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『魔界転生』('81) | |||||
監督 深作欣二 | |||||
高知東映が深作監督の追悼特集として、一週間を3・2・2に分け、『魔界転生』『バトル・ロワイアル特別篇』『仁義なき戦い(第1作) 』をそれぞれ千円均一で上映した。なぜ『魔界転生』から始まり、それが土日をあてがわれる最長期間だったのか不思議な気がしたが、観に行って納得した。来月、平山監督版の窪塚洋介主演『魔界転生』が公開されるのであった。 しかし、お陰で僕は幸運を得た。二十二年前の公開時には観逃していたのだが、今回初めて観て、その堂々たる娯楽作品ぶりにすっかり感心した。東映作品なのだが、製作者の筆頭に角川春樹の名が出てくるだけあって、冒頭の死屍累々の島原一揆弾圧の地獄絵にしても、紅蓮の炎に包まれる江戸城が崩落する姿まで画面に収め、業火のなかでの迫力ある対決を見せた最後の場面にしても、貧相な感じが画面のどこにもない。まだCGなどという技術のなかった時分の作品だからこその味わいに満ちた、嬉しくなるような画面だった。平山監督のリメイク版では間違いなくCGが多用されるだろうが、深作版のアナログ映像のほうが、割り切れない人間の情念と遺恨のドラマには似つかわしいような気がしてならない。 それにしても、この荒唐無稽な因縁話のエスプリの利いた面白みには格別のものがある。先ずは、原作の山田風太郎の小説のアイデアの勝利だろう。登場する人物の人選がキャスティングも含めて、抜群にいい。反乱キリシタンの盟主から魔界の盟主に転生したとの設定の天草四郎時貞については、美貌の青年で十代で敗死したと学んだ覚えがある。しかし、神に絶望し、邪に転じても、知恵伊豆松平信綱を討ち、徳川幕府を倒そうとする怨念を以て甦った姿として考えるならば、『太陽を盗んだ男』の堂々たる役者ぶりで既に自信も得ていたであろう沢田研二の、化粧の似合う三十過ぎの妖しの美貌のほうが、むしろ相応しいという気がする。そして、知恵伊豆に成田三樹夫を配したところには、魔界衆の側のみを悪とする気が更々ないことが窺え、さりとて生者衆を一方的に悪とする単純な対立軸を排除しているところが物語世界の奥行となっている。 地獄篇第一歌の島原一揆からすれば、その後の第二歌以降の地獄巡りは、確かに人間の業の深さを掬い取ったものではあっても、凄惨さにおいては、四郎の謀略によって引き起こされた飢饉に対する圧政のもたらす現世の地獄のほうが強烈である。首謀者の処刑場面にキリシタンの処刑を髣髴させる磔を取り入れつつ、農民を扇動する天草四郎の悪を強烈に描くと同時に、権力の力よりも、扇動の力よりも、真の力は蜂起した民衆の力そのもののなかにこそあるという姿を力強く描いているところには、戦後体制のなかでの反体制闘争の盛衰を経た七十年代的な屈託が反映されているように感じる。 似たような趣向だとも言える荒唐無稽の娯楽時代劇で、この作品の二年後に公開された角川映画の深作版『里見八犬伝』も、僕の記憶では、エンターテイメントとしては大いに楽しませてくれた作品だったが、こういった七十年代的な屈託はすっかり影を潜めて、純然たる娯楽映画になっていたように思う。ラブ・ストーリーを軸にしていたような気がするが、僕の好みで言えば、正邪を分かちがたい人間の怨念と業の深さを掬い取った『魔界転生』の世界のほうが面白い。明智光秀の娘で貞淑気丈のキリスト者として名を残しつつも、夫たる細川忠興から疎んじられた失意と悋気に懊悩し、性に屈託を残したガラシヤ夫人。お通(神崎 愛)を退けてまで極めたはずの剣の道において名を残しつつも、柳生父子との雌雄を決することを果せずに逝った宮本武蔵の執念。仏門と槍術に帰依して精進を重ねることで、払拭どころか逆に増進させてしまった殺生・女犯の煩悩ゆえに自決したと思われる宝蔵院胤舜の、果せなかった嗜虐欲。武蔵同様、剣の修羅の道を歩んだゆえに我が子をも雌雄を決すべき剣士として太刀を交えないでいられない思いが残った柳生宗矩の、子に越えられることをよしとできない、父としての意地とプライド。いずれも善悪を超えた、人間の業に通じるものだ。 彼らは皆そこを四郎につけ込まれる形で転生していた。そして、ガラシヤ夫人は、四代将軍徳川家綱(松橋 登)を見事に篭絡することで女としての面目を取り戻し、忠興に当てつけるように淫欲に耽る。武蔵は、柳生十兵衛との対決に散ったが、そこには通の無念を返す形で、姪のおつう(神崎 愛)の働きがあった。武蔵と十兵衛の海浜での決闘は、なかなか見事な殺陣によるものだった。巌流島の決闘よろしく櫂を携えて現れるところが嬉しい。胤舜は、殺生・女犯を恣にした後、宗矩の使う妖刀村正に討たれ、宗矩は十兵衛との対決を果たし、倒れるわけだが、転生の際の執念は、いずれも果された形だ。しかし、どこにも救いがなかったという点では、転生前とも大して変わり映えのしないことに帰結しているところが味噌だろう。 この絶妙の人物抽出に対するキャスティングが、ガラシヤ夫人の佳那晃子、武蔵の緒形拳、胤舜の室田日出男、宗矩の若山富三郎となっていて、妖しの刀匠村正を丹波哲郎、十兵衛を千葉真一が演じていた。人物造形としては最も魅力的だったガラシヤ夫人を演じた佳那晃子に少々の器不足を感じたほかは、申し分のない個性だ。平山版で匹敵するだけの個性が集められるような気がしない。 目を惹いたのは、先頃『たそがれ清兵衛』で各賞を総嘗めにした感のある真田広之がまだ若干二十歳の若々しさだったことと後に話題になった『新宿鮫』での奥田英二とのキスシーンの遥か前に、この作品で沢田研二とのキスシーンがあったことだった。若く、双方が美男だけに余計に妖しいのだが、実にケレン味満載の映画作りで、その徹底ぶりに感心させられる。真田広之の演じた伊賀の霧丸だけは、転生の遺恨となった甲賀者への復讐を果たした後、魔界衆たることに苦悩を覚える青年だったので、余計に印象に残りやすい役処ではあったが、千葉とのコンビによる『里見八犬伝』が、この作品で約束された形になったのかもしれない。 | |||||
by ヤマ '03. 3.15. 高知東映 | |||||
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