韓国愛想  第四日目  
  
 朝、ユンさんに村を案内していただいた。朝の霧雨に濡れた青味がかった泉石の石畳が気持ちよい。急なのぼり坂道の両側には、黄色い土壁の藁葺き屋根を持つ家が並ぶ。どこの家も手入れが行き届いている。積み石の塀が美しい。コスモスやポンポンダリヤが咲いている。いかにも古そうと思われる黒瓦屋根の書院が、四軒建つ。論語を読む子ども達の声が聞こえそうである。突き当たった一段高いところに礼堂がある。質素な建物ではあるが品格を感じる。真っ白な障子が輝いて見える。玉砂利の音が清清しい。一匹の小さな緑色の蛙がいた。じ〜っとして動かない。礼堂前庭からは村が一望できる。村全体がうっそうとした緑に囲まれていた。行き交う男は、皆、真っ白な韓服ドポを着て、両班の帽子を被っている。
 青鶴洞道人村は、一九七〇年に発見されて脚光を浴びた人口一〇〇人ほどの村である。「儒仏仙三道合一更正儒道会」という更定儒教を信仰する集団が住む。戦争の機運が高まりつつあった一九二〇年代に、バラバラに住んでいた更定儒教の信者が、標高八〇〇メートルある智異山中腹の青鶴洞に集まり住み、道人村を形成したという。李氏朝鮮時代の両班の服装をして生活している。自給自足であった。養蜂をし、山菜や薬草を採り、養鶏などもしている。子ども達は、学校に行かず書院で勉強をしていた。儒教や漢文の勉強が中心だった。ユンさんは、書院の校長ともいえる。今でも、夏休みになると全国から合宿勉強に百人、二百人と全国からやって来るという。儒教的礼儀や漢文を教える。ユンさんは、不幸な育ちをした高校生の女の子を引き取り一緒に生活している。
 一般の人は入れないという礼堂:青鶴書堂の中を見せていただいた。天空図を中心に「時運気和儒仏仙東西学合一大道大明慶大吉儒道更定教化一心」(儒教を中心に据え、仏教、道教と東学、西学を一つに合わせて“大道”を広く明らかにし、慶事が多くなるように努め、幸運の運気を持つ儒道を再び一心に教化する道が更定儒教である)と書かれた額が掛かっていた。禅宗的な祭壇が置かれていた。壁には、礼服である空色のドポがいくつも掛けられていた。
 青鶴とは、道術を使う神仙が乗る鳥で、人の身体をして鳥の嘴を持つ。人々は、青鶴と言えば神仙を連想し、神仙と言えば青鶴を連想する。青鶴洞は、その青鶴が住む村として古くから言い伝えられている。
 途中に土産物屋が四軒、五軒と並ぶのには少なからずがっかりした。発見されて以来、観光客が押し寄せ、観光バスがかなり奥まで乗り入れてきている。元々道人村の住人ではないのに住み着き、TVなどに売り、金儲けしている輩がいるという。信仰を第一義とする人と観光振興を叫ぶ人とのギャップ、言い換えると貧富の差が大きくなったという。年寄りと若い人の考え方の差も大きくなっているという。そうしたことを如何に調整して村を維持していくかが、ユンさんの心労だと言う。
 記念撮影をすることになった。どういう経過だったかユンさんと同じ両班の帽子を被ることになった。似合っている自分があった。気恥ずかしかった。
 ユンさんに別れを告げ、釜山に向かう。途中、馬山市に寄る。伽耶に当たる地で自由貿易地域に指定されている。島根県が「竹島の日」を制定したことに対抗し「対馬の日」を制定したことが話題になった。Mさん憧れの趙さんにお会いする目的だった。
 細身の黒いタイトスカートが似合いそうな女性だった。四十歳は超えていると聞いていたが、どう見ても二十代に見える。化粧気はあまりしないが目鼻立ちがはっきりしている。ちょっとした見には、気位の高さが隙間見える。Kさんが避ける理由は、そこらにありそうだ。実際に話してみるとユーモアがありなかなか楽しい人だった。
 昼時だったのでうどん屋に入った。最近立てられたドライブインのようで、二階建ての鉄筋打ち放しの建物だった。家族連れで一杯だった。釜揚げうどんを注文した。日本のうどんと全く同じであり、腰の強いうどんだった。海鮮出汁に浸けて食べる。キムチが五種類出てきたのは、韓国的である。毎食、唐辛子の効いた食べ物の連続であったから、うどんでほっとした。
 釜山に急がねばならない。短い逢瀬であったが趙さんとお別れである。ブサンでは、安さんと王子が待っている。今回の韓国訪問の目的の一つがこのお二人にお会いすることだった。四年ぶりだった。まだ二十代のはずである。
 ホテルに着き、休む間もなくそこそこに宴会場に向かった。今日は飲むぞの意思硬く出発した。刺身専門店である。海の幸が大きな机に所狭しと並んでいた。I教授の馴染の店で、板さんが腕を振るってくれている。鮑やイイ蛸がまだ動いている。山葵も本物であった。まっこりもチャミソルも洗練されている。さすが高級リゾート・海雲台の店である。
 安さんも王子も我々もよく喋った。王子は、結婚して落ち着いたせいもあるが、相変わらず穏やかで回りの人に気を使う。しかし昔の元気が無い。大手術をして今もその傷が痛いと言う。肋骨を何本か取ったらしい。安さんも顔に暗い陰がある。明るくほがらかな子だったのに。苦労しているように見える。心配になった。聞けば、腹から腸を出し洗って元に戻したと言う。死ぬんじゃないかと思ったと言う。すさまじい。今は元気にカラオケの店をやっているという。ふっと一人になると体のことを思うと言う。
 じゃ〜カラオケに行って騒ごうやということになった。歌い踊った。Kさんの幾山河は絶品だった。I教授は、持ち歌のサランヘヨやここに幸ありを歌った。肺活量が多いのだろう。オペラのバリトン歌手のように歌う。安さんが次ぎからつぎへと若い人の歌を歌ってくれた。安さんも王子も、重い石から解放されたかのように明るい顔をし、良く笑っている。I教授とU嬢がワルツのステップを踏んでいる。普段歌わないM氏が皆さんのおかげですの歌を歌い始めた。皆で唱和した。韓国政府のおかげ、日本政府のおかげ、天皇陛下のおかげですまでいってしまった。あぶない、あぶない。次の日になっていた。お開きである。
 一緒に夜を過ごすうちにKさんと安さんが偶然同じマンションに住むことが分かった。二人は大学の先輩後輩の関係で既知の仲間であったが今日初めてそのことを知ったという。お別れすることになった。安さんをKさんが送っていくことになった。Kさんは、明日から仕事ということで再会を約し別れた。Kさん、安さん、ありがとう。
 王子の車とI教授の車に分乗してホテルに戻る。二人とも大分酒を飲んでいた。心配になった。王子の車は、高級車であった。経済的には恵まれた生活をしているのだろうと少し安心した。明日も都合をつけて来るというのでそのまま別れた。I教授は、授業がある。夕方、会うことにしていた。
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