□「平成24(2012)年ブログ」NO.3   平成24年7月1日〜9月30日   ♪BGM 
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■「超忙しかった今年の8月中盤以降」                 平成24年9月15日

 今年の8月は、近年にない超忙しい月となった。
 8月19日に中学校の同窓会に出席し、21日に帰郷した日を境に猛烈に忙しくなってしまった。そのため、本ブログの更新も追いつかず、遅れ遅れとなってしまった。余裕が出来た折にと思い、本日8月以降に動いた軌跡のメモを残し、後日何をしてきたのかを振り返るよすがにすることとした。

・8月1日 横浜総合病院で定期検査を受診(胃通しのレントゲン検査は勧められないとの忠告があり、胃カメラ検査を申告するも却下され、若干不安を抱かせる定期検査となった)

・8月2日 車の2年目検査を246号沿いのディラ―で受けた。諸部品の取り換えやメンテナンスで3万円近い費用が掛ってしまい、思わぬ出費に目が点になってしまった。

・8月3日 国連WFPのボランティア活動で表参道ヒルズに出かけた。トップモデル富永愛さんのエキシビジョンもさることながら、WFPに対する支援の熱い心に心を動かされた。

・8月7日 元会社の同僚と町田で会飲、会食。久しぶりに場末のスナックに繰り出しカラオケに興じた。

・8月8日 孫の面倒をみるため、カミサンのアッシーを務める。赤子の成長に目を見張る思いがした。

・8月9日 国連WFP横浜支部ワーキングチームの定例会議に参加。会議後定例となった飲み会にも参加、テンションがすこぶる昂揚。

・8月10日 町内の長老たちで構成されている「ひまじんの会」の暑気払いに参加。歳を感じさせない呑みっぷりに脱帽させられる。まだまだひよっこであることを思い知らされる。

・8月11日 横浜市民ギャラリーあざみ野でボランティア向け「あざみ野こどもぎゃらりー」の研修を受ける。針金アートに四苦八苦。

・8月13日 毎週月曜日の日課となっている、藤が丘の某病院でボランティア活動に従事。とんでもない暑い日が続き患者も大変だがボランティも大変。

・8月18日 横浜市民ギャラリーあざみ野サロン「落語家のお仕事を知る」に参加。若手落語家の金原亭馬吉の修行等の話(講演)を聞いた後、彼と、春風亭一左の落語を聞く。神奈川県出身の若手落語家の二人のイキのいい落語を満喫。

「金原亭馬吉 落語家のお仕事を語る」

 8月18日の中盤まではこんな動きをしていた。このほかに孫の関係でアッシーを何回か務めさせられ、いつもの月より少し忙しい日々を送っていた。一変したのは、19日に中学校の同窓会に出席した後に、本同窓会のホームページを作ることに駆りだされたことと、職場のOB会のホームページを作ることが同時に起こったために後半以降はとんでもなく忙しい日々なってしまった。

 本日(9月15日)に至るもその忙しさが持続しており、当分自分のブログの更新が覚束ない状況が続きそうである。何とか1行でもと思っているところなのだが・・・・・。

 帰省後(8月21日)に動いた主なもの。

・8月22日 横浜トリエンナーレ学校「国内のアートプロジェクトを知ろう」に出席。

@「水と土の芸術祭2012について」/五十嵐正人(新潟市水と土の芸術祭推進課長/水と土の芸術祭実行委員会事務局次長)氏の講演を拝聴

A「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012について」/原蜜(大地の芸術祭事務局)氏の講演を拝聴

B「混浴温泉世界2012について」/小出淳也(NPO法人BEPPU PROJECT代表理事/別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合プロデューサー氏の講演を拝聴

 日本の各地で、町おこしに芸術をどのようにコミットメントさせようとしているのかという話しを実に興味深く拝聴できた。町おこしに芸術の力が必要で、どのようにかかわらせるのか興味は尽きない。

・8月24、26、31、9月1日 横浜市民ギャラリーあざみ野で「あざみ野こどもぎゃらりー」のボランティアに終日参加。針金アートの指導も板につき、子供やお母さん方に好評を博す。

・26日は「あざみ野ナイト2012」/アーティスト池田光宏氏のホーム・メード・ホーム映像インスタレーション作品展示場でのボランティア活動に従事。屋台でポップコーンやラムネの販売にも顔を出しながら、池田光宏氏の講演を聞きかつ来場者の誘導に専念。20時半頃に終了後スタッフとラムネで打ち上げ。池田氏と握手をし意見を交換できたのは今日一の収穫。

・9月4日 国連WFP(横浜パシフィコ)で事務作業のボランティアをした後、横浜美術館に奈良美智の「君や僕にちょっと似ている」展覧会を見に行った。あの独特の顔をした大きなブロンズの像が1階で来場者を待ち受けており、絵画とは違った印象を受けとても感激した。絵画には何とも言えない味が感じられ、人を引き付けないではおかない不思議な魅力に取りつかれる。9月23日まで開催されているので是非足をお運びになったらいかがだろう。

・9月8日 国連WFP応援団団長の、アフリカのルワンダ訪問の報告会がありそれに参加した。数多くの現地の写真を見せられ、日本のJICA職員や、WFPから派遣されているスタッフの従事している活動に今更ながら頭が下がる思いがした。飢餓、貧困の問題から目をそむけてはならないことを改めて気付かされる。

 以上主に動いたことをメモにしたが、2つのサイトを立ち上げてきている仕事が続き目が回りそうである。取り急ぎ近況をメモしたがこのあたりで一服し、落ち着いたら、我がホームページに専念しようと思っているところだ。


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■「中学校の同窓会」                        平成24年8月20日

 8月19日に7年ぶりにふるさとの温泉街で中学校の同窓会が開催された。6月に高校の同窓会があったばかりだったが、中学時代の仲間は高校時代とは別な親近感が溢れ、懐かしさてんこ盛りの同窓会なった。

 中学校時代と云えばそこそこ大人の入口に立った年頃であったからやたらと大人びてしまった仲間と、未だ幼さが抜けきらない仲間が混在していた。

 それが50数年を経て、幼さを引きずっていたあいつやこの子たちがラディカルに変身してしまったのに、当時既に大人の面相に仕上がっていたあの子やこいつたちがマイナーチェンジにとどまっていることが何とも滑稽で、旧交の情が呼び覚まされないわけがなかった。

 「あんたどなたさんやったけ?」と驚く一方で、「あんた、ちーっとも変わらんのぉ」と妙に安心したやり取りとの落差に滑稽感が醸成され、旧交の情が呼び覚まされているに違いなかった。長幼の面立ち(面相)を意識し始めた年頃になっていたから、そしてその時代を共に過ごした仲間だったからこそ、格別に感応出来るのであろう。

 この歳になってみんな等しく年相応の面立ちになってきた。創造主は何人にも公平に恩寵を与えているのだと思う。それは、その面立ちを積分してみれば、それぞれに同等の値を配分なさっているとしか思えないからだ。ただ、そこに至るまでに個々人に応じて異なる変化率を設定されている。このことが、歳をとってから旧交を温めるための伏線になっているのだと気付いたとき、創造主の実に巧妙な仕掛に畏敬するばかりであった。

 その変化率の対比が殊更の親近感を醸成しているのであろう。そしてその対比の原点が明らかに中学時代にあったことがこの同窓会を懐かしさてんこ盛りにしているのだと思う。

 これからもこの恩寵に感謝し、親近感溢れた懐かしさてんこ盛りの同窓会を続けていかなければならない。それは、歳を経たときからでしか分からない真の友情を、懐古させようとする創造主の思し召しに添うことなのだから。


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■「うわ手を行く早起き症候群」に想う                平成24年8月14日

 最近「早起き症候」の進行が、確実に1段階上がったと認めざるを得なくなったことについて紹介したばかりだが、世の中には上手がいるもので、自分の場合はまだまだ可愛いレベルなのかもしれない。

 毎晩携帯を枕元において就寝しているのだが、最近明け方の5時とか5時半頃に携帯が唸りを上げるのである。PCに入ってくるメールを携帯に転送しているので、メールを受けるたびに唸るのだ。

 携帯に転送し始めた頃にはやたらと唸られたので、プロバイダーや有象無象のサービスサイトから飛んでくるメールは必要最低限のものを除き一切シャットアウトした。だから、受信するメールは限定されたものになるのでやたらと唸られることはなくなったのだが、その限定のメールのいくつか(全て個人から)が早朝に送られてきているのである。

 5時とか5時半頃に受信するメールは、少なくても4時台には起きていてメールを作り送信しているはずであろう。どうしてこんなに早くからメールを打つのだろう--内容はほとんど緊急なものではない--。今のところ該当者は3人であるがいずれも自分より先輩である。

 「早起き症候」は、なってみないと分からない奥深いものがあるのかもしれない。自分もようやっとその入り口に立ちエージングの進行を認めないわけにはいかなくなってきたが、上には上がいるもので自分はまだその域には達してはいない。本症候を名乗るには誠におこまがしい限りと云わなければならない。でも、いつか他人様に早朝にメールを出すことになるのは断言できる。その日がいつなのか、決して遠いことではなさそうな気がしている。


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■「あざみ野こどもぎゃらりぃ2012」                平成24年8月11日

 横浜市民ギャラリーあざみ野で「あざみ野こどもぎゃらりぃ2012」が8月23日から9月2日まで開催される。今年は会期中、来館者が自由に参加できるワークショップ「針金アート」を予定している。

 ■針金アート
 ・指導アーティスト:新藤貞雄
 ・内容:一本の針金を曲げて一筆描きのようにつくりだされる形の作品を作る

 このワークショップの対象者は小学生。彼らにアートサポートするためボランテイァ活動の要請をうけた。

 支援をするからには自らが制作できなければならないし、針金を使用することから安全に留意した指導もしなければならない。そして、何より大事なことは支援者が「針金アート」の魅力を子供達と一緒に楽しまなければ、この催しが首尾よくいかない。そのようなことを踏まえ、8月11日に参加予定ボランティアの事前研修が行われた。

 当日は参加予定15名のうち12名が参加した。講師は当ギャラリーの館長。当ギャラリーのカレッジを主宰し講師もされているので講話、実習の指導はとても上手で感心してしまったが、館長には随分と世話をおかけしてしまったようだ。

 何しろ参加した生徒のほとんどは70歳を超えており、老人力(理解力が??、煩いことこの上???、自分勝手に???)が発揮されるクラスのマネジメントを押してはかられた。なまなかの人には出来ないであろう。さすがに館長殿は老人の扱いにも秀でた能力をお持ちのようだ。お陰で大変楽しく充実した研修となった。

 これを本番に活かさなければならない。そのために、針金を持ちかえって家で実習するという方も表れ、その方に触発されるやらで我々ボランティアの意気は極めて高くなってきている。もし、お近くに住われお暇がありましたら、この期間あざみ野のギャラリーまで足をお運びいただければ幸いです。もう我が子ではなくお孫さんの世界でしょうか? お連れになって来て下さることをお待ちしております。

展覧会の詳細はこちらをご参照ください。

当日作成した我が作品の成果を近々「横浜市民ギャラリーワークショップ」での我が成果で紹介する予定です。 お暇な折にお立ち寄りください。
我が成果はここから入れます。



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■「年中行事となったどさくさ」に想う               平成24年8月07日

 ロンドンオリンピックで日本人選手の活躍に一喜一憂し、寝不足の日々が続いている。そんな中、どさくさ紛れとは言いたくないが、わが国の政治がまたぞろおかしな状況になってきている。党利党略丸出しとしか言いようがない国民を不在とした政治を罷り通そうとしている。

 大政党と云われているいくつかの政党は、互いに決める政治と言いながら国民から遠ざかっていくばかりに見える。財政・経済の立て直しや災害からの復興、電力エネルギーに関わる原発の扱い、さらには、流動化している国際経済環境への対応等々、山積する政治課題解決に一刻の猶予も許されないことを知りながら、政局ごっこをしている輩に本当に腹が立ってくる。

 こういう国にしてきたことや、このような政治家を選んできたのはほかでもなく我々自身であるから、このことに加担してきた責任を感じないわけにはいかないが、いくらなんでもひどすぎる。そしてそれに輪をかけて、きちんと調べもせず、また信念も持たずにあてがいぶちの金太郎飴情報を垂れ流すだけのあまたの評論家やマスコミに拍車をかけられていると思うと、本当に情けなくなってくる。

 オリンピックの情報にもそういったメンタリティが如実に表れているように思えてならない。世界のレベルを勘案しながら独自の予想を踏まえた上で評論、報道するのならともかく、ろくに調べもしないであてがいぶちの情報としか思えないような情報に頼り、軽薄な皮算用で浮かれさし、感情におぼれた内容を臆面もなく流す報道に、戦前の報道もかくあったのだろうと思わざるを得ず、いつまでたっても変わらない彼らのメンタリティに愕然としてしまう。

 マスコミに権力の監視を付託するのは民主主義の知恵であろう、しかし正義の味方を装った権力者として横暴を振われたのでは始末に負えなくなってくる。そのところを気づいているのかどうか問われるところだが、今チュニジアで起こったジャスミン革命を彷彿させるようなインターネットによる政治へのアクセスが起こってきている。政治家もマスコミも信用できないとなれば(改まらなければ)・・・、我々の次の一手はこれに傾注していくしかないのかもしれない。

 ロンドンオリンピックのどさくさに、我々不在のことを企み罷り通そうとしてしてもそうはいかない。政治家も評論家もマスコミも思い切った自己改革をしなければ見放されることを思い知るであろう。

 オリンピックに参加した選手の戦いぶりを見て、手抜きをしない一生懸命の選択をしなければと思った。彼らの顔に一生懸命打ち込んできた誇りが垣間見え、それが我々に与えて呉れた何にも替え難いメダルとなった。「このメダルを無駄にしてはいけない」、オリンピックを観戦しながら改めてそう思った。


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■「I.TOMINGA 15th Anniversary」でのWFP活動             平成24年8月03日

 1カ月ほど前、WFP事務局から次のイベントボランテイア募集の案内があった。

≪国連WFP協会顧問であるファッションモデル・冨永愛さんがデビュー15周年を記念したイベントを7月30日から8月5日まで、表参道ヒルズSPACE Oで開催する。イベント会場でWFPもパネル展示などブース出展する機会をいただいたので、一緒に来場者にWFPの説明や募金活動に協力できるボランティアを募集≫

 彼女はWFPの関連でアフリカに行かれたりして活動に造詣の深い方と聞いていたので、その意気に感じ参加を決めた。

 日頃行き慣れていないハイカラな表参道ヒルズも、仕事であればこそとの思いで扉を開けてはみたものの、おじさんには少々度胸のいることであった。地下3階のイベント会場はさすがにスーパーモデルのエキシビションに相応しく優麗・眩いものであった。そしてその会場中央の緋毛氈上に絶妙にセッティングされたWFPの10組のパネルは「I, Tominaga 15th Anniversary」と見事にハーモナイズしていた。外のイベントでよく使っているパネルがこんなに映えるとは思いもしなかった。パネルも展示される場所を選り好んでいるのかも知れない。

「I, Tominaga 15th Anniversary」「優麗・眩いエキシビジョン」

 13時30分から17時まで本会場で活動したがその間、高級感あふれる会場になだれこむような入場はなかったが、来場者のほとんどがWFPのパネルを熱心に見てくれたのには正直驚いた。富永愛さんの魅力のなせるわざなのであろうが、パネルも少しばかり自己主張に拘ったからなのかもしれない。

 このような雰囲気の中へ子供さん連れで来るのは本当に少ない。WFPとしては紙芝居も用意してきていることだし、活動の趣旨を踏まえれば多くの子供さんにも来てもらいたいのである。だから、会場の入り口やヒルズの入り口で誘導のご案内まで行い、入場して頂いた子供さんにはたとい一人といえども紙芝居をお見せした。聞いて頂いた子供さんが感動して寄付金を下さったときにこの活動が報われた思いがした。

 それにしても、午後6回も紙芝居をした三宅さんの活躍はすごかった。引率のお父さんまで感動に惹きこんでしまった熱意に満ちた語りはまさに絶品、WFPの紙芝居がこれほど高められたことはないだろう。また、この会場の来場者一人ひとりにパンフレットを配りWFPを宣伝し続けた仲間の活動にも頭が下がった。愛さんのファンもWFPに親和性を持ってくれたに違いない。

「熱意に満ちた紙芝居」「いつの日かあなたも・・・・・」

 WFPの活動はこういった方々に支えられているのであろう。本日は活動に参加して本当に良かった。愛さんのパネルの1枚から「いつの日かあなたも支えているひとりと言われるように!」と囁かれているような気がしてならなかった。


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■「横浜市こどもの美術展2012」                   平成24年7月31日

 横浜市民ギャラリー恒例の夏休み子ども向けイベント「こどもの美術展2012」が7月28日〜8月2日まで開催される。
 この展覧会は、本ギャラリーが開館された1964年の翌年から続けられてきている子供のための展覧会である。横浜市内に在住・在学の小学生以下の子供であれば誰でも出品でき、出品作品は全て展示されるので毎年多くの作品が寄せられる。

 今年も、0歳児から小学6年生までの子供から3,227点の作品が寄せられた。
 この多くの作品展示と展覧会維持のため、多くの高校生や一般のボランティアが参加しサポートしてきている。昨年までは鑑賞するだけだったが、今年はサポートに一役買うことにし7月27日と31日の両日支援活動に参加した。

 27日はオープン前日の準備作業がアサインされ、会場に展示された作品一つひとつに「評価コメント」を貼付する作業を20人を超える高校生のボランティアや、本ギャラリー登録(専属)のボランティアで行った。「評価コメント」は、あらかじめ20種類ほど用意されており、その作品に最も適した評価を付けさせて頂くのだが3,000件を超えた作品を評価するのは、並大抵のことではないことを思い知らされた。

 一つひとつの作品から、小さい子供たちの一生懸命な思い入れが伝わり、形容しがたい感動を覚えた。評価を下すのはとても悩ましく難しかったが、13時から17時までいつものボランティア仲間と意見交換し、支え合いながら何とかやり遂げることが出来た。精神的にも物理的にも疲れはしたが、仲間の顔に子供たちを励まし喜びに導く支援をやり遂げた満足感が見えたとき、疲れは貴い経験へと転化し、利他に通じる遣り甲斐を感じた。

「仲間の顔に満足感が・・・」「意見交換し、え合いながら」

 31日は11時から16時30分まで展覧会会場で案内サポートを行った。会場には母親や父親、さらには学校や幼稚園の先生たちに引率された多くのちびっ子アーティスト達が来館し、自分の作品の前で感想を述べ合う等大わらわで大変微笑ましい状況があちらこちらで起こっていた。お母さんたちの熱の入れようが、子供以上に一方ならない様子を垣間見せていた風景に思わず笑みで返すしかなかった。

 展示場所を探し求めている親子と一緒に探し、見つけて差し上げた時の喜びの顔とお礼の言葉を忘れることはないだろう。世知辛くなってしまった今、このような作品展を通じて親子の純な愛情表現を併せて鑑賞できるとは望外の感動であり、一サポータとして下支え出来たことが誇らしく思えた。

 きっと彼らの中から10年20年先に、世界に名を轟かせる名アーティストが輩出するだろうとの予感がする。それは、こういった環境を維持し続けてきているギャラリーがあり、そこで従事するスタッフやとりわけボランティアが一方ならない情熱を込めているからである。
 少し誉めすぎか!・・・・・。来年以降も下支えに参加せざるばなるまい。


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■「初孫のお食い初め」                       平成24年7月29日

 娘から初孫のお食い初めを「7月29日に遣るからね」、と連絡があったのは1か月前のことであった。子供が生まれると、あれやこれやの慣習がこんなに多くあるのかと改めて思い知った。立場が親父から祖父(じじ)に変わったことで、嬉しさや感激も一味違ったものを感じる。日々の時間的余裕(暇だと云う意味)が出来たからかもしれないが、その思いは我が子の時より一層深い。

 だから、その日が待ち遠しく居ても立ってもいられなくなるのだ。口には出さないが娘からの連絡を聞けば先方のジジ、ババも同じ気持ちであることが手に取るように分かる。

 生まれてちょうど100日目の7月29日、鷺沼のあるお店でお食い初めを行った。用意されたお食い初めの膳に箸を付け孫の口に運んだのは先方の爺殿。嬉しさにはちきれたその顔に、我々両家の爺、婆の子供の成長を願う思いが表れていた。

 生まれた時は2,850グラムだったのが、100日で7sを超え順調に成長していることに感謝をしつつ、両家のジジイ、ババア達の喧(かまびす)しい会話が途切れることはなかった。

 この日も両家のジジイ、ババアが張り切ってしまったようだ。願わくば、彼に語りかけた話しの片々でもいいから覚えておいてほしい。それは爺、婆たちがどれほど君を愛しているかの証しなのだから。

 これからまだ慣習は続く。「じじ馬鹿」を極めていかなければならないのかもしれない。

「養い親から初めての食事を・・・」「一口と言わずに、もう箸使えるよ!」


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■「夏祭りに付き合う」と云うこと                  平成24年7月22日

 当日は、朝早くに「zatubkoku」の作業を終えた後、午前10:00から寺家ふるさと村体験農園部主催の園芸教室「秋まき野菜の作り方」の講演会に参加した。

 毎年、ガーデニングに一家言を持つ町内のおじさん方やおばさん方が満を持して参加するのでとても活発な講演会になる。新人に近い私にとっては教室の隅でひたすらじっと聞くしかないのだ。ところが当日は寝不足のうえ重労働をした後だったのでお休みするにはもってこいの場所となった。侃々諤々の質疑応答さえ心地よい子守唄となり十分な睡眠をとることが出来た。小さいときからの刷り込みで、教室で先生からお話を拝聴するときは決して目をつむるようなことはしてこなかったつもりだが、こんなに熟睡したのは初めてのことである。

 それはまた、当日の夜町内の夏祭りに出掛けるため万全な体力に回復、保持しておかなければならないという経験則的身体危機管理法に、アンチエージングにトライしている身体が素直に反応したからなのかもしれない。

 当日は午後5時ごろ会場の小学校へ出かけた。夏祭りに行くのは子供を連れていった頃以来であるから25-6年ぶりになる。メインの盆踊りは変わっていなかったが、新しいイベントが計画されている等夏祭りのスタイルも大分変った。
 まさか日体大の学生によるグループのダンスパフォーマンスが行われようとは思いもしなかった。ご近所のよしみということなのかもしれないが、若い方達の溌剌した演技に陶酔し、アルコールの量が上がったのは言うまでもない。

「日体大ダンスパフォーマンス」「町内の子供よさこいソーラン」

 実行委員会は本当に粋な計らいをしてくれたもんだとおじさん達は感謝し、そのお返しにはそれなりのことをと言わんばかりの乾杯の連続に、昼間寝ていていて良かったとつくづく思った。体力を回復しなければならないほどの夏祭りということのほんの一つの例である。お仲間のお喋りとアルコール好きが半端ではなく、それ相当の体力・気力を持ちあわせないとお付合いが出来ないのである。

 今年の夏祭りも盆踊りでお開きとなったが、まだまだお返しがし切れない気持ちを抑えきれず、行きつけのニンニク屋に繰り出し祭りの続きを行うこととなった。
 体力維持に努めた効果のせいであろう、このお店に行ったところまではきちんと覚えていたのだが・・・・・。

「夏祭りメインの盆踊りでお開き」「夏祭りの続きは当然と云い張るお仲間」

 気が付いたとき、翌朝5時から正確に1時間おきにトイレで、昨晩インプットした分以上のアウトプットに迫られ、入力と同じ経路を辿り出力させられる羽目に陥っていた。午後3時半まで地獄の苦しみは続き、ほとんど1日中立ちあがることが出来なかった。そして始末の悪いことに昨晩の宴の続きはもとより、どのように帰宅したのかさえ覚えていなかった。

 二度と繰り返えさないと何度も誓ったはずなのに、また遣ってしまった。でも、私だけではなかったようだ。お仲間からの連絡では苦しみ悶えている様子が伝わってきた。ところが、そんな中にもかかわらず来年も盛大に遣ろうとの意志がありあり。お仲間に付き合うにはまだまだ修行が足りないのかもしれない。
 来年に向け一層体力強化を図らなければならないことを思い知らされた夏祭りとなった。


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■「(続)(続)アンチエージング」                 平成24年7月22日

 7月22日の朝6:30から「zatuboku」の雑草刈り作業が予定されていた。前日の夜雨が降っていたので、この作業は流れると思い夜遅くまで本を読んだ。結局床についたのは午前2時。これで作業が流れなかった場合、今までなら6時までに起きるのはとってもつらく、難行苦行のはずだった。

 ところが最近、どんなに遅く寝ても5時頃に必ず目が覚めるようになったのである。そのまま2-3時間寝かせてくれればと思うのだが、身体のリズムが早起きにフィックスされてしまったようで如何ともしがたい状況なのだ。

 巷で言う「老人性早起き症」の兆候に思えてならない。何度か否定したものの、当日も朝5時半に目覚めてしまい、その兆候を素直に認めざるを得なくなってしまった。エージングの進行程度が第何期にあたるのかは分からないが、確実に1段階上ったことは確かなようだ。

 当日は、皮肉にも予想・期待に反し雨も上がり涼しくて絶好の作業日となった。幸い遅刻はしないで済んだが、寝不足がたたり、2時間ばかりの作業はとてもきつく、エージングの進行を改めて思い知らされた。

 作業終了後、今年初めて木々の間から蝉の声を聞いた。いつもならとっくに聞いているはずなのに、今年は夏の入り口でおかしなことになっている。季節までエージングが進んでいるのかもしれない。

 翻ってみれば、最近は季節にとどまらずいろんなところでエージングが進んでいるように思えてならない。自分自身のアンチエージングを考えながら、世の中も挙げてアンチエージングに取り組まなければならないのではないかと思った。


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■「WFP協会横浜支部W/Gミーティング」                 平成24年7月19日

 いつの間にかメンバーに取り込まれてしまったワーキング・グループのミーティングも、今年度7回目を迎えた。

 冒頭事務局長から今年度上期(6月末)の事業遂行状況が報告された。いつの年もファンドレーズには苦労を伴うが、今年は予算目標を高めにしている分、例年以上の努力が必要であること。マンスリードナー(月例の寄贈者)は顕著に伸びており活動の成果が上がってきているが、現下の経済状況を反映してか、寄付金単価/人が減少してきているので、安定した財源確保に向けた活動の強化が必要であること。さらに、WFP本部が、世界で相次ぐ自然災害のため、食糧危機に陥った地域への援助を強化してきていること。とりわけ、サヘル(サハラ砂漠南緑地域)食糧危機に対し、緊急かつ包括的な支援を実施しているとの報告があった。

 これらの報告を受け、W/Gでは、7月29日(日)にJR横浜駅西口で16:50〜18:50まで「西アフリカ、サヘル地域干ばつ緊急街頭募金活動」を実施することを決めた。
 さらに、安定財源確保のためマンスリードナー確保の活動も併せて行うことを決めた。お近くに用があった際には、是非お立ち寄りいただき御協力を賜れれば幸いです。また、お気持ちのある方ならどなたでも、何時でもマンスリードナーになれます。是非温かい手を差し伸べていただけたらと思う。

 ボランティア活動を通じ、飢餓対応への深刻さを改めて考えさせられる。正に、WFP本部のアーサリン・カズン事務局長の言う「Fighting Hunger」なのだと思う。戦い続けなければならないのであろう。

 ミーティング終了後、暑気払いと称し桜木町にあるW/G御用達の中華屋さんに繰り出し上期の打ち上げを行った。このグループはミーティングの度に飲みニュケートしている。だから、気心も知れ合うようになった仲間の会話が弾み上期の打ち上げは大いに盛り上がった。それはこれからも一緒に本活動を盛り上げていこうとする意志の表れだったのかもしれない。素敵な仲間と久しぶりの紹興酒に、私は今夏1番の陶酔となった。

※ サヘル(サハラ砂漠南緑地域)食糧危機<WFP広報から抜粋>
 西アフリカのサハラ砂漠南緑に広がるサヘル地域では、昨年の雨季の遅れや不安定な降雨の影響で、この10年で3度目となる大干ばつに見舞われています。このため、本年、同地域では食糧不足や栄養不良により、1,500万人を超える人びとが飢餓にさらされています。

※ WFPの活動、マンスリードナーの詳細については こちらをご参照ください。


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■「WFPエッセイコンテスト2012:食べる大切さ」            平成24年7月17日

 WFP国連世界食糧計画は、飢餓救済支援活動の一環として今年も「WFPエッセイコンテスト2012」を実施します。今年のテーマは「食べる大切さ」に設定され、エッセイの募集が開始されました。

 本イベントは、募集1件につき特別協賛企業から30円の寄付をいただき、それを支援に充てることを目的にしています。ちなみに昨年は9,896通の応募があり、296,880円の寄付金となったようです。

 エッセイの募集期間は7月15日(日)〜9月28日(金)までとなっています。

 私は、今年初めて応募し15日に作文を提出しました。提出したことで30円の寄付がなされたことになります。微力ですが、こういったことで少しでもお役にたてられたらと思っているところです。

 皆さん、いかがでしょう、応募してみませんか。
 奮って応募していただけることを願っております。

 コンテストの詳細はこちらをご参照ください。


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■「舞台芸術はどのようにしてできるのだろう?」           平成24年7月14日

 横浜市民ギャラリーあざみ野が主催する「あざみ野カレッジ」の生徒になって、好きな講座を受けるようになった。このカレッジは、学校教育法上で定められた正規の大学ではなく、横浜市民ギャラリーあざみ野が生涯学習を推進する目的で行う事業である。聞くところによれば、この事業は、東京・渋谷を舞台に様々な授業が行われている、シブヤ大学を参考にしているようである。

 生徒になった理由は、今更勉強する気などさらさらないが、知的好奇心をくすぐるカリキュラムが用意されており、気軽に参加できることに魅力を感じたからである。直近では、5月に「マックス・エルンスト---見える自然と見えない自然」を受講した。講師の、作家の生き様やその作品に関する周到な解説に、シュルレアリスムに一層興味を魅かれるようになった。

 そういった折、7月の講座「舞台芸術はどのようにできるのだろう?」の案内を受けた。講師は山下残(振付、演出家)。講座案内には「「舞台芸術」と一言でいっても、その作り方は一通りではありません! ストリートでのパフォーマンス、ギャラリーでの講演、公共劇場のプロデュース公演や海外のフェスティバル参加など創作者の視点から「敷居の高くない舞台芸術の作り方」の多様な事例をご紹介します。成り立ちを知って舞台芸術の世界に近づいてみましょう。」となっていた。

 案内を見て、この際シュールとかアバンギャルドとかが連想されそうなもの(自分で勝手に決め込んでいるから怖い!)には、首を突っ込んでみようとの野次馬根性を抑えきれず受講した。

 講師の山下さんは1970年生まれだからまだ若いが、左脳に響くというより右脳に響く独特な語り口にすっかり嵌り込んでしまった。目立ちたがり屋で、音楽家を志望していたのだそうだが、能力の限界を感じて、ダンス・パフォーマンスの世界に入っていった話のくだりに、人を惹きつけずにはおかない魅力が溢れていた。

「山下講師の話には、人を惹きつけずにはおかない魅力が溢れていた」

 京都のお寺で、岩下徹の即興ダンスを見た際、雷が鳴り、雨が降り出した中で彼からセミの抜け殻を渡された時に、この世界に入る決心をした動機の話は絶品に尽きていた。我々には、このようなシュチュエーションがあることさえ想像できないが、こういった芸術家には特有の宿命があり、その芸術の道に感応する特別の感性があるのかもしれない。

 一念発起して舞台芸術家を目指し努力を重ね、数々の作品を発表していることを映像で紹介を受けた。個々のダンスパフォーマンスはとても素晴らしく見えたが、全体のストーリー性?:演出家のコンセプトの様なものを理解するのは私には困難であった。

 解説を聞かないと理解が出来ないのが正直なところだが、解説を聞きなるほどと思わせ、のめり込ませる魅力を発見した時は快感を感じる。こういったところが、現代アートの本質なのかも知れない。彼のこれからの演出に目を離さないでいこうと思う。現代アートの本質を示唆してくれている気がするからである。

 彼に興味を持たれた方はこちらをどうぞ。


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■「言葉が変わると、世界が変わる」                 平成24年7月9日

 国連WFP協会のある理事の方からメールがきた。表題は「言葉が変わると、世界が変わる」とあった。

 以前、ファンドレーズの講習を受けた時、我々が行う募金活動(資金調達、財源確保)は戦略的でなければならない、と教えられた。
 そのためにどのようなコミュニュケーションをすべきかを学んだ。自分たちの正当性を主張し、自己満足に陥ってしまうのではなく、如何に相手に共感させられるような言い方をするのか、ということだったように思う。

 今般は、その応用編としての参考事例を一緒に学ぼうとの配慮なのであろう、以下のメモと参考のビデオの紹介がついていた。

          ■Change your words, Change your world.

  ある目の見えない老人が、段ボール紙に「I AM BLIND, PLEASE HELP」
          と、書いて街頭に座り、寄付を求めている。
      しかし、通る人たちは、ほとんど関心を持てくれません。
  そこに、通りかかった一人の女性が、ふと立ち止まって、段ボール紙の
             メッセージを書き換えたのです。
          なんて書いたか。 こちらをご覧ください。


 彼女の書いたメッセージは「 IT'S A BEAUTIFUL DAY AND I CAN'T SEE IT 」でした。

 言葉を変えることで、募金が増えたようである。
 まさしく、言葉を換えると、世界が変わることを示唆している。

 我々がやらなければならない活動は、実に奥が深く、考えさせられる。
 世界には餓えで難儀している方が約10億人もいる。こういった方達への支援のために、「 Change Your Word 」を試み、世界を変えていかなければならない。

                                             
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■「トリエンナーレ学校VOL.1」〜国際展を知ろう!「ドクメンタ」の報告から〜平成24年7月4日

 7月4日、横浜トリエンナーレ学校VOL.1が、国際展を知ろうというテーマで横浜創造都市センターで開催された。

 当日は以下の報告がなされた。

 1.報告〜「ドクメンタ13(ドイツ・カッセル)」
   /逢坂恵理子(横浜美術館館長/横浜トリエンナーレ2011総合ディレクター)

 2.報告〜「マニフェスタ9(ベルギー・ヘンク)」
   /帆足亜紀(横浜トリエンナーレ組織委員会 事務局長)

 3.その他の国際展の報告
   /逢坂恵理子、帆足亜紀

■「ドクメンタ13」/逢坂館長の報告
・ドクメンタとはドイツ、ヘッセン州の小都市・カッセルで1955年以来、5年おきに行われている現代美術展である。
・あるテーマのもとに現代美術の先端を担う作家を世界中から集めて紹介するという方針で開催されている。
・一人のディレクターがテーマ選定、作家選定を一任されている。
・本展覧会は、ナチ独裁体制下で退廃芸術として弾圧されたモダン・アートの名誉回復・復活を図るためにアーノルド・ボーデが提唱し開催された。
・1955年に第1回開催以来、今年は第13回の開催となった。過去の展覧会いに日本人のアーティストも何人か出展しているが、今年は大竹伸朗が参加している。
・今年のディレクターはキャロライン・クリストフ=バガルギエフ。テーマは特に決めてないとのこと。キーワード:戦争、トラウマ、破壊? 物故者も含めアーティスト、詩人、文学者、科学者ら200人が参加している。
・カッセルの街全体を使った展示になっているので、とても1日2日では見きれない。
・代表的な出展作品の映像写真を紹介。(現代アートは、説明を受けなければ分からないものが多い印象)

■「マニュフェスタ9」/帆足亜紀事務局長の報告
・1990年以降、東西がなくなったことで、文化を通して地政学的なバランスを取ることを目的として、開催された展覧会である。
・財団をオランダに置き、ヨーロッパ15カ国の政府と各国のアーティストによって2年ごとに開催されている。
・3年かけて次の開催地を選ぶのだが、開催目的(東西のバランスをとる)に沿う、慎重な審査が行われる。
(社会、政治、地理的条件のほか、開催国の資金、人材供給力、芸術文化に関す得る専門的知識の保有力など)
・今年は、1996年に第1回がオランダのロッテルダムで開催されてから、9回目の開催となり、ベルギーのヘンクで開催。
・ヘンクは昔炭坑街であったため、炭坑の歴史などを紹介する等、展覧会全体に歴史的遺産・歴史と芸術の融合が試みられている。
・芸術界では知られているが、一般的にはメジャーではない。その分ローカルの特徴が出ていて、各国の美術に対する関心の高さが窺われる。

■その他の国際展の報告  ----- 省略

 現代アートは、素人にはなかなかとっつきづらいところがある。でも、説明を聞くなかで作家の思い入れや、哲学が分かったりすると、のめり込まされてしまう。
 美術にはそんな魔力が潜んでいるのかもしれないと思うようになった。

 本学校は、次回の横浜トリエンナーレ(2014年開催)に向けた、サポータ向けの基礎教育である。美術に全く知識がなくても、丁寧に教えていただけるので大変助かる。サポータとして、現代アートの国際展覧会がどのようなものであるかを、基礎知識として保持するのはとても意義のあることだと思う。今まで知らなかった分野のことが少し分かってくることで視野が広がり、生活に充実感を味わえることも大きな収穫である。
 そのためにも、学校には皆勤でいこうと思っているところだ。

 次回の学校では「国内のアートプロジェクトを知ろう」がテーマになっており、8月22日19:00〜21:00まで横浜創造都市センターで開催される予定です。
 興味のある方一緒に行きませんか。連絡を待っています。


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■「今年も中盤を超えた」                       平成24年7月1日

 今年も中盤を超え7月になった。現在では新暦7月も文月と呼んでいる。由来を調べてみると、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説のようである。7月7日に詩歌を吟じる風雅さなどは持ち合わせないが、1年が過ぎる余りの速さに、牽牛と織女の逢瀬もいかばかりかと下世話な勘ぐりを献じてしまう。

 日本の暦には、方角の吉凶のほか、干支(えと)や六曜(ろくよう)、二十四節気(にじゅうしせっき)や雑節(ざっせつ)など、非科学的、迷信的な暦注が掲載されているので、世知辛く過ぎ去る時間の中にあって、気を休める効能があるように思う。

 暦の歴史は古く、江戸時代にさかのぼり、人々の生活にはなくてはならないものであった。当日のお日柄を知り、農作業や婚礼などの生活基準であったということで、暦は朝廷が暦の作成、天文、占いなどをつかさどる役所を設置し、制定してきたと言われている。日本では、7世紀の飛鳥時代頃に中国から伝えられた太陰太陽暦を使い始めたようだが、天体観測技術や数学の進歩もあって改暦が当然視野に入ったものの、暦を取り巻く支配勢力間の力関係などが複雑に絡み、一筋縄ではいかなかったようだ。

 でも、その複雑な時代背景にある江戸時代なかばの貞享2(1685)年、初めて日本人自身によって、暦の大改編が行われ、貞享暦(じょうきょうれき)が制定されたのだ、と、久方ぶりに血沸き肉躍る男のロマンを描いた本に書かれていた。本暦は以後日本人の手によって3回の改暦を経て、明治5年現在の太陽暦に変わるまで188年間使用されたようである。

 本書を読んで、当時の天体観測が想像を超えた技術を持っていたこと、数学が世界を凌駕していたかもしれない力を持っていたことなど、当時のテクノクラートの優秀さに強い感銘を受けた。小説の中では、和算学で有名な関孝和も絡み、本暦の大改編が日本人固有の優秀な頭脳によってなされたことに、この先駆者たちを誇りに思わないものはいないだろう。

 時の流れに逆らいちょっと立ち止まり、約300年前に成し遂げられた大事業に思いを馳せ、一読するのも悪くないと思う。久々にご一読をお勧めしたい本である。
 読後、きっと、今の日本にこういう人たちの出現を祈られるに違いない。

     □お勧めの本
      書名 : 天地明察(上・下)
      作家 : 冲方 丁(うぶかた とう)
      発行 : 角川書店



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