『日本の悲劇』('53)
監督 木下 恵介


 映画で前面に押し出されていたのは、流しのギター弾き(佐田啓二)の歌う「湯の街エレジー」だったが、僕の印象に残っているのは、去年『暁の脱走』を観たときに印象深かった「♪ツ~ツ~レロレロ、ツ~レ~ロ~♪」という乱痴気騒ぎのなかの歌を、この映画で、望月優子演ずる井上春子が、酔って柱に凭れ、足を投げ出し呟くようにして唄っていたことだった。歌われ方には大きな差がありながら、どちらにも、投げやりで自棄糞めいた哀切が感じられる。『暁の脱走』は、この作品の三年前に公開された大ヒット作のようだから、ひょっとしたら意識して使われていたのかもしれない。

 NHKのテレビ放送が東京で始まった年でもある昭和28年のこの作品は、戦後日本の動乱期をニュースフィルムと新聞の見出しなどで駆け足に辿り、「終戦から八年、しかもなお、政治の貧困」という文字を映し出してから、始まる。生活不安と犯罪の多発を訴え、騒然とした日本の有様が背景にあることを示していたのであろう。けれども、この今からちょうど五十年前の映画を観て思うのは、今以て「それから五十年、しかもなお、政治の貧困」ということであり、春子の子供たちである歌子(桂木洋子)と精一(田浦正己)の生き方が、そのまま戦後日本のその後の歩みのように感じられるということだった。

 歌子も精一も、自らに責のない苦労を戦後の八年間ずっと負わされていたのは、間違いのないことだ。稼ぎのためとはいえ、離れて暮らす母親の水商売が嫌悪の対象となったことにもやむを得ない部分があると思う。だが、彼女に非難と侮蔑の眼差しを投げ掛けながらも、貧しい境遇から抜け出るために、手に職なり、学問を身につけよと続ける母親からの仕送りを頼りに生き延びてきたことも紛れようのない事実なのだ。そして、そのことを子供たる二人がどうにも引き受けられないところが、まさしく日本の悲劇なのだろうと思う。どうしようもない貧困に喘ぎ、自尊心を奪われる境遇に育った己の出自それ自体を拒みたい思いが、そのまま母親への侮蔑と拒否になっていたのだろう。しかしこれは、戦後半世紀以上を経て、日本の復興と経済的繁栄を享受する形で育ってきながら、拝金主義となりふり構わぬ米国追従主義で過ごしてきた日本という国に対して、僕らの世代の多くの者が感じていることに近いもののような気がする。この映画の公開から五年後に生まれた僕が、井上母子を観ていて、そのように感じるとき、母たる春子の自殺は、どうにも気の重いものとならざるを得ない。そして、改めて、戦後の荒廃をもたらした敗戦とそこに向かって突き進んだ大日本帝国という国家の罪の重さを感じないではいられない。

 僕もまた、日本国という名の“井上春子”を母に持っているのだろうと思う。だから、歌子や精一が母親を心情的に拒否していたのが、単に感情的な反発だけではないことが偲ばれる。懸命に断ち切ろうとしても完全に断ち切ることなど到底できないことを宿命づけられた存在であることは知った上での切羽詰まった足掻きだったようにも見えた。

 精一の名前は、精一杯の“精一”だ。酷薄に過ぎる言葉を母親に投げ掛けながら、冷酷さは感じさせない十九歳の青年を田浦正己は、よく演じていた。また、歌子は、貧困生活と性的虐待で受けた傷を心に秘め、男に媚を売る母親を軽蔑するが故に、男に対して屈託を拭えない気の毒な女性だ。父親もなく、父性愛に飢え、愛され必要とされる実感の持てない欠落感に苛まれているようにも見えた。桂木洋子もまた、垢抜けた華と同時に翳りを絶妙に湛えて、英語塾の赤沢教師(上原 謙)相手に見せる危うさと微妙さのなかで、そんな歌子の女心をよく演じていた。

 それにしても、『日本の悲劇』とは意味深長なタイトルだ。当時は、井上母子の見舞われた悲劇を日本社会のもたらした悲劇だとする意味でつけた題名なのだろう。しかし、その題名ゆえに僕は、この映画を五十年後に観て、井上春子に日本という国を想起し、春子の子供たちに日本国民を感じた。国民に愛されない日本という国の悲劇となるわけだが、ひょっとすると当時の作り手たちに、そこまでの意図もあったのだろうか。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
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by ヤマ

'03. 2.23. 春野町ぴあステージ



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