1.渋沢敬三『日本釣漁技術史小考』について
著者の 渋沢敬三
『日本釣漁技術史小考』の紹介
養殖漁業について
養殖業の隆盛が一本釣りに与える影響
釣漁技術の歴史と遊漁
釣りの六物
「直接技能的漁法」・一本釣りと「間接技能的漁法」・延縄釣り
離落錘式釣漁つまりマキコボシ釣り
置鉤(おきばり)
「省力化・無人化」の現代的形態、イカ釣りとカツオ釣り
「直接的漁法」と「間接的漁法」
当たりを取って合わせる釣りと向こう合わせの釣り
一本釣りと延縄、遊びの釣りと漁業
「釣りをする」ことが眼目の遊びの釣り
カツオの一本釣り―職漁船と遊漁船
マグロの延縄漁
浮延縄と底延縄
延縄釣りと曳釣り(トローリング)
定置置鉤と流し置鉤、そして疾走引縄
引縄を手で持つか、持たないか。
延縄釣りも遊びになる
この章の前半(1)では、日銀総裁を経て、幣原内閣(1945年10月〜翌年5月)の大蔵大臣を務めたこともある、釣り好きの民俗学者渋沢敬三が、漁業としての釣りについて書いた『日本釣漁技術史小考』を紹介し、若干のコメントを行う。章の後半(2)では、何種類かの釣りについて、多くは私の経験に基づき、 それぞれの釣り方の特徴、面白さ、魅力がどこにあるのか、それはどうしてなのかを考えてみる。
後半の「遊びの釣り比較論」で対象にするのは、私がやったことのあるハマチの曳釣り、泳がせ釣り、イシダイ釣り(磯と船)、マダイ、イサキ、大アジなど上物/浮き魚を釣るビシ釣り、上物も底物も釣れるマキコボシ(バクダン)釣り、サビキ釣り、および、もっぱら他の人の著作を参照したフカセ(ウキ)釣りである。その際、これらの釣りを、当たりを取って合わせて釣るのか、そうではなく、向こう合わせの釣りなのかという観点を中心にして考察する。この観点は、前半(1)で紹介する『日本釣漁技術史小考』における「直接技能的漁法」と「間接技能的漁法」という漁法ないし釣り方の区別に触発され、あるいはそれに依拠したものである。
当たりを取って合わせるのかどうかという観点で釣りを区別することはごく普通に行われていることである。しかし、最近の釣りに関する著作で、この視点に基づいて分類を行っているものは見当たらない。釣りを解説した多くの本では、海釣り、川釣り、沖釣り、磯釣りなど漁場で分類したり、アジ釣り、タイ釣りなど対象魚で分類したり、あるいは、竿釣り、ウキ釣り、テンビン釣りなど漁具で分類したり、手釣り、投げ釣り等々の漁法で分類したりしている。一言でいえば、釣りについて、複雑多岐にわたる分類がある。
私も、第一部第四章「釣りについて。釣りの快楽について」で、スポーツとは異なって、釣りは系統的な分類を拒む、あるいはそもそも分類は不可能だと、述べた。すべての釣りをただ二つの種類に分けることなど意味がないと思われるかもしれない。しかし、漁業の技術の歴史を法則的にとらえるという理論的観点に基づいて提出された渋沢の区別は、漁法/釣り方のすべてをスパッときれいに二つに分けているのである。
私は10年近くマキコボシ釣りをやるなかで、合わせて釣ることに釣りの最大の面白さがあるということを発見した。同じタイ、イサギ、大アジを釣るにも、また同じように船から釣るにしても、合わせて釣る釣りとそうでない釣りとの間には大きな違いがあると、感じる。そして、わたしのこの実感による区別が、渋沢の行なっている理論的視点からの分類法と重なるように思われた。わずか数種類の釣りに限られるが、私が以下でそれらの釣りを、合わせる釣りとそうでない釣りに分けて考える理由はそこにある。
『日本釣漁技術史小考』<渋沢敬三著作集第2巻>(平凡社、1992)の原著は、戦前から戦時中にまとめられ、1959(昭和34)年に、日本学術振興会から刊行された、『明治前日本漁業技術史』の第一編として書かれた。
DVDROM平凡社世界大百科事典およびWikipediaによると、渋沢敬三1896―1963(明治29―昭和38) は、明治時代に第一銀行はじめ多くの銀行を創設するなど近代的金融・信用制度を打ち立て、ついで株式会社方式(合本主義といった)による近代企業の設立を精力的に推進して、「日本資本主義の父」とも呼ばれる渋沢栄一の孫である。
敬三は当初は動物学者を志し、旧制第二高等学校農科へ進学しようとしたが、栄一の長男であった父が家を捨てたため、敬三に期待する祖父栄一が第一銀行を継ぐよう懇願し、英法科に進学したという。東京帝国大学経済学部卒業後横浜正金銀行に入るが、のちに第一銀行に移り、副頭取を務める。日本銀行副総裁を経て1944年には総裁に就任し、第二次大戦後は幣原(しではら)喜重郎内閣の大蔵大臣となるなど経済界の指導者として活躍した。
一方、大学在学中から、柳田国男などの影響を受けて、文化の基層を、支配階級を除いたごく普通の庶民すなわち常民の文化に求め、とくに漁業関係の社会経済史料に注目した。1921(大正10)年、アチック・ミューゼアム(のち日本常民文化研究所と改称)を自邸の物置の2階に開設し(アチックとは屋根裏部屋の意味)、同好の士と民具や民俗資料の研究ならびに収集保存をはじめた。
著作集第2巻、巻末の二野瓶徳夫「解説 日本漁業史研究の先覚者」によると、1932(昭和7)年、病気療養のため、西伊豆三津に長期滞在したが、ここで偶然、内浦六カ村の漁民史料を発見。5年かけて整理『豆州内浦漁民史料』として刊行。渋沢は「常民文化に対する深い関心と愛情を」もっていた。その序のなかで「魚を釣るつもりでかえって古文書を釣り上げてしまった--」と書いている。
内浦漁民史料の発見を契機にアチック・ミューゼアムに漁業史研究室を特設し、十余名の研究員が毎日仕事をするようになった。戦前戦後を通じてわが国最大最強の漁業史研究室の創設であったという。 同巻所収の『日本魚名の研究』に取り組んだのは昭和10年ごろ。当時渋沢は第一銀行の常務取締役(7年から16年)だったが、毎日朝6時半から8時半まで出勤前に研究・作業をし2年間続けた。その結果は『日本魚名集覧』として昭和17年以降刊行。『日本魚名の研究』はその一部を補筆改訂したもの。『集覧』のなかで渋沢は、「もともと魚類学にも言語学にも全くの素人であり、僭越な感じは筆者自ら身にしみているが、昔から釣が好きで、また生物学に興味を持っていたので魚名を集めている内に、この魚も釣ったことがある、あの魚も見たことがある、と気がついてみると---我ながらシロウトとしては案外に旧知の間柄の魚の種類も多く、---一通りの集成ができてしまった」と書いている。動物が好きであるいは生物学に興味があっただけでなく、釣りが好きで魚に詳しかったことがよくわかる。
1934(昭和9)年、民族学協会(戦後)の前身、日本民族学会が設立された。渋沢ははじめから理事を務め、また学会附属研究所博物館のための土地を寄贈。これらの運営費はすべて渋沢が寄付。昭和20年から38年まで、1、2年を除き協会の理事長、会長を務めた。
序説の書き出しが非常に魅力的である。「装餌鉤〔そうじばり=餌を付けた針〕を糸につけて手に持ち、あるいは竿に結び、魚族を誘致かつ引っ掛け捕獲する釣漁技術の本質は、悠久なる歴史とともに渝(かわ)ることなく現代に至るまで一貫している。----その間、工業などに見るごとき発展段階を画すべき技術的躍進はさらに〔全然〕認められぬ。この長期にわたる技術の渋滞とも目すべき不変性の最大原因は、釣獲対象たる魚族を人々が、農工業における原料や栽培植物、畜産動物のごとくその意志によって自由に管理することの不可能に近いことにある。現代における養魚すら、畜産業に比し、いかに未発達幼稚であることか。その大部分は単なる蓄養にすぎず、品種改良のごときわずかに金魚や鯉など数種を除いてはほとんど発達しておらぬ。いわんや自然状態の魚族はいまだ人々がこれらを意のままに駆使するを得ぬ有様である。したがって釣漁技術は、極言すれば、歴史以前にすでに本質的に完成し、爾来一貫旧套を墨守して今日に至っていると称して過言ではない」。
つまり、釣りは悠久の昔に発明されたが、その技術の中心点ははじめから完成されている。というのは「自然状態における魚族」を入手し利用するために、餌ないし疑似餌を使って「誘致かつ引っ掛けて捕獲する」ほかに方法はないからである。こうして釣りは現在に至るまでほとんど変化はないというのである。
こうして、「わが国釣漁の歴史を技術史的に時代に分かち考究することは元来無理に属するが、もし強いて区分を設けるなら」と、有史以来徳川前期までの「原初的釣具時期」、徳川中期以後明治中期の終わりまでを「釣具細部改良時期」、それから現在までを「釣獲力拡大の時期」の三つの時代に区分する。
第一期は資料が極端に少なく、技術面を掴むのが困難で、第二期「徳川中期に入り、世の平穏、人口増加、都市の発達、経済および文化向上は一面、肉蛋白源としての魚族消費量増大をもたらしたためか、このころより釣漁記録はやや活発となった。これら資料に見る釣具は、その本質はなんら変化なきも、細部の改良考案が著しく目立ってくる。---絹麻等の釣糸への転用、テグスの輸入とその応用、鉛の錘への進出、鉄加工技術の鉤への影響、造船術の発達---沖釣船構造の改良、餌料においても、活餌運搬の工夫や油漬工餌等の創案などすべてこの時代の所産である。----活簀による活魚輸送や乾塩両貯蔵法ならびに水産物加工にも改良が加えられた」。
「世は明治に移った。しかし、---釣漁技術にかんしては---依然として徳川時代からの延長に過ぎなかった。---この状態は---今日までも同様であるといいえよう。ただ現代が前第二期と異なるところは、釣漁技術上間接の面において異常の発達を遂げたために生産力をとみに増進した点にある。船の航行力が機力化し出漁範囲を広め---たことや、漁獲処理が氷蔵、進んで冷凍による長期鮮度良好なる保存を可能ならしめたことなどは、釣獲力の異常な増大をもたらした。一例を現代のカツオ釣り船にとるに、ディーゼル機を備え極めて長距離を航行し、レーダー、発電機を装備、強力な冷蔵装置をしつらえ、海面への水の散布はポンプによるが、いざ、カツオを釣る段になると、竿の先に糸と鉤があってカツオの口にその鉤をかけることは古来一つも変わっていないのである。即ち、第三期を釣獲力拡大時期とした所以である」という。
20世紀半ばにこの論考が書かれたころにはほとんど養殖漁業は行われていなかったことは確かである。とはいえ、伊予銀行地域経済研究センター刊『愛媛の魚類養殖業』(1998)によれば、四国では、すでに昭和の初期1928年ごろ、香川県引田町で築堤式のブリの養殖が始められ、太平洋戦争中は中断されたが、戦後、1955年ごろから小割式生簀養殖が広がった。また、愛媛県では1961年ごろからブリの養殖が始まり、80年ごろから生産量が急増した。
また、マダイ養殖が70年ごろから始まり、人工種苗の生産技術が確立して安定した種苗の確保が可能になった、90年以降、愛媛では(ハマチ養殖から)マダイ養殖への転換が進んだという。
Web水産庁「養殖漁業の現状と課題」、Web「養殖ブリのページ」などによれば、最近では、ブリやマダイの生産量は養殖魚のほうが天然魚よりもはるかに多くなっており、2012年のブリは、天然物が39%、養殖物が61%、タイでは天然が30%、輸入天然物が3%、養殖物が67%である。(マダイは愛媛が全国一で、3万5千トンを超えており、2位の熊本の1万トンを大きく引き離している。)
日本における養殖漁業全体についてみると、(河川、湖沼での漁業を除く) 海面漁業において、生産量412万トンのうちの111万トン(27%)、生産額9700億円のうちの4100億円(42%)を養殖業が占めている。種類別にみると魚類は総生産量の7.2%を養殖が占め、貝類は51%を、海藻類は82%を養殖物が占めている。
やはり、「給餌」の必要がなく動かない、海藻や貝類が養殖しやすいのに比べ、魚類の場合には手間のかかることが養殖の割合が低い理由であろう。それにしても、マグロの完全養殖技術が開発されたようであるし、ウナギに関しても開発されつつあるようで、魚類における養殖の割合はすべての魚種で高まると考えられる。
明治期以降、20世紀前半までの「第三期」は「釣獲力拡大時期」と渋沢は特徴づけたが、それは電気や機械力を用いる原動機の発明、冷蔵・冷凍技術の発明などによる、航行力、輸送力の発達に支えられたもので、インフラ面での発達が主要因であった。この点は後でも触れるが、今後は、航行力・輸送力などの面での発達だけでなく、釣漁自体においても省力化・無人化のために、 IT化、ハイテク化、ロボット化などが進み、漁業全体の機械化が一層進むであろう。
だが、漁業の中で養殖による生産割合が高くなることは、漁業としての釣漁になにか影響を及ぼすことはあるだろうか。
直ちに思いつくことは、漁業としての釣りで省力化・無人化が進むと同時に、一本釣りそのものが漁業において衰退するのではないかということである。
水産庁・ホームページの「白書」中の「養殖業の経営」という箇所の統計によれば、1980年ごろには天然ブリと養殖ブリはほぼ同じ価格であった。その後、養殖物はキロ当たり800円くらいで最近まであまり変わっていないが、天然物はキロ200円くらいにまで次第に低下してきた。これは養殖ブリは供給が安定しているのにたいして、天然ブリは供給が不安定で、しかも漁獲量が増える傾向にあるためだという。
家串でハマチの曳釣りを半世紀近くもやってきた黒田本蔵さんは晩年「燃料代がでない」とこぼしていた。本蔵さんは2011年91歳で亡くなる直前まで曳釣りを続けていた。彼は曳釣りが好きだったのだと思う。彼の年齢が彼から彼の生と曳釣りを奪ったということになろうが、そうでなくても天然ブリの価格の下落が彼から曳釣りを奪うことになりつつあったのだ。
マダイは、天然物は生産量は横ばいであるが、1980年ごろには養殖物に比べて単価は倍(キロ2千円くらい)していたのに、最近ではほぼ同じ(7〜800円)になっている。それは、安価で供給量が多い養殖物の価格が基準となったためと考えられると白書は書いている。タイ釣りだけで生計を立てようとすれば、燃料代やエサ代を考えれば、1日10キロ、つまり2キロクラスを5匹、毎日釣らなければならない。ブリ釣りで生計を立てるよりはましかもしれないが、これも決して容易なことではない。おそらく漁師は副業をやるか、タイ釣りで生計を立てるのはやめることになるのではないだろうか。
このように養殖漁業が盛んになるに伴い、一本釣りの漁師が徐々に釣りから撤退することになると想像される。大部分の魚が養殖されるようになれば釣りを行う必要はなくなり、その技術の工夫や発明も必要なくなると考えられる。ということは釣漁の歴史、あるいは釣漁技術史はこれ以上発達することはなく、釣漁の歴史は終局に到達しつつあることを意味するだろうか。
渋沢がこの『釣漁技術史』の論考で資料としてもっとも多く参照し、引用しているのは、 徳川中期の1723(享保8)年、旗本であった津軽采女により書かれた『河羨録』である。
渋沢は、釣り竿の構造や製作を含め、釣りの六物に関して多くの事を『河羨録』から引用している。渋沢はとくにテグス(楓蚕という一種のヤママユガの絹糸腺から作られた糸)に関して、釣糸とは別に独立の章をもうけ詳しくのべている。ナイロン糸が普及するまで、釣糸には、葛藤(大物釣り)、麻糸、生糸などが使われ、江戸中期以降、テグスが最も優れた釣糸とされて来た。テグスは樟蚕、桑蚕、楓蚕など天蚕(野生の蚕)から作られ、とくに楓蚕から作られるテグスが優れていたが、楓蚕が日本には生息しないため、中国から輸入されており、高価で、漁民は用いることはなかった。『河羨録』の著者が体験に基づきつつ行った「精密な論考」などに触れながら、こうしたテグスの歴史について詳しく述べている。
また渋沢が江戸時代の資料としてしばしば触れている、『釣客伝』(文政から天保(1818−1844)に書かれた)の著者・黒田五柳 は商家の隠居と推定されている。
釣り具の研究や開発は、漁民や漁具製造職人によってだけ行われてきたのではなく、経済的に余裕のある遊漁者たちによっても行われてきた。そして、今後は釣り(とくに直接技法的釣漁)から本職の漁師が撤退することがあっても、遊漁者がいなくなるということは考えられないどころか、遊びとしての釣りはますます盛んになる可能性は十分にある。実際、細くて強いPE糸、コンピュータ制御されたリール、あるいは軽くで丈夫なカーボン竿などは遊漁者の要求にこたえるために開発されたのではなかろうか。もしそうだとすれば、一本釣りを専門に行う漁業者が経済的な理由からいなくなることがあっても、釣漁技術の発展は今後も続くと思われ、「釣漁技術の歴史」が終局を迎えるということはないと考えられる。
釣り具の基本的要素とされている、釣の六物とは、鉤、糸、竿、餌、オモリ、ウキをいう。しかし、「必須の条件は鉤と糸であり、なかんずく鉤がその中枢をなす」という。「全く一つの仮説にすぎない」と断りつつ、竿の先につけたアグのあるヤスで魚を突いて引き寄せるように、突くのを省略して、竿の先につけた曲がった鉤で引っ掛けて引き寄せることもできる。実際に「現に各地に見る、覗き釣り、うなぎの曲鉤や穴釣り、アイヌの川岸より用うる鮭の曲鉤竿のごときその実例である。しかし、竿の長さには限度があり、竿で届かぬ距離や深度にある魚族を捕らえんとするとき、ここに初めて竿に代わる糸をもってする考案が成立したとは見られまいか」。〔アグは釣鉤の場合には、地方により、アゴ、カエリ、カカリ、モドリなどとも言い、鉤の先端、内側についていて、鉤先と逆方向にとがった小部分を指す。これによって針に掛った魚がはずれにくくなる。しかしカツオの一本釣りなどでは、針から魚を外す手間を省くために、アグあるいはカエリのない針を用いており、掛けた魚を後方に跳ね上げ、すぐに竿を前に振り戻すと、魚は外れ船内に落ちるようにしてある。〕
「そして後に、その糸も次第に細く強いものに改良され、オモリやウキが考案されて、船の使用が不自由なる時に岸辺からの釣漁に機動性を付与するために、竿が前述の竿とは別の意味で第二次的に出現したとは見られまいか」。「釣りの六物は後世から見れば確かに釣り具の要素たることは否定できぬが、その根幹は鉤にあり、他はすべてある序次に従い続成発展したとみるべきであろう。要するに、釣具の本質はどこまでも水中の魚族を引っ掛けて手元にもたらす一点にあり、といえるであろう」。 ここには従来の定説にとらわれない自由な発想、歴史を論理的な思考に基づいて捉える姿勢が明確に表れており、糸に先立つ(第一次の)竿という独創的な説は極めて興味深い。
漁場の選定、時季、水況判断などは前提たる技能である。「魚族が釣り上げられる場合を見るに、鉤〔ハリ〕先に魚信があって、それを竿なり糸なりを通じて釣師の手に感得した瞬間、魚族の大小、求餌当時の情勢また餌料の種類に従い、「合わせ」の手心などはそれぞれ異なるものの、ここに習熟せる技能を発揮して目的物を釣り上げ終わるのである。この場合の労作は全部、釣師自身の身についた技能が直接作業具たる釣具を駆使してなされるので、自然、一本釣りにおいては釣漁時間中、釣師は終始釣具から離れられぬを原則とする」。
次に延縄について述べる。「漁場の選定、時季、水況判断、装餌法などは一本釣りと等しく前提たるべき技能によるも、魚族が鉤に懸かる際にはその場所に釣師は居合わせぬが普通であり魚族は自ら鉤を呑むので釣師の技能はなんら直接的に関与しない。すなわち、延縄を投下せるのち釣師はその漁場を離れ、あるいは他の作業に従事し、あるいは船上にまたは家に帰って休養をとっていても少しも差し支えない」。
こうして「一本釣りなどは直接技能釣漁法に、延縄などは間接技能釣漁法に属するといえる。この技能関与の直接間接は釣漁技術の根本的差異を示すものである」と渋沢は言う。
延縄では魚を針に掛ける「合わせ」を行う必要がない。しかし、その仕掛けの製作、設置、装餌、などの漁法技術が必要である。仕掛けを設置後、漁師/釣り人は釣糸から離れるが、魚を鉤に掛けることにおいて間接的に技能を行使しているのである。ではなぜ、釣り具/釣糸から離れるのか。家に帰って休養するためあるいは副業を行うためではない。おそらく漁師は次の漁のために、道具/仕掛けを整備し、餌を用意するなどの作業を行うであろう。魚が針に掛かるまで待つ時間をほかの仕事に充当するのである。
渋沢は「座繰ザグリから機械製糸へ、地機ジバタから織機へ進歩せると同様な、器具使用とその管理体制の進展が一応類推される。しかし釣漁においては右工業のごとき場合と異なり、全部がこの法則どおりにはゆかない。必ずしも延縄釣が一本釣に代位しうることを許さない。それは魚族の種類とその習性に自然的制約があるがためである。たとえば、---カツオやイカの如き、延縄は適せず、かえって一本釣りの方が漁効も大で立派な産業を古来成立せしめている。ゆえにこの両者の技術的価値は古くより今に至るまで併置さるべく、その発生序次も必ずしも系列的には論じ得ない。しかし、一応の一般論として、延縄の記載もすでに古く『古事記』にも見られ、悠久の歴史を持つが、釣漁はまず、一本釣りに始まり、これに代わって漁効を高めんとした努力が可能な範囲に延縄を発展せしめたと見るが妥当であろう」。こう渋沢は言う。
このように、すべての釣漁法をまず最初に「直接技能的漁法」と「間接技能的漁法」とに大きく分けてから、それぞれの中でさらに、鉤を用いる有鉤〔ユウコウ〕釣とそうでない無鉤釣(例えばウナギの釣り方の中にはドバミミズを糸で縛っただけで、鉤を用いずに釣る釣り方がある)に分け、有鉤釣を直鉤釣と曲鉤釣へと次々と区分していく。また「直接」、「間接」の漁法のそれぞれは、竿釣りと手釣りに分けられ、竿釣は、@錘を使う「有錘竿釣」、A錘を使わない「無錘竿釣」、Bテンビンを使う「天秤竿釣」に分けられ、@はさらに鉤に関して、ア.単錘〔単純な錘を使い一本針仕掛け〕、イ.鉤錘(テンヤとも呼ばれ、オモリの下に軸の長い針がついたもの、マダイ釣りなどで用いる)、ウ.群鉤(軸の周囲に菊の花のように小さな針がたくさんもついているもの。イカ釣、ボラ釣など引っ掛け釣りに用いる)に分けられ、Aも二種類の下位区分をもつ。手釣りも、同様に、@有錘手釣、A無錘手釣、B天秤手釣に区分され、さらにそのそれぞれが下位区分を持つ。等々。
「直接技能的漁法」について、上の分類を行ったのに続き、「間接技能的漁法」に関して同様の分類を行っていく。この漁法は間接一本釣りと延縄釣りに大別され、前者は置鉤と疾走引縄とに細別される。後に私が述べることとの関連で置鉤についてここでふれる。相当数の竿一本ずつに糸・鉤をつけ装餌し、川や湖など浅い水深の釣り場に立てて置き、ある時間、時には翌朝まで放置して魚が釣れるのを待つ釣りが「竿置鉤」でウナギ釣りなどに用いられる。
竿は使わず、糸を岸の木石に結んで魚を待つのは「糸置鉤」である。また釣り具を樽や太い木
のウキに結んで水中に放置するものを「浮置鉤」という。
以上、第三章までの漁法に関する渋沢の解説の概略を紹介した。
そのあとの第四章から最後の第十一章までは釣りに必要な要素、「釣りの六物」およびテンビンなどについての史的考察と解説であるが、(2)で行う私の議論に直接に関連のあるかぎり、引用あるいは参照するにとどめ、その逐次的紹介は省略した。
イカ釣り漁船は現在ではコンピュータ制御の全自動イカ釣り機、つまりロボットを使ってイカを釣っている。わたしがYouTubeで見た動画では、仕掛けを投入したり巻き上げたりする機械・ロボットが(片側だけで)14基、一本の仕掛けに針が27本。別な動画では(船の前側半分)両側に6本の仕掛けがあって、釣りあげられたイカを集めて箱に入れる作業を行う人員は一人であった。釣りは「全自動」で行なわれ、乗組員は(機械に不具合が生じない限り)釣り具/仕掛けには指一本触れないはずである。船を動かし中央の制御を行う船長と、イカを箱に入れる単純な作業だけを行う2、3人の乗組員とだけで、漁がおこなわれており、高い「漁効」があげられていることは確かだと思われる。
遊びの釣りにおいても、イカ針(イカ角)を一本だけ用いるアオリイカを別として、ヤリイカもスルメイカも複数(5本から10本。『イカ・タコ 釣り読本』<週間釣りサンデー別冊>2003)のイカヅノをつけた仕掛けで釣っている。リールにも「シャクリ機能」などの備わったものが用いられているようだ。延縄が「一本釣りを数多集合せしめた釣り具」と定義される限り、遊漁船のイカ釣りも延縄仕掛け、つまり「間接技能的漁法」で行なわれている。職漁船との違いは無人化がなされていない点だ。
またカツオの一本釣りにおいても、以前からロボット化の研究が行なわれている。カツオの一本釣りは大変な重労働で人手集めが難しいという。産業界にロボット利用が広がり、高度な動作のできるロボット開発も最近急速に進んでいるようだ。近いうちに、カツオの一本釣りもロボットによって行われるだろうと予測することが十分に可能だ。
魚の種類によって違いはあるが、延縄漁の目的は「漁効」をあげることである。「漁効」の高低は最終的には、船の燃料代や人件費を差し引いて決まる。漁業が資本主義経済の原則にしたがって営まれ、「漁効」が追求される限り、省力化・無人化の進展は必然であろう。渋沢はカツオやイカの場合には、一本釣りがその習性に合わず、延縄釣りは適していないと考え、それらを技術史的法則の例外とした。しかし、現時点で考えれば、彼の漁業史の把握は基本的に全く正確なものだった、と言える。
渋沢は「漁効」すなわち生産量と「省力化」の発展という技術史的観点に立ち、釣りにおいて個人の技能の占める割合と、社会・産業の発展にともなう道具、用具の介在・関与の度合いによって、釣漁法を直接的釣漁法と間接的釣漁法の二つに分けていた。
直接的漁法とは、釣り師あるいは漁師が常に釣り糸(あるいは釣り竿)をもっており、仕掛け(あるいは漁具)から離れることなく、当たりがあったときに、自らの技能によって魚を針に掛けて釣る釣りであり、間接的漁法とは、魚が自ら針を呑んで針に掛かるような釣りであって、釣り師が魚を針に掛ける動作、すなわち合わせを行う必要のない釣りある。したがってまた、間接漁法とは、仕掛けを投入した後、釣り師あるいは漁師が仕掛けから離れて、ほかの作業をしていることも休養していることもできる、そのような釣りである。漁効ないし釣果から言えば、(同じ魚で両方の釣り方が可能であれば)延縄のように多数の針のついた仕掛けを用いることができる間接漁法が直接漁法よりも有利であると言えそうである。また、釣りを生業として行うのであれば、時間の有効利用という点からも、間接漁法が断然有利であることになる。
渋沢が言う直接漁法とは、わたしが考察する遊びとしての釣りの場合には、釣り人が、竿であれ糸であれ、魚信=当たりを取り、合わせて魚を針掛りさせて釣る方法であり、間接漁法とは、置き針(置き竿)にして、擬餌針を使うのであれ刺し餌を用いるのであれ、魚が自ら針を呑んで掛かるのを待つ釣り、つまり向こう合わせで釣る釣り方である。「置き針」は上で渋沢が言っていた「置鉤」とは少し違う。このことは後でふれる。
そして、わたしがこれから述べようと思う、マキコボシ釣り、フカセ釣り(ウキ釣り)、フライ・フィッシング、イシダイ釣りなどは、当たりを取って合わせる釣りであるのに対して、初心者が防波堤などでおこなっているふつうのサビキ釣り、中級以上の人が沖で行うビシ釣り、ジギング、曳釣り(トローリング)などは、魚が餌のついた針、あるいは擬餌針をのみ込んで自分から針に掛かる「向こう合わせ」の釣りで、それぞれ直接的漁法と間接的漁法に対応している。
一般的には、漁具に「居合わせて」釣る釣り、つまり「直接的漁法」は「合わせて」釣る釣りであり、漁具から離れて釣る、無人化・省力化を可能にする「間接的漁法」は「向こう合わせ」の釣りである。漁業としての釣りは、カツオの一本釣りのような直接的漁法は次第に減り、延縄釣りへと変化・発展するのが技術史的法則だと渋沢は言う。これはもっともだと言える。
釣りには時合というものがある。つまり魚の食いが活発になる時間がありそれを外せば仕掛けをいくら入れても魚は釣れない。だから、一定時間に集中して多くの仕掛け(多数の針)を投入する必要がある。他方、船に乗っている釣り手の数は決まっており一定時間内に仕掛けを投入できる回数に限界があるとともに、それを操作し、「合わせ」、魚を針に掛ける作業の回数にも制限がある。そこで、一回の出船当たり最大の漁効を揚げようとすれば、漁具/釣り具に人が「居合わせず」に魚を掛けることのできる「向こう合わせ」の釣り、一度の仕掛けの投入で何匹もの魚を掛けることのできる延縄仕掛けの採用、つまり無人化・省力化が追求されることになる。漁業においては、釣る作業あるいは釣りの労働は目的ではなく、漁獲を得るための手段である。目的は最大限の漁獲を得ることにある。そこで「漁効」をあげるという要請から出発して、必然的に無人化・省力化、あるいは間接的漁法化が進むことになると思われる。
渋沢は基本的には、漁業としての、つまり遊びではないものとしての釣りについて書いている。したがって、彼の論考においては「漁効」つまり漁獲高の大小と「無人化/省力化」の程度が主要な関心事になっている。他方、遊びの釣りにおいては、「釣りをすること」自体が重要で、釣果である獲物を手に入れることは二の次だとも考えら、「無人化」や「省力化」は遊びとしての釣りの目的に反することだと言えなくもない。遊びの釣りでは釣り人が自分で仕掛けを投入し、(合わせて釣るか向こう合わせで釣るかはひとまずおくとして)魚がそれを食って針に掛かったときに、そこ―その瞬間、その釣り具のある場所―に「居合わせ」、手に持った糸、あるいは竿を操作して魚を引き寄せて、抜きあげるか玉網で掬うかして、魚を取り込むのでなければならない。釣り人は釣り具に「居合わせ」て、つまり糸/竿を持ち魚の抵抗をかわしつつ魚を寄せることによって「魚を釣る」のであり、それは釣りあげられた後の魚に手で触れてみることとは別のことである。
太平洋戦争前の詩人で釣り人の佐藤惣之助は『釣心、魚心』のなかで次のように書いている。「魚がかかって、ググと来たり、ツツンと上がってくる瞬間の法悦境、そのアタリと魚をまったく掌中のものとしてしまうまでの何秒間、それが釣技の深奥の目的であり陶酔境なのである。いざ大物が来て、ググと引き上げに苦心している最中というものは、何物にも換え難い。よく人は魚のかかった竿を、傍の人が一刻持たしくれといっても、千金に換えても持たせられぬというが、あれは本当だ」。魚を釣るということは、魚の掛かっている釣り糸あるいは竿を自分で持って釣ることである。糸あるいは竿に魚が掛かった時、そこに「居合わせ」なければ釣り人は釣ったことにならないのである。
もちろん、釣り人は(ふだん、あまり釣れないせいでもあるが)釣行に際してはできるだけ大きな「釣果」を上げたいと考えている。釣り人は「釣りを行う」だけでなく、獲物も手に入れたいのであり、できるだけ高い「漁効」を求める。そして、もともと無人化や省力化は漁効を高めるために求められるものである。そこで、後者が「釣りをすること」の面白さを減らすことなくあるいは面白さを減らす程度が小さくかつ漁効を高めることである限りで、遊びの釣りにおいても省力化・無人化は追求されることになる。
最近はYouTubeの動画などで、誰でも簡単に カツオ漁船の釣りの様子を見ることができる。渋沢が言う直接的漁法の典型であるカツオの一本釣りでは、釣り手(釣り人とは呼びにくい)は、竿をふるって擬餌針を海中に投入し、カツオが針に掛かると同時に竿の弾力を利用しつつ腕と腰を使って5キロあるいはそれ以上の重量の魚を後ろへ跳ね上げるようにして取り込む(針には‘かかり’がないため、竿を返すと魚は一人でに針から外れる)。これを何十回も時にはおそらく百回以上も繰り返す。これは大変な重労働で釣り手を集めることが難しいという。近い将来のロボット化は必然と思われる。
他方、素人の釣り客に一本釣りでカツオを釣らせる遊漁船もある。出港してから船が魚でいっぱいになるまで魚群を追いかけ何日も機械的な労働を続けなければならない漁船の乗組員とは違い、日帰りの遊漁船で釣る釣り人は途中で疲れれば休むこともでき、釣り具に「居合わせ」自分の腕で大型の魚を一匹一匹釣りあげる(そして10匹も釣れば十分に満足するだろう)カツオの一本釣りは格闘技的な面白さを備えた遊びの釣りとして十分に楽しめると思われる。
これに対して、渋沢によれば、延縄釣りは漁具に「居合わせない釣り」である。例えば、現代の遠洋マグロ延縄漁では、1日1回、約3,000本の枝縄と釣り針のついた 全長100〜150kmもの長さの仕掛けの全体を、その針に餌をつけながら4〜5時間かけて投入(投縄)し、3〜4時間の「縄待ちを」した後、ウィンチで縄を上げる(揚縄)が、これに10〜15時間かかるという。(漁具機材メーカー、HUJIKIZAIのホームページによる。)
マグロの延縄漁では、投縄後は揚縄まで、釣り人(船員)は休憩したりほかの作業を行ったりしていて、魚は縄待ちの間のある時にどこか100kmも離れた遠くで針に掛かかるのであり、乗組員が延縄の一方の端に船上でふれていたとしても、きまった時間まではその縄に何もしないのだから、渋沢が言うような意味で漁具に「居合わせ」ているとは言えないであろうし、また「幹縄」を巻き、掛かったマグロを船まで引き寄せた後は、傷つけないように乗組員が数人がかりで長いギャフなどを用いて引き上げるが、しかし彼らの「腕で釣った」とは誰も考えないであろう。そして、このような釣りを遊びとして行うことがあろうとは思われないが、行なったとしても、釣りをして楽しんだとは感じられないだろう。
あるWebサイトによると、マグロ延縄の幹縄にはブイがついていてほぼ海面にあり、針のついている枝縄の長さは20〜30mで、漁は大洋のど真ん中、つまり深い海でおこなわれるので、この延縄仕掛けは、海の表面に浮いている。したがって、これは浮延縄である。
他方、トラフグなどはふだん海底にいるので「底延縄」で獲る。フグ延縄漁では、ウキとオモリで幹縄を海底近くに張り、幹縄から垂らした枝針がほぼ底に来るようになっている。Webのある記事では4ヒロごとに針を着け、全長が4〜5kmという仕掛けもあり、また14kmという仕掛けもある。マグロの延縄とはケタが違うが、それでも大変長い。ただしカラスフグは別で、これを「浮はえ縄」で獲っている地域もある。また、フグは5〜6月の産卵シーズンには海底からあがってくるので、定置網で獲る、ともいう。
京都府沖合(100m以浅)で盛んにおこなわれているアマダイの延縄漁は、京都府海洋センター、ホームページの図によれば、針は底に這わせている。仕掛けの全長は8kmから12kmである。
由良半島の南側、魚神山の湾や、エビス崎から塩子島にかけての家串湾の出口付近はところどころにちょっとした根が混じる砂泥底であり、アマダイ、イトヨリなどが釣れる。右図を参照。
家串湾出口には時々漁師がやってきて4百メートルか5百メートルの長さの仕掛けを入れて延縄漁をやる。針の数は100本程度だろうか。幹縄の端には目印のブイが付いているが途中にはウキが付いておらず、一方の端から順に沈めているので、これは底延縄である。しかし、トラギスの仲間のような小魚が数匹ついているだけでアマダイやイトヨリがついているのを見たことがない。船は湾口で昼時を挟んで数時間、何もせずただ待っているだけのようであった。
他方、私は、魚神山や家串の湾で、時々シーアンカーを使った流し釣りで、アマダイ、イトヨリを狙う。最近はアマダイは釣れないが、イトヨリはポチポチ釣れる。この釣りは、当たりがあったら竿を立てるだけで針がかりをするのでほとんど技術はいらないが、竿を持ちリールを巻く(道具に「居合わせる」)直接漁法である。この小さな湾の中では、私の直接漁法のほうが「漁効」が高いようだ。
延縄釣りは基本的に、漁師/釣り人が釣り具に「居合わせ」ない釣りで、漁業者によって行なわれている。だが、釣人が見ていない時に離れたところで魚が掛かかり、後になって取り込むのだとしても、様々な「居合わせなさ」があり、その程度によっては遊びの釣りになるものもあると思われる。
数年前までハマチの曳釣り(トローリング)をやっていた地元の漁師・黒田本蔵さんから聞いたところでは、50年くらい前までは流れのはやい豊後水道で、小魚を針に刺した延縄仕掛けを流してハマチを釣っていたという。渋沢はこのような漁法を「流(ナガシ)延縄」と呼んでいる。この仕掛けを何本か流し、そこにつけた目印の旗がすっかりみえなくなってから、何キロも潮下に下って仕掛けを回収するのだという。(このころまで漁船が使っていたのは出力の小さい焼玉エンジンで、船の速度はひどく遅かった。「焼玉エンジン」ウィキペディア。)
こうした延縄では潮の流れが刺し餌を魚の群れに運んでくれるのを待つことになる。そして、いったん流した延縄は進路を変えられないが、魚の群れは予想とは違った動きをするかもしれない。
1960年代になると、ディーゼルエンジンを搭載し走航速度の速い漁船が普及する。そして、「流し延縄」に代わって、一本の長い延縄を‘速度の出る’船で曳いて走り、魚の群れの中に直接、刺し餌ないし疑似餌を運ぶのが曳釣り(トローリング)である。船は自由に進路を変え、魚の群れのいる場所を探ることができる。魚のいるところがわかれば、潮流を下ったり遡ったりあるいは横切たりして、繰り返しその場所を曳くことができ、こちらの方がはるかに「漁効」が高いはずである。こうした理由で「流し延縄」漁は船で曳く「延縄」つまりトローリングに取って代わられたのだと思われる。
黒田さんの曳釣り仕掛けには20本を超える針が付いていた。多数の針が付いている点では延縄仕掛けと同じである。違うのはこの仕掛けを船に乗った漁師が手で持っている(「居合わせている」)点であり、長く重い仕掛けは「合わせる」ことはできないが、合わせる必要もなく、魚は向こう合わせで掛かる。ハマチは生きて泳いでいる小魚やイカ(あるいはそれに似た擬餌針)を追いかけて食う習性があるからである。常に、あるいは必ずしも、手に持っている必要はなく、船内の適当な箇所に、そのロープ(縄)を掛けておくこともできる。
渋沢の分類に「間接技能一本釣り」という漁法があり、置鉤と疾走引縄がこれに属するとしている。置鉤に定置置鉤と浮置鉤がある。
竿を使った定置置き鉤とは「相当数の竿一本ずつに、糸・鉤をつけ装餌し浅水底に立て置き、ある時間、時には翌朝まで放置し」その後、掛かっている魚を取り込む。竿を使わず、道糸/縄の端を川岸の木石などに結んでおくこともある。
また、縄を浮樽などに結んで水中に放置し浮流させるのが浮置鉤でブリ、ヒラマサなど大型浮魚がこの仕掛けで獲られたという。
他方、釣り具を疾走する船で曳航する釣りを疾走引縄と呼ぶ。釣師はこの場合多く釣糸を船上の棒または竿に結び、魚族がまったく鉤を呑んでからこれを手繰りあげるので、直接的技能の要点たる「合わせ」に関与しない。「船と釣り具をともに疾走せしめつつ、魚が掛かるまではこれに手を下すことなきを疾走引縄という」。
疾走引縄も、船のどこかに縄を結び付けて走り、漁師は魚がかかるまで「手を下さない」のだから、一種の置鉤であろう。水の動かないところに設置するのが定置置鉤で、潮に任せて流すのが流し置鉤だとすれば、疾走引縄は疾走置鉤と呼んでいいはずである。この「疾走引縄」は確かに道糸/縄を船で曳くから曳縄なのだろうが、鉤は縄に「置かれ」ていて魚が掛かるまで「手を下さない」という点では、置鉤と同じであり、だからこそ、置鉤とともに「間接的技能一本釣り」に属するものとされているのだろう。
渋沢は「疾走引縄」が大型浮魚を対象とする、と述べた後、「もっともこの種の曳縄をもし終始、釣り手が手に持つ時は直接技能的漁に属するが、疾走中多くは舷側に糸を留めおく形式を採り、間接技能に属せしめて差し支えない」とも言っている。つまり、渋沢はこの疾走引縄を、実際「多く」の場合、「舷側に糸を留めおく形式を採」っているので、「間接技能一本釣り」に分類するが、もし、釣り手が終始道糸/縄を手でもっていれば、「直接技能的漁法」に属するという。だが、渋沢は、仕掛けを疾走によって曳くときには、終始手で持って曳く場合と、「舷側に糸を留めおく/棒や竿に結んでおく」場合とどう違うのかについて、説明していない。手で持っていても何も技能を行使しないのであれば、手は単に棒の代りになっているだけで「直接技能的漁法」とは言えないであろう。
ブリやヒラマサなどは現代では曳釣り(トローリング)で、あるいはジギングなどで釣るが、餌のついた針あるいは擬餌針が「疾走」すれば、これらの魚は、向こう合わせで針がかりするので、釣り人は魚を針に掛けるための「合わせ」の技能を行使する必要はない。だから、疾走引縄は向こう合わせの釣りであるという点では、縄(ロープ)を手で持っていても棒に結んでおいても同じであり、したがって「間接」か「直接」かという区別は意味を持たない。しかし、いずれにせよ、合わせを行わない釣りはすべて間接技能的漁法だと定義するなら、疾走引縄は疾走置鉤であり、「間接技能」に分類されることになろう。
しかし同じように疑似針を「疾走」させるることにより魚に食いつかせ、基本的に向こう合わせで魚を掛ける釣りであっても、竿あるいは道糸を手で持つか持たないかで違う場合もある。ジギングではジグの曳き方にショート・ジャークとロング・ジャークの2つの基本パターンがあり、さらにスローか、ジャカジャカ巻きかなどいくつかのパターンに枝分かれする。そして、季節により、食っているベイト(餌の魚)の種類ごとに、ジャーク・パターンを変える。そして、ジグの曳き方によって釣果ははっきり違う。前掲古谷秀之『ジギング ショック!』
曳釣り(トローリング)でも、黒田本蔵さんは常に道糸(ロープ)を手に持って曳いていた。そして針につけるイカが生きているか死んでいるか、あるいはタコ・ベイトなのかで違ったと思われる(生きているイカでは何もしなくてもよく釣れる)が、手で持った道糸を前に引いたり戻したりしながら船を走らせるのである。古谷は「イカの動き〔泳ぎ方〕がスロー・ジャークのジグの動きに似ている」と言っているが、イカはスーッと進んだらいったん止まりまたスーッと進む。スロージャークはそのようなジグの引き方なのであろう。本蔵さんの道糸の動かし方はスロージャークと同様の動きを枝針についた(死んだ)イカの餌ないしタコベイトに与えるためのものだったと思われる。
このように、ジギングでも曳釣りでも、針の曳き方によって、釣果が違うと考えられる。直接漁法における技能には、合わせ以外の技能がある。 渋沢は「漁場の選定、時季、水況判断」を「前提たる技能」とし、続いて直ちに「針先に魚信があって、それを竿なり糸なりを通じて釣り師の手に感得したる瞬間、魚族の大小、求餌当時の情勢または餌料の種類に従い、「合わせ」の手心などはそれぞれ異なるものの、ここに習熟せる技能を発揮して目的物を釣り上げ終わる」と言っていた。この箇所では、「前提たる技能の」のほかには、魚信(当たり)を「感得」した後の「技能」、つまり「合わせ」についてしか言及していない。
他方、第4章の「釣鉤」の中で擬餌鉤について考察した箇所では、鉤の形状や色彩などについて述べるだけでなく「釣漁の実際に当たり、真餌と見紛うように動作を模し、あるいは特に食欲を唆らしむるごとく特殊な技法を凝らしている」と書いている。
しかし、魚の食欲をそそることが必要であるのは「擬餌針」の場合に限らない。例えば、マダイのテンヤ釣りでは「真餌」のエビを付けるが、エビの泳ぎ方に似せてテンヤをしゃくり上げたり沈めたりするのだろうということは十分に想像できるし、またグレのふかせ釣りにおいては撒き餌(コマセ)と仕掛け(刺し餌)が一致するように、仕掛けを引っ張り、またマキエの「追い打ち」を行うという(「宇和海の釣技」『宇和海の磯』フィッシングプレス刊、平成4年)。「真餌」を用いる釣りにおいても、魚を刺し餌に「誘致」することができるかどうかは釣果に大きな差をもたらす。
私の経験では、タイやアジを釣っているときに、(弱い)当たりは出るがなかなかはっきりした当たりがでない、あるいは食い込まないときに、針をわずかに上げたり下げたりする(「聴く」、あるいは「誘う」というようだ)とガツンと食ってくるという場合が時々ある。これも魚の食欲をそそり、「食わせる」技能の一種と言えるだろう。
魚が食った時に合わせる技術は重要であるが、「真餌」を使った釣りでも、魚の食欲を唆って刺し餌「食わせる」技術は、同じように重要である。
さて、話を流し延縄とトローリングに戻そう。ハマチの「流し延縄」は本職の漁師がかつて行なっていた釣りであるが、少し形を変えれば十分に遊びとしても行なうことができる。実際、わたしは地元の友人源さんを誘って由良の鼻に行き何度か一緒に釣りをしたが、あるとき彼は自分の竿とリールなどの釣り道具のほかに、ブイのついた泳がせ釣りの仕掛けをもっていったことがある。泳がせ釣りは、餌の小アジなどの魚(生きているほうが食いはいいが生きてなくてもよい)の口あるいは背に針を刺して「泳がせ」ておく釣りである。
由良の鼻は大猿島と小猿島の間が半径700mほどの湾になっていて、外には豊後水道の本流が流れているが、この湾内は潮流が緩い。ここで目印の旗をつけ泳がせ仕掛けを海中に投入、「流し」ておいて、それとは別のところで船からの釣りを行ない、後で、この仕掛けを引き上げると源さんはいう。
以前わたしが主に竿を使ったビシ釣りを行っていた頃のことで、私は自分の釣りにしか注意を払っていなかったが、源さんは時々その旗の動きにも注意をしていたようで、旗が揺れブイが沈んだり浮いたりしたので食ったようだという。アンカーを打って船を掛けていたのですぐには動けず、一区切りついたところでアンカーを上げて移動し、ブイを回収するとエサのアジがかじられて半分なくなっていた。
この仕掛けは針が一本だけだったので本来の意味では延縄ではない。しかし仕掛けを海に投入しておいて時間が経ってから仕掛けを回収するという、延縄釣りの要素を含んでいる。このころは「自分の竿で釣る」という「直接漁法」にこだわっていたため、源さんの「一本針延縄」仕掛けを再度一緒にやってみることはなかった。だが、船の方は掛かり釣りでなく、流し釣りにして、この一本針の「流し延縄」仕掛けを複数個投入して、順に揚げてみるという、釣りを楽しむことも十分考えられる。(針を複数にするとハマチなど大型魚を取り込むときに危険が生じる場合があることは「ハマチの曳釣り」の項で書いている。)
渋沢の「置鉤」概念は上で見た。しかし、少し違ったしかたの置鉤が以前からあったようだし、またその置鉤は「無人化」を可能にするが必ずしも「漁効」の追求という産業的観点から始められたのではないとも思われる。
第三部第3章「遊び」第2節「幸田露伴における遊びと仕事」の中で書いたように、露伴は、スズキ釣りについて語りつつ「脈鈴」の使い方を説明しているが、これは置き針によって釣りを休む方法である。当時、スズキ釣りは竿を使わず、道糸を二本指で持って当たりを待った。「脈鈴」とは鯨のひげの先に鈴をつけたものを言い、鯨のひげを舟の縁に錐を刺して立て、これに釣糸をかけておく。魚が掛かるとヒゲがゆれ、鈴がなって知らせてくれる。脈鈴は仕掛けあるいは糸から離れることを可能にする方法で、渋沢がいう「置鉤」の一種である。しかし脈鈴は、当時行われていたスズキ釣りでは、漁効を高めるための方法ではなかったし、「他の作業に従事し、あるいは----休養を取る」ための方法だったのでもない。
露伴の脈鈴を使った置き針は、詩を詠んだり、酒を飲むなどしながら周囲の自然を楽しむための方法だった。彼にとって(スズキ)釣りは魚を釣ることが目的だったというよりも、自然を楽しみ、自然の中で歌を詠んで楽しむことを主目的とするものだった。(といっても、鈴がなれば、直ちに彼は糸を持つのだが。)「歌を詠む」ことは、釣りに必要な他の作業を行うことでもまた釣りの労働を一時休んで休養を取ることでもない。
私も、マキコボシ釣りをやっていて、たとえば、カッパの上着を着たり脱いだりするとき、あるいはおにぎりを食べたりするときなど、ごく短時間ながら、道糸を石に数回巻きつけて、デッキの上に置いておくことがある。そして時に魚が食って、石の重みで「合わせ」が効いて、針掛りすることもある。これは明らかに一種の「置き針」である。この場合釣り人は短時間の間、釣り糸から手を離し、他の必要なことを行う。それは釣りに必要な「他の作業に従事する」ことである。だが、それは「漁効の増進」をもたらすものではもちろんない。
置き針が、遊びにおいても漁効を追求する方法となることがある。田子湾のボート店主斉藤さんは、昭和50年ごろ、蒔きこぼし釣りをやるときに、仕掛けを3つ出し、「丸枠の穴に石を入れて置いておくと、〔魚が掛かって〕ガラガラと音をたてて糸が引き出され」たと言っている(『釣れる!!海のボート釣り』つり情報編集部編、平成16年)。彼は仕掛けの一つは手で持って釣っているが、あとの二つは「置き針」によって釣っており、この斉藤さんの場合には、明白に「漁効を高め」ていると言える。彼は漁師ではなく、ボート店経営が職業で、彼の釣りは遊びである。だが遊びの釣りにおいても、部分的には、自分で合わせずに釣る「置き針」によって、漁効を高めようとすることは行われる。
渋沢が「釣漁技術史」を書いた20世紀前半の日本では、リールは、金持ちのごく少数の遊漁者を別として、釣り道具として使われていなかった。防波堤や川で釣る場合のように水深が浅いところでは、リールを使わず、竿先に竿の長さをあまり超えない長さの道糸を結んで釣る、延べ竿による釣りができる。しかし、水深が深くなれば、リールなしで竿を使う釣りはできない。(カツオのように海面近くで釣る場合は別である。)したがって、海(沖)で釣る場合には、一般に、20世紀前半までは竿は使われていなかった。それゆえ、「置き竿」は行なわれず、「置き鉤」だけが可能だった。
子どもと一緒にゼンゴ(小アジ)やイワシあるいは小メジナを「遊びで」釣ろうというなら別だが、釣り好きで、ある程度以上の大きさのアジ、イサギ、あるいはマダイなどを釣ることを目標にして釣りに出かける場合、釣りは本業としてやっているのではなく「遊び」なのだから「漁効」の追求は必要ない、つまり、どうしても釣らなければならないわけではないし、またたくさん釣らなければならないわけではない、などと考える人はほとんどいないと思われる。たいてい、(「漁効」を高めるために)毎回の釣りで、仕掛け、ないし竿を一本だけでなく、2本、あるいは3本出して、釣れるチャンスを大きくし、なんとか釣ろうとする。ハゼ釣り名人などの中には両手に一本ずつ竿を持って釣る人もいるようだが、普通は一本を持ち竿にし、他方は(竿掛けに掛けて)置き竿にする。あるいはかわるがわる竿を持ち、餌の付け替えを行うなどする。置き竿を含め、複数の竿を出すことで「漁効の増進」を図ろうとするのは釣り人の常である。
竿と電動リール、それにテンビンを使った最新のビシ釣りでは、釣り人は餌を針に付け、仕掛けを海に投入し、タナでコマセカゴを振りさえすれば、あとは坐って見ているだけでいい。(こうした状況は、工場における筋肉労働の機械化、制御室における監視・管理「労働」への移行に類似している。)適度な波のあるときには、コマセカゴを振る操作さえも、竿の弾力によって、「自動的」に行なわれる。これら道具と機器が釣り人に代わって魚を釣り、糸を巻き上げてくれる。釣り人は、海面に浮いた魚を玉網に入れるだけである。こうして、現代のビシ釣りは、渋沢の言う、間接的釣漁法の代表例とみなせる。
しかし、単に道糸の先の針に餌が付いているというだけでは(とくにオキアミのような柔らかい餌では)餌を取られるだけで、合わせなければなかなか釣れない。合わせて釣るとすれば(カゴ釣りやふかせ釣りがそうであるように)竿は一本しか扱えない。しかし、合わせなくても、向こう合わせで釣れる道具があれば竿は何本も出せる。
ビシ仕掛けは、道糸とハリスの間にオモリとコマセカゴのついたテンビンが入っている。テンビンと言っても、普通は、「片テンビン」、つまり、Lの字を横に倒したように腕が支点から片方にだけ伸びているもので、ハリスはクッションゴムを介してこの腕に結ばれており、支点の上に道糸、下にプラカゴとオモリを付ける。左図参照。
魚が刺し餌または擬餌針を食い、ハリスが引かれて、テンビンの腕が下あるいは上に向かって回転すると、オモリの反動でテンビンの腕が逆方向に回転してハリスを引き戻す。これは、手釣りなら当りを感じた釣人がその腕で糸を引き、竿釣りなら竿を立てることによって道糸を引くのと同じことで、「合わせ」になる。ビシ釣りの場合には水中のテンビンの腕が、手釣りをする釣人の腕の代わりに、あるいは竿釣りをする釣人の竿の代わりになって、「合わせ」を行う。
渋沢敬三いわく、テンビンの「腕は、畢竟、水中の竿にほかならぬ。その機能は弾力を利用して深所において、自働的に「合わせ」をきかせ」るものである。テンビンは、魚が餌を口に入れて走ったときに針掛りしやすくするための道具である。
テンビンを用いるビシ仕掛けは向こう合わせで魚を釣ることができる非常に優れた仕掛けである。テンビンを使うビシ釣りでは、竿を何本も出して、コマセを多く撒き、刺し餌を幾つも漂わせて魚が食うチャンスを高めることができる。ビシ釣りでは、置き竿にして、魚が掛かってから竿をつかんでリールを回せばいい。テンビンは「省力化・無人化」を、つまり「置き竿」を可能にし、複数の竿ないし仕掛けを使うことを可能にして、「漁効」を高める。
しかし、もし2本の竿に同時に魚が掛かったら困るのではないか。ところが、最新の電動リールは、予めセットしておくと、はじめにコマセ管にコマセを入れ、餌をつけた仕掛けを投入しさえすれば、予定のタナで糸の出を止め、魚が掛かれば上手に巻き上げてくれるという。そうだとすれば、2本どころか3本でも4本でも竿を出して釣ることが可能であろう。 こうして、遊びの釣りにおいても、漁効を高めるために、釣り具の進化とともに、省力化・無人化が実際に行なわれている。漁業、産業としての釣りのみならず、遊びの釣りにおいても、渋沢の「技術史的観点」は十分有効である。
他方、渋沢は、彼の釣漁技術史においては、生業としての、つまり獲物を売って収入を得る生活手段としての釣漁について論じており、当然、それぞれの釣魚法の生産高や効率を比較するだけで、それぞれの釣り方の魅力、面白さについては述べていない。私は彼の分類の観点に従いながら、同時に、それぞれの釣りの面白さ、魅力を明らかにしたい。
さて、私は、様々な種類の釣りの中から、とくにハマチの曳釣り、泳がせ釣り、イシダイ釣り(磯からと船から)などの「大物釣り」、マダイ、イサキ、大アジなど上物/浮き魚を釣るビシ釣り、上物も底物も釣れるマキコボシ(バクダン)釣り、サビキ釣りについて、合わせて釣るのか向こう合わせで釣るのかという点を問題にしながら、それらの釣りを比較してみたい。
わたしがこの7、8年とくに傾倒してきたのはマキコボシ釣りである。私はマキコボシ釣りと比較しつつ、他の釣りの優劣や、魅力の大小を論じようとしているのだが、結局、それは、私の好むマキコボシ釣りの、私の視点からの長所・短所、そして面白さを基準にして、ほかの釣りを論じることになる。つまり、私はマキコボシ釣りを様々な釣りの原点に置こうとしているが、そうしたやりかたは、釣りを公平にあるいは客観的に論ずることにならず、読む人に主観的な好みを押し付けようとすることなのではないだろうか。
上でふれたように、釣り具の基本的要素とされている釣の六物とは、鉤(針)、糸、竿、餌、オモリ、ウキをいうが、「釣具の本質はどこまでも水中の魚族を引っ掛けて手元にもたらす一点にあり」、「必須の条件は鉤と糸であり、なかんずく鉤がその中枢をなす」と渋沢は言っていた。針だけでも糸だけでも釣りはできないが、針と糸があれば(餌も含め、ほかの4つがなくても)釣りはできる。現代的な例になるが、ルアーを使えば餌はいらないし、オキアミを刺し餌とコマセに使えばグレやタイなどは海面近くに浮かせて、つまりオモリなしで釣ることができる。針と糸以外の「他はすべてある序次に従い続成発展したとみるべき」である、と渋沢は言う。
ところが、マキコボシ釣りはまさしく(ときに小さなオモリを間に入れるだけで、ほぼ)針と糸だけという、シンプルで原始的な仕掛けを用いて行う釣りである。渋沢は、マキコボシ釣り(の仕掛け)は、「これを目して直ちに始原的とするのは早計で、かえって近代になっての考案らしく推測される」というが、とくにその根拠は示しておらず、「続成発展し」てきた結果である現代のほかの様々な釣り(の仕掛け)と対比すれば、その原点とも言うべき位置にある、と言って差し支えないと私には思われる。
また、渋沢は釣りを釣り師の技能が直接的に働く場合と間接的に働く場合とに大別した。直接的釣漁法は、釣り人が釣漁中、釣り具(釣糸)に絶えず「居合わせ」、「魚信を---感得した瞬間---合わせの---技能を発揮して---釣りあげる」釣漁法であり、釣りに必要な労作はすべて、「釣師自身の身についた技能が直接作業具たる釣具を駆使してなされる」ので、「釣漁時間中、釣師は終始釣具から離れられぬを原則とする」ような釣りである。
他方、間接的釣漁法は、釣り人が釣具を用意し、釣り場を選び、装餌し、仕掛けを投入するところまでは「直接的釣漁」の場合と同じであるが、そのあと「釣師は居合わせぬが普通であり、魚族は自ら鉤を呑むので釣師の技能はなんら直接的に関与しない」。すなわち、仕掛けを「投下せるのち釣師はその漁場を離れ、あるいは他の作業に従事し、あるいは船上にまたは家に帰って休養をとっていても少しも差し支えない」。
渋沢はこの間接的釣漁法の代表例が「延縄」だと言い、延縄は歴史においてはともかく、論理的には、直接的釣漁法の代表例である「一本釣り」からの発展と考えられる、と言う。マキコボシ釣りはもちろん一本釣りの一種である。マキコボシ釣りは、釣り人が釣糸から手を離すことができず、自己の労作・技能を直接に行使しなくては釣りができない、直接的で原始的な釣漁法である。
こうしてマキコボシ釣りは、その仕掛けにおいて「釣具」の原点であるとともに、原始的な釣漁法として釣りの原点であると、客観的にみなすことができる。そして、その原点は「合わせ」て魚を針に掛けるという点にある。このような理由で、私は、合わせて魚を釣るマキコボシ釣りを基準にして、ほかの釣りについて、漁効や、優劣や、さらに遊漁であるがゆえに、面白さについても、論じようというのである。
マキコボシ釣りについてはすでに第一章で詳しく述べたが、再度、その要点を述べることにする。魚が活発に餌を求めて回遊するときには、コマセを撒き、餌を付けて仕掛けを落とせば、すぐに喰ってきて、向う合わせで、入れ食いで釣れることもある。しかし、こういうときにはマキコボシ釣りでなく、ビシ釣りでも、サビキ釣りでも釣れる。マキコボシ釣りの本領は、魚が食い渋っていて、ほかの釣りではほとんどあるいは全く釣れないときでも、魚を釣ることができるというところにある。
冬場、あるいはそれ以外の時季でも水温が急に変化した時などは、魚の索餌活動は不活発で、ゆっくりと餌あるいは餌らしきものに近づき、餌であることを確かめてから、静かに口に入れてかみ砕き、異物である針を吐き出す。このような場合の魚信(あたり)は細かく、ハリスと道糸の間に重い仕掛け(テンビンなど)が入っていたり、あるいは竿を使っていたりする場合には、釣り人は感知できないか感知しにくい。釣り人から見れば、魚がこっそり餌をとって逃げた、あるいはいつの間にか餌はなくなった、ということになる。しかし、介在物の少ないマキコボシ釣り仕掛けの場合には、ハリスの小さな動きの伝搬を妨げるものがなく、魚信が糸を持っている指先にストレートに伝わってくるので、微妙で細かい当たりを読み取ることができる。
魚が、刺し餌に単に触れただけか、餌を口の中に吸い込んだかどうか、あるいはかみ砕いたかどうかがわかる。こうして、魚が餌を口に入れたときに道糸を素早く引いて合わせれば、魚が食い逃げすることを許さず、針にかけることができる。マキコボシ釣りは釣り人が自己の「労作と技能」を行使し、「合わせて釣る直接的漁法」の典型であり、釣りの原点である。マキコボシ釣りは「釣れた」のではなく、「釣った」という深い満足を感じられる釣りである。
わたしが実際にやったことのある釣りの中で、まず最初に、イシダイやハマチの大物釣りについて、その特色を考えてみる。これらの魚をサビキ釣り、マキコボシ釣りで、狙って釣ることはほとんどできないと思われる。ビシ釣りでハマチを狙うことはあるようだし、イシダイを狙う人はいないと思うが、ビシ仕掛けの針にイシダイが掛かれば取り込むことはできるはずだ。しかし、イシダイやハマチ(ブリ)を釣ろうとする場合には、その強力な引きと「闘う」ことが眼目なのである。魚を手に入れることが目的であることは確かだが、良い道具を用いて魚の強力な抵抗をかわして、スマートに魚を手に入れるのではなく、自分の力と技で魚の抵抗に打ち勝って、つまり闘いを通じて魚を手に入れることが通常のイシダイ釣り、ハマチ釣りの目的なのだ。
とはいえ、通常のイシダイ釣りやハマチ釣りにおいても釣り人は、ハイテク素材からなる頑丈な釣り竿や高度の技術を詰め込んだリールなど、道具の力を借りて闘うのであって、ボクサーや空手家のように自らの身体とや技だけで闘うのではない。通常のイシダイ釣りやハマチ釣りでは、いうならば、人間が少しのハンディをもらって格上の相手と対等に勝負して勝つことが目的で、他方のビシ釣りでイシダイやハマチを狙うとしても、それは闘わずして、道具を用いて楽に獲物を手に入れることを目的としている、と言っていいだろう。
イシダイ釣りでは、ふつう、ハリスはワイヤーで、道糸が16号〜18号。根元が物干し竿の太さほどもある頑丈なイシダイ竿を使う。私が船からウニを餌に使って行う釣りでは、コンコンと竿先を小さく揺らす連続した当たりが出たら、合わせのタイミングをはかりながら竿先の動きに注意を集中し、魚が食い込で走り、竿先が大きく曲がる瞬間を今か今かと緊張しながら待つ。この合わせのタイミングを計るときの緊張と興奮はこの釣りの魅力の一部である。
ただし房総や伊豆大島、三宅島など関東の遠浅の海では、イシダイが廻ってきて力強い当たりが出るのは、よくても一日に1〜2回、20〜30分の間だけということが多い。カニ、サザエ、トコブシなど小物がつついてもすぐにはなくならない丈夫な餌を付けて遠投したら、置き竿にして当たりを待つ。3分毎、あるいは5分毎、あるいは10分毎に竿を上げ、新しい餌を付けて再び投入。当たりを待つ。
置き竿にするのは、重いイシダイ竿を一日中持っていることはできないからである。必要なことは、魚が回ってきて当たりが出た時に、その少ないチャンスを見逃さないようすることである。イシダイは向こう合わせで釣れることはほとんどなく、合わせなければ、餌だけ取られてしまう。太い針が丈夫な口腔内や口の周囲の皮膚に突き刺さるように強く合わせる必要があるが、竿先を引き込む当たりが出てから竿をつかんで合わせればほぼ針掛りする。当たりが出てから竿先が引き込まれるのを今か今かと頭に血が上るような感じで待ち、そして竿がガーンと大きく曲がるのを見る瞬間の強い悦びと興奮は、イシダイ釣りの大きな魅力である。
しかし、そのあとに待っている格闘こそがイシダイ釣りの中心的魅力である。大物が掛ると、海底への魚の突進を食い止めるべく、両腕に渾身の力を込めて竿を立て、途中で糸が切れたり、針が外れたりしないかスリルを感じながら、腰を落としてリールを巻き、魚を浮かせ、船縁/磯端に寄せる。魚を掛けてから釣り上げるまでの数十秒間の格闘こそがイシダイ釣りなのだといえるだろう。
イシダイ竿とイシダイ仕掛けに似た太仕掛けを用い、生きた小ダイや小アジ、あるいは解凍した小アジなどの生(ナマ)餌を付け、10キロ近いハマチ/ブリを釣る「泳がせ釣り」は、イシダイ釣りと同様の格闘的な釣りである。6キロ以上のハマチは強い力で泳ぎ、イシダイよりもスピードがあってしかも横に走り回るので、釣り人は3〜4キロクラスのイシダイよりももっと全力で戦う必要があり、大いに興奮を楽しめる。しかし、この釣りでは、ハマチが餌の小魚を呑み、突っ走ることによって針がかりする。したがって、関西では「ノマセ」と呼ばれているように ハマチに餌を全部呑み込ませ、魚が走ってから竿を立てるという、完全な向こう合わせの釣りである。
ジギングでブリ/ハマチを狙う場合には、泳がせ釣りとは少し異なり完全な向こう合わせで釣れるというわけでないようである。古谷秀行『ジギングShock!』には、ところどころで、ブリ/ハマチが食ったとわかったら、「思いっきりアワセをいれる」「一度鋭く合わせる」などと書いてある。だが、彼の文からは、多くの場合ハマチは向こう合わせでは針掛かりせず、合わせることによってはじめて掛かるのか、それとも、多くの場合、向こう合わせで針に掛かるのだが、掛かりを確実にするためにロッドをあおるのか、は不明である。わたしがネイリ程度の小型のカンパチをバーチカル・ジグで何匹か釣った経験によれば、ググッと来て竿が曲がるので反射的に腕に力は入るが、向こうから食って針に掛かったという感じで、合わせて針掛りさせたという感じではなかった。
(しかし同じルアー・擬餌針を使う釣りでも、フライは魚がくわえた瞬間に鋭く合わせななければ釣れないようだ。川面に流したフライを魚が呑んで走り、向こう合わせで針掛かりして釣れた、という話は聞いたことがない。フライフィッシングは完全に、合わせて釣る釣りだと思われる。対象にする魚の種類により、餌の捕捉のしかた食い方(その速度)が異なるからだろう。)
ブリ/ハマチは、ビシを打った太く長い道糸(ビシ糸)の先に擬餌針をつけたあるいはイカなどの餌を刺した針を何本もつけた仕掛けを船で曳く、曳釣り(トローリング)でも釣ることができる。この場合に完全に向こう合わせで釣っている。当たっても針がかりせず逃げられているケースもあるのかもしれないが、それはわからない。しかし、釣れたものはすべて完全な向こう合わせで釣れている。
ブリ/ハマチを曳釣りで狙うには、ハリスは24号〜28号、道糸はビシを打った40号〜80号という太いナイロンを使う。ハマチが擬餌針、あるいは餌の付いた針を呑み込むまでは、ただ船を走らせるだけである。一人の場合は鈴を付けたクッションゴムに道糸を持たせ、鈴が鳴るのを待ちながら、船を運転する。片手で運転して、あるいは運転を他の人にしてもらって、道糸を持っていればゴツンという重い当りが来て、船を止めるか速度を最低に落すかして、グングンという魚の引きを感じながら、綱引きのように両手で道糸を手繰って魚を寄せ、最後に、口が切れるなどして針が外れ魚が落ちないようにと願いながら船内に取り込む。
曳き釣りでは、手に持ったビシ糸に当たりが伝わってくるか、あるいはクッションゴムにつけた鈴が鳴るのは、すでに魚が掛っている時で、合わせは必要ないし、合わせることはできない。曳釣りは完全に向こう合わせの釣りであり、いわば、ビシ糸についている針と船が魚を釣ってくれるのである。この釣りの魅力は、手繰り寄せた大型の魚を2匹、3匹と船内に取り込むときの、豪快かつスリリングな取り込み段階にあると私は思う。
ただし、私の友人の源さんは、小型の船外機船で、もっと細いビシ糸とクッションゴムの先につけた10号か12号のハリスの仕掛けにイカの餌を付けて5、6キロまでのハマチを釣っているが、餌とりだけの当たりもわかるという。当たりがあると魚が掛からなくても仕掛けを上げ餌を付けなおす。魚が掛かると、彼は、船の速度はそのままで魚を横に見る形で船を回転させ、糸をやりとりしながら、ゆっくりと魚を寄せて釣りあげる。この釣り方は、力任せに魚を引き寄せる単純な格闘技ではなく、船をうまく回転させる操船と糸をやりとりする技術の両方が必要である。しかしこの釣りでも合わせは必要ない。
イシダイ釣りとハマチのノマセ釣りや曳き釣りは、合わせて釣るかどうかという点で違うが、どちらも、強い力で抵抗し逸走しようとする大型魚とパワーで渡り合うところは共通で、そこに面白さの中心があることは間違いない。
4号程度のハリスを使うマキコボシ釣りでも、イシダイやハマチが釣れることもないわけではない。私は70センチほどのハマチなら4号で2度、また50センチを超えるイシダイも5号で2度釣ったことがある。しかし、(季節にもよるが)4号、5号のハリスで常にイシダイやハマチを狙うということは無理であろう。それらは全く別種の釣りである。そして、それらイシダイやハマチの大物釣りには大物釣りとしての面白さがありマキコボシ釣りにはマキコボシ釣り特有の面白さがあって、まったく別だと考えられる。
私は第一章「マキコボシ釣り」の始めのところで、以前はもっとも面白いのはイシダイ釣りだと考えていたが、マキコボシ釣りを始めてからはこれにはまってしまったと書いた。しかし、では大物釣りはもうしないのかというと、たまにやってみると体が半分ついていかないところがあるが、それでもこれこそ釣りの醍醐味だという思いに再度とらわれもする。細い仕掛けを用いて、やり取りしながら取りこむマキコボシ釣りと、太い丈夫な仕掛けで力ずくで魚を取り込むイシダイ釣り/ハマチ釣りとでは、面白さの性質は全く異なると感じられるが、それでも、私はどちらに対しても同じように強い魅力を感じる。
さて、以下では、マキコボシ釣りとほぼ同じ大きさの針、同じ太さの糸からなる仕掛けを用いて、同じ餌(オキアミ)、コマセ(アミエビ、オキアミ)を使い、ほぼ同種、同型(同じ大きさ)の魚を釣る、サビキ釣りやビシ釣り、さらにウキを使うフカセ釣りについて考えてみる。
小物用のサビキ仕掛けには、針が10本ほどついている。魚が回って来れば、仕掛けを入れるたびごとに、アジ、サバの稚魚やイワシなどが5匹、10匹と鈴なりになって釣れる。サビキ仕掛けのよさは、狙う魚が小魚であるときには、極めて効率よく釣ることができる点にある。
漁港の近くなどに住んでいれば、これらの小魚が現在廻ってきてるかどうかは近所の人の話ですぐわかる。魚の群れが回ってくる時間もおおよそ決まっている。これらの小魚は手開きで刺身にして、あるいは湯掻いて酢味噌ですぐに食べることができる。コマセが少しありさえすれば、これから食べる朝食にあるいは夕食に、食べる分だけ、20〜30分、いや15分か20分、防波堤からちょっと竿を出すだけで、簡単に釣ることができる。
ウキを使った仕掛けで、刺し餌を別に用意して、餌を付け、一匹一匹釣っていたのでは5倍、10倍の時間がかかることになる。サビキ仕掛けは、釣りをやったことのない全くの初心者が釣りで楽しむのにも大いに役立つが、海辺に住む地元の人たちが、日常生活の一環として釣りをするのに役立つ実用的で便利な仕掛でもある。大物を狙うのでなければ、サビキ仕掛けはちょっとした遊びにも使えるし、生活のために役立たせることもできる。
船を利用した本格的な釣りでは、かごオモリではなく容量の大きいプラカゴなどとサビキ針の仕掛けを使い、水深30〜50mの海で、30センチくらいまでの中アジの数釣りをすることができる。しかしこれは遊漁船の船長が長年の経験に基づきまた魚探を使って、魚の群れがいるところに的確に連れて行ってくれたきたときの話である。マイ・ボートで、あるいは貸し船を借りて仲間同士で行く場合には魚の群れに行き当たる運が必要である。まして、タイやイサギは本物の餌が付いていないサビキ針仕掛けではなかなか釣れない。私の住む家串の近くにはタイが沢山いて、餌を付けず、かごオモリでアミエビをコマセする簡単なサビキ仕掛けでもしばしば釣れるし、また、サビキ針にオキアミを刺してやればもっとよく釣れるが、東京周辺の釣り場では、こうしたことはまずあり得ないと思われる。
大アジやイサギの場合には、サビキ釣りでは、大きなプラカゴかごを使ってコマセをたくさん撒いたり、あるいはサビキ針に本物の餌(オキアミなど)を刺したりしてもなかなか釣れない。
サビキ仕掛けの釣りではなぜ大物はめったに釣れないのか。一般的に言って、大物は群れることが少ないと思われる。魚が小さいときには、群れで生活していても餌を確保することができるが、魚が成長して一匹一匹の必要とする餌の量が多くなれば、魚は離れて、暮らす必要がでてくる。そして小さな魚が群れで生活しているときには、餌が見つかれば、競争して食うことになる。コマセが撒かれて興奮すれば、本物の餌でなくても、似ているものがあれば、何にでも食いつく。
しかし、単独行動をする大物がコマセをかぎつけてやってきて、アミエビよりも大きな疑似餌の付いた針を見つけたとしても、ほかに競争する相手がいなければ慌てる必要はなく、ゆっくり近づいて、臭いをかいだりちょっと口の先で触れて味をみたりして、本物の餌であるかどうかを確かめようとする。こうした理由でサビキ仕掛けの擬餌針には、小物は食いついても大物は食いつかないのだろうと、私は考える。これはしばらくの間マキコボシ釣りをやり様々に異なる当たり方と食いつき方があることからの私の推測であり、また経験豊富な地元の釣り人も言うところである。アジは大きくなっても群れで回遊することが多く、釣れる時には、堤防の小アジや小サバを釣るときと同じように、サビキ仕掛でも入れ食いで釣れるということが時々あるが、根に着くイサギやタイでは数が限られ、魚が競争で仕掛けに食いつくことが少なく、したがって擬餌針で釣ることは難しいのだと考えられる。
ではサビキ仕掛けでも、針に本物の餌を刺してやれば、大物を釣ることができるのではないか。確かに、上でもふれたように、釣れる可能性は高くなる。湾内の釣り場ではそうである。しかし、潮が流れる釣り場では餌を付けても、ビシ仕掛けなどと較べると釣果が低いということも確かである。その理由はハリスの長さに関係すると考えられる。
潮が流れているところではいたるところに局所的な乱流があり、刺し餌は絶えず揺れ動く。ハリスが太いほど動きにくく、ハリスが細いほど動きやすいはずだが、ハリスの太さが同じなら、ハリスが短いほど刺し餌は動きにくく、ハリスが長いほど動きやすいはずだ。魚が、競争で忙しく泳ぎ回りながら刺し餌を呑みこむならば、刺し餌の動きに関わらず、向こう合わせで針掛かりするだろう。
しかし、魚が止って餌を口に入れ、餌を噛み砕いて、針を吐き出す食い方をする時には、刺し餌が動きにくいほど餌をとられやすいはずだ。サビキ針に餌を刺したとしてもハリスはせいぜい10センチ程度であり、2ヒロ、3ヒロの長さのハリスを使うビシ釣りなどと較べて、刺し餌が潮流によって動く程度ははるかに小さく、餌が取られやすい。言い換えれば、向こう合わせで釣れる確率は低くなると考えられる。サビキ針に餌がついていても、(アタリを取り、合わせることができなければ)餌だけ取られることが多く、釣れる確率は低い。
(宇和海)西海の磯に通い、速い潮流の中で完全フカセ(道糸の先端に針を結び餌を刺すだけの仕掛け)でマダイを釣っているベテランから聞いた話では、魚はオキアミのコマセを拾いながらかなり遠くの潮下からやってくるという。そして、コマセに誘われて次第に近づいてきたマダイは同じように流れてくる刺し餌をコマセのオキアミと区別せず、まったく同じように呑み込んでしまう。
宇和海では太平洋などとは異なり、潮の干満により速い潮流が生じる。私の通う内海ウチウミ湾内の近くの釣り場でも、目測だが、1ノット近い流れも時にはある。0.5ノット程度(4秒でおよそ1m)の潮が流れることはよくある。これくらいの流れの場合、オキアミの付いたハリスはほとんど水平にたなびく。したがって、ビシ釣りの場合、刺し餌は、ハリスが10mあればそれが伸びきって止るまで、およそ40秒間、コマセカゴから放出されたコマセといっしょに流れる。つまり刺し餌は40秒間コマセの雲の中にあり、このコマセの雲に気付いて近寄ってきたタイはオキアミを片っ端から食っていき、そして刺し餌も呑み込む。ハリスが短かければ、刺し餌はすぐに止ってしまい、潮に乗って流れていくコマセの雲から取り残されてぽつんと一個漂うことになり、コマセとともに流れていく場合と較べ、タイに発見されずに残る可能性が高くなる。こうして、ハリスを長くするのは、刺し餌がコマセといっしょに流れていく時間を長くし、魚によって食われる確率を高くするためだと考えられる。
潮が流れているときには、放出されたコマセは潮に乗ってどんどんその場から離れていく。(針に餌を付けていたとしても)サビキ仕掛では、ハリスの長さは10cmほどしかないので、刺し餌がコマセの雲の中にいられる時間はほんのわずかである。たとえ仕掛けの針の本数が5本で刺し餌が5個存在したとしても、この5個のオキアミはコマセの助けなしに、孤立した状態で魚の発見を待つことになる。このように考えられるとすれば、たまたますぐ近くに大物がいれば別だが、遠くから大物を呼び寄せて釣ろうとすれば、ハリスの短いサビキ仕掛は、同じ量のコマセをするにしても、ハリスの長いビシ釣りに較べて不利だといえる。
服部善郎『海釣り大事典』は次のように言う。北陸、越前などのタイ釣りでは、餌のサンマの切り身を、イワシなどを粗く挽いたコマセとともに、特殊な袋に入れて投入する。ハリスの長さは7ヒロ、つまり10m超。「仕掛けを沈めて、棚に入って糸を止めると糸が張って、---コマセ袋の口が開き、コマセと一緒に付け餌も放出される。コマセと一緒にゆらゆら斜め下方に沈み、やがてハリスが張ると付け餌の沈降は止まり、コマセだけが流れてゆく。魚信の多くはハリスが張る直前にくる。ハリスが張ってコマセが去り、付け餌だけが漂う状態でも、稀にはヒットするが、やはりコマセと付け餌が一緒に漂う10数秒間の間が勝負どころだ」。道糸が張って1分待って変化がなければ素早く手繰り上げてコマセを詰めなおす。
沖でタイ、大アジやイサギを釣るには、普通、ビシ仕掛け(天秤+コマセ管+オモリ)を使う。
ビシ釣りでは、サビキ釣りで一般に使われる小型のコマセカゴ(かごオモリ)に比べてずっと大きなプラカゴを使い、大量のコマセをまいて魚を寄せ、また興奮させて釣る。
四国の西端から九州にに向かって突き出している佐田岬半島の瀬戸内海側ではときに2ノットを越える速い潮が流れ、シーズンには釣り船が集結して、船を潮流に乗せて流す流し釣りでイサギを釣るが、刺し餌を使わず地元の釣具屋が作る擬餌針仕掛けで釣る。船が集まっており、客は船長が魚探を見ながら指示する同じタナ(魚の遊泳層)に仕掛けをいれ、しかも流し釣りでコマセが船の真下にとどまりやすいので、コマセはよく効き、濃密なコマセに興奮した魚の群れは、本物の餌かどうかを確かめることなく食いつくのだろうと考えられる。
マイ・ボートや貸し船によるビシ釣りでは一般に刺し餌をつけ、釣り人が予想するタナに仕掛けを沈め、コマセカゴを振った後は、(竿釣りの場合には竿掛けに竿を掛けて、つまり置き竿にして)魚が食うのを待つ。刺し餌にはオキアミを使い、コマセはイサギやアジではアミエビを、マダイの場合にはオキアミを使うのが一般的なようだ。いずれにせよ、コマセと刺し餌(あるいは擬餌針)をうまく同調させることが重要だ。
宇和海南部、内海では、タイやアジ、イサキは5、6月以降、水温が20℃をこえて安定すると、食いが活発になる。アジの群れに当たれば魚はコマセも刺し餌もできるだけ多く食おうと、高速で泳ぎ回り、ひったくるように餌を食うので、向こう合わせで、自分から針にかかってしまう。魚が針に掛れば手釣りの場合には、手にはっきりとした引きが感じられ、竿釣りの場合なら穂先がコンコンと動き、大物なら竿全体が大きく曲がる。竿を使ったビシ釣りをやっていて、魚がかかって竿全体が大きく曲がるのを見るのは非常に楽しい。
ビシ仕掛けは、道糸とハリスの間にオモリとコマセカゴのついたテンビンが入っている。上では、渋沢の説を紹介しつつ、テンビンの機能は「水中の竿」であり、釣り人に代わって自働的に「合わせ」を行なうことにある、とした。しかし、テンビンの機能は、「合わせ」の役に立つことだけではない。
一般に、投入された仕掛けが沈んでいくときには、刺し餌が抵抗になって、ハリスが上に引っ張られながら沈む。 下にオモリがついた幹糸に1本〜2本の枝針をつけたドウヅキ仕掛け(関西ではズボ釣り仕掛け)や、ハリスと道糸の間に中通しのオモリを入れた投げ釣り仕掛けなどの場合には、しばしば仕掛けが沈む途中でハリスと道糸が絡んでしまう。右図参照。
だが、
天秤を使えばテンビンの腕が道糸に対して直角に突き出されて、道糸と上に引かれるハリスとの間に腕の長さの分だけ間隔ができ、ハリスと道糸の絡みがおこりにくくなる。左図参照。
渋沢の説明にもかかわらず、そして、実際、合わせを効かせる道具として機能していることは確かであっても、もしかしたら、テンビンは、最初は、ハリスと道糸の絡みを防ぐ工夫の中から生み出された道具かもしれない。
ビシ仕掛けのハリスの長さは、イサキやアジの場合には、通常、2〜3ヒロとされている。コマセがまとまって放出される場合には、コマセと刺し餌が同調して流れる時間が長いほど、したがってハリスが長いほど、魚が餌を見つけ餌に食いつく可能性が高くなり釣れる確率が高まるということは、上で述べたとおりである。
しかし、ハリスは長いほど扱いにくく、必要がなければハリスも短くしたくなる。全遊動では手に持ったオキアミを少しずつコマセるというが、ビシ釣りでも、コマセカゴのオキアミがポロポロとでるようにしてあれば、ハリスをそれほど長くする必要はないと思われる。
ビシ釣りで、ハリスが短いと先に小魚に餌を取られてしまうと書いている本もあるが、わたしが船の上からアミエビやオキアミを少し撒いて、寄って来た木端グレ〔辞書で確かめたが、「木端コッパ」とは、おのなどで切り捨てた木の屑のこと。木片、取るに足りないもの。例、木端侍など〕や小型のカワハギ、ウマヅラ、ウスバハギなどを観察したところでは、先に来た小物はオキアミから食っているが、後から来たウスバハギの大物が体をぶつけると、あるいは近づいて行っただけでも、すぐに食うのを止め、アミエビの方に行く。くちばしで突っつかれたり噛みつかれたりするというのではないのに、小物は大物に自分の食べたいオキアミを譲ってしまうように見えた。
ニワトリや猿などの集団では、「順位制」といって、餌を食べたり、優先的に交尾したりする際に、個体間に順位があって、弱い下位の個体は強い上位の個体を避けるため、喧嘩はめったに起こらないということがしばしばあるという。しかし、それは同種の群れの内部に限られているともいう。Wikipediaなど。わたしが観察したのは、異なる種類の魚がたまたま集まった場合であり、魚は生得的に自分より大きいものを避ける性質を持っているのだろう。
そこで、はじめに小魚がいてコマセだけでなく(刺し餌の)オキアミを食っていたにせよ、小魚が群れているのを見てタイが寄ってくれば、小魚はタイが近づいてきただけで就餌活動を自己規制してしまう。体の大きいタイが好物のオキアミを食おうとすれば小魚は譲ってしまう。タイは小魚がたくさんいても刺し餌のオキアミを食うことができるのである。こうして、潮の流れの緩いところでは、ハリスを長くする必要はないと考えられる。ビシ釣りでイサギやアジを狙う場合も、2〜3ヒロあれば、実際の釣果に問題はないと思われる。
私は2号程度のオモリを入れたマキコボシ仕掛けでの釣りがほとんどだが、マキコボシ釣りではコマセは石が回転し始めてから離落するまでの数秒間に、一度で撒かれる。オモリから下のハリスは1ヒロ半〜2ヒロだが、オモリは小さいので、ハリスは道糸とともに潮で押されてたなびく。湾内では潮は緩く、魚を寄せるために、始めはオキアミよりも沈下の遅いアミエビを使う。コマセが効いてきて、小魚の当たりがでてきてからオキアミを混ぜて、タイを狙う。家串では、40cm〜50cmの中型のタイは沢山釣れる。私は年に何枚かは60〜70cmのタイを釣る。
さて、テンビンの支点には大きなコマセカゴが付いており、また50号あるいはそれ以上の重いオモリがついている。魚が餌を突ついたり口に入れたりすると魚信=当たりが出る。しかし、こうした当たりはハリスの上の大きなコマセカゴと重いオモリのついたテンビンに吸収され、竿先に現れることはなく、また手にも感知されることはほとんどないと思われる。テンビンを使った釣りの場合、手釣りでも竿釣りでも、ほとんどの場合、当たりは針に掛ったあとの魚の動きによって現れる。
もし、細かい当たりを感知できたとしても(実際、針掛かりする前の細かなあたりを感知できるベテランもいるという。)重いオモリや大きなプラカゴなどに邪魔されて、素早く糸を引き、合わせを行うことは不可能である。竿先に小さくとも当たりが出る、つまり竿先が揺れるのは、すでに針に魚がかかり、逸走しようと泳ぎ回り、ハリスを引っ張って天秤を動かしているときである。だから、たいてい、竿先が曲がったら、竿を立てる、あるいは竿をあおって「合わせ」を入れるけれども、その動作はせいぜい針掛りを確実にするためであり、魚が餌だけを食って針を吐き出す前にハリスをすばやく引くことによって針掛りさせる「合わせ」ではない。ビシ釣りは向こう合わせで釣れるのである。テンビンは向こう合わせでも釣れる魚が釣れる時期に、合わせなくても「自働的」に魚を掛けてくれる道具なのだ。
他方で、グレやチヌなどは口先で餌をかじるか、餌を口に入れても針ごと深く呑み込むのでなく静かにかみ砕き餌だけを呑み込ようで、はっきりした魚信をださずに、素早く餌をとってしまう。つまり餌とりがうまい。こうして重量物が介在するビシ釣りでは餌が取られるだけでほとんど釣れない。
また、タイも低水温期にはビシ釣りでは釣れない。低水温期にはタイは深場に落ちるといわれるが、真冬に60m以上の深場でタイを狙う釣り人がいるのかどうかどうか知らない。だが、湾内の30mか40mの浅いところに残っているものもあり、私は一年中釣っている。しかし、冬のタイは底にじっとしていて、近くに落ちてくる餌をその場で静かに食う。潮が多少流れてもコマセの効果は小さいようで、同じ場所で時間を掛けてコマセをして魚を寄せようとするより、船を掛ける場所を変え、釣れる場所を探したほうがいい。そして、マキコボシ釣りでごく細かい当たりを取って釣らなければならず、ビシ釣りでは決して釣れない。
春と秋のシーズンにはビシ釣りが威力を発揮する。50センチ以上のマダイともなれば突っ込みも相当なもので、手釣りでスムーズに取り込みができるようになるにはかなり数をこなす必要がある。だが、竿とドラッグ付きのリールを使うビシ釣りでは、ドラッグ調整をきちんと行っておけば、魚が走った時に竿先を下げるなどのやり取りの必要はあまりなく、途中でハリスを切られてバラす(逃す)ことはほとんどない。それでも、針外れがないか、針が呑み込まれていてハリスが歯に当たって切れないかなど、魚が玉網に入るまでは安心できない。ハラハラ、ドキドキしながらリールを回して魚を浮かせて来るが、この過程の緊張がとても楽しい。また、海面に浮き上った大物の姿を見るのは大きな感激である。ビシ釣りも大きな魅力を備えた釣りだ。シーズンには、マダイだけでなく、イサキの群れやアジの回遊に当たれば誰にでも釣果を約束してくれる。
私は、最近は、タイ、イサギ、大アジなどを狙うときはほとんどマキコボシ釣りでやり、竿を使ったビシ釣りはほとんどやらない。しかし、深場で、一人でマキコボシ釣りをしていて魚が釣れないとき、あるいは、すぐ近くのビシ釣りの船に釣れて私に釣れないとき、コマセの撒き方が足りないと思うことがある。そのような場合、竿でビシ釣り用のコマセカゴを使ってコマセをしながら、釣りをする。コマセが目的で、付けるのはコマセカゴ(とそれを沈めるための錘)だけということがほとんどだが、たまに、テンビンを使い、針とハリスも付け、餌をつけて、竿を出しておくこともある。波があれば竿を持って振らなくてもコマセはでる。竿は放っておいて、マキコボシ釣りを続けているとき、竿の方に良型のマダイが掛かって、竿が大きく曲がり、竿先が海中に突っ込んだりすると、「釣れた!」と一方では喜び、他方で「何でこっちに食って来ないで、置き竿に来るのか」などとぶつぶつ言いながら竿に手をのばす。それはともかく、竿が大きく曲がって、竿先が水中にぐいぐいと引き込まれるのを見ると、手釣りで釣った場合よりも、釣れた!という大きな感激が生じるのは事実である。竿釣りには見る楽しさという、手釣りとは別の楽しさがあることは認めなければならない。
釣り竿は「端的にいうなら釣り師の手または腕の延長である」。釣り竿は、船を使え(わ)ず岸あるいは磯から釣るときに、「手元から相当の距離に鉤の位置を任意に保たたせる」こと、そして「釣鉤の位置を迅速自在に操作移動せしめる」ことを「第一の任務」とする、と渋沢は言う。彼は釣り竿のほかの任務として「その弾力を利用して「合わせ」を確実ならしめ、あるいはつり上げに際して釣糸の緊張力を緩和調節させること」なども上げるが、この任務は「手釣でも充たしうる」と言う。
たしかに、釣り竿は釣糸が磯や岸壁にこすらないように距離を取ることを可能にし、針あるいは仕掛けを足元にではなくそこから距離のある場所に入れ「任意の位置に保つ」ことを可能にするものだが、これは「竿と糸」からなる「始原的」な釣り具を出発点にして、原理的に考えられた時の釣り竿の機能ないし「任務」である。しかし、その場合には、釣り竿は硬い木の棒で構わないことになるが、現在の遊漁者が木の棒を釣り竿に使うことはない。
木の棒でも果たせる原理的な任務ではなく実際に、遊漁において使われている竿の任務を考えたい。竹竿(和竿)であれ、人工的な素材を用いた竿であれ、実際に用いられている釣り竿は、すべて弾性を持っている。大型魚は別として、タイ、イサギ、大アジなどの魚が掛かれば、竿が曲がって魚のククッと、あるいはググッと来る感触がとても心地よい。他方、これらの魚を釣る漁師は手釣である。漁師は、感触の良さを楽しむために釣るのでなく、生計のためにできるだけ多く魚を釣ろうとする。これらの魚を釣る漁師においては、「漁効」が優先される。
遊漁者は始めから竿を使っていたのではないか。渋沢前掲書に引用されている江戸時代の津軽采女の『河羨録』から、キス釣りで「一尺あまり二尺ほどの短き竿」を用いて釣っていた人もあることがわかるが、30センチ程度の竿が「針の位置の手元からの距離」との関係で用いられたのではないことは明らかである。「はね釣り」と言われていたことから、弾性を利用して魚を針に掛けるために竿が使われたのだろうが、掛けた後、魚がククッと竿を引く。この感触がよくて竿を使うことが好まれたのではないか。
またカイヅ(小型のクロダイ)は采女の時代からすでに遊漁者である侍は竿で釣っていた。ハゼやキスを釣る場合には手釣より竿をつかい竿の弾性を利用して魚を手元に寄せるほうが、簡単で手返しが速くなる。つまり竿は「漁効の増進」に役立つ。しかし、露伴の『幻談』(第三部第3章第二節「幸田露伴における遊びと仕事」の「「労働的の釣り」と「大名釣り」」および「自然を楽しむ、鱸(スズキ)釣り」の注8))に見るように、クロダイ釣りは江戸末期の侍(や金持ち商人たち)にとって、合間に茶や酒を飲みながら水の上で楽しい時間を過ごすこと----これを風流とか風雅と言ってもいいだろう----が目的で、魚を得ること自体が主目的ではなかった。
幕末期、庄内藩(山形)の武士で、庄内藩の磯釣りの全貌を記した『垂釣筌』を著した陶山七平は、50年間「磯で修行」し、藩内の武士は釣りの腕を競い合ったという(『江戸釣魚大全』;第一章「マキコボシ釣り」の「ハリスの太さ」の節参照。
庄内藩の武士は磯から釣ったが、船の釣りでも、釣りの技や釣りの術を競う釣り方が可能であろう。そしてその場合には、道糸を手で持ち、微妙なあたりを取り、合わせ、いなして魚を取り込む、手釣りの技が追求されたであろう。
>ところが江戸の侍たち(旗本であり、地方の藩主)が行ったのは、上等な着物を着、「洗いたて」た清潔な舟で、茣蓙を敷いてある舳先の上座にきちんと座って竿を出し、魚を掛けたら自分で取り込むのではなく、竿先を後ろに回すと、船頭が魚を外して餌を付け換えてくれるという、水にも、魚にも、餌にも触れない「大名釣り」である。
このような釣りの中で使われた釣竿には単なる機能的な「第一の任務」とは別の目的、茶道における茶碗や鉄瓶のように、風流の場を構成する要素となるという任務、あるいは機能的必要を満たすだけでなく美的・感覚的な好ましさ(見た目の美しさ、手に持った感触の良さ、そして硬さや柔らかさ(弾力性)と曲がり方(調子)など)が重要であったと思われる。
釣りをする人は誰でも釣れ始めると我を忘れて夢中になって釣る。だが、それは釣れた魚の数の多さに興奮するのではなく、魚が針にかかるたびに感じられるググッという手ごたえのよさに夢中になることによる。魚が掛かった時に、とくに竿を通じて感じられる感触がよくて、一匹、また一匹と釣っているうちに、(釣れるときには)いつの間にかたくさん釣ってしまうのである。
私は今は手釣りがほとんどだが、イトヨリや小型のアジは竿で釣る。マキコボシ釣り=手釣りの面白さは合わせのタイミングを計ることにあり、魚が掛かった時に感じられる感触は竿釣のほうがはるかにいい。私は詩人の佐藤惣之助のように、「恍惚境」、「法悦境」、「微妙深甚の感覚」などとまでは思わないが、竿釣はたしかに強い快感を与えてくれる。
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江戸時代の侍たちは竿を通じて得られる感触、「釣り味」の良さをもとめ、釣り味のよい竿を手に入れようと努力した。かれらは実益よりも、また武に通じる技や術よりも、「趣」をもとめたがゆえに、手釣りではなく竿釣を好んだのだと私は推測する。かれらがたびたび釣りにでかけ、キスやクロダイを竿で釣って遊んだのは水の上で仕事や世の中のことを忘れることができたからであり、また手元にククッと、あるいはググッとくる感触のよさをもとめたからだと思われる。
竹という優れた素材に恵まれた日本においては、竿は岸から距離を取り鉤の位置を保持するという原理的な「第一の任務」との関係において用いられてきただけでなく、昔から、竹のもつ弾性と深い関係がある和竿の釣り味、釣趣のゆえに重視されてきた。渋沢も「釣り竿の意義」と題する一節では竿がその「第一の任務」によって「釣漁法上いかに画期的な向上をもたら」したかを強調し、またとくに「舟の利用を許さぬ河川渓流の釣り」などで「釣り竿の発揮する偉大な効用」について強調したあと、この節をなす15行の文のうちの最後の2行では「のみならず、竿釣における微妙な釣趣はまた独自のもので、一般遊漁家はこれに物理的機能以上の価値をおくことにもなり、おのずとその操作技法やさらに製作法の研究・論考に熱意を傾注させたのであった」と書いている。
釣趣は弾性によって生まれる。したがって、遊漁としての釣りにおける竿の任務を考えるとすれば、竿の弾力性を重要なものと考えるべきだ。そしてそれは「釣り味」つまり魚を掛けたときの感触を良くし釣りの快楽をより大きくするとともに、糸の強さを補って取り込みを容易にし「漁効」を増進してくれるという両方の機能を果たす。
なるほど、船で釣る場合には、竿はなくても釣りはでき、実際に漁師では手釣りが一般的で、さおの弾力性などを借りなくても、合わせを行い、糸を切られないように対処することができる。
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だいぶ前に、それもテレビで見た、映画『魚影の群れ』では、緒方拳の演ずる大間の一本釣りの漁師は、マグロを手釣りで釣っていた。最近のTV番組には大間のマグロ釣りを録画した長時間番組がしばしば登場するが、プロの一本釣り漁師も、自分の手だけで魚と渡り合っているのでなく、ブレーキをかけながら逆回転もする「巻き上げ機」を使っている。いくらプロの技があっても、人間の腕力と体力を補う動力機械なしで、100キロを超える重量で、一瞬のうちに100mも突っ走るマグロと何十分も渡り合うことには無理があるためであろう。
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また、YouTubeの動画では遊漁船で素人の釣り人が竿とリールで全身の力を使ってマグロを釣っていた。ハイテク素材で作られ弾力性に富んだ非常に強靭な竿(とそれに付けられたドラッグのよく効くリール)なしでは、素人ではマグロのパワーとスピードにはとても対処できない。
マグロなどは特別だとしても、竿やリールを使わず手釣りで、少し大きな魚が掛かったときに、ハリスを切られず魚の走りに対処することができるようになるにはかなりの経験が必要だ。竿釣りなら、竿の弾力性が魚の瞬間的な走りによる糸に対する衝撃を吸収し和らげてくれる。また、硬めの竿でも、魚が急に強く引いたときに、竿先を下げることによって対処できる。手釣りの場合には指の間から糸を出してやらなければならないが、糸の出し方がなかなか難しい。ドラッグつきのリールがあればなおさら魚を釣り上げることは容易になるが、これも、竿の使用が前提になる。
しかし、こうした竿の機能は、結局、魚を掛けた後、糸を手繰って魚を取り込むために行う、人間の腕や肩、指による動作の代わりをするものである。私自身は、マキコボシ釣りの最大の面白さは、当りを取り、魚を針に掛けるまでのプロセスにあると感じており、取り込みの過程は二の次である。竿を使う釣りの多くは向こう合わせの釣りで、当りを取って針に掛ける面白さが失われてしまう。
そして、魚を掛ける前と後とを2段階に分け、後の取り込みの過程について言えば、竿を使う方が、楽で、確実な釣果を手っ取り早く得ることができるであろうが、自分の手、身体をうまく使って取り込むことのほうが、より難しいだけにかえって面白いといえるのではないかと思う。釣りは釣果を上げることが、すべてあるいは大部分なのではなく、自分の持つ釣る技能を発揮すること、つまり釣る行為ないし活動が重要だからである。道具は技術を補ってくれる手段である。
第三部第3章で書いたが釣り好きの幸田露伴は、道具にも強い興味を抱き、その重要性を強調している。露伴だけでなく釣り師の中には道具にも関心を持つ人が多い。だが私は道具自体にはさほど価値を見出さない。竿やリールを使わずに、つまり道具なしで直接的な技能だけで釣ることが無理ならば(例えば、イシダイやブリ)道具に頼る。しかしアジやイサキ、マダイなどは、マキコボシ釣りで十分に釣れるし、タイなどはシーズンによっては、マキコボシ釣りでなければ釣れない。グレはふつう磯から釣るので竿とリールが必要だが、船から狙うなら、竿に頼らず、手釣りのマキコボシ釣りで十分に釣れる。(もちろん、船釣りでは、船という道具に頼る必要があるのだが、磯釣りも、自分の足だけで磯に渡って釣るのはむずかしく、ほとんどの人は渡船に頼る。)
一般に、硬い竿では、また重い仕掛け、あるいは太いハリスを使った場合には、当りが取りにくい。他方、筏のチヌ釣りでは、ウキもオモリも付けない仕掛けで、短く(たいてい潮流の弱い湾内の筏の直下を釣るのだから、長さはゼロでもいいはずだ)細くて柔らかい竿を使う。とくに団子釣りでは、仕掛けは刺し餌を包んだコマセの団子の重みで沈み、団子は底でばらけるか小物が突くことによって散る。湾の奥の釣り場でチヌ釣り専門の人としばしば隣り合わせになって、話を聞いた。
しかし、どうして竿を使うのだろうか。「マキコボシ釣り」の章で書いたようにチヌは餌とりがうまい。チヌ釣りでは、通常、チヌの細かな当たりを取り、早く合わせられるようにするために、2号程度までの細いハリスを使う。しかし目標が50センチ以上のチヌだとすると2号程度のハリスでは掛けたあとのやり取りが難しい。ハリスが細くても、竿の弾力性でカバーすることによって、切られないで済む。竿を使う理由は素早い合わせを可能にし、掛けた後のやり取りを容易にするためだと思われる。
だが、当たりは糸を手で持っている方がよくわかる。そして、手よりは感度の落ちる竿を使うから糸を細くする必要が生じるともいえる(細い糸ほど当たりが出やすい)。私は、チヌを狙っているのでないが、マキコボシ釣りで4号ハリスでしばしばチヌを釣っている。手ならば4号でも当たりはわかる。そして4号あれば50センチ以上のチヌも十分に取れる。ベテランなら3号で上げるだろう。
釣りが人と競争するものでなく、また単に、結果、つまり数や大きさを求めるものでなく、釣り自体を楽しむものだとするなら、道具の力を借りる度合いをできるだけ少なくして自分の身体を使う、直接的技能を生かす、手釣りにこそ、釣りの醍醐味があると言えまいか。
上の最後の段落の後に、以下の文を加えることで、修正を行いたい。
竿を使わないマキコボシ釣りでは、道糸を伝って刺し餌から指先へとほとんど直接に魚信が伝わるので、少し練習すれば、その細かい当たりを取ることができるようになる。だが、針掛かりする前のこまかな当たりを竿でキャッチすることができる人は少ないと思われる。
しかし、私の釣り仲間の一人に、竿を使ったサビキ仕掛けで、細かい魚信を的確に捉え、鋭く合わせる高度なテクニックで大アジやイサギやタイなどあらゆる魚を釣る人がいる。
地元家串の私の無二の釣り仲間、前田源一さん(家串地区では同姓の家が多く、姓ではなく名で呼ぶのが普通である。前田姓の家がほかにもあり、彼は家串の人から「ゲンさん」と呼ばれる)は、市販の(幹糸5号の太目の)サビキ針仕掛け、50号くらいのカゴオモリと、タイも釣れるやや硬い竿、そしてスピニングリールを使って釣る。オモリがかなり重いこともあって、竿が柔らかいとあわせが効かないと彼は言う。
また、彼は多くの場合サビキ針にオキアミを付けて釣る。アミエビのコマセを行うだけでなく、オキアミを着けている方が魚を寄せやすく、釣りやすい。潮が流れている所ではハリスが長いと餌がふわふわ動く。ハリスが短く、さほど揺れ動かないサビキ仕掛のほうが、魚にとっては餌を取りやすいと思われる。
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魚が刺し餌を食って竿が曲がるまで、ただ待っているだけなら、餌を取られるばかりだ。しかし、ハリスが短かいことは、道糸を引いたときに合わせの効きがよいことを意味する。魚の当たりを見逃すことなく、かつ、下に付いているカゴオモリの抵抗に妨げられずに合わせを行うことが出きれば、魚を針に掛けることができるはずだ。彼は、サビキ仕掛けはハリスが短く、硬い竿で竿先をすばやく動かせば、その動きが直接道糸からハリスに伝わり、針掛りさせることができると言う。
彼は、仕掛けをいったん底に落とすと、コマセかごを振ってコマセを全部出してしまうことはせず、そこから時には10mくらい上までリールを廻して糸を巻き、また反対に回して糸を出して、仕掛けを上げ下げしてタナを探るとともに、その間に竿先を30〜40センチ上げたり下げたりする細かな動作を繰り返す。彼の手と竿が止まっていることはほとんどない。その間コマセカゴから少しずつコマセが出る。彼はコマセをたくさん撒いて魚を寄せて釣るのでなく、仕掛けを入れたところかそのすぐ近くにいる魚を釣ろうとする。そこで流し釣りをするか、船を掛けて釣る場合には次々と場所を変えて釣る。
彼の餌の刺し方は独特で、生のオキアミの尻尾の先を取り、そこから針をちょっとだけ差し込む。餌はへの字型に垂れ下がる。竿を上下に動かせば、海中ではこのオキアミは針の先でふわふわと揺れ動くと思われる。そして、カゴオモリのついているサビキ仕掛けでは、刺し餌は竿を上下するのと同じ速さで上下する。彼はこのように刺し餌を動かすことで、餌は生きて泳いでいるように見えるはずで、魚は生きて動いている餌を食いたがるという。彼はこのような釣り方で、タイはもちろん、大アジもイサギも、ウマヅラやハゲも、そこにいる魚を非常によく釣るのである。
このような仕掛けの動かし方はマキコボシ釣りではできない。マキコボシ釣りでも、仕掛けを上げていくことは容易にできるので、石を落としコマセを撒いたあと、上の層を探ることはできる。しかし、仕掛けを素早く「下げる」ことはできない。餌自体とハリスの抵抗で刺し餌は一定速度でしか沈むことはできず、道糸を速く出しても、ハリスの上についているオモリが先行し、ハリスはたるんでオモリに引っ張られて後からついていく。
刺し餌が沈んでいくときに食うことが多いが、ハリスがたるんだ状態では、当たりは分からず餌を取られてしまう。仕掛けを下げるときにはハリスがたるまないように、ゆっくりと下げる必要がある。したがって仕掛けを絶えず上げたり下げたりする釣り方はマキコボシ釣りには向いていない。タナを変えて魚の遊泳層を探そうとするなら、仕掛けを投入するときに道糸の送り方を加減することで、コマセを撒く位置を変えるようにし、いったん、コマセを撒いた後はそのコマセの雲の中に仕掛けが漂うようにして、待つ方がよい。
マキコボシ釣りで、潮が全く止まっていて、ハリスがまっすぐに垂れ下がっている状態の時に、ジワーッと重くなるのを感じることがしばしばあり、また道糸をゆっくりと引いてかすかな抵抗を感じることがある。このようなときは魚が静かに餌をくわえて(味見をして)いるか、かみ砕かずにゆっくり呑み込もうとしていると考えられる。(そこで、即、合わせるとたいてい釣れる。)
普通、竿で釣っている場合、このような状態の時には当たりは感知できない。しかし、源さんはジワーッと重くなると言う。竿先を上下する時に魚が餌をくわえていれば仕掛けの重みにわずかな違いが生じるはずで、このわずかな違いを竿で感知することは簡単ではないが、彼にはわかるようだ。また、彼は魚が動かずに静かに餌を口に入れているときに、仕掛を動かすことにより、刺し餌が魚の口にぶつかって生じる抵抗を感知し、魚が食っていることを知るのだろうと思われる。彼はこちらから「当てて」、当たりを引き出している、あるいは当たりを作り出している。
こうしたやりかたなら、刺し餌を付けないとき、あるいは付けた刺し餌が取れてしまってサビキ針だけになってたときに、魚が本物の餌かどうかを確かめるために呑み込まずくわえてみるだけであっても、釣ることができる。大物は一挙に餌を食わず、そのような慎重な行動を行う。実際、源さんはほかの釣り人と違いサビキ仕掛けでしばしば大物を釣る。(掛けたあとのやり取りも非常にうまいが。)
「当てる」ことで「当たりを引き出す」やり方はマキコボシ釣りでは、潮が止まっていて、食いが不活発なとき以外、ほとんど行わない。しかし、源さんの場合は、向こう合わせで釣れるとき以外、常に、この「当てる」やりかたで釣っているのだと思われる。このような特別な釣り方で、アジでもイサギでもしばしばマキコボシ釣りよりも多く釣り、餌取りがうまいと言われるハゲでも、時に30匹、40匹と釣ってしまう。
彼のサビキ仕掛を使った釣りは高度なテクニックと鋭い感覚によってはじめて可能な特別の釣り方で、真似るのはきわめて難しいと思われる。
グレは非常に餌取りがうまく、ビシ釣り仕掛けでは竿先に当たりが出ないまま、餌がとられてしまい、ほとんど釣れない。私はマキコボシ釣りを始めるまではもっぱらビシ釣りを行なっていた。ビシ釣りでマダイ、イサギ、大アジを釣った。しかしグレは、すぐそばでマキコボシ釣りをやっている人が釣っており、いることはわかっているのに、ビシ釣りでは釣れなかった。マキコボシ釣りを始めてから、グレも釣れるようになった。
普通、グレを釣るためには、海面近くに大量のコマセとともに刺し餌を流して釣る、フカセ釣りという方法で釣る。フカセ釣りでは、魚が刺し餌を口に入れたときに生じる糸の張り方の小さな変化を、道糸の途中に付けたウキの動きによってキャッチし、合わせることにより釣る。私はフカセ釣りはやらないため、以下は、ほとんどは他の人により書かれていることの引用である。
<週間釣りサンデー別冊フィッシングNOWシリーズA>『磯釣りNOW 上物編』(1995)の、編集部によると思われる「フカセ釣り」の解説では、ウキに当たりが出やすくなるように、針からウキまでのハリスと道糸のたるみをなくするようにウキの流れをコントロールすることが大切だ、と言う。私は、頭では理解できるが、実際に風、潮流を見ながら常に糸に張りを与えることができるようになるまでには相当な練習が必要だろう、と思う。以下同書の、
三原憲作「沈め釣り」では、仕掛けを準備したら、餌をつける前に「浮子が沈みそうで沈まない状態に」なるよう「きっちりした」ガン玉調整を行なうことが重要だという。調整ができていれば、餌をつけると、仕掛けが潮になじんだときに、撒き餌の沈む速度よりゆっくりとウキが沈む。こうすると刺し餌がウキを引っ張っていくので、いつでもウキ下に張りができている。ウキは、海中に沈めて釣る。そこで「沈め釣り」というのだ。
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グレが食えばウキの沈む速度が変わってすぐに当たりがわかる。ウキが沈んで行って見えなくなれば道糸と穂先に神経を集中する。当たりがないときの道糸はまっすぐにならず少しカーブしている。この道糸がまっすぐになったとき、グレが食っている。すぐに竿先にも当たりが出る。(竿は1.25号で穂先は柔らかで1号に近いという。)「アタリを感じても、大合わせをしてはいけない。竿の胴に乗ってくるまで待ってソフトに合わせる」という。
この釣りでは海面に浮いているウキが沈むのを待って合わせるのではなく、じわじわと沈んでいくウキの沈み方の速度の変化で当たりを知るか、あるいはウキが深く潜っていって見えなくなっているときには糸の張り方を見るとともに竿先でアタリを感知するのである。
江頭弘則「スルスル釣り」では、ウキは使うがウキ止めがない全遊動仕掛けで、仕掛けは狙うタナまで自由に沈められる。道糸を張っては送り込み、張っては送り込む。この繰り返しで張りを保ちながらいろいろな層を探るという。ウキにも当たりは現れるのかもしれないが、糸を常に張っている状態に保つのだから、多分、当たりは竿を通じて手で感知するのだろう。
鵜沢政則「本流釣り」では、ウキはやや沈むくらいの感じで流れに乗っていくようなものを使う。遠くに流れていくとどうせウキは見えなくなってしまうので、そのときは竿先や道糸に出るアタリを取るという。「アタリは最初コツンと前アタリがあることが多く、そのときに一回穂先を送ってやると道糸が引かれてくるので、次のアタリで送りながら合わせるようにする、最初のアタリで合わせるとすっぽ抜けることが多いようだ」と言う。
私のマキコボシ釣りでの経験とよく一致している。マキコボシ釣りは針から糸を通じてストレートに指まで魚信が来るから分かりやすい。しかし、これらの名人は、竿を通じてこのアタリが分かるというのである。このレベルにまで到達するのは長い経験と人並み以上の鋭い感覚が必要であろう。
高橋哲也「沈め釣り」でも、「最初からウキは<海中>に浮かせて使う」という。それでも「アタリは体感ショックとして明確に取れる」と言い、重要なことはハリスにたるみを作らないことだという。彼は「ウキの動きを封じずに、いかに少ない道糸量で〔刺し餌を〕魚の口元まで届けるかという技術」、「道糸の管理」技術が必要で、具体的には、仕掛けの投入位置、流れの方向と風向きなどが問題になるが「純粋なテクニックであるだけに、説明は簡単にはできない」という。実際に繰り返し、身につける必要があるということであろう。
宮川明「二段ウキ」では、浮力ゼロの「飛ばしウキ」と当たりを取るための「アタリウキ」の二段仕掛けを使う釣りを解説している。釣り方は他の釣りと大きくは違わないが、比重の小さいアタリウキを使うため、アタリの出方が違う。「アタリウキが全く見えなくなってからゆっくり合わせるようにする」という。
ウキの変化を見て合わせるのではなく(「ウキは遠くに流れていき、見えなくなる」)、道糸の張り方の変化を見る人もいるが、穂先に来る当たりを感知して、「体感ショック」として当たりを取って合わせるという人もいる。ただし、最初の当たりを感知しても、即、合わせるのでなく、呑み込むのを待って合わせるようである。重要なことは当たりを確実に取る(感知する)ことであり、当たりが出やすいように道糸を管理し、ハリスのたるみをなくすことである。サカナが食っても、ハリスがたるんでいれば当たりは出にくく、当たりがわからなければ、合わせようにも合わせられないからであろう。当たりを取る、当たりを感知することが何よりも重要だということが、いずれも図や写真を入れたせいぜい2、3ページの文のなかで強調されている。
これらの文は、何百時間あるいは何百日間の経験と研究のエッセンスであり、それが頭で分かる(わかった気になる)だけでなく実際にできるようになるには、それと同じ時間をかけて磯に立ち、竿を振る必要があると思われる。
当たりを確実にキャッチし、正確に合わせることがグレ釣りには重要だいうことを『磯釣りNOW 上物編』から引用した。私は、頭ではわかっても、上で言われていたことを実際の釣りで生かすのは必ずしも簡単ではないのではないかとも、書いておいた。グレ釣り、グレを専門に狙う釣りはなかなか難しいのではないかと私は思うのだが、しかし、人気は高い。磯釣りの中ではグレ釣りの人気が非常に高いことは周知の事実である。グレ釣師たちはその魅力をどこに見出しているのだろうか。
最近は50センチ以上のグレはなかなか釣れないようだ。しかし、20〜30年以上前には、大都会から大勢の釣り人が押しかける伊豆諸島でも、50センチを超えるようなグレの数釣りができたことが報告されている。早川淳之助編『磯の大もの・中小もの』(つり人社、昭和63年)の中で、「白波砕ける荒磯で、60センチ以上の大型をターゲットとした」メジナ(グレ)釣りについて、巻幡成人は次のように述べている。
「この釣りの面白さは、第一にハリがかりした魚が逸走しようとするのをテクニックなどで何とかあやして、無事に取り込むまでの連続的なスリルにあるといえよう。比較的細めのミチイトとハリス。---右に左に下にと走る魚のパワーを弱らせるための息詰まるようなやりとり---。豪快だが繊細な面も多分にある、というところに大きな魅力がある。次に数が釣れること。----今でも条件に恵まれさえすれば、----何十尾かの魚を一挙に手中にすることも可能。見逃せない一つの魅力である。また、〔クエ釣りやイシダイ釣りとは異なり〕体力に関係なく楽しめることもこの釣りの特徴である」。
これを読むと、グレ釣りは、イシダイ釣りのように体力を要する力づくの釣りではないが、イシダイ釣りと同様、(当たりを取って合わせる面白さとともに)魚を掛けてから取り込むまでのプロセスに魅力があるようである。細い仕掛けで魚とやり取りしながら取り込むまでの「連続的なスリル」、「魚のパワーを弱らせるための息詰まるようなやりとり」に、大型のグレを釣る磯釣りの魅力があると言っている。
なるほど、良型以上のグレの数釣りをやって、巻幡がいうようなグレ釣りを一度でも味わったことのある人がそのとりこになるだろうことは十分に理解できるが、そうした「いい目を見る」ことが出来る人はそれほど多くないのではないか。にもかかわらず、渡船をして、磯釣りに行く人々の大部分が、大型グレを手中にすることを夢見るグレ釣りファンのようである。だが、磯釣りのなかでグレ釣り人気が非常に高いのは、1度経験した「いい目をもう一度」ではなく、むしろ「一度でいいから、いい目をしてみたい」というところにあるのではないか。
そうだとすると、むしろ、私は、グレが簡単には釣れない魚であるがゆえに、本を読んだり、ベテランと一緒に行って教えてもらうなどして、「高度なテクニック」を獲得して何とか釣ろうとするところにこそ、面白さ、魅力があると言えるのではないかと思う。
イシダイ釣りも「夢」を追いかけるが、多くの場合、置き竿で魚が来るのをじっと待つという忍耐が求められる。これに対して、グレ釣りの場合は、磯に立ったら、最初から最後まで何とかして魚を寄せ集め、「糸を管理し」、食わせ、魚信を感知し、合わせ、魚を針に掛けようとする、積極的な工夫と努力が求められる。磯でのイシダイ釣りの場合には、コマセで「寄せる」のではなく、魚が回ってくるのであり(ウニ殻をこませたりするが、それは「足止め」である)、その短い時間に集中することになる。その外の時間は、竿先の動きを見逃さないだけの注意は必要だが、それでも、のんびりとした性格の人なら、あるいは、当りがないことにいらいらしたりすることがなければ、周囲の断崖や遠くの島影を眺め、自然の中で遊んで、仕事や人間関係のわずらわしさを忘れることのできる幸福をじっくり味わうこともできる。
しかし、グレ釣りの場合には、自然などはまるで眼中になく、一挙手一投足、頭脳と神経のすべてが釣ることに向けられ、その釣りへの全面集中が、日頃のストレスの解消になるのではないか。釣り上げるために集中を求めるのがグレ釣りであり、実際に釣り人を集中させる面白さをグレ釣りは備えているのだと、私は想像する。
同じようにウキを使って当たりを取り、合わせて魚を掛けると言う点では、クロダイのウキ釣りとメジナ釣りは共通しているが、両者はまた相当に異なる趣をもっているようだ。
高木『クロダイ、ウキ釣り入門』は次ぎのように言っている。「クロダイとメジナ、それぞれの魚が持っている魅力の質が違う。たとえば、メジナはある程度推理力が通じる。理論どおりに、計算どおりに食ってくることが比較的多い。つまり、メジナは勝負が早く、数釣ることができ、腕の差が出やすい。だからこそ、競技会という形式が成り立つ---。尾長〔メジナの一種で大型〕になると今度は強烈な引きが楽しめるスリルあふれるやり取りの魅力だ。もちろんクロダイでもやり取りにスリルは感じるが、よほどの悪条件でないかぎり、やりとりで逃げられることはほとんどない。
「クロダイは神出鬼没。釣れるときはあっけないほど簡単につれてしまうが、釣れないときは、本当に釣れない。熱(?)闘6時間、ここにクロダイはいないとあきらめかけた瞬間に、隣で竿を出していた初心者に大型クロダイが釣れたりする---。計算できない部分が多い。これもクロダイ釣りの魅力だ」。
「クロダイ釣りといっても様々な釣法がある。ブッコミ釣りやダンゴ釣りでは、想像力が海底にへばりついてしまい、落とし込み釣りでは堤壁から離れない。ウキ釣りでは3次元的に魚を狙う。沖合いへ、沈み根の向こう側へ、流れの中へ、もっと自由に自分の想像力を泳がせることができる---」。 「仕掛けのバリエーションも多い。それらをどう組み合わせて、眼前の条件をクリアするか、ポイントを探し出してクロダイの口へ餌を届けるか。まるでパズルを解くような難しさが魅力になっている」。以上のように高木は言う。
クロダイ釣りは釣り人の腕(合わせ、取りこみなど)や技能よりも、想像力や推理力を働かせて、仕掛を投入するポイントを選ぶことが重要だと高木は言っているようだ。そして、推理・計算はメジナ釣りの場合にはたいてい通じるがクロダイの場合には外れることが多いとも言っている。そこにメジナ釣りとの違いがあり、メジナ釣りとは異なる魅力があるようだ。
さて、釣りは屋外で、自然の中で行なわれるスポーツ/遊びである。野球やゴルフやテニスと違って、ゲームをするための人工的な施設、限定された空間の中ではなく、どこまでも広がる、無限定な自然のなかで、自然の中にいることを強く意識させられながら、あるいはじっくり味わいながら行なう遊び/スポーツである。自然を享受するという観点から、上で見た釣りを相互に比べてみよう。
私はハマチの曳釣りを、船を走らせながら大物を掛ける豪快な釣りというふうにとらえ、一時は、錨を打ったり筏に掛けるなどして船を一箇所に止めて釣る掛り釣りよりも、船を走らせながら釣る分、面白さが増すと言う風に考えた。そして、一本のライン(ビシ糸)に弓角という擬餌鉤をひとつずつ付け、複数のラインを流し、魚が掛かったら船を止めずに魚を取り込むという「加藤方式」の場合には、魚が針から外れないかという心配・スリルだけでなく、自分が船から落ちないかハラハラ、ドキドキするスリルに富んでいる。ただし、針を複数つけた一本のラインで釣る「鉄砲」の場合には魚が掛かったら、水深にもよるが、必ずしも船を走らせたまま取り込む必要はなく、船をとめ、落水の危険性のずっと少ない状態で魚を取り込むことができる。落水の危険なしに釣れるならこちらのほうがよい。私は「ハラハラ、ドキドキ」をあえて求めたいたいわけではない。「第2章「曳釣り」を参照。)
「船を走らせる」ということと「魚を掛ける、魚を釣る」という2つの要素を分離してみる。すると、曳釣りでは、魚を掛け、魚を釣る要素は意外に単調である。一人でやる場合には、ラインはクッションゴムに持たせ、魚が掛かったかどうかは鈴の音で分かるようにする。したがって、釣るために、魚を掛けるために、釣り人がやるべきことは、船を走らせることだけで、あとは鈴が鳴るのを待っているだけだともいえる。相棒と一緒にいって、相棒に運転してもらい、自分がラインを持つこともできる。そして当たりがあれば「来たっ」と興奮する。
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しかし、曳釣りは完全な向こう合わせの釣りである。魚が食ったら、食ったというだけのことである。曳釣りは、遊漁のなかでは渋沢の言う、「間接技能釣漁法」の典型である。仕掛けの製作など事前の準備、当日のコース選択など、釣り人の技量が要求される要素はたしかにあるが、それは「前提」である。「魚族は自ら鉤を呑むので釣師の技能はなんら直接的に関与しない」。そこで、いったん船が走り出せば、私がラインを持つとしても、ラインを握っているだけで、他にはやるべきことは何もない。
マキコボシ釣りやフカセ釣りでは、魚が掛かるまでやることがないとは誰も考えないだろう。当たりを待つということは当たりを取るべく油断なく待つことであり、当たりが出はじめれば細かなウキの動き、あるいは道糸から直接指に伝わってくる微妙な当たりに神経を集中させ、時には竿を立て、あるいは道糸を引いて魚を誘い、そして、次の瞬間、ウキがスッと沈んだとき、あるいは指先に食い込みが感じられたときに、いつでも鋭く合わせることができるように、神経を研ぎ澄まし、身構えていることである。これらの釣りでは、当たりを待つ釣り人は、投手が投げるボールを打ち返そうと油断なく構えてバッターボックスに立つ野球の打者のようなもので、退屈あるいは単調などという語とは無縁である。
他方、魚を釣ることだけが釣りの目的のすべてではなく、自然に囲まれてのんびりと時間をすごす楽しさもまた釣りの大きな楽しみ、釣りの目的の重要な一部と考えられる。
ふだん人工的な環境である都市に住み、企業に勤めて忙しい生活に明け暮れる現代人にとって、釣りをしている時間は同時に自然のなかで、(仲間とともに)楽しくすごす時間であり、自然をどれだけ享受できるかは釣りの楽しみの重要な要素だと言える。川や湖の釣りでも自然の景色を楽しめるだろうが、海釣りでは川釣り以上に雄大な自然を楽しむことができる。自然といっても、太平洋のど真ん中で海だけを見て過ごすのは退屈だろう。しかし、遠くに大小の島が点々と浮び、周囲の岩礁に波が打ち付け、後に大きな断崖が迫っていたりする磯釣り場に特有の海岸の景色は見飽きることのない大きな魅力を持っている。
私は、東京にいたときに、およそ10年間、イシダイを追いかけて伊豆半島、伊豆七島および房総の磯で釣りをした。その中でも、特に、西伊豆、新島、式根島、神津島、その属島である祇苗、三宅島大野原群礁などの景観は、行く前にもガイドブックで磯の写真や航空写真などで見たことがあったが、実際に、始めてチャカ(渡船)に乗って近づくときには、息を呑むほどであったし、何回か行ったあとでも、そのすばらしい景色に胸を躍らせた。
四国に来てから7、8年のあいだに、日振島、御五神島、由良の鼻周辺、中泊の鹿島から横島周辺、西海の地の磯(ソウ)、沖の磯(ソウ)そして、鵜来島、沖ノ島周辺および柏島周辺の磯などに行ったが、どこもその複雑でみごとな磯の形状、あるいは釣り場周辺に迫る断崖などに感嘆の声を上げないことはなかった。
曳釣りの場合、海岸から40〜50キロも離れた太平洋でカツオを追いかけるなどというなら別だが、沿岸でハマチなどを狙う場合には、小島や岩礁などの多い複雑な海岸線に沿って曳くことが多く、海から見る様々に変化する景色のすばらしさを十二分に満喫できるはずである。磯釣りの場合には、たいてい一箇所で陸に背を向けて釣る。しかし、曳釣りでは、船が走るのにつれて次々に変わっていく、これら磯釣り場や、人の乗れない磯、様々な形をした岩礁などの景色を楽しむことができる。
曳釣りでは、仕掛けを入れたあと、釣り人がやるべきことは、船を走らせることだけで、他にやるべきことは何もないと上で書いた。だが、 釣りを、獲物を得るだけではなく、自然を鑑賞し楽しむこともできる遊びという観点から見れば、曳釣りでは、船を走らせ、クルージングしながら釣るのである。その日には釣れなくても、かつて磯釣りなどで何回か行ったことのある釣り場周辺を、自分で運転する船で走るのは心が躍り、非常に楽しいものである。海での釣りの楽しみは、自然の景観のすばらしさを味わえることにもあり、とくに、曳釣りの場合にはこの楽しみが大きいと言える。
しかし、また、船を走らせなくても、海からの景色を楽しむことはできる。宇和島から南の海では、真珠・真珠貝の養殖筏やタイなどの養殖生簀に掛けて釣りをすることができるところが多い。ここしか釣れず、ここは絶対だというのでなければ、船を掛ける場所を時々変えてみるといい。海から眺める島々、半島、本土側の山々などは四季折々に、また天候によって、そのつど違った、興味深い表情を見せる。そして都市のコンクリートやアスファルトの街路とは違い、足元の青い海は夏は冷たく、冬は暖かく、コマセのついた手を洗うためだけでなく、気候が許せば体ごと飛び込んで浸かってみたくなる。しかし下方は暗く神秘的で怖さを湛えてもいる。
おそらく、仕事に就いているほとんどの人は、多くても月に2回か3回くらいしか釣りにいくことはできないだろう。そして、獲物を得ることだけがその目的になってしまいがちで、自然を楽しむというのはむずかしいだろう。だが、グレのフカセ釣りのように、絶えずウキの動きや糸の張りに注意し、竿を絶えず上げ下げしあるいはリールを回すというように、釣りをしている間中、全面的に釣りだけをする忙しい釣りの場合は別としても、船の掛かり釣りなどでは、「何もしない」時間、置き竿にして当たりが出るのをじっと待つ時間が必ずある。魚が釣れ続いて忙しい日もたまにはあろうが、まったく当たりがないまま、坊主で終わることもしばしばあるはずで、その方が多くないだろうか。
こういう時、釣り人の取る行動様式に二つのタイプがある。当たりがなくても、繰り返し仕掛けを上げて餌を点検し、(小物にかじられるなどして)少しでも餌が傷んでいれば、すぐに新しいものに取り換えるなど、釣るためにあらゆる努力をし、根気よく釣り続けるタイプ。もう一つのタイプは、仕掛けを数回入れて当たりがなければ、「今日はだめだ」とすぐにあきらめて、釣りをほかの人(自分の船の同乗者、あるいは隣の船の人)に任せ、他の人に釣れたらその時に釣りを再開することにし、自分は休憩してしまう人。(こうしたことは多くの釣り人が指摘している。例えば、雑魚クラブ編『随筆釣自慢』(河出書房新社、昭和34年)における、「お魚博士」とよばれた檜山義夫の「釣雑感」でも同じことを書いていて、「鳴かしてみようホトトギス」というタイプと「鳴くまでまとうホトトギス」のタイプの違い、と言っている。)
一般的には前者のタイプの人の方が、長期的に見て、より大きな釣果を上げるだろうことは確かだ。しかし、私は後者のような態度の方を薦めたい。なぜならこの人は釣れるときにはもちろん釣るのだから、その人がある程度の釣果を得ることも確かであり、さらに、釣れる可能性が低い時には、いわば「無駄な努力」をするかわりに、ふだん不足しがちな休息を取ってリラックスし、鳥の鳴き声に耳を傾け、周囲の景色を眺めて楽しむ、贅沢ともいえる時間を享受するという別種の、多様な快楽を味わうことができ、いいとこ取りができるからである。
こうした釣り方をするひとは「釣りに熱心ではない」と見るよりは、より多くの種類の快楽を手に入れることに貪欲な人だと見るべきである。そしてこのような多様な快楽を求めるのに貪欲な釣り人にもっとも適した釣り方は、ビシ釣りあるいは天秤にサビキ針を付けた釣りであろう。なぜなら、天秤は釣り人が持ち竿で絶えず集中し続けなくてもいいように、釣り人の腕に代わって「合わせ」てくれる道具であり、竿の「無人化」を可能にしてくれる道具だからである。そして釣果を上げようと思えば竿を2本あるいは3本出して、釣ることも可能である。そうだとすると、複数の竿でテンビン仕掛けを出して釣りをする人は、「鳴かせる」ための方策を取ったうえで「鳴くまで待つ」人だということになる。
しかし、食わないときには食わない。そこでそのような時にはせっかくのチャンスを生かして、海を見、空を見、野鳥の声を聴き、近くの島々や磯の景色、遠くの山々の景色を眺め、自然を享受すべきなのだ。テンビンを使った竿釣りは、常に仕掛けに「居合わせること」を必要としない「間接的釣漁法」の典型であり、それゆえに釣り人に幅広い楽しみ、多様な快楽を約束にしてくれる、釣り方である。