フランク王国

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4〜6世紀にかけて、スカンジナビア半島南部からバルト海沿岸に居たゲルマン人が南下しました(こちら)。

東ゲルマン民族は、原住地を確保することなく、どんどん南下していきました。

新天地への移動は素早かったのですが、新しい土地に支配権を樹立できなかったので、短命に終わりました。

一方、西ゲルマン民族は、原住地を確保しながら、膨張する形で南下していきました。

移動のスピードは遅かったのですが、着実に発展していきました。

西ゲルマン民族の一派フランク人は、フランク王国を建て、ローマ教会との関係を強化しました。



学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。

「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。

自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。

カッコ内は、文部科学省の学習指導要領に従った、目安となる履修学年です。



【フランク王国】


(01)
フランク王国・・・メロビング家のクロービスが、10余りの小国に分立していたフランク人を統一。

(02)
500年前後の領土(高2)・・・南方に進出して、ガリアを征服し、ピレネー山脈まで。

(03)
8世紀(高2)・・・後ウマイヤ朝のイスラム軍がガリアに侵入してきました。

(04)
カール・マルテル・・・これを破り、フランク王国と西ヨーロッパのキリスト教世界を守りました。

(05)
カロリング朝(高2)・・・カール・マルテルの子ピピンがフランク王位を奪って樹立しました。

(06)
ピピン(高2)・・・北イタリアの土地をローマ教皇に寄進しました。 ローマ教皇領の起源です。

(07)
ローマ教皇・・・ピピンの王位を承認しました。 フランク王国とローマ教会の提携の始まりです。

(08)
ローマ教会・・・西ローマの滅亡後、ビザンツに従属させられるも、フランク王国との関係を強めた。

(09)
カール大帝(高2)・・・ピピンの子。 西ヨーロッパの重要部分を統一し、中央集権に努めました。

(10)
800年(高2)・・・ローマ教皇がカール大帝に帝冠を授けました。 “西ローマ帝国”の復活です。

(11)
“西ローマ帝国”・・・「ローマ」「キリスト」「ゲルマン」の3要素が融合。 西ヨーロッパの基礎。

(12)
870年・・・フランク王国が、西フランク(フランス)・東フランク(ドイツ)・イタリアに分裂。



【キリスト教会】


(13)
1054年(高2)・・・キリスト教世界が、西方教会と東方教会に分裂しました。

(14)
西方教会(高2)・・・ローマ教皇を首長とする「ローマ・カトリック教会」のことです。

(15)
東方教会(高2)・・・ビザンツ皇帝を首長とする「ギリシア正教会」のことです。



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