万字炭鉱 深部斜坑跡 探検: 北の細道 万字炭鉱 深部斜坑跡

万字炭鉱 深部斜坑で
   V字の裂け目に牽引車は眠る




北海道岩見沢市

 空港で用いられる車両には、手荷物・貨物を載せたトレーラを牽引する荷物用牽引車、
航空機より貨物類の乗せ降ろしをするハイリフトローダー、ベルトローダー、
航空機自体を牽引する航空機用牽引車などがあり、
大空港では1,000台を超える車両が使われている。

Clark Material Handling Company(クラーク・マテリアル・ハンドリング・カンパニー)、
Clark社は1917年に自社の工場内で資材を運搬するために、
「トラクター」と呼ばれるトラック(牽引車)を製造したのが起源となる。
またこれがフォークリフトの歴史の始まりにもなっている。

第二次世界大戦中の1941年から1945年の間、Clark社はフォークリフトと牽引トラクター
の軍需品のほぼ90%を生産した。
その中でも主要モデルの「クラークトール6シリーズ」(Clarktor 6)は特に有名で、第二次世界大戦中、
連合軍の飛行場には必ずと言っていいほど配置され、生産は1942年から1966年まで続いた。

クラークトール6
クラークトール6

今回紹介の万字炭鉱  深部斜坑は小さな一枚の鉱区図からの発見となる。

深部斜坑
深部斜坑

万字線周辺の炭鉱は 朝日(s50.3閉山) 、相生鉱(s38.8)、上美流渡、中村産業、米川鉱、
北海栗沢(s46.8)、南幌内(s42.12)、三和鉱、兼松、 東幌内美流渡
万字(s51.6) 、 北星(s44.10)、光真鉱(s40.3)、東美流渡(s40.9)などが存在した。

北海道炭礦汽船株式会社(北炭)による開発の進んだ当時は、
大正14年(1915)従業員数2,320名、昭和2年(1927)3,900名、
1日の採炭能力1,500t、選炭機数4台を誇った。

やがて北炭から分離したのは昭和35年(1960)9月、
今回は万字炭砿株式会社となってからの斜坑跡を探索するなかで、
米国からの牽引車を発見する。


なお今回、機械好き 様より多数の情報提供を頂きました。
この場をお借りして、お礼申し上げます。



驢馬・航空機用牽引車・クラークトール6・・・



深部斜坑
深部斜坑





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