オランダの歴史
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なぜ、オランダが航海術で優れていたのでしょうか?・・・スペインの支配下にある時期があったからです。 ここで、オランダの歴史について学んでおきましょう! ![]() 学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。 「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。 自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。 【ローマ帝国時代】 (01)ネーデルラント・・・「低地の国々」を意味します。 現在のベルギー・オランダ・ルクセンブルク。 (02)ガリア戦争(高2)・・・紀元前58年に、ローマ帝国の侵攻を受け、以降、その支配下になりました。 (疑問1)「ローマ帝国」って、何? → こちら (03)4世紀(高2)・・・ゲルマン人の大移動期、ネーデルラントは通り道となっていました。 (04)395年・・・テオドシウス1世が死去すると、ローマが東西に分裂し、ネーデルラントは西ローマに。 【フランク王国時代】 (05)6世紀(高2)・・・フランク王国が西ローマ帝国からネーデルラントを奪いました。 (疑問2)「フランク王国」って、何? → こちら (06)843年・・・フランク王国が3つに分裂。 ネーデルラントは「中フランク王国」に所属しました。 (07)855年・・・中フランク王国が3つに分裂。 ネーデルラントは「ロタリンギア王国」に所属。 (08)メルセン条約(高2)・・・ロタリンギア王国が東フランク王国に吸収されました。 (09)884年・・・分裂していた元フランク王国が集結しました。 【ドイツ王国時代】 (10)888年・・・集結したフランク王国が再び分裂。 ネーデルラントは、再度「東フランク王国」へ。 (11)ドイツ王国・・・国王がフランク人からザクセン人に代わったことで、国称も変化しました。 (疑問3)「ドイツ王国」って、何? → こちら (12)1273年(高2)・・・ハプスブルク家が台頭してきました。 (13)1439年・・・ハプスブルク朝が成立し、ネーデルラントはハプスブルク家の領土となりました。 【スペインの支配下】 (14)1516年(高2)・・・ハプスブルク家のカルロス1世がスペイン国王に即位しました。 (15)これにより・・・ハプスブルク家の本拠地がスペインとなりました。 (16)フェリペ2世・・・カルロス1世の子。 スペイン国王となり、ネーデルラントの自治権を奪いました。 (疑問3)スペインの支配下にあったことは理解できました。 スペインの支配下にあったため、航海術に優れたのだとしたら、 先だって、スペインの航海術が優れていたことになります。 なぜ、スペインは、航海術に長けていたのでしょうか? → こちら 【スペインから独立】 (17)1568年(高2)・・・ネーデルラントの人々は、自治権の回復を求めて、独立運動を開始しました。 (18)1581年(高2)・・・独立を宣言して、ネーデルラント連邦共和国を建設しました。 (19)1609年・・・イギリスやフランスなど、新教諸侯の援助を得て、事実上の独立を確保しました。 (疑問4)「新教(プロテスタント)諸侯の援助」とあります。 ・・・ということは、スペイン支配下のオランダには 自治権の剥奪以外に、宗教的な拘束もあったと考えられ、 スペインが旧教(カトリック)であったことが伺えます。 なぜ、スペインはカトリックだったのでしょうか? → こちら (20)1648年(高2)・・・ウェストファリア条約にて、正式に、スペインから独立しました。 【オランダの栄枯盛衰】 (21)1602年・・・東インド会社を設立。 ジャワ島を本拠地として、ポルトガルを追い出しました。 (22)1609年(高2)・・・日本の平戸に来ました。 (23)1623年(高2)・・・インドネシア地域から、イギリス勢力を追い出しました。 (24)1624年(高2)・・・台湾を占領して、中国とも貿易しました。 (25)17世紀前半・・・ヨーロッパ第1の貿易国へと浮上しました。 (26)17世紀後半・・・調子に乗り過ぎたオランダを、イギリスが一喝! (27)英蘭戦争(高2)・・・イギリスに敗れたオランダは、衰退していきました。 「時間の単位」の一覧へ |
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