三菱芦別炭鉱 第2坑跡  探検: 北の細道 三菱芦別炭鉱 第2坑跡

三菱芦別炭鉱 第2坑でシロッコ扇風機に遭う




北海道芦別市

  新鮮な空気は主として酸素(21%)と窒素(79%)との混合物で、これに少量の炭酸ガス等を含んでいる。
坑内通気は必要な空気の供給、有害ガスの排除または希薄、
そして坑内の冷却を目的とし、それに伴い労働環境の改善と坑内保安の維持が確保される。

坑内通気には2個以上の坑口が必要となり、新鮮な空気の進入する入気坑口と、
もう一方は不良空気排出のための排気坑口となる。


入気量は坑内人員や爆発瓦礫の含有率により定められる。
また排気量は入気量に比較して多い。
これは坑外より坑内の温度や湿度が高く、空気の容積は多くなるためである。
(一般に気体は温度が高いほど密度が低くなる)


水が高いところから低いところに流れるように、空気も気圧の高い方から低い方に流れる。
これら通気圧と坑内外の温度差が自然通気の原動力となる。
ところが温度差は四季により変化し、夏冬では逆の流れとなり、春秋には流通停止もあり得る。

そのため人工通気によって、坑口に扇風機を設置し安定した通気を確保するのである。


扇風機を入気坑口に取り付け、大気圧より高い気圧を作り坑内に吹き込む場合と、
排気坑口に取り付けて、逆に吸い出す場合の2種がある。

扇風機の主要部分は羽根車と呼び、1本の軸に多数の板状の羽根を取り付けたもので、
これを高回転させれば、空気の押出と吸込みが起こり気流を発生させる。
押出される空気は圧縮され密度は増加し、吸い込まれる空気は大気圧より希薄となり、
密度が小さくなり気圧差が生じることとなる。

空気が車軸と同方向に吸い込まれ、吸込みの反対側から吐出するものを「螺旋扇風機」と呼び、
キャペル・チャンピョン・ターボ型がある。

また、羽根車の側面から吸入し90°の方向転換をして排出するものを「渦巻扇風機」といい、
これにはラトー・シロッコ型がある。


上芦別地域を中心に、三菱財閥資本として芦別炭鉱が開業したのは大正6年10月。
著名な西芦別・頼成地域に三井財閥が炭鉱を開業した昭和13年より以前の話である。
将来の有望性を見越して地質調査等は早くから施工されていたようだが、
当時、高島(九州)、美唄大夕張
十三炭鉱の開発に着手していた経緯もあり、当初の芦別炭鉱の位置付けは後退したものであった。

大正9年には上芦別駅から分岐し加藤沢に至る専用軌道が敷設され、本格的出炭体制が促進する。
第1坑・第2坑〜第5坑・金剛坑などが開坑され、鉱夫数も618名に及んだ。

ところが昭和年代に入る頃には、不況の波が押し寄せ、
経営の合理化や非能率炭鉱の休・廃山が加速することとなる。
そして本鉱区は南北に細長く、薄い石炭層の間に石炭を含まない地層が存在していたために、
分断され独立した地塊ごとに坑口を設けねばならず、地質構造上の不利は免れなかった。

低迷する石炭業界の中、南樺太方面の炭鉱採掘に着手した財閥は昭和7年9月をもって
芦別鉱業所の稼行を休止した。
大正6年の出炭開始以降、17年間稼行の芦別炭鉱は閉山を迎える。

その中でも今回は東頼成地域に存在した、第2坑を探索する。
そこには扇風機の巨大な廃祉が残存した。









扇風機・ターボコノイタルファン・廃線跡・・・


扇風機
( ̄u ̄;)扇風機



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