ハプスブルク家

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(東フランク王国)→(ドイツ王国)→(ローマ王国)と変遷したわけですが、

1250年から1273年にかけて、“空白の期間”である「大空位時代」があります。

1272年の国王選挙において、ハプスブルク家のルドルフ1世が選ばれ、1273年に即位しますが、

世襲制を嫌った諸侯の意見により、ここからしばらくは“跳躍選挙”が行われます。



学ぶ項目を、ステップを細かく分けて一覧にしました。

「この項目は大丈夫だな。」と思うものは飛ばしてもらって結構です。

自分に必要な項目だけを学べば良いでしょう。



【ハプスブルク朝の成立】


(01)
ハインリヒ7世・・・ルクセンブルク家。 第25代神聖ローマ皇帝。

(02)
ルートヴィヒ4世・・・ヴィッテルスバッハ家。 第26代神聖ローマ皇帝。

               (※)東フランク国王のルートヴィヒ4世とは異なります。

(03)
カール4世・・・ルクセンブルク家。 第27代神聖ローマ皇帝。 世襲制を復活させました。

(04)
ヴェンツェル・・・カール4世の子。 国政に無関心で、ループレヒト3世に交代しました。

(05)
ループレヒト3世・・・ヴィッテルスバッハ家。 しかし、この権力も弱く、1410年に死去。

(06)
ジキスムント・・・ヴェンツェルの異母弟でハンガリー王。 第28代神聖ローマ皇帝。

(07)
1437年・・・ジキスムントが死去。その娘婿アルブレヒトがハンガリーとボヘミアの王位を継承。

(08)
アルブレヒト・・・ハプスブルク家。 治世はあまりに短く、1439年に交代しました。

(09)
フリードリヒ5世・・・アルブレヒトの又従弟でオーストリア公。 アルブレヒトの後を継ぎました。

(10)
ハプスブルク朝・・・フリードリヒ5世から始まり、神聖ローマ帝国が消滅するまで。

(11)
フリードリヒ3世・・・フリードリヒ5世と同一人物ですが、第29代神聖ローマ皇帝としての名称。



【婚姻政策】


(12)
1494年・・・フリードリヒ3世(フリードリヒ5世)の死後、その子マクシミリアン1世が継承。

(13)
マクシミリアン1世・・・第30代神聖ローマ皇帝。 以降、載冠せずとも皇帝を称することとなる。

                神聖ローマ帝国としては、戦争で連戦連敗であり、弱体化しました。

                一方で、ハプスブルク家としての婚姻政策では、大成功を収めていました。

(14)
1500年・・・マクシミリアン1世の子フィリップをスペイン王女フアナと結婚させました。

(15)
2人の子・・・フィリップとフアナの間に、カルロスとフェルディナントの兄弟が生まれました。

(16)
カルロス・・・1516年、スペイン国・ナポリ国・シチリア国の王に即位しました。

(17)
フェルディナント・・・ハンガリー・ボヘミアの王女アンナと結婚し、1526年に、この地へ復帰。



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