□「平成24(2012)年ブログ」NO.4 平成24年10月1日〜12月31日
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■「心に残った本」 平成24年12月27日
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既に小生が「誇大妄想型読書症候」に陥っていることは報告済みであるが、今年この患者の心を惹きつけてやまない本があった。
一昨年だったか、NHKの番組でマイケル・サンデル教授による「ハーバードにおける白熱授業」が放映された。この放映はシリーズになっており、10数回以上にわたり放映され、日曜日の18時から可能な限り拝聴した。
この授業は本当にすごいと思った。授業のテーマが政治哲学であったが、きわめて平易に語られ分かりやすかったことに加え、先生が命題を出す仕組みと学生にそれに答えさせながら、その回答に対する反論や賛成論を戦わせ多くの学生を巻き込みながら講堂一杯が白熱化していくのを目の当たりにしたからだ。学生たちはナマナカの勉強、下調べではこのような白熱した授業にはならないことが、誰が見ても理解できるからと思えたからでもある。
そんな強烈な印象を持ってから久しく時間が過ぎた今年の春頃、本屋で「ハーバード白熱日本史教室」と題した本が目にとまった。著者は北川智子となっていたが、どのような方か存知あげていないし、サンデル教授の印象が余りに強過ぎて、どうせその名を借りたいい加減な本だろうとしか思わず見向きもしなかった。
その後1-2回そのようなことを繰り返したが、本屋でその本の示す位置は変わらず、「手に取らないあなたはばかげていますよ」的なオーラを発しているので、手に取ってしばらく立ち読みを始めた。
読み始めるとどんどん引き込まれ、胡散臭さは吹き飛んでしまった。当然購入に至り一心不乱に読み込んだ。いやー驚きましたね。近頃では一番感動し、凄いと思った。彼女:北川智子先生の生き様に感動し拍手を送らないものはいないであろう。かのハーバード大学で日本史をユニークな手法で大人気講座にしていった過程、それはほとんど無の手探り状態から独自の目標をたて、実力本位の学内で孤軍奮闘する(これはものすごい勉強が伴う)さまは、日本人の矜持を示す痛快事である。
本当に頭が下がる。学生から人気講座の評価を勝ち取ることは至難なことらしいが、かの大学がその講座を優秀と認定していることに、彼女のものすごさ(勉学や行動、執念)が窺える。これはこの本を読むとよく分かる。
ここに至り、サンデル教授が標榜している「白熱授業」の名を借りたとしても、カリキュラムの立て方、講義のやり方、学生との息の詰まるやり取り等々なんら遜色がないのではないか。そんなことに気付かさせられ、こんなに優れた、凄い日本人がいることを誇りに思った次第である。最近の日本女性の活躍は本当に目覚ましい。我ら男子負けてはいられないのではないか、そんな愚痴さえ吹き飛ばすこの本を読まない手はないでしょう。年末年始のちょいとした時間に是非お読みいただきたいと思う。
[参考] 著書紹介
著者 北川 智子
書名 ハーバード 白熱日本史教室
発行 新潮新書
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■「今年最後の国連WFP活動」 平成24年12月24日
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この日、今年最後の国連WFP活動が横浜みなとみらい大ホールで行われた。クリスマスイブの聖なる夜に聖なる奉仕を、と駈けつけたボランティアは5人、協会の幹部の方1名を加え6名で広報、募金活動を行った。
当日は、本ホールでクリスマス・パイプオルガンコンサートが山口綾規氏(オルガン奏者)主演の下に開催され、その場をお借りしての活動であった。ホールの1階、2階正面入り口前の2カ所に場所をセッティングし活動を実施したが、コンサート場の雰囲気を乱さない配慮が求められた。それは、声を出して呼び掛けないことや、配布物を等を無理に配らないことであったが、日頃遣りなれている場所とは異なるので戸惑うことが多い。本ホールでは2回目となるが、雰囲気に合った上品な対応に慣れるにはもう少し経験を積まなければならないのかもしれない。
当日は、ホールが一杯となる約1,500〜1,600名の聴衆が来場されたので、演奏者の人気のほどがうかがえた。演奏中は人気(ひとけ)が係員だけになった広い会場入り口のホールに、モニターを通じて流れて出てくるパイプオルガンの演奏に聴き惚れながら、聖なるこの夜の募金活動に思いを馳せた。
当日は本当に寒い日で出掛けるのに躊躇したほどであったが、思いのほかの募金を寄せていただいたことで、報われた気がした。仲間の一人に、終了後夜行のバスで神戸までお帰りになる方(学生さん)がおられ、バスを待つ小1時間会場近間の中華屋で意気軒昂な打上を行った。来年も遣らなければと思わせる女神(学生さん)の一言が、会場の外に飾り付けられていたクリスマスツリーのどんな飾りより光り輝いていた。我々の今年の聖なる一夜はとても有意義であったと思う。
<クリスマス・パイプオルガンコンサートの曲目>
・山口綾規編曲:クリスマス・フェイヴァりッツ
・バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ
ハ長調BWV564
・チャイコフスキー:バレー組曲
「くるみ割り人形」より
花のワルツ ほか
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■「Season's Greetings」を交わす 平成24年12月20日
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この日、カナダから「Season's Greetings」のe-mailが届いた。英会話を習っていた時の先生からで、Bad Studentだった私を気遣い時々メールをくれる。
今年彼女は男の子を出産した。その子の成長ぶりを示す笑顔がカード一面を飾っていた。
母親が子供を思う気持ちがひしひしと伝わってくる。それならジジイが孫を思う気持ちを伝えなければと、苦心惨憺の挙句カードを作り上げ、さっそく彼女に返信した。
ジジイ馬鹿が嵩じたカードへ彼女からの返信は・・・。
Wow...Love your card.
thank you for sharing
Please keep in touch
来年もジジイ馬鹿が嵩じてしまいそう。
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■「Rocca(ロッカ」ゲームに興じた日 平成24年12月15日
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横浜市民ギャラリーあざみ野の「あざみ野カレッジ」12月の講座「ニューカード入門--Roccaで遊ぼう」に参加した。案内によれば "2D?3D?摩訶不思議で知的な新感覚のカードゲーム「Rocca(ロッカ)」。六角形のカードを重ねて置くことで立体的な図形が作ることができ、一般的なトランプとしても遊べるオリジナルゲームで、2012年グッドデザイン・ベスト100にも選ばれました。初めての方も心配ご無用!みんなでRocca大会で盛り上がりましょう!" となっていた。
この歳になって、今更カードゲームでもあるまいしと思ってはいたのだが、このギャラリーのアートサポータをさせていただいているので、たまには顔出しをしておかないとの思いから参加した次第。当日は雨模様の寒い日だったせいか、受講生が思いのほか少なく、若いスタッフが詰めている会場には気後れしてなかなか馴染めなかった。
雰囲気を察し館長殿が受講生然として私のテーブルに着かれ、その場を落ち着かせたところで講義が始まった。講師の柿木原政広氏(アートディレクター、株式会社10(テン)代表)によれば、このカードゲームは、世界的なゲームデザイナートゥルーリ・オカモチェクが、思いついたカードゲームのアイディアを友人だった柿木原氏に、2004年頃グラフイックデザインを依頼したことから創造されたとのことで、まだ生まれたばかりのゲームといえる。
このゲームのいきさつや遊び方の詳細はこちらをご覧ください。
 
講義の後、各テーブル(4人/テーブル・全部で4卓)毎に、ゲームの演習・指導が行われた。トランプゲームの「婆抜き」「七並べ」の様な印象だが、相手との駆け引きやゲーム進行を考えた切り札カードの多様さに嵌ってしまい、年がいもなくゲームに没頭してしまった。勝ち負けを客観化するために配られたチップの獲得に熱が入ってしまうということで、昔麻雀で血眼になって遊んだ頃を思い出してしまった。私のお相手は、館長殿、若い女性の受講生、講師(柿木原さん自身が指導)だったが、予定時間を大幅に超過するほど熱中し、気が付いたときには各テーブルを代表し、決勝戦に出る資格を得るに相応しいチップを獲得した。決勝戦では、思いもしない大失敗(リーチ:ここではワンという、を宣言しなかった為にペナルティを課された)で上りを失し敗れてしまったが、久しぶりに競争心をくすぐるギャンブルを心から楽しんだ。
この遊びは、単にカードゲームを楽しむだけではなく、場に捨てていくカードの繋ぎが見事なデザインを創造していくことを楽しむことでもある。何通りになるのかは分からないが、恐らくアンカウンタブルナな組合せになるのであろう、このゲームの面白さはとても深い。さらにいくつかのゲームを見せていただいたが、どれも斬新で面白いものばかりであった。
 
近いうちに、このゲームが世の中を席巻していくのではないかと思う。きらびやかさはないが心を通い合わせ、心を引きつけるものを感じるからである。ほとんど二度とは作れない場に出来あがった作品を愛でるのも一興と思う。
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■「老人の乾坤一擲」を誓った日 平成24年12月13日
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我が居住地域に「ひまじんの会」と称するジイさん方の集まりがある。メンバーは14-15人で構成されているが会員の平均年齢は優に70歳を超えている。ところがジイさん方は健啖で身体頑健、そして、一家言を持って鳴らす古武士達なので煩いことこの上ない。この会は毎月第2木曜日の午前10時から12時まで開催され、時宜に応じた話題に付いて目一杯話し合うことが慣わしになっている。
声を大にして言わなければ無視されてしまうので、この2時間余りの時間は壮絶な自己主張を貫くため喧騒の場となる。今回俎上に上がった話題は、某国のミサイル打ち上げ、兵庫県殺人主犯の拘置所内自殺、中央高速笹子トンネル内事故に加え原発、安全保障、TPP、消費増税、公共事業、国の借金等々国が直面する課題がのぼり、この16日に投票が予定されている衆議院選挙の行方にも議論が白熱した。
真面目に話合うほど、現行の政治の貧困さに腹立たしい思いが募るのだが、こういったことにしてきてしまったことに責任の一端が免れない思いもない交ぜになり、忸怩たる気持ちに陥りかけたが、長老の一言がこの場を収めた。曰く「今回の選挙には老人の乾坤一擲を示し、世を変える礎になろう!」、「我々が変えないでどうする」。この一言は重かった。
「ひまじん会のジイさん達」は大いに意気を上げ16日にその思いを投じ、来年を本当にいい年にするようこの日誓った。
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■アホな妄想「小胆な仮説」 平成24年12月12日
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草食系、肉食系と云った分類が喧伝されて久しくなった。今ではそのムードも廃れてしまった感がしないでもないが、最近「肉食系は方向音痴ではない」と云う「仮説」が閃いた。
その強引すぎる根拠を記せば "動物の本性には飢えをしのぐために餌を求める本能が備わっている。その本能は狩りをすることであり、どんなに遠くても、どんな危険を冒してでも餌を獲得し巣に帰還することである。肉食系とは本来このように定義されるのであろう。だから肉食系には少なくてもエサ場を探し当てる能力と餌を仕留める能力、そして帰路の道筋を誤たない能力が必須とされるのである。このことから生きていけないことすら示唆する方向音痴は論外と言える。即ち、「肉食系は方向音痴ではない」ということこそが、肉食系の本質をついたものである。"
実にばかばかしい「妄想」だが、「小胆な仮説」と銘打って検証することに血道をあげた。くだらないと言えばこれほど下らないことはなく、冗談の極まった行動は恥ずかしさをものともせず、あちらこちらの会合に顔を出し質問を繰り返した。日頃お付き合いをさせていただいている方々の中で、男女の別を問わず何事にも積極果敢に取り組んでいる方(明らかに肉食系と思われる方)に、「方向音痴と言われたことや自覚したことがあるかどうか」という誠に不躾極まりない質問を繰り返したということである。
人は苦労して狩りをしなくても餌を得るようになってからその本能が減退し、方向音痴が増えてきたのだと思う。特にその傾向は誤解を恐れずに言えば、その恩恵を多大に享受する女性に顕著に表れていると思う。だが今は世も様変わりし、肉食系活動派女性の活躍が目覚ましい時代になった。だから近間では質問をあえて多くの活動派の女性に的を絞った。14-15人の方に聞いたところでは全員が「私は方向音痴ではない」との仮説を支持してくれる返事が返ってきた。
仮説の検証は命題をもっと精緻に組み立て、実証データを多く取り論理的に分析して立証していかなければならないのであろうが、そんなことは得意なお方にお任せするとして、ワタクシ的には、この仮説の立証は彼女達の回答で充分なのである。方向音痴がいいとか悪いとか云うつもりはさらさらない。負わされた役割が肉食系であるのなら方向音痴では務まらないのではないか。と云うのが仮説検証への思いであって、彼女達の回答は正にそれを裏付けている。
国や社会に未踏の領域を切り拓いていかなければならない要請があるとしたら、その先兵は肉食系が負わなければならないのであろう。だから今彼女達に期待が高まるが、彼氏達は一体どうなってしまったのか。どうも妄想の源はそこにあったのかもしれない。
顧みれば、男の子たちが野山(外)で遊ばなくなってきて久しく、それが起因して彼らの間には確実に方向音痴が増加しているのではないかと思われる。なぜなら、外での遊戯の多寡や経験は方向音痴と高い相関があると思うからである。彼氏たちに雄々しさを求め相応の肉食系役割を期待するのであれば、子供のころから野山で遊ばせるしかないのかもしれない。
今年は、男の孫が生まれ妄想が肥大化してしまったようだ。実にばかばかしい妄想にお付き合いをさせてしまい誠に恐縮でした。来年はどのような妄想に取り憑かれることやら。
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■「The season of the year-end party has come」 平成24年12月11日
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今年も押し迫り忘年会に誘われるシーズンになった。
■人事システム開発G交換会の忘年会
今年最初の忘年会(もどき)は11月28日に実施された。この忘年会は、今から42年前に会社の人事システムを構築してきた仲間によって催された。この仲間の会の正式名称は未だ未確定だが、「人事SYS開発G交換会」と言ってみたり「Z15の会(開発のコードナンバー)」と言ってみたりしているが、我々に初めて企業人としての自信と誇りを自覚させたそれはそれは思いで深い仲間の集まりなのである。当時は超大型コンピュータにシステムを構築するということは花形で格好も良かったと思うが、激務の連続で本当に苦労した。大げさではなく何遍血反吐を吐いたことか。自信と誇りを自覚するには相応の苦労が伴うことを学んだ仲間の絆はとても深い。当日集まった仲間は9人、白髪や薄光りする頭になってしまったが、当時を回顧し先を俯瞰する眼光は少しも衰えてはいなかった。こういった輩が集まったからこそ、巨大システムを動かすことが出来たのであろう。会社を背負っている確かな手応えがあった。苦労している現役にどのようなお手伝いが出来るか忘年会の話題は沸騰した。
■横浜市民ギャラリーボランティア仲間の忘年会
もともとは11月26日に予定されていたのだが、天候が著しく悪化した為12月4日に延期され、関内のいつものそば屋でにぎにぎしく開催された。集まったのは日頃から一家言をお持ちのシニア・オールドの紳士・淑女たち10人。小生が一番若手なのだから会の雰囲気は推して測られよう。飲食の量は落ちたらしいが、その分喋りに転嫁した懇談会の賑やかさはちぃーっとも変わらない。煩いことこの上ないのだが、この連中、何かをせずにはいられないものばかりで、その情熱の表れとも言える。
もっぱらの話題は、来年3月に現横浜市民ギャラリーが移転し、改装工事等が終了する再来年まで1年〜1.5年間はギャラリーでのボランティア活動が中断してしまうことであった。何かをせずにはいられないお仲間にとっては悩ましい問題で、喧々諤々の忘年会となった。でも、こういったお仲間だからこそ来年もきっと新たな活動を見つけるに違いない。こういった先輩がおられるからこそ日本の復活は可能に違いない。と、この日5杯目のジョッキを手にした時に思った。
■ヨコトリ学校VOL.5&「懇親会」
12月5日、この日第5回目のヨコトリ学校が開催された。主な内容は、「2014年のトリエンナーレに向けて動き出そう!」を主題として、横浜トリエンナーレ組織委員会事務局長の講話と事務局ディレクターによる1月以降のサポータ活動について報告があった。続いて、「遠足サポートチーム」による活動報告がなされた。
※ヨコトリの活動詳細については・・・こちらをどうぞ。
その後で、班ごとに分かれ「遠足企画」の感想を基に、今後のサポータの活動についてのディスカッションが行われた。各テーブルにヨコトリの主要関係者が入り込み、熱のこもった議論が展開された。小生も1年の経験をもとに意見を述べさせてもらったが、ボランティアの面々から意見を聴取しながら次に繋げていこうとする主催者の意向に好意を感じた。次のトリエンナーレも是非成功させなければならない、そんな気にさせる学校運営に見える。終了後は500円会費の懇談会があり、缶ビールと乾きものを手に顔見知りのボランティア仲間や、美術館関係の方達と久しく懇談ができ充実した今年最後の学校を終えた。勿論、新人のボランティアの方たちともお近づきが出来、大いに盛り上がったのは言うまでもない。先輩面した顔が写真に撮られていればと思ったが・・・・・掲載できなくて残念至極。
■国連WFP応援団の「ちょっと早めクリスマス」
12月9日、横浜パシフィコで国連WFP応援団主催の「ちょっと早めのクリスマス」が開催された。毎年開催されているようだが、小生は今年初めて参加した。企画・運営、会場の設営等は全てWFP応援団に属しているボランティの方達の手作り。今年は、三陸宮古の仮設住宅に住む女性たちが手作りしている和布の小物、草履の小銭入れとブックカバーが販売され、参加者にお買い上げ頂き被災者への温かい支援を行っていた。そして会費(1,500円)でワインやオードブルをたらふくいただき、かつ、2名のゲスト(語り部)をお呼びし、小説から抜粋した日本人の心を打つ物語を拝聴する催しの恩恵にも浴し、かつて経験したことのない思い出に残るクリスマスとなった。参加した3-40名の中には初めて会う人もあったが、ボランティアを媒介とするお付き合いに垣根の低さを感じた。協会事務局のSさんのギターによる熱唱は本パーティを盛り上げ、参加者のWFPへのモチベーションを上げていたように思う。来年も、WFPの活動に傾注していかなければならない。こんな素敵なクリスマスを味わえるのだから。
 

 
これからも未だ何回か忘年会を残している。いやなことは大いに喋りまくりきれいさっぱりと忘れよき年を迎えたい。
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■「自治会の活動に汗を流す」 平成24年12月2日
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今週は、自治会への参加依頼行事が続いた。11月29日には地域拠点防災連動の防災訓練が実施され防災訓練要員の一員としてボランティア参加を要請された。防災への教訓はあまたあるところではあるが、東日本大震災の状況はマンネリに陥りそうな防災訓練を覚醒させることとなったようで、集合した40-50人の訓練要員は真剣に訓練に励んだ。
当日はとても寒い日であったが、地域の消防署からも署員の方が指導にこられ、避難誘導や救急救助の訓練に熱い指導を受け汗ばむほどであった。会社にいた頃は救急救助を主宰した立場にいて自身も何回か訓練を受けたが、久しぶりにレサシアン人形に向かいAEDを使った訓練に大汗をかいてしまった。訓練が試されることがないのがいいに決まっているが、備えだけはしておかなければならないのは教訓の示すところである。
続いて12月2日に周辺の大清掃(落ち葉・ゴミ収集、川底清掃)が実施され住民のほか、隣の日体大の野球部の学生さんが約30-40人参加した。何遍も言うようだがこの辺一帯は里山を整地したところであって、いたるところ自然に囲まれ、落ち葉の量は半端ではない。だからこの時期は、何回清掃しても道路や小川が落ち葉で埋め尽くされてしまい賽ノ河原を地でいくことになってしまうのだが、自然と共生していく限りやむを得ず、人海で対処していかなければならないのである。
約2時間ばかりの奉仕作業は、若い学生さんとのコラボレーションによって意気も上がり充実した活動となった。落ち葉やごみが無くなった道路や川底は見違えるほどきれいになり、新年を迎える準備を一足早く終えることが出来た。参加者はこのきれいになった道路端に整列して、来年こそはいい年にしようと誓い、その思いの表れの一環として日体大野球部が大活躍されることを念願していることを彼らに伝えた。きっと彼らはその期待に応えてくれるであろう。そしてその経過を来年の大掃除の折に聞かせてもらえたらと思う。
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■「国連WFP11月の活動」から 平成24年11月25日
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- 「ハウスファミリーウオーク」

- 「神宮の杜でWFP活動に傾注」
- 11月25日、神宮の森でハウス食品(株)主催のハウスバーモントファミリーウオーク神宮大会が開催された。参加者は約3,000名、同社の社会貢献の一環でWFPブースの提供を頂き、WFPの活動をさせて頂くこととなった。当日は天気晴朗なれど気温は低く日蔭は寒さがしみた。

- 「ブースは活気に満ち、幹部の激励が轟いた」
- いつもながら、WFPのブースは活気に満ち満ちて・・・・。思わず協会幹部もにんまり。「よろしくたのむよ!」との激励が轟いた。

- 「天使の訪問に大わらわ」
- 子供たち天使の訪問は本当にうれしい。この子らに、世界の食糧事情を聴かせる<のは至難の業ではあるが、クイズをしたり、マジックバルーンを差し上げたりしながら、WFPを知らしめる手慣れたお仲間の対応には頭が下がる。

- 「寒気の中お客様を引き付ける熟慮は続いた」
- お仲間に負けじと、神宮の森に佇みパンフレット等資料の配布方法を考える。遠巻きにしているお客様を惹きつけられるか。寒気の中熟慮は続いた。

- 「素敵なお仲間たちと充実感を分け合う」
- 今日は本当に寒い中多くの仲間が集まった。誰もが、懸命に活動を行った。飢餓への戦いは我々がやらないととの気概が見える。本当に素敵なお仲間である。彼らに啓蒙され今年最後の啓蒙・募金活動は充実感溢れるものとなった。彼らに心から感謝の気持ちを伝えたい。
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■「個展」の招待に出向いた日 平成24年11月20日
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横浜市民ギャラリーのボランティア仲間から「個展」と多摩美術大学同窓生による展覧会(「多摩美展」)の招待を受けたので見に行くこととした。いずれの展覧会も過去数回見に行っているので最近は驚かなくなったが、さすがに個人で画廊を借りて展覧会をやるなどと云う趣味をお持ちの方には、恐れ入ってしまい発する言葉もない。ひたすら尊敬するばかりである。この方は、私より4-5歳先輩だと思うが、定年後一念発起して絵を描くことに専念され、昂じてその成果をほぼ1年ごとに小さな画廊を借りて「個展」を行っているのである。
今回も抽象画のオンパレードで、その意図をお伺いしないと理解できないが、マンツーマンでお茶までいれて頂きながらご説明にあずかりその意図を理解した次第である。制作意欲と熱意にほとほと感心させられ、とても真似の出来ない高邁な趣味に没頭する先輩に心から敬意を表した次第である。
一方、「多摩美展」は33名の出品の方達はほとんどがセミプロの方ばかりで、静物、風景、抽象と云った出品作品のどれもが丁寧に描かれており、人を引き付ける魅力に富んでいた。とりわけ、私のボランティアの先輩の作品は「フクロウ」に拘り抜いたもので、今年も眼光鋭いフクロウに見入ってしまった。
晩秋の関内では、あちらこちらのギャラリーや画廊でこのような展覧会が開催されている。このような展覧会に立ち寄り、絵画に触れることで思いもしなかった新たな発見をした時の喜びはひとしおである。
芸術鑑賞には人を病みつけにする魔力が潜んでいるように思えてならない。
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■(続)「JOB会の再会」に想う 平成24年11月17日
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この日、職場のOB会(JOB会)が開催され、35-6年前席を同じくしていた仲間が18人集合した。本会は、常に進取で先駆的な考えで我々を牽引していった下さった上司を主柱として設立され、数年おきに開催し連帯を強め友好を温めてきた。ところがその上司が昨年11月に早世されてしまい衝撃を受ける中、この4月に本会を再開させご冥福をお祈りするとともに、上司のご遺志を繋いでいくためにも本会を継続していくことを誓ったところであった。<本再会の詳細はこちらから>
当日は前日とは打って変わり大雨が降った。翌日が快晴になったことを思うとその日だけが雨に降られたことになり、何かを暗示しているように思えた。クラブの会場の前方にゲスト用のテーブルがしつらえてあり、上司と同時期に病気で早世した仲間K君の写真が飾られ、料理一式がセットされていた。こういったことにはぬかりのない幹事やそのお仲間の配慮であり、我々が本職場生活を通じて学んできた伝統がさりげなく表出していた。参加者の誰からも彼らの配慮に暗黙の感謝の気持ちが伝えられたのは言うまでもない。
4月に再会した折のブログで、主柱を失った衝撃を乗り越えるのに精いっぱいであり、いつも本会で語られる数々の伝説が語られなかったことを伝えた。だからこういったコミュニュケートをこよなく好んでおられた上司にとってはご不満であったかもしれないとも伝え、近々に再会を期し、数多(あまた)の伝説をにぎにぎしく奏上し、改めてご冥福をお祈りしなければと書いた。
準備は万端整っていた。ゲストのテーブルに向かい、Kさんから上司の遺志を継ぎ本会を継続していくとの決意が告げられ、続くOさんの献杯で本会再会の新たな口火が切られた。その後は、上司との繋がりには人後に落ちないと云い放つやたらとうるさい面々によって、数多の伝説がにぎにぎしく奏上されていた。そしてそこには、ニコニコとその伝説を聴いてくれる上司が、あたかも存在するような従来とちっとも変らないJOB会が現出していた。
お気に召していただいたかどうか。それはめったに繰りごとを仰らなかった、まして涙を見せることなどとは全く縁遠かったと思われた上司が、我々に初めて見せた感涙を大雨に託していただいたのではないか。お気に召していただいた証しなのだと思う。
 
今までお導きを頂いたことに改めて感謝の気持ちを捧げ、これからも伝説を磨きあげ本会を継続していくことを感涙の
大雨降る日に誓った。
「(続)(続・・)「JOB会の再会に想う」」はこれからも再々本欄を飾ることになるであろう。
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■「WFPエッセイコンテスト」へ挑戦 平成24年11月09日
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この日、国連WFPは今年の「WFPエッセイコンテスト」の表彰式を行った。全国から6,000通を超えた応募があったらしい。私も、投稿することで寄付金が寄せられることに共鳴し7月中旬に応募した。微力だが支援に協力できたことを嬉しく思っている。全国から応募された秀作には足元にも及ばないが、今年初めて挑戦し、微力だが貢献出来た証を本日記に留めておきたいと思った次第である。批評を頂ければ幸いです。
■2012年のエッセイのテーマ 「食べる大切さ」
■投稿エッセイ 「天使の笑み」
初めての孫ができた。
生まれて2か月しか経っていない彼は母乳が主食。
母親に抱かれ、懸命に飲みつづける顔に生の喜びが満ち、「食べる大切さ」を象徴しているように見える。
彼は本能的に、この一滴の母乳のために、母親がどれくらい食べることに気を使い、苦心惨憺しているかを知っているに違いない。そしてこの一滴が、多くの貴い命や、いろんな人たちの精魂の結晶であることも知っているからこそ、好き嫌いも、食べ残しもせず、食への尊厳と感謝の気持ちを無垢な笑みで返してくるのであろう。
彼は本能的に、この世に生まれた同胞の全ては、このような「食べる大切さ」の恩恵にあずかっていると信じているに違いない。その恩恵が、神から平等に授けられたことを、彼らの命が宿った時に刻まれたのだと信じているからこそ、この世に出て初めて見せる彼らの笑みは、その恩恵に感謝を表す「天使の笑み」になるのであろう。
まさか、何億人もの同胞が、平等な思し召しにあずかれていないなどとは。
まさか、豊かな国とおだてられ、舞い上がる驕りに食糧への有難味や尊厳が駆逐され、大量の食べ残しや廃棄がなされているなどとも、思っていないに違いない。
であれば、今すぐに遣るべきことは「天使の笑み」に真摯に応えていくことであろう。
それは、彼らが等しく「食べる大切さ(天使の笑み)」を享受できるよう行動し、人が負う不偏の義務を果たしていくことである。そうしなければならないことも、我々の命が宿った時に、神から刻まれたに違いないのだから。
*「あとがき」
このエッセイーは、以前このHPに掲載した「もったいないに」想う<ご参考>を下敷きにしています。WFPの支援団体の多くが食糧を扱う企業なので、食糧廃棄の指摘は少し云い過ぎで、本コンテストのテーマと離れてしまったかもしれません。でもこんな機会に云っておくべきは言っておかなければと囁くジジイの正義感に共鳴してしまった次第です。
「もっとおとなしくしなければ」と思いつつ、今回も後悔先に立たずとなってしまった。
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■「はじまりは国芳」展を鑑賞 平成24年11月3日
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11月3日、横浜美術館に「はじまりは国芳」展を見に行った。美術館の広報によれば、この展覧会は浮世絵師・歌川国芳(1797寛政〜1861文久元年)を起点として、国芳の近代感覚に溢れた斬新な造形性が、国芳一門や画系にどのように受け継がれ、さらに、新たな展開を見せていったかを、江戸末期から昭和初期の日本画、油彩画、水彩画、版画、刊本などの作品、資料を通して探ろうとするものです。とあった。
最近、横浜トリエンナーレや横浜市民ギャラリーのボランティア活動を通じ、絵画を見たり、キュレータの講演や解説を聴く機会が多くなった。美術の歴史を知っているわけでもなく、アバンギャルドな作品を見てもさっぱり理解できない状況ではあるが、何回となく見聞きする中で、現代芸術の源流が20世紀初頭のフォーヴィスム、キュビスムや、20世紀前半のシュールレアリスムにあり、現代美術が西欧で始まったことを知った。
でも、日本固有の絵画芸術の進化過程で出てきた浮世絵を、何故現代美術の源流とはみなさないのだろうと素朴に思うようになった。誰がどう見ても浮世絵の世界は、西欧流で言えばクラッシックな伝統的描画技法を超えた、全く新しい描画概念ではないかと思ったからである。しかも彼らの世界で始った時代よりずっと古い。恐らく、彼らの世界にも影響を与えたに違いないと思うからでもある。素人の邪推は常軌を逸しており、誠に恐ろしいことだと思うが、西欧流の尺度で定義されたことに反発したくなるオリエンタル東洋の矜持に思いを馳せたからかもしれない。
そんな折に今般の展覧会を知ったので、開催者の意図を見させていただくほかに、現代美術の走りは浮世絵なのではないかと勝手に思いこんでいることを確かめたく鑑賞に出かけた。
4章立て250点に及ぶ作品を見て、国芳の近代感覚に溢れた斬新な造形性が、国芳一門や画系にどのように受け継がれ、さらに、新たな展開を見せていったかとの主催者の意図がおぼろげながら理解することが出来たように思う。そしてその底流に日本固有の浮世絵の描画技法・精神があるに違いないと思えた時に、現代美術の走りが浮世絵にあったのではないかとの勝手な思いに独り合点をした。
伝統的な日本オリジナル(と言っていいのかどうかは分からないが)な、繊細な線描画技法やデフォルメの描画技法等々に魅了され、圧倒されてしまった。そして画家の鏑木清方や伊東深水がその系列にあることを初めて知り、国芳の功績に思いを馳せる鑑賞となった。正に、主催者が云う「江戸スピリットのいくえ はじまりは国芳」ということなのである。さらに言えば、現代美術は日本の浮世絵が源流だったのであろうとの思いが一層高まった鑑賞ともなった。これからも、浮世絵やそれに繋がる作品の鑑賞をしていきたいと思う。
本展覧会は、2013年1月14日まで横浜美術館で開催されていますので、興味のある方は是非足を運ばれたらと思います。
なお、本展覧会の詳細は
こちらをご覧ください。
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■「釣り堀事件」 平成24年11月2日
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昨夜遅くまでPCと格闘していたので、今朝は少々惰眠をむさぼっていた。夢うつつの中突然枕元の携帯が唸りメール着信を告げた。「こんなに朝早く・・・」と愚痴りなら着信を見ると、会社で長年お付き合いいただき、現役で頑張っているKさんからであった。「今釣堀にいるのでお暇があればいかがか」という内容で、釣堀で久闊を叙するお話しでもしませんかとの誘いであった。
私の家の周りは里山に恵まれ、その谷(やと)谷に溜池があり、そのもっとも大きな池が釣堀になっている。釣り好きな輩にはもってこいの場所になっているようで、いつも多くの釣り人が来る。彼もその一人で、5-6年前私がその周辺を散策(自分は釣りはしないので)していた時偶然に出くわし、釣堀に連れ込まれてしまったのが切っ掛けで、釣りに来るたびに連絡をよこすようになった。
今日は休日でもないのにといぶかしく思いながらも、そして、釣り技術の自慢をこれ見よがしに見せつけられるのが分かり切っているのにも関わらず、彼と久しぶりに話が出来る誘惑には勝てず出かけることにした。10時ごろに着いたが、聞けば彼は7時前に着き門が開くまで待っていたと言うから驚いてしまう。好きなものに入れ込む心境をビシーっと見せつけ、釣りのスタイル(お召し物)や立派な道具立て(さぞかし高価なものと思われる)をさりげなく見せ付けられると、今更ながらほとほと感心させられてしまう。
一番釣れるポイントらしい場所を陣取る彼の横に座り込み、久闊を叙する話を始めたが日蔭の場所だったので今日は特に寒かった。もう少し惰眠をしていればよかったと悔やまれたが、話し始めた直後からどんどん釣れ始め、悔悟の妄想は吹き飛んだ。話し込むことには人後に落ちないことはお互い分かっていたが、しばらくぶりに会話をすることとなったので、油紙に火を付けたように会話は大いに盛り上がった。
熱いお茶をすすり大福を頬張りながら話す話題には二時間を過ぎても事欠かず、それにつれて釣果が著しく向上した。これに気分が高揚しないわけがなく、会話はさらに盛り上がり、気付かないうちに話し声のボリュームも相当が増したようであった。我々の話の質や波長がこの釣堀の魚殿には、どんな餌よりも、どんな釣り技術よりも上回っていたに違いない。そんな気さえ起こさせる中、異様な雰囲気が漂い始めていることに気付いた。
少し前から、釣堀全体から冷たい視線が投げかけらているように思っていたのだが、釣果に浮かれ話に浮かれて見過ごしていた。二時間半を過ぎた頃そのことに大鉄槌を食らってしまったのだ。向こう岸で釣っていたお客がこちらを睨みながら「煩い!静かにしろ!」と忠告を発していた。良く見れば、釣果もはかばかしくなくイライラしている様子が手に取るように見えた。そんな状況の中二時間半も我々の騒音に我慢をしてきたのである、爆発しても不思議ではない。
Kさんの「ごめんなさい」の一言で場は収まったが、しばし釣堀は凍りついてしまった。考えてみれば、独り静かに釣りを楽しもうとされている場に、我々の会話スタイルは最も似合わない。我々の最小のボリュームでも普通の人の2-3倍はあるのだから、浮かれた時のボリュームは推して知るべきで顰蹙ものとなるにきまっている。この歳になってもなお恥の上乗りを晒さなければならなかったことに忸怩たる思いだけが募った。
話が途切れた後は釣果が全く上がらず、我々の話が魚にどれだけ好かれていたかを知ることが出来た。反省しきりの中、そのことだけには殊更自信を深めることが出来たように思う。
 
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■「巨大さつま芋採ったどぉ!」 平成24年10月31日
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10月31日、"松ちゃん"と畑に出かけ、7月に植えたさつま芋の収穫を行った。今年は試しに2株だけ植え付けたのだが、葉っぱの茂り具合が半端ではなく、30平米の畑の3分の1を占めていた。冬野菜の植え付けもしなければならず、早めに整理しようとは思っていたのだが、茎が伸びている端の方を少し引っ張り上げて様子を見てきた中では、小指ほどの極めて小さい芋しか確認できなかったので、1カ月ほどほったらかしにしていた。
ようよう日も迫ってきたので、本日思いきって引っ張り抜くことにした。まさかこんなに巨大に育っているとは知らず茎の端の方から抜き始めた。端の方は相変わらず小さいものばかりで、今年はダメだとあきらめかけていた時、"松ちゃん"が異様な声を張りあげ笑い転げた。苗を植えた真下からとんでもない巨大な芋が出てきたのだ。
続いて「巨大さつま芋採ったどぉ!」となった。今までで一番の収穫で、笑いが止まらず記念の撮影となった次第。この辺で素人農夫を喜ばせておかないと、との神の温かい思し召しに違いない。早速行きつけのお店に掛け込んで二人で祝杯を挙げた。勿論、農業の神様に感謝したのは言うまでもなく、これからもづーっと続けることを誓った。
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■「横浜JAZZ PROMENADE 2012」打上 平成24年10月24日
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「横浜JAZZ PROMENADE 2012」の打ち上げが24日横浜赤レンガ倉庫3階のホールで行われた。主催者の話によれば、今年20回を迎えた横浜JAZZに、過去最高の13万7千人のお客様が来場され大変盛り上がったとのことであった。そのことに当日集まったイベントを支えた多くのボランティアに感謝状が添えられ、お礼の言葉を頂いた。
当日は、協賛会社から「横浜の昭和洋食」やアルコール飲料が差し入れられ、これらに舌鼓を打ちながら久しぶりに再開した仲間と大いに盛り上がった。一部の報道によれば、近年、経済の冷え込みで、文化を取り巻く環境は厳しさを増している。ジャズもその例外ではなくなってきているようである。でも、大勢の関係者がこつこつとイベントを積み上げるなかで、ジャズの街のイメージが再構築したことを忘れるべきではない。と結ばれていたことにいたく共鳴し、仲間と「来年も必ず再開し、ジャズの街を下支していこう」と誓い合った。
そういえば、昨年実施された「横浜トリエンナーレ2011」も、実施前はそのようなことが取りざたされていたように思う。実際3月11日に起こった大震災の影響は免れず、主催者の心胆を寒からしめたと思うが、終わってみれば空前の来客に恵まれた。それは、横浜と云う地が営々と築き上げてきた文化のなせる技なのだろうと思う。だからこういった宝(文化)は、伝承、継承されていかなけばならない。そしてその担ぎ手の先鋒は、我々世代が果たすべきなのであろう。来年も頑張らなければなるまい。
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■「歌と朗読による東北支援コンサート」 平成24年10月24日
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横浜市民ギャラリーあざみ野でボランティア活動をしていた折に、先輩のボランティアからあざみ野ロータリークラブが毎年開催しているコンサートを紹介された。パンフレットの案内には「忘れない東北、届けようみんなの心」と題され、サブタイトルに「復興に希望を」とあった。
震災から早くも1年6カ月を過ぎてしまったが、傷跡の修復にはまだまだ時間がかかりそうで、未だ見通しの立っていないことも多いと言われている中、微力だが参加させて頂くことでお役にたてるのならと思いチケットを購入させていただいた。
コンサートは10月24日にアートフォーラムあざみ野レクチュアールームで開催された。企画に賛同された多くの市民が駈けつけ会場は立錐の余地もないほど満員となった。もっとも、コンサートに出演される新進気鋭のバリトン歌手、今井俊介さんとピアニスト吉野翠さんの人気に負うところが大であったかもしれない。
横浜あざみ野ロータリークラブ会員で、NHKラジオ深夜便アンカーである遠藤ふきこさんの巧妙な司会によって、コンサートは進められた。司会のうまさもさることながら、今井さんがバリトンで歌い上げる「闘牛士の歌」(オペラ カルメンから)や「君なんかもう」(トスティ作曲)、さらに「プロヴァンスの海と陸」(オペラ 椿姫から)に会場は圧倒され感動のるつぼと化した。
その頂点で、被災地の山田町「やまだの作文」が遠藤さんから朗読された。小学生の作文でお姉さんをなくしたことが綴られており、身につまされる内容に会場からは鼻を啜る音が続いた。何とか立ち直った様子が朗読の中から伺えたが、これからもすくすくと育っていってもらいたいと願わずには居られなかった。
その後で、グノ―作曲の「アヴェ・マリヤ」を聴かされた。いつもは心を和ませてくれるいい歌だと思っていたが、朗読が残した余韻に共鳴するかのようなバリトンの静かな響きに心底から揺さぶられ、涙が止まらなかった。歌が人の心を動かす不思議な力を思い知らされた。会場からすすり泣きが聞えてきたのは何よりの証しであろう。
ピアノの独奏やみんなで歌うことでコンサートはさらに盛り上がり、感動に満ちたコンサートとなった。この感動に共感した聴衆者の多くは、まだまだ必要としている東北の被災地に、温かい支援の手を差し伸べていこうとの思いに駆られたようで会場出口の募金箱に並んだ。並んでいる人の顔に涙の跡が残っていたのがとても印象的であった。自分もその跡を見せていたと思う。
【参考】当日のプログラム
・闘牛士の歌 (オペラ カルメンより)
・君なんかもう(トスティ作曲)
・プロヴァンスの海と陸(オペラ 椿姫より)
・ピアノ演奏 椿姫幻想曲(スミス作曲)
・北上夜曲
・朗読 「やまだの作文」
・アヴェマリヤ(グノ―作曲)
・朗読 「やまだの作文」
・愛燦燦
・みんなで歌おう「手のひらを太陽に」
・祖国の歌(オペラ アンドレア・シェニエより)
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■「国連WFP10月の活動」 平成24年10月21日
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国連WFPでは飢餓救済支援活動の一環として、今10月もいくつかのイベント会場で活動を実施したが、2ヶ所のイベントに参加した。本ボランティアを昨年の11月に始めたのでかれこれ1年が経とうとしているが、お仲間(ボランティア活動では大先輩)の活動に目を見張らせる発見もあり、充実感に溢れた活動を経験することが出来た。利他でいくことの尊さを改めて学んだ気がする。彼らのパフォーマンス力には及ばないが、無理せずに利他に拘る気持ちを持ち続けていくことに尽きる思いがする。
■10月13日、14日「アピタエコ博」
・アピタ長津田店会場で開催されたユニー株式会社主催のエコ博エリアの1角(「みんなでかんがえよう、地球に優しくできること」のテーマエリア)をお借りして、世界の飢餓とWFPの活動を紹介、給食の重要性を説く紙芝居「ベラは学校が大好き」や日本と世界の食料事情の格差を子供にも分かりやすく学ぶことが出来る「パネルシアター」を実施した。
・14日に終日参加したが、1年足らずの経験の中で1番充実した活動になったと思う。活動環境も良かったが、お仲間が5回実施した新たなパフォーマンス「パネルシアター」に、親子で常時50人くらいの聴衆が集まり、彼らの語る物語に小さい子供たちが引き込まれ大変に盛り上がった。WFPの活動を理解してくれたに違いなく、ボランティア冥利に尽きる1日となった。
 
■10月20日、21日「よこはま国際フェスタ」
・みなとみらい象の鼻パークで開催された横浜国際協力・国際交流プラットフォーム運営委員会、よこはま国際フェスタ2012プロジェクト主催の「横浜国際フェスタ」にNPOの一員として、世界の飢餓とWFPの活動の紹介と募金活動を実施した。
・これには20日に終日参加し広報と募金活動を行った。上天気に恵まれ、日に焼けながらも多くの来客と交流が出来た。説明にご理解を示され募金をして頂いたときの気持ちは、何とも譬えようもなく清々しかった。
 
・少しはお役に立っているのだろう。当分は続けていかなくてはならないと思った。
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■「伝説化された我が職場集団OB会」に想う 平成24年10月13日
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今年も、40数年前ご一緒した職場のOB会が開催された。今年で第7回を迎えることとなったが本年も多数のご参加を頂き、懐かしさを謳歌する賑やかさに一層拍車がかかったとても楽しい会になった。
どうも本集いは回を重ねる毎に賑やかに、若々しくなっていっているような気がしてならない。時の経過は、今更例える言葉がないくらい驚異的な速さでこの6年間を蹂躙し、世の中を大きく変えてきてるが、あたかも本OB会には別の時間軸があるかのように、アルバムに残っている我々の容顔には歳を重ねた変化は見られない。却って若々しくなっている印象さえ受けるからである。
6年と言えばそれなりの時間である。でも、顔の皺は増えた形跡が見当たらない。髪の生え際が後退した形跡も見当たらない。カメラの性能が上がり人の心をくすぐる機能にたぶらかされているのかもしれないが、明らかに若返り、ストップ・ザ・エージングが静かに進行しているように思えてならない。
我々OB会を取り巻く第三者の方々が漏らす感想には、時の経過を介在させない「お若い仲間だね」、「仲良し仲間で羨ましい」と云った言葉に彩られ、宴たけなわに「東京音頭」と「炭坑節」を踊りながら、良き時代の理想とした職場集団を現出し青春を謳歌する風景に直面すると、6年前の1回目の時に洩らした感想に輪をかけた感嘆を投げかけてくる。
彼らにとって、本会が時を超越し年々若々しく6年間7回も実施されること事態、あまつさえ醸される独特の雰囲気は信じ難いに違いない。今年のロンドンオリンピックで、ウサイン・ボルトは「生きたレジェンド(伝説)になりたい」と豪語しアスリートの世界に一石を投じたが、我々はこの6年間で彼らの中に「真の友情を問うレジェンド」を創りあげ、波紋を広げてきたように思う。
ボルトは、ブラジルまでその伝説を進化させようとしているが、我々のレジェンドは生きている限り進化させていかなければならないところにあると思っている。そんな思いを仲間と共有しながら、来年も元気で再会し、レジェンドを進化させていきたい。
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■「横浜JAZZ PROMENADE 2012」 平成24年10月7日
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日本最大級のジャズ・フェスティバル「ヨコハマJAZZ PROMENADE」が今年20回目を迎え、その記念すべき年に2回目となるボランティア活動に参画した。本活動を仲間と共に推進していく中で、昨年以上に深い感動を覚えたので。チームの仲間に感謝の気持ちを捧げたく、感動に揺さぶられた心情を書き留めることにした。
本年は運営を担う市民ボランティアが400名を超えたとかで、10月1日に開催されたオールスタッフミィーティングの会場は人が溢れ、立ちながら説明を聞かなければならない人がでるなど、大変活気に溢れたキックオフとなった。ジャズへ高まる関心は横浜ならではのことなのか、昨年より100名以上増えたボランティアの数は、正にそのことを象徴しているようにみえた。本ミィーティングで、昨年ご一緒した仲間から声を掛けられ、そういえば来年も必ずお会いしましょうと交わした言葉を思い出し、懐かしさがこみ上げ再会できた喜びと感激にひとしおのものを感じた。そこに、ジャズの女神の巧みな仕掛けによる導きが感じられてならなかった。
私には、今年も横浜開港記念会館で10月6,7日の両日ジャズクルーとしての活動がアサインされていた。昨年は、初めての経験だったので初日の受付周辺のセッティングと立ち上げ作業にてこずらされたが、今年は1年の経験が思いのほかの自信となっていたようで、幾分余裕を持った入りが出来たように思う。もっとも机を飾るボンボリ等を飾り付けすることが無くなったことも寄与していたが、何と言っても仲間に恵まれたことが一番の要因だと思う。奇しくも昨年ご一緒させていただいたUさんをはじめ経験豊富なMさんと今年初めてデビューされたKさん達と初日の早番の受付係を担当することとなった。
我がチームほど、以心伝心に満ちていたチームはなかったのではないか。今年も受け付けの立上には、パンフレットに訂正の別紙を挟み込むことや、チケット回収箱の調達など立上作業をてこずらせることに事欠かなかったが、昨年受付を経験されたUさんにチームを牽引して頂き、一丸となってお客様受け受入れの準備を整えていった。このチームの凄さは、阿吽の呼吸で行動できるファミリーなチームワークに垣間見え、アイコンタクトが輝いていた。
お客様への対応が始まり、彼女達が一生懸命にチケットとバッジの交換を進める中、一言添える案内の言葉の端々にお客様を歓迎し、とことん楽しんでいただこうとするホスピタリティーがみえた。そして、合間に交わす会話の中に本当にジャズが好きなことが窺え、それだからこそ本活動を通じお客様と接し、共に楽しんでいくのだとの思いが垣間見えた時に、このチームの本当の凄さが表徴されていたように思う。
隣の物販係のMIさんとSさんが楽しい会話をしながら、Tシャツの販売に傾注されていた。漏れ聞こえてくる話は、文学、芸術、語学、果てはワールドワイドな話題にまで及んでいるようでとても興味がひかれ、ついつい口を挟みながら、Tシャツ販売に協力をさせていただいた。売り上げが10枚を超えた時の喜びは、たとえようもない嬉しさに包まれ大きな笑みがこぼれてしまった。次の日、私を物販係に導く巧妙に仕組まれた伏線だった気がしてならない。
彼女達先輩の話は、本当に素敵だった。まさかこの場所でトスカや吾妻鏡等について語り合うことになろうとは思いもしなかったが、お二人の教養の広さ深さに刺激されTシャツを販売したことは一生忘れることはないであろう。勿論、ジャズ好きであることは言を俟たず、滔々と語られるなかにほのぼのとした、現代日本が忘れてきてしまった本当の日本人の心が見えた。その時ほど、本ボランティア活動に参加したことの喜びを抑えることが出来なかった。恐らく彼女達良き先輩方によって、この「横浜JAZZ PROMENADE」が背負われてきたに違いない。彼女達のJAZZに掛ける思いこそ、横浜市民の面目躍如たる誇りなのだろうと思った。
こういった予期もしなかった素敵な出会いに巡り合わせることが出来るのも「横浜JAZZ PROMENADE」ならではのことかもしれない。はたまた、そんなことに思いを馳せる者たちにJAZZの女神が手を差し伸べ、導いてくれているのかもしれない。園田さんと児玉さんの温かいご指導に、女神の影が透けて見えた気がしたのはその所為かもしれません。誠に恐れ多く感謝に堪えず、お二人に「有難うございます」の言葉を添え感謝の気持ちをお伝えする次第である。
今年も、JAZZ好きな仲間たちから実に多くのことを学び、触発された。チームの皆さんに心から感謝の気持ちを捧げたいと思う。我々が担当した受付や物販係は最高のチームだったと思う。それは仲間の思い入れが殊更に深かったために、女神が最強の組み合わせを仕組んでくれたのに違いない。であれば、来年もこのチームでご一緒して「横浜JAZZ PROMENADE」を盛り上げていかなければならない。そして好きなJAZZに酔い痴れ、スウィングしながら横浜の街をプロムナードしない訳にはいかない。
皆さん、来年も元気でお会いしましょう。そうすることが幸運な巡り合わせに添うことであり、女神の思し召しにかなうことなのですから。
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■オペラ「トスカ」を見た日 平成24年10月5日
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ボランティアで横浜みなとみらいホール周辺に出かけることが多くなり、ホールで開催されるプログラムに目を引かれるようになった。その中にひと際私を引き付けた案内チラシが目にとまった。それには「ローマを舞台にした"愛と運命"のドラマ、イタリア・オペラの傑作!」とあり、その裏面には「歌に生き、恋に生き」「星は光りぬ」心に響く、珠玉のアリア 壮絶な愛を描いた不朽の名作!」と続き演出監督、指揮、出演者の紹介が記述されていた。
噂でしか知らなかったプッチーニ作曲、ウイーンの森バーデン市劇場による「歌劇トスカ」の案内チラシであった。本場のオペラを1度見ておきたいと思っていたので、私には高額ではあったが、6月に迷わずに鑑賞することを決めていた。
10月5日みなとみらいホール 大ホールで開催された本オペラはまさに圧巻、本場の歌劇に魅了されてしまった。本作品がオペラに仕立て上げられるには紆余曲折があったようだが、プッチーニによって作曲されたこのオペラは見せ場の多さから、オペラ史における極めて重要な作品とみなされているとの解説を聞いた。
「トスカ」は、ソプラノに生まれたら誰もが一度は歌いたい最高の作品だと、日本を代表するソプラノ歌手佐藤しのぶさんは仰っている。その言葉の通り3幕1時間50分にわたるトスカの歌声は、素人の聴衆者である私の心をえぐり続けた。その透徹した響きに圧倒され、至福の時間を過ごすことが出来た。オペラの醍醐味などと云ったことはまだ分からないがオペラにのめり込んでいきそうな気を止められそうにもなくなってきている。これからも機会があれば、見に行きたいと思っている。差し当たっては「トゥーランドット」「カルメン」「椿姫」と云った作品を見てみたい。
誰か一緒に見に行きませんか?
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■「超繁忙は9月も引続いた」 平成24年10月3日
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8月中盤から始った繁忙は、9月も引き続き目が回る忙しさとなった。
今月もブログの更新に手が回らず忸怩たる思いに駆られるが、久しぶりの忙しさがそれを和らげている。今月も日付毎に行ったこと手短に記すこととする。
・9月9日 関内ホールの大ホールで横浜市民ギャラリーの移転説明会があった。現在の施設が耐震強度が低いことや経年劣化が進んでいることから、旧職員厚生施設「いせやま会館」を改修して移転することになった。このギャラリーを長く利用・活用されてきた出品団体の方々の質疑が活発に交わされたが、ここで長くボランティア活動をしてきた仲間の意見を聞いて頂く時間が余りにも少なく、先輩方にはフラストレーションが溜まったようだ。改修が終了し移転するまでの間(来年度1年間)はなにも遣ることがなくなってしまうので、余計に拍車がかかっているように思える。折角積んできたノウハウを無駄にしないよう仲間と相談していくこととした。
・9月9日 説明会の後、友人のS君から、神奈川県立博物館で開催されている「夢窓疎石」特別陳列の招待券をもらっていたので鑑賞しに行った。鎌倉の禅宗文化に大きな影響を与えた「夢窓疎石」の初公開となった項相をはじめ、重要文化財を含む50点が展示されており、鎌倉幕府が滅び、新政権が京都に樹立された激動の時代に活躍した禅僧の生きざまを垣間見ることが出来た。忙しの中にあってこういった歴史の美術品に触れることで大いに堪能できた。ちなみに、本博物館では、S君が説明員ボランティアとして今年の春頃から活躍されていることをお伝えしておきたい。当日も、大変詳しい説明を頂き感動してしまった。お暇を見つけて出掛けられたらいかがでしょうか。彼は日曜日に出ているとのことです。
・9月10日 午前中、藤が丘の病院でボランティアに従事。今年は相変わらずに暑い日が続き、来患者も大変だが2時間立ちっぱなしのボランティア業務も大変。立ちくらみがするほどで、初めて途中で水分補給をした。
・9月13日 町内の長老たちで編成されている「ひまじんの会」に出席。自己責任の典型的事例としての自分の健康管理についてひまじん会特有の意見交換を行った。皆さん一様に真面目に管理されているのに感心させられた。この問題は自己責任に尽きる。先輩方の苦労話に、健康であることが一番幸せなのだと云えることも自己責任のうちであることを、改めて思い知らされた気がする。
・9月14日 昔の職場の先輩とコレド室町の「四川飯店日本橋 Chen Kenichi China」で会食。いつもながら舌鋒鋭く今の世を糺すお話しを伺いながら、紹興酒と中華料理を堪能した。お互いに歳を重ねてきたせいもあるのか、酒量が少なくなってきた。その分議論も穏やかになってきた気がする。勘違いしないでもらいたいのは、テーブルをたたくくだの、大声を張り上げることがほんの少し減ってきたという程度なので、他のお客様から見れば依然として煩い隣の客に違いないのだ。歳を考えてもっとジェントルマンらしい会食にしていかなければならないのだろう。もっとも、「煩いのはお前だけだ」と言われているのが気になることではある。
・9月16日 会社のOB・先輩のお通夜に。80歳を超えられていたがすい臓がんで亡くなられてしまった。明るく元気で、いつも声をかけて頂いた。いい人との別れは本当につらい。
・9月18日 国連WFP横浜支部のイベントW/Tのミーティングに出席。9月10月に予定している募金活動等のイベントについて議論する。最近では、議論の中身より終了後のメンバーとの会飲会食が楽しみになってきている。当日も桜木町の中華屋さんでミーティング以上に盛り上がった議論が展開された。本議論を無駄にしないようにと思うのだが・・・。
・9月19日 田町の芝クラブで「月プロ:月曜日プロジェクトの略」の会合を行った。長老のSさんが、高尿酸血症に罹ったとかで欠席となった。メンバー全員がそろうことが何よりも大事なことなので、1日も早い回復を願うばかりである。当日は現役のものが2人いたので会社の話に集中したが、辛いことが多いかも知れないが頑張っていって頂くことを彼らに託すしかなかった。
・9月21日 横浜市民ギャラリーで第55回記念太平洋神奈川展が開催されている。太平洋美術会神奈川支部に属しているOさんから、招待の葉書を頂いた。彼女は、本展覧会に得意のふくろうの絵を出品されており、今回は神奈川新聞賞を受賞された。彼女はこのギャラリーのボランティアもおやりになっており、我々の仲間であり先輩なのである。今までに彼女の絵を何回となく拝見してきたが、フクロウに拘ったその執念はとても迫力があり、人を引き付ける。今般、受賞された絵の前でじっくりフクロウと対面させていただいた。フクロウが世の中を深く洞察しようとしているように見え、しばらく場所を離れることが出来なかった。
・9月26日 横浜トリエンナーレ学校vol.3に出席した。今回は、「アジアの近現代美術を学ぼう!」と題し、九州大学大学院人文科学研究院教授、後小路雅弘氏が講演された。そもそも「アジア」とは何? から解説は始り、1930年代にジャワがオランダから独立し、一つの祖国と一つの民族と一つの言葉をもつ国民国家をつくろうと、若き革命家たちが命をかけていく時代に、美術家たちもまた、近代美術とは何かと自問し、自分たち自身の美術表現を確立すべく歩みだしたところに東南アジア近代美術の胎動があったと、講演の口火が切られた。
1940年代(アジア太平洋戦争と日本軍政)、1950年代以降(独立国から国づくり)、そして1990年前後の東南アジアにおけるモダンアートから現代美術へ・・、インスタレーション、パフォーマンスについて懇切な説明を頂いた。
現代アートと云うのはよく分からないが、西欧美術の影響を受けることで発展してきていると受けてしまうが、そもそもそこに土着しているはずの固有の文化(アジアン美術、日本美術、東洋、中東の宗教など)との関連(それぞれの発展も含め)をどのように捉えるのか、疑問が深まるばかりとなってしまった。
・10月1日 今年で20回目を迎える「横濱JAZZ PROMENADE 2012」のオールスタッフミーティングに出席した。今年も3,000名を超えるアマチュアからプロのミュジシアンが参集し、横浜市のいろんな場所で10月6日、7日の2日間にわたり、ジャズのパフォーマンスが行なわれる。今年は、世界のトップジャズアーティスト秋吉敏子が出演するとのことで、人気が上昇している。当日の説明会に、昨年を大きく上回る400人ものボランティアが集まった。昨年顔を合わせた方から声を掛けられ、久闊を叙しながら今年も楽しみ活動していくことを話し合った。
きっと両日は、横浜中がスイングすることであろう。ご興味のある方は是非お立ち寄りいただけたらと思う。ストリートパフォーマンスもきっと気に入ると思います。是非是非お出かけを!
※このほか
・2つのfreemlサイトの立ち上げに、忙殺されている。当方が思うほどITへの利用には関心がないのか、恐れがあって二の足を踏んでいるのか、何とももどかしい思いに駆られる日々となっている。面白さを実感させて上げられればと思い毎日苦心惨憺しているところである。この状況は、当分続きそう・・・。
・横浜市民ギャラリーで9月28日から10月7日まで「ニューアート展2012:動く絵描かれる時間」が開催されている。これも一見の価値があります。是非お立ち寄りいただければと思います。
・初孫も、5か月が過ぎハイハイはまだ出来ないが、両手で身体を支えることが出来るようになった。カミサンのアッシーを務めながら彼を見に行くことにも忙しくなってきたが、両手で身体を支えながら嬉しそうな声を出し、迎えてくれるとジジイ馬鹿が頂点に達してしまう。今は、実家のジジイ殿とその馬鹿振りを競っているように思う。負けてなんかいられないのだ。
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