『黒い潮』('54)
『謀殺・下山事件』('81)
監督 山村 聰
監督 熊井 啓


 県立文学館の“日本文学原作の映画上映会”の第六弾『黒い潮』は、ちょうど半世紀前の作品だが、近年急速に関心を集めている“メディア・リテラシー”について考えるうえでも格好の素材となる、時宜を得た上映だった。熊井啓監督による『謀殺・下山事件』('81) を僕が観たのは、もう二十二年も前のことになる。あれは、他殺説に立った、当時の朝日新聞記者の著作を原作としたものだったが、こちらは自殺説に立ったとされる毎日新聞で当時、新聞記者だった井上靖が自身の見聞を元にしたとされている同名小説の映画化である。
 映画では、冒頭でまさしく下山総裁らしき人物が雨の中、列車に飛び込むシーンとそれを目撃する男の姿が映し出されるのだから、明確なる自殺説に立っている。映画のなかで速水デスク(山村 聰)に沈痛なる叫びとして「真実はひとつなのだ」と言わせるのも、冒頭で示された真実に、速水たちが限りなく迫りながらも、最終的には大きな力の前に闇に押し流されてしまう現実を描いていたという形になっている。
 その大きな力というのが“黒い潮”として押し寄せる世論という名の多数意見としての風評や憶測で、とどめを刺すのが警察発表にも圧力を掛け得る強権力の存在というわけだ。実際の下山事件の五年後に製作された映画である。当時の作り手たちは、事実としては自殺だったのに、大量解雇に伴う労組側の暴走かもしれないとの噂に乗じて、当時盛り上がっていた組合運動と左翼活動を抑制しようとした政府の逆コース政策を批判する立場を取っていたのだろう。そのうえで細心の注意を払って描こうとしていたのが、事件を何か政治的な意図やら新聞の売り上げなどに利用する思惑を断固として拒み、あくまで真実そのものに迫り公正な報道に努めようとするジャーナリズム精神の称揚だったように思う。だからこそ、実際の毎日新聞が自殺説に立っていたとされていること以上に、映画のなかの毎朝新聞の速水デスクについて、自殺説をも留保する慎重さで報道に臨む姿が強調されていたのだろう。
 そういう意味では、この日の対談をおこなった猪野睦氏(高知文学学校長)と堀見麻保郎氏(高知新聞論説委員)の話のなかで、松本清張の『日本の黒い霧』を持ち出しながら、映画『黒い潮』の作り手たちがGHQの謀殺説を念頭に置いていたかのように語っていたことについて、僕としては、疑義を禁じ得ない。『日本の黒い霧』は、この映画の製作当時、まだ発表されていないし、少なくとも映画の作りから言って、この作品は、明らかに自殺説に立っている。だが、堀見論説委員が、特に 9.11.以降、報道として何をどう報じるべきなのかを考え直さなければならない状況にあると語っていたことには、賛意を覚えるとともに、氏に対して大いに期待を寄せるところだ。
 それにしても興味深いのは、この作品から三十年近くたって、今度は他殺説に立った『謀殺・下山事件』の脚本を書いているのも、この作品と同じく菊島隆三であることだ。こちらの作品のほうの記憶は、最早かなり怪しくなっているのだが、事件がGHQの謀略であったことを明確に訴えていたように思う。しかし、アメリカの反共政策による陰謀だったとの主張を映画として劇的に打ち出すことへの演出的こだわりがあったのか、その段に入ってからの運びが直線的で、いささか強引だった記憶があり、せっかくの意欲作なのに、惜しい仕上がりだったような気がする。しかし、これには、監督の演出以上に、脚本を書いた菊島自身の下山事件に対する心証が大きく変化せざるを得なかった経過が、反映されていたのかもしれない。つまり、事件当時に誘導された世論にあった左翼系による他殺ではなく、自殺事件の政治的利用だったという『黒い潮』当時の心証が、自殺ではなく他殺だったけれども、それは左翼系の犯行ではなく、GHQによる謀殺だったというものに変わったわけで、『黒い潮』当時に見事に欺かれていたことへの憤慨が、強引とも言えるほどの勢いとして噴出していたのかもしれない。

by ヤマ

'03. 8.31. 県立文学館
'81.11.24.  松   竹



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