アンクルKの他愛もない話

人形劇・影絵劇の台本 BGMを操作しながらナレーター気分になってお楽しみ下さい。

人形劇 五頭龍と弁天姫 後書き

 

この物語のタイトルを弁天様でなく、あえて弁天姫としたのには理由がある。もちろん私の勝手な創造、作り話だ。

まず思うことは、人々に慕われ、仲の良い二人が何ゆえに一つの社寺に祭られなかったのかということだ。片や江ノ島、片や対岸の小山に分かれて祭られた。

五十年以上前、中学生だった私は江ノ島弁財天を訪れたことがある。
現在のように整備され安全に行ける観光地ではなく、打ちつける波の合間をタイミングを見計らって濡れた岩場を駆け足で渡ったものだ。若者には何ということもないが、脚の弱った老人には、とうてい渡ることは不可能な場所だった。

 
弁財天は水系の神だから、あながち龍とは無縁と言うことはないのだろう。だが、彼女が自分は弁財天だと名乗った記述は見当たらない。
華やかな登場シーンにもかかわらず、五頭龍に比べ、なぜか存在が希薄に感じられる。

これは想像だが、五頭龍は有力一族の御曹司で、弁天は傍流の、名もない一族の娘だったのだろうか。
顔を合わせたことはないにしても互いに名前くらいは知っていたかもしれない。

五頭龍が山を崩したり、田畑を荒らしたり、子供を丸呑みした、などというのは脚色で、それを取り払ってしまえば、若い二人が出会った。 そういうことがあったかもしれない。

美しい娘に、若者が恋をした。
問題は、それが当時の社会では、許されない恋だったのではないか。

現在では、山の上に観光地化された社寺が建ち並び、明るくきれいで楽しく参拝している。
が、私にとっての弁財天は、南の崖下にある、波の浸食がつくった、暗く濡れた洞窟の中で出会った弁財天だ。
もう、トシなので、銭洗い弁天と混同しているかもしれないが。


まず、龍の頭の上(地殻変動の先端)に、龍を鎮めるために、龍口明神社が建立された。これは公的、政治的な出来事だ。
その170年ほど後、ある高僧の夢に現れ、小さな木像が作られ、分かれて安置された。
当時の人々は高僧の言葉を信じ受け入れたのだろう。
これは庶民レベルの話であり、金もかからず、政治的にも無害だったのだろう。
何があったにせよ、数世代を経て、当事者のいない世に、それでも何らかの記憶が残っていたのかもしれない。

史実はどうあれ、単純に物語を受け入れ、想像を膨らませてみたのだ。
弁財天、弁天様、五頭龍大神と奉られる前の、若き二人を描いてみたかった。

物語に沿って考えれば、五頭龍が弁天を妻にすることは、龍一族にとってはとんでもないことだし、それは弁天の側でも同じであったろう。
『出て行け。』ということになる。

それは当時の社会通念からすれば当然のことだ。
つまり、五頭龍と弁天は、この世で、たった二人だけで生きていこうと決心したのだ。


千数百年前、ここはどんな場所だったのだろう。


崖下に降りる階段も手すりもない。
言ってみれば、ここに何を置こうが、何をしようが、誰も気にしない。
漁師さえ立ち寄らない。 
そんな見捨てられた場所だったのではないか。
そこに人目を避けるように、ひっそりと祭られたような気がする。
それは同じ江ノ島内にある、児玉神社を訪れた時に感じた虚しさと通ずるものがあるかもしれない。


この物語には、もう一つ言い伝えがある。
『片参り』はいけませんよ。
これこそが、古の人々が伝えたかったメッセージなのではないかと思う。


『お参りするなら両方訪れてやって下さいね。二人が喜ぶから。』 と。


                            
  2019年9月。  T.K

 

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