炭鉱の静寂に眠る
米軍牽引車の余生
夕張市と万字の境、万字峠。
標高は 約310m、岩見沢側から登る場合は「万字峠」。
夕張側から登る場合は「丁未峠」、万字地区と夕張を繋ぐ重要なルートだ。
山中の平場を進む。
初冬のベストシーズンとなる探索だ。
やがて巻上装置の基礎のような遺構がある。
これは深部斜坑の施設跡となる。
詳細については
La炭鉱跡
をご覧いただきたい。
今回は更に奥地、
坑口の探索を行う。
やがて黄色い廃車体がある。
重機のようだがタイヤは4輪、キャビンもなくハンドルがある。
トラクターのような様相だ。
これは冒頭で解説した米軍の航空機用牽引トラクター、
clark社 clarktor6 aircraft tag クラークトール6だ。
現存するのは非常に珍しいかもしれない。
クラークトール6はアメリカ・クラーク社製の産業用トーイングトラクターで、
空港や工場などでの牽引作業に使われていた。
ニックネームは『donkey(ドンキー)』でこれは驢馬(ロバ)を意味する。
第二次世界大戦中、連合軍の管理下にあった飛行場で、
クラークトール牽引トラクターが配置されていなかった飛行場はなかった。
クラークトール6は、62hpの水冷クライスラー6気筒フラットヘッド・ガソリンエンジンを搭載し、
最高時速25kmで3段ギアボックスを備えていた。
クラークトール6の開発・製造は第二次世界大戦期で主に軍用飛行場で、
航空機や爆弾トレーラーの牽引に使用された。
前面にある大きな穴の開いた板は、バンパープレート(Bumper Plate、緩衝板)と呼ばれるもので、
厚さ約1.3cm(半インチ)の鋼鉄でできていた。
冷却効率を高めるために複数の冷却孔が設けられ、
爆弾トレーラーなどの牽引対象に接触し、ぶつけて移動を行うための接点となる。
その後山中を更に進むと、
深部斜坑の坑口に到達だ。
斜坑口上に配置されるコンクリート設備はファンドリフトと呼ばれる構造物だ。
一部は排気坑口のような様相だ。
斜坑口のファンドリフトは完全に密閉されている。
詳細な資料は発見できなかったが、当初は揚炭坑道、
後期は排気斜坑として使用されたのかもしれない。
水槽のような凹はかつてシロッコファンが配置された跡だ。
左右の基礎で軸を受け、電動のモーターが接続されていたようだ。
マウスon シロッコファン
牽引車が配備されていたのは、おそらく鉱車(トロッコ)を地上部分で操車するためだ。
坑内外の資材運搬や車両移動のために、
頑丈で小回りの利く牽引車が必要だった可能性が高い。
航空機用牽引車が万字炭鉱に存在する経緯の資料は発見できなかったが、
昭和30〜40年代の合理化時代に、海外製の中古機材を導入する例も多く、
クラークトール6がその一環として払い下げ導入された可能性が高い。
クラークトール6はもともと飛行場という比較的平坦で舗装された場所で、
航空機を牽引・プッシュするために特化された車両だ。
不整地が多い炭鉱の現場作業には向いてないので、
存在した場所は平坦に整地された蓋然性が高い。
クラークトール6の基本仕様と特徴としては、
製造期間が1942年〜1966年、牽引力は2トン以上、
運用国はアメリカ空軍(USAAF)、イギリス空軍(RAF)などで1,500台以上が納入された。
文献上もクラークトール6が日本の炭鉱で使われた可能性は低い。
それにもかかわらず、第二次世界大戦中に広く普及した運用牽引トラクタが
万字炭鉱の深部斜坑に残されていることは、歴史の「生きた証人」として大きな意味を持つ。
昭和34年10月27日に新斜坑が大量出水で水没、
その70〜80m落差の位置に坑内ダムを設け塩分濃度の濃い湧水を堰き止める計画がなされた。
結果的にこれは2.5年で償却できるという試算であったが、
やがての閉山への道をたどるきっかけとなってしまった。
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