韓国愛想 | 岡登久夫 |
序 韓国に行くことになった。木浦に行き、ガンギエイを醗酵させたホンオフェというものを食べるのが目的である。アンモニア臭が強烈な食べ物でクサヤ以上に食べ辛いと聞いていたので闘志を燃やしていた。一度食べると癖になるとも聞いていた。 韓国訪問は、何回目であろうか。少なくとも七回は行っている。ソウル、安東、釜山、慶州などの観光地はほとんどお邪魔した。全羅道だけは足を踏み入れたことが無かった。全羅道に行くことにした。韓国の友達が行きたがらなかった。行く必要がないと言う。友達は、釜山の方々が多い。全羅道を一段低い地域と見ている。 釜山は慶尚道であり、旧新羅である。全羅道は、旧百済である。百済は、新羅・唐連合軍に負け滅亡した。歴代の大統領は、金大中を除いて全て慶尚道出身者である。全羅道には金大中が大統領になって初めて政府投資が行われたが、それまでは置き忘れられた土地であり、交通網の整備が最も遅れていた。そのおかげで古い風景が残されているともいえる。 日本人にとって全羅道(百済)は最も関係の強い地域である。交流が深かった。百済観音をはじめ百済寺、白村江の闘いなどさまざまなことが知られ、奈良を歩くと日本との深い関係を覗い知ることができる。 日韓友好に貢献したいと思っている。 父は埼玉県入間郡高麗村(現 高麗神社には、韓国人の参拝が多い。隣の若光の墓がある正殿院には、韓国人の墓も数多く見うけられる。街なかを歩くとハングルが聞こえることがある。知人も朝鮮人と結婚した。そうしたこともあり、幼い頃から韓国に親しみを感じていた。朝鮮を知りたいと思っていた。 今回の韓国訪問の主旨を友人の大学教授I氏に伝え、行程を組んでもらった。五泊六日の旅である。木浦は必であり、窯元を訪ねたいことも伝えてあった。お互いの旧知の女性達とも会いたいと伝えた。吾が方は平均年齢六十五歳の五人となった。女性が二人、男性が三人である。強行軍で身体が保つかと心配になった。 |
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