朔北の虹

まずは三毛別(羽幌本坑)浄水場の機器構成図を見ていただこう。

三毛別川から左上の@集水槽に取水し、右のF配水池までが浄水場のプロセスとなる。
機器構成図

三毛別川から2基のB原水ポンプで取水した川水は、
浄水場の最初の水槽、@集水槽に送水される。
ここではスクリーン(格子)などで土砂が分離される。

次にフィルタを介して、A集水井(しゅうすいせい)に投入される。
集水井は一般には地すべり防止のための井戸を総称するが、
本浄水場では着水井の意味合いで使用されているようだ。

次工程のCプレシピテーターは沈降分離装置と呼ばれる重力を使った微細粒子除去装置だ。
その際、凝集薬剤を用いて混濁粒子(細かなゴミ)を集めて固める。
浄水は隣のD急速ろ過池に流入し、再び薬剤で微粒子を固めつつ砂層に潜らせられる。
コンプレッサーによって空気(泡)が注入され水槽内部は攪拌される。

ろ過が完了した水はE浄水池に流れ、ここで塩素による消毒が行われる。
その後揚水ポンプにより標高130m付近のF配水池に貯留されてから、市街へ流送される。


羽幌本坑(三毛別地区)は羽幌町から約20q東の山中だ。
築別炭鉱 が開坑したのが昭和15年(1940)、 その後、昭和22年(1947)に上羽幌坑が開坑、
遅れること2年後の昭和24年(1949)、最後に開坑したのが 羽幌本坑である。 羽幌市街



基点はこの郵便局の廃祉となる。
付近にはかつて他にも役場支所や映画館、生協などが犇めいていた。
ピーク時の昭和40年には780世帯、3,600人が暮らす街だった。 三毛別



まずは三毛別川を遡り、かつての寮を目指す。
周辺には割烹、美容院、呉服店、時計店が複数あり、
製菓店、パチンコ店も並んだ商店街があった。 新栄寮


付近の高台には鳥居が残存する。
栄町に存在した山神神社の廃祉だ。
築別には大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)が、上羽幌には上羽幌神社が存在した。 (マウスon 鳥居)


笹薮の森を進むと廃道の奥に忽然と現れるのが、
かつての錦町に存在した職員寮『新栄寮』だ。
二階建ての巨大な建屋が残る。 (マウスon 当時)


正面付近の劣化は激しい。
この新栄寮の他に、鉱員用の『栄山寮』、
女子寮であった『弥生寮』が存在した。 玄関


寮に入ってすぐは厨房で、煉瓦製の巨大なかまどが残る。
かまど(竈)は土やレンガの炉の上で、
鍋や釜を設置し、炉の薪によって調理を行う。 かまど


近くには鋳鋼製の巨大な調理器具がある。
恐らく薪用のオーブン装置のようだ。
職員38名分の食事を提供していたのだ。 調理器具


当時から使用したであろう皿も残存する。
鉱員用と職員用の寮は別々で、
ここは事務方である職員用の寮である。 皿



昭和44年1月8日の北海道新聞が残る。
昭和44年の羽幌坑といえば110万t体制の折り紙付きのビルド鉱としてスタートし、
4月から出炭低下、翌年に閉山という過渡期の一年だ。 新聞


羽幌炭礦鉄道職員組合『あゆみと前進』。
そして昭和43年の広報羽幌が残る。
歴史の生き証人だ。 広報はぼろ


部屋の土場から育った大きな木が伸びる。
寮は築炭には3棟(384名)、羽幌鉱にも3棟(159名)
二坑(上羽幌)には3棟(121名)が存在した。 木


玄関ロビーには下駄箱が残る。
生活環境は都会に劣らぬ状態で、
過去の深い山中の炭鉱とはかけ離れた様だった。 玄関


昭和35年現在の羽幌坑の法定外福利費(住宅手当などの法律で義務づけられていないもの)は4,916円で、
一般全産業の2,322円の約倍に相当、
炭鉱は手厚い補助があったのだ。 洗面


暖房用の石炭は1tで20円、家賃不要、入浴料も無料、
電灯、水道代も固定分は無料、
映画鑑賞なども会社が負担していた。 窓


2階部分は屋根がなく、ツタが建物を覆う。
生活物資の配給所も築炭に二店舗、
本坑/二坑にもそれぞれ二店舗が会社直営で存在した。 2階


各個室も青空天井だ。
配給所は米、酒類から衣料、雑貨まで扱い、
まさに『ヤマの百貨店』であった。 部屋


映画館は三山にそれぞれ1か所づつ、
遊園地、美容院も4か所、 歯科医院や理髪所も複数あり、
撞球場(どうきゅうじょう)、つまりビリヤード場も存在した。 階段



付近にはヒグマの足跡が点在する。
音や煙でこちらの存在を十分にアピールしつつ入山する。
彼らのテリトリーに侵入しているのはこちら側だ。 ヒグマ


睦美町あたりに残る炭住街である。
当時は炭住の屋根が虹のように塗り分けられ、
東京からの芸能人(ペギー葉山)には『七色の炭鉱』と形容されたそうである。 睦美町


出炭が100万t/年を超えた昭和36年頃には、
社会人野球やスキージャンプ、バレーボールの強豪チームを持ち、
給与水準も道内炭鉱の一、二位を競う状況となっていた。 炭住街


羽幌本坑の人口は昭和35年に2,426名だったものが、
五年後には3,600名超、10年後には4,300名を超えることとなる。
これは羽幌町全体の15%を占めることとなった。 炭住


エゾノリュウキンカの咲く廃道を進む。
閉山の昭和45年、その二年後の昭和47年には、
人口55名とピーク時の0.012%と相成る。 エゾノリュウキンカ



廃道の奥に忽然と現れた廃墟、三毛別浄水場跡だ。
昭和46年の休止から約50年、
そのベールを脱ぐ。 浄水場


外観は藪に覆われ、自然に埋もれつつある。
建屋は2階建てで、浄水施設の創設時期は上羽幌が昭和26年(1951)、
築別が昭和28年(1953)、本坑が昭和31年と後発の部類となる。 浄水場跡


1階はパイピングギャラリ、つまり配管室だ。
原水、浄水、排水、逆洗、表洗または空気、
溢流(あふれた水)および、ろ過後排水用の各種配管が構成されている。 パイピングギャラリ



配管の太さは50Aから125A程度のミリメートル系A呼称規格のようだ。
50Aは2インチ(外形60.5o)、125Aは5インチ(外形139.8o)、
JIS規格の新しい配管だ。 配管


築別浄水場が異形鋳鉄管だったのに対し
上羽幌浄水場と同様に新しいA呼称配管、
上羽幌/本坑は水量拡張されたのが昭和37年以降であるためだと思われる。
(築別は昭和35年) 配管


これは配管を開閉するゲートバルブである。
おそらく延長されたハンドルをもって、
2階操作室から開閉していたようだ。 ボールバルブ


これが建屋外部の最初の水槽、A集水井(しゅうすいせい)だ。
建屋地下にかけてあり、
今は並々と水が満たされ水深は4〜5m超のはずだ。 (マウスon 配置図)


建物地下の集水井に繋がる降下口だ。
取水ポンプで川の水を吸い上げた後、
源水の圧力変化を落ち着かせるために、一旦静水するタンクだ。 集水井


ここからは酸素濃度等を計測しながらの探索となる。
地下のタンク、密閉された部屋、
現在の濃度は20.9%、問題なしだ。 酸素濃度計


付近には浄水池水位計がある。
機器はすでに存在しないが、
堰の水位と ろ過池水位の差を検出する水位差計が設置されていたはずだ。 浄水池水位計


一階には原水ポンプとろ過流量制御装置が設置されていた。
ろ過池の砂層が目詰まりして流れにくくなると配管の圧力が上昇する。
その圧力上昇の損失を水が吹き上がる高さで表したものを損失水頭(単位(m))で表す。 損失水頭


計測器に導かれる配管が並ぶ。
その損失水頭に連動してバルブの流量を変動させるのが ろ過流量制御装置だ。
流れが悪くなっても、ろ過流量を一定に調節するのが目的だ。 ろ過流量制御装置


パイピングギャラリから建屋2階へ昇る。
各水槽は地下、そして1〜2階にかけて存在する。
建物内には所狭しと機器が存在する。 2階


2階には1階にかけての大きな水槽が3か所ある。
奥からCプレシピテータ、D急速ろ過池が二槽、
意外と荒廃は少ない。 (マウスon 配置図)


ここは最も上流の水槽『Cプレシピテーター』だ。
沈降分離装置と呼ばれるもので、大量の微細混濁粒子(ゴミ)を重力の作用によって
清澄な液体と濃厚スラッジ(沈殿物)に分離する装置だ。 プレシピテーター


凝集剤と言われる薬剤と河川水を槽内に流入させ、
底にある撹拌翼の回転によりゆっくりと混合撹拌される。
凝集剤で集まった細かい汚れ達はフロックという塊となる。 プレシピテーター



生成したフロックを含む水は円錐の底から外側の円錐部(見えない)に流入し上昇流となる。
上昇流の速度とフロックの沈む速度が釣り合ったところで、
それより上部外淵から上澄浄水は溢流(あふれる)し、フロックは沈殿排出される。 沈降分離装置


浄水機器の操作机盤である。
ブローオフ(遮断により行き場の失った圧力を逃がす)、
逆洗/表洗ポンプ、ろ過池切替等のスイッチがある。 操作机盤


Cプレシピテーター下流に並ぶD1号ろ過池と2号ろ過池である。
これは急速濾過と呼ばれる、120〜150m/日の速度で ろ過砂内に河川水を通す方法だ。
緩速ろ過の4〜5m/日に対して30〜50倍という ろ過速度を持ち、
ここでも凝集剤を投入、生成したフロックを ろ過砂で除去する。 急速ろ過池


今は ろ過砂が無く、底が見えているが、
左右に2本ある桶は『排水桶』と呼ばれるもので、
目詰まりした ろ過砂を底から洗浄する『逆洗』時の排水を均一にするための水路である。 1号ろ過池


排水桶は鋼製で当時は船底塗料を塗布し防錆していた。
排水桶は定期的な補修が必要であり、
やがてFRP(繊維強化プラスチック)製のものとなった。 2号ろ過池


計器自体はもうないが、これは水銀式ベンチュリメータだ。
U字管内の水銀面にベークライト製のフロートを浮べて、
差圧によるフロートの浮き沈みをラックギヤとピニオンギヤで機械的に取り出すものであった。
つまり流量を測定する装置で、管の途中に狭い曲がった部分を設け、流体の圧力差から流量を求める。 ベンチュリメータ


これは『自動湿式薬品注入装置』(定濃度調整装置)である。
「硫酸バンド」 水中に浮遊するマイナスの電荷の懸濁成分を中和、固めて沈殿させると呼ばれる微細混濁粒子を結合し固める薬剤を
既定の濃度にする機器だ。 自動湿式薬品注入装置


その水槽上部にあるオートフィーダー装置。
振動をもって粉薬を定量投入する機械だ。
その時期の河川水に合った硫酸バンド溶液を作成するのが目的だ。 フィーダー


オートフィーダーの隣にある定濃度薬品注入装置である。
硫酸バンドを適量投入し、
浮遊物同士の反発をなくしてを効率よく中和して集め沈殿させるのだ。 定濃度薬品注入装置


未だ残る硫酸「礬土」(=バンド)はアルミニウムの硫酸塩で、
水中に浮遊する懸濁成分内に注入すると、加水分解してプラスの電荷を持ち、
浮遊物同士の反発をなくしてを効率よく中和して集め沈殿させる。 硫酸バンド


付近に残る凝集反応試験機(ジャーテスタ)だ。
河川水は時期や雨の後では汚れ方が変化する。
現状の河川水に対しての薬剤効果を都度、検査していたのだ。 凝集反応試験機


ジャーテスタは1/16馬力の単相変速モータを減速装置により適度な回転数にして、
6組の攪拌軸に取り付けられた攪拌羽根を試験瓶中の原水内で回転させて
凝集状況の進行(凝集反応)の適否を比較して最適注入量を決定する試験器である。 凝集反応試験機


表洗は ろ過池内部表面を水圧を利用してノズルを回転させながら砂の表面を洗浄する。
洗浄前には ろ過池への流入を停止し
池内の水位が一定面まで低下した時点で洗浄される。 表洗


上流から下流への一方向への流れでは ろ材の目詰まりが発生する。
逆洗とは一時的に下流から上流へ逆流させることで
ろ材に溜まった汚れを取り除く洗浄工程である。 逆洗


これは ろ過池損失水水頭計だ。
フロックで目詰まりし流れにくくなった ろ過砂上流では水の流れが滞り、圧力が上昇する。
もしその配管上に小さな穴を開けると真上に水が吹き上がる。
この吹き上がる水の高さを圧力として表示したのが水頭計だ。 損失水頭


二階には古いブラウン管のテレビが残る。
かつては24時間、担当者が常駐し、
浄水設備を稼働させていたのだろう。 マウスon テレビ


ろ過池の並びのフロアには制御室がある。
通常の浄水工程に加えて、表洗や逆洗の工程や
水質(Ph)によっては石灰の投入コントロールなどが必要となる。 制御室


キュービクルも残存している。
過電流時の切断用継電器や各種マグネット(電磁開閉器)が装備されている。
ポンプ、コンプレッサー、電灯類と各電気の制御が行われていたのだ。 高圧受電盤


今は亡きOCB(Oil Circuit Breaker)油遮断器だ。
絶縁油の中で接点を開閉し、油による冷却などを利用して消弧する遮断器である。
油の劣化保守の必要性や火災のおそれがあるため、今では真空遮断器が使用される。 油遮断器


制御盤裏面の機器は悉く外されている。
コンデンサーやブレーカーなど
高価な機器もあったのかも知れない。 制御盤


既に機器は搬出されているが、
表洗/逆洗のポンプが設置されていたであろう架台の跡である。
ろ過池は定期的に洗浄されていたのだ。 マウスon 機器構成図


浄水場外観は酷く苔むして、
自然に帰りつつある。
付近の浄水池と塩素消毒の機構は確認できなかった。 外観




ここからは移動して130m上部の配水池の探索だ。
浄水場で浄化された水を一旦、山の上のタンクに移送し、
配水量と給水量のバランスを司るのが配水池の主機能だ。 窓


延々廃道を登るとRC製の遺構が現れる。
配水池のタンク設備だ。
浄水施設では毎時一定量の浄水が送水される。 タンク


かなりの深さのあるタンクだ。
実際の給水量は時間帯によって変化があり、日中と夜間でも一定ではない。
夜間は貯水、日中は浄水処理量以上に給水することもある。 マウスon 機器構成図


付近には別の遺構もある。
配水池の有効容量は時間変動以外に、
火災などの消火非常時用水も考慮される。 遺構


遺構の内部にはバルブやハンドル、配管が残る。
恐らく複数の配水池への給水や、
ポンプによる送水を司っていたのであろう。 バルブ


手動開閉台の痕跡もある。
地下埋設のバルブやゲートの開閉操作を、
地上から行う装置で、つまりこの下部にもタンクが存在するということだ。 手動開閉台


苔むしたメーター、これは電動水位計だ。
遠隔地の配水池水位変化を電送して、指示計・記録計に水位表示をするもので、
計器はこの発信器と浄水場の受信器で構成されている。 電動水位計


別の大きな水槽がある。
配水池を設置する場所は山上が多く、
適度な高さが確保できれば、自然流下方式により街に給水できる。 配水池


付近で最大の遺構、半地下式の巨大水槽だ。
格子状の区切りがあり、
鉄筋コンクリート製の調整井である。 調整井


深さは2m程度と浅い。
時代によって追加されたのか、非常時対策なのか、
配水池は御覧のように分散配置されていた。 水槽


調整井の傍には一眼式の水位差計(G量水器)が残存する。
ろ過速度/ろ過流量/堰とろ過池の水位差計/水深を表示するメーターだ。
内部で複数の円盤が回転、各種の値を同時に表示する。 水位差計


これは機械的な流量計のフロートパイプかもしれない。
かつての生活の基礎、
浄水設備は苔むしつつも色濃く残る。 窓







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