『東京原発』
監督 山川 元


 知事と自治体幹部職員の会議室が主要舞台という如何にも面白味に欠けそうな話がこんなに痛烈で可笑しさに溢れた作品になるとは恐れ入り、脚本が誰の手になるものかとエンドロールに注目していたら、山川監督自身の脚本だった。実際に観るまで監督名も知らずにいたのだが、思えば『卓球温泉』も味のあるコメディで僕の好きな映画だった。今後の作品が楽しみな監督が僕のなかで一人増えて嬉しくなった。

 東京都のカリスマ知事が財政難の打開策として東京への原発誘致をぶち上げることで都の幹部職員が翻弄されるさまが描かれるのだが、役人体質の神髄とも言うべき“呆れるばかりの無責任さと奇妙な形での真面目さの同居”というものが的確に戯画化されていて、情けなくも可笑しくて仕方がない。しかし、この作品が最も鋭く突いているのは、実は都民ひいては国民であって、政治も行政も民のレベルに応じた形でしか持てないとよく言われる部分への喚起が率直に表現されている。だからこそ、都の職員と同じように“呆れるばかりの無責任さと奇妙な形での真面目さの同居”を体現する長距離トラック運転手(塩見三省)の配置をしてもいたのだろう。

 先頃観た誰も知らないの日誌に「現代日本社会の行動原理たる“強者の自己都合による弱者へのツケ廻し”」などと綴ったばかりのところに加えて、前々日に土本典昭監督が、原子力船むつの母港化のために補償金や密約で漁民を分断し漁業権を買い取る“国・県・電力会社の三位一体の攻勢”による漁村の荒廃を捉えたドキュメンタリー『海盗り-下北半島・浜関根-』('84)を観たばかりだったこともあって、『東京原発』で訴えられていた日本のエネルギー政策の愚劣さとツケ廻しのほどが強烈に響いてきた。しかし、この作品が優れているのは、『誰も知らない』や『海盗り-下北半島・浜関根-』のような良くも悪くも重量感に満ちた映画とは異なるコミカルさで事の重大さを伝えていることだ。先頃、ブーム化現象まで生んだボウリング・フォー・コロンバインが、見過ごされているデータの取り出しと巧みな編集という話法によって、重量感を排したコミカルさで事の重大さを伝え、アメリカ銃社会の背後にあるものを痛撃していたのと同様に、この作品も、我々が見過ごしているリアルな情報を多角的に収集し、フリップボードや図で示したりしつつもドキュメンタリー映画のような重量感を巧みに排して、日本の愚劣なエネルギー政策の現状とその背後にあるものを痛撃している。アメリカ銃社会の問題ではなく、我が事たる日本の問題なのだから、『ボウリング・フォー・コロンバイン』よりも高い関心を集めてしかるべきだと思われるのだが、日本での風評は、その足元にも及んでいないように思われる。おそらくは、外国映画だとお気楽に過剰にもてはやすメディアが自国の問題だと、姑息な怯懦の方便でしか使わない“メディアの中立性”といった欺瞞溢れるお題目の元に、むしろ冷ややかに扱っているからなのだろう。『ボウリング・フォー・コロンバイン』のもてはやされ方と比較すると、ほとんど黙殺されているに等しい扱いだという気がする。

 この映画では、地方の寒村への原発立地は莫大な電気を消費している東京都民のツケ廻しだという指摘や戦後まもない頃からアメリカに押される形で始まった原子力政策の累進的に嵩んできた後世へのツケ廻しだとの指摘に留まらず、数々の指摘がされている。ほとんど詐欺めいた手口で吹聴される原発施設の安全神話や原子力発電の必要性というものの虚偽性、日本の原発情報のディスクロージャーがチェルノブイリの事故を起こしたロシアにすら劣るとアメリカで受けたとの非難、日本での放射性物質の取扱いのあまりにもの杜撰さ等々。それらにはマイケル・ムーアを凌ぐほどの説得力と語り口の巧みさが備わっていたように思う。僕が大いに感心したのは、それらの指摘の説得力もさることながら、日本で原発立地を図るうえでは東京に設置することが最も合理的で効率的で大きな波及効果を生むとの天馬都知事(役所広司)の東京原発構想の持つロジックと構想の具体性に宿っていた説得力だった。安全性の一点さえ承認すれば、なるほどその通りだと思えるから、かの三位一体がそうしないのは何故なのかとの論理的帰結が鮮やかに決まる。地方の窮状につけ込み、カネの力でリスクのツケ廻しをしているに他ならない。「絶対なんてことがあるわけないんだ」との天馬都知事の台詞を際立たせるラストの顛末の設え方も娯楽作品としての面目を大いに施した形で提示されるのが、気が利いていて嬉しい。

 もうひとつ感心したのは、知事の真意を汲み取るに至る副知事(段田安則)の配置で、彼に代弁させるところが気が利いていて、それによって一見カリスマ都知事の破天荒な政治手法を立てているように見せ、都民の社会意識を率直に痛撃するメッセージを遺憾なく放つと同時に、そのことで、既に石原現都知事が東京原発構想に匹敵するような暴言の数々をぶち上げていることを示唆しているようにも映る視線を忍ばせていたことだ。真意のほどは映画の都知事のような高尚さと正反対の方向性の下にあるのに、なぜ都民は目覚めない?との現実的な問いかけにもなっているように思う。僕が最も感心したのは、実はここのところだった。見事なものだ。



参照テクスト:掲示板談義の編集採録


推薦テクスト:「とめの気ままなお部屋」より
http://www17.plala.or.jp/tomekichip/impression/houga7.html#jump3
推薦テクスト: 「マダム・DEEPのシネマサロン」より
http://madamdeep.fc2web.com/tokyo_genpatu.htm
推薦テクスト:「神宮寺さんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1702713948&owner_id=1955382
by ヤマ

'04.11.15. あたご劇場
      



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