3月18日日本時間午前10時、米国大統領がイラク攻撃に関する最後通告をおこなった。
48時間で時間切れ、安保理の承認なしで武力行使に踏みきるという通告。
世界中でおこっている武力行使・戦争に反対するたくさんの声をあざわらうかのような決断。

「チョムスキー 9.11 Power and Terror」を観てから、想ったことを書こう書こうと思いながら、刻々と避けがたい状況へと進む情勢の中で自分の中でも想いが変っていった。

ここ数ヶ月、同年代の友人たちと、この問題を話すことも多くなった。海外の友人たちの話には大いに刺激を受けた(日本の国の対応に対して疑問をなげかけた友人もいた)。身近でもいろいろな友人たちと話しをしていくと、思いがけない人から思いがけない考えを聞くこともあった。そんな中で、今、自分が出来る範囲で出来ることをしようと思った。Topページにも「Stop the War」を貼り付けた。あるメールをきっかけにいろいろな人の考えや想い、活動を知ることが出来た。

わたしたちは定説やメディアを通じてすでに知ってることがいろいろある。...........でも、そのことを本当に知っているのか?と一度疑問をもってみるといろいろなものが見えてくる。知ってることをより理解しようとしてみる。知らないことを、知りたいと思ってみる。そうしてみるだけで、見えなかったものが見えてくるような気がした。

ひとつの事実にしても、それをとらえている姿勢によって、各国のニュースをくらべてみれば伝えられかたが、微妙にまたは顕著に違っている。国内のメディアをみたってそれぞれに違いがある。伝えられている情報やニュースのでどころを考えてみると、鵜呑みにしていいことなのかどうかって疑問が生まれる。伝えられなかったニュースは何故伝えられなかったのかって疑問を持つと、いろんなところの力関係もみえてくる。

ホイットマンの詩で好きなものに「物事を鵜呑みにせずに自分で濾過して物事を見よ」というようなものがあるけど、本当にそう思う。

指導的な立場にいる人たち(国を背負っている人達)、彼らはほんのわずかな人達をのぞいて決して愚かな人達ではないはずである。その人達のまわりには、たくさんの優れた助言者や設計者がいるはずである。では、どうして人々がのぞまないところへ進んでいこうとする人達が多いのか。それが、国を背負っているということなのかもしれない。

では、どうせ動かないものだから仕方がないと思ってしまうのか。動かないものでも動かす努力をしてみてはいいのではないか、考えてみてもいいのではないか。それで動かなかったことでも、何もしなかったこととは結果は同じになっても経過は違う。その経過の積み重ねがいつか必要になるときもあるのではないだろうか...........と。

ノーム・チョムスキーという名を知ったのは言語文化論の授業.........言語機能は生まれながらにして人類に備わっているものだとする理論で習ったのだと思う。でも、この時のわたしはエドワード・サピアのサピア・ウォーフの仮説……言語が思考に影響を与えている、というもののほうに興味を持っていて(これは自分が常々思っていたことのこたえを見つけたような気がしてもっと深く探ってみたいと思った)、チョムスキーの話は面白いなと思いつつも名前を覚えた程度の興味。

その後の授業でも言語の変遷に関するものなどでもチョムスキーが言語学の世界に新風を吹き込んだこと等々名前を耳にすることが多く、とりあえず一冊本を読んでみようかと思って買ったのが生成文法の本(これがまた難しい.......)。

昨年の夏の終わり、エドワード・サイードの「戦争とプロパガンダ」と「イスラム報道」を読んだ。その時、その中でチョムスキーの意見を知り、もう少しサイードの本を読んだら、次は絶対にチョムスキーの本を読むぞと思った。でも、この時点では言語学者のチョムスキーとサイードの本の中に出てきたチョムスキーが同じ人物である確信はもっていなかった(笑)チョムスキーという名前の人には興味深い人が多いなぁなんて、だって、フンボルトだってたくさんいるじゃない.....。

そういえば、湾岸戦争の時のクウェート大使の娘の虚偽の発言(イラク兵が保育器の中の赤ん坊を殺している.....という湾岸戦争の大きな引き金になった証言)について知ったのもこの本の中だった。

その頃、「チョムスキー 9.11 Power and Terror」という映画があると知って公開されたら行きたいなって思っていたのだけど、あまりそのことを目にする機会がなくて........、ここ1年ぐらいは前情報をキャッチして観に行きたいと思う映画はたくさんあるのに実際に観に行ったのは平均的日本人の一年間に映画館で観る映画の本数にプラス1〜2本くらいという状態(あとはDVDやビデオ待ち)、大学生は意外と忙しい.........。

そんなわたしが昨年の12月観に行った映画が「チェ・ゲバラ 人々のために」。そこで予告(?)としてかかったのが「チョムスキー 9.11 Power and Terror」だった。これはもう絶対に呼ばれてる。やっぱり、あのチョムスキーとこのチョムスキーは同じ人だったのね!

よくよく見たらもう随分前から上映してて、しかも今はもうモーニングショーでしか上映していない.......授業はほとんど1限からとってるから観にいけないじゃない.......冬休みは正月もバイトだし。ちょっと落ち込み。
家に帰ってからネット検索したらDVDが出てる!もう一日も早く観たいということでシグロにDVDを注文。すぐに送っていただいて感激でした。

「チョムスキー 9.11 Power and Terror」の中でいちばんずしんときたのは、「私たちは権力者に真実を語るべきではない.......権力者はすでに真実を知っています。私たちから聞く必要などないのです。................私たちは、権力を剥ぎ取り、打ち倒すであろう人々、権力を制限させるであろう人々に向って真実を語らねばなりません.......」というものでした。そう、彼らは知らないのではないのです。より多く知っているからこそしていることの方が多い。

そしてもうひとつ、”9.11” このことをみんなが利用する。

おもてに出ている国だけじゃなく、このことをなんらかの形で利用する人達が出てくることが予想できる。いいえ、もうすでに利用されている。

チョムスキーの講演は自分の意見を押しつけるのではなく、自分が知りえていることをユーモアをきかせた話術で語っていく。豊富な知識の中からほんの少しだけとりだして人々に問いかける。質問者には、相手の顔を目を誠意をもって見つめ相手の質問の真意を探るように語りかけていく。そして、自分が語ったことから、それを聞いた人それぞれが何かを考えることをうながす。映画を見ながら考えはじめる自分を感じた、本を読んでも考えをうながされる........考えてみてくださいとといわれる、調べてみてくださいと心を頭を刺激される。

わたしなどは単純だから、一生懸命考えてみる。でも、知らないことが多いから調べてみようとする。

在学中または卒業後の留学先としての選択肢にドイツやカナダという想いはあっても米国という想いはなかった。でもチョムスキー教授の講演を聞くことが出来るのなら行ってみたいと思わずにはいられないほど魅力的(その前にもう少し語学力が必要か.......バイト代もためなくては........)、とりあえず少しずつ彼の本を読んでいく、生成文法の本はなかなか読み進めないけど、「アメリカが本当に望んでいること」「Noam Chomsky ノーム・チョムスキー」「9・11―アメリカに報復する資格はない!」などを読んでみた。

「チョムスキー 9.11 Power and Terror」と連動している著書「Noam Chomsky ノーム・チョムスキー」(アメリカこそ世界最悪のテロ国家だ。)を読むと、映画の中で語られなかったことや、語られたことの裏側にあるものがわかってくる。チェ・ゲバラの本の中で読んだグァテマラのことや、ケン・ローチ監督の「カルラの歌」で描かれたニカラグアのことや、オリバー・ストーン監督の「サルバドル 遥かなる日々」で描かれたエルサルバドルのこと、中学生のころにネルソン・マンデラコンサートやステヴィー・ワンダーの曲などで知ったアパルトヘイトなどなど、アメリカが関わってきた数多くのことを深く知ることができる。そして、ユダヤ系であるというチョムスキーが語る、イスラエルとパレスチナのこと。そして日本との関係........もっと知りたい要素をどんどん生み出していく。

フセイン政権がしてきたことを肯定する気はない、でも、悪いというと同時に中東のことやイラクの歴史や米国との関係は知るべきだと思う。武装解除は必要だと思う(国連の会議でシリアの代表も言っていたように、イスラエルも含めた中東の地域からの大量破壊兵器の排除........イスラエルも含めたという部分がすごく大切)。

米国の選択は疑問だらけだ。いくら言葉をかぶせても、言ってることは正しいかもしれないけど、やってることは間違っているんじゃないかって。う〜ん、言ってることも彼らには正しいかもと言い直すべきか。そうすると、やっていることも彼らには正しいということになる。

武装解除は必要。では、なぜ査察団の検証が終るまで待てないのか。時間をかけて、それでもだめなときに国際社会がひとつの意見にまとまるのを待てないのか。いろいろと言われているけど、やっぱり納得できない。

戦争で犠牲になるのは、生きる権利のある人々。短期決戦、未だかつてないほどのミサイルを撃ち込んで、空爆を加えて........まんがいち人々に被害がなかったとしても、自分たちの国が破壊されていくのを見て平気な人などいない。そんな中にいて平気な人もいないだろう。戦闘だけでなく、誤爆だってあるかもしれないし、フセイン政権のためではなく自分たちの国のために武器を手にとる人だっている。湾岸戦争での直接的なものや劣化ウラン弾によって被害を受けている人や、その後の度重なる小規模な米軍や英軍の空爆(飛行禁止区域)で被害や犠牲になった人々の感情だってある。難民となっていく人もいる。そのすべての人が戦争の被害者。

その場所に生きる人たちを自分たちと同じ人間ととらえてはいないのか。アフガンでは、どれほどの人が犠牲になったのだろう。破壊された環境がもとにもどるには多大な時間がかかる。一度くずれてしまった生態系はもうもとにはもどらない。

戦争は、どんなにきれいごとを言っても、人を殺す行為を伴うものだし、どんな行為も破壊を生み出す。見えるもの、見えないものを破壊する行為だと思う。

2003.3.20
ADU

SIGLOのチョムスキーのページ
SIGLO 『チョムスキー 9.11』
http://www.cine.co.jp/chomsky9.11/

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