化されるべき行為ではないけれども、正当ではないことが思わぬ福音や目覚めといった奇跡をもたらすことが起こり得るのも、人間の営みの不思議で興味深い真実なのだという気がする。この作品では彼ら二人が、そういう意味でとりわけ人間的で不思議な存在であり、他方、あまりにも浅ましく判りやすい行動と心情しか表現できない彼らの家族たちが、とても非人間的で見え透いていると感じられるように描出されているのだが、そこには人間観として骨太い筋が通っている。

 それにしても、ムン・ソリとソル・ギョングの演技は、神憑り的に素晴らしい。これぞ身体表現たる芝居の真骨頂とも言うべき豊かさと微妙さを湛えていて見事だ。言葉や文字だけでは絶対に伝えられないと思われる説得力と鮮烈さが映画の力というものを強烈にアピールしてくる作品だったように思う。それは、動きのない写真のような映像でも、観客の全てには表情の動きを伝えることができない舞台演劇でも、到底叶えられない表現世界だ。また、光の蝶や街路樹の影の幻想的なイメージ、オアシスのタペストリーから小象や踊り子や少年が抜け出したり、脳性麻痺から自分が脱したりするイメージなど、コンジュの心象として浮かぶ様々なイメージがとても印象深く、映画なればこそのマジカルで痛切なシーンに心打たれる。

 緊張すると声が全く出せなくなるゆえに、最も大事な警察での事情聴取の際に、ジョンドゥのために何もできない自分がつらく悲しくて、たまらない悔しさでロッカーに頭を打ちつけて自責しているコンジュの姿には目頭が熱くなる。もう少し、ほんのもう少し、予断と思い込みを排して、人が人や出来事に接することができれば、世の中は変わっていくはずなのだが、それが叶わないのも人間の哀しい現状だったりする。

 だが、この映画には、そういう事実を悲観的に眺めるのではないラストシーンが用意されていた。厳しい状況には相変わらず大きな変化が見られない、埃だらけのコンジュの部屋のなかに、暖かく美しい光が宿っていたのだ。無責任な甘さを注意深く排した素敵なラストシーンだった。でも、エンドクレジットが流れ始めるとともに、僕のすぐ後ろの席で三人連れで座っていた中年女性たちが「(障害者に恋愛だなんて)全く理解しがたい!」「まぁねぇ」などと恐ろしく冷ややかで突き放した口調で言葉を交わし始めたのを耳にして、一遍に冷水を浴びせ掛けられたような気分にもなった。おそらくは、冬ソナ・ブームに誘われて、韓国映画ということだけで足を運んだのであろうが、改めて人間というものの哀しい現状を思い知らされたような気がした。



参照テクスト:掲示板談義の編集採録

推薦テクスト:「シネマ・サルベージ」より
http://www.ceres.dti.ne.jp/~kwgch/kanso_2004.html#oasis
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2004ocinemaindex.html#anchor001082
by ヤマ

'04. 7.19. あたご劇場



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