芦別鉱業所 第一坑跡 探検: 北の細道 芦別炭鉱 第一坑

三井石炭鉱業 芦別鉱業所 第一坑で思秋期のダットラに遭う



北海道芦別市

 炭鉱で採掘した石炭はその選炭過程で塊から粒、場合によっては粉化する。
微粉炭と呼ばれる非常に細かい石炭粉は、機械化が進むにつれてその割合が増加していった。
かつての炭鉱地帯を流れる川はこの微粉炭が混じり、黒い川と化していたようだが、
技術が進むにつれてこの微粉炭は回収、用いられたのが浮遊選炭法である。

微粉が水中で混濁している泥状の混合物はパルプ(スラリ)と呼ばれ、
これを水分と固形物に分離するのが浮選機である。
水槽に気泡剤として界面活性剤(アルコール類など)を入れたものに、
無数の小気泡を作り、その表面張力によって水より重い微粒子を浮上捕捉させるのである。

その場合、石炭微粉のみを効果的に捕捉するためには廃石との大きな違い、
つまり炭素に反応する茶灯油のような捕集剤を利用して、
石炭表面に馴染みやすい状況を意図的に作り廃石と区分する。
直径960o、高さ1380o程度の円形の水槽の底部で 「インペラ」遠心力で吸入空気や液体などに回転エネルギーを与え、圧縮する羽根車 が回転し、
その回転翼を回す縦筒から空気を吸引し、遠心力で多数の小気泡となったものを水槽内に循環させる。
これが『ファーレンワルド浮選機』であり、本サイズ(#21)なら10t/日の微粉炭を処理できた。

 かつて芦別には47の炭鉱が犇めいており、
その中でも芦別五山(三井芦別三菱芦別油谷明治上芦別、高根)と呼ばれる主要炭鉱のうち、
三井芦別炭鉱の閉山は平成4年(1992)と最後まで操業した。

三井芦別炭鉱は大きく分けると昭和14年(1939)開坑の第一坑(西芦別地区)、
昭和19年(1944)開坑の第二坑(頼成地区)、 昭和22年(1947)からの 黄金坑と三鉱区が稼働していた。
これら各鉱区に選炭工場がそれぞれ存在し、
そのうち、第一/第二坑はやがて昭和40年(1965)に総合選炭場として第二坑に統合される。

今回訪れたのは第一坑の中でも、採掘区域である炭山川上流域ではなく、
その採掘地域と昭和14年(1939)に4qの隧道で結ばれた、
市街地に近い三井芦別鉄道 入山停留所付近の選炭施設跡である。

かつては機械・電気・蓄電池機関車・電車・炭車修理工場と、
原炭ポケット、選炭機などが犇めいていた地域であり遺構への期待も高かった。
しかしながら現地は道なき廃道で、藪の中に突然レールが出現するような状態、
道迷い、獣害には十分配慮して入山したいと思う。




貯炭槽・材料捲隧道・原炭ポケット・・・


第一坑
西芦別



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