第2章 曳釣り(トローリング)

曳釣りで私が釣った魚ともらった魚の一覧。写真はヨコワの他は『Web魚図鑑』から借用した。

左:メジカ(マルソウダ) 右:平ソウダ




 













 


















 ヨコワはクロマグロの稚魚で、この写真は源さんが釣ったもので43cm。
カンパチはヒサビッチャさんが伊方町で釣ったもので46cm。ヒサビッチャさんは『Web魚図鑑』に多数の投稿を行なっている。
スマは腹の黒い斑点が特徴。




図は小型潜航板を使った曳釣り仕掛け⇒本文「メジカの釣り方」





















図はグミ(ビシ)糸を使った加藤式の曳釣り⇒ 本文「ビシ糸を使ったハマチの曳釣り」














下は私が曳釣りを行ったYAMAHA UF25、Friede-und-Freiheit(平和と自由)号






下は和歌山・田倉崎のハマチの曳釣り仕掛け、「鉄砲」⇒本文「田倉崎方式に出会う」














下図左は春にハマチの群れの回遊がある由良の鼻周辺⇒本文「由良の岬(ハナ)での曳釣り」
図右は内海湾と三つ畑田島⇒本文「根掛りでひどい目にあったこと」





















写真は由良岬灯台下の磯から南東方向を望む。左端はハゼヤマ、右へ順に、大きいエボシ形の小猿島、小さく平たい地釣り、小舟の右に見えづらいが沖釣り。遠景は鹿島と西海の半島。写真の左手から手前にかけてが湾になっている。写真はhttp://tsure.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/2013112.htmlから借用。


















自作の手釣り用ハマチの泳がせ仕掛けを持つ源さん










2016年冬、ハマチの「泳がせ釣り」の釣果、これは6キロ半
















下左:7匹の釣果に満足の笑みを浮かべて帰りの船を運転する源さん。私の釣った3匹は手前の、海水を入れた容器に生かしてある。   右:家串の白牛車観音祠と石垣⇒本文「源さんが平成期の村の遺産を残す」























第2章 見出し一覧 

1.小型潜航板を使ったメジカ、ヤズの曳釣り
美味で利用価値の高いメジカ
夜明け前の曳釣り
メジカの釣り方

2.ビシ糸を使ったハマチの曳釣り
曳釣り仕掛けの作り方
3本以上の仕掛けを曳くのは難しい
良型のハマチが釣れた!
田倉崎方式に出会う
仕掛けの到達深度とコースの水深とのミスマッチ
仕掛を常に同じ深さで曳くことは難しい
考えたとおりのコースを曳くことは難しい
GPSのタイムラグによるずれ
高根に出会っても根掛かりは回避できる
由良の岬(ハナ)での曳釣り
予定のコースの水深を事前にGPSに入力しておく
夏場、クロハエ周辺の曳釣り
季節風が吹く時期の遠出
仕掛けの改造を考える
パール球を使った手製のルアー、修正鉄砲仕掛け
複数針仕掛けの危険防止対策
仕掛けの到達深度再論
大型ハマチの爆釣と修正「田倉崎鉄砲」仕掛け
根掛りでひどい目にあったこと

3.曳き釣り第二幕とハマチの泳がせ釣り
1)曳釣り第二幕
源さん(前田源一さん)の曳釣り用・孫針仕掛け
源さんの「山立て」による曳釣り
2)ハマチの泳がせ釣り
ボイリングとナブラ
ハマチの回遊を知ることのできる人々
タイの選別作業と泳がせ釣り
2015年秋のハマチの「泳がせ釣り」
イシダイ竿が満月のように曲がり8キロ級のハマチ
餌の小アジを釣る
源さんが平成期の村の遺産を残す
再び大型ハマチが3匹
ハマチの泳がせ釣り  2016年版

第一部 私の釣り 見出し一覧に戻る

1.小型潜航板を使ったメジカ、ヤズの曳釣り

美味で利用価値の高いメジカ 宇和海でメジカと呼ばれているのは、ソウダ(宗太、惣太)ガツオの一種で、標準和名・丸ソウダのことである。長さは25〜30センチほどで、顔はカツオに似ている。背は青く斜めに縞模様が入っており、腹は銀色。内海湾では7月から8月にかけてよく釣れる。宇和島周辺では9月頃の1ヶ月ほどの間、漁船によって大量に獲られている。大部分、蕎麦屋などでサバ節とともにだし汁を作るのに使う、ソウダ節(ぶし)に加工さる。

メジカ(マルソウダ)

メジカはもしかしたらメヂカの転用かもしれない。というのは、北海道でサケが獲れ始めたというラジオの地方ニュースの中で、サケの群れにサケの仲間なのだが顔の形が少しだけ違うメジカと呼ばれるものがごく少数混じっていて、これが獲れると非常に喜ばれる。そして、その名前は目が口に近い、というところかた来た、と説明していたからである。そして, 『広辞苑』によればマグロの幼魚もメジカと呼ばれている。ソウダガツオも、あとで触れるマグロの幼魚のヨコワも、顔を見るとよく似ている。そしてどちらも目と口が近いという特徴がある。そういうわけで、メジカはもともとはメヂカだったのではないかと私は考えている。

この丸ソーダに似ていて、体が一回り大きく、体型がやや扁平な魚がいて、南予(愛媛県南部)から高知ではスマと呼ぶ人もいるが、これは平ソウダだと思われる。私は、由良の鼻でハマチを狙った太い仕掛けを使って曳釣りをしていたときに、この魚を何回か釣ったが、50センチほどあり、目方も1キロ半を超えていた。                                            

ヒラソウダ

  ある釣り雑誌の2004年か5年の記事で、高知県の離礁で釣れたこの魚のカラー写真に「スマ」という説明文がついていた。しかし、スマガツオは腹に黒い斑点があり、他の魚とはっきり区別がつくが、その写真の魚には斑点がなかったので、たぶん、地元の釣り人の説明に基づいて書かれたのだと思われる。1、2年後の同じ雑誌に、こんどはヒラマサなどとともに釣れたというこの魚の写真が載っていて「平ソーダ」という説明がついていた。


鮮度に注意すること

サバは足がはやい(悪くなりやすい)と言うが、メジカはサバ以上である。サバは沖で釣ったら、氷を入れた海水に漬けて持ち帰れば大丈夫とされているが、メジカは新鮮さを保つためにはいっそうの注意が必要である。地元の人は釣ったらすぐ、首の骨を折って血を出してしまう。地元の人の場合、暗いうちに船を出し、夜が明けるまでの1時間か1時間半だけ曳釣りをやって、すぐ家に戻り、このように処理した、まさに取れたてのメジカを刺身で食べる。新鮮さが重要だと思われる。 ≪別冊フィッシング≫釣魚シリーズE『釣り人料理』に書いている、静岡県伊東の釣り船の船長は「鮮度を保てば、ソウダガツオの刺身が一番うまい」と言っているが、家串でも、シーズンに曳き釣りをやり、刺身を好物にしている人が、メジカが一番うまいと言っている。

私も丸ソーダ、平ソーダの刺身はアジ、イサギの刺身以上に好きだが、朝食はたいていパンとコーヒー、それにサラダという習慣で、刺身は食べないため、メジカの刺身を食べるとしても、夕食のときになる。家串に来たばかりの頃、昼に釣れたメジカをそのまま持ち帰り冷蔵庫に入れておいたものを夜、刺身で食べてひどい食中毒にかかった。一晩中激しい下痢と嘔吐で眠ることができなかった。生のメジカは扱い方が悪いと食中毒を起こす。当たりやすい体質の人があり、そういう人の場合には、新鮮なものでも当たるともいう。
私がメジカで当たったのはこの一回だけだが、現在、メジカ釣りをするときには氷を用意しておき、釣ったメジカはすぐに包丁で頭を落とすとともに、腹を開け、内臓もすべて取り出して、海に捨てる。そして海水で洗ってから、発泡スチロールの箱に入れ、氷を抱かせて置くようにしている。もちろん、帰ったら、冷蔵庫のチルトルームに入れておく。このように、釣った後注意して扱った活きのよいメジカの刺身は味も、舌触り、歯ざわりも、魚屋で買ったカツオやマグロの赤身を上回り、大変おいしい。また、魚の腸(ワタ)を海で取り除いて持ち帰ると、後で家で下(おろ)すときに、嫌な臭いを嗅がずに済む。ワタの臭いを嗅がないことは、釣った魚を自分で刺身にしておいしく食べるときには重要だが、メジカは、アジやイサギとは違い腸がきれいにまとまっていて取り除きやすいのも長所だ。

生節(ナマブシ)と佃煮がよい

メジカは群れで回遊するため、釣れるときには、下手な私でも10匹くらいはすぐに釣れる。年によって釣れる月は違うが、私が2010年まで船を係留させてもらっていた筏の持ち主、故水谷さんは、大体は夏の間、連日、朝夕それぞれ1時間半ほどの釣りで、多ければ、40〜50匹少なくて20匹くらい釣っていた。メジカを釣ると水谷さんは筏上の作業小屋(家串では屋形と呼ぶ)においてある大ナベに湯を沸かし、塩をたっぷり入れて、頭と腹を切り落としたメジカをゆでる。しばらくして中まで熱が通ると、身が反り返って骨からはなれてくるので、こうなったら魚を取り出し、手で骨から身をはずし、皮も取り除く。これは生節(なまぶし)といい、真空パックにはいったものをスーパーなどでも見ることがあるが、適当な厚さで切って、マヨネーズとしょうゆ、あるいは辛子ミソをかけて食べると、簡単でとてもおいしいおかずになる。またこれを大きめに切って、砂糖としょうゆを加えて、ジャガイモ、にんじんなどの野菜と一緒に煮るとたいへんおいしい煮物ができる。生節を網カゴに入れ、風通しのよいところで、あるいは扇風機で風を当てるなどして、乾燥させれば、ソウダ節ができ、市販のカツオ節のように、長期保存が可能になる。水谷さんはこれをたくさん作って、知り合いに分けてあげていた。 また、私はよくやるが、生のメジカを三枚におろし、身を2〜3センチのサイコロ状に切って、砂糖醤油でじっくり煮て、佃煮にすることもできる。これを冷凍しておけば長期保存が可能で、食べたいときに電子レンジで解凍して食べれば、よいおかずになる。メジカは釣った直後の処理を忘れず、料理ないし加工の手間を惜しまなければ、たいへん価値の高い魚だ。

スマガツオは腹の黒い斑点が特徴で、この斑点がお灸の跡(ヤイトともいう。『広辞苑』)に似ているので、関東ではヤイトと呼ばれていると、加藤賢一『曳釣り−トローリングのすべて』では書いている。スマの成魚はマガツオ(本ガツオ)同様に大きくなる魚だという。30センチを超えた程度の幼魚は、内海でもたまにメジカ仕掛けに食ってくるが、大きいものはマガツオ同様、高知県沖では釣れても、宇和海ではあまり釣れないようだ。

私はスマは40センチ弱のものしか食べたことがない。半分刺身で、残りを塩コショウのステーキにして食べたのだが、なかなかの味だった。加藤は同書で「カツオ系の中では一番美味しい魚」だと言っている。彼の本には、彼の別荘があるハワイのコナで釣ったという8キロのスマの写真を奥さんが持ち上げている写真が載っているが、千葉近海では大きいものは釣れないらしく、「40cmくらいのものが釣れる」が「腹に斑点があったら大事に持ち帰って食べてください」と書いている。

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愛南町でスマの完全養殖に成功、2017年5月最初の出荷のニュース

HNKニュース、共同通信ニュースなどによると、県や愛媛大などが昨年、養殖したスマの成魚から採卵し人工的に育てる「完全養殖」に成功。一定の規格基準を満たしたスマについて「伊予の媛貴海(ひめたかみ)」というブランド名で全国に向け販売を始めた。食感はマグロのトロのようで、最初の出荷ではキロ4000円の値がついたという。
媛貴海として認定されるには「重さ2.5キロ以上」「脂質の含有率25%以上」などの規格基準を満たす必要がある。これまで試験販売のみだったが、安定供給にめどが付いた。今年は順次約2千匹を出荷する予定で、将来は年間6万4千匹の出荷を目指している、という。
養殖を行っている場所は、このHPのトップに掲げてある写真に写っている三つ畑田島である。タイやハマチなど場合、養殖生簀から魚が群れで逃げ出すということがあり、周辺で何匹も続いて釣れるということが時々起こる。すると、将来、この内海海域で、スマの成魚が何匹も釣れるということが起こるかもしれない。

サツキマスの養殖にも成功

スマの養殖技術を開発したのは愛媛大学の南予水産研究センターであるが、愛南町の広報誌2017年3月号によると、サツキマスの養殖にも成功しており、昨年春に初出荷した。全国に先駆けた取り組みという。
また 2017年5月15日付日本経済新聞によると同センターでは2019年の実用化を目指し、アオリイカの養殖の研究も行っているという。
サクラマスはサケの仲間でアマゴと同種だが海に下るものをサツキマス、一生を淡水で過ごすものはアマゴと呼ばれる。天然下での個体数は極めて少なく幻の魚と言われている。アマゴの稚魚は山間の湧水で育てられるが、ある大きさになった時に、山から海に移す。淡水で育てるものに比べ、海では短期間に大きく生育するが、海水に慣れさせる必要があり(これを「馴致」という)、この過程の管理が難しいという。 <2017年5月15日追加>

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カツオの仲間のメジカはまるで弾丸のように、高速で泳ぐ。家串の集落から2キロほど南に灯台のあるクロハエという岩礁がある。私が家串に来たばかりの頃、クロハエの近くで、小アジなどを釣る10本針仕掛けのサビキ釣りをしていた。すると海面近くをなにやら光るものが高速で縦横に行き交い、はじめはなんだかわからなかったのだが、仕掛けをめちゃめちゃにして2匹ほどこの魚が釣れてきた。幹糸が太くて短い、針の本数が4、5本のメジカ用のサビキを使わないととても釣りにならず、それは持っていなかったので「納竿」にした。コマセを食い尽くしたのか、数分後には、この光の矢の襲来は終わった。下図は家串湾と黒ハエ。



Web検索で「由良半島地図、Google」を選んで、半島根元に近い家串付近を拡大し、「無題のレイヤー」左下隅の黒い四角を押すと衛星写真に切り替わる。家串湾の西側出口にある南北に長細い島が「塩子島」で、「terms100m」まで拡大すると、塩子島の南東沖500mほどのところに写っている、説明のない岩礁がクロハエ(黒碆)である。 第一部「私の釣り」冒頭の地図⇒も使えるが、こちらは何度もズームインする必要があり、また尺度(terms)がついていないので少し不便。

内海では、メジカは時々、数週間に渡って釣れ盛る。広い海域を刻々と高速で移動するので、ほかの釣りをしていて、メジカが回ってきたときに切り替えられるよう、仕掛けを用意しておくのはいいのだが、流し釣りや掛かり釣りで、コマセを撒きサビキ仕掛けを使って専門に狙うのは得策ではない。釣れているという情報を入手して、専門にメジカを釣ろうとするなら、船で、ある程度の海域を走って魚のいる場所を探す、曳釣りが最善だと思われる。方法は後述する。



近くのクロハエでヤズ(イナダ)、ハマチ、カンパチも釣れる

クロハエからその北西の塩子(シオゴ)島までの5〜600mは、巾が100mほどで、水深が平均15m前後の岩礁が続いており、中間には干潮時にだけ頭を出すサクノセというやや大きな岩がある。上の(注)でふれた衛星写真にはかすかにしか写っていない。満潮時に撮影されたのだろう。クロハエ周辺は多種の魚が釣れる非常に良い釣り場で、メジカもよく釣れる。
また、国道56号線沿いの海は、北部の須の川灘と呼ばれる比較的遠浅のところを除き、岸から30度から45度くらいの角度で深くなっている。ここで水深が30mより浅いところを海岸に平行に船を走らせると、メジカがよく釣れる。また、このクロハエ周辺とこの56号線沿いの海岸は、例年夏1、2回、ヤズ(イナダ)が回遊してくるところで、近くの職漁船や地元の人の乗った小型の船外機船が集まってきて、追いかける。08年の夏は、60センチ以上のカンパチ、ハマチ・クラスも混じって、相当数のヤズが釣れた。漁師は、ヤズ、カンパチを1週間ほどで200匹以上釣ったと言う話しも聞いた。

 カンパチ(Web魚図鑑への投稿者ヒサビッチャさんが伊方町で釣ったもので46cm)

ヤズは50センチくらいまでのブリの若魚のことで、関東ではイナダと言う。(関東では、イナダより一回り小さい、30センチほどのものをワカシと言う。現在はどうか分からないが、30年ほど前、湘南の海でよく釣れ、私も東京にいた頃一度叔母と一緒に乗合の釣り船に乗りクーラーに入りきらないほど釣ったことがある。)
ヤズより大きいものは愛媛ではすべてハマチと呼んでいるようだが、関西では80センチ前後のものをメジロ、関東ではワラサといい、一般に、1mくらいの大きいものだけをブリと呼んでいるようだ。

大型のブリは、回遊場所がもっと沖で、大きなタックル(道具)を使わねばならず、釣るのが難しいが、ヤズは比較的浅い湾内にも回ってくるし、ウキの下にコマセカゴとサビキ針をつけた(太目の)仕掛けを使って、堤防からでも釣れる。しかし、やはり、船から小型の潜航板を流して、釣れている場所を走るほうがより確実に釣れる。釣り方は後でメジカの釣り方のところで述べる。

内海近辺ではめったに釣れないようだが、ライト・トローリングで使うヒコーキや小型潜航板を使って曳釣りをしていて釣れる魚で、小型のスマと外形が似たずんぐりした体つきで、顔が少しカツオ系のものと違うように見える、30〜40cmほどの魚が釣れることがあり、ヨコワだという人がいる。(私には、マグロ類はカツオ類に比べ、目じりがより下がっていて、こっけいな顔つきをしているように見える。)

ヨコワ(クロマグロ稚魚)43cm

『平凡社百科事典』では、クロマグロの幼魚には体側に10〜20条ほどの淡色横帯があるのでヨコワともいう、と書いている。最近、宇和海では、家串から近い三畑田(群礁の名)や、宇和島・三浦半島の沖の日振島、戸島などで、マグロの養殖が行われている。そのための稚魚を取る漁師に関する新聞記事を読んだのだが、漁師は「ヨコ」と呼んでいる。09.9.14愛媛新聞「Work Local 愛媛で働く」。それによると愛南町の漁師が8月に宮崎県北部沖豊後水道で取っている「ヨコ」は20センチ前後で数百グラム。これを養殖会社が1匹1,400円で買って育てるという。冬には漁師たちは3,4キロに育った「ヨコ」を獲って市場に出荷するという。

私は当初友人の源さん(前田源一さん)が釣った「ヨコワ」を1匹もらって食べた。塩・コショウしてバターで焼いて食べたが、まさに本当のマグロの味で、非常においしかった。釣った時期は8月で大きさが30センチほどだったから、上の新聞記事の「ヨコ」とほぼ一致する。だが、体側の「淡色横帯」を確かめなかったのでクロマグロの子だったかどうかは不確かである。

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夜明け前の曳釣り

上で述べた、メジカ(マルソウダ)、ヒラソウダ、ヤズ、(小型の)スマ、ヨコワは、ハリスの太さを変えれば、同じように、潜航板を使った曳釣りで釣れる。これらの魚はルアーを使うにせよ、秋以降は小イカを餌に使うにせよ、夜明け前の暗いうちに出港し、太陽が昇りきって明るくなるまでが狙い時である。7月は日の出が5時ごろなので、4時を過ぎると間もなく出港し、7時までには帰港するという、早起きの人向きの釣りである。地元の退職組は皆早起きで、大抵3時過ぎには起きている。(退職組でなく、アコヤガイの養殖を行なっている現役の漁民も4時には起きて仕事を始めるという人が多く、家串はearly−birdばかりである。
漁民はすべて早起きかというと、そうでもなく、津島町嵐でヒオウギ貝中心の養殖漁業を営む中島さんは、家串は特に早いと言う。中島さんは朝7時くらいから仕事を始めると言っている。)友人の源(前田源一)さんは、「夏は朝早く起きてする曳釣りはとても気持いい。昼間は寝ているのがいい。カンカン照りの真昼間に釣りをする人の気が知れない」と言う。
私は、ふだんから寝坊で、かつ夏は夜も暑く眠りが浅くなって余計朝は起きにくくなるため、私は誰か(と言っても相手は源さんと決まっているのだが)と一緒に行くことを約束したときでないと4時前に起きるなどというのは無理で、夏場の曳釣りはほとんどパスし、その代わり、昼間、暑さに耐えながら他の釣りをすることになる。
それでも、日の出後という遅い時間に出漁し、他の人がいなくなってから、暫く粘るというやりかたで、07年には、私は7月末の数日間、須ノ川沖で曳釣りをやり、ヤズを20匹ほど釣った。08年には、8月始めの1週間ほど、家串湾出口、塩子島、クロハエの周辺で、これらの魚のほかにカンパチまで混じって、釣れ盛り、家串、油袋、平碆などの釣り好きな人が早朝から繰り出し、入り乱れて曳釣りをした。私はちょうど用があって10日ほど家串を離れていて、源さんから電話をもらって駆けつけたのは、魚がいなくなる2日前だった。私はヤズ数匹と小型のスマガツオ1匹、それにメジカを釣っただけだったが、源さんは、メジカのほかにヨコワを何匹も釣った。

09年には、9月最初の10日から2週間ほどヤズがよく釣れた。11年8月〜9月にかけ、源さんは凪でさえあれば連日のように出漁し、ヤズ、ネイリ(小型のカンパチ)を相当数釣った。ヤズは次第に大きくなるが、家串周辺では例年では10月を過ぎると釣れなくなる。しかし、この年は12月までぽつりぽつり釣れた。源さんはハマチクラスのものも含め、合計150匹近く釣ったと言っている。私は残念ながら朝が起きられず11月半ば過ぎまで出漁の機会がなかった。日の出が7時近くなり、出漁が6時くらいで間に合う11月半ば過ぎになってようやく何回か一人で、あるいは源さんを乗せて一緒に家串の近く、あるいは由良の鼻に出漁し、何匹かやや小型のハマチを手にすることができた。冬のハマチ釣りについては、2.で触れることにする。

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メジカの釣り方

メジカ釣りに使う潜航板は船の形をしたプラスチック製の板で、走っている船から曳く(引く)と、海中に潜って行く。曳釣りの糸(ライン)を高知や南予では「ヤマ」と呼んでいるが、5mか10mのヤマで引っ張られた板は海中では左右に振れて、後ろの幹糸についている白い鳥の羽で作った何本かの小さなルアーを振り動かし魚を惹き付ける。潜航板の大きさはさまざまで、カツオのトローリングなどに使うのは、広いところの幅が15cm、長さは30cmくらい。メジカ釣り用の潜航板は、私の使っているSサイズは長さが15センチほど、Mサイズで20センチくらい。船で曳く速度は平均4ノット程度だが、このときに、Sは海面下2〜3m、Mサイズで4〜5mくらいまで潜る。船のスピードが増すと潜航板はより深く潜っていく。浅瀬に来たら、船の速度を落とすか、船を止めるかして、根掛りを避ける。

魚の泳ぐ水深はしばしば変わる。おそらく、追いかけるベイト(キビナゴなど餌にする小魚)が泳いでいる水深が変わるからであり、それは時刻や天候に関係があると思われる。しかし、船で走っていて、どれくらいの深さを曳くのがいいかを確実に言い当てることは漁師でも難しいらしく、ヤマを2本出して引くときに、その長さを変え、またもぐる水深の違う板を1枚ずつ曳いて、釣れたら、その釣れたのと同じ(水深に入る)板を両方引くというようにしているという。素人はSサイズの板でごく浅いところを引くか、Mサイズで少し深いところを曳くかという程度の大雑把な釣り方になるが、それでも、結構、釣れる。潜航板にはさまざまな種類があり、ツバメ型など、ただ潜るだけのものもあるようだが、メジカ釣りに使う船形のものは水中で左右に振れる。カツオ、マグロ類はルアーの動きが大きいほどよく食うといわれている。

メジカ釣りではこの潜航板の後部に、ヤマの先に付けた、ヒロほどの幹糸から枝素20センチ程度のルアー(鉛のヘッドに白い羽がついたもので、長さが2、3センチ。市販されている。)を3、4本、間隔50〜60センチ程度でつけて、曳くのである。魚が食うと(海藻などが引っかかり負荷が掛かかっても)、潜航板が反転して浮き上がってくるで、ラインをもっていなくても、食ったのがはっきりわかる。長さの違うラインを船の両側から出して引いていて、潜航板が左右同時に浮き上がったりすると、とても愉快な気分になる。

この釣りは、ルアーの毛針が新品で、ヘッド(普通品は鉛)や針が光っていて、羽が真っ白であるとよく釣れる。私は、一度使ったものを真水で洗い、翌年も使うが、そのまま使うのでは釣果が落ちるようで、針やヘッドを紙ヤスリでこすって光らせてから使うようにしている。様々なルアーが売られている。メジカを沢山釣る(故)水谷さんは、カラフルな象嵌が施されたヘッドに美しい羽の付いたものを使っていて、釣果は「高いルアーを使うかどうかで決まる」と言っていた。

針は、普通、爪が2本の2本針だが、返しのあるものとないものがあり、少し値段が違う。安価な返しのないほうが、船に魚を取り込んだときに外すのが簡単で、慣れた人はこちらのほうを使うようだ。
しかし、掛かった魚を船に取り込む際に、針に返しがないと魚が外れやすく、釣れた魚を落とすことが多くなる。
私を含め初心者は返しのある針を使うほうが無難だ。糸の太さについては、潜航板を曳くラインは太いほど回収が楽だが、板の振れはラインが細いほど大きくなり、細いほうがいいと思われる。ナイロンはすべるので、手釣りに使う撚り糸の10号から15号程度がいいようだ。いわゆるメジカ(丸ソウダ)を狙う場合には、幹糸5号、ハリス4号で十分で、ヨコワ、スマが望めるときには幹糸、ハリスを1〜2号太いものにする。

家串周辺では、とくに夏にメジカがよく釣れる。ルアーを使った曳釣りでは、真っ昼間はルアーが本当のベイト(餌になる小魚)でないことがわかるからであろう、食いが落ちる。また暗くなってしまえば追いかけるのを止める。こうした理由から、朝夕のまずめ時が一番よく釣れる。真夏は、昼間は、海辺だと言ってもやはり毎日30度を越える日が続き、ぐったりする。こんなとき、塩子島の西に夕日が沈みかかってから----この景色はすばらしいもので何度見ても見飽きない---、1時間ほどメジカを狙って船を走らせるのは最高の夕涼みで、釣れなくても結構。釣れたら刺身にしてビールを飲む。家串特有のすばらしい贅沢が味わえる。

同じ仕掛を使い、早朝の曳釣りで、サゴシ(サワラの若魚)が食ってくることがしばしばある。瀬戸内海はサワラの重要な漁場で、産卵期の4月〜7月に深場から内海や湾に入ってくるという。体長が1mにもなる大型魚で、高級魚とされている。内海周辺で釣れるのは10月頃で、夏に生まれて成長しつつある50〜60cm程度の若魚である。サワラは歯が鋭く、ナイロンのハリスは時々噛み切られてしまうので、太目のものを使う。写真は良型のサワラ。わたしが釣ったのは60センチ程度くらいまで。

高級魚であり、重要な産業種でもあるサワラは、一時期、瀬戸内海で漁獲量が大きく落ち込んだ結果、漁が制限されたが、資源が回復したことにより、09年には制限が解除されたというニュースがあった。内海では06年の秋に、かなりよく釣れ、はじめてやった私も数匹をものにした。水谷さんはサゴシ釣りも得意で、良型を何匹も釣っていた。しかし、07年、08年には狙ってもほとんど釣れなかった。私は朝起きた後、まず朝食をとらないと、頭も体も動かない。そこで、早朝、夜明け前に出港する釣りは苦手で、結局、サワラ釣りは06年だけになった。

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日記から

2008年8月5日、前日松山から家串に戻って来た。私の船で源さんと引き釣りに行く約束になっている。4時、まだ真っ暗だが、道具の入ったバッグをもって、物置として借りている海岸の作業小屋に行く。
私の小屋の向かいで、本蔵さん(当時88歳で現役の曳釣り専門の漁師、黒田本蔵さん)が200リットル入りドラム缶から軽油をポリタンクに移しているところだった。「しばらく見なかったな」。「ええ、暑くて釣りができそうもないので、松山に戻ってました。そしたら源さんから、メジカやヨコワが釣れてるから戻って来いと、電話が掛かってきたので、昨日、戻ってきたところです」。「そうかそうか」。本蔵さんは私の長話を聞かされ、手元がお留守になったようで、燃料がポリタンクからあふれてこぼれた。

屋形の電灯がついていないので暗く、キャビンのナンバー錠の数字は全然見えなかったが、昨日は、番号の列を一列動かしただけにしておいたので、うまく開けることができた。キャビンのサブスイッチを上げて、デッキライトをつけ、エンジンを掛けた。それから源さんを呼びに行った。源さんの家の後方のエビス崎に向う尾根の上方がうっすらと白んできたが、まだ4時半だった。家の前までいくまでもなく、源さんが道具を持って出てきた。私たちが船に戻ると屋形に灯りが点いていて水谷さんが来ていることが分かった。

曳釣りは本来、夜が明けるまでの釣りである。船が出港できさえすればできるだけ暗いうちに出港して、釣り場についたらすぐに仕掛けを流し、太陽がすっかり顔を出すまでの1時間くらいの間が一番釣れる。魚も月が出ていなければ夜は餌を追わない。そして昼間は深いほうに行ってしまうという。明け方と日没後の薄暗い時間帯、まずめ時が、もっともよく魚が食う時間帯であり、またとくに、ルアー(疑似餌)で狙うときには暗くて魚が本当の小魚の餌と区別できないために、よく釣れるという。本蔵さんら本職の人は自分の網で取った小イカをつけて、一日中曳く。針に刺したイカは刺し方が悪いとくるくる回ってしまい、食わないという。私も買った小イカで1〜2回やってみたことがあるが、イカが回ってハリスが幹糸に絡んでしまって釣りにならなかった。ひらひらと泳ぐように刺さなければならないという。家串には、本職ではないが、小イカで釣るベテランもいる。ほぼ毎日軽トラックで魚屋が回ってきて、小イカを買うことができる。

4時半ごろの海はまだ真っ暗だった。湾口のある南の方には、クロハエの灯台の明かりと、夜間の漁をしている漁船の小さなあかりが2つ、3つ見えるだけだった。5時少し前になって、ほんの少しだけ空が明るくなって、姿勢を少し低くして目を凝らすと真っ暗な海とそれよりは少し明るい空を区別する水平線が何とかわかる。そして、20〜30m先のタイの生簀の枠と周りについているバール(=大型のウキ)が、陸の電灯の光を受けて、ぼんやりとだが、見えるようになってきた。「出ましょうや」と源さんがいう。

デッキライトは点けたままにし、GPSを入れ、マスト灯と両舷灯をつけて船を発進させ、沖に向けると、すぐ傍に無灯火の他の船が見えた。真珠の養殖作業に使う小型の船外機船だ。誰が乗っているのかはわからない。その船が先に行くなら、その後についていこうと思ったが、向こうの船は私の船が先に行くのを待っているらしく、動こうとしない。そこで少しずつエンジンの回転数を上げながら、その船の前に出た。水路が分かるように、曲がり角にある筏には常夜灯が点滅しているはずである。しかし、見えるのは灯台の明かりと、湾の外にいる漁船の明かりだけで、手前のほうの水路の端の筏の灯りはない。目を凝らしながらゆっくり船を進める。

前のほうにぼんやり白いものが見えるような、見えないような、と思ったとき、横にいて、外を見張っていた源さんが手を伸ばして、グイッとハンドルを右に切った。舵を切った方向の反対側に真珠筏の端の浮子球の列が見えた。源さんが舵を切ってくれなかったなら、そして船のスピードがもう少し出ていれば、筏に突っ込んでいただろう。たいしたスピードではないので、突っ込んでもどうということはないが、そこから抜け出るために貴重な時間を失ってしまうことになる。本来なら、その角に点滅する常夜灯が点いているのだが、たぶん、電池が切れてしまっていたのだろう。

こうして水路の曲がり角に点いているはずの明かりがない中、ゆるいジグザグコースを進むと、左側の筏の列が終わり、湾口になる。そのあたりで、こんどは真珠養殖作業用の船外機船よりは少し大きい船が前を走っているのが見えた。やはり無灯火である。非常にゆっくりである。源さんが「追い越しましょうや」という。少しスピードを上げて追いつくと、本蔵さんの船だということがわかった。その先に走っている船はなかった。やはりプロの本蔵さんが最初に出港したのだ。この辺からは筏の列は片側だけで、右に出れば追い越しも簡単である。湾口を過ぎると、源さんは仕掛を流し始めた。私は、もう少し明るくなってからにしようと、船頭の役に徹する。

黒ハエの近くには、灯りを点けた5トンくらいの大きさの漁船が数隻いた。夜、湾内で漁をしている漁船はたいていキビナゴを取っている。湾の外のクロハエ灯台の近くでは何を取るのだろうか。底が砂地になっているもう少し沖の方では3隻が一組になって網を引いている。テレビのニュースなどでは見たことがあるが、夜間の漁が実際に行なわれているのを近くで見るのは初めてで、自分が海辺の漁村で暮らしているのだということを改めて感じた。

間もなく源さんが「来たっ」といって糸を手繰ると、40センチ近くの型の良いソーダガツオが、デッキの上に2匹転がった。ばたばたと激しく体を震わせ、血を撒き散らす。首の骨をぽきんと折ると、血がどろどろと流れ出る。「包丁もあるので、切って、はらわたも全部出したほうがいいですよ」と私は言った。そして、凍ったペットボトルを入れた発泡スチロールの箱に海水を入れ、魚をその中に入れてもらった。

まもなく、小型の船外機船が周囲に10隻ほどになった。ほとんどは家串か、隣の平碆からやってくる。「どこかで釣れていると、そこに集まってきます。今、ばらばらだから、あまり釣れてないんでしょう。網を引いている漁船の後ろも釣れるから、行ってみましょう」と源さんが言う。そっちへ向うと、水谷さんの船が、網を引いている漁船の後について走っているのが見えた。食いはさほど活発ではないが、それでも1時間ばかりの間に10匹ほど釣れた。私もヨコワ用の太仕掛を潜航板のLにつけて流したが、1時間やっても食わなかった。

そのうち、掛かったメジカが横に走り、源さんの仕掛けが私の仕掛と絡んでしまった。源さんが縺れた彼の仕掛を直そうとする。仕掛けを一組しか持ってこなかったらしい。「私のは糸が細いけれど、これを使ってください」と出す。「私のは4号。ヨコワでは危ないけど」。そう言っているうちに、灯台の近くに寄り過ぎ、水深が4mと魚探に出た。やばいと思った時には、もう、糸がビーンと張ってしまった。根掛かり。ほんの一瞬だが、引っ張り合いになる。手元は60号だが、切れたときに跳ね返りが怖い。船を止め、バックする。うまい具合に、ルアーを含めて回収できた。しかし、木製の潜航板は岩にぶつかったのだろう、先端が少しつぶれていた。また、その後ろのルアーも岩に食い込んだらしく、2本針の片側の先が少し曲がっていた。直している余裕はないので、ヨコワ仕掛はバケツに放り込み、代わりに細仕掛のメジカ用をもう1つ取り出す。源さんが、「2本では、また絡むから、須藤さんやってください。私はヒコーキで、表面を流しましょう」と言う。「じゃあ」と私の潜航板仕掛を流す。

それから、3回、メジカが1匹ずつ、下の私の仕掛けに来た。上の源さんのヒコーキには食ってこなかった。7時くらいまでやり、終わることにした。水谷さんの屋形に船をつないで、いつものように「どうぞ、源さんの魚を持っていってください。私は3匹だけ」というと、源さんが、「よかったら須藤さん、全部持っていってください」という。私は今年初めてのメジカ釣りだったので、やや多いとは思ったが、ありがたくいただいた。途中で藤井数義さんの家に寄り、「メジカはもう食べましたか」と聞くと「まだだ」という。「家族の人数は何人ですか」と聞くと7人だと言うので、7匹上げた。ちょうど半分くらいになった。魚は首を折って血を抜いてあるか、包丁で切って内臓までとってあるので生きが悪くなったり、食中毒を起こしたりする心配はない。そのまま冷蔵庫のチルト室にいれ、後で下ろすことにした。

シャワーを浴びると、少し疲れを感じ、一眠りしたくなった。8時ちょっとすぎだった。東側の窓から日が差し込み、少し暑くなってきたが、居間の温度計を見ると26〜7℃だった。エアコンをかけるほどでもないと思い、窓のカーテンを閉めて、扇風機だけで、布団に寝転がった。

眠ったのは1時間くらい。昼間は暑くて釣りは無理だ。夕方まで、時間がたっぷりあるので、まず、日除けのため、去年の秋巻いて縛って家の裏に立てかけておいたヨシズを出してきて、東側の窓と、西側の玄関の前に立てた。南側には加藤さんのコンクリート建ての家があって、簾も何もしなくても日差しは遮られ(冬は少し寒いが)夏は涼しい。---- ----昼食後、再び、1時間ほど寝た。腰が重いと感じ、夕釣りは止めた。メジカの一番大きなものを刺身にし、残りの5、6匹を佃煮にした。

「釣り人料理」の雑誌では、ソーダを含め、カツオ類のおろし方は、アジやさばと違って、まず、包丁を両側から入れて背びれなどを取り除き、それから尻尾を持ってぶら下げて、中骨にそって、上から包丁をいれて、身を切り離すと書いてある。しかし、これは面倒である。代わりに、まな板の上に魚を寝かしておいて下ろす普通のやりかたで三枚に下ろせないかやってみたが、なんの問題もなく下ろせることが分かった。また、皮を取るのも、包丁で引かず、手で引っ張って剥がせることが分かった。最後の1匹(ややこぶり)だけ身がやわらかくなっていて、指でつかむと身が潰れそうで剥がしにくかったが、釣ってすぐに氷水につけ、家に持ち帰えったあとはチルトルームに入れておいたので、他のものは身が固くしまっていて皮をはがしやすかった。1匹1匹包丁で引くのは、皮が薄いため、途中で切れたりして時間が掛かるが、手で剥がせばあっという間にできる。

また、去年は、鉄分が豊富だという血合いがもったいないと思い、捨てずに一緒に佃煮にしたが、血合いには骨があり食べにくいので、今回は血合いは使わなかった。また、腹の身も脂肪が乗っていてうまいが小骨があるので切って捨て、赤身だけで作った。メジカは釣る気になればいくらでも釣れて、佃煮も作りたいだけ作ることができる。そして骨がないほうが断然食べやすい。うまくて食べやすいところだけ食べれば十分なのだ。今年は、佃煮の甘辛さの加減もうまくいって、極上の佃煮ができた。 ----- 刺身も身がぷりぷりした感じで、ショウガ醤油で食べたがうまかった。しかし、40センチを越えるメジカで、また、よく太っていて、半分ほどたべると、お腹がいっぱいになり、残りは塩コショウをして、さっと油でいためた。明日朝のサラダの付け合せにできるだろう。

8月6日

朝、起きたときにはもう明るくなっていた。時計を見ると5時半を回っている。昨日の残りのコーヒーにミルクを入れて飲んだだけで、何も食べず、いそいで家を出た。今日は一人でやる。出港したのは6時ちょっとすぎ。曳き釣りで、一本はヒコーキにルアーを3つ付けた仕掛け。もう一本は昨日よりちょっと小さい潜航板にルアーを1個付けたもの。本蔵さんの船を除いて、すべての船がいなくなる7時くらいまで、1時間ほどやったが釣果はなかった。

夕方に、もう一度やったが釣果はなかった。朝に続いて坊主。メジカの盛期だがこういう日もあるのだろう。明朝、暗くても仕掛を流せるように、道具をデッキの上に広げたままにして、上がった。 ------

8月7日

午前3時半に目が覚めた。涼しい。温度計を見ると24度くらい。コーヒー、サラダ(レタス、シーチキン)、ゆで卵、トースト1枚の朝食で、4時15分頃、家を出る。すでに、真珠の作業小屋では、電灯をつけて、浅野藤吉郎さんが仕事をしていた。私の前を、自転車にクーラーボックスらしい物をつけて、カズさん(兵頭加寿男さん)の義理の兄さんが行く。彼も毎日、メジカ釣りに出ている。

水谷さんの屋形のある6軒長屋のような連結筏には誰も来ていない。おとといに続いて、私が一番乗りだ。エビス崎に向う東側の尾根と空との境がやっとわかる程度で、まだ海は暗い。キャビンのナンバー・キーを開けるのに、今日は海中電灯を持ってきた。出港する船の気配はないが、目を凝らして海の上をみるとどうにかタイ養殖の生簀が見える。出港することにする。今日はデッキの上にある仕掛をそのまま流せばよい。水路の曲がり角になる筏のライトがないことを頭において、GPS上の軌跡を頼りに、しかし、同時に、外の海に目を凝らしつつ、ゆっくりと船を進める。点滅する灯りが2つ見える。明るいほうが灯台だろうと思いながら進むと、突然それが水路の3つ目の角の灯りだということがわかった。灯台の明かりは、小さくずっと先に遠ざかった。ゆっくりと船を進めたので、危ないことはなく、湾口から外に出た。赤いマスト灯を2つつけて本格的な漁を行っている漁船が3隻ほど見えた。

時少し前頃だろうか、遊漁船のトップは私だ。すぐに平碆の船が無灯火でやってきた。この人は昨日と同じく、パンツ一丁で、黒ハエの南東角にある干出岩のところを繰り返し曳いている。私はその外側の水深15mラインを曳く。平碆の人が早速1匹釣上げた。私がその角を東側から回ると潜航板が浮いてきた。食ったな、と糸を手繰ると、40cmほどのヤズが釣れた。坊主を免れたので気をよくする。だが、それからは、ずっと当たりがなかった。

カモメが一羽とんできて、ヒコーキの5、6m上を旋回したり、降下してヒコーキにつかみかかろうとしたりし始めた。ヒコーキを魚とみまちがえているのだろう。もう一羽飛んできて、二羽がヒコーキを追いかけて低空飛行を始めた。釣れないので面白がって見ていると、こんどはトンビが2羽やってきて、カモメの少し上を飛び始めた。カモメも、トンビもどこからきたのか。カモメは近くに見えなかった。どこか離れたところにいて、ヒコーキが立てる波しぶきを見つけて近寄ってきたのだろう。しかし、魚と、ヒコーキの区別は、こんなに近くに寄ってもわからないのだ。トビも同じだ。陸までは数百mは離れている。そこから、カモメが2羽、餌を取ろうとする様を見つけて飛んできたのだ。しかし、やはり、しばらくカモメと一緒についてきたところを見れば、ヒコーキが食えないものだと言うことはしばらくわからなかったのだろう。この鳥たちの行動は、ルアーに食いつく魚と同じである。ハマチやソーダガツオなどは餌になる小魚とルアーに共通する単純なシグナル、きらきらした輝きとかその類のものに触発されて追いかけ、食いつく。鳥も餌になる魚が立てるのと共通の波しぶきだけでヒコーキを追いかけるのだろう。

塩子島の近くに、船外機船が数隻寄っている。釣れているのだろうと塩子に向って舵を切った。塩子島の南の洗岩付近で行ったり来たりして、何か釣上げている人がいる。頭の辺りは安(ヤッ)さん=伊井安さんに似ているようにも見えたが、背の高さが少し違うようにも見え、声は掛けなかった。しかし、同じ場所を往復しているので釣れているのだろう。わたしも、その洗岩の南側を曳いてみようと思った。

洗岩の西をかすめるようにしてマルバエの沖に出ようとした。魚探の数字を見ていなかった。糸がぴんと張って、あっと思った次の瞬間、糸が緩み、途中で切れたらしかった。エンジンを止め、コードを引っ張ると何の抵抗もなくスルスルと糸だけが上がってきた。潜航板から全部、ルアーともども失った。ハマチ釣り用のビシ糸は沈む深さが分かっている。またメジカ用の潜航板は2〜3mしか沈まないことが分かっている。ヨコワ用に使っている少し大きめの潜航板は今回初めて使うので、どれくらい潜るのか、まだ分かっていない。これで2日続いて、引っ掛けてしまった。

最初のヤズを釣ってから1時間以上当たりがなく、やる気がなくなりかけていた。もう6時近くなり、雲がかかってはいるがすっかり明るくなっていた。しかし、引き上げるには早すぎる。さほどメジカを釣りたいわけではなかったが、細いメジカ仕掛を出して流した。西に舵を切ってから南に回りこみ、塩子島の南側を東に向う。すると、今入れた小型の潜航板が浮いてきた。いったん白い板が海面に見えたが、半分沈みかかっていて、おかしな具合だ。カツオコードを手繰ると、かなりの手ごたえがある。魚がかかっているのだ。ハリスは4号か5号なので無理をしないようにと、エンジンを止め、ゆっくりと糸を手繰る。船の脇まで魚が寄ってきた。ハマチだ。60cmくらいはありそうだ。ハリスを掴んで取り込むのは危ない(ハリスが切れるかもしれない)と思い、物入れのハッチを開けて、玉網を取り出して掬った。

魚を見に船を近づけて来たらしい安(ヤッ)さんの船が私のヒコーキの糸を引っかけてしまった。安さんがごめんと言う風に手を顔の前に上げ、絡んだ仕掛を船の上に上げ、縺れた糸を解いて海の中に戻した。これを手繰って引き上げると、一番下にもう一匹魚がついている。ちょっと大きいメジカくらいである。針を外そうと魚をつかむと腹に斑点が見えた。スマである。小さいがスマが釣れた。仕掛けは伊井さんの船に引っ掛けられ、もつれたが、2本針のルアーだったので、外れなかったのだろう。60センチ近くのハマチがメジカ用の細仕掛に釣れ、同時にもう一方のヒコーキにスマまで釣れるとは今日はついている。

6時20分くらいだった。それからまた30分以上、この近くを曳いたが、もう食わなかった。船外機の船の姿がなくなり、平碆の船と黒田さんの船と伊井さん、それに私だけになった。伊井さんも、塩子の洗岩の近くから離れ、黒ハエに向って行った。私も伊井さんの後を追うようにサクノセを回りながら、黒ハエの近くに行った。ゴミが集まっていて潮目ができているらしかった。ここでメジカの良型が数匹つれ、さらにもう1匹ヤズが釣れた。7時を回った。黒田さん、伊井さんが仕掛を曳きながらだろう、ゆっくりと名切の方に帰っていったので、私も真似て、仕掛けを曳きながら戻った。

----夕食。スマは当然、刺身にした。小さいとはいえ、一番大きなメジカを上回っており、2人前以上ある。昨日源さんからもらったヨコワは3枚に下ろし、塩焼きにすることにした。残りの大小のメジカ5、6匹は佃煮にした。刺身で食べたスマはまだ小さかったせいか、味は今ひとつというところで、3分の2ほど残った。残りはみりん醤油に漬けて、明日、お茶漬けに入れて食べるつもり。ヨコワの塩焼きは以前に食べたことのあるマグロのステーキそのもので、予想していたよりもはるかにうまく、舌鼓を打って食べた。明日はヨコワを釣りたいと思い、もう一本のヒコーキでやるように準備した。 (しかし、その後はもうヨコワは釣れなかった。)

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2.ビシ糸を使ったハマチの曳釣り

曳釣り仕掛けの作り方

私はこれまで2種類の仕掛でやってみた。1つは、加藤賢一が『曳釣り・トローリングのすべて』で述べている方法で、これを加藤方式と呼ぶことにする。もう1つは、インターネットに載っていた、和歌山県の田倉崎というところで使われている「鉄砲」という仕掛である。私は最初の2年間は加藤方式でやったが、その後は「鉄砲」に変えた。加藤の著書は曳釣りの全般にかかわる事柄について詳しく解説しており、実際に曳釣りを始める前に是非とも読んでおくべき必読書だと思う。

どちらも、長さが25mかそれ以上の、50号、60号の太いナイロン糸に3匁、4匁のオモリ(=ビシ)が等間隔に打ってあるビシ糸(あるいはグミ糸。オモリの形がグミの実の形に似ている)の先に、ルアー(タコベイトや弓角)を1つまたは複数つけた仕掛を船尾から流し、ゆっくりと船を走らせて釣る。

図は加藤方式、グミ(ビシ)糸を使ったハマチの曳釣り仕掛け略図

簡単に言えば、加藤方式では、一本のライン=ビシ糸に1つの弓角(ユミヅノ)をつけた仕掛を複数本流す。
弓角とは、小さくて長さが5センチ、大きければ10センチ程度、幅が1センチから1.5センチ程度の、弓なりに反らせた細長い板の先に太い一本の針が埋め込んである、一種のルアーである。
弓角は、元来、アワビなどの貝殻、牛の角などから作られ、今でも漁師の中にはこれらから作った弓角を大切に使っている人もあるようだが、最近ではプラスチック製のものがほとんどで、漁具店にはさまざまな色、模様、光沢のものが売られている。適度な反りをあたえると、水中で曳いたときにくるくると回り、魚を魅惑するのである。私の経験でも、タコベイトなどに較べて魚の食いは抜群によいようだ。ただし、よく食う種類は値段もやや高くLサイズで7〜800円はする。始めは岩などに引っ掛けてしまうことが多いので消耗品と考える必要がある。


加藤のグミ糸を使った曳釣り仕掛けはS〜XLまでの6種類あり、本体の仕様は、
S:1匁グミ40号糸25m〔1匁のグミを20cm間隔で打った40号のナイロン糸〕⇒水深(到達深度)1m
M:3匁グミ60号糸2m+1.5匁グミ50号糸25m⇒水深2.5m
ML:3匁グミ60号糸4m+2匁糸60号25m⇒水深4m
L:3匁グミ60号糸25m+1.5匁グミ60号糸5m⇒水深5m
LL:4匁グミ80号糸25m + 2匁グミ80号糸5m⇒9m

などである。XLについては省略した。この本体の先ないし下に、「グミ下ナイロン」を(Sは60号、M以上は80号)8m、ハリス(Sは24号、M以上は28号)7mをつける。

⇒の後の「水深」とは、およそ4ノットの速度で引いたときに、仕掛け本体の先端が到達する水深ないし深度のことである。船からは、この本体にカツオコードをつけて曳く。カツオコードを伸ばせばグミ糸仕掛はより深く入っていく。

「グミ下ナイロンは」加藤が独自に考案したもので、彼はこれを入れると魚が浮かせやすく初心者に有利だという。しかし、軍手を着けたり外したりするのはわずらわしいため、私はたいてい素手でやっていたが、濡れたナイロン糸は素手ではすべり、大きなハマチがかかったときに、グミ糸の先まで手繰り終えた後、その先のナイロン8m引き寄せるのに苦労した。 また弓角がよく回転するように、ハリスはその上端にベアリング入りのサルカンを使ってグミ下ナイロンと結ぶ。ハリスが7mと長いため、釣竿につけるなどして舳先からハリス全体を海中に入れ船の脇で弓角を曳いて、回転することを事前に確かめる必要がある。

サンコーと言う漁具メーカー(http//www.sanko706.co.jp/gyogu/gumi/gumiset.htm)が、加藤の仕掛(本体)と同じかほとんど同じ(1.5匁のグミの代わりに2匁を使っている)仕様の仕掛けを販売していたが、カタログに書かれていた(4〜5ノットの速度での「目安」とされる)水深が少し違っていた。例えば、

S⇒1〜3m、M( 〃 加藤MLとほぼ同じ)⇒3〜5m、L⇒8〜11m、LL⇒12〜15m、となっていた。

到達深度(入射角)は本体グミ糸のグミの重さやナイロン糸の太さ(そして全長)により決まるはずだが、S〜LLサイズそれぞれの加藤のものとサンコーのものとで仕様が同じかほぼ同じであるのに深度にはかなり差があり、どちらが正しいのか気になる。しかし、はじめて仕掛を作るときには、到達深度は全く見当がつかず、これらの数字は大いに参考になる。「到達深度」の確め方、正確に深度を知ることに意味があるのかどうか、などについてはまたあとで述べる。

蛇足だが、仕掛けの沈み方は船の水に対する速度で決まる。GPS画面に表示されるノット数は対地速度で、潮の流れがないところでは、対地速度と対水速度は一致する。ハマチの曳釣りを専門にやっている漁師の船の速度などを参考にすると、3〜4ノット程度がハマチの曳釣りに適した速度のようだ。そこで、潮流のないところでこの速さのときの自分の船のエンジンの回転数を見ておき、回転数で決まるその対水速度で常に走るようにすればいいことになる

加藤の仕掛けもサンコーの仕掛けも完成品が販売されている。また、ビシ糸(グミ糸)大型サルカン、トローリングスナップなど製作に必要な材料、およびビシ糸を曳くカツオコード、クッションゴムなども売られている。完成品の価格は加藤のものに較べてサンコーのものはかなり安かった。

私は、両方の仕様を参考にして、材料をすべて地元の漁具店から取り寄せ、加藤のS,ML,M,L,LLとほぼ同じ、5種類の仕掛けを2セット作った。ヒコーキ、弓角数本、太いナイロン(ビシ糸)をサルカンなどと接合するのに必要なハンドプレッサーなどの工具も含め(接合の仕方、必要な道具についても漁具店で教えてくれる)、全部でほぼ9万円だった。比較的安いサンコーの既製品を購入した場合に較べても、たぶん半分の費用で準備ができた。

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3本以上の仕掛けを曳くのは難しい

加藤は、5本のアウトリガーを備えた29フィートのボートで、最高7本までの仕掛を引く本格的な曳釣りを紹介している。複数のラインを曳くのは、海中に広く仕掛けを流すためであり、また異なる深さに仕掛けを入れることにより、魚の遊泳層を探りあてるためだという。

加藤は「一般的なレジャーボートでは左右のアウトリガーを装備し、最低限4本曳きするのが望ましい--。---初心者でも竿曳きを含んで3本くらいはぜひ曳いてみてください。1本しか引けないのでは、集魚効果もあまり期待できません」と書いている。

私は最初、船尾の両側から直曳き2本、イシダイ竿2本をアウトリガーとして使って2本、合計4本の仕掛を流せるように、竿受けの金具類や塩ビのパイプなどを取り付けた。実際に船を乗り出してみると、広くて深い海をただまっすぐに走っているのとは違い、3本流すのがやっとであった。

船が真直ぐに走っていれば、同じ水深に複数の仕掛けを流しても絡むことはない。はるか沖を流れる黒潮の中でカツオを狙うならともかく、変化の多い海岸や小島の周囲を曳くときには、しばしば進路を変え、曲がらなければならないが、その場合には、仕掛が絡むことがある。しかし、軽い仕掛を遠くに流し、重いものを近くに流して走れば、魚が掛からない限り、船がカーブしても仕掛けはからまないと思われる。だが、遠くの仕掛に魚が掛かって、ラインを手繰り寄せて来て魚が近づいて来た時に、魚が横に走れば絡んでしまう。

実際、魚を引き寄せてきたときに仕掛がからみ、その縺れた仕掛を直すのに手間取り、次の仕掛を入れるのが遅れてそれ以上釣れなかったことがある。また釣上げた1匹がデッキで暴れて、回収してあった別のラインと絡んでしまったことがある。1匹釣れたとしたらその近くには10匹あるいはもっと多くの魚がいるはずだ。しかし、釣れているときに、糸が縺れて、仕掛けを入れられないのは非常に悔しい。仕掛が絡みやすいというのは複数のラインを曳く方式の欠点の1つである。

また根掛かりが生じた時の対処が難しい。仕掛が1本なら、ガツンとルアーが引っ掛かったり、ガツ、ガツッとビシ糸が海底の岩礁に擦れ、クッションゴムが伸びたら、直ぐに船を止め、バックする。ルアーがだめになっているかもしれないし、ビシ糸が擦れて傷ついているかもしれないから、その仕掛は使用を止め(後に修理することにし)、他の仕掛けを入れる、ということになる。

だが、複数の仕掛けを流しているときには、船を止めてバックすれば他の仕掛も着底してしまうかもしれない。そしてエンジンをニュートラにしていても潮で船が流れれば、それらの仕掛が根掛かりを起こす恐れがある。2本流していただけなら、残りの一本をゆっくり手で引き上げればよい。そして根掛かりしていたら、船をゆっくり動かし、根の真上か少し潮上にまでくれば問題なく外れる事が多い。しかし、実際に、その経験はないが、着底している仕掛が2本、3本あれば、それらを引き上げるのも、根掛かりしていた場合の船の動かし方も難しくなり、非常に悩ましい。多くの本数の仕掛けを流すのは、根の多い岩礁地帯を曳くときには避ける方が無難である。

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良型のハマチが釣れた!

上では複数の仕掛け(ライン)を流すことの難点を指摘したが、曳釣りを始めて間もなく、加藤方式でハマチを釣った時の格闘と大きな興奮を、当時の「釣り日誌」によって紹介しておきたい。 06年10月18日に、後で詳しく書く由良の鼻(岬)、小猿島と大猿島の間の湾で、初めて、良型のハマチを掛け、格闘した。このときは船の両側からMとLのビシ仕掛けをクッションゴムにつけて曳き、イシダイ竿でヒコーキを使って軽い仕掛けを曳いていた。ルアーには3本とも弓角を使っていた。

10時少し前頃、大猿のそばの夫婦バエの近くで、40センチほどのヤズがヒコーキ仕掛けに食った。これまで続けて何匹も釣ることはなかったので、たまたま通りかかった1匹が食ったのだろうくらいにぼんやりと考え、魚を上げてすぐに仕掛けを再投入し、そのままボートを進め湾内を一周して、再び夫婦バエの近くにきた。するとさっきとほぼ同じ所でリールのギヤーが激しく3回、4回と続けて鳴った。

小物なら1、2回鳴って音はやむ。魚は抵抗を止め、糸に引っ張られるだけになる。今度は違う。リールが逆転し、糸が引き出され続けているのだ。右手でリールの少し前のところで竿をつかみ、ロッドホールダーから竿を抜き、持ち上げる。竿尻は下腹につけた厚いゴムでできている竿受けで受け、左腕で抱えるように竿を握り、右手でドラッグを締めると、ズルズル出ていた糸が止まり、根がかりではないかと思うような重さで、竿が伸(の)されそうになる。ハンドルを回して糸を巻くことはできない。はじめはただ両手で必死に竿をつかんで倒されないようにしているだけだった。

ボートは低速で走らせている。加藤の『曳き釣り・トローリング』では船は止めないと書いている。もし根がかりだったら、ハリスが24号で、弓角の結び目で糸が切れない場合、竿は大丈夫だろうかと瞬間的に不安を感じた。私には無理だったが、磯で他の人が16号の糸を竿であおって切るのを見たことはある。しかし、24号の糸は竿で切れるのだろうか。切れないとすると糸が引っ張られ竿が曲がっていったらどうなるのか。竿は折れるのではないだろうか。しかし、その心配は無用だった。とにかくボートは動いており、答えは数十秒いや十数秒で出るはずだったが、糸は切れず竿は大きく曲がってはいるが重さに耐え、また私も竿を伸(の)されずに耐えることができていた。

何か魚が掛っていることは確かだ。やったぞ、いや、やりつつある、とは思ったが、うれしさを感じる余裕はなかった。サメやエイの可能性もあったはずだが考えもしなかった。立っているのは危険だと思い、腰を下し、両足の付け根とボートの床と両手で必死に竿を支えた。ポンピングしても竿の倒し方がおそいせいだろう、この日使っていたリール(ペンンの3/0)のハンドルは固く少ししか巻き取れない。4/0にしておくのだったとちらっと考えた。何回かポンピングしているうちに腕が疲れ、バテそうになった。

磯の場合には、魚を掛けてから「遊ばせる」のは危険である。竿を伸され、糸を出したりすれば、魚の頭を向こうに向けさせ、泳ぐ勢いをつけさしてしまう。そして魚は海底の根に向かって突っ込み、根に掛った糸は簡単に切れてしまう。しかし、ボートの曳き釣りの場合にはその心配はない。ボートを止めない限り、魚は糸に引っ張られ続けており、抵抗して横に走ることはあっても反対を向くことはできない。ゆっくりなら糸を出しても、糸が強ければ、竿を倒してまっすぐ糸の方向にむけ綱引きと同じような状態になっても大丈夫のはずだ。竿を倒そうとは思わなかったが、あわててリールを巻かず、『曳き釣り・トローリングのすべて』に書いてあったように、このままボートを走らせ、魚が弱るのを待とうかとも思った。だが、大猿の鼻から沖の方は少し波だっており、まっすぐ沖に走らせるのは気が進まなかった。リールはすこしずつだが巻くことはできた。まだハンドルを回す力が腕に残っていた。そしてやはり一刻も早く魚を見たいと思った。

沖には出ず湾内で魚を上げようと、船のハンドルを左にちょっと切り、大きな円を描くようにボートを走らせた。始めに仕掛けを流した状態ではリールからヒコーキまではおよそ40m。魚がかかってから10mくらいは糸が出ただろう。しかし、少しずつ距離は縮まった。仕掛けは3本流していたが、他の仕掛けを上げる余裕などなく、魚が近くに寄ったときに絡まないか気になった。もう少し左にハンドルを切り、近寄って来たヒコーキを、左舷から流しているグミ仕掛けのコードからできるだけ離そうとした。ボートが地釣りに近づいたころヒコーキがボートの脇に来た。

軍手をはめて糸をつかむ用意をした。魚の姿はまだ見えなかった。ヒコーキの後ろのグミが6〜7m。グミの後の太いナイロン糸(60号)が8m,ハリスが7m.合計21〜22メートルある。ハリスラインまで手繰ったときにようやく姿が見えた。興奮していて夢中だったのだろう。糸をつかんで引き寄せる時に魚が暴れたかどうか思い出せない。(その後で再び釣れた40cm級のヤズを上げるときにひどく軽く簡単にあがったことははっきり覚えている。)魚の姿が見えたとき、ハマチだと思った。掛ってもしようのないサメやエイではなく、よかったという感じである。またマダイとかあるいは以前近くの大ウドのまえで釣ったコロダイとか、何か他の魚でなくハマチだと判断したともいえる。

引き上げかたが不十分で、魚体の半分ほどがボートの縁にぶつかって一瞬ひやりとしたが、無事取りこむことができた。弓角の針が刺さったところが切れて穴は広がっていたが、唇の硬いところに針先が刺さっていて外れなかったようだ。口の付け根(学問的には上顎主骨後縁と呼ばれる箇所)が四角く角張っているのを確かめ(丸ければヒラマサだ)ながら弓角をはずして、魚を生簀の中に落とし入れたとき、体中から噴き出しているすごい汗を感じた。後で測ると75センチあった。重さは測らなかったが、前日に買った5キロのバーフックアンカー(新品なので爪の鉄筋がまっすぐのままで全体が棒状)の感じを思い出し、5キロを超えていることは確かだと思った。

くたびれたのでもうやめて帰ろうかとも考えたが、2匹同じ場所で釣れると言うことは近くに群れがいて、まだ釣れるかもしれないとも思った。仕掛けを再び流し同じ地点を回った。ヤズがヒコーキと直曳きの弓角に1匹ずつ掛かり、もう一回回って沖エソが掛ったところで終わることにした。11時を回ったくらいだった。翌日、左上腕の筋肉が痛んだ。風呂に入ってかなりマッサージしたが、2日後になってもその痛みは続いていた。久しぶりに、全力で筋肉を使ったということだろう。

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田倉崎方式に出会う

始めの2年は加藤方式で複数の仕掛を出して曳釣りを行なっていたが、仕掛けの縺れに苦労することが多く、また決して安くない弓角をしばしば失って、他のやり方がないのか考えた。そのときに田倉崎方式に出会った。

紀州(和歌山県和歌山市)と淡路島(兵庫県洲本市)の間の海峡が紀淡海峡(きたんかいきょう)、もしくはその海峡の間にある、地の島、沖ノ島を合わせた名前である友ヶ島の名を冠して友が島水道と呼ばれている。この海峡/水道に和歌山側から突き出しているのが田倉崎である。この地形だけからみても田倉崎周辺の海が好い漁場、釣り場であることが想像できる。
ちなみに地図を開いてみると、田倉崎の南東7〜8キロのところに紀の川の河口があり、その左岸には雑賀崎がある。ムツゴロウこと畑正憲によると(⇒前出『ムツゴロウの大漁旗』参照)、雑賀崎は、タイ釣りにおいて、南紀のなかでもずば抜けた技術を持っている名人集団を生んだところである。雑賀崎を含め田倉崎周辺の海が好漁場だからこそ、雑賀の名人集団も生まれたと考えられる。(なお、海岸や山地などの名前を見るためには、WEB上の地図ではなく、印刷された地図の方がはるかによい。私が見たのは昭文社の16万分の1の<分県地図>、「和歌山県」である。)

田倉崎の「鉄砲」仕掛けは、HP「Boat Anglers」(URL,http://www.geocities.jp/takassano/2index.htm)に紹介されていたもので、下図に見るように、10本から15本のルアーをつけた一本のラインを曳く方法である。

枝素の長さは80cmで間隔は2m。ルアーは、パール玉と黄色とピンクの荷造り用カラーテープを使った自作のルアーである。仕掛けの上方にはビシ糸を使い、仕掛けの下方に潜航板をつけて、かなり深い処を曳けるようになっている。
「毎年4〜5月にハマチの回遊があり、水深15m〜25m位を4ノットでトローリングする」と書かれている。

加藤の本には、3本のルアーをつけた仕掛けも載っていたが、上の針を船の上に取りこんだ後、下針にかかった魚が暴れたときに、危険なので注意が必要と書かれていた。私はこれに留意し、すでに書いたように、加藤のその仕掛け以外の、弓角を一本だけ付ける仕掛を5種類作って曳釣りを始めた。この田倉崎の「鉄砲」仕掛を作ることにしたときには、その「危険」を防止する対策もいっしょに考えた。後で述べる。

私は、結局、以後の曳釣りでは、一部修正したこの田倉崎の「鉄砲」を使うことにした。修正した点は潜航板を使わず、ビシ仕掛けを長く繋いで使うことにした点である。潜航板は1.で書いたようにメジカやヤズなどを釣るのに使っていたが、船のスピードによりどの程度潜るのかの見当がつかないと感じていたことが、その主な理由である。私自身がつかうようになった「修正田倉崎方式」の仕様については後で書くことにして、まず、実際に曳釣りを始める時に問題になる仕掛けの到達深度をに関して注意すべきことを一、二書き、次いで私が実際にどんな風に曳釣りを行うコースを決めたかについて書こうと思う。

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仕掛けの到達深度とコースの水深とのミスマッチ

曳釣りを行なうに際して誰もが避けたいことは根掛かりで仕掛けを失ってしまうことである。根掛かりは、仕掛けの到達深度と、その仕掛けを曳いて走るコースの水深とのミスマッチによって起こる。ミスマッチが起こるには様々な原因がある。

軽く、短い、小型の仕掛でメジカやヤズをねらって海面に近いところを曳くのであれば、根掛かりの心配はさほどいらないし、被害も大きくない。しかし、ハマチ釣りでは10mあるいはもっと深い所に潜る、長くて、重いビシ糸仕掛を使う必要があるので、一般的には、魚探とGPS装置を使って、自分の走ろうと思うコースの海底地形を掴んでおく必要がある。一定海域で曳釣りを行なうプロの漁師の中にはGPSも魚探もなしに曳釣りをやっているひともある。私が知っている漁師は(潜航板を使わず)ビシ糸だけを使い、先のほうに多くの針をつけた一本の仕掛を曳き、周囲の地形をちらっと見て(山立てで)瞬時に海の深さを判断し、仕掛を手繰り上げたり、また深く入れたりする。だが、素人が水深を知らずにやみくもに走り回れば根に仕掛を取られてしまうのが落ちである。

魚探とGPS装置のついた船で走るにしても、自分が使おうとする仕掛けがどの程度の深さに到達するのかを知っている必要がある。そこで加藤が書いていることやサンコーのカタログが役立つ。

加藤の仕掛とサンコーの仕掛を較べると、その到達深度は、同じ仕様のLL仕掛で一方は9mとしているのに他方は12〜13mとしている。かなりの差があり、どちらが正しいのかと気になる。しかし、それは水深のわかっている場所の海底あるいはそこにある根すれすれに仕掛けを曳こうと考えるからであり、たとえば、3,4mの余裕がある場所、つまり水深が16m以上の場所ならば、ひっかからないのではないかと考える。そう考えて大体は正しい。しかし、それでも根掛かりすることはある。

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仕掛を常に同じ深さで曳くことは難しい

ハマチなどを狙う場合、船は入り江や岬など陸の凹凸にしたがって数十メートルないし100m程度の半径でカーブすることがしばしばある。船が一定の速度で走っていても、船がカーブすると、曳かれているビシ糸はカーブの内側に偏り、後方先端の速度が小さくなって、直進していたときに較べ、仕掛けが全体としてかなり沈む。カーブのあるところを曳くつもりなら、コースの水深と較べて到達深度の小さい、海底までの距離に余裕のある仕掛を曳く必要がある。同じことだが、海底までの距離に余裕がない仕掛を曳いていれば、船がカーブすることにより根がかりは避けらない、ということである。始めに予定どおり12〜3mの水深を曳いていたとしても、船のカーブの仕方によっては、仕掛けはそれよりも4mも5mも下まで入ってしまうかもしれない。

考えたとおりのコースを曳くことは難しい

一定の水深のコースを、GPS画面上に適当な間隔で入れてある水深を示す目印のマーク(これについては後で説明)と画面上の自分の船の位置を見比べながら、前者の少し外(より深いところ)を走るとする。まず、この水深を示すマークの位置がどの程度正確かが問題になる。マークの位置の正確さはそれぞれのGPSプロッターの性能により異なるだろう。わたしのものはディファレンシャルGPSで誤差は比較的少ないとされているが、それでも、由良半島の中間にある幅10mほどの運河の中をとおったときに軌跡を残してみたところ、軌跡は陸上にかかっていた。4〜5mの誤差はありそうだ。また、いま走っている船の画面上の位置も同じくらいの誤差があると考えられる。すると、水深を示す目印を打ち込んでおき、それに沿って、上手な運転でたどったとしても、その目印自身も、また自船の現在位置も、本当の位置から4〜5mはずれている可能性があり、最悪、10mも外れたところを走っているのかもしれない。そして、10mと言わず、4〜5m違えばその前の走行時には魚探に映らなかった数mの高さの根の上を走ることになっても不思議はない。

また、数ノットで潮が流れているところを横切っていくときには、船がまっすぐ走っても、仕掛けは潮に押されて斜めになりながら曳かれていく。計器で船の直下の水深を見ていても、根がかり対策にはらない。前方に分かっている高根があるとしたら、打ち込んであるそのマークと自分の船の現在位置とを見比べながら、その根に仕掛けが行かないようなコースを勘で判断しながら走らなければならない。

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GPSのタイムラグによるずれ

ところがさらに厄介なことがある。GPSプロッター画面上の自船の現在位置とリアルタイムの本当の位置とはかなり大きくずれており、画面上で点滅している自分の船の位置は実は数秒前の位置なのだ。潮流の影響がないところで前方にある根を避けようと運転したにもかかわらず、予想よりずっと早くその根に引っ掛かってしまうという失敗が何度かあった。

また夜間走航できるように、湾内の真珠筏の間の水路を示す軌跡を入れてあるのだが、夜、(もちろん曳釣りなどでなく、単なる走航で)アクセルをLに入れ、ゆっくりゆっくり画面を見ながら走っていて、曲がり角など障害物までまだ距離があるはずだと思って運転していると、突然それが現れそこに突っ込むといったことが何度かあった。そして頭の悪い私はこの理由がわかるまでに2〜3年かかった。

船から発信される信号が衛星を経由して帰って来、演算・処理されて「現在位置」として画面に表示されるわけだが、(わたしのGPSでは)その間にどうも5秒近く掛かっているのだ。これは、昼間、走っていて、わざと大きくカーブし、この針路変更が画面に現れる時間を「イーチ、ニー、サーン--」と数えてみて分かったことだ。だから、曳釣りをしていて、GPS画面で前方に高根の危険マークが現れたら、自分の船の画面上の速度から5秒後の船の位置はどの辺りなるかを考えて、回避操作をする必要があったのだ。

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高根に出会っても根掛かりは回避できる

さて、すでに述べたように、プロッター画面上に記された一定間隔の等深点も、また(タイムラグを無視した)船の現在位置も、それぞれ本来の位置とは4〜5m離れたところにあるかもしれず、前にマークしながら走った時には高根が存在しなかったしても、いま走っているコースには高根があるかもしない。つまり画面上で前に走ったのと正確に同じ(根のない)コースを走ったとしても、高根の上を通過することがありうる。また、GPSプロッターのタイムラグのために、まだ先だとおもっていた矢先にその根の上に来てしまうということがありうる。しかし、このような場合には、魚探の水深に注意しながら運転していれば、船が直進している場合には、船がその根の上を通過してからでも、まだ根がかりを避けることはできる。(ただし仕掛けが潮で押されて斜めになっているときは別である。)

魚探に自分の仕掛の到達深度よりも浅い水深が表示されたら、船が根の上を通ったということである。しかし、カツオコードを含めると仕掛けの先端は長ければ50mあるいはそれ以上後方にある。そして、たとえば潮流のないところで、4ノット、つまり秒速およそ2mで走っているとすれば、50m進むのには25秒かかる。したがって、仕掛け到達深度より浅い数字が魚探で示されてからでも仕掛けの先端がその根のところまでくるのにそれだけの時間の余裕がある。複数の仕掛けを引いているときには、船の速度を上げてビシ糸全体を浮かせることで、根掛かりを回避することになる。

仕掛けが1本で同乗者がいるときには、たいていその同乗者が仕掛を持っているだろう。船の速度を上げるとともに、声をかけて、仕掛を手繰ってもらえば、仕掛けは短くなって先端の水深は浅くなり、また仕掛けは前方に<船の速度+手繰り上げる速度>で走ることになり、仕掛けはより大きく浮き上がる。わたしはほとんど一人で行く。加藤仕掛を2本3本流していたときには、浅いところにきたら、船の速度を上げるしかなかった。今は複数針をつけた一本の仕掛けだけを出していて、浅いところにきたら、船の速度を上げると共に、後ろ向きになって仕掛を手繰り寄せるようにしている。

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由良の岬(ハナ)での曳釣り

実際に曳釣りを始めたのは、2006年の6月くらいだが、その前に、私は由良の鼻で、アンカーを打ってマダイを狙ったビシ釣りなどをやりながら、「年に数トン釣る」(5キロのハマチとして1000匹前後か)という、ハマチの曳釣りを専門に何十年もやってきている家串の漁師、黒田本蔵さんが曳いているところを観察した。(黒田さんは2011年4月に亡くなった。享年92才であった。黒田さんの漁師生活についての詳しいことは ⇒第三部第5章(9)、「90歳でブリ/ハマチの曳釣りを行なう漁師」の項参照)

由良の岬は、南(ないし南西)に開いた小さなワンド(湾処=入り江)になっていて、西(ないし北西)側には大猿島があり、東(ないし南東)側には先端がハゼヤマと呼ばれている細い岬が南に向って突き出ている。ハゼヤマの東300〜400mのところにはサクノセという、大潮干潮時にのみ頭を見せる、根(シモリバエ)がある。ハゼヤマの南には、小猿島、地釣礁、やや離れて沖釣礁が点々と続いている。

沖釣と地釣の間の距離は500〜600m、この水道には数百トンの貨物船も通る。(グーグルの地図では両礁のタグの位置が衛星写真Terms200/100から大きくずれている。)地釣とハゼヤマの間は、小猿のほかに干出岩や小さな島が多く、それらの間の狭くごく浅い水道は渡船がやっと通れる程度で、地釣からハゼヤマまでの400〜500mは一続きでワンドの一方の縁をなしていると見ることができる。ワンドの直径、つまりワンドの西端の大猿島から東端の地釣礁までの距離は1200〜1300m。大猿を回って北に行けば、由良半島の最西端のオシアガリというところに出る。

黒田さんは、地釣と沖釣の間の水道を繰り返し往復していた。あとで魚探とGPSを見ながら走ってみてわかったことだが、地釣から沖釣にかけてと沖釣の少し先までは水深が20mから40mくらいの浅場が馬の背状に続いており、その両側は水深が60m、70mへと急に深くなっていて、その先の水深は80mから90mになる。黒田さんはこの馬の背の際の潮上側を曳き、潮が変わると、背の反対側に移って、再び潮上を曳いている。

<由良岬灯台下の磯から南東方向を望む。左端はハゼヤマ、右へ順に大きいエボシ形の小猿島、小さく平たい地釣り、小舟の右に見えづらいが沖釣り。遠景は西海の半島と鹿島。写真の左手が湾になっている。写真は
http://tsure.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/2013112.htmlから借用した。>

また黒田さんはサクノセあたりから始めて、岸からだいたい20〜30mの (水深もほぼ同程度かそれより少し浅い)ところを曳いて、小猿の前を通って地釣りの南側を回って、湾の中に入り、湾内を曳いたあと、大猿の鼻を回って北上し、オシアガリまで曳く。

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予定のコースの水深を事前にGPSに入力しておく

私も、これにならって曳こうと考えた。黒田さんのように若いときから何十年もやっていれば、山立てや目測だけで、一定の水深の一定のコースを走れるようになり、また、繰り返し、一定の重さと一定の長さの仕掛けを流し、根がかりを含めた無数の経験を積み重ねることによって、それぞれの地点の水深を把握することも可能かもしれない。これは直接聞いたわけではないが、根がかりしたらすぐそこでオモリを着けた糸を垂らして水深を測るという。そして、その場所を山立てで記憶すると共に、たぶん、自分の仕掛けが、この速さで、この潮のときに走ったら、どこまで潜るのかを把握するのだろう。

私は、その後いつも曳くことにしたこのコースを事前に数回、エンジンの回転数1000rpm(平均4ノット)の速度で往復し、「等深点」を打つことにした。作った仕掛けは最も重いLLで、到達する深度は(サンコーによれば)12〜13m程度と思われたので、LLを使うときには15m以上水深のあるところを曳く必要があると考えた。そこで、船を岸に沿って走らせ、まず、水深15mのところをGPSプロッターにマークしていくことにした。後に、グミ糸を繋いでより深いところを曳くことにしたときには、今度は30mの等深マークを入れた。

最新のGPSでどうなっているかは知らないが、私の船についているのは売り出されたのが90年代半場の機器で、色別のある△、○、×など9種類のマークのなかから使おうとするものをあらかじめ指定しておいて、走っている最中にコントロールキーの「マーク」を押すとプロッター画面にそのマークが表示されるとともに記憶されるようになっている。たとえば、オサカナマークを好釣り場と決め、よく釣れた場所でこのマークを押しておくというような使い方が標準的な使い方である。わたしはこのマークという機能を使って、等深線ならぬ等深点を記入する事にした。

魚探に現れる水深の数字をみながら岸から同じくらいの距離のところをゆっくり走る。そして、あらかじめマークとして黄色の×を選択しておいて、水深15mの数値がでたら、「マーク」キーを押して、印しをつけていく。

岸から大体同じくらい離れたところを走っていても、ところどころ、根が突き出ていて、仕掛を引っ掛ける危険性の高いところがある。しかし、始めに黄色の×を選んであれば、急に水深が7、8mというところがあっても、わたしのGPSでは別のマークを押すことはできない。別の種類のマークを押すためには、「メニュー」から入って「イベントマーク」→「マーク選択」と順に操作して、違う種類のマークを選んでおかなければないのである。そこで、水深15mをマークするためにコースを一周したら、次に、別のマークを選択して、たとえば、10m以下のところは赤の四角でマークすると決めたら、この赤四角のマークを「選択」しておき、再び同じコース(またはそれに近いコース)で船を走らせ、水深が10m以下のところで、「マーク」を押す。これは何回かやっておいたほうが安全だ。

もちろん仕掛を流さずに単なる水深のチェックのためだけに船を走らせるのはばからしいので、ヒコーキ仕掛けと水深3、4mまで潜るという軽い仕掛を曳きながら走った。由良の鼻では、このようにして水深チェックを目的に、06年7月に始めて走ったときには、3キロと小ぶりだがハマチを1匹釣った。

その後、入力した等深点マークを見ながら船を走らせ、繰り返しこの由良の鼻周辺で曳釣りをやった。沖釣と地釣の間は、磯釣り師が「宇和海本流」と呼ぶ速い潮流が流れる。二つの岩礁の間が馬の背状に浅くなっていて、ぶつかった本流が上昇し盛り上がるのであろう。風のないときでも、潮止まり以外、常に瀬波が立つ。黒田さんの真似をしてここの水道も何度も曳いた。沖釣の北、30〜40mのところに頂上が海面下5m程度の高根(暗岩)があり、釣り場案内の航空写真(愛媛新聞社刊『空撮ポイント 愛媛の海釣り 宇和海』)にも写っている。

最初に引っ掛けたあと、仕掛を出さずにその上を何回か行き来して、GPSで赤四角の危険マークを入れた。そして、この水道を曳くときには、GPSの画面に注意し、この高根からある程度離れたところを通るように運転するのだが、ここでは何度も仕掛を引っ掛けた。

もちろん、ずっと離れたところを通れば引っ掛ける心配はない。しかし根があるところは魚が好むところである。できれば近くを曳きたい。ビシ糸仕掛け全体が沖釣と地釣の間の急潮流に押されて横に振れる(時には進路から45度も振れているように見えた)ことを頭に入れつつ走るのだが、いつのまにかその根に近づいてしまっているようであった。すでに述べたように、画面上の自船の位置が真の位置より遅れているせいで、画面上では根まで距離があるように見えて、実際には、すでに近づいてしまっていたのだ。

また、「目安」で到達深度が13mの仕掛を流しながら、水深20mくらいのところをハゼヤマの東側に沿って曳いてきて、小猿の前(東側)を通って地釣方向に行く場合、同じ場所で何度も仕掛を引っ掛けてしまう。ここには水深15mくらいの暗岩があり、マークしてあるのだが、そこから少し離れた沖側を通っているのに、引っ掛かってしまう。ここは下げ潮時に、地釣の西側を南下した潮流が、東ないし北東に向って流れ(内海の湾を時計方向に回)る。地釣と小猿の間はコジマのほかにいくつも干出岩があるが、それらの間を通る潮流が、南東に流れ、地釣の南を回ってくる流れと合流する。表面と下で流れ方は違っているのだろう。ビシ糸は潮に横から押されるだけでなく、上から下に押さえつけられたりするのかもしれない。

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夏場、クロハエ周辺の曳釣り

家串のすぐ近くの、黒碆から塩子島の間の瀬にも、年に一回、7月から9月に、10日か2週間ほど、60cm超のハマチを交えて50cm前後のヤズ、カンパチが回ってくる。船外機の小型船にのった地元の人が大勢出て、ハリスを一回り太くしたメジカ仕掛けなどを使って、朝夕のまずめ時に曳釣りをやる。すでに述べた通り、私は寝坊で、早朝の釣りは苦手だが、釣れだしたと聞くと、数日間、あるいは1週間ほど頑張って出かける。

ここは平均的には15mくらいの水深である。そこで私のLL(到達深度はサンコーは12〜13m、加藤は9mとしている)を曳いても、根掛かりはまずしないはずだ。しかし、水深が5m程度しかないところが数箇所、また10m程度のところが数箇所ある。これらはGPS画面上に赤い四角のマークで印をつけてある。5m程度しかないところは避けて通る。水深10m程度のところに来たときには、船のスピードを上げるか、他の船との関係でスピードを一挙に上げられない場合には、後向きになって仕掛を急いで手繰る。仕掛けが1本だけならこうした対処が可能である。船の進路に対して横方向の潮流の影響が小さいときはこのようにして、根掛かりを回避することができる。

私は由良の鼻や黒碆の周辺では曳釣りでハマチなどを狙うほかに、アンカーを打って手釣りでアジやイサギ、グレ、あるいは竿で石物など、何種類かの魚を釣る。魚によってポイントは異なる。それぞれのポイントを釣るときに、潮によって船を掛ける場所を変える。周囲の干出岩や磯の位置から大まかな見当はつくが、地元の人のように山立てだけで、最適な場所に船をかけるというのはとてもできない。GPSの画面であらかじめ入力しておいた「等深点」や根の位置を見ながらアンカーを投入する必要がどうしてもある。(それでも、潮や風などその都度異なる条件下で最適な場所に船を止めるのは難しく、いつも苦労するが。)

水深がわかるようにマークしておくことは時間と手間が掛かるのでサンデー・アングラーには無理かもしれないが、曳釣りのためばかりでなく、同じ場所で繰り返し釣りをやる人には必要なことだと思われる。

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季節風が吹く時期の遠出

一般に、ハマチは潮通しのよい沖の小島や半島先端で釣れることが多いようだ。宇和海でハマチがよく釣れる場所は、北から順に、御五神の周辺、由良の鼻、七十バエから横島にかけての中泊の島々、そして西海の沖の磯(オキノソウ)などである。家串からは、御五神までは11海里、由良の鼻まで5海里、中泊までは8海里ほどで、そう遠いところではない。御五神には2、3回行ったことはあるが、1mほどのシイラが釣れただけだった。ハマチの釣れている時期にいったのではなく、軽い仕掛を引きながら周辺の根の様子を見にいってみたにすぎない。

中泊周辺には、プロの黒田さんがしょっちゅう通っていた。私も黒田さんの船を横目で見ながら、何回か曳いたことがあるが、やはり1m超の大きなシイラが掛かった程度でハマチは釣れなかった。中泊は家串の南に位置している。ハマチの期待できる冬場は、北風が吹いていると波が高くなるため、帰りに苦労する。というより、怖い目にあうことになる。

波の高さが「始め1.5m、後1m」という予報で、出かけたのだが、いつまでも風は収まらず、帰ろうとする頃には向かい風で波がひどく高くなり、まっすぐ走ると舳先から波の中に突っ込んでしまいそうであった。波を斜めに横切るのがよいという「机上の」知識だけを頼りに、ハンドルを必死に操作して、ジグザグに船を進めたが、転覆するのではないかという恐ろしさで頭の中が真っ白になるように感じた。

釣り場がいくつかある場合、少し遠出をするときは、気象情報で風の強さも波の高さも一日を通して同じだとすれば、往きに向かい風になるところへ出かけるべきだ。北風のときに南の中泊に出かけるというように往きに追い風となる場所に出かけると、多少時化ていても、追い風を受け船がスムーズに走ることができるために、そのまま目的地まで行ってしまうことになる。そして帰りには向かい風で、波に苦労したり怖い思いをしたりすることになる。もし往きに向かい風で波が高く運転しにくいと感じたり、危険だと感じたら途中で引き返すだろう。

私は、1、2回怖い目にあってからは、5月ころから、夏場にかけての天候が安定し海が穏やかな時期にはイシダイ狙いで)時に遠出はしても、北西の季節風が吹きはじめる11月以降は中泊方面に行くことは控えることにした。

家串は由良半島の南岸にあって、北風には比較的強いところである。由良の鼻で風が強まっても、半島の陰に逃げ込めばいいので、帰りを心配せずに済む。由良の鼻までは5海里ほど。20ノットで走って15分か20分で行ける。そこで由良の鼻には何度もいくことになった。

曳釣りを始めた2006年には、加藤方式で(複数のラインを出して)由良の鼻で繰り返し同じコースを曳いたが、50cm程度のヤズ数匹、ヒラソーダの良型数匹、小型のハタなどがぽちぽちと釣れたのを別とすれば、年末までに70cm以上のハマチが釣れたのは3匹にとどまった。

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仕掛けの改造を考える

07年春に、加藤式の仕掛の一部を改造し、他をそのまま使った新しい仕掛けを作ってみた。次のような記事を読んだことがきっかけだった。一般に、ゴールデンウィーク前の低水温の時期に、ブリやヒラマサが食っているベイトは小イカ(長さ5センチ以下)で、ジギングでもイカのスローな泳ぎに似せたスロージャークがよい。(古谷秀之『ジギングShock!』週間釣りサンデー社刊、2002年)。

一方、プロの黒田さんのブリを狙った曳き釣りでは、冬場から4月いっぱいまで出漁し、20本以上の針に、小イカが取れるときには網で取った小イカを刺して曳く。また、イカが獲れないときはタコベイトを使っていた。彼は小イカまたはタコベイトをつけて、片手で道糸をゆっくり引いてはもどす動作を繰り返していた。私は、これは古谷の言う「スロージャーク」に似ていると考えた。私はこれを真似て一週間ほどやってみたが(そのせいばかりかどうかはわからないが)いわゆる「五十肩」になってしまった。そのことを彼に話すと彼は長年この動作を続けたために肩を壊し、医者にもかからなかったため肩より上には腕が上がらなくなったと言う。
私は松山に戻った時に近所の整形外科に行き治療を受けた。看護婦が私の体を押さえつけている状態で、医者がエイッというふうに、力任せにその上がらない腕を肩の上まで引き上げるのである。激痛が走りバリッという音が聞こえたように感じた。荒療治であったが腕はもとにもどった。しかし、数年後、その荒療治の後遺症ではないかと思われる慢性の疼痛に1年以上苦しめられることになった。この痛みについては⇒第三部第1章の注11)で書いている。

折りしもインターネットで田倉崎の「鉄砲」仕掛けを目にした。この仕掛けの真似をして6、7本針の仕掛を作った。ルアーには「小イカ」に似た白のタコベイトを使った。そして、黒田さんのように、ラインを引きつけてはまた戻すという動作の真似をしてみた。しかし、3月から4月にかけて、数回の出漁で釣果は得られなかった。私はこれまでタコベイトで釣った経験はないが、タコベイトは食いが悪いと言うにはそれを使った曳釣りの回数が少な過ぎる。私が曳いたときに魚がいなかったという可能性のほうが大きいと思っている。

2007年7月下旬には黒碆周辺で、一週間ほどの間にやや小型のハマチ、50センチから60センチほどのヤズとカンパチ、合わせて20匹ほどを釣りったが、このときは、タコベイト仕掛けではなく、弓角を付けたビシ糸1本だけを出して釣った。

日記によると、カンパチが釣れ始めたのは、台風通過後、(07年7月)16日か17日ごろからで、よく釣れたのはほぼ一週間程度だったようだ。20日に黒田さんに会って話をした。

彼は、もう釣れなくなった。今日は10隻くらいだったが、一時は20隻も来ていた。魚は散ってしまったんじゃないか、と言う。どれくらい釣りましたかと聞くと、500キロほどだという。1日70〜80キロだ。3キロから5キロ、平均4キロとすると、1日20匹近く釣ったのだ。

港のすぐ近くに家がある早起きの源さんによれば、黒田さんの船は、その重いエンジン音で分かるのだが、毎日夜明け前の暗いうちに出て行くという。私は曳き始めるのが遅いので、太陽がすっかり高くなって他の人が帰ったあとも1時間ほど長くやる。しかし、私が9時過ぎくらいに終わりにして帰るときにも、まだ黒田さんはやっていた。釣れる時間帯にはもちろん他の船の何倍も釣るはずだが、また、他の船に比べはるかに長時間、漁を行っている。

8月に入ってから聞いた話だが、隣の平バエの漁師は、この期間、カンパチ釣りに連日出漁して、長くやった日は午後2時まで曳いたという。朝4時から昼までやって8時間、午後2時までやると10時間である。漁師は夜明け前から出漁して、かんかん照りの真昼間もずっと釣り続ける。わたしが引いたのは朝7時ごろからせいぜい9時ごろまでの2時間程度。やはりプロの漁師と言うのはすごいものだ。たくさん釣る、釣らねばならないのだろうが、それだけ長時間、がんばって漁をするのだ。

12月には、ビシ糸の途中に、タコベイトを6、7本つけた仕掛で曳釣りを少しやったが、まったく釣れなかった。そこで再び、仕掛けを作り直すことを考えた。釣れない理由が仕掛けにある、とは簡単には言えない。魚がいない時期、あるいはいない場所でやれば、どんな仕掛けでも釣れないだろう。仕掛けの良し悪しは、同じような腕の二人以上が同じところで一緒に釣って、釣果に大きな違いが出た場合にはじめて分かることだ。しかし、冬場、風が強く、釣りに出かけられない日が増えると、仕掛けをいじってみたくなる。このときに思いついたのは、田倉崎仕掛けで使っているルアーと同じものに取り替えてみるということだった。

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パール球を使った手製のルアー、修正鉄砲仕掛け

ホームページの説明と写真を見ると、「鉄砲」で使うルアーは、ピンクと黄色の荷造り用の透明なテープを数センチの長さで切り、細かく切れ目を入れて吹き流し状にしたものをサワラ針に付け、装飾用のパール球をヘッドに付けている。私は、とくにこの光る玉がよいのではないかと考えた。私は、縦に4、5個所切れ目を入れただけのテープを重ねて吹き流しのようにし、使い古しのボールペンの軸を切ったものにこの「吹き流し」を巻き付けて縛り、中にハリスの糸を通した。また、軸の長いサワラ針が手に入らなかったので、管付きのイシダイ針やタマン針を使った。

黒田さんも長い一本のラインに、20本以上の針をつけて曳いている。そして彼によれば、食うときには何匹も釣れる。23本の針に全部食ったこともあるという。田倉崎の「鉄砲」は多くの針をつけた仕掛けを一本だけ曳くという点でこのプロの仕掛けに近い。こうして、わたしはそれまでの弓角をつけた仕掛を複数本流して釣るという加藤方式をやめ、多くの針のつた一本のビシ仕掛けで釣るやりかたに変えることにした。
田倉崎の鉄砲(⇒「田倉崎方式に出会う」参照)では、ビシ(グミ)糸には3匁のやや軽いものを使い、その代わり一番下に潜航板を付けて深いところを曳けるようにしている。全長は30mほどで、「水深15mから25mを4ノットでトローリングする」とされている。しかし、私は潜航板を使わず、より重い4匁のビシ糸を長く繋いで深場を曳くことにした。

まず、それまで使っていた仕掛を流用、改造し、2匁と3匁のビシ糸を繋いだ25mに手製のルアーを2m間隔で10本つけた仕掛け(これを「修正鉄砲」と呼ぶことにする)を作り、この上に、4匁のビシ糸25m(LLグミ本体)を1本ないし2本継ぎ足して使う。3本全体では75mにもなる。

潜航板を併用すれば、仕掛をあまり長くしなくても、深い処を曳くことができるであろう。しかし、走っていて、根の存在に気が付いたとき、ビシ糸だけの仕掛なら、船の速度を上げ、手でも手繰ることで根掛かりを避けることができる。潜航板とビシ糸の両方を使った仕掛けでは、根があることがわかった時、どう対処したらいいかわからない。進路を変えるのだろうか。速度を上げれば潜航板が効いてより深く仕掛けが入る。船を停止させればビシ糸部分は沈み、ビシ糸より水深の浅いところでは仕掛けが底についてしまうであろう。船が止まれば、仕掛けが下に着いたとしても、たぶん、仕掛けは回収できると思われるが、根のあるところでそのつど船を止めて、仕掛を巻き上げるのは面倒である。ビシ糸だけなら、進路を変えたり、船を止めたりせずに済むので、ずっと楽である。このように考え、私はビシ糸だけの仕掛けを作った。

ルアーの付いた部分を「修正鉄砲」、これをビシ糸だけで曳く仕掛全体を「修正田倉崎仕掛」と呼ぶことにする。早朝には、「修正鉄砲」だけを、表面に近いところを曳き、少し明るくなったら4匁糸LLを1本付け足し、深場を狙うなら、4匁の糸をもう一本つないで曳く。このように少し変更したが、基本的には「田倉崎の鉄砲」仕掛けを真似したものを今は使っている。

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複数針仕掛けの危険防止対策

上で加藤が、複数の針をつけた仕掛けは下針にかかった魚が暴れると危険だと書いていたことについて触れた。私は家串の曳釣りの本職黒田さんにも複数の針を付けた仕掛けの危険性について尋ねてみた。

私「仕掛けに20本も針を付けるということですが、魚が一度にたくさん掛った時、上針に掛った魚を外していて、下の魚が暴れて危なかったことはなかったですか。」

黒田さんさん「そうだな、タイは最初さえこらえれば、あとは大丈夫だが、ブリは最後まで暴れるからな。魚が走ると上の針はどこにひっかかるか分からない。顔にでも刺さったら大変だからな。横島の沖でやっていたとき、何匹かブリがかかった。そして仕掛けを上げているときに魚が走ったんだなあ。上針がこの親指の爪に刺さって爪が剥がれてしまった。血が吹き出したので、そこらにあった油で汚れたタオルを巻き付けて両方の足で挟んでしばらく痛みを我慢した。血がぼとぼと垂れた。しかし、その間も糸は掴んだままだった。少し血が納まったので左手で糸を引き、魚が上がってくると糸を足で踏んでおいて左手で魚を外した。こうして5、6匹取り込んだよ。」

これは恐ろしい話だ。しかし、少し考えればわかるように、これは一人で釣っているために起こる事故だ。2人いれば、最初の一匹を船内に取り込んだあと、一人が魚を外すときに、もう一人が幹糸の上の方をしっかり掴んで、糸が下(後方)に引かれないようにしていることで、上のような事故は防ぐことができるはずだ。(漁師がこのように2人でやるとは思えないが。)だから、この複数の針がついた仕掛けを使うときは仲間と一緒にやると決めておくことが対策となる。実際、多くの人は複数で釣りに出かける。この仕掛けで曳釣りをするときには必ずそうすればよい。

しかし、そう言う私は、いつでも好きなときに出漁することができる利点から、乗せて欲しいと頼まれたとき以外は、一人で出かけるのが常である。そこで一人であっても、魚を外しているときに針の付いた幹糸の上方が下(後方)に引かれないようにできないか考えてみた。そして次のようなやりかたを思いついた。

私の船のガネル(gunwale舷縁)にはスパンカーのマストを支えるために張るロープを結びつけるアイという半円形の金具がいくつかついている。(流し釣りはほとんどやらないため、マストは取外したままになっている。)この金具に、枝素を1本引き上げるたびに、ルアーの針を掛けることにした。こうすれば、下針にかかっている魚が暴れて強く糸を引っ張っても、枝素の長さ以上に引かれることはなく、また針はアイにかかっているので魚を外している私に向って飛んで来ることはないはずだ。 (実際には、針をいったんかけても、幹糸に触れるなどして枝素を動すとすぐに外れてしまう難点があったが。)

また、ガネルには、イシダイ竿のアウトリガーを支えるためのしっかりしたL型金具を取り付けていた。そこで、魚が掛っている上針の近くまで幹糸を取り込んだとき、右舷側なら、まず左手で魚が掛っている上針のハリスをつかみ、その状態を保ったまま、右手で幹糸をできるだけ下方(後ろ)でつかんで引き上げ、このL型金具に巻き付け、幹糸を仮に固定する。つまり、下針に掛った別の魚の抵抗をL型金具に巻き付けた部分で受け止める。それから、上針の枝素を右手でつかみ直して魚を取り込み、魚から外した上針をアイに掛ける。

このような二つの工夫をすることで、魚を外した後で、上針が飛んで来る危険を避けることができると考えた。しかし、L型金具に巻き付ける固定の仕方がまずいと、魚が暴れれば、幹糸は滑る。そして外したばかりの針をリングにかける前に、枝素ごと引っ張られることになる。このことは後で書く3月8日の日記のなかでふれている。

この対策は不完全で、改良の余地がある。たとえば、針を掛けるアイの下側にゴムひもを張っておき、このゴムひもをくぐらせてから針をアイにかけるようにすればハリス(枝素)が揺れても針は外れないだろう。また出港時にL型金具に濡らしたタオルなどを巻きつけて紐で縛っておけば、ビシ糸を巻いても滑りにくいと思われる。

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仕掛けの到達深度再論

2008年には、28mほどの「修正鉄砲」(2匁と3匁のグミ糸が半々)の上にLL(4匁のビシ糸25m)2本を繋いだ仕掛けを使っていた。あるとき、友人の源さんを乗せて、おしゃべりをしながら運転していたのがまずかったのだが、800回転/分(平均3.5ノットくらい)の速度で、水深40〜50mのところをまっすぐに走っていて、知らなかった根の上を通過。一瞬、魚探に水深23mの表示が出たのだが、船の速度は変えずに漫然と走り、仕掛を引っ掛けた。この場合仕掛けは23mより深く入っていたと思われる。30m程度のところは何度も通って一度も引っ掛かからなかった。また、それまでは、1000回転4ノット程度の時には20mくらいの水深のところを何度か通って引っかからなかった。こうして、この仕掛けは800回転なら23mより深く入るが30mまでは入らないこと、1000回転なら20mまでは入らないということが知られる。

加藤ではLLの水深は9mとしている。(私はそれを確かめていなかった。)幅を見込み、速度1000回転の時に8m、800回転の時に10mまで入ると仮定してみる。また私の28m長の「修正鉄砲」は加藤のLとほぼ同じサイズ(糸の太さとオモリの重量)で、加藤ではLは水深5mとしている。(これも確かめていないが)同様に1000回転のとき4m、800回転の時に6mまで入ると仮定してみる。するとこの3本をつないだ時には、1000回転で走れば8+8+3=19m、800回転で走れば10+10+6=26mとなり、実際に走って引っ掛けた時の800回転では23mより深く入り、1000回転では20mまで入らなかったという結果とよく一致する。加藤のLLが9mに入り、Lは5mに入るということは間接的にほぼ確認された、と言うことができ、したがってまた、LL1本と「修正鉄砲」で曳けば1000回転なら11m、800回転なら16mくらいのところに入ると考えていいのではないだろうか。

同じ仕掛でも通常速度(800から1000回転)での到達深度よりもずっと深いところに入れることもできる。曳釣りを始めて3年目に大釣りしたが、このときに使ったのは先に述べたLLを2本を繋ぎ、その先に「鉄砲」28mを繋いだ仕掛で、800回転で走って26mくらい(より正確には23m以上30m以下)の深さに入る仕掛けである。

大釣りの初日には、16m程度潜る(LL1本と鉄砲)仕掛だけで走り15、6本釣り、船の生簀がいっぱいになったので、帰港した。2日目も同じく大漁だった。それから職漁船も何隻も出て釣ったせいだろうが、間2日あけて3回目、4回目には、数が釣れなくなった。しかし、ハマチは、少し離れた深いところにいたのである。

仕掛を全部足して、今述べた26m程度まで潜る仕掛を曳き、水深60mから80m程度のところに行き、何回か、行ったり来たりした。船が向きを変えた時に、魚が食った。船がまっすぐに走っているときには、海面に対するビシ糸の入射角は30度くらいに見えた。(しかし、ビシ糸の全体の長さは約80mで今述べたように先端の水深は25m程度なので、三角関数表によると、実際の入射角度はせいぜい20度くらいだった。)

しかし、方向転換したときには45度以上の角度で海中に入っているように見えた。もし、実際に45度であれば、80m÷√2=57mで仕掛けの先端は57mまで入ったことになる。しかし、大雑把な見当で、(実際には20度の入射角が30度くらいに見えたということから)本当の入射角度はみかけの3分の2程度の30度だったとすると、先端は水深40mくらいに入っていたということになる。船が向きを変えたとき、長さが80mもあるビシ糸の先端の速度がかなり落ち、深く入って、ハマチの遊泳層に届いたのだと思われる。

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大型ハマチの爆釣と修正「田倉崎鉄砲」仕掛け

次は2008年3月の突然の爆釣についての報告である:3月8日(土)当日の日記より。

数日間、バクダン(マキコボシ釣り)をやっていたが、貧果であった。また地元のベテランも、家串周辺で全然釣れないと言っていた。-------他方、(たいてい直前の週末の釣果が掲載される)木曜日の新聞の釣り欄で、(愛媛の海域の最も南の)武者泊と中泊の磯でハマチが釣れたと書いていた。例年、南の方からハマチが釣れ始める。そこで、私は、由良でも釣れる可能性が高い。明日はバクダンはやめて曳釣りにしよう、と考えた。つまり、家串の近くで釣れないので、たまには沖で曳釣りでもやろうか、と考えたのだが、それがこの日の爆釣につながった。

7時半頃、小猿の前を通って、沖釣に向かってゆくと、前方、沖釣の向こう側に大きなトリヤマができている。これまでみたことのない規模のトリヤマである。たぶん100羽か200羽あるいはそれ以上の数のカモメが集まって、低いところをとび、海に飛び込むものも見える。数百メートルくらいの範囲に2つないし3つ、ヤマができている。その辺りは水深が80〜90mくらいと深いところで、普段は曳釣りをしないが、表面近くに小魚が集まっているのなら、それを追っているハマチも浮いているのだろうし、仕掛けの水深が15m程度しかなくても、食ってくるだろう。そう考え、仕掛けを入れてそちらに船を向ける。

トリヤマに近づき、あと、4〜50mという辺りで、早くも鈴が鳴った。カツオコードをつかむと、グングンと魚の泳ぎが伝わってきた。コードを引くと重い。L仕掛を取り込み終え、その先の「鉄砲」仕掛けを取り込んでいくと、2匹掛かっていた。大型のハマチだ。上のルアーには掛かっておらず、一番下のルアーとその下の弓角に食っていた。そこで、はじめは半分くらい出していたカツオコードを全部出し、船のスピードも少し落して、仕掛を深く潜るようにした。

これは狙いどおりの結果を生み、上のルアーにも食ってきた。多いときは1回に4、5匹かかった。そしてこのときには仕掛を手繰るのに非常に力がいる。何匹も掛かっているときには、下側のグミ糸をガンネルの金具に巻きつけて、「仮に固定」しておいて、上針に掛かっている魚を取り込み、針を外すのだが、一度は、その固定の仕方が甘く、魚から外した針をガネルのリングにかける前に、その針が後に引かれて走り、手にはめたゴム手袋に針先が突き刺さった。危ないところだった。

掛かったハマチはどれも大きく、横幅90センチほどの船の生簀に入れると魚は全く動けず、ただ横に並んでいるだけである。

仕掛を引き上げ魚を生簀に入れている間にも、トリヤマはあちこちに移動した。しかし、せいぜい、200mか300mしか離れていないところでまた集まった。そこに向かって船を走らせ、近くまで行けば、トリヤマの下に入らなくても、鈴が鳴り出した。1匹しか掛からなかったのは1回だけ。あとは複数匹が食っていた。

カツオコードを入れると全長80m以上の仕掛を手繰る。ひと引きひと引きに力をこめないと引けない。腕が非常に疲れる。ラインは手に巻きつけると危険だと加藤が書いていたので、指の間をくぐらせて引くが、途中に入れてある10mほどのナイロンはすべって引けず、結局手に巻きつけて、やっと引いた。ナイロンを入れるのはやめよう。また引き上げた針はガネルの金具に掛けるようにしたが途中からは、それもやめてしまった。針を掛けても、幹糸(グミ糸)が揺れると、枝素も揺れ、針は外れてしまうのである。これにはなにか対策が必要だ。今日は魚が暴れることはなかったが、やはり針を放置するのは危険だ。

こうして、2時間弱で生簀の中は魚が横にびっしり並んで身動きもできない状態になった。まだ9時半だった。トリヤマはすこし小さくなり、高いところを飛ぶ鳥が増えた。しかし、小さいトリヤマは続いていた。まだ釣れるだろうと思ったが、疲れてもいたし、もう生簀も一杯だ。(本蔵さんなら魚をデッキに置いて釣りつづけるかもしれないと思ったが。)終わりにし、急いで帰港した。

15匹は確実に釣ったと思い、もしかしたら20匹近く釣ったと思っていたが、戻って船の外の生簀に移すときに数え直したら、13か14だった。しかし、1mもある大型が2匹、他もすべて70センチは越えていた。

この日は漁船が1隻も来ていなかった。沖釣り礁や地釣り礁に乗っている磯釣り客が、私が次々にハマチを釣り上げるのを指で差して、話をしているのが見えた。私が帰港するときに黒田さんが出かけていくのが見えた。そして遅くまで戻ってこなかった、と奥さんが翌日言っていた。トリヤマができていることと私が釣っていたことが、磯釣り客の話を通じて、渡船業者を経て、午後には、地元の漁師に伝わったのだと思われる。

翌日私が、源さんと水谷さんを乗せて8時半くらいに行くと、黒田さんの船を含め漁船が4、5隻集まり、私の船も含めて、入り乱れて曳くことになった。この日はトリヤマも小さく、前日に比べ、簡単には釣れなかったが、それでも、70センチ強1匹を含め60センチ以上が全部で7匹釣れた。

もうたっぷり釣ったと感じて、その後の2日は出漁しなかった。釣ったハマチは一ヒロほどの直径の丸い生簀2つに入れて7〜8m下に沈め、生かしておいた。時々、生簀を引き上げて、元気に泳ぐ大型の魚を見るのはとても楽しく、笑いがこみあげてくるのを止められなかった。

釣った魚は20匹を超え、半分近くは地元の友人に上げたが、それを除いても10匹ほどあり、松山や関東の親戚や知人に発送するのに、発泡スチロールの大きな箱を手に入れたり、こちらも血まみれになりながら魚を〆、氷を抱かせて出荷するのはたいへんだった。

                

12日と13日に再度出漁した。12日には8匹、13日には4匹、数は少ないが大型が釣れた。隣の津島町で漁業を営む、友人の中島さん(⇒第二部第4章(7)「中島さんのヒオウギ貝養殖」参照)にもブリを1匹上げたが、大漁であちこちに配るのに大変だったことを話すと、車を出してやるから市場に持って行きなさいと言われた。
そこで、13日早朝、中島さんの息子が運転する車で出荷のために市場に行った。私は東京にいたころには築地市場へ、松山では三津浜の市場へ、イシダイ釣りの餌としてサザエやトコブシを買いに行ったことはある。しかし、出荷するのは始めてであった。この日は、市場から戻った後、再び、源さんを乗せて、由良の鼻に行き、大型を4匹釣った。

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3月13日の日記より

朝4時起床、4時半前にボートに行き、ハマチの出荷準備をした。玉網が壊れていて1匹ずつ掬うことができなかったため、生簀を持ち上げて船内に入れようとしたが、8匹入っており、重くてどうにもならない。後で市場で測って、合計27キロ余。当然だ。急遽、源さんに電話し助けを求める。

源さんに手伝ってもらって魚を船に入れ、〆た。うまくいってすぐにおとなしくなったものもあるが、うまくいかず、いつまでも暴れるものがいて、デッキも、私自身も血まみれになった。それでも5時には荷造りを終えた。4匹入れると重くて上の道路まで運べそうもなく、3匹ずつ2回と2匹とに分けて上に運んだ。

そして、間もなく到着した周作君が運転する車で、宇和島の県魚連魚市場に行った。手前の岩松にも市場があるが値が安い。八幡浜が一番高い。しかし、遠すぎると言う。6時に始まると言っていたが、5時57分にについた。2匹ずつ4つの箱に入れ、検量してもらい、私の名前を書いた紙を入れる。-------6時半にベルが鳴ってせりが開始された。

出荷したら、たいてい、いったん帰って、また11時〜3時の間に、お金を受け取りにくるという。私はお金を受け取りにくるのは面倒なので、農協の口座に振込みにしてもらうよう手続きした。振り込み料は400円だという。自分の魚がせりにかかるところを見たかったが、周作君が仕事があるというので、一緒に帰ることにし、家串まで送ってもらった。運賃とアルバイト代は後でお父さんと話しておくから、といって別れた。

家串に戻ったのは、7時半頃だったが、黒田さんの船は係留されたままだ。小潮回りになって、出漁しないのかと思った。私は疲れを感じたので、出漁予定を取りやめ、もう松山に帰ろうかと思った。家串地区愛護班の小学生登校見守りに来ていた安(ヤッ)さんに会って話しをすると、黒田さんは潮の時間を待っているのだろう、下げ潮にかかるのを待って出漁するのだろうという。そういえば、今日は満潮が9時半か10時だ。その直前くらいに出漁するらしい。

私も家に帰って朝食をとり休憩すれば、元気が出るかもしれないと思い直した。黒田さんはプロとはいえ90歳に近い。その彼は、奥さんが言っていたことも考えあわせると、昨日まで5日間早朝から暗くなるまで曳いていた。私はまだ63才。そしてまだ3日しか出漁していない。それも半日程度ずつだ。行くことにしよう。ヤッさんから聞いた話を源さんに話し、行ってみますかというと、源さんもぜひ行こうという。9時に出港と決めて別れた。

9時半頃、由良の鼻に着くと、黒田さんの船ともう一隻が沖釣の南東側で曳いていた。トリヤマは南東側にだけできていた。私もトリヤマの近くに船を進めた。-----強い引きがあった。船は止めなかった。源さんが必死に引っ張った。一匹しか釣れず、24号のハリスが1本切られていた。その後なかなか食わず11時頃には鳥が沖釣の北西側に移り、黒田さんの船も北西に移った。もう一隻は帰り、2隻だけになった。

昼近くに、地釣の脇で2、3回、掛かったが外れた。しかし、源さんがやる気十分だったので、粘ることにした。黒田さんは大猿から北のほうに行った。こちらはパラパラと飛んでいる鳥を追いかけ、地釣と大猿の湾内、水深が70mくらいのところで1匹釣った。また沖釣の西側で1匹ずつ釣り、3時くらいまでに合計4匹釣った。いずれも良型で、80cmかそれ以上が2本、70cm超が2匹だった。黒田さんは3時半過ぎには帰った。やはりもう魚がいないのだろう。われわれも、4時少し前に、終わりにした。

源さんは「当たりが来る瞬間がいい」と言って、後部のデッキでずっと仕掛を持ちつづけた。途中で雨が降ってきて、雨合羽を貸してあげた。彼は、救命胴衣の上から、カッパを着た。その後ずっとカッパを着たままだったが、途中で海上保安庁の巡視艇が傍を通った。救命胴衣を着けていないと思われ、何か言われたり、免許の提示を求められたら、時間の損だと思い、慌てて、カッパを脱がせ、救命胴衣が見えるようにした。

鳥は一日中あちこちに移動し、海上に浮いて休んだり、飛び立ってちょっとしたヤマをつくり、旋回し海に飛び込んだりしたが、決定的な案内はしてくれなかった。 源さんが明日、市場へ連れて行ってくれるというので、釣った4匹を出して、その足で松山に帰ることにした。

結局、私のハマチは一回目に出したものは、8匹、合計27キロで3箱に分けてあった。二人が買ったようで、伝票では一方はキロ350円、もう一方は250円で、合計8300円ほど。手数料を引かれて7900円ほどだった。2回目に出した4匹は、合計3000円だった。中島さんはキロ500円くらいじゃないか、うまくいけば700円くらいになる、などと予想していたが、実際は半分だった。

私はどんなふうに競りが行われるかを知ろうと、漁連の担当者と仲買人が並べられた魚の入った箱の間を順に移動しながら、暗号のような言葉と数字をやりとりするところにくっついてまわり、その意味や、一つ一つの品物のよしあし(新鮮さ)の見分け方などを仲買人に尋ねた。セリが終わったあと、なかの一人と話をした。彼は最初私を新聞記者かと思ったという。私の魚に付いている出荷者の名前「須藤じゆうじ」を見てどういう字をかくのかと尋ねた。説明すると「自由な人というわけだな。それで退職するとすぐ、家串にきたわけだ」などと言う。わたしがブリの値段がひどく安いのに驚いたというと、彼は「春のハマチは痩せていて、うまくない。ブリはやはり寒ブリだよ。今度は正月前に寒ブリを釣って、またいらっしゃいよ」と言った。

この年は、前年に続いて、石物、とくにイシガキダイがよく釣れた。石物釣りばかりをやり、8月〜12月まで他の釣りはしなかった。ハマチはもう十分に釣ったような気がして、冬が近づいても、曳釣りにはいかなかった。

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根掛りでひどい目にあったこと

曳釣りの大漁の報告をしたが、次に、根がかりでひどい目にあったことの報告をしよう。

09年9月18日に、家串から南に5キロほど行ったところにある三つ畑田という岩礁の脇を曳いていた。南北500mほど間に三つの大きな岩礁が縦に並んでおり、この東側には以前から大規模な生け簀が並んでいてブリの養殖がおこなわれていた。2010年ごろからはマグロの養殖がおこなわれている。 <(注)グーグルの衛星地図で内海湾の南東端に焦点を当て、尺度が200mになるまでズームインすると「三つ畑田島」と「角島」(かどしま)の2つのマークが見えてくるが、これは間違いで、この二つのマークの北西方向500〜600mのところに見える3〜4つの南北に並んだ岩礁が三つ畑田島で、さらにそこから西に同じくらいの距離離れた岩礁が角島である。地図の左上にある「三」のマークを押し、フィードバックを選択して、誤りを知らせることができる。私は2016年5月に知らせておいたが、いつ修正されるだろうか。>

私は三つ畑田の西側に沿って、何度か曳いている。水深15mを示す等深点を打ち込んであり大まかな海底地形はわかっていたが、高根については詳しくはわかっていなかった。

最低速度の3ノット程度で曳いていた。前方に根のあるところに来たので船の進路を変えようとカーブして間もなく、クッションゴムに掛けてあるが、手で(も)つかんでいたビシ糸がグーッと重くなった。魚が掛かったのとは全く違う。根掛り(あるいは仕掛けが岩の上を擦っている)と判断し、急いでクラッチをバックに変えた。アクセルは最低のLに入れてあり、いじる必要はない。ビシ糸は後方に引っ張られ、クッションゴムが大きく伸びている。糸の方向を見ながら、根がかりした場所の真上かあるいはもう少し後方に戻すと、たいていは外れる。針先は曲がっているか鈍くなってしまっているので、取り換えるか、ヤスリで擦ってやる必要はあるが。

このときまでに、すでに2〜3時間ほかの場所で曳いていた。しかも波があって、ハンドルを回したり、後ろに曳いているラインをつかんだりして動いている間に体がぐらつき何度も運転席の脇の手すり(ルーフピラー)に体をぶつけていた。つまり、言い訳めくが、かなり疲労し消耗していた。

こうした中で根掛りを起こして、船をバックさせたが、糸が船の真後ろにきてしまった。「エンジンを止めなければ、スクリューに巻き込まれる」と鈍った頭で考えたときにはもう遅かった。ビシ糸がスクリューに巻き込まれ、糸をクッションゴムに掛けてあったスナップを手で握っていたのだが、そのスナップが激しい勢いで手の中から飛び出ていった。そしてクッションゴムが大きく伸びたと思ったときには、ビシ糸がバシーッと音を立てて切れ、多くはないが、血しぶきが運転席に飛び散った。見ると、小指の付け根付近がえぐられて血が滴っていた。バンドエイドを貼ったが、血があふれてきたので、上からもう一枚巻きつけた。ビシ糸のLL仕掛け(4匁30m)丸々一本とその先に繋いだ10本針の「鉄砲」20mが沈んでしまった。

悪いことは続いた。新しい「鉄砲」仕掛けを作り、翌週、9月25日に曳釣りをした。クロハエ周辺で曳釣りをやろうと 源さんをさそって出港した。しかし、一周するか、しないかのうちに仕掛を根に引っ掛けて、作ったばかりの仕掛を全部失ってしまったのである。

すぐにその辺りに戻ると、GPSに自分で入れてあった水深10m以下の浅瀬を示すマークのあるところだった。2人でしゃべっていてこのマークを見落とし、また現在の水深を表示する魚探の数値も見ていなかったのだ。頂上の水深が7〜8mの岩が見え、ここに仕掛を引っ掛けたのではないか思われた。ロープにつけた小型錨を使って回収を試みた。それらしい、光るもののあるところをめがけて何回か錨を落とし引いてみたが、なにも引っ掛からず、結局、あきらめるほかなかった。新しく作ったのに、まだほとんど使いもしないうちになくしてしまった。「鉄砲」の10本針は手製のルアーで1個1個自作する必要がある。これはかなりの手間なのである。ひどく落胆した。

その後しばらくは仕掛を作る気にならず、曳釣りから、1年半ほど遠ざかっていた。源さんは一人で、ルアーを1本だけつけた仕掛で、クロハエ周辺に出かけてときどき曳釣りをやり、釣果があると私に報告した。60〜70cmのハマチを数本釣った。70センチの大ダイを釣ったなど、など。しかし私は曳釣りにはいかなかった。仕掛けがなかったからであり、そして仕掛を作る気にならなかったからである。ほとんどマキコボシ釣りばかりやっていた。

源さんに誘われ、次に由良の鼻に行くことにしたのは2011年5月のことである。源さんが、安っさんからの情報で、由良の鼻でハマチが釣れているので、曳釣りにいかないかという。安っさんの情報ではあてにならないと思ったが、久しぶりに行ってみようかと考え、「鉄砲」と同じルアーを4つ付けた仕掛を準備した。

前夜は南風が強く波は2mと報じられていたが、朝になると風も止んでおり、予報も悪くなかったので、うちあわせどおり、満潮9時からの下げを狙って、8時過ぎ出港。いつものように小猿の手前のサクノセから始めて、まだ上げ潮が残っていたので、沖釣までの水道の南側を2度往復した。漁船が3隻、掛かり釣りをしていたが、曳釣りをしている船はいない。10時過ぎ、潮が変わったかどうかはっきりしなかったが、地釣の東を北上して、いつものように、大猿、オシアガリまで引いた。しかし、一度も当りがない。源さんも仕掛を抱えて寝ている。結局、釣果なしで、昼に帰港した。

安さんの情報があてにならないというのは、日付のない情報だからである。釣れていたというのは事実なのだろうが、それが数日前なのか、10日前か、それとも1ヶ月前のことだったのか分らないのだ。いや、安さんの情報があてにならないというより、日付を確めない源さんの情報収集能力が不十分だというべきか。その後にも、同じように、網代で大アジが釣れていると安さんが言っているというので、源さんと一緒に行って見たが、釣れているときには10隻は船が集まるのに、1、2隻いるだけで、小型のタイとハゲしか釣れなかったことがあった。いや、5年前にも、嵐の中島さんから、網代でアジがたくさん釣れているというから行ったらいいといわれて、源さんを乗せて始めて網代にいったときも、そうだった。船は一隻もおらず、どこで釣ったらいいのかもわからず、うろうろしただけで帰ってきたことがあった。

ということは、曖昧模糊とした「情報」に飛びついて船を出す失敗を繰り返してそれに懲りない、私自身が、情報リテラシーを欠いているということのようだ。安さん、源さん、私を代表とする家串の釣り人は世の中で進む情報化の波には乗れていない。いや、違う。家串周辺では、正確で早い情報などなくても、たいてい、どこかで何かが釣れる。それで充分だ、と考えるのは負け惜しみのせいだろうか。

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3.曳き釣り第二幕とハマチの泳がせ釣り

1)曳釣り第二幕

2011年8月下旬、夕方、源さんの誘いで、彼の船に乗せてもらい、彼の仕掛けで、クロハエ周りでヤズを狙って曳釣りをやった。ここのところ、彼は毎朝曳釣りをやっていて、ヤズがよく釣れているという。しかし、この日は、クロハエの周りではメジカしか釣れなかった。6時半を過ぎ暗くなりかけてからようやく、エビス崎の近くで小型のヤズが2匹釣れた。 源さんは毎日のように曳釣りに出かけ、ときには1、2匹、たまには坊主ということもあるようだが、いいときは5匹、6匹と釣っている。夏には30〜40cmのヤズを釣っていた。秋になると次第に大きくなった。11月には、50cmから60cmのハマチクラスが釣れるようになったという。

安(ヤッ)さんも行っているが、釣れないことのほうが多いらしい。海では、毎朝のように、源さんと顔を合わせる。だが、曳釣りを終えて陸へ上がったあと、釣果について話すことはないらしい。二人とも小学生の登校見守り班として、「小学校入口」バス停前の横断歩道のあるところに行き、顔を合わせるはずだが、そこでも話をしないらしく、安さんは、私の顔をみると、「今日は源(ゲン)は何匹釣ったて言うとったかな」と聞く。私が毎日彼と顔を合わせて、何匹釣ったかを聞いて知っているからであろう。そして「源はよう釣りおる」と言う。

私はほとんどマキコボシ釣りばかりをやっていた。グレやタイ、ウマヅラなどに混じって時々良型のアジが釣れた。しかし、ハマチやカンパチが湾内に入ってくるとアジは姿を消してしまう。2011年の秋はハマチ、カンパチが多く、アジが釣れたのは数日に過ぎなかった。

小さめのものは一夜干しで関東地方の友人、親戚などに、大きいものは鮮魚で松山の自宅、知人に送った。もっと釣りたかったがアジはいなくなってしまった。この間に源さんが分けてくれたハマチを、みりんで溶いた味噌に2、3日漬けて焼いて食べたらとてもうまい。私も久しぶりに、自分で、曳釣りをやろうと考えた。

11月末、朝5時起床。朝食後、6時半ごろ、まだ暗かったが家を出て、ようやく薄明るくなると出港。7時前にクロハエ。ハマチを狙って曳釣り。伊勢万さん(家串の漁師の伊勢万蔵さん)と平碆の人の船外機船2隻と他所から来た2トンくらいの漁船2隻。2時間半ほどやったが、釣果なし。あとできくと伊勢万さんは6匹釣ったという。

この時期はイカの餌を付けなければ釣れないという。群れで回遊しているときには、ルアーでも食う。餌を探し回っている群れの中に、餌に似たものが落ちてきて鼻先に突きつけられれば、ルアーでも何でも「反射的に」食うという。

群れが去ったあと、何匹かはクロハエ周辺に居付くという。これらは、海のあちらこちらにぽつりぽつりと泳いでいる。少し離れたところをルアーが曳かれても、見えない限り、ハマチは追いたくても追うことができない。しかし、臭いのするイカを付けて船を走らせていれば、ハマチのほうでその臭いを辿って、船を追いかけてくるのだと思われる。この時期の居つきのハマチは臭いのする本物の餌をつけて曳かなければ釣れない。

だが、本物の餌であっても、活き餌かどうかで食いが違うと源さんが言う。「われわれが〔本職の〕黒田本蔵さんの船の近くに寄っても釣れないんだって。どうしてかというと、本蔵さんは自分で取った、生きているイカを付けている。生きたイカと(魚屋で買った)死んだイカでは全然違うんだって。本蔵さんの船のそばで釣っていたら、寄って来たハマチは、こちらの死んでいるイカをつけた仕掛けには食いつかないで、みな本蔵さんの方に行ってしまうんだって」。

テレビのドキュメント番組で見たのだが、今治沖、来島海峡でタイを釣る漁師は生きた小イカ(ミミイカ)を針に刺して投入する。イカはそのときに墨を吐く。タイはその墨の臭いで寄ってくるのだという。おそらく、ハマチも同じなのだろう。生きたイカが吐く墨が(アミエビやオキアミなどを撒く代わりに)コマセのように海の中に散って、ハマチを惹きつけるのであろう。包丁で叩くなどしたイカをネットに入れて船の脇につるして、曳釣りをしたら、いいかもしれない、と日記には書いたが、冬になり、源さんなども釣れないというので釣行せず、試さないままになった。

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源さんの曳釣り用・孫針仕掛け

私は、田倉崎の「鉄砲」に倣って作ったルアーしか持っていなかった。イカをつけて曳くとすれば、孫針仕掛けを使う必要がある。源さんがどんな仕掛けをつかっているのか聞いてみた。彼が見せてくれたのは、先糸(ビシ糸から下)が12号と細仕掛けだったが、クッションゴムをつけているだけでなくその先に9ヒロの先糸をつけ魚の引きを吸収できるようにしている。(彼が言うには「長くするのはエンジン音を嫌うだろうから」。)驚いたことに----というのは、彼がほかの釣りをするときは、硬い竿1本だけを使い、ディジタルの両軸リールではなくドラッグの付いていないスピニングリール、カゴオモリを使うサビキ仕掛けで、マダイから、アジ、イサキ、そしてカワハギまで何でも釣るという、昔からある、ありあわせの道具をうまく使いこなして釣る、テクニックの釣りにあると思っていたからだ。詳しくは、第5章の2.「釣り比較論」の中の⇒「高度なテクニックを使う、源さんのサビキ釣り」参照-----彼は、ケプラートを使って針を結び、チモトを接着剤で補強している。これはイシダイ仕掛けでしばらく前から奨められている方法で、私などは、細かな作業が苦手で、横着をして最初に覚えたワイヤーの首振り仕掛けというもので20数年通している。

源さんの作った仕掛けは12〜3cmの長さのケプラートの両端に針が結ばれていて、孫針の方には小さな蛍光玉まで付いている。針を小イカの吸水管から刺すとちょうどイカの目のところにこの玉が来るのだ!一方の針をサルカンの穴を通して「振り分け荷物」式に掛ければ、結ばずに「孫針」仕掛けになる。(ケプラートで結んだ2本針というだけなら、ジグなどに通して使うためのものが市販されている。)しかも、その一方を引っ張るだけで、親針と孫針の長さを餌のイカの大きさによって自由に調節できると言う、優れものだ。
 彼が海辺で拾ったきれいな小石や(壜のかけらなどが擦れてできた)ガラス片、それに貝殻などを材料に使った装飾品を作る(seaborn artと呼ばれている)趣味を持っていることは知っていたが、指先を使う細かい作業をこなす彼の才能がここに発揮されているのを見た。彼は私にこの振り分け荷物式の針を2セット分けてくれた。彼はこの針の基本的な作り方を伊勢万さんに教わったという。

私は2年ほど、曳釣りをやらなかった。由良の鼻は、3月〜4月の群れの回遊時には釣れるが、その時期以外にはなかなか釣れなかった。3、4月のハマチは、大釣りができる(と言っても、実際に釣ったのは一シーズンだけだったが)。しかし市場に持っていって「春のハマチは痩せていて、うまくない。ブリはやはり寒ブリだよ」と仲買人に言われてから3年経つ。私は、北西風が強まる、冬の12月〜1月にかけて風裏になる由良半島の南側で、ハマチが釣れるとは思わなかった。

クロハエ周辺では、夏はほぼ毎日早朝と日没前のマズメ時にメジカが釣れる。メジカを釣っていると、ある日、突然、ヤズが釣れだし、7月下旬くらいから8月にかけて1週間か10日ほど釣れ盛る。近隣から、10隻以上の船が集まり、入り乱れてヤズを追いかける。魚は冬に向かって次第に大きくなるが、同時に、釣れなくなる。11月や12月に曳釣りを続けていたのは数人だけでったが、良型のヤズないしハマチが釣れ続いたのは珍しいのではないか。

夏は、夜明け前に出港しようとすれば3時に起きなければならないが、暑くて充分眠れないのに3時起きはとても無理だ。それで私はせいぜい、数回しか出漁できない。11月末になると、夜明けは7時。出港は6時過ぎでよくなる。冬期、私は夜中に1回は目が覚めるが、それ以外は、ほぼぐっすり眠れるので、5時に起きるのは難しくない。私にとっては冬場こそが曳釣りシーズンと言うことになる。そして、この頃は「寒ブリ」になる。

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源さんの「山立て」による曳釣り

源さんは中学生の頃まで父親の漁を手伝っていた。しかし、その後は、大阪で就職し、45年間、家串から離れていた。中学の時に覚えた、海底の根、ポイントを、Uターンして家串に帰ってきたときにまだ覚えていたということはありえないと思われる。 私は、退職の数年前、55〜6才のときに、30年ぶりくらいに郷里の新潟の町に行ったことがある。近くの道路が少し変わっていたこともあったが、高校時代に付き合っていた友達の家の位置さえ不確かになっていた。

海中の根は山立てで覚える。たとえば、A根は船越運河と三畑田島を結んだ線と中泊・横島の南の端と柏の裏の山のへこんだところとの交点にある---。こんな記憶を、一度も使わなかったにも関わらず50年近くも持ちつづけることは不可能ではないか。しかし、源さんはクロハエから塩子島の北にいたる数キロの間のいくつかの根の位置を正確に(というのは私のGPSには赤の四角のマークが打ってあるからわかる)言い当てる。彼は、これらのポイントを、この2年ほど曳釣りをやって新たに発見したのだと思う。驚きは、もう来年70才くらいになるはずだが、きちんとそれらを山立てして記憶できることだ。私ならGPS画面を見ながら走ればよい。しかし彼は全方位に絶えず注意を払いつつ、船を走らせ、ポイントであるその根の周囲を曳くのである。山立ての能力は中学時代までに形成されたものだろう。45年か50年近く使っていなかった脳のその部分を再び活性化させ十分に働かせているのだ。やはりこれは驚きだ。

12月12日、源さんと一緒に由良の鼻に行って曳釣りをやった。彼の話しでは、暫く前から、由良の鼻でハマチが釣れていて、プロが連日出漁しているという。そして彼は、家串の周辺ではヤズをたくさん釣ったが、正月用にハマチを釣りたいというのだ。私もたまには「遠出」もいいと思って賛成した。例年にない暖冬で、1週間前まで、昼の最高気温が20℃を越える日もあるくらいだったが、数日前に低気圧が通過し、本格的な冬が、それも真冬並みの寒さがやってきた。水温もその前まで21℃あったのに、11日には家串湾の出口にあるブリの養殖生簀に掛けて釣っているときに測ったら17℃か18℃くらいに下がってしまっていた。
由良の鼻でも水温を見たが17℃だった。沖釣の南側の瀬の近くで2匹釣った。しかし、期待していたハマチではなく、やや大きめのヤズで、これなら塩子島の周辺で充分だという話になった。

とはいえ、28日には再び源さんと一緒に、由良の鼻に行き、源さんの仕掛けで、イカをつけて曳き釣りをした。 満潮は9時ごろ。出港6時半。サクノセから曳き始め、コデバエ〜ハゼヤマの下で3尾。うち一匹は良型のカンパチ。地釣りの南側を回って北上するときに2匹、地釣り北側、湾内で2匹、戻ってコデバエから北に入って、小型カンパチを2匹釣った。合計9匹。わたしが大きいカンパチ1匹とハマチを3匹、源さんが小さいカンパチ2匹とハマチを3匹ずつというふうに分けた。年内にもう一日行こうと話したが、天候が崩れ、釣りは中止。2011年の釣り納めになった。 大晦日に家串から松山に戻った。

翌2012年に入ってから悪天候が続いた。南予では連日強風波浪注意報が出っぱなしだった。松山では24年ぶりという積雪があり、しょっちゅう雪か冷たい雨が降り、晴れても週のうち数日は最低気温が零度以下に下がり、とても釣りにでかけるどころではなかった。また、遊びとスポーツについてのエッセー(このH.P.の第三部、第2章、第3章)を書き始めており、関連した本を読み、考え、パソコンに打ち込むのに忙しかったこともある。
二月に入っても寒さは続き、中旬には天気が荒れ、気温も氷点下に下がる予報であった。一月半近く、全く家串に行かなかった。この7〜8年で初めてのことだった。晴れて少し暖かさが感じられた2月16日にようやく家串へいったが、風が強く、曳釣りをしようという気は起らなかった。こうして春になってしまい、「寒ブリ」の時期は終わった。

源さんは朝型の人間である。彼は本職の漁師に負けず暗いうちから出かける。しかし冬場は寒いからと、めったに行かない。彼が曳釣りに行くのは夏から秋にかけてである。彼は数を釣る。一シーズンに300匹かそれ以上釣るようだ。しかし、この時期に釣れるのはメジカかヤズないし60センチ以下の小型のハマチか、サゴシ(サワラの若魚)である。

私のような朝に弱い人間にとっては暗いうちに起きて釣りに出かける気になるのは難しい。大物が食う、脂の乗った寒ブリが食うと言うなら話は別である。しかし、そうした話はないまま3年ほど曳釣りにはいかなかった。眼が覚めた時に起き、ゆっくり食事をしてから、8時ごろ(源さんが帰港する時間である)、あるいは9時、10時に出港する。いつもマキコボシで釣る。
6月から8月にかけては毎年クロハエ周辺でイサギがよく釣れる。イサギをたくさん釣って、鮮魚で、あるいは開きにしてあちこちの知人、友人に送る。イサギは狙って釣る。アジも釣りたいがこの数年さっぱり回遊せず、 釣りたいが釣れない。たまに他の魚に混じって数匹釣れるていどである。タイは家串湾内に何か所もポイントがあっていつでもその気になれば釣ることができる。グレやアイゴ、チヌなどがときどきあちこちで釣れる。しかしこれらは狙って釣るわけにはいかない。こうして、ここ数年、特に狙いを定めることはなく、マキコボシ釣りで糸を垂らし、釣れるものを釣るのんびりとした釣りが続いていた。

ところが2015年の11月、源さんが、突然、6キロ以上、10キロ近い大型のハマチを連続して釣ったと私に言う。2015年は、わたしが「エッセー」の大部分を仕上げ、(友人の森川さんの手を借りて)ホーム ページ化する作業に力を入れていて、釣りは1ヶ月のうち1週間程度しかやっていなかった。しかし、久々の大物釣りのニュースを聞かされて私もハマチが釣りたくなった。しかし今度は曳釣りではなく、「泳がせ」によってである。

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2)ハマチの泳がせ釣り

これは小アジや小ダイを針につけて泳がせて、ハマチやカンパチなどが食いつくのを待つ釣りのことである。家串の隣の油袋地区の人で10キロを超えるブリを釣った人が一人いる。友人の源さんは8キロ半を釣ったし、わたしも8キロ近いものを釣ることができた。私は以前にも泳がせ釣りをやったことがあるがその時にはまったく釣れなかったので、「エッセー」の中では「泳がせ釣り」を書く予定ではなかった。自分の釣りの経験を書くことがこの「エッセー」の当初の目的だったのだから、釣れたとなれば、当然書くべきだと思う。

しかし、少し迷いもある。その理由は、仕掛けと道具および餌を用意してこの釣りを試みることは誰にでも簡単にできるのだが、実際に釣りあげることができるのは、特定の条件を満たす人だけだからで、サンデー・アングラーズなど一般的な釣り人が試みても、まずほとんど釣れず、この釣りを紹介してもほとんど意味がないと思われるからである。

その特定の条件とは特別の技量や体力を有するかどうかというようなことではない。そうではなく、掛けている船のすぐ下に、あるいはすぐそばにハマチが何匹も来て泳ぎまわるチャンスがめぐって来たことを知り、そのチャンスを逃さず、実際に釣りをすることができるという条件である。こういう条件があれば、泳がせ釣りでも、あるいはジギングでも釣れるのだが、このようなチャンスはいつ実現するかはわからないのである。

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ボイリングとナブラ

1年じゅう、毎日のように、真珠筏に掛けて釣りをしていると、少し離れたところでハマチが沸くのが見えることがある。ハマチのボイリング(沸き)とは、キビナゴなど餌の小魚を食おうとハマチが狭いところに押し寄せ、海面が盛り上がり海が沸き立ち、ハマチのヒレや魚体の一部が海面の上に出て、見えるというような状態のことである、と私は理解している。ボイリングとは(逆に)食われる方の小魚が追い詰められて押し合いへし合いして海面で盛り上がる状態の事だとどこかで読んだが、私はその説は採らない。
というのはグレのボイリングもよくみるが、これは明らかに、餌の小魚を追い詰めて(あるいは小魚が追い詰められて)騒いでいる状態ではなく、人間の子供たちがお風呂の中で石鹸の泡を立てて遊んでいるのに似て、たくさんのグレが集まってジャブジャブやって楽しんでいるように見える。これは産卵のためだとどこかで聞いた。ハマチが沸いているときはその中に餌と似たジグを投げてやればすぐに食いつくという。だが沸きグレの場合には決して釣れないと言う。沸きグレは食い気はないらしいのだ。とにかく餌の小魚の存在あるいは押し合いへし合いと関係があろうがなかろうが、グレやハマチなど魚の群れが一か所に集まって海面が「沸く」ことがボイリングであると私は考える。

ついでにボイリングとナブラの異同について触れる。ナブラは「魚群」である。魚は本来ウオと読んだ。酒の肴(サカナ)によく用いられてウオがサカナと呼ばれるようになった。ウオはイオ、オ、ナなどとも呼ばれた。人名に魚屋(ナヤ)、地名に魚神山(ナガミヤマ、愛媛県)などがある。群はムレでありムラとも読む。「ナムラ」が「ナブラ」と発音されるようになったのである。

大型魚が群れているだけでは船の上からは漁師でもわからない。大型魚に追い詰められた小魚が浮き上がりそのために海上に鳥山が立っているか、あるいは大型魚が沸いて(ボイルして)海面に周囲と違う波立ちが起こっているために、そこに魚が集まっていることがわかるのである。海面あるいは海上に目を配っていれば、漁師でなくてもみつけることはできる。またナブラが来ていても深いところに群れていてボイルしないことはある。ボイルすればそこにはナブラが来ている。このように、ナブラとボイル(あるいは魚の沸き)は一応区別される。

前出『ジギング ショック!』で著者の古谷は、松山沖でブリの「ナブラがよく立つ」と言い、「釣り方としては、船長がナブラを見つけて船を近づけ、射程内に入ってからキャストする」と書いている。私は松山で船を買ってすぐの時に、古谷も書いている大水瀬にいったことがあり、そこでボイルをみつけたが、船の運転も下手ですぐに近づけずミノーを投げたが全然届かなかった。

家串に来てからも少しはジギングをやったことがある。30〜40cmクラスのカンパチはヴァーティカル・ジグで家串の近くの岩礁帯で何回か釣った。由良の鼻では10キロ近い大型のトビエイを掛けたことがある。重すぎてギャフが伸びてしまった。ボートフックを使って苦労して船に入れ、持って帰って調べたら「食用」ではないことがわかり、がっかりした。現在も、キャビンの中にはジギング用のロッドが置いてある。

家串湾内の真珠筏に船を掛けて釣りをしていてときどきハマチが沸くのを見ることがある。しかしジグを投げて届くところにはなかなか来ず、たいていはすぐに他所に移って行ってしまう。ボイリングが見えたのでキャビンからロッドを出し、ジグを装着しようとしている間にどこかに行ってしまう。(その間に、狙っていた魚の食いが止まってしまったりする。)今ではジグがどこにあるかわからなくなってしまっている。

貸し船に乗り湾内の筏に掛けて、アジやタイなどほかの魚を狙って釣りをしていた人の中に、沸いているハマチが近くに来たので、ジグを投げて何匹も釣った人がいると聞いた。ジギングの道具も準備しておいた周到さにも感心するが、これはよほど運のいい人だったからこそ恵まれためったにない幸運だったと思われる。

 ふつう、ハマチを狙う釣り人は、泳がせ釣り用の仕掛けを持ち、途中で生きた小アジを何匹か買ってから釣り場に行き、釣り場ではほかの釣り(例えばタイやアジを狙う釣り)をしながら、もう一本別な竿を出して泳がせておくのである。そして、運よくハマチが回って来たら、そしてその餌と仕掛けがその時のハマチの食い気をそそるようなものであれば、その時にはハマチが釣れることになるだろう。理屈のうえではそのはずである。しかし、ハマチと出会うチャンスは非常に少ない。毎回、ハマチ用の生き餌を用意して、他の魚を釣りに出かけるのは辛い。長続きはしないだろう。

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ハマチの回遊を知ることのできる人々

 

では泳がせ釣りで釣ることができるために必要で十分な条件を備えた人とは誰か。それはハマチがいま現在来ているという確かな情報を手に入れることができる人である。そして、ハマチが回遊してきていることを目で見て知ることができるのは、タイやハマチの養殖の仕事に就いている人びとである。

 タイやハマチの養殖の仕事の中心は定期的に(ほぼ毎日)生け簀に通って魚に餌をやることである。タイの場合、魚粉と大豆油かす、小麦粉などからなるペレット状の餌で、手でつかんで撒いてやるか、生け簀の中央に設置された給餌器から自動的に一定時間ごとに餌を撒いてやる。ハマチの場合には、ペレットのものとアジやイワシなどの生(なま)餌をポンプを使って連続的に放出したり、シャベルで掬って撒いたりしている。家串湾でハマチ養殖を行っていた会社は2013年に倒産し、今は家串と隣の油袋ではタイの養殖だけが行われている。試験的にクエの養殖がおこなわれているが2015年現在で出荷はまだなされていないという。

ハマチが回遊してくると湾の中の養殖生簀の周りにもやってきて、生簀の網の外にこぼれるペレットや生(なま)餌を拾って食う。このときには(外来の)ハマチが海面近くまで浮いてくるので、生簀の上に乗って給餌の仕事をしている人々には、その姿がはっきりと見える。ハマチはいつ回ってくるかはわからない。しかし群れで回遊してくるときには数日ないし数週間はいるようである。

毎年4月には小ダイの生簀分けと選別作業が行われる。これについては後で詳しく書くが、選別作業の時にはいつもハマチが回ってきて、小ダイを針につけて泳がせてやるとハマチがよく釣れるという。養殖の仕事をしている人々が仕事をしながらハマチ釣りの仕掛けを出せるなら最高である。しかし、常勤の人が仕事中に釣りをするというのはやはり無理なのだろう。通常の餌やりの仕事の時には誰も釣りをしない。

地元の人の中には、ふだんより人手を要する「選別」作業や、年末に忙しくなる出荷作業の時期に雇われて、パートでこの仕事に携わっている人もいる。この人たちは、ハマチの回遊について、常勤の人と同じように、直接に知ることができる。

家串にはすでにリタイアしていて、ふだん自分の船で遊びで釣りをしており、小アジや小ダイをいつでも手に入れることができ、かつ、養殖の仕事に携わっている人と親しく、ハマチが来ていることの情報をほぼリアルタイムで入手できる人がいる。ハマチの回遊があり、生簀に寄ってきたのを見た、給餌の仕事に携わっている常勤の人から、そのことをを教えてもらったらすぐに餌を用意して、給餌をしている生簀に行き、釣りをすることができる。そのような人がハマチの泳がせ釣りの条件に適った人だということになる。 前にこの仕事に就いていた家串のOさん、カズさん、Oさんと親しい源さん、現在パートで雇われているGさんなどがこうして何匹もの大型ハマチを釣った。源さんはとくに彼の工夫した手釣りの仕掛けで2015年11月に何本も6キロ以上の良型ハマチを掛けた。最初はいつもの釣りで使っていた玉網しか持って行かなかったのだが、掛けたハマチが玉網に入らないので、口の中に手を突っ込んで船に引き上げたと言う。11月下旬になり私も彼の船に乗せてもらって一緒に行った。

これとは異なるが、タイの選別作業を行うときにもハマチが釣れる。タイの選別作業を行うときには魚がバシャバシャと大きな音を立てる。この音を聞きつけてハマチが寄ってくるために、釣れる可能性が高くなるという。この選別作業とその際に行われるおよがせ釣りの話を先に書くことにしよう。

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タイの選別作業と泳がせ釣り

選別のときに大きなブリが回ってくるという話は06年の春にも聞いていた。選別作業のときに、泳がせ釣りでハマチを釣るのを実際に見たのは11月下旬である。タイの養殖を行っている朋洋水産という会社でアルバイトをしていたカズさん(兵頭加寿男さん)が、2、3日前に10キロ近いハマチを釣ったという話を11月28日に聞いた。彼はこれまでにも、選別作業をやりながら大きなハマチを何匹も釣っている、とという。これは、作業場の前でカズさんからもらったというハマチを下していた、細川さんから聞いた話だ。彼女の息子の細川兄弟はともに30過ぎだが、二人とも釣り好きでカズさんと親しいということだった。そこで私はカズさんのところに行き、次の選別の予定や仕掛けについて聞いてみた。わたしがカズさんと知り合いになった経緯や彼の人となりについては、⇒第二部「第4章」の「(7)ヒオウギ貝を育てる」の中で書いている。

選別は昨日やったばかりで、次の日は決まってはいないが、今週中にもう1回やるだろうと言う。仕掛けがロープにからむのを覚悟しなければならない。ハリスは最低16号必要だ。つける餌はやはりタイがいい。この前はアジも使ったが見向きもしなかった、と言う。「今週中」とは何時かわからない。とにかくわかったら油袋の生簀に行ってみよう、と考えた。

カズさんは針を道糸に直結して小ダイをつけて泳がせるという。私は当時手釣りはやったことがなく、ましてや大型のハマチを手で取れる自信が全くなかったので、イシダイ竿とリールを使い、釣り雑誌に載っていたドウヅキ仕掛けで、ヒラマサ針を使って泳がせることにした。一本針仕掛けよりも(孫針つきの)二本針仕掛けのほうが針がかりしやすいのではないかと考え、二本針仕掛けにした。11月30日、8時から選別を行うと聞いて朋洋水産の生け簀に向かった。

一辺がほぼ15mくらいの正方形の生け簀が10台から12、3台並べられた列が4列あり、家串の朋洋水産と油袋の会社とが2列ずつ管理している。列と列の間の間隔は広いところで50mほど、狭いところでは10m程度である。

小型のクレーンのついた作業船が止まっていて、縦に並んでいる生簀の1台の脇に、もう一台、別の生簀が置かれていた。2つの生簀の間に畳2畳程度の台が据えられ、その台の上に、選別するタイをいれる桶が置かれている。私はその列の生簀の、作業船が止まっているのとは反対側に船を掛けて作業がおこなわれる様子を見ていた。

柄の長さが2mほどある大きな玉網で生簀から子ダイを掬って選別用の桶に入れる人が2人、選別する人が2人、そのほかに、脇に座りカウンターで魚の数を数える人が一人(この人が責任者らしい)、計5人で、カズさんは玉網で子ダイを掬う係りだった。1、2回魚を掬ったところで、子ダイを一匹つかむと、カズサンは10mほど離れたところに止めてある自分の船に行き、丸い糸巻きに巻いた道糸ついている針を背がけにして泳がせ、3〜4ヒロ糸を出すと、糸巻きをボートの床に置くか、何か棒状のものに掛けるかしてすぐにまた、仕事に戻った。カウンターの係りの人も同じように仕掛け用意し、作業船の端の方に糸巻きをおいた。

私もそれを見て、自分の船のイケスから、2、3日前に釣っておいた15センチほどの小さいほうのタイを取りだし、上顎に掛けて泳がせた。大きすぎるとは思ったが、もう一匹は20センチ近くあり、ほかに手持ちがなかった。道糸16号、親子サルカンにオモリ15号、ハリス10号一ヒロの胴ヅキ仕掛けで、泳がせた。

選別するタイの稚魚が入っている生簀の網は、3分の一ぐらいのところを鈎(カギ)で吊り上げて狭め、さらにその網の両脇をたくし上げて浅くしてある。カズさんら2人は、ここに集められてバシャバシャ激しい水音を立てて騒ぐ小ダイを玉網で掬って桶に入れる。魚のサイズはほぼ手のひら大である。選別作業は別の2人で行なうが、すごい速さだ。一方の手で桶の中の魚を持つと同時に、OKかどうか(大きさと、病気の有無)を判断して、別の生簀に投げ込む。選別者がときどき(約30回に1回くらい)手を後にやる。このとき、だめな魚をはねて、別の容器に入れているのだろう。その作業は両手を使って連続的に行われるのだが、見ていると、単に一方の手でつかんだ魚を他方の手でほかの生簀に放り込んでいるだけのように見える。その速さは、大体、1秒間に2匹の速さだった。2人だから、1秒間に4匹ずつ魚は選別される。1時間は3600秒だから、1時間に一万匹かそれ以上の選別作業がなされる。

桶の中の魚が減ると、玉網で救って魚を入れる。狭められた手前側の網の中の魚が少なくなったら、吊り上げている鈎をはずして生簀の網をいったん元に戻す。すると手前側にも魚が入るから、またさっきと同じように網を途中で吊り上げて魚を寄せる。子ダイは一つの網に三万匹はいっているという。おそらく、昼まででこの仕事は終わるのだろう。玉網で魚を掬う人は笑ったり話をしたりしながらやっているが、これは腕と腰に相当な負担のかかる力仕事である。選別を行なう人は桶が空になるたびにホレーとかオラーとか声を上げるが、あとは黙々と手を動かすだけである。

しばらくして私の泳がせ仕掛けを上げて見ると子ダイはいなくなっていた。当たりはなかったから、針が外れて逃げたのだろう。そこでもう一匹の20pほどのタイをつける。体高が10センチ近くあり、これを呑みこめるのは10キロを越える大物だろう。大きすぎるとは思ったが他に餌がないのでしかたなくこれを付けた。

9時半近くに、家串の細川兄弟がやってきた。そして兄さんが玉網を片手に、生簀の枠を伝って選別作業をやっているところまで行き、何か言った。するとカズさんがはねてある魚を入れた容器から何匹か玉網に移してやった。彼らも巻き枠の糸に直結した泳がせ釣りの仕掛けを出した。

私もすぐに真似をして生簀の枠に飛び乗り渡って行き、カウンターを持った人に、私にも2、3匹もらえませんかと頼んだ。(カズさんが、家串の者だとか何か一言、言ってくれたようだった。)彼はいいよと頷いて、3尾、玉網に入れてくれた。私はもらった小ダイを針に付け替え、こんどこそ、と張りきった。10時ごろ、休憩になり、作業している人たちが雑談しているときに、一人が「アレーッ、カズの仕掛けが糸が出てる」と言った。カズサンは急いで、船に飛び移って糸をつかんだ。「これは相当に糸が出ている」、などと言いながら糸を手繰った。細川兄弟の弟が玉網をもって移って行き、海の中を覗きこんでいる。やがて「わー、でかい、でかいぞ」と声をあげた。魚は生簀を海底に固定しているロープに絡むこともなく近寄ってきたようだ。玉網に無事入って「5キロはあるな」とカズさんがいう。

しかし、その後は誰の仕掛けにも当たりはなかった。「食うときはばたばたと続いて食うんだがな」。カウンターの係の人の仕掛けは選別作業の一番近くにあった。ハマチが選別作業でバシャバシャと音を立てる子ダイを食おうとよって来るとすれば、そこに近いほど有利だと考えられる。しかしなぜか、少し離れたところのカズさんの仕掛けに食ったのである。「ハマチ殺しのカズというあだ名があるからな」と誰かが言った。

選別作業の時にブリが寄ってくるというのは結局、狭められた網の中で数千匹もの小ダイがバシャバシャと激しく騒ぐ音を聞きつけるからではないか。では、音だけで実際に食えないのになぜ集まってくるのか。それは本能によると考えられる。つまり、多くの小魚が一か所に集まって体をぶつけあいながら泳ぎ回るときには音が発生し海中に広がると思われるが、生簀の網の中以外で魚がそのように集結していれば捕食には好都合であろう。他の小魚を捕食するブリなどの魚は進化の過程でそのように反応する傾向を獲得した。そこで、ブリは、自然に、あるいは自動的に、その音のする方に向かう生まれつきの傾向を持っていると考えることができる。

しかし、もしかしたら、何度も生け簀の近くに回遊してきて、給餌の際に網の外にこぼれる餌を拾って食っていた魚が、生簀の中の魚がバシャバシャ騒ぐ音を聞き、音に条件づけられたのかもしれない。(池に飼われているコイは手を叩くと寄って来ることが知られている。)もしそうなら、選別の時に限らず、ふだんの給餌の時間帯にもハマチは寄ってくるのではないか。そうだとすれば給餌の時間帯ならいつでもハマチが釣れるはずである。

しかし、ふだんの給餌のときには釣れず、選別の時によく釣れるとカズさんは言う。条件づけによるのではないようだ。だが、給餌の時にも魚は浮いてきて水音を立てながら餌を食う。しかし、選別の時に狭い場所に集められた小ダイが立てる水音は、給餌の時に比べてずっと大きい。やはり選別作業の時に生じる大きな水音がハマチを惹きつけるのだろう。

私は、この日は釣れなかったが、泳がせで釣ってみようと考え、その後、(マキコボシ)釣りをしていて小ダイや小アジが釣れた時には、泳がせの餌に使おうと、小ダイは捨てないことにし、また小アジは自分で食べるのを止め、両方とも船内の生簀に入れて生かしておくことにした。そして、油袋の養殖生簀に行く回数を増やし、マキコボシ釣りをしながら、イシダイ竿を使って子アジや子ダイを泳がせてハマチを狙ってみた。しかし、十数回やったが釣れなかった。

2種類の釣りを同時にやるのは面倒である。泳がせておくだけだといっても、放っておくと、魚が泳ぎまわってハリスがチリチリに捻じれてしまったり、あるいは餌の魚が針から外れてしまったりするので、時々上げて、仕掛けを直したり餌を付け直したりしなければならず、その間、本命の釣りはおろそかになる。

そもそも、餌にするのに適当な大きさの小ダイやアジを釣ろうとすれば、マキコボシではなく、かごオモリとサビキ仕掛けで狙わねばならない。そして狙ってもいつでも釣れるというわけではない。こうした餌を釣る釣りも結構面倒なのである。本気でハマチを釣りたいなら、曳釣りに行けばよい。そんなふうに考えたせいではないかと思うが、結局、泳がせ釣りからは全く遠ざかってしまった。

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2015年秋のハマチの「泳がせ釣り」

最後に2015年11月に行なって大いに釣果のあった「泳がせ釣り」について書くことにする。本来の「泳がせ釣り」が「泳がせ」釣りであるのは、針に刺す餌の魚が生きていて実際に泳ぐからである。モイカ釣りでは餌の魚の元気がいいほどよく釣れるという。モイカが、餌の魚が泳ぐ動きを感じ取って近づいてくるからであろう。しかし今回のハマチ釣りでは、生き餌よりも死んだ餌、ハマチやクエなどの養殖に用いる、網で獲られ冷凍された小アジやイワシ(を解凍したもの)の方が断然よく釣れた。したがってカッコ付きで「泳がせ釣り」と書くことにしよう。 源さんから松山に電話が来て、湾奥の養殖用生簀周りにハマチが寄ってきて、よく釣れている、一緒に行こう、と言う。ハマチを狙うのは久しぶりである。二つ返事で愛南町に向かった。

19日の晩に家串に着き、(以前曳釣りで使っていた)ペンの4/0に新しい道糸20号を150mほど巻き、イシダイ仕掛け用に使っていたコーティング・ワイヤーをハリスにし、タマン針の首振り仕掛けを作った。タマンは沖縄などでよく釣れるフエフキダイの一種。タマン針は管付きでイシダイ針より軸が長く、ひねりがはいっている。手元にあったのはイシダイ針にすると18号か20号程度の大きさのもの。ヨリ戻しを介してこれを道糸に直結するつもり。イシダイ竿は船のキャビンにおいてある。

翌朝8時半頃源さんの家へ行くと、すぐ御荘の「道の駅」へ行ってコマセと付け餌を買おうという。道の駅の魚屋では、キビナゴが2キロほど入った箱が500円。そしてゼンゴが20匹ほど入ったパックが500円と安く、すぐに両方を買おうとしたが、となりに、キビナゴだけでなくほかの雑魚も入っている大きな箱(5キロ以上)があり、250円で格安である。それはキビナゴだけでなくいろいろ混ざっているから安いのだと店のおかみが言う。ゼンゴも混じっている。これ1箱で付けエサにもコマセにも使える、とこれに決めた。あまり安くて申し訳ないとお饅頭6個入りパック250円を買っておやつに食べることにした。

家串に戻り、私の船のキャビンからイシダイ竿を出し、必要な道具を持って、源さんの船で油袋に向かう。せいぜい5分くらいである。東から3列目、中ほどの生け簀に船を掛けると、もう支度はできたかと源さんが言う。竿は継いだので、あとは道糸を通してハリスのワイヤーを着けるだけですから、どうぞ先に始めてくださいと言うと、コマセを撒くと同時に食ってくるから、針に餌をつけてすぐに入れられるようにしてください、と源さんが言う。


源さんの仕掛けは道糸20号にケプラートで結んだイシダイ針の18号を直結している。そして針から10mていどのところにバレーボールのボールより少し小さいくらいのポンカン(玉ウキ)が結んである。

(左は自分で考えて作った仕掛けを手にする「源さん」こと前田源一さん。右手に玉ウキ、左手に道糸を巻いた丸枠を持っている。)


ハマチが食って走ったら、ポンカンを引き込むが、これがブレーキになる。上の方の道糸は魚の勢いが弱るまで少しずつ出してやり、勢いが弱まったら様子を見ながら糸を手繰って寄せるのだという。11月に入ってからすでに彼は8匹、この仕掛けで釣った。この仕掛けは彼が考えて作ったものである。 彼の仕掛けは手返しが速くなるので有利である。だが、道糸のさばきに注意が必要で、ある程度大物の手釣りに慣れていないと難しい。下手をすれば糸が絡んで指が千切れる危険もある。(あとの2016年の釣りを参照のこと。)

どれくらい糸を出すんですかときくと10m程度だと言う。水深は50m程度で、ここまで浮いてきて餌を食うのである。二人が仕掛けを入れ、源さんがばらばらと雑魚をまく。ポンカンの下側の糸を持って当たりを取っていた源さんがすぐに「アッ、食った」と言う。そして「外れた」と言って仕掛けを上げて餌をみる。「あれ?何ともない。放したのかな」といってまた入れる。そのとき私の竿の先がゴンゴンと叩かれるように曲がった。しかし、すぐにもとにもどった。「餌を確めた方がいい」と源さんが言うので、上げてみるがなんともないので再度、入れる。

源さんが「アッ、食った」と言って、ポンカンを海に放り込んだ。ポンカンは海の上を数m走り、いったん海に引き込まれたがすぐに浮いてしまった。「アレッ、仕掛けが切れたな」といって源さんは仕掛けを回収。ケプラートが少し残っていたが、針はなくなっていた。「何回か魚を掛けたから傷んでいたのかもしれない」と言う。「私が持ってるワイヤーハリスを使ったらどうですか」と言ったが、彼は首を振り、今度はナイロンの直結でやるという。20号の糸だから太くて結びにくいのではないかと私は思ったが、さすがに源さんは慣れたものでスムースにしっかりと結んでいた。

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イシダイ竿が満月のように曲がり8キロ級のハマチ

私はイシダイ釣りの時と同様に、魚に竿を持っていかれないよう尻手ロープを付けていたが、それでも常に竿尻に脚を乗せるか、そうでないときは手でつかむかしていた。源さんが新しく結んだ針に餌をつけて仕掛けを入れようとしたときに、私の竿の先がグーンと曲がり、ジャーッという激しいギヤー音とともに道糸が引き出された。リールはストッパーをいれてあり、ドラッグは右手でウッと力を入れて引っ張ると糸がズルッと出る程度に締めておいた。しかし、糸はとにかく数秒間、かなりの速さで引き出された。私はその勢いに圧倒され、立ち上がって竿を持つのを止め、腰を下ろしたまま、竿尻を脚の付け根のところに入れ、船べりに当てている元竿を両腕で起こそうとした。少し竿が立ったが、リールを巻くどころではなく、しばらくは竿を倒されないよう支えているのが精いっぱいであった。勢いが緩んだので、2回、3回とリールを巻くと、今度はこちらに向かって走りつつ、真下に向かって突っ込み、さらに船の裏側に向かって走ろうとしているらしく、4本継ぎの竿が穂先(一番)から3番まで大きく曲がって、竿の半分が海の中に突っ込み、弓ならば満月のように引き絞られた状態というのだろうが、竿先は船の下に入っているのではないかと思われた。魚はさらに突っ込もうとするのだろう、ガンガンと竿を揺する。

7、8年前に10キロ超のコブダイを釣った時には、竿はまっすぐ下に向かって曲がり、そのときは、ズシーン、ズシーンという感じで、イシダイ釣り用の厚いゴムでできた竿受けを着けていたが竿尻が下腹に食い込み痛くてたまらず悲鳴を上げた。それほどの猛烈さ・重量感はなかったが、ハマチらしい魚は、前や後ろに、あるいは横に向きを変えながら、ガン、ガンと突っ込むのだ。後ろに向かって突っ込んでいるときには竿がもし折れたらどうなるのかと気味悪く感じ、竿の真後ろに顔がこないように少し体を傾けた。竿を持って立ち上がり、竿尻を腹に当てリールを巻くようなことは無理で、竿は尻の下のままである。それでも少し後ろに下がって船の中央より少し反対側に寄ると、平底の源さんの船の縁がちょうどよい高さで元竿がほぼ水平になる。

ギシギシ竿を揺すりながら魚が真下にあるいは船の裏側に向かって突っ込むので、竿の負担を和らげようとドラッグを少し緩め、手で糸を引っ張って道糸を送り出してやる。魚の引きが少し弱まったようなので、竿を起こしリールを巻けるだけ巻く。といっても10mかそんなものだろう。するとまた激しくギアー音を立てて糸がでていく。こちらに余裕ができてきたこともあり、音をうるさく感じたのでクリックをオフにして、糸を巻き取った。

行ったり来たりを3回ほど繰り返した。その間も糸を少しずつ巻き取ったので魚は次第に近づいてきて激しい動きは収まったが、こんどは道糸がロープに巻きついたらしく、走らないのに糸が巻きにくくなる。リールを廻して少し巻くと硬くなって巻けなくなる。竿を下げ糸を緩めてやるとずるずると糸が引かれ、魚が泳いでいるのが分かる。道糸がロープに絡むとこうなる。これはだめかと思ったが、このとき、源さんが近寄ってきて、彼が手で糸をたぐるから、合わせてリールを回して糸を巻き取るようにという。彼の言うとおりにし、彼が何回かゆっくりと、しかし力を入れて手繰ると魚は上がってきて姿を見せ、船の際まで寄ったので私は竿を置き、玉網に入れた。「8キロくらいあるな」と源さんが言った。

針は目の近くの皮に刺さっていた。どんな具合でそうなったかはわからない。表皮は硬く、プライヤーを使って針を外し、持ってきた生け簀に入れて船のわきに沈めた。こうして最初の泳がせ釣りの獲物を手にすることができた。道糸を点検するとハリスを結んでいるヨリモドシから3、4m上のところで道糸が数十センチほど、ササクレはなかったが捻じれて癖がついている箇所があり、ロープに絡んだところだと思われたので切り捨て、ハリスは傷んでなかったのでそのまま使うことにした。

わたしが魚を生け簀に入れたり仕掛けを結び直したりしている間、源さんは仕掛けを入れていたが食わなかった。わたしが餌をつけようとしたときに、源さんが場所を変えようと言って船を動かし、一列置いた一番東側の列の生け簀に移った。

私は源さんがコマセを撒くのにあわせ、再び小アジをつけて投入した。するとまたすぐに当りがあった。今度はそのまま食い込み、また激しい勢いで道糸を引き出して走り、また近くに戻って、竿を大きく曲げ、その半分くらいを水の中に引き込みガンガンと揺する。再び、糸を手で引いて出してやる。突っ込みが止まって竿先が海面から出たら、リールを巻けるだけ巻く。行ったり来たりが2回ほどあったが、今度はさっきよりもスムーズに魚が近づいてくるようであった。そして魚が船の脇に見えた。今度は源さんが玉網を出して掬ってくれた。「さっきのよりはちょっと小さいな。7キロくらいかな」と源さんが言う。

私の経験では、足場にもよるが、3キロ程度までのイシダイは竿でぬき上げることができるが、それ以上はぬき上げは無理で、玉網を使わねばならない。しかし魚が大きく、しかも泳ぎ回ると片方の腕で竿をつかんで魚を寄せ、玉網で掬うのも難しい。

源さんは、今回は私を乗せているが前に釣った時には一人である。はじめ彼は大きな玉網を持っていなかった。道糸あるいはハリスが30号以上であれば、道糸をつかんで船に取り込むこともできる。しかし、20号程度では、そしてロープに絡むなどして傷んでいる可能性があるときには、7キロ、8キロの魚を道糸をつかんで取り込むには勇気がいる。プツンと切れたら一巻の終わりなのだ。源さんは8キロ半のものを釣った時には、口の中に手を突っ込み、内側からエラに指を掛けて引き上げたと言う。これは私にはとても思いつかないことだ。

二匹目は針が呑まれていて、源さんは喉の奥に手を入れて針を外そうとした。だが、魚が口を動かすとエラの内側の硬いところが当るのだろう、源さんが痛い、痛いというので、私がエラの横を広げ、えらを外側に少し強く引っ張ると、エラの一部が中で切れてしまった。

源さんは直ぐに死んでしまうと言う。それだったら〆て、松山に送ってしまいましょう、昼の1時に間に合えば宅配の昼便で送れると私は言った。

時間が迫っていたので今日はこれで上がることにした。朝、源さんは、彼の奥さんが明日の午後一本松の親戚の家に行く時に魚を持たせたいと話していたので、生きているほうを源さんに上げ(明日まで生かしておき)、すでに〆てある2匹目に釣った方を松山の私の知り合いの(魚が大好きで奥さんが魚を下すのに慣れている)Sさんに送ることにした。陸に上がると12時半少し前だった。

私は長さが50〜60センチの発泡スチロールの空き箱を幾つか常備しているので、タイやその他の魚の場合にはいつでもすぐに発送できる。しかし、90cm近いハマチを入れる容器がない。そこで、北條さんからもらってあるアコヤ貝養殖に使う塩の入っていた大きな空き袋に頭の方から魚をいれ、外にはみ出た尻尾の方にはもう一枚の袋を逆にしてかぶせることにした。魚は新聞で包んで袋に入れ、水を入れて凍らせてあるPBを2本、仮に抱かせておいて、家に戻って出荷伝票を書き、厚手のビニールシートがあったので袋の上からぐるぐる巻きにして紐で縛り、「冷蔵」で発送した。松山への昼便は翌日の昼くらいに到着する。

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餌の小アジを釣る

餌を補給しておこうと源さんが言い、昼食後、3時半過ぎ、ゼンゴ(小アジ)を釣りに油袋奥の堤防前に行った。最近ここでゼンゴとイサギの子が釣れているのだという。堤防前のブイに船をかけてサビキ仕掛けを入れると最初はすぐに食って、2〜3回は鈴なりに釣れた。ところがその後、急に二人の仕掛けに一匹も食わなくなった。もしかしたらハマチが回ってきて小魚は逃げてしまったのかもしれない。

そこで一番陸側の生け簀に移り、2投くらいずつ仕掛けを入れてみたが全く食わない。こんどは家串の「ゴミ捨場」(アコヤガイ養殖用筏のロープに着くホンダワラなどの海藻を捨てる場所)に行く。ここは小ダイがよく食うところである。しかし、だめだった。

そのあと私の船を繋留してある波止に行った。ここには10センチから15センチ程度の餌として使うのに手ごろなゼンゴがウジャウジャいた!6本針のサビキに6匹かかることも何回かあり、始めは上から5、6mのところで食ったが、その後は3、4mで仕掛けが止まってしまう。時には1mか2mのところで食って止まってしまうこともあった。公民館のそばのスピーカーから5時を知らせる音楽が鳴り、暗くなりかかっていた。今朝、道の駅で買った雑魚もまだ残っていることだし、もう、終わりにしましょうか、と何度も言いながら、やはり、たくさん釣っておけば、あさってまで釣りができるなどと欲張り、二人で釣れるだけ釣った。200匹近く釣ったのではないか。死んだものはコマセに使い、生きているのは針にさして泳がせ、大きいものは、といってもせいぜい20センチ程度だったが、源さんが夕飯に刺身で食べる、というのだった。われわれがゼンゴを爆釣するのを見て、波止に来たカズさんがハゲ掬いの道具を出し、ゼンゴを掬いはじめた。

アミコマセが尽き、そして私が腰が痛くなって、終わりにした。源さん手製の(目の細かい)生け簀2つに、生きてるものも死んでるものも区別せずに入れ、そして源さんは自分で食べると言っていたことも忘れて、何匹か釣れた比較的大きめのものも一緒に入れて、海に沈めた。そして、明日は9時か10時に出かけようと、いうことにした。

源さんの家によると、奥さんが、刺身を食べてくださいとハマチを一ブロックお土産にくれた。昼に釣ったものを奥さんが下して(源さんは釣った魚を〆るところまではやるが、あとは一切奥さん任せである)一本松の親戚に持って行ったが、その一部であった。夕食に食べたがすごいトロだった。

ハマチを〆、エラを切り取ったたときについたのだろう、履いていたトレパンの膝の当りが血まみれになっていた。脱ぐと下着の股(もも)引まで血がつき、汚れていた。洗面台に水を張って浸けておき翌日洗濯したのだが、白い股引に着いた血は取れなかった。

翌21日は9時か10時ということになっていたが、私は水だけもって、源さんの家に8時半前に行った。私の使う道具はすべて源さんの家に預けてある。彼も出かける用意はできていた。昨日は二人でゼンゴを200匹近く釣ったはずで、死んでるものは、昨日買った雑魚の残りと一緒にコマセに使い、生きているものは刺し餌にする予定であった。

船に行き、海に吊るしておいた彼の手製の生簀を引き上げると、二つの生簀のゼンゴは生きてるものも死んだものも10匹か20匹を残していなくなっていた。よく見ると生簀の網が破れていた。昨日欲張って、腰が痛くなるまで釣ったゼンゴはほとんど逃げてしまったのである。しかし、まだ昨日のコマセは残っていたし、生きているアジも少しはいたので、なんとかなるだろうと、油袋へ向かう。昨日よりも凪いでいたので、船の運転は今日は私がした。今日は土曜日で、養殖生簀の周囲には貸し船らしい船が4、5隻見えた。

ラジオでは、曇り、ところにより一時雨という予報だった。私は昨日ハマチを〆るときにズボンが血だらけになったので今日はカッパのズボンをはいてきた。だがいい天気で、時折日が差し、暑くなって私はカッパを脱いでしまった。源さんは「昨日釣り損ねたので今日は是非釣ろうと思っている。しかしあまりやる気になっている日はダメで、かえって釣れない」などと言いながら仕掛けを入れている。私も彼に続いてすぐに仕掛けを入れた。

コマセを入れると下にハマチが見えた。源さんの仕掛けにはちょっと当りがあったが食わないと言う。私の方には全く当りがこない。30分ほどやって、場所を変えた。しかし同じだった。「食うときは、コマセを撒いて仕掛けを入れればすぐに食う。今日はまだ喰い気がないようだ。また、午後か夕方に、少し曇ってきた頃にしますか」という。私は源さんの判断に任せる、と返事をした。「しかし家に帰っても、何もすることがない」と彼がいう。

私は半年ほど前に、それまで使っていた既製品のボートフックの柄が腐ってだめになり、私の家の裏山に行き自分で切ったトベラか何かの木を柄にして作ったボートフックを使っている。しかしそれは柄がくねくね曲がっていて、しかも非常に重い。先日、船具屋で新しいものを買うつもりだと源さんに話したところ、彼は、もっとまっすぐな木がいくらでもある、彼ががそのうち見つけて切って作ってやる、と言っていた。きのう御荘の道の駅に行ったときは、船具屋に寄って、先端に付ける金具を買った。

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源さんが平成期の村の遺産を残す

そこで、わたしが、釣りをやめて家串に戻ったらボートフック用の木を切りに一緒に山に行ってください、と言うと、そうしよう、ということになり、泳がせ釣りは中止し、家串に帰った。まだ10時ちょっと過ぎくらいだった。のこぎりを腰に下げた源さんの後について、平碆との間の歩道トンネルのわきから山に入り、20〜30m急な斜面を登る。

驚いたことに、トンネルの上の山の斜面にはたくさんのツワブキが黄色い花を咲かせている。斜面は昔は畑だった幅1mくらいの狭い段々になっている。その6、7段を使って、ツワブキが一定間隔で植わっていて、70〜80mくらい先まで続いているのだ。
わたしが驚いたというのは、8年ほど前、一緒にこの山にフキを取りに来た時に源さんが言っていたことを思い出したからである。彼は当時次のように言っていた。今、暇を見てはすこしずつトンネルの上の斜面にフキを移植している。この斜面には数mごとに(浅野藤吉郎さんの植えた)桜があり、春にきれいな花を咲かせる。私は秋にツワブキの黄色い花を咲かせたい、そう源さんは言っていた。

その当時はまだ、10株か20株程度が植わっているだけで斜面の大部分はほかの雑草で覆われていた。私はそれから8年ほどここに来ていなかったが、今やこの階段状の土地に何百株かあるいは1000株近くものツワブキが鮮やかな黄色い花を咲かせているのだ。私は、この斜面が春の桜とともに晩秋のツワブキの花に彩られて、自分と家串地区のほかの人びとの目を楽しませることができるようにしたいと彼が考え、それを実行したということに驚いたのである。

途中の藪の中で適当なビワの木を一本切ってから、尾根に登り、それから「ウネの松」のところに出た。ここには白牛車観音のお堂があり脇の松の木には毎年正月に村人が藁を編んで作る「大わらじ」が吊るされる。(詳しくは⇒第二部、第3章「家串の年中行事」(1)正月の念仏の口開け。わらじ作りと厄払い」参照)

彼が指をさしたお堂の後ろ側には高さが1m半ほどの厚い石垣がある。彼が言うには前は石垣は崩れてしまっていた。彼が石を積み上げて作り直したのだという。これは相当な力仕事で何年もかかったという。わたしは胸が熱くなるのを感じた。
彼が寺山の花壇の手入れをしたり、お宮の石垣を直しているのは見たことがあった。しかし、正月行事の大わらじを吊るすときくらいしか地区の人がくることのないこの山の中で、彼は誰に頼まれたのでもなく一人でこつこつと古いお堂の石垣を修理していたのだ。彼は故郷の山と村の歴史を守る努力を続けているのだ。おそらく、家串には源さんが植えたツワブキや彼が作りなおした石垣が平成期の村の遺産としていつまでも残ることになるのだろう。

左は白牛車観音のお堂とその後ろの石垣。HP『みんなの由良半島』「写真館」から、許可を得て転載。

切り出したビワの木を持って帰り、枝を落とした後、電動カンナで凸凹を削り、先端のフックを止めるリングが入るように削って、釘で金具を止めてボートフックができ上がった。しかしかなり重い。安さんが通りかかり、スギかヒノキでないと重くてシモッて〔沈んで〕しまうと言う。乾かして使うと言うと、皮をはがないと乾かないという。まあ、半年くらい屋形にでも置いて乾かす、半年先はまだ生きていて釣りをするだろう、と冗談を言い合った。午後は3時から再度油袋に行くことにした。

お昼には、昨日少しだけ食べたブリの腹の身を、分厚く切って塩コショウしてオリーブオイルでいため、ステーキにした。これにウスターソースをかけて食べたが、刺身で食べるよりも、脂濃さが少し減って、うまかった。また昨日の残りのシュウマイもおかずにして、フリーズドライのネギの味噌汁で昼食にした。

昼寝をし、1時間ほど時間があったので、前日の日記をPCで書いてからでかけた。油袋では、二人とも全く当りがなく、”からブリ”に終わった。

4時半頃、家串に戻り、再び私の船の脇でゼンゴ釣りをした。食い始めたのは5時過ぎで、100匹程度は釣った。そしてこちらは大丈夫と彼が言う、別の生簀に入れて吊るしておいた。

途中から頭痛がし、また腰が痛くなり始めていたので、家に戻るとすぐにお風呂に入って休息し、夕食は、レトルトの「ホウレンソウ・カレー」に、昼に作ったブリの腹の身のステーキを一切れ入れて食べ、フリーズドライの卵のスープを飲む。その後もう一度お風呂に入り、首筋や肩、腰に、サロンパスや、オキュウ膏をベタベタ貼り付けて寝た。9時ごろだったろうか。

翌22日は、前日の汚れ物をお風呂の残り湯を使って洗濯し、午後は雨が降るところもあるという予報だったので、風呂場の外の屋根の下に干した。

前日同様、源さんの船に乗り、源さんが脇に吊るしたゼンゴを入れた生簀のカゴを引き上げて、思わず声を上げた。また魚がいなくなっているのだ。こちらのカゴは大丈夫と言ってたのだが、よくみるとやはり穴が開いていた。結局生きているアジは5匹だけ。そして昨日の残りの死んだアジが20かそこら。それにおととい買ったイカナゴの残り。コマセが絶対に不足。しかしとにかく油袋に向かう。

油袋のGさんが他に二人の人を乗せて来ていた。二人は親子で、Gさんの知り合いだと後で聞いた。Gさんは隔日勤務で朋洋水産で働いており、油袋のタイの生け簀で餌やりなどの仕事をし、また、タイの出荷の時などにはいつも家串の出荷場で仕事をしている。彼は今月に入ってすでにハマチを11匹釣っているという。(源さんが8匹で彼に次ぐ。)彼の手招きにしたがって彼の船の脇につける。Gさんは、今、冷凍のアジを解かしているところで、釣りはこれからだ、という。朋洋水産の経営者である織田さんがいくつかの生け簀でクエを試験的に養殖しており、その餌にアジを食わせている。Gさんはそれと同じものをブリ釣りのコマセとして、また刺し餌として使っているという。

空は曇天で日和としてはよかったが、なかなか当たりが出ない。しかし、やがてGさんの竿が曲がった。しかし、糸が切れてしまった。再び待つが食わない。こんどは彼の船の若者の竿に当りがあり魚が掛かった。しかしその若者は始めてだったらしく、無理やりリールを回して魚と引き合っていたが、糸がプツンと切れてしまった。

こちらのコマセは直ぐになくなった。Gさんがときどき、解凍のできたゼンゴを玉網に入れてリレー方式でこちらに渡してくれた。彼はコマセも、時々自分の船の前だけでなく、こちらにも向けて投げてくれた。

だが、潮は緩かったが、ゆっくりとこちらから右手方向、つまりGさんの船の方に向かって流れているように見えた。つまり、コマセのアジはGさんの船より右の方向に沈んで行き、底の方でコマセを食った魚が斜めに浮いてきて、最初にGさん側の刺し餌を食うのではないかと思われた。

案の定3つ目の当たりは再びGさんの竿に出た。魚が掛かるとGさんはさっき糸を切られた若者に竿を渡し、脇からアドバイスしていた。魚が浮いてGさんが玉網を出したときも、竿を立てすぎて魚の口が水の上に浮いた状態で、玉網には直ぐに入らなかった。しかし周りが竿を下げろと声をかけるなどして漸く玉網に入った。

そのあとで年上らしい人の竿にきた。力のある人で、竿は大きく曲がったが、ドラッグが効いていて糸が出て、無事取り込めた。彼は松山の堤防などでハマチを何度か釣っているが5キロクラスまでだ、と言っていた。Gさんは、昼までの予定なのでもう帰る。明日は来るかどうかわからない。餌のアジは後ろの生け簀の中の目の細かな四角い袋に入れてある。源さんが同じように使っても構わない、と言ってくれた。

源さんとこちらの竿には最後まで当りがなく、昼になって終わりにした。彼は明日知り合いが来るので何か魚を持たせたいが、ハマチが釣れる気がしないので、午後、タイ釣りに行く積りだ。もしかしたら夕方ゼンゴを釣るかもしれないと言った。そこで5時という約束でゼンゴ釣りを一緒にやることにした。

ゼンゴは昨日と同じ場所で40〜50匹すぐ釣れた。ところが突然ぴたりと食いが止まり二人とも一匹も釣れなくなった。先日、油袋で生じた状況と同じであった。そこで餌釣りはあきらめ、Gさんの好意に頼って、明日は解凍した餌のアジで釣ることにした。

23日、8時過ぎに源さんの家に行き、道具を持って先に船に乗る。彼がおりてきて、かご生簀を引き上げた。今日は大丈夫?と聞くと、昨日修理したという。元気のいいアジが30匹ほど泳いでいた。油袋に行くと昨日と同じ生簀にGさんが船を掛けており、その向こうに油袋のWさんが掛けていた。その間が一隻分くらい空いていて、Gさんがここにと手招きしたので、そこに入れさせてもらった。

Gさんが何度も解凍したアジをこちらに渡してくれて、十分にコマセができた。わたしが、こちらに生き餌があるが使うかと聞くと、いらないと言う。

源さんが私に今日は場所を代わってくれと言う。源さんが船を運転したので舳先に近いところに私が座っていた。こちらの船の前半分とWさんの船を掛けている場所の後ろには生簀がなくロープが張られているだけで、Wさんは船の一方の側から竿を出し、反対側からマキコボシで手釣りの糸を垂らしていた。源さんは舳先に近いほうに移ると、二刀流で、ブリ用のポンカン仕掛けを投げ込むと、後ろを向いて竿を出してサビキ仕掛けを入れた。昼過ぎに客が来ることになっているので魚を持たせたい。ハマチは食うかどうかわからない。このサビキ仕掛けでタイを釣るのだ、という。竿に食ったときにブリが来たらどうしますかと言うと、須藤さんに一方をやってもらわなければという。彼の竿には一度カイワリがダブルで釣れただけであとは釣れなかったが、彼は二刀流を続けた。

1時間半くらいはブリの当りがなく、Gさんはまた午後に来ると言って帰った。私たちは、1列目のクエの生簀の前に移り、解凍したアジを撒き、活きアジを付けて泳がせた。直ぐに源さんの仕掛けに当りがあったが、食い込まなかった。私の竿にも当りがあって竿先が曲がったが離してしまう当たりが2回あった。刺し餌の生きたゼンゴには、頭だけ噛んだ跡があった。もしかしたら活き餌は硬いのではないか。

釣れているブリはGさんの話では養殖モノが逃げたもので、腹を開けても虫がいないのが証拠だという。天然のブリには通常、ドバミミズほどの大きさ(10センチ以上)の寄生虫がいる。だが養殖ブリは感染病予防のための抗生物質などのほかに寄生虫を駆除するための薬が与えられていて、寄生虫はいない(注)。また、Gさんは自分は判断できないがブリ養殖をやっている人が見ると尻尾の色など外見からも養殖物と天然物の違いがあるという。(タイなら私も天然物と養殖物の区別は一目でわかる。)

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(注)全国海水養魚協会(http://www.yosyoku.or.jp/)の「ウォールド君のおさかな大百科」の「養殖魚の安全・安心」の「水産用医薬品について 」によれば、養殖魚には、細菌感染用の抗生物質、寄生虫用の駆除剤、病気の予防用のワクチンなどの薬品が使われていて、寄生虫はいない。

東京都福祉保健局HPの「食品衛生の窓」によると、ブリには「ブリ糸状虫」が寄生する。「寄生は春先に多く、秋、冬には少ない 」。「ヒトには寄生しない」という。この虫自体をたべる人はいないだろうが、寄生虫の卵や幼虫が人体に入ったとしても、人体に影響はないということである。

私が由良の鼻周辺の曳釣りで釣ったブリには、秋から冬にかけてのものも、春に釣ったものも、10センチほどの寄生虫がいた。魚の仲買人の中には、幼魚であるヤズ(イナダ)や秋くらいまでのハマチには寄生虫はいない、と言う人がいた。しかし、そう考えるのは、ヤズでは、あるいは秋くらいまでは、寄生虫が小さくて目立たず気が付かないからではないかと、私は思う。 なお、ドバミミズというのは釣り人の間での呼称で、平凡社DVDROM世界大百科事典の「ミミズ」を読むと、大きさと陸産であることから分類学上はフトミミズらしい。 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------

朋洋水産で働いている人の中に以前松山に住んでいて瀬戸内海のブリの養殖の仕事をしていたという人がいる。名まえは聞いていないが、その人は、瀬戸内海産の天然ブリは体が(体長に比較して)丸いが、宇和海の天然ブリは体が長い。しかし今油袋で釣れている物は体が丸い。おそらく養殖だろうと言っていた。

しかし、源さんは、釣れたハマチに大きさのばらつきがある。養殖なら5キロと8キロなどというばらつきはでないのではないかと、反論した。しかし、Gさんは、逃げたあとの餌の獲り方の上手下手で育ちに差は出ると言った。もし養殖物だとすると柔らかい餌を食い慣れていて、活きアジより解凍したアジの方を好むかもしれないと私は考えた。

また、源さんの仕掛けでは食った後、ポンカンが海に引き込まれると直ぐに離してしまった。私の場合は竿がかなり曲がったところで離してしまう。餌をくわえて走ろうとしたときに抵抗があると離してしまうのではないかと思われる。(釣りの後でGさんと話したことだが、彼によれば、オモリをつけた時には食わなかった/食い込まなかった。餌の重みだけで沈めたら食ったという。)

そこで私は、生き餌をやめて解凍したアジに刺し餌を替え、また魚が食った時の抵抗を少なくするため、道糸をリールから一ヒロほど引き出しておき、食ったら糸を送ってやることにした。

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再び大型ハマチが3匹

やがて当たりがあった。糸を送ってやると食って、そのまま走った。と同時に源さんの仕掛けにも食ったようであった。源さんも活き餌をやめ解凍したアジに代えていた。しかし源さんの方は足元のロープに絡んでしまい、結局、魚は逃げてしまった。私は立って竿を持ってやり取りした。竿尻の当たる下腹がかなり痛かったが、なんとかこらえることができた。魚は手前にも走ったが、ロープに絡むことはなく、うまく上がってきて、源さんの玉網で掬ってもらった。口のわきにかかっていた鈎をプライヤーで外して、持ってきた大きい生簀に入れた。

私はコーティング・ワイヤーをハリスに使い、首振り仕掛けにしていた。魚から外した仕掛けは環が締まって針の動きが悪くなっていたので交換した。そして2匹目がきた。私は当りがあってすぐに糸を出し、また竿尻を少し持ち上げて竿先をさげて、道糸が出ていきやすくしてやった。これもよかったらしく、しっかり食い込み、また取り込むことができた。しかし、2匹目になると、竿尻を当てている下腹が痛くてたまらず、何度も竿尻の位置を変え、あるいはリールを回さず竿を支えているだけの時には両足の間に竿を入れてみたりした。また時々座って尻の下に竿尻を入れなければならなかった。しかし、そうやると、魚の勢いが止まってもリールを回しにくい。そこでまた立ってリールを回した。二匹目は針を呑んでいたので〆、エラを切って血を出してから、日陰におき、少しでも冷えるようにとボロのタオルをかぶせて海水で濡らした。

源さんのポンカン仕掛けにはさらに二度ほど当りがあったが、一度は外れ、ようやく一匹を釣り上げた。再び私に当りがあり、これも取り込むことができた。しかし、立って竿を支えていると今度は腰が痛くなってきた。魚が弱ったら立って片手で竿を支えリールを巻くのだが、引きの強さにこちらの方が先に弱ってしまいそうだった。それでもこれも無事取りこめた。

当りが非常に活発で、まだまだ釣れそうだったが、源さんは来客のことを気にしていて、なんども電話で奥さんとやりとりしていた。客は昼過ぎには帰るということだった。しかし、サビキ仕掛けの竿には最初のカイワリだけでほかには釣れなかった。源さん、が一匹釣り、わたしが三匹目を釣ったところで、彼は、今日はこれで終わりにしようという。

彼は、私が最初の一匹を釣ったときには、それをもらえないかと弱気になっていた。私はそのときは、もう少し頑張って釣りましょう、と返事をしておいた。私としては、ほかに釣れなければ半分に分けてでも、(家串の)北條さんと(隣の津島町の)中島さんに上げたかったのである。源さんも上げるなら半分ではなく一本ずつのほうがカッコウがいい、と言った。私はこの調子ならもっと釣れると思い、やり続けたかった。しかし、源さんにも一匹釣れたし、私は三匹釣れて、私が松山に持って帰る分まで釣れたので、欲張るのは止めようと、源さんの納竿の提案にしたがった。

針を呑んだ一匹はすでに〆てあった。もう一匹も源さんがすぐに客に渡すと言うので〆た。残りの二匹を、海水を入れた桶の中に入れ、家串にもどった。私の屋形で二匹を大きな生簀に移して沈めたが一匹はもう弱ってしまっていたので、それも〆て、そのまま源さんの船で北條さんの作業小屋に持って行った。

それからすでに〆てある一匹を朋洋水産の量りを借りて測ると7キロちょうどで88cmであった。中島さんに電話すると、彼は今松山で、家族は竹が島で仕事だという。彼は電話を掛けなおしてきて、結局奥さんが竹が島からもどり3時に取りに来るという。そこで朋洋水産から貰った袋に入れて私の物置小屋まで運び、新聞紙で巻いたペットボトルの氷を魚に抱かせ、古くなったジャンバーなどで包んでおいた。

一時半を回っていた。ラーメンを食べ、昼寝した。まもなく中島さんの奥さんが魚を取りに来た。彼女は刺身は好きでないので、タイよりはハマチの方がずっといい、と喜んで帰って行った。

今回は十分に大物釣りに堪能した。もっと家串にいて他の釣りをすることもできたが、その気は全くおこらなかった。それどころか、今年はもう十分に釣りをした、という気さえしてきた。

私は屋形の下に吊るした生簀に一匹いる魚が死なないか心配になり、もう〆ようと考えた。魚を捌いて、そして明日、松山に帰ろうと考え、源さんに明日の釣行はキャンセルにしたい、魚を〆て松山に帰ろうと思う。船を屋形に繋留するので迎えを頼みたい、と言った。源さんも、配る所は全部配って、私らも食べるには十分にある。もう休みにするつもりだったと言った。そこで私は波止に係留していた船を動かし、屋形に行って魚を〆、アンカーロープを使って船を繋ぎ、源さんに陸に運んでもらった。12月にもまだブリが釣れていたら、今度は養殖の飼料会社で冷凍アジを買って、釣りに行きましょうと話をして分かれた。

家に戻り、30〜40分かけてブリを下ろし、身を4つに切ってビニール袋に入れ、また一塩にしたアラの半分をビニール袋に入れて冷蔵した。また源さんの家から持ち帰った竿とリールを風呂の残り湯で洗った。

それから、残りのアラで潮汁をつくり、これだけをおかずにして夕食を食べた。お風呂に入ると疲れが出て、すぐに就寝した。昼で釣りを止めにしてよかった、と思った。

翌日松山に帰り、刺身と照り焼きとブリ大根と潮汁を作り、ブリ尽くしの夕食にした。(カマは次の日に塩焼きにした。)肉も魚もあまり食べない妻も、珍しく照り焼きを二切れも食べた。私は自分で魚を下して作る刺身を食べるのはあまり好きではない。魚の腸(ワタ)の臭いが鼻につくからである。しかし、今回は、前の日のうちに魚を下しておいたので、刺身もうまかった。もちろん息子はどれもうまいうまいと食べた。潮汁も、骨が大きく、不器用な彼にも骨に付いている身が食べやすかったせいで、喜んで食べた。次の日に食べた、カマの塩焼きも骨の間をていねいにほじくって食べ、目玉の周りの柔らかいところをすすっていた。照り焼きとブリ大根を少し冷凍し、2週間前に作ったタイの粕漬と一緒に、東京にいる娘の晶にもおくってやった。曳釣りで釣ったのは7年前である。そのときはどんな風に食べたか全く思い出せない。

以上のようにブリの泳がせ釣りは久しぶりに大いに興奮し、釣果も上げることができ、満足のいくものだった。そして、家串でマキコボシ釣りを始めてからは、イシダイ釣りやハマチの曳釣りなどの大物釣りよりも、微妙な当たりを取って魚を針に掛けるマキコボシ釣りのほうが面白いと感じ、掛けた魚との格闘が主である大物釣りから遠ざかっていた。しかし、今回の大型ハマチのスピードとパワーと闘う泳がせ釣りをやって、釣りの醍醐味を味わった。大物釣りもやっぱり面白い。もっと釣りたいと思った。とにかく、久々に、釣りを満喫した、と感じた。

しかし、この後、ぎっくり腰になってしまったという、面目ない話の続きがある。以前からときどきはウォーキングをしていた。2015年は5月ごろから松山でのウォーキングの距離を伸ばし、また回数も増やしていた。夏ごろからは早朝、一回1時間近く、週2〜3回、あるいは4〜5回、起伏のあるコースを速足で歩いていた。家串から松山に帰ってからも、腰が重く釣りの疲れが残っているとは感じていたが、翌日から、毎日ウォーキングに行った。

だが、釣りから1週間後、11月30日夜中、トイレに行ってしゃがんだ途端、ガツーンと魔女の一蹴りが来て立てなくなり、這って寝床に戻った。それからひと眠りした。朝になって、身体の動かし方に気を付ければ、激しい痙攣的な痛みはなく、立って歩くこともできた(し、自転車にのることもできた)。比較的軽く済んだがぎっくり腰だということは間違いなかった。

朝食後医者に行き、痛み止めの注射を打ってもらったが、姿勢をよくし、運動を積極的におこなって、腰を鍛える必要があることなどの注意を受けた。私はすでに8月で70歳になった。ブリの泳がせ釣りは「年寄りの冷や水」だったのかもしれない。しかし、ふだん、松山にいるときには、ウォーキング以外、何も運動せず、一日中、パソコンのキーボードを打っだけの生活で、たまに釣りに行って大物釣りで無理したということが原因になったことはあきらかであるように思う。ふだんもう少し体を鍛えておけばぎっくり腰にはならないで済むかもしれない。(ウォーキングをやっていたので今回のぎっくり腰が比較的軽く済んだのかもしれない。)

その後、早朝1時間のウォーキングは続けており、NHKの「試してガッテン」などのぎっくり腰に関する番組で説明された体操や腰を鍛える運動を続けている。またチャンスが来れば泳がせ釣りに再挑戦しようと思う。

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ハマチの泳がせ釣り 2016年版

2016年は釣りの快数が減った、月に一回4,5日がふつうになり、船の修理(宿毛)やドック、大庭君の訪問などもあり、4月初めにタイを、7月に2回イサギを釣った程度。8月は暑さに負け一回も釣行せず。しかしウォーキングは数日しか休まなかった。 源さんは年が明けてからもハマチを釣りに油袋に通った。しかし、竿で釣っているGさん(前出)は相変わらずよく釣れているのに、源さんの仕掛けには食ってこなくなってしまった。竿の方がいいのかもしれない。須藤さんの竿を貸してくれないかと言う。
私はいいですよ、と返事をし、ただしリールがトローリング用のPENN4/0で、日本製とは違ってON,OFFが逆にな(実際、源さんはこれまでいつもスピニングリールを使って釣っていた。)今度わたしが一緒に釣りに行って、使い方を説明しましょうと答えた。

だが、私は、4月から5月にかけて、船のドライブの修理と来客(つくば市の友人が法事で高知の親戚に行った帰りに10数年ぶりに合いたい、2、3日家串によって釣りをしてみたいと言ってきた)、また延び延びにしていた船底塗装などが重なり、源さんにつきあう余裕がなかった。また、昨年の釣りで腰痛になったこともあり、ハマチ釣りに消極的になっていた。
他方、私はもうイシダイ釣りからは撤退し、イシダイ竿はいらない。私が一緒にハマチ釣りに行くときには、それを使わしてもらうことにし、ハマチ釣りに「ハマっている」源さんにプレゼントしようと考えた。そこで、ハマチ釣りには一緒に行かなかったが、彼の家に竿とリールを持っていき、使い方を説明し、実際に釣る前に、オモリをつけて糸を出したり巻いたりして何回か試してから使った方がいい、とアドバイスして、彼のところにおいてきた。

6、7月はヤズ(イナダ)は釣ってもハマチは釣らない。8月から9月にかけては暑さに負け、釣りどころではなかった。 9月下旬になって家串に行ったとき、源さんから、餌を買って用意してあるから明日の朝、ハマチ釣りに行きませんかと誘われた。私は、源さんに印籠継ぎのイシダイ竿とペンの4/0の使い方を説明するのが主目的で、本気で釣ろうと思っていなかった。しかし彼はいつもの、彼の手製の仕掛けを使い、私に竿を使うように言った。そこで私も竿を出した。
まもなく源さんの仕掛けにハマチが来て、彼は何回かやり取りをしたあと、7キロ半の良型を上げた。わたしの竿にも当たりがあり、走ったので合わせたが、十分には呑み込んでおらず、上半分が残ったイワシが帰って来た。源さんの仕掛けにまた当たりがあり、今度は6キロ半のものが釣れた。2匹ともいったんは大型のケイタイ生簀に入れて船の外に置いたがすぐに弱ったので、〆た。水温が高いためだろう。
またすぐに源さんの仕掛けに針掛かりし、持って行った。ところがクッションゴムの上で糸が切れてしまい、仕掛けを全部失う羽目になった。ブイがついているので、しばらくしたら魚は弱って浮き上がってくるのではないかとみていたが、一向に浮いてこず、また、私に源さんが1匹くれるというので、それをクロネコで送ることも考え、11時半に上がることにした。
私の竿には結局一回当たりがあっただけで、しかも食いが浅く、針がかりしなかった。源さんは夏前には、釣れなかったために自分の仕掛けに懐疑的になっていたのだが、「食わなかったのは仕掛けのせいではなかったみたい。竿でなくても食いますなあ」ということに話は落ち着いた。竿とリールは彼にプレゼントしたので、彼の家においてもらい、彼は、彼の仕掛けで食わないときに竿を使う。私は一緒に連れて行ってもらうときに、それを借りて釣る、ということになった。


11月3日の秋祭りに合わせて再び家串に行った。祭の前日、源さんが、夕方一緒にハマチ釣りに行こう。私からもらった石鯛竿とリールの使い方、それに仕掛けの付け方け方も知りたい。翌日に広島から親戚の客人が来て、一緒にハマチ釣りをする予定だ、と言う。
彼は、竿のつなぎ方、リールのオン、オフからおさらいしたいというので、先生になった積りで教えた。コマセのアジを撒くと、15センチか20センチのゼンゴがワッと寄ってきてつっつき、下に沈まない。彼の手釣りの仕掛けにつけた餌も沈む前に食われてしまう。そこで、仕掛けに20号ほどのオモリをつけ、リールから糸を7、8m引き出しておき、コマセに小アジがよってきたら、離れたところに仕掛けをなげてやった。席を入れ換え、源さんに竿を渡し、私は源さんの手釣りの仕掛けの前に座った。私は、3〜4キロの小型のハマチをマキコボシ釣りで釣ったことはあるが、7キロ、8キロのものを手釣りで釣ったことはない。しかしやってみようと考えた。だが結局どちらにもハマチは食わなかった。1時間か1時間半で切り上げて帰港した。
私は祭当日は除き、黒ハエでイサギを2、3匹、湾内でアジ、カイワリ、小型のタイを合わせて10匹ほど釣ったものをすべて開きにして松山に持って帰った。源さんは客人とハマチを釣りにいったが、竿にも彼の仕掛けにも釣れなかったと言う。

12月上旬家串に行くと、再び源さんからハマチ釣りに誘われた。彼は風邪気味で体調不良が続き、釣りはしていなかったが、他の人の話で、11月半ばからハマチが急に釣れ出したという。餌とコマセは冷凍した小アジまたはイワシなどで、御荘にあるダイニチという養殖漁業用の餌の販売を行っている会社に買いに行く。一パックは15キロくらいだろうか、価格は魚によって違うが1400〜1600円程度。湾奥のタイやクエの養殖用生簀に掛けて釣る。
ところが去年、生簀の魚が夜間に盗まれる事件が起こったため、夜は監視用のライトが点灯されるようになり、さらに、従来、昼間、貸し船の釣り客などが生け簀に船を掛けて釣りをすることは認められてきたのだが、生簀の中の魚を釣る不心得者がいたのだろう、今年の11月ごろから、部外者が生簀に船を掛けることは禁止になった。
こうして部外者は釣りができなくなった。だが、釣り好きの従業員は勤務時間外には生簀に掛けて釣りをする。源さんは、朋洋水産に駐車場を貸しており、船を着ける筏を朋洋水産と共用している。私も一度手伝ったことがあるが、水揚げ作業場でもある同じ筏の補修作業を源さんは従業員と一緒に行う。源さんを知らない従業員はいない。こういう次第で源さんは従業員と同様に生け簀にかけて釣りをすることができるである。

今回はよく釣れた。1日目は、源さんが3匹、わたしが1匹。2日目は源さんは7匹、私は3匹。重さが6キロから7キロある良型の寒ブリ。わたしが家串湾の外にある黒ハエでイサギかアジを狙ってマキコボシ釣りをやっていて全く釣れなかったが、しばしば周囲でザバーッという大きな水音が聞こえ、ハマチが集まっているらしかった。アジやイサギはおそらく岩陰に身を潜めて動こうとしなかったのであろう。こうしたハマチの群れが家串湾の奥にも回ってくるのだ。

私が釣った6キロ半のハマチ


1日目は二人で4匹。釣れたことは釣れたが大したことはなかった。源さんは一匹目を釣ったあと、次の仕掛けを入れると、待つ間の時間が惜しいかのように、船にいつでも積んである竿とサビキ仕掛けを出し、別に用意してきたアミエビをコマセかごに詰めると投入した。アジを釣ろうというのだ。アジは1匹しか釣れなかった。おそらく、ハマチが出没してアジも姿を隠しているのだろう。
彼はその生きアジをハマチ仕掛けの針に刺して投入した。本当の「泳がせ釣り」である。2匹目はその生きアジで釣れた。ハマチ釣りをやった時間は夕方の1時間半か2時間であった。
2日目も同じ時間に行った。この日はコマセを撒くと魚影がいくつも見え、入れ食い状態であった。彼が魚を掛けるとすぐに私は自分の仕掛けを上げる。魚が左右に走って、糸が絡むのを避けるためである。彼が魚を寄せたらわたしが玉網で掬う。彼は魚から針を外すと、釣った魚はそのままにして、まず針に餌を刺して放り込み、コマセを撒く。そのあとで、魚を生簀に入れて沈めるか〆るかする。

私も、仕掛けを上げるときにリールを使わず、道糸を手で手繰って引き上げればよかったのだが、その知恵がなかった。リールで糸を巻いたため、仕掛けを海に入れて沈めるのに時間がかかった。私の仕掛けが沈むより早く源さんの方に食ってくる。私は再び仕掛けを上げ、玉網を持つ。

私の方に食ってくれば、源さんは仕掛けを上げ玉網で掬ってくれる。しかし、魚が上がれば、彼はすぐに自分の仕掛けを入れる。私は魚を生け簀に入れるにせよ、〆るにせよ、時間がかかる。こうして釣果に差が出るのである。

手釣りの仕掛けの方が手返しがはやくできるので確かに有利である。しかし、誰でも、手釣りでやれるわけではない。竿とリールを使えば、魚が突っ走った時にも、竿の弾力とドラッグによってブレーキを掛け、魚を寄せやすくすることができる。
しかし手釣りではそうはいかない。手でやりとりしなければならず、糸をつかんだ手の力の入れ加減がむずかしい。また取り込んだあと、糸をすぐに巻き枠に巻き直さなければならない。糸が、魚を取り込んだままの状態で床に置かれているときに、魚が食って走ると糸が脚や他の物に絡んだりする。指に絡んだりすれば、非常に危ない。
6キロ、7キロのハマチが突っ走るときの力は非常に強い。私は一度、立って竿を掴んでいるときに、魚が走ったはずみで一瞬足下がふらついた。平底の船の上だから何ともなかったが、前下がりの磯の上なら、海に転げ落ちていたかもしれない。この力とスピードで走った時に糸が指に絡めば、指が千切れる危険さえある。ある程度の大きさの魚、例えばタイなら50センチ以上、を手釣りで何度か釣った経験がないと、源さんの仕掛けでハマチを釣るのは難しいのである。

私は今回の家串行きに際して、写真を撮るつもりであったのでメモリーチップを購入してケイタイに入れておいた。このHPはWEBに掲載した4月当初は文字ばかりの殺風景なものであったが、夏ごろから少しずつビジュアル化を進めてきた。すでに家串周辺の写真を『みんなの由良半島』「由良写真館」からお借りして、何枚もHPに入れてある。
だが、海からみた家串の写真や、船上で釣りをしているときの写真も入れたいと考えた。一人で釣るときには無理だが、二人で来るハマチ釣りでは、釣っている最中の写真が可能である。こうして実際何枚か写真を撮った。去年の釣りについて書いた上の個所で、手作りの仕掛けを持った源さんの写真を載せているが、それは実は今回撮ったものである。

以下に今回撮った写真を3枚載せる。
左:魚を掛けてすぐ「割と小さい」と源さんが言ったので、自分で玉網を持って取りこんでもらうことにして、私が撮った写真。写っていない右手で道糸を引いて近くまで寄せたが魚が嫌ってあばれ、クッションゴムが伸びた場面。





右:私が掛けたハマチの引きに耐えているところ。源さん撮った。鮮明に撮れているが、人間だけ写して、竿の曲がりが写っていないので、迫力のない、さえない写真になった。竿をもった左手首をよく見ると筋が見え、力が入っているのがわかるのだが。


左下:7匹の釣果に満足の笑みを浮かべて帰りの船を運転する源さん。私の釣った魚は手前の、海水を入れた容器に活かしてある。

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