『トラフィック』(Traffic)
監督 スティーブン・ソダーバーグ


 昨年『アメリカン・ビューティ』を観たときに、アカデミー賞が取り沙太されるような作品で、アメリカ映画がすっきりした黒白を見せなくなったことに感慨を抱いたものだったが、この作品は、それ以上に善悪を語れなくなっている社会心理のようなものが浮かび上がってきているようで興味深かった。もはやアメリカも若い国ではなくなったのかもしれない。善くも悪くも、成熟社会の一筋縄ではいかない煮えきらなさといったものが支配的になってきているのだろう。
 そういった印象を与えるうえでは、敢えてフォトジェニックな鮮明さを排除した色合いの映像や手持ち撮影が効果を与えており、地理的には相当離れたいくつもの場所を無造作に瞬時に切り替え、テレビ的な地名の入れ方をして映し出すことで、まるでTVの報道映像のような印象をもたらす意図が働いていて、それが功を奏していることは判る。だが、表現としての意欲と効果は認めても、映画としては魅力的なものだとは言い難い印象を持った。あまりに忠実にTVの報道映像を意識したままで綴られていくために、ドラマとしての映画のなかの人物たちの息遣いが伝わってこない。そのくせ、実際の報道映像のような対象化した臨場感が生々しく息づいているわけでもない。
 映画のなかの人物たちが息づき始めたように感じられたのは、身重のヘレーナ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が逮捕された夫カール(スティーブン・バウアー) の謎めいた言葉の意味に気づき、夫に代わって麻薬コネクションの維持と夫の裁判勝訴のための謀略を巡らせ始めたあたりからだ。モンテル刑事(ドン・チードル) やハビエール刑事(ベニチオ・デル・トロ)はそれぞれ相棒を殺され、職務としてだけでなく個人的な感情をもって行動し始め、ロバート判事(マイケル・ダグラス) も麻薬撲滅本部長としての職務で麻薬問題に取り組む、問題解決には一向に繋がらない、アリバイづくり的に取り組む立場を否定する形で、娘キャロライン(エリカ・クリステンセン) を麻薬中毒から救おうと格闘し始める。しかし、これらは全編2時間半近い長尺の既に2時間近くまで来てから後ではなかったろうか。いかにも遅い。
 それにしても、これまでにもアメリカの麻薬問題を扱ったドラマは、シリアスドラマとしても、娯楽アクションドラマとしても、多々あったように思うが、ロバート判事の言葉を借りるまでもなく、この問題が撲滅という形で敵対するには、既に完全に手遅れになっているほどに浸透していることをこんなふうにまざまざと感じさせてくれた作品はなかったのではなかろうか。
 麻薬問題に関して、オランダのような対処法へのドラスティックな切り替えがアメリカほどの巨大国家でできるとは思えないし、オランダの選択がよいのかどうかも判らないが、少なくとも作り手が国家レベルで取り組んでいる今の麻薬問題への対策が、アリバイづくり以上の意味を持っていないことに苛立っていることだけは伝わってきた。麻薬の存在を悪と見なして否定し、敵視、撲滅しようとすることが、現場の刑事の命を奪い、利権抗争や権力との癒着を生んだり、あるいは事業家の妻のつもりでいた素人を子供と生活を守るために殺人指令を出す女に変えることはあっても、誰をも救いそうにはないという、作り手の状況認識が窺われる。だからこそ、アメリカではセンセーショナルな反響を呼んだのだろう。

推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2001/2001_05_14.html

推薦テクスト:「eiga-fan Y's HOMEPAGE」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex
/2001tocinemaindex.html#anchor000609
by ヤマ

'01. 5. 3. 松竹ピカデリー1



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