築別炭鉱 選炭場跡  探検: 北の細道 築別炭鉱 選炭場跡

築別炭鉱 選炭場でバウム式ジグを見る




北海道羽幌町

   採掘したままの石炭(原炭)から不要な鉱物(大部分はズリ)を取り除き、
大きさを塊・粒・粉などに分類し、必用に応じて銘柄の異なるものをブレンドして、
市場性の高い商品(=精炭)に仕上げる操作を選炭という。

選炭前の原炭は貯蔵⇒ふるい分け⇒予選⇒破砕を経て、選別工程に回される。
各種選炭方法としては大きく以下の四種がある。


@手選・・・石炭とズリの外観の違いを利用して、人手にて選別する方法。

A重液選別・・ 「重液」適当な比重をもつ液   を用いて石炭のみをその液面に浮上させる方法。
  石炭の比重は1.3〜1.9、ズリ・岩石は2.5〜、比重2.0程度の重液を作り、
  鉱石を重液に投入すると、重液より軽い石炭は浮き、重い岩石は沈む。

B比重選炭・・・水力・風力などの外力で石炭とズリの比重差により異なる運動をすることを
  利用して選別する方法。
  水中に空気で波を起こしたり、脈動(=ブルブル)させたり、網を上下動させて分離を行う。
  また、空気選炭機は風力によって軽い石炭と重いズリを仕分けることができる日本独自のものである。

C浮遊選炭・・・水に濡れにくい石炭の微粒子を気泡の表面に付着させて水面に浮かび上がらせ、
  この性質のない不要な粒子を水中に残留させることで分離させる。


築別炭鉱は明治・大正期にも鉱区が設定され採炭されたが、
昭和14年(1938)以降に本格的開発が進むこととなる。

戦時下体制における石炭増産という時代の要求を背景に、鉄道敷設(s14)、羽幌炭鉱鉄道株式会社設立(s15)、
太平洋戦争勃発(s16)との流れの経て、資材・労働力不足の中、増産が叫ばれた。
終戦(s20 )、増産五か年計画(s23)、年産10万t突破(s24)、大ストライキ(s25)、第一選炭工場(s30)、
そして待望の年産100万tを実現した昭和36年(1961)からは
重油の進出による石炭業界の不況にもかかわらず躍進を遂げる。
しかしながら、その後斜陽期を迎え、昭和40年前後から経営危機、
大幅合理化の実施もむなしく、昭和45年11月閉山を迎える。

その中で今回は、昭和34年(1959)10月完成、総工費1億8,000万円を投じた第二選炭工場を探索する。
エネルギー革命の進行と共に、国内の景気とも連動しない構造的な問題をはらむ石炭産業の暗い影の中、
期待に膨らむ新たなメカニズムを持っていた選炭工場を見ていただこう。











シックナー・バウムジグ・廃祉・・・



prayfor3104
( ̄u ̄;)シックナー





トップページへ