羽幌炭鉱 上羽幌坑跡  探検: 北の細道 上羽幌坑

上羽幌坑で烏合の衆の城跡をみる




北海道羽幌町

   『石炭は太陽エネルギーの貯蔵庫である』
地中深くの熱エネルギー源はかつて、太陽の光線エネルギーを受けて生育した、
植物であり、それに動物の体内の炭酸ガスや水が反応してできたものである。

自然界の一定不変の 「棲息循環」水の循環など非生物的な要因と光合成などが組み合わさって 起こるエネルギー循環 の法則に従って生育、そして枯死する植物の遺体は、
沼沢地などに堆積した場合、酸素が欠乏したり、
バクテリアの死滅により腐朽することなく、スポンジ状の泥炭となる。

泥炭の上に累層した砂岩の何億年という圧力によって、
水分が絞り出され含有する酸素を失い、褐炭は瀝青炭に進化し、
条件によっては更に高品質な無煙炭となる。


地球の歴史が20〜30億年とすると、一般にこれは四時代に分割される。
第一時代のカンブリヤ紀5億年は生物の発生はなく、
第二期の古生代になって脊椎動物である魚類が現れ次に両棲類が生まれた。
この古代紀の終わりに大きな植物の繁茂が起こり、死滅したこれら巨木が石炭の原点となる。
第三期のジュラ〜白亜紀にはシダやワラビのような半歯植物が茂り、
新世代の第三期には現代と同様の松柏科の植物が繁殖する。
それら各世代の樹木が流され堆積し、長い年月をかけて石炭となる。


道北の日本海側、羽幌炭鉱は 築別坑羽幌本坑
そして上羽幌坑の三ブロックに分かれていた。

明治40年(1907)頃に小樽から北上した方が、
上羽幌で石炭を採掘していた記録があるが、
明治45年には引き揚げてしまったとのことだ。

昭和22年(1947)から曙・羽幌地区開発に伴い、
再び上羽幌でも石炭採掘が進められる。
昭和35年(1960)には付近は当初の26倍の人口となり、隆盛を極める。
しかしながら、昭和30年代後半には、
石炭業界の不振が継続し、
昭和45年(1970)11月2日、閉山を迎える。


ひっそりとした上羽幌地区の炭鉱跡を探索してみよう。



連斜坑口・浴場・貯炭場・・・



浴場
( ̄u ̄;)浴場





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