第三部 第5章 釣りの回想の快楽・釣りについて書くことの快楽―永遠の幸福へ



































第5章 見出し一覧

  (1) 古代ギリシャにおける懐疑論と決定論

ストア派「すべては決定されている」
ラプラスの魔
セネカ「確実なのは過去だけ。未来と現在は不確実」
懐疑論者でも決定論者でもなかったエピクーロス
(2) 時間的パースペクティブにおける釣りの快
「現在の釣りの快楽は不確実」で「過去の釣りの快楽の想起はより大きな快楽」か
ペシミスト・夢枕獏の大物釣り
幅のある現在とヘミングウェイの老漁師
巨大魚をかけたときの獏の精神的苦痛
エピクーロス「回想の快楽は確実」
過去の経験の確実性と過去を回想することの不確実性
ワープロ/パソコンを使った回想
(3) 獏は未来の恍惚老人として、現在の釣りを回想する
釣りを「三倍楽しむ」

(4)中国の古諺「釣りは永遠の幸福を与える」の論証 
酒について
結婚について
食の楽しみあるいはグルメについて
過去の快楽は現在の哀しみか
(5) 釣りの回想は哀しみを伴わずに楽しみだけを与える
老アクサーコフの回想
小学館の編集長・山田武美氏の回想
作家・土師清二の回想
(6) なぜ、あるいはどうすれば釣りの回想は哀しみを伴わずに行うことができるか
現在の我を忘れること
過去の釣りを詳しく書き留めておく
日記をつけておくこと
釣り日記はタイムマシーン
酒、グルメ、結婚を日記に書くこと

(7) 現在のマキコボシ釣りはすでに同時に恍惚老人の釣りである
fishermanとarmchair fisherman
釣りはタイムトンネル
(8) 年をとってもfishermanであり続ける幸福
90歳でブリ/ハマチの曳釣りを行なう漁師
本職の漁師の手柄話と死にかけた話
打ち勝った「恐怖」や「苦痛」は快楽を生む
93歳夫婦船でカツオの曳釣りを行う漁師
(9) armchair fishermanから先の私の生と死
扁舟(こぶね)の幻想
三途の川を渡る
私の死
死に対する恐怖感、嫌悪感
なだらかに死にたい
死と眠りは似ている
第三部目次に戻る

全体の目次

間奏曲における緒方の詩 「人生至楽」には、釣人の過去、現在、未来が書かれていた。以下でしばらく、釣りの過去、現在、未来について考えてみる。

(1) 古代ギリシャにおける懐疑論と決定論

ストア派、エピクーロス派と同じ時代に、懐疑論を唱える人々がいた。ストア派、エピクーロス派は善、すなわちわれわれを幸福にするものが存在すると主張し、どうすれば幸福になりうるかを、体系的な理論によって論証しようとした。懐疑論者たちは、この2学派の体系的な理論を批判するとともに、確実な知識、真なる知識が存在すること自体を否定した。

懐疑論者「あらゆることは不確か」

懐疑論者たちは、事実とみなされているすべてのことは、どれが真実でどれが虚偽であるか、見分けがつかないということを様々な方法で示した。たとえばかれらは「もろもろの現れや、思惟されるものについて」記録を提出した。そしてその記録によると「それらすべてのものがすべての〔他の〕ものと突き合わされ、相互に比較される場合に、多くの異常なことや混乱が見出される」ことを示した(前出『ギリシア哲学者列伝』第9巻11章78節。以下DL9、11、78のように記す。あるいは同じ章ならば節の数字だけ記す)。あるいは、確実なものとは論証されているものであるが、論証はすべて、すでに論証されている事柄か、論証されえない事柄に基づいて成り立っている。だが前者である場合には、論証は無限背進に陥らざるを得ず、後者の場合には、その論証は実際には論証されていないということである、と主張した(同90)、等々。

彼らは、人は感覚も理性も信頼すべきでなく、否定であれ、肯定であれ、すべての判断を差し控え、事物に関しては発言拒否の状態にとどまらねばならぬ、と主張した。彼らは、判断の保留によって、真と偽、善と悪、正と不正の対立の中で態度を決定しようとするときに陥る動揺から解放され、アタラクシア(平静・平安)に達することが期待しうると考えた。彼らは他の学派の説を批判したが、積極的な形での主張を行なうことは避けたから、判断保留こそが善きものであり、幸福に導く態度であるとは言っていない。しかし、「判断保留には、アタラクシアが、ちょうど陰が形に添うように、伴って生じる」と述べている(同107)。

第5章見出し一覧に戻る

ストア派 「すべては決定されている」

懐疑論者たちによればあらゆることは不確実であり、現在、過去、未来のすべての時制においてすべての事柄は不確実である。だが、第一章で述べたように、ストア派では自然=宇宙はロゴス=理性である神の表れとされる。法則的な理性たる神の顕現である宇宙に偶然的なできごとは存在せず、すべての事象は論理的・合理的に緊密に結びつきあっている。過去から現在へ、現在から未来へ、人間が認識しえない原因も含め、できごとは正確な因果の法則に従って生起する。できごとはすべてこの因果の法則にしたがって必然的に生起する。運命とはこの宇宙の事象の必然的な進行のことである。過去も、現在も、未来もすべて、運命によって決定されており、不確実なものは何一つ存在しない、とストア派の人々は主張した。

ストア派のクリュシッポスは次のように主張した。
「この宇宙が一つであり、最初のものがそのあとに生じるものにとって原因となるという仕方で、あらゆるものは相互に結びついている。そして宇宙のうちに何が生じる場合でも、それと別のものが必ずそれに無条件にしたがって、それと因果的に結びつくような仕方で生じないことはないし、----生じるものはすべてそれに先立つ何かを原因としてもっていて、それと結びついていると言うのである。
---- あらゆる存在がよりあとのもののどれかの原因になっており、そのことによって、先のものに後のものが鎖のように結びついているという仕方で、物事は相互に結びついているという、最初に言われたこと、それを彼らは宿命〔運命〕のいわば実質であると想定している。945

「あらゆるものは宿命によって生じる---。将来起こることは突然に起こるのではなくて、時の経過は〔帆を巻く〕綱を解きほぐすようなものであって、時は何も新しいものを作り出さず、最初からあるものを展開しているだけなのである。944

 山口義久訳『クリュシッポス 初期ストア派断片集』3、京都大学出版会、2002

 クリュシッポス(280頃−207頃)は(ゼノンの後継者)クレアンテースの弟子でその後継者。毎日500行以上書き、700巻以上の書物を著したとされ、「もしクリュシッポスがいなかったなら、ストア派はなかっただろう」と言われているという。D.L.第7巻第7章

このように、世界に生起するできごとは必然的な原因の連鎖によって、すでに決定されていると考える立場を決定論という。この決定論は、近代になって、科学者たちによっても、主張された。

ラプラスの魔

17世紀、デカルトは宇宙万物の創造主である神は全知・全能だと考え、かつ、この宇宙・世界は創造された時点において、もはや手直し不要な形で「仕上げ」られており、その運行も完全に神の計画どおりに進むと考えた。世界は神という時計師によって作られた、完全な機械仕掛けの時計であった。「素材とそれがふるまうための法則さえ与えられれば、今の世界の状態を再現してみせる」とデカルト述べている。

同時期、近代物理学の基礎を確立したニュートンは、デカルトとは異なり、神は進行中の宇宙に介入すると考えたが、彼の物理学においては、この世界に存在するすべての物体は質点に還元され、その運動はすべて運動法則によって一義的に決定されるとみなされている。人間が決して知りえない神の意志の介入を排除したデカルト的機械論と結びついた時、この世界に生起するいっさいのできごとは決定されているという、決定論ではあるが、同時に測定し計算する科学的方法さえ発達すれば、あらゆることを予知しうるという思想を生む。およそ150年後、フランスの天才数学者、天文学者、ラプラスは「ある瞬間に宇宙のすべての原子の位置と速さとを知ることができるならば、未来永遠にわたって宇宙がどうなるかは、解析学の力によって知ることができるであろう」と述べた。このような能力をもった存在は〈ラプラスの魔〉と呼ばれている。

第5章見出し一覧に戻る

セネカ 「確実なのは過去だけ。未来と現在は不確実」

だが、ストア派でも、人間の理性、知性には限界があり、自らを宇宙・自然として顕現する神の意志、摂理を知ることは難しく、未来については確実なことは言えないと考えられていた。確実であるのは過去に起こった事柄だけであると考えられた。

セネカは『人生の短さについて』の中で、次のように言う。「人生は三つの時に分けられる。過去の時と、現在の時と、将来の時である。このうち、われわれが現在過ごしつつある時は短く、将来過ごすであろう時は不確かであるが、過去に過ごした時は確かである。なぜならば、過去は運命がすでにその特権を失っている時であり、またなんぴとの力でも呼び戻されないときだからである。-----

「過去はわれわれの時間のうちで神聖犯すべからざる、かつ特別に扱われるべき部分であり、人間のあらゆる出来事を超越し、運命の支配外に運び去られた部分である。----かき乱されもしないし、奪い取られもしない。その所有は永久であり安泰である。現在はその日その日だけで、しかも瞬間を単位とする。しかし、過去の時は、諸君が命じさえすれば、そのことごとくが現れるであろうし、君の好きなように眺めることも引き留めることも勝手である。」茂手木元蔵訳『道徳論集(全)』p250., 茂手木訳『人生の短さについて』p30f.岩波文庫

ここではセネカは過去の確実性を力説しているが、同時に、将来と、絶えず将来からやってきて過去へと流れ去っていく、短い瞬間、瞬間である現在は不確実だとも言っている。ストア派によれば、人間の行為は、人間の理性・知性よっては知りえない他の諸原因によっても規定されている。行為する現在の瞬間においては、自分の意思のみによって行為を決定することはできず、意図したとおりの結果を得ることもできない。起こってしまった過去のできごとにおいては、行為を決定した私の意思と他の諸原因の全体である運命の働きは終了していて、できごとのなかに、もう動くことも働くこともない化石のようなものとして、存在しているにすぎない。

私が昨日イシダイを釣ったとしよう。詳しく調べれば、私が、どのような「運命」によって釣ることができたか(ふつうは「運よく」釣ったと言う)がわかるかもしれない。たとえば、それがその「運命」の中身の全てではないにしても、仕掛けを投入したポイントの選定、餌の種類、合わせ方、昨日の天気、気温、潮の流れ具合、水温、等々知りたいことのことごとくを、調べた限りにおいて、それを「好きなように眺めることも、書き留めることも」できる。

ストア派の、あるいはラプラスの主張にもかかわらず、われわれが様々なしかたで予想しあるいは期待する未来に関して、2000年以上前のギリシア・ローマ時代と比べて、あるいは200年前ほど前のフランス革命の時代と比べて科学技術が途方もなく発展した現代においても、1週間先の天気予報は不確かであるし、そして地震がいつ起きるのかについては未だに全くわからない。明日、狙うイシダイが釣れるかどうかは永遠に分らないだろう。起こってしまった過去の出来事は「確か」であるが、未来の事象については確かな仕方では知りえないという意味で、未来は「不確か」だということについては、誰もが肯定するだろう。

現在についてはどのように考えるべきであろうか。現在とは何かが起こりつつある時である。われわれは懐疑主義をとらないことにしよう。勘違いでない限り、何かが起こっていることは確かである。しかし、次ぎの瞬間は未だ来ていないのであり、今起こっていることは次ぎの瞬間にどうなるのか、つまり、このまま起こり続けるのか、それとも停止してしまうのかはやはり分らない。私が列車に乗った次の瞬間南海大地震が起こらないとは言えず、私は用があって松山から東京に行こうとしているが、その計画は実現されないかもしれない。

われわれは、今、この瞬間だけを現在と言うのではなく、幅を持ったものとして「現在」を考えるのが普通である。現在の中には未来が入り込んでいて、未来は不確実である。とすれば現在もまた不確実だと、つまり、現在もどのように進行するのかは分らないと言わなければならないだろう。

セネカは、エピクーロスも現在と未来の出来事は不確実だが過去の出来事は確実だと考えていたという。彼はエピクーロスの、過去の楽しみ以上に確実なものはないという考えを肯定しつつ、未来、および現在の快楽について、次のように述べている。「われわれが享受している善きものが何であろうとも、-----もはや奪い取られることのない楽しみ以上に確かな楽しみはない、と〔エピクーロスは〕いうのである。現在の善きものは、また完全には安定を得ていない。何かの出来事がそれを切断することもありうる。未来の善きものは、また不定であり不確実である。ところが、過ぎ去ったものは安全に保存されている」。『恩恵について』第三巻、『道徳論集(全)』p529.

第5章見出し一覧に戻る

懐疑論者でも決定論者でもなかったエピクーロス

エピクーロスの哲学の根本原理である原子論は原子に偶然の動きを認め、唯物論であるにも関わらず決定論ではないということは第1章の最初のところでふれた。また、彼は懐疑論者ではない。彼は、知覚経験を確実なものと考えている。そして、彼は現存する著作の中では時間とは何であるかという客観的自然学的議論は行っていないが、行為において人間が過去、現在、未来とどのようにかかわりをもっているか、かかわるべきであるかについて述べている。

「メノイケウスへの手紙」の中で次のように言う。「未来のことはわれわれのものではないということ、かといって、全くわれわれのものでなくもないということ、このことも心に留めておくべきである。それは未来のことはきっと起こるだろうと、われわれがそれに全面的に期待をかけることがないようにするためでもあるし、また絶対に起こることはあるまいと、望みを捨てることもないようにするためなのである」(DL10、127)。この文に続いて快楽の種類(自然的で不可欠なものかどうかなど)について述べているから、快楽を得、苦を避けるために主体的な考量に基づいて行為を選択すべきであり、選択が可能だということを述べているのだと思われる。

少し後では「優れている人」とは「一部の人たちが万物の女王として導入している宿命を嘲笑して、そしてむしろあるものは必然によって生じるが、あるものは偶然によって生じるし、またあるものはわれわれの力の範囲内にあるのだと言っている人のこと」であり、そのわけは「必然は人間がどうすることもできないものであり、偶然は不安定なものであるが、われわれの力の範囲内にあることは何にも支配されることのないものであって、このものにこそ非難も、またその反対の賞賛も本来伴うのだということを、その人は知っているから」だという(同133)。言うなればきわめて理屈っぽい懐疑主義者とも、また極めて形而上学的な宇宙論に立つストア派とも違い、エピクーロスは常識的で“健全な知性”の立場を取っている。

そして、これもすでに第1章でふれたことだが、身体の快と苦は現在だけのものだが、魂は現在の快と苦だけでなく、過去における快と苦を記憶に保持し、また未来に起こるであろう快と苦を予期することによって苦しんだり楽しんだりすると述べている。エピクーロスが現在および将来の快楽が不確かなもので、確かな快楽は過去のものだけだと考えたということはセネカが報告しているだけである。しかし、これも、わたしには、ごく当たり前の考え方で、セネカの報告を疑う必要はないと思う。

第5章見出し一覧に戻る

(2) 時間的パースペクティブにおける釣りの快

「現在の釣りの快楽は不確実」で 「過去の釣りの快楽の想起はより大きな快楽」か

以下では、現在・未来・過去という時間のパースペクティブのなかで、釣りの快をわれわれがどのように味わうのかを考えたい。釣人は、魚を針に掛け、次いで魚を寄せようとしつつあるときに、具体的にどんな風に現在の「未完で不確かな快」を味わい、そして魚を釣り上げた直後に「完成した・完全な快」を感じ、あるいはそれから何ヶ月、あるいは何年か時間が経った後で、過去の釣りを思い起こして快を感じるのだろうか。魚を掛けて釣り上げつつあるがまだ完全には実現していない現在の快楽と、魚を釣って完了した過去の快楽を思い出す快楽とはどちらのほうが大きいのだろうか。

第4章で、釣りの快の原点は魚信=当たりにあると言った。微妙な当たりを取りながら刺し餌が魚の口の中に入った瞬間に道糸を引いて針掛りさせようと指先に注意を集中して待つ、期待と緊張に満ちた時間が大きな快を与える。当たりを取る快楽はマキコボシ釣りにおいてもっとも大きい。石物(イシダイ、イシガキダイ)釣りでは当たりは竿先にでる。コンコンと揺れる竿先が期待と緊張の混じった快を生むが、重い竿を持っている辛さが快を半減させる。石物釣りでは、針に掛けたあとの格闘に面白さの中心がある。大型の場合には大変だが、中型までなら、針掛かりさせたあとのイシダイとの格闘は「面白い」。

イシダイを針掛りさせ、根(海底の岩礁)に潜られないように全力でリールを巻いているところだとしよう。今、ワイヤーハリスを引っ張り、海底に向かって突っ込んでいこうとしているが、しかしやがて抵抗しつつも海面に現われてくるであろう彼奴(アイツ)の姿を想像して、興奮で血が沸きたち、期待で心臓が高鳴る。これこそ動的な快に私が満たされている瞬間であろう。

だが、途中で逃げられる可能性がある。何かの拍子に道糸が切れるかもしれない。また、魚を浮かせた後、船の中に取り込むときに、針が外れるというのはときどきあることだ。だが、この不安が与える「精神的苦痛」はほとんど問題にならないほど小さい。もしかしたらそのスリルは快と言えるかもしれない。また、3キロ前後までのイシダイなら、竿をつかみ、リールを回す手に力を入れる必要はあるが、その引きは心地よいと言ってもいいほどで、「身体的な苦」は全く問題ではない。イシダイを釣り上げているときの私は、「不完全、未完成」ながら、差し引き合計大きなプラスの快を享受している。この快は船内に無事に魚を取り込み終えたときに、完成し、完全な快になるだろう。

第5章見出し一覧に戻る

ペシミスト・夢枕獏の大物釣り

狙った大物を釣り上げるとき、すべての釣り人は同じように大きな快の中にあるのだろうか。ペシミストの夢枕獏は少し違う。

夢枕獏は、2006年時点で55歳、「身体のあちこちにガタがきている。体力も、脳力もがくんと落ちた」とはいうものの、「連載は、小説が14本。ノンフィクションが4本。他、単発の原稿が山積み」という超売れっ子作家である。彼は釣りが好きで自らの釣りの報告、釣りをテーマにした小説などを書いている。その一つ『愚か者の杖 ― 5大陸釣魚紀行』(徳間書店、2008)を読むと、彼は大型魚とやりとりしている最中に大きな「精神的苦痛」にとらわれるという。

アラスカで大型のキングサーモンを掛けた直後「鬼の形相でリールを巻き」「全身の筋肉を使って」魚を寄せようとしている獏は「心の中で悪いイメージと良いイメージがせめぎあっている。悪いイメージとは、結局、足元まで引き寄せた挙句に、ラインが切れてキングが逃げてしまうというものだ。いいイメージというのは、もちろん僕が、無事にこのキングをゲットすることである。当然ながら、こういうときに強いのは、悪いイメージのほうだ。これまで、何度、こういうケースで大物に逃げられてきたことか。ラインが切れる。鉤(ハリ)が外れる。竿が折れる。ここぞというときに、大物が逃げてゆく。----これまで何度涙を流したことか。こういうときに、大物は逃げてゆくものと決まっているのが人生である。必ずバレる〔魚に逃げられる〕。頭のなかでは、悲鳴が上がっている。筋肉には最大級の負荷がかかり続けている。」

獏の場合、夢に見た大物キングを掛けたあと、身体的苦痛とともに、それをはるかに上回る大きな精神的苦痛によって支配されてしまうようだ。失敗するという不安の苦が、大物をゲットする期待の快を上回っている。

大物(浪人アジ)を釣り上げて、したり顔の獏。
この写真は『愚か者の杖 ― 5大陸釣魚紀行』で検索した時に出てくるアマゾンのページに載っている。

英語には、日本語にない現在完了という時制がある。たとえば、I have finished the work now. (その仕事を今終えたところだ。)I have once been to America.(私は一度アメリカに行ったことがある。)などのように、今完了したばかりの状態、過去の行為の結果がいまも続いている場合などを表現するときに用いる時制である。今の瞬間にごく近いか、現在と連続しているとみなせるような過去を「現在」と考えているのである。

これと同様に、現在の行為がもたらすであろうがまだ完了していない未来のことがらを、現在との連続性のゆえに、未来ではなく現在の事柄と考えることもできるだろう。釣りにおいては、魚を掛けてから首尾よく釣り上げて手で触れるまでにたいてい数分あれば十分である。獏は魚を掛けてから数分後の未来における失敗を予感するが、この失敗を「未完了の現在」における事柄とみなすこともできる。その場合には古代ヨーロッパの人々が考えたように、獏は「現在の快の不確実性」を感じているということになる。

第5章見出し一覧に戻る

幅のある現在とヘミングウェイの老漁師

ヘミングウェイの老漁師サンチャゴが18フィートもある巨大なカジキマグロを釣り上げるまでには丸々2日間を要した。一般的にいえば、彼が魚を針に掛けた瞬間、あるいは格闘が始まった瞬間を現在とすると、魚を仕留めて船に結び付けるのは、未来ということになろう。だが、始まった闘いは、途切れることなく続いた。なるほど、一日以上が経過し、魚の引きが多少弱まった時には、サンチャゴは、魚が掛かっているロープを背中に回したまま、ウトウトすることもあった。しかし、魚はすこしも浮いていなかった。彼はまだまだこれからだということを知っていた。魚を浮かせて仕留めるまで闘いは続くのであり、その後のことは一切考えられなかった。闘っている「今」だけが存在したのであり未来は存在しなかった。ヘミングウェイ/野崎孝訳『老人と海』(1977年、集英社刊『世界文学全集』第77巻。

File:Hemingway and Marlins.jpg,英語版Wikipediaより。彼は自分のボートを使った釣りを好んだ。
一緒に移っているのは彼の妻と子供たち。

そこで、この老漁師の意識に即して、その連続した格闘が終了するまで、その結果が明らかになるまでを「未完了の現在」と呼んで、それ以後の「未来」と区別してみたい。そして、過去と区別される「現在完了」から始まり、未来と区別される「未完了の現在」にまで及ぶ「現在」を考えることにしたい。「現在」には客観的な幅はないということは明らかで、「今、この瞬間に私は生きている」とも言えるし、同じ現在形を使って「平和は100年間続いている」とも言える。現在は瞬間を指すことも、100年あるいはそれ以上の幅を指すこともある。ここでは、一続きの行為がなされている間を現在と考えることにする。

一続きの行為には幅がある。獏がアラスカでキングサーモンの大物を釣るとき、仕掛けを投入してから、掛けた魚を船の中に取り込むまでを現在と考えるか、朝、道具を用意して港に向うときから、魚を釣ってあるいは釣れずに帰港するまでを現在と考えるか、「一続きの行為」といってもその幅のとり方はさまざまに可能である。サンチャゴなら、カジキを掛け、しとめるまでを一続きの行為とし、その後、さめに襲われて骨と頭と尻尾だけになった「釣果」とともに帰港して、それをホテルの観光客たちが見ることになるのは、未来のことだと考えることにする。

現在とは「この今の瞬間」のことではなく、幅があると考える。だが、幅をあまり長く取らないようにする必要もある。「一連の行為」の時間幅を長く取りすぎると、エピクーロスが勧める事前の「考量」もできなくなるし、実際の行動の善し悪し(つまり快を得られたかどうか)についての事後の判断もできなくなってしまう。そこで、適当な幅で「一連の行動」と「現在」を区切って、その先を未来に属するとみなすことにするのである。

第5章見出し一覧に戻る

巨大魚をかけたときの獏の精神的苦痛

獏が彼の掛けた巨大魚と格闘しつつ予感する挫折は未来のことではなく、現在のことである。獏は、この現在が不確実だということを人一倍知っており、それゆえに、針から逃れようと暴れる巨大魚が彼の肉体に与える、今、この瞬間の苦痛以上に、今の瞬間に続くごく短い時間経過のなかで、不確実さに満ちた現在がボートのすぐ近くにまできている彼の獲物を逃がしてしまうだろうという、想像から生じる不安、精神的苦痛にとらわれる。

再びエピクーロス流に言えば、大物釣りは一般に動的な快と苦を与える。魚の強烈な引きは肉体的苦痛を与えるが、多くの場合、やがてまもなく釣り上げたその魚をこの目で見、手で触る時に感じるであろう喜びに満ちた瞬間を想像する、はるかに大きな精神的快楽を与える。だが、その現在の快は未完了で、不確実であり、求める釣果が得られないで終わることもしばしばある。その快は、挫折の結果が待っている未来を予想することの精神的苦痛を伴っている。

未来について言えば、不確実性はいっそう増大する。今格闘している大物をうまく取り込むことが(現在)できたとしても、そのあと、どんな不運が待ち受けているかわからない。獏はもしかしたら、写真に収めようとカメラを構えた瞬間に息を吹き返した巨魚が、その尻尾の一振りで彼を川の中に叩き込むと同時に、水の中に飛び込んで逃げてしまうというようなできごとに見舞われるかもしれない。ヘミングウェイのあの老人は、やっとしとめて、ボートの舷側に縛り付けた何ヶ月ぶりかの大マグロを、しばらくして集まってきたサメによって頭と骨だけにされてしまい、未来に待ち受けていたはずの、寄港する彼に人々が浴びせる賛辞は、得られないままになった。

未来の快楽は不確かだ。新たな快楽を求めて何か計画を立て、着手しても、快はそこから得られることもあるし、得られないこともあり、ときには、その計画がなければ生じなかったであろう大きな苦痛を味わうことになることもある。

だが、このような未来の全く不確かな快、及び現在進行中の未完の快とは違って、過去の快は、もうすでに完成(完了)していてその全体が私の精神の中に存在している。想起の快は、写真や魚拓を見ながらその瞬間を思い出して一人ほくそ笑み、楽しかった出来事をかみしめて味わう快であり、途中で逃げて行くことは決してないのだから、心配や不安の伴わない、純粋な快のはずである。過去の楽しかったことを回想することはそうしようと思うだけで何のコストもなしに、容易にできる。こちらのほうがずっと大きな快を与えてくれる。

しかし、現在の快が追求され、それが部分的にでも実現し、存在しなければ、後にその回想を行うことができない。われわれが追い求める快は不確実であり完全な形では実現しないかもしれない。失敗の苦痛(の記憶)が残ることになるかもしれない。しかし何度か試みることで成功するかもしれない。

第5章見出し一覧に戻る

エピクーロス 「回想の快楽は確実」

釣りにおいては、イシダイ釣りのように、10年やっても、一匹も釣ることができずに終るかもしれない。しかし、13年かかって釣った人もいる。運良く数年で大型のイシダイを釣ることができるかもしれない。イシダイはめったに釣れない魚だからとイシダイ釣りをしなければ、他の釣りでは味わえない大きな興奮を伴ったイシダイ釣りの快楽を回想したくてもできない。もちろん他の釣りはできるが、どの釣りであっても、確実に釣れることはない。それがいやで、たぶん釣れないだろうと釣りに行かなければ、よい、楽しい釣りを回想することは確実にできない。

老人で、すでに多くのあるいはある程度の快を享受してきた人ならば、“いつまでも若い積りで”新たな挑戦を続けるよりは、これまでの享受に満足して、「回想」を楽しむのもいいだろう。エピクーロスは「自然的でも不可欠でもない」快をあれこれ追求するよりも、自然学や哲学の研究により、それらの快を追求させる原因である根深い、持続的なストレスや不安に目を向け、その解消に努めることの方が、ずっと大きな「静的な快楽」を得ることになるという。また、金をかけたり遠くまででかけたりしなくても、身近で簡単に楽しめることがいくらでもあると考えることもできるかもしれない。
しかし、少なくとも、まだ快楽を享受していない若者の場合はもちろんのこと、十分満足の行く快を一度も享受したことのない人は、とにかく楽しい(とされている)ことを経験したいだろうし、あるいは、一度でいいから充分に満足の行くような楽しい経験をもちたいと考えるだろうから、エピクーロスの勧告に従うことはとてもできないだろう。われわれはエピクーロスの忠告と、「自然的でも不可欠でもない」多様な快の追求との間で充分な「考量」が必要だろう。

第5章見出し一覧に戻る

過去の経験の確実性と過去を回想することの不確実性

さて、回想すべき楽しい経験が存在すると仮定して、古代ヨーロッパに一般的であったとみなしうる「回想の快は確実」という考えは正しいだろうか。過去になされた行為は完了してしまっており、大物を釣り上げた楽しかった釣りという過去の出来事は時間が逆転したり、タイムマシンで過去に戻ってそれに介入したりすることが不可能である限り、変化しない。魚は釣られてしまっていて、逃げる恐れはない。その意味で回想の対象である楽しい出来事、快は完全であるといってよいだろう。

だが、回想する行為に関してはどうであろうか。釣り上げたばかりの魚に関して回想がなされる場合のように、短時間に完了する比較的単純な出来事のすぐ後で回想が行なわれるならば、失敗する心配はないかもしれない。だが、エピクーロスが病気の苦痛に耐えるために想い起こしたという、弟子と交わした哲学の対話は、内容が複雑であっただろうし、また、なされたあと長い時間が経過したものもあったはずだ。あるいは、私の釣りに関して言えば、20年以上前のものであったり、出来事が多数のシーンを含んでいたりするケースもある。

回想の対象である出来事の内容は不変だとしても、単に楽しかったという漠然とした印象を思い出すだけでなく、回想から十分な快を得ることができるためには過去を詳しく思い起こさなければならならない。複雑な内容を正確に想い起こし、あるいはできごとが含むさまざまなシーンに少しずつ光を当て、過去の時空間のあちこちを行きつ戻りつして、時間をかけて想い起こす必要がある。ところが、私が現在進めている回想行為自体は未完成・未完了であり、したがって、現在進行中の快が不確実であるというのと全く同様に、その回想行為を完成させることができるかどうかは不確実であり、回想が完成する保証はどこにもない。

第一部「私の釣り」第3章「イシダイ釣り」の中の「関東でのイシダイ釣り」は、25年以上前、東京にいた頃のイシダイ釣りを思い出しながら書いたもので、400字詰め原稿用紙で200枚近くになる。私は東京にいた頃は日記をつけていなかったし、メモの類も残していない。手がかりといえば、釣った魚の大きさ、日付、場所の入った数枚の魚拓、そして数枚の写真くらいのものである。
しかし、その1匹1匹について、当たりがあって合わせ、魚を掛け、釣りあげるまでの記憶は非常に鮮明で、そこから書き始めて、その場面の前後の状況や行動へと記憶の糸をたぐっていくと、過去の多くのことが次第、次第に思い出されて、回想世界とでもいうものが広がってくる。
パソコンのワープロを使って文章化しながら回想が行なわれるので、ひとつの場面・状況から次の場面・状況へと回想が移っていくには、文章化するのにかかる時間とほぼ同じ時間がかかる。また数日、数週間経ってからすでに書いた文を読み返して、新しい別な場面を思い出すということもある。私が「関東でのイシダイ釣り」を書くためにパソコンに向かっていた時間は延べ50時間程度ではないかとおもう。しかし、一回で書き上げたのではなく、少し書いてはファイルし、何日か何週間か経ってから再び続きを書く。このようにして文が書かれ、私が四半世紀以上前に行っていたイシダイ釣りに関する回想が完了するまでには、数ヶ月かかった。

回想は瞬間的になされ、すぐに完成・完了してしまうものばかりではない。今述べたような長い時間を要するものの場合には、断続的に行われる回想行為が途中で挫折し、未完のまま終わるという可能性も十分にあるはずである。

第5章見出し一覧に戻る

ワープロ/パソコンを使った回想

実際、書きかけの途中で、私はパソコンを立ち上げることができなくなるトラブルに見舞われ、数週間、回想ができなくなっていた時期がある。30年以上前にはすべて手書きで書いており、卒論や修論などの多少長い文章を完成させるためには、ハサミや糊を使って原稿用紙を切ったり貼ったりする苦労があった。文の手直し、推敲、「切ったり」、「貼ったり」はワープロ/パソコンの画面上で行うと非常に楽である。
ワープロ/パソコンを使って文章を書くことが当たり前になってしまっている現在では、ハガキ程度の短い文でもワープロを使わずに書くことが難しい。イシダイ釣りでは太い丈夫な竿や頑丈なリールを道具として使うことが本質的な条件であるのとまったく同様に、ワープロ/パソコンは、現在の私にとって書きながら回想する行為を行うための必要不可欠な条件である。途中で竿が折れたりリールが壊れたりしたらイシダイを釣り上げることはまず不可能であるのと同様に、パソコンのブレイクダウンは書き、回想することにとって致命的である。

トラブルによっては、ファイルの読み出しが不可能になる場合もある。完成間近の200枚ほどの原稿のファイルがだめになったとしたら、もう一度最初から書き直す=回想しなおすだけの気力が起こったかどうかひどく怪しいと思う。回想は非常に楽しいと言っていることと矛盾するようだ。楽しいことは何度でもやればいいではないか。

確かに、私は回想=文章化の作業を楽しみながら行ってきた。しかし、私は楽しい時間を過ごすことができて満足だとは思わない。針に掛けたイシダイに途中で逃げられたときに、魚を手に取ることはできなかったが、強い引きを十分に味わうことができて満足だったとは絶対に思わないのと同様、書きかけの文を完成間近に無くしてしまい回想を完了させることができなくなるのはひどく辛い。私は大いに落胆し、苦しむことになっただろう。パソコンに打ち込むことでなされてきた回想は、パソコンのブレイクダウンによって、「不完全な快」でも、無でもなく、完全な苦に転じただろう。私はその苦しみから立ち直ることができず、以後、回想することを止めてしまったかもしれない。

幸い、このパソコンを組み立て私に只で譲ってくれた、友人・森川氏の適切な対処のおかげでパソコンはまもなく動くようになり、また、ファイルも無事だったので、少し休んだだけで、回想を再度継続し、イシダイ釣りの思い出を完成させることができた。

だが、多くの場面を含む長い期間にわたるできごとについての回想は、一瞬のうちにはなしえず、時間を掛けて少しずつ行なっているうちには挫折することがあること、回想は書き付けていくことでその細部までより正確に行なうことができるが、書いたものが紛失する、パソコンなどを使う場合ファイルがだめになることがあり得、未完のままに終ることもある。

第5章見出し一覧に戻る

(3) 獏は未来の恍惚老人として、現在の釣りを回想する

さて、釣りの最中には不確定で未完であった快は、掛けた魚を取り込み終えたときに完了し確定する。わたしが掛けたイシダイを船に取り込むことができたところに戻ろう。このときになって私は、当たりが出て竿先の曲がりがスピードを増しながら大きくなったこと、思い切り竿を立てて合わせ、魚を掛けたこと、休まずにリールを巻きつづけ魚を浮かせたこと、波に乗せて思い切り魚を引き抜いたことなどを瞬間的に想い起こしつつ、すべてうまくやれたとにんまりし、ヒレを逆立て、硬い歯の並んだ口をかっと開けて怒りと抗議を表しているイシダイの勇姿にしばし見とれる。私は釣りの進行中には、時に腕にかかる負荷に悲鳴を上げ、「ばらす」かもしれない不安の苦に取り付かれることもある。だが釣りを完了したときには、実際にイシダイを釣り上げることができた快い達成感に浸りきる。たしかに体を使った現在進行中の動的な快よりも、完了直後の回想という精神的な快のほうが大きいといってもいいのだろう。

夢枕獏はどうなのか。彼は、魚とやりとりをしているときには「ばらす」だろうという想像ゆえの精神的苦痛の方が上回っていると言っていた。だが、釣り上げたあとでは、こう言う。「ああ、もう、これで一生分の思い出ができてしまった。そう思う。これで、おれは、一生だいじょうぶだ。歳を取り、動けなくなり、家から外に出られなくなっても、ストーブの炎に手をかざして暖をとるがごとくに、この思い出に心の手をかざして温まることができるだろう」。

釣り上げた直後の彼は、その釣り上げた魚の形の美しさに見とれたり、奇怪で巨大な魚体に手で触れながら、こいつをやっつけたぞという満足感、今回はうまくやれたぞと言う達成感に浸るだろう。だが、それだけではない。彼はこの現在を過去の思い出として回想する将来の自分を想像する。

将来、彼は、恍惚の人となったときに、現在の釣果をかつての自分の釣りの誇らしい成果として想起し、楽しい気持ちに浸るだろう、というのである。彼は今現在、うまく釣り上げたことを喜びつつ、さらに、この釣りを回想し楽しんでいる未来の自分を想像することで(この未来の快楽は未完で不確かなものだが)、喜びをさらに増大させている。彼にとっては、現在進行中の釣りは、挫折の予感のゆえにむしろ苦痛であった。そこで釣りが成功裏に完了したときに、先ほどの腕の痛さや不安によるマイナスのうめあわせを行おうとするかのように、現在の確定した快に付加することのできる快・喜びを未来から得てくる。

第5章見出し一覧に戻る

釣りを「三倍楽しむ」

普通の釣り人は狙った魚を掛けたときに、バラす予想もするかもしれないが、たいていは、うまく釣り上げることを期待し、成功の予想による喜び、快のほうを大きく感じるだろうと思われる。普通の人は獏とは違い、釣っている(魚を掛け、引き寄せている)間にも大きな快を得る。

だから、われわれは、夢枕のやりかたをうまく真似れば、三重のやりかたで快を得られるだろう。つまり、まず、現在進行中の釣りにおいては、主として当たりを取り合わせを行うタイミングを計るスリル、次いで掛けた魚の引きから得られる手ごたえと結びついたスリルに満ちた興奮の快から、身体的苦痛や未確定さに対する不安というマイナス要因を差し引いた快を得、次に、釣り上げた直後には、釣り上げるまでの過程の想起も含め、すでに完了し確定した釣りから完全な快を得、そしてまた、未来においてこの確定した現在を楽しく回顧するであろう自分を想像することによって快を得ることができるだろう。現在の瞬間だけを楽しむ釣りに比べれば、このように釣りを3倍楽しむことも可能だ。

第5章見出し一覧に戻る

(4) 中国の古諺 「釣りは永遠の幸福を与える」の論証 

このエッセーの第1章の始めに掲げた中国の古諺(コゲン)を再度掲げる。

「1時間幸せになりたかったら、酒を飲みなさい
3日間幸せになりたかったら、結婚しなさい
8日間幸せになりたかったら、豚を殺して食べなさい
永遠に幸せになりたかったら、釣りを覚えなさい」。

この古諺の正しさを<論証する>という課題にそろそろ取り掛かることにしたいが、まず、この古諺を読んで、全く「唯物(論)的」で、知性あるいは精神性に欠けると言うひともあるかもしれない。古代中国においても、上流階級は詩歌や音楽、あるいは囲碁や将棋を楽しんでいたはずなのに、なぜ、この諺には、幸福との関係で、歌を歌い、音楽を聴く(あるいは楽器を弾く)、あるいは小説や文学を読む、絵を描き、俳句や詩を作るというような知的、精神的趣味が登場しないのか。もしかしたら、飲酒、結婚(セックス)、うまい食事、そして釣りは庶民が好むものだと考えられているのかもしれない。それならそれでもかまわない。しかし、酒、結婚(セックス)、グルメ、そして釣り(あるいは何かのスポーツ)のどれかだけで、幸福が得られるのではないということ、ほかにも人を幸福にしてくれるものがあるということは確かだ。しかし、ここでは様々な趣味の優劣については論じることができない。勝手ながら、上の唯物論的古諺に限って、論証することにしたい。

第5章見出し一覧に戻る

酒について

一行ごとに吟味しよう。まず、酒は一時間幸せにしてくれるという。これはどういう意味だろうか。私は、30代半ばからの10年ほどの間、オーバー・ドクターで私立大学の非常勤講師などの仕事を行っていた。その頃、毎晩のように寝酒をした。昼間、難しい本を読み、夜布団に入ってもすぐには寝付けないため、少しアルコールを飲み、釣り場の写真集を眺め解説でも読んだら眠れるのではないかと考えたのである。だが、あっという間にアルコールの量が増え、危うくアルコール依存症になりかかった。また記憶力など「脳力」の低下にも気がついた。その頃は確かに毎日1時間ほどは幸福であったかもしれない。だが、「脳力低下」はまだ早すぎると感じたし、また依存症にはなりたくないと、飲酒の習慣は断った。その後、正規の教員として就職して、10数年、還暦をすぎ、退職して、もういいかと、時々晩酌をしたが、ちょっとでも飲みすぎたら、たとえばコップ一杯以上の日本酒、250ミリリットルより多いビールを飲んだら、頭痛がするようになった。こういう次第で、今も、アルコールはほとんど呑まないようにしている。

画像はWikipedia「日本酒」

現役を引退した人なら、勤勉・禁欲の倫理に従う理由は全くない。私のようにアルコールに弱い人間は別として、布団に入る前の1、2時間、アルコールを楽しみ、幸福な時を過ごすのはとてもいいことなのではないか。

ところで、この諺は、酒は1時間、結婚は3日、---そして釣りは永遠の幸せを与えると言っている。しかし、酒は1日の内の1時間だけかもしれないが、飲みすぎたり、依存症になったりせずに、上手に飲んで行くことができさえすれば、一生楽しむことができる。また逆に、釣りは一生楽しむことができるかもしれないが、平均的な人は現役時代には、休日にしか釣りはできない。それでもこの古諺の作者は、釣りは「永遠」だと言っているのである。
そうだとすれば、酒も釣りと同様、一生の、つまり永遠の幸福を与えるものだと言っていいはずだ。そして、古諺の作者の意図がどうであれ、酒が釣りと同様永遠の幸福を与えるということを認めるのは、釣りの価値を否定することにはならないし、釣りが永遠の価値を持つということを認めても、必ずしも、酒の価値を否定しなければならないわけではない。こういう風に考えれば、酒によっても永遠の幸福に預かることができると考えられる。

第5章見出し一覧に戻る

結婚について

次に結婚について考えてみた。結婚は一人でできることではない。自分を好いてくれる相手が必要である。そして、結婚できたとしても、一生仲良く暮らしていける相手に恵まれるのは簡単ではなく、最初の幸福を一生享受できる人は多くはいないだろう。また、仲良く暮らすことができたとして、その相手に先立たれてしまうなら、その後の人生はかえってひどくさびしく辛いものに感じられるのではないだろうか。このように考えると結婚は必ずしも幸福をあたえてくれず、またお酒ほど簡単に手に入れることが出来ないもので、あまり重視すべきものでないということになるかもしれない。

とはいえ、これまで、私は、エリアスのいう「慣例化」との関係において、遊びである釣りの社会(学)的な意義について語ることが多かった。釣りは、「慣例化」つまり、勤勉・禁欲、礼儀正しさ、秩序、規律(ルール)の重視、時間の節約、時間の厳守、将来のために現在を犠牲にする計画的な生活、約束・契約・義務などの関係の重視、こうした言葉で表される生き方に対するアンチテーゼであった。釣りは、時間の浪費の勧めであり、「慣例化」された社会から逃れ、他人の要求に縛られず、同調せず、自分だけの好みに従って、自由に生きることであった。そこで、結婚についても「慣例化」という社会学的観点からもう少し考えてみる。

エリアスは『スポーツと文明』のなかで次のように述べていた。現代社会においては、一般に、ひとびとは直接的な感情の表現や衝動的な行動を極力自制するように求められている。職場がその典型的な例であるが「慣例化され、規則だった生活領域」において、われわれは、「社会の長期的な要求」と、そのような社会にわれわれが生きていることにより生じる、「われわれ自身の長期的な要求」つまり、家や車を持つ等々、一定のレベルの生活を送るために必要な社会的な地位を手に入れる要求を満たす。ところが、われわれは、数々の「即時的、自然発生的な欲求とその満足感を犠牲にして」そうするのである、と。

両性の出会いはしばしば固有の興奮を生む。しかし、われわれは、職業生活という「慣例化された領域」においては、「この男性、あるいは女性―われわれの秘書、別の課の同僚、お客、銀行や保険会社の社員―にかれらをどれほど好きか、かれらがどれほど魅力的か、かれらとつきあってみたいというようなことは言わない」。性的衝動とその表現は非常に特殊な方法で制限されている。現代社会では、「異性を知るあの大きな興奮に満ちた経験は、社会の公的規範や伝統に従って、そのひとの人生における唯一のできごとになるように調節されている。愛の概念によって象徴される、あの社会的に認知された最も大きな興奮は、少なくとも、理想においては、それを個々の人間の人生における一回限りの経験に制限することで、人生の規則性に〔適合すべく〕調整される。」

職業生活の領域においては動物的な衝動、情熱や興奮を抑制するような規制が働いている。「抑制を緩めることは、異常であるとかあるいは犯罪的であるとか」、あるいは不倫であり、スキャンダルであるとして、社会的な制裁が加えられる結果になることが多い。

神前結婚。写真は松山道後の老舗旅館ふなやのHP(http://bridal.dogo-funaya.co.jp/)から借用した。

他方でエリアスは、結婚は性行為への自然的な衝動を満たし、スポーツと同じく、興奮を伴った快楽を社会的な承認のもとで享受することができる制度であるが、結婚には、同時に、外の社会で求められる他者に対する感情表出の抑制という慣例が浸透していて、抑制の緩和には限度がある。また当然のことながら、家族に対する責任を伴っており、外でのスポーツやその観戦などから得られる、責任なしで手に入れることのできる興奮、楽しみのように、ただ単に生を活性化し、楽しみを与えるだけの仕組みではないと言っていた。

さらにエリアスは「長期間続いた秩序正しい結婚生活に固有の性的満足を含む満足感と、新鮮で新しいユニークな愛着に固有の特殊な興奮」を区別していた。彼は前者は食事や睡眠と同じように「慣例化」された行為であるとし、他方、後者は休暇旅行、気分転換のための外食、などとともに、もっとも非慣例的な活動だとしていた。

ちなみに、サルトルはボーヴォアールと恋愛関係にあるときにも、時々浮気をした。彼女がそのことをたずねると、かれは「----君との愛は必然性の愛だけれど、人生には偶然性の愛もあっていいのじゃないかな」と言ったという。開高健「聡明な恋する女、ボーヴォワール」、全集13巻。サルトルも長期間にわたる恋愛関係に「慣例化」を感じ、時々は「非慣例的」な偶然の愛を楽しんだのであろう。

性的な満足は、単に結婚生活のなかでだけ求められているのではなく、実際にうまくいくかどうかはわからないが、外の社会のなかでもまた追求されるものでもある。人はこのような形で社会の慣例化された生活の厳しい秩序を緩やかにしようとする。エリアスはそれらはひとが「火と戯れる」ように「規範と戯れる」ことを含んでおり、時々度を越えてしまい「不幸な」結果を招くこともある、と言っていた。

性的欲求は若い元気な時だけのものだろうか。キケロが『幸福な人生』で描く大カトーは性欲から解放されて喜んでいる。老年がみじめなものと思われている理由は4つ:@公の活動から遠ざかること、A体力の衰え、B肉体的快楽が失われること、C死が近いことだと言い、@、Aは間違いだと退けたあとで、大カトーは自然が人間に与える病毒で肉体の快楽以上に致命的なものはないといい、この青年時代の悪徳の最たるものを取り去ってくれるということは老年の「素晴らしい賜物」で、「大いに感謝しなければならぬ」という。

このように考える人はどれくらいいるのだろうか。私には、かつての恋愛、性的結びつきを思い出して、その行動を促した欲求がなくなったといって喜ぶ気持は理解しがたい。スポーツや激しい運動はかつてはできたが、身体能力の低下によって今はできない。それは哀しく寂しい。今は無理だが、できるなら同じことをやり、楽しみたいと多くの人が感じるのではなかろうか。同じように、恋愛とセックスについても、性欲の減退を悲しむか、恋の冒険に乗り出す気概のなさを悲しむかのどちらかの人が多いのではないだろうか。

私は性欲から解放された喜びを味わうことは依然としてできないでいるが、恋の冒険に乗り出す気概に欠けていると感じて多少哀しい。ゲーテが72歳から74歳のときに17歳の少女ウルリーケを愛し、結婚の申し込みをしたことは有名であるが、加齢が恋の冒険を難しくするのは凡人であるからだろうか。冒険の経験が乏しいので「一生の幸福」としての「結婚」について語ることが難しい。「結婚」が与える幸福とその限界について語るのはこれくらいにし、三つ目の快楽に移ろう。

第5章見出し一覧に戻る

食の楽しみあるいはグルメについて

三つ目の快楽である、豚を殺して食べることについて考えてみよう。これは食の楽しみ、あるいはグルメの快楽と言い換えることができるだろう。そして、この快楽を得ることができるためには、健康、とくに歯の健康が前提であるが、年を取れば病気になったり歯がわるくなったりして当然であり、うまいもの、好きなものを満腹するまで食べるというわけにはいかなくなるというのが一般的なのではなかろうか。つまり、健啖、あるいはグルメから得る幸福・快は、若いときと比べて小さくなってしまうことは明らかだと思われる。

食の楽しみ。私が送った魚を材料に友人の娘・N嬢が作った食事。 豚肉はないがおいしそうだ。

だが、病気になったり歯が悪くなって食欲が低下するというのでなく、最近では、健康であっても、健康を維持しようとして、食べることが抑制される傾向がある。かつて、20代のころ、友人のなかに、サスペンダーでズボンをはいたゴッドファーザー役のマーロン・ブランドのどっしりとした体型にあこがれた者がいたが、今世紀に入ったころからは「恰幅のよさ」をほめる人はいなくなった。
そして毎年「健診」で、生活習慣を改善するように、脂っこいものを控えるようにと医者や保健士の「指導」を受ければ、食、グルメへの欲望はあってもそれを抑制せざるを得ないと感じるであろう。こうして、一般的には、年をとったら、食の快楽を追求することは難しくなるといえるだろう。

したがって、食の快楽は、性の快楽と似て、「一生」楽しむのはむずかしそうだ。そして、元気旺盛であったころそれらから得た快楽についての回想は、幸福感、快を与えてくれず、むしろ、現在それらを享受することのできない老境の不幸を悲しみ悔しく思う、苦を与えることのほうが多いのではなかろうか。

第5章見出し一覧に戻る

過去の快楽は現在の哀しみか

2011.7.22愛媛新聞、読者欄の1つ「てかがみ」に85歳の女性が書いたという次のようなエッセーが載っている。

15年程前、横浜在住のいとこの世話で10人のいとこが集まり、10回余り、房総半島、伊豆半島の一周など旅行をし、夜は歌ったり会話を楽しんだりした。「忘れられない楽しい旅であった。」その後、骨折して、足が不自由になった。「時々、----たくさん歩いている自分の夢を見る。---若くなれないし、骨折以前には戻れない。「シルバーカーを押したら歩けるのだからそのことに感謝しなくては」と周りから言われるし、自分でもそう言い聞かせているが---。昨夜も、旅先や自宅の庭を元気に歩いていた。そして目が覚めた」。

骨折は女性に多いらしいが、この婦人ばかりでなく、年をとって足が不自由になる人が多い。こうした人が、かつて自由に歩きまわることができ、外出、買い物、旅行を楽しんでいた過去の自分を懐かしく思い起こすだけでなく、過去に戻れない現実を辛く感じることは確かにありそうなことだ。

エピクーロスは、肉体的な快楽はそのときだけのものだが、しかし、その快は、魂に刻まれ、何時までも記憶することができる、と言っていた。この記憶は精神的快である。肉体的快を源泉とするが、想起は頭の中でなされることであり、この精神的快は持続的だ。精神的な快であれ、肉体的快であれ、楽しいことの記憶は、記憶が失われない限り、快を与え続けるという。

だが、上の老婦人の状況はこのエピクーロスの言うことと違っているように思われる。現在の不自由さを感じる苦は過去の楽しい思い出によって緩和されず、かえって増大させられている。では、彼女は回想を楽しむ代わりに、夢の中で過去を楽しんだというべきだろうか。しかしなつかしく楽しい夢は覚めたときに心をかき乱し、悲しみを引き起こす。彼女の文章からは歩いている夢を見て目が覚めた時に彼女が感じる、歩き回ることができない現在の寂しさ、悲しさが強く伝わってくる。そして、食やセックスのような身体の健康に関係のある快楽の場合には似たことが言えるのではないだろうか。

第5章見出し一覧に戻る

(5) 釣りの回想は哀しみを伴わずに楽しみだけを与える

ところが、釣りの場合には、獏が想像する恍惚老人ように、歳を取ってからも、できなくなってしまったことの不幸を感じるのでなく、過去の釣りを回想という形で楽しみ続けることができる。釣り人は過去の楽しい経験を、現在それができないことの悲しみを伴わずに、もっぱら楽しいものとして思い起こすことができるのである。

釣りには他の種類の活動とは異なる特長があるように思われる。すべての釣り人についておなじことがいえるかどうかはわからない。また釣りだけでなく他の活動においても、人によって、回想の中でおなじように過去を楽しむことができるのかもしれない。たとえば、エピクーロスが弟子の友人と交わした哲学の会話を思い起こして大きな快を得ることができたというのはその例である。だが一般的な庶民が弟子あるいは友人と行った哲学的な対話を楽しみながら回想するということは無理だろう。釣りは哲学とは違い断然多くの人が行うことができ、また回想することができる。

前の章の終わりで紹介した緒方の「人生至楽」という詩はまだかれが現役の釣り人だったときに書かれたものである。しかし「老人は竿を担いで/ 過去を釣り/魚楽を観る」という句から分かるように、すでに彼は、〔将来〕老人となったときに「過去を釣り、魚楽を見る」ことを知っていた。

夢枕獏は恍惚老人となったときには焚き火に当たりながら過去をなつかしく思いおこして楽しむということを想像しているのだが、彼は当時まだ55歳である。それが現実になるとしてもしばらく先のことだ。ところが、私が読んだ釣りの随筆で、実際に過去の釣りについて書いた文はすべて、楽しく思い起こしているものばかりである。幾つか例を上げよう。

第5章見出し一覧に戻る

老アクサーコフの回想

ロシアの作家アクサーコフ(1791-1859)は、1847年56歳で公刊した『釣魚雑筆』で、彼の過去の釣りを思い起こしながら、次のように書いている。

「熱心家の釣り人-------彼らのうちだれもが老齢に達したものなら、手に竿を持って眠気も疲れも忘れて、すきな趣味に情熱的に没頭していたあの若い頃の、彼を奮い立たせたあの生き生きした感情を回想することに楽しみを見出すのである。彼はきっとこの黄金のときを満足をもって思い起こしているに違いない-----そして私もそれをずっとむかしの甘い、しかしあまりはっきりしない夢のように憶えている。それは焼けつくような真昼-------、暗青色の、しかし澄んだ深みへ憑かれた者の眸をじっと凝らしていた若い釣り人の姿である----そして若者はどれほどか心臓が止まりそうになり、息がつまりそうになったことか、----それはずっと以前のことだ、ずっとずっと昔のことだ!若い釣り人たちは今も同じことを体験している。そして私は彼等が情熱的な釣り人のこの生き生きした、純な感情を長く持ち続けるよう祈るものである」(前掲書、p125f)。

彼は「熱心家の釣り人」は「若い頃の、彼を奮い立たせたあの生き生きした感情を回想することに楽しみを見出す」と書いている。そしてまさしく彼は「熱心家の釣り人」の一人である。

彼は68歳まで生きた。そして作家としての活動は晩年の10年に集中している。とはいえ、日本で言えば、江戸時代末期の社会に生きた人だから、56歳という年齢は彼が十分に老境に達していると考えることを許すだろう。老いたアクサーコフは『釣漁雑筆』を執筆しつつ、過去、彼が若かった頃の釣りをなつかしく思い起こし、楽しんでいるのである。

第5章見出し一覧に戻る

小学館の編集長・山田武美氏の回想

私が読んでいる『愛媛新聞』は、木曜日には一つのページが釣り情報や、釣りの随筆などの記事で特集される。2009年7月16日(木)の「編集長の釣りある記」Oで、小学館の編集長、山田武美氏は、次のように書いている。

「週末のスケジュールはほとんど決まっている。多趣味なものでいろんな予定を入れてしまうから。---あえて何もしない休日もときに作る。そんなときの朝は目覚めてから布団の中でまず考える。---その時間はとても至福のときなのだ。----今幸せであることを自覚しながら布団のぬくもりを味わうのだ。実は3年前に大腸がんが見つかり開腹手術を受けた。---そんな経緯があったからこそ、余計に生きている幸せを実感できる。まだ布団の中にいる。がんに再びなりたくないので、楽しいことを思い浮かべる。やはり良い釣りをしたときのことが多い。そのなかでもニンマリしてしまうことの1つがこれだ。手の感触や潮の色まで記憶している。」

彼は、ふる里、新潟県の日本海で、生餌にするアジが釣れず、たった1匹だけの餌で釣りをし、良型のヒラメを釣ったときのことを思い出すのだという。山田氏はたくさんの趣味を持つ。しかし、自分が生きていることの幸せをしみじみ感じつつ、これまで生きてきたことを思い出して、楽しかったなあと思い出されるのが良い釣りをしたときのことだという。

第5章見出し一覧に戻る

作家・土師清二の回想

もうひとり、年をとって釣りを止めた、あるいはできなくなった後で、過去の釣りを思い起こし、哀しむことなく楽しんでいる釣り人の例をあげよう。

土師清二(1893-1977)は作家で雑魚クラブのメンバーでもあった。彼は昭和50年に刊行された『つり人生』(二見書房)の「あとがき」で次のように書いている。

「頽齢83歳、もはや現役の釣人ではない。竿はケースにおさまったきり、魚籠はタナでほこりをかぶっている。道具入れの小ダンスは押入れのなかに置いたままになっている。このところ、実際の釣から遠ざかっていて、車窓か、机上か、もっぱら追憶、空想のなかで釣をたのしんでいる。」

また、同書の「塩原行」という随筆では、俳句仲間の塩原行きに加わった時、「古河でフナ、思川でタナゴ、箒川でハヤ、アユを、空想のなかで釣っていた。老体を自重して釣をやめて十年になっても釣心は消えず、車窓から河川を、池沼を、あの辺で、こう釣ってと老眼裏に白昼夢をえがき、手のうちでアユが首をふり、青銅かとおもわれる魚体のフナがぬめぬめして丸い眼玉を動かしている-----。」こうして、著者は、年を取って釣りができなくなったことを悔しがるというよりは、釣りの思い出を存分に楽しんでいる。

雑魚クラブ編『随筆釣自慢』 所収の「ヤマベ釣り」では、東京に住んで、利根川、多摩川、酒匂川、狩野川の支流で一年中ヤマベを釣ったと言い「冬場のヤマベ釣りがよい。めったに釣り人に出会うこともなく、寒江独釣の風趣がすきなのだ」と言っている。彼は「寒江独釣の風趣」のなかで、年をとって釣りをやめてから「空想の中で釣りをする」自分をすでに経験していたのではないだろうか。

これら随筆を読むと、釣りにおいては、過去の楽しい経験を、現在それができないことの哀しみを伴わずに、もっぱら楽しいものとして思い起こすことができる、と考えられるのである。釣り人は、歳を取ってからも、できなくなってしまったことの不幸を感じるのでなく、過去の釣りを回想という形で楽しみ続けることができる。釣りには他の種類の活動とは異なる特長があるように思われる。

第5章見出し一覧に戻る

(6) なぜ、あるいはどうすれば釣りの回想は哀しみを伴わずに行うことができるか

では、なぜ、釣りは、それがもうできなくなってしまった時になっても、そのことを悔しがったり、悲しんだりしないで済むのだろうか。私自身の経験に即して考えると、二つの理由が考えられると思う。1)想起によって、過去に戻って釣りをたのしむことができるから。だが、それなら、グルメや、酒や結婚についても同じことがいえるかもしれない。2)釣りをしている現在すでに、今、老人と同じ境地にあるから。

しかし、とにかく、釣りにおいては、過去の楽しい経験を、楽しいままに回想できるということが十分説明できれば、釣りが一生の幸福を与えるというあの古諺の論証は完成することになるだろう。以下でそのことの説明を行おうと思う。

現在の我を忘れること

上の老婦人のように、過去の楽しかった経験を思い出すことが楽しいことではなく、現在の自分がもはやそれと同じようなことはできないということを気づかせ、かえってさびしさや哀しさを与える、というのはどうしてだろうか。それは現在の自分を過去の自分と比較する自己意識がはたらくからである。もし、私の意識が、現在の自己にむけられず、そのよかった過去を楽しむことに全面的に向けられるなら、私は自分が今どうであるかを忘れて、その過去の自分を楽しむことができるだろう。そのようなありかたは「われを忘れる」か、自己意識を失うことによってしか可能ではない。

夢のなかでは私は私を意識せず「〜できない本当の自分」を知らず、私は「〜できる自分」であり、楽しい。夢は無意識によって構成された物語であり、そこには自己は存在しないからである。認知症になってもそのようなしかたで過去に戻ることができるだろう。私が自己(についての)意識から逃れられないのは、私が自分の行動を経験や思考を用いてコントロールすることによって生きている意識的存在であり、意識は自己意識の働きを伴ったものだからである。私が過去の元気旺盛であったころ食欲や性欲の実現によって得られた快楽・幸福を回想するときには、現在それを同じようには実現することの出来ない自己を意識する。楽しいと同時に楽しくない、楽しいと同時に哀しいのはそういうことである。

だが、われわれは何かに夢中になって「われを忘れる」ことがしばしばある。もし過去の経験を回想することに夢中になって現在の自分を忘れるなら、現在のできない自分を過去のできる自分と比較することもない。私は回想を楽しむだけであり、哀しい思いをしないですむ。しかし、そうだとしても、それは結局、夢から覚めたときにそれが現実ではないことを知ってがっかりし、悲しむことになるのと同じように、少したって「我に返った」ときには哀しむことになるのではないだろうか。そうではない。

第5章見出し一覧に戻る

過去の釣りを詳しく書き留めておく

私が開高健の『オーパ』を読み、夢枕の『愚か者の杖-―5大陸釣魚紀行』を読むとき、私は彼らの激釣を心から楽しむが、そのときに、自分がそれと同じ経験をしたことがないこと、あるいはそうしてみたくても無理だということを悔しく哀しいなどとは感じない。開高健や夢枕獏が書いた「釣り文学」では、プロの作家の磨き抜かれた言葉と文章が、その釣り場に行ったこともなく、同じような釣りをしたこともないであろう読者に、その釣りをあたかも自分がやっているか、あるいはその場に居合わせてそれを見ているかのごとく感じさせ、興奮させ、楽しませてくれる。私は自己を悲しむのではなく、釣っている開高や夢枕と自己とを同一視することによって、楽しい時間を過ごす。

もし私が、自分が過去に行なった釣りを開高や夢枕が書いたような見事な文で書ければ、私はそれを読み返して過去の釣りを満喫できるだろう。しかし、自分で書いた回想文は、それとは違う。読者の想像を掻き立てることはなく、興奮もさせないであろう。だが、私は自分が実際に経験した釣りを「想像する」必要はなく、私の回想文は記憶を掻き立てる手がかりを与え、その釣りをしていたときの私の期待、緊張、興奮、楽しい気持ちをただ想い起こさせるだけでいいのである。文章や構成はどうでもよい。そのよい釣りを行った日の経験を、クライマックスだけでなく、それをはさんでできるだけ長い時間にわたって、その日の釣りに関連のあるできるだけ多くの事柄とともに、詳しく書きとめておきさえすればよい。そうすれば、そのときの釣りをリアルに思い起こし、その日の釣りを「再体験」することができる。、

もう少し具体的に述べてみる。私が三宅島のある磯で大型のイシガキダイを釣り上げた瞬間とその前後のたぶん30分ほどのことを20〜30秒間、あるいはせいぜい数分間思い起こすという場合には、私はそのときの情景を漠然と思い浮かべるだけで、そのときの経験に浸ることも、十分に味わうこともない。私は「あの時は大型のイシガキダイを釣った」という単純な事柄を思い起こすだけである。得られる快楽はわずかである。だが、魚を掛けてから、その魚を10数mの高さのある崖の上に「吊り上げ」るまでの30分ほど間のスリル、興奮を、その釣り場がどこにあるどんな磯であり、仕掛けを投入するポイントはどこか、魚が掛かった後、崖の上までどうやって魚を引き上げたのか、誰がその場に居合わせ、どんな道具を使って引き上げようとしてくれたか、そうしたことを最大限詳しく記した6ページほどの「回想記」読んでありありと回想するとき、その大型魚を釣ったという過去の事実は現在の「もう釣ることはできない」自分を意識する余裕を私に与えず、私をその時の情景の中にまっすぐに引きずり込むように感じられる。

私が書いた「回想記」は作家が書いた釣行記とは比べ物にならず、他の人が読んで夢中になることはないだろう。しかし、私はしばらくぶりに自分の書いた回想文を読むとき、その中の自分と現在の自分とをやすやすと同一化する。私は回想の中の自分が大型魚を釣る楽しい興奮を味わっていたのに似た楽しい興奮を味わうことができる。一種の自己陶酔に過ぎないのかもしれない。自己陶酔とは現在の自己への陶酔であるが、この場合は過去の自分への陶酔である。自己陶酔とはオナニーのような空しい行為であると思われているかもしれない。いうなればメンタル・オナニー。他の人には分かってもらえない、他の人と共有できない孤独な快楽、楽しみである。しかし楽しみであることは確かだ。そして釣りはもともと孤独な楽しみである。

楽しかった過去を思い起こすことにぜんぜん悲哀が伴わないとは言わない。しかし、楽しかったことについて詳しい回想記を書いておけば、後で読み返したときに、ほとんど哀しみにとらわれることなく、大いに楽しめるということは事実だ。私は70歳に近づいているがまだ釣りを行っている。しかし、重い荷物を持って崖を上り下りして磯に入る磯釣りはもちろん、ポイントに2丁錨を打って船を止めて行う船釣りでも、イシダイ釣りはもう無理ではないかと思う。したがってイシダイ釣りについては、過去の、引退した釣り人ということになる。だが、これまでに書いた自分の釣り日記、あるいはかつての関東でのイシダイ釣りを思い起こして書いた文を読み直すときはいつもとても楽しくなる。寂しいとか悔しいとかといった気持はおこらない。

楽しい出来事の経験をできるだけ詳しく書きとめておくことが、後になってそれを読み返すことでその経験を詳しく思い起こすことを可能にし、その場でその出来事を今経験しているかのように大いに楽しむことができるようにしてくれる。

第5章見出し一覧に戻る

日記をつけておくこと

私は、10年近く前に退職して漁村に住み、釣り中心の生活をはじめてから日記をつけ始めた。それまでの13年間は松山にいて、以前東京にいた頃親しかった友人など数人に年に一、二回、一年間あるいは半年間のできごと、家族の状況などを知らせる、比較的長い手紙を書いていた。また四国一周の自転車旅行をした時の旅行記などを書いたことはあった。しかし、日記をつける習慣はなかった。生活が変わったついでに新しいことをはじめたということになるのかもしれない。しかし、あらかじめ後で回想して楽しもうと考えて書き始めたのではない。なぜ、日記をつけるようになったのだろう。

日記帳。写真は"Lovely Time with Disney 〜Interior"http://disneyline-interior.dreamlog.jp/
archives/45918062.htmlより借用。

漁村にきてから3年目の秋に書いた次のような文がある。「昼間は釣りに出て体を動かし、ほとんど考えない。景色を眺めて、(マキコボシ釣りで)指先の感覚に意識を集中して当たりを待つか、(イシダイ釣りで)ゴツンゴツンというはっきりした竿先の揺れを待つだけ。考えない。ぼんやりとしているか、当りを待つか。(そして魚を掛けて釣り上げるか)。だが、釣りが終るとたいてい体はへとへと」。

続きで「天候が悪く釣りができないときは、パソコンに向って、釣りについて考える。あとは、食事をして、テレビのニュース、気象情報を見て、風呂に入って寝る。これの繰り返し。月のうち1週間か10日松山に戻るが、その間は、数冊、本を読み、何か考える。全く考えないとどうなるだろう。どうもならないかもしれない。いや、すでに機械的にパソコンに日記を書くだけでは、考えていない状態と変らない。しかし、多少は、体を動かすことと、頭を動かす(使う)ことのバランスを取ろうとしている。」と書いている。

手紙では長さの問題もあるし相手との関係性についての考慮も必要で、書くべきことを選択する。したがっていろいろ考えながら書く。しかし日記を書くときには何も考える必要がない。一日の出来事のうち印象に残っていること、興奮し楽しかったこと、苦しかったことなど、思い出せることを文字にしていくだけである。

日記はほとんどその日のできごとを思い出して書き連ねただけのものであるが、釣果は当然のこととして、釣り場の特徴や潮の流れ方などが中心に書かれており、書きながらどの釣り場ではどの潮で何を狙うのがいいのかなど「釣りについて考え」ながら書いた。書き始めの頃は、その日の釣りの詳細を記録しておくことが後の釣りに役立つと考えたのである。最初は使い残りのノートに書いていた。釣りを始めた翌年2006年にパソコンをもらってからは08年まで「釣り日誌」と言う名のファイルに書いた。09年途中から「釣り日記」、11年からただの「日記」になっている。要するに釣りに役立てることを目的とする日誌または日記として書いていた。今考えると釣り日記はそんな風には役立ったとは全く思えないが。

どの日の日記も、たいていはメモ書きよりは多少ましと言う程度で、テニヲハもいいかげんで文の体をなしていないものも多い。「関東でのイシダイ釣り」のような回想文は日記ではないが、これも思い起こすことのできたことを単に羅列し、詳しく書き連ねたというにすぎない。

日記といっても、毎日書いていたわけではなく、書いても1〜2行しか書いていない日もある。大物が釣れたときにはやはり詳しくなる。

釣り中心の生活を始めて2年目、06年4月19日の日記。以下の括弧内は説明で補ったものである。

「(地元の友人)前田(源一)さんと、朝6時前出航。(20kmほどさきの、由良半島の先端)由良の鼻に向かう。(ハマチなど)青物が目的。ところが南からかなりのうねり。(半島先端にある)小猿島の近くまで来たときに、波が高く、由良の鼻での釣りは無理と判断。引き返す。(内海湾の中の比較的大きな岩礁)三畑田の辺りに行ってみようということになる。

今日は小潮で、(近くの)柏崎で満潮が9時、干潮4時。三畑田一番(釣り場の名前)の北西側、次に三番の西側にアンカーを入れてみるが、潮流と風の関係で、うまい場所にボートが止まらないので、そこから(近くの小岩礁)稲蔵バエの南西に移ってみるが、今度は浅すぎ、ここもフグとサクラダイ(食べてうまくない小魚)しか釣れず。

潮止まりになったので、下げの潮を狙って、角島北西の瀬、水深35〜40m周辺にアンカーを入れる。南風で(瀬の)北東にボートが止まり、水深47〜8mの辺りで釣りをする。ここは北西に由良の鼻のハゼヤマを見て、角島から300〜400mくらいの所。私は〔竿のビシ釣りで〕4号、5ヒロ位のハリスで、カゴが底から15〜16mの辺りで釣りつづけた。 11時ごろ強い当たりがあったが、合わせ切れ(魚が食って反転した勢いでハリスが切れる)の感じで逃がした。切れたところを見ると、ざらざらになっており、針を呑まれて、歯で擦れて切れたようであった。

12時ころ、再び大きな当たりがあり、慎重に取り込み、これまでに最も大きいタイを釣る。針は呑み込まれていた。ハリスが歯で切れなかったのは幸運。70〜75センチありそう。

緩いうねりは始めからあり、一時、少し波が高くなったが、〔コマセカゴから〕コマセが出るにはちょうどよいくらいのうねりだった。潮は少しずつ流れるようになって、トロトロという感じ。流れが強まったときか風でか、ボートの位置が少しずれ、水深が10mほど深くなったが、ロープを縮め、前と同じ位の水深で釣る。その後、30センチの食べごろのタイを追加。

さらに2時ころに強い当たりがあったが、逃げられた。当たりの強さから判断して、やはりかなりの型と思われた。針をみると伸ばさされて開き、先端が曲がっていた。掛かったところが歯だったのだろう。これは仕方がない。

自分流を貫いて、短いハリスのサビキ仕掛けの下にカゴオモリをつけて、釣っていた前田さんも、3回目の大きな当りの後、顔色を変え、やはり長いハリスでないとダメなのかとサビキ仕掛けをやめ、私が貸してあげた天秤とプラカゴ、長いハリスを使って始めたが、すでに遅く、釣れないままだった。

餌もほぼなくなり、うねりが次第に高くなってきたので、納竿。4時ごろ帰港。

これを読むと、朝、由良の鼻の近くまで行って引き返した時のうねりの具合、また、三畑田の沖で釣り始めて、最初の大きな当りでハリスが切れたときの擦り切れてしまったハリスのざらざらした状態、また3回目の当りで、針が開き、先だけが内側に曲がっていたときの針が、まざまざと思い浮かんでくる。釣り始めて数ヶ月ではじめて手にした大物だった。私は、この時の釣りの興奮と緊張感、そして達成感を、はっきりと想い起こし、今も楽しくなる。このとき釣ったタイを生簀で一週間ほど生かしておいた時の経験については、第4章で書いている。後で読んで楽しもうと思って日記を書き始めたのではなく、後の釣りに役立たせることが目的であったから、場所や、水深や、潮流のことが詳しく書いてある。私が釣りができなくなったあとの生活の楽しみにそれがいわば運よく役立ちそうなのである。

第5章見出し一覧に戻る

釣り日記はタイムマシーン

私は日記や回想文を読むことで、過去の釣りの快楽を再度味わい楽しむ。私は、それを読んでいる間、それが過ぎ去ってしまった事であり、もう一度やることは不可能だとか、私はもう年老いてしまったとか、全く思わない。そんなことを考えている「暇がない」と言ったらいいだろうか。私はまっすぐ自分の過去に戻って、再度釣りをしている。釣りをしているときと同じ興奮、緊張、達成感を味わう。

日記は、もう一度同じ生を生きなおすために過去の世界へと私を連れて行ってくれる乗り物、タイムマシーンのようなものである。私は日記を読むことによって、私が行なった過去の釣りの現場にスムーズに戻れるのである。日記がなければ、数年間数百日の私の過去は、ただ、海の上にでて、竿を出し、糸を垂れて、時々魚を釣り上げたというだけの、ピントが合っていない、2〜3枚のぼんやりとした写真のようなものに還元されてしまう。私は思い出そうと思っても私の過去の世界の前で入り口を探して右往左往するだけで、その中には入っていくことができず、そのときにやったことをほとんど思い出せないから、過去を再度楽しむことはできないだろう。

しかし、書いたものがあれば、私は、文章の上手い拙いにかかわりなしに、そこに書き付けられた具体的な細かなできごとの一つ一つを辿ることでそのときの状況をありありと思い出すことができる。私は日記を手がかりにしてその過去の世界、過去の私の生を、再び生きる。私は日記という道具のおかげで「人生を2回楽しむ」ことができる。

IT機器を使うことが好きな人なら、ビデオカメラを設置しておいて、あるいはウェアラブル端末を眼がねか何かにつけておいて自分の釣りの一部始終を録画しておき、老後、これを自分のライブラリーから取り出して楽しむということもできる。記録を残しておいて、後で、それを手がかりに、自分の過去を思い出して楽しむという点において、違いはない。

エピクーロスは「魂にしっかりと刻まれた思い出はいつまでも快楽を与える」といった。古代の人々はワープロはもちろん、ボールペンも紙もも持たず、(ローマでは鉄筆と蝋板を使って)口述筆記してくれる弟子や専門の奴隷を持つ作家、学者や高僧を別とすれば、一般人が、自分の日々の楽しみを詳しく書きとめておくことはできなかったはずだ。しかし、アウトソーシングに慣れて記憶が苦手になった現代人と違い、彼らは無数のできごとを正確に記憶することができた。エピクーロスは弟子たちとの対話の中で交わされたすべてのやり取りを、一言一句正確に記憶していたであろうし、弟子に宛てた長文の手紙の文章などもすべて頭の中に「保存」されていただろう。こうして彼らは過去の楽しみを後に繰り返して楽しむことができた。そう考えていいだろう。現代のわれわれにとって、過去を正確にあるいは詳しく記録するために、ビデオで録画しようとするのでなければ、日記をつけておくというのがよいと私は思う。

第5章見出し一覧に戻る

酒、グルメ、結婚を日記に書くこと

しかし、日記をつけておいて後で楽しむという点では、釣りばかりでなく、酒を楽しむことでも、結婚の幸せを享受することでも、グルメを楽しむことにおいても、同じように、可能だと言えそうだ。とくによき伴侶との楽しい生活や会話の中でのやり取りを日記につけておくことは非常によい思い出になるに違いない。酒とグルメは、喉や舌で感じる快楽を書かねばならず、これについての日記を毎日つけることは極めて難しいと思う。開高健のような人でも無理ではないか。

<開高健全集>第16巻に入っている「月報」で新潮社の編集者背戸という人が追悼文を書いている。取材で、新橋、有楽町、渋谷、浅草とモツ煮の店を回った。一切メモは取らなかった。背戸氏は「いったい、こんな単純な味で2回分の原稿ができるのだろうかと訝ったものである。にもかかわらず、記憶は正確で、1ヶ月も前のあの日のモツの煮ざま、香り、舌触り、周りの人々の気配までが現場で食べていたときよりも、はるかに味わいが濃く、深く、精彩に活写されていた」と書いている。背戸逸夫「濃霧のなかの一点の光源」「月報」1993.3

しかしこのような鋭敏な舌と精確な記憶力と活写力を有していたにしても、日々の三度の飲食について、日記に書き続けることは不可能だと思われる。釣りでは、目で見、耳で聞き、手で感じたことを書く。味や匂いについて書くよりもずっと書きやすいはずだ。伴侶との言葉によるやり取りについては、あればいくらでも書けるだろう。しかし、以下で述べる釣りがもつ特別な条件は結婚生活には欠けていると思われる。

第5章見出し一覧に戻る

(7) 現在のマキコボシ釣りはすでに同時に恍惚老人の釣りである

第2章では、スポーツや遊び、娯楽を私流に、大きく4つに分けた。最初の2つ、「社交」と「競技」は人間社会のなかで人間相手に楽しむ遊び、スポーツである。3つ目の「冒険」は命がけで自然に闘いを挑むスポーツである。格闘技的な大物釣りはそこに入れた。他の釣りは、4つ目の「自然を求め、自然を享受」する遊び、自然に交わることが目的である遊びの一種とした。この釣りにおいては、世間と離れ、人と離れて、一人、海と空の間に、単調な波音を聞くともなく聞きながら、遊ぶのが特徴である。そして、それは年を取って恍惚老人となったときの状況とよく似ていると思われる。

獏は大物釣りをした直後に「歳を取り、動けなくなり、家から外に出られなくなって」「ストーブの炎に手をかざして暖をとる」年老いた自分の姿を想像しているが、小船を浮かべてマキコボシ釣りをするときの状況はそれによく似ている。イシダイ釣りは、全身の筋肉を使った、格闘である。ハマチ(ブリ)を狙って曳き釣りをしているときには、「家から外に出て」広い海原を走りまわっているということになる。

しかし、凪の海で、錨を打つか、アコヤ貝養殖の筏やタイの養殖生け簀などに掛け、船を止めて行なうマキコボシ釣りの場合には、全く違う。私は、「方丈」(一丈は約3mである)ならぬ一坪にも満たない狭い甲板から外へは一歩も踏み出せず、ぶつぶつと独り言をいうことはあっても人と会話をすることもなく、ほとんどの時間、ただ黙々と仕掛けを上げ下げするだけである。時々は釣れて、少しの時間、そのせまい空間の中でだが、忙しく動き回り、興奮したり悔しがったりはする。しかし、多くの時間、私は仏像のようにただじっと坐っているだけである。当たりを待っている間、目は開いていても何も見ていない。何も考えず、頭は空っぽである。私は恍惚老人と変わらない。将来の獏が「ストーブの炎に手をかざして暖をとる」とき、彼の目は開いてはいても何も見ていないだろう。この点でも、マキコボシ釣りをする私は年老いた獏とそっくりである。

開高健はアラスカの河でサケ釣りをしているときの自分を「川に刺さった一本の棒」と言ったが、他方で、彼の頭の中は「妄念、妄想の類」でいっぱいになっていると書いていた。彼は作家生活という、文明社会が生み出した一種異常なあり方から、これまた人並みでないしかたで真剣に脱出したいと願った。釣りは楽しみだが、「文明の狂気」から脱出するためになされるものだった。一方で、彼は見事に釣り上げ、その報告を書くことで読者を喜ばせなければならないという職業意識と、何のために書くのかという作家としての問題意識の板ばさみの中にあり、この二律背反が彼を苦しめた。しかし、私は、退職後の遊びとして釣りをしている。釣りに打ち込むのを妨げるような義務や使命は何もない。そして、マキコボシ釣りでは、人に勝つためでも、自然と闘うためでも、反文明の偉大な企て、あるいは悟りを得るための一種の苦しい修行としてでもなく、ただ楽しむために釣る。

第5章見出し一覧に戻る

fisherman と armchair fisherman

アームチェア・フィッシャーマンarmchair fisherman(直訳すれば「肘掛け椅子に腰掛けた釣り人」)という英語があり、開高健編『釣』<日本の名随筆4>のあとがきで、開高は「家にこもってウィスキーを片手に釣りの話にふける男のことを、アームチェア・フィッシャーマンと言うらしい」と書いている。

私がひいた辞書にはarmchair fisherman という語は載っていなかったが、armchair travelerは、旅行記を読んだり、地図の上で旅行したりして楽しんだりする人のことであり、armchair fanは自分ではプレーしないが新聞の記事を読んだりテレビで観戦したりするのが好きなスポーツファンだという。そこでarmchair fishermanとは、自分では釣りをせずに、釣りの本や新聞の釣りの記事を読むのが好きな人、また年を取って釣りができなくなってから、自分の過去の釣りについて語りたがる人などをさすと思われ、「過去の釣りの回想に浸る恍惚の人」もそこに含まれると考えてもいいだろう。したがって、すべてとは言えなくても、釣り人fishermanは年を取るとarmchair fishermanになると言えるだろう。

armchairの一種。写真はWikipedia。実際に釣りをするのでなく、このような安楽椅子に腰かけて
釣りのことを考えたり、昔の釣りを回想するだけの人がarmchair fishermanだ。

大物を釣り上げた直後の獏は、今成し遂げたその快挙に対する満足感に浸るのでなく、年老いてarmchair fishermanになったときの自分が、この今の釣りを思い浮かべている様を想像する。獏は想像の中で、すでに、armchair fishermanになってしまっている。

だが、一人で小船に乗ってマキコボシ釣りをしている私は、ほとんどの時間動かず、口もきかず、目を開いてはいるが何も見ていないのだから、釣りをしてはいるが、今すでにarmchair fishermanでもあると言えるだろう。そして、必死の格闘が必要な大物釣り、仲間とあるいは他の客とわいわい話しながら釣る、乗り合いの遊漁船での釣りなどを除けば、磯や防波堤からの釣りでも船の釣りでもある程度はこのことは当てはまる。釣りは人を恍惚の人にする。釣りは釣り人fishermanをarmchair fishermanにする。

Fishermanである私は、釣りをしている今すでに、恍惚の釣り人armchair fishermanである。私は過去に釣りをして楽しみ、年を取って釣りができなくなった、あの恍惚の釣り人である私と同一人物であり、私はその恍惚となってしまっている将来の自分を、すでに今、よく知っている。私は将来の自分、armchair fishermanになった自分が過去の釣りを思い浮かべて楽しんでいるが、釣りができなくなっていることを悲しんでなどいない、ということを現在の釣りの経験を通じて十分に知っている。

結婚生活に関して言えば、現在の夫/婦が、老後恍惚となって過去の楽しかった生活を思い浮かべて楽しんで/悲しんでいる、未来の自分を想像するということがあるだろうか。断定はできないが、そのようなことはまずないのではないだろうか。
おそらく仲の良い夫婦はその一方が亡くなった後、過去を回想して、失われたものの大きさのゆえに悲しみを避けることはできないだろうと思われる。そのことを、現在の仲の良い夫婦は現在の楽しい生活を享受しながら漠然とは考えることがあるだろう。しかし、将来一人になって寂しい暮らしをしている自分を現在の楽しい生活の中でリアルに思い浮かべるということは少ないのではないか。そうだとすれば、その将来の自分が過去(実は今)の自分の楽しい生活を思い起こして楽しい想いに浸っているなどと想像することはなおさらないのではないかと思われるのだ。

-------------------------------------------------------------------------
〔追加〕 2017年1月28日付け「朝日新聞」の「悩みのるつぼ」という欄に次のような「相談」が載っている。

「70代後半の無職男性です。一年ほど前に最愛の妻が74歳で急逝しました。亡くなる前日まで普通の生活をしていましたが、当日の朝、隣で寝ていた妻の顔色が普段と違うので声をかけ、顔をさすったら冷たくなっていました。全く信じられない妻の死でした。(中略)死亡診断書によれば(中略)「肥大型心筋症」とありました。それ以来、まったく信じられない悲しみの毎日が続き、私は茫然自失し、ふぬけになってしまいました。妻の生前、私は図書館に通っての読書ざんまいとウォーキング、そして地方議会の傍聴に出かけていました。妻とは、小旅行に出かけるなどアウトドアを満喫し、家ではパソコンを駆使して情報収集に明け暮れていました。妻亡きあとは、バツイチの一人娘と高校生になる娘の子供、つまり孫の3人家族です。ウィークデーは外に出ることもなく、私はひとりで悶々としながら意欲の出ない生活をしています。妻の死からもう1年弱にもなるのに、妻のことを忘れられません。(以下、60字ほど略)」

この人は、現役時代にも、また退職後も、彼の最愛の妻との一緒の生活の中にこの上ない幸福を見いだすことができていた。そこでこの人は妻の死によってすべての幸福を失ったと感じることになったのだと思われる。
解答者は、この人は一緒に住んでいる娘と孫たちのためにできることをしてやることの中に残りの生の意味を見いだすよう勧めている。私も、そのアドバイスよりももっと適切なアドバイスができるとは思わない。もしかしたら、この人は、現在の失意から立ち直り、そして孫の成長に自分が貢献できることのなかに幸せを見いだすことになるかもしれない。
しかし、また、孫たちへのかかわり方に関して、孫の親である娘と衝突し新たな不幸を感じることにならないとも限らない。----このような指摘は思いやりに欠けた余計なお節介になろう。
要するに、自分が先に死ぬのでない限り(そして、それを望むことは相手を手段視することであろう)、例外はあろうが、人は(幸福な)結婚によっては永遠の幸福を見いだすことはできない、という中国の古諺は否定できない、ということである。

第5章見出し一覧に戻る

釣りはタイムトンネル

上で、日記がタイムマシーンのようなものだと言ったが、タイムマシーンに乗った人物はタイムトンネルの中を通って過去の世界に行くことができる。すると、釣りが、釣り人を過去と現在、あるいは未来と現在を結びつけるタイムトンネルだということになるかもしれない。人は、獏のように、よい釣りをしたときに、自己の老境を先取りし、想像によってすでに老人となって、今のよい釣りを回想することもできる。あるいはまた、小船の中でただ一人かすかな当たりを待ちながらすでに老人の孤独を味わう。そして実際に年をとって釣りができなくなったときには、人は、釣りができなくなっていることを悔しがったりするのでなく、楽しかった釣りを回想し、釣りをしていたときの幸福を再度味わう。私は、釣りをしていた頃の私、若かった頃の私に戻る。私は釣りを通じて現在から未来にも過去にも旅をすることができる。

2016年6月に完成した、長さが35マイル(約56km)で世界一という、スイス、ゴットハルト・ベース(基底)・トンネル。写真はhttp://www.treehugger.com/
infrastructure/worlds-longest-tunnel-opens-switzerland.htmlによる。青函トンネルは33.5マイル(約54km)

私は、自分の体力から、65歳の定年(そして年金の全額支給)を待っていては、体を使った本格的な釣りはできなくなるかもしれないと考え、早めに退職したのだった。そして、釣り中心の生活を始めてからすでに9年が経った。この間に、激しい腰痛、左右両肩の重症の「五十肩」を発症し、また8年目の1年間は腕から肩にかけてのこれまでに経験したことのない不快な痺れと強い痛みにとりつかれた。これら、加齢に密接な関係があると思われる故障が起こったことからも、早めの退職は「正解」だったと思う。

そして最近は4、5日連続して釣りに出ると、朝、目の覚める時間、そして起床の時間が次第におそくなり、疲れがたまってきたと感じる。いつまで釣りができるだろうかと時々考える。3年先はたぶんまだだいじょうぶだろう。5年先はできるかもしれないが少しあやしい。そして、10年先は、たぶん、いや、まずほとんど確実に、無理だ。---これは65か66歳のときに考えたことである。私は、体を思いきり動かし体を使って楽しむ生活にははっきりとした時間的限界があることを意識する。

では、体が不自由になったとき、私は何をして残りの人生を過ごすのか。小説を読むのがいいかもしれない。文学青年というほどでは全くなかったが、学生時代は一時期、授業をさぼってまでむさぼり読み、徹夜をすることも何度かあった。退職後の生活においても、海に出られないときには、開高健や幸田露伴などの釣文学とともに小説も少し読んだ。釣りができなくなったら小説を好きなだけ読めるだろう。だが小説を読むにはそれなりの精神的エネルギー、集中力が要る。体が不自由になったときにそれだけの気力があるだろうか。そのときには、ベッドの中であるいは安楽イスに腰をかけ、のんびりと音楽を聴いて楽しむのもいいかもしれない。ビデオでドラマを見るのもいいかもしれない。いや、それよりも、自分が書いた日記や回想文を読もう。日記や回想文を読むことによって過去の釣りを思い起こし、再度、釣りを楽しむのだ。安楽イスに腰掛けたまま、あるいはベッドに横たわったままで、ときどきウトウトしながら、もう一度「釣りをする」のだ。

こうして、かつて釣りをして楽しんだ私は、どんなに体が不自由になり、どんなに酒や食事が制限され、あるいは妻と死に別れたり、「生き別れ」たりしていたとしても、過去を回想することができる限り、楽しかった釣りを思い起こし、幸福な時間を持つことができる。私は時空の壁を飛び越えて、あの磯、防波堤、あの小船の上に行き、釣りを楽しむのだ。このように考えることができるとすれば、釣りが「永遠」の幸福を与えてくれると語る中国の古諺(コゲン)の正しさに十分にうなずくことができるだろう。

第5章見出し一覧に戻る

(8)年をとってもfishermanであり続ける幸福

私はまだしばらくは生きてゆくにしても、10年以内に釣りはできなくなるだろうと考え、釣りができなくなっても、armchair fishermanとしての釣りの回想が私に幸福を与えてくれるだろうと述べてきた。だが、体力と気力に恵まれた人なら、おそらく、70歳どころか、80、90になっても、釣りの面白さゆえに、釣り続けようとするだろう。その人たちは、現役のfishermanとしての「永遠の幸福」を享受することができる。そうした実例を次に挙げよう。

90歳でブリ/ハマチの曳釣りを行なう漁師

私が住む愛媛県愛南町家串地区には、2011年4月、92歳で亡くなる数ヶ月前まで、ハマチ(ブリ)の曳釣り(トローリング)をやっていた、プロの漁師が存在した。名前は黒田本蔵さんという。『ハローページ』の「個人名」では名前の後に「漁師」と記されている。本業として一本釣り漁(注)を行なっている人は他にもいたが、電話帳で「漁師」を名乗っている人は他に見当たらない。
小柄な人だった。彼が行なっていた曳釣りでは、ビシ糸という一定間隔で錘を打ってある数十メートルの長さの重い道糸を片手で掴み、上下にゆすり、こうすることで海中の20本以上の針についている疑似餌または本物の小さなイカを生きて泳いでいるように見せながら、船を走らせる。彼の船には魚探もGPSもついていないが、海底の地形は彼の頭に入っている。ヤマダテというのだが、陸地や近くの島や灯台をみて自分の船の位置を判断しながら、仕掛けが海底の岩礁すれすれのところを通過するように、道糸を引き上げたり、また深く入れたりしながら、船を走らせる。

(注)一本釣りとは、網漁(曳き網、定置網など)、籠漁、延縄漁などのように漁具を仕掛けた後(その場を離れて)一定時間経過後に獲物をまとめて回収する漁法と異なり、漁師が漁具(竿あるいは道糸)を直接に操作して魚を針に掛けて獲る漁法である。第一部第5章1.「渋沢敬三『日本釣漁技術史小考』について」の「「直接技能的漁法」・一本釣りと「間接技能的漁法」・延縄釣り」の項参照。 も参照。

第5章見出し一覧に戻る

本職の漁師の手柄話と死にかけた話

彼の仕掛けに付いている針の本数が多いのに驚き、私が、針は何本あるのか、そしてこれまでにいっぺんにハマチを最高何匹掛けたことがあるかと尋ねると、彼は、針は多いときは30本、少なくても20本くらいつけると言い、いっぺんに26匹掛けたのが最高記録だと、明らかに得意げに語った。

また、曳き釣りでハマチ以外に何が釣れるかを尋ねたときに、次のような話をしてくれた。あるとき、道糸が根に絡んだかのように引くことができなくなった。船を止め、綱引きのようにしばらく引き合っていると、むこうのほうにボカッと大きな白い口が浮いた。クエである。針に掛ったハマチをクエが食っていたのである。玉網には入らないので両手をエラの下に突っ込んで持ち上げたが、魚が口をパクパクさせたので、手がエラに挟まってあざができた。「5貫目くらいあったなあ」。

他方、恐ろしい話も聞かされた。針が複数本ついた仕掛けの場合には、中間の針に掛かかった魚を船の上で外しているときに、下(後方)の針に掛かった魚が海中で暴れて道糸が後ろに引っ張られると、魚をはずしているところに上(前方)の針が飛んでくる危険がある。本蔵さんは多くの針を付けているが、危険な目に会ったことはないかと尋ねると、「ある」という。このときはブリが8匹掛かった。大きかった。

掛かった魚を船内に取り込んで何匹か針を外したときに、船外のほかの魚が走り、上の空針が右手親指の爪の上から突き刺さった。爪がはがれて血が吹き出た。「そこらにあった油で汚れたタオルを巻き付けて両方の足で挟んでしばらく痛みをこらえたが、血がぼとぼと垂れた」という。しかし、彼はその間も糸は掴んだままだった。少し痛みが納まったので左手で糸を曳き、魚が上がってくると糸を足で踏んでおいて左手で魚を外した。こうして、残りの5、6匹をすべて取り込んだという。 



黒田さんが曳釣りを行っていた小型の漁船

また、海が荒れて恐い思いをしたことはなかったかという私の問いに次のような話しをした。シケの海で漁をしていて、船尾から波をどっとかぶり、体が突き飛ばされて「キャビンの中に押し込まれた」。このときは大量の浸水で「船はいったん海の中に潜ったが、しばらくしたら浮いてきた。このときは死ぬかと思ったなあ」。

ブリ用の太い針が指に突き刺さり爪がはがれたとき、あるいは大量の浸水で船が沈没しかかったとき、彼の心身は激しい苦痛と動揺あるいは恐怖に似たものに襲われたであろう。しかし、私に話をしている時の彼はそれを思い出しながら、淡々と、幾分は懐かしむかのように語った。

いっぺんにブリを26匹掛けたという記録を打ち立てたときのこと、あるいは20キロ近いクエを、エラを掴んでひきあげたときのことを話す際にも、彼は手振り身振りを交えるでもなく、決して声を大きくするでもなく、ただ淡々と語るだけだった。たぶん、それが船に乗り、一人で黙々と魚を相手に仕事をする人の常なのだと考えたくなる。しかし、これらは明らかに並みの漁師がなしえない大手柄であり、内心ではきっと誇らしく思っているに違いない。
彼は私の質問に応えて、回想し、手柄を話すときに愉快に感じているだろうし、会話を大いに楽しんだに違いない。エピクーロスの快楽論に当てはめると、彼は、回想の快楽と幸福を享受していたはずである。

では本蔵さんが痛みや恐怖を回想することは彼の現在の快楽・幸福の量を計算するときにどのよう考慮されるべきだろうか。快楽計算は事前になされるべきだ。それに基づいて自分の行動を選択すべきである。エピクーロスの勧める「勘考」とはそういうことだ。しかし、ここでは、すでに実際に行われた漁で生じた苦は後にどのように計算されるべきか、ちょっと考えてみる。

第5章見出し一覧に戻る

打ち勝った「恐怖」や「苦痛」は快楽を生む

そのできごとを細部にいたるまで思い起こすことができたとしたら、私はそのときの恐怖、不安をまざまざと思い起こすだろうが、私は今、海の上で荒波に揉まれているのではなく、作業小屋のなかで腰をかけて、人に思い出話をしているのだ。船が転覆する危険におびえる必要は全くない。私は爪の上から針が突き刺さってどくどくと血が流れ出したこと、激しい痛みで暫くは動けなかったことを思い出すが、今、次ぎの漁の準備で仕掛けを用意している私の指には針が突き刺さっているわけでなく、血が流れることも痛むこともない。恐怖は思い起こされたときに、心臓の鼓動を多少早めることがあるかもしれないが、少なくとも、身体の苦痛は、エピクーロスの言うとおり、そのときだけのものである。

エピクーロスは、肉体的苦痛、精神の動揺(不安)や恐怖の回想は苦であると考えている。確かに、過去のきわめて恐ろしい経験は「今思い起こしてもぞっとする」というようなこともあろう。また喧嘩をした不愉快な出来事はのちに思い出しても不愉快である。しかし、そのとき感じた恐ろしさや不愉快さと「今」感じている恐ろしさや不愉快さは明らかに全く程度が異なるということも事実だろう。

一般に、われわれがなにかひどい精神的苦痛を受け、そこから立ち直れないでいる状態PTSDのなかにあるのでなければ、つまり、その出来事がすでに「回想」の対象になり、かつてあったことの思い出として、他の人に話すことが出来るものになっているときには、その苦の回想は全く苦を与えないか、与えたとしてもはるかに小さいものだと言ってよいだろう

本蔵さんは手柄話と同様恐ろしい事件についても淡々と語った。一人で海原に乗り出していく漁師人生には手柄話だけでなく、苦痛で恐ろしいできごともつきものなのだ。本蔵さんの話を聞いている私は、私自身が、荒れた海を、頭の中が真っ白になっているような感じを受けつつ、帰港するために必死に運転したときのことを思い出し、改めて海釣りが怖いものだという気持ちにさせられた。しかし、何十年も釣りを続けてきた本蔵さんにとっては、激しい痛みを伴う大怪我をしたこと、時化の海で「死ぬかもしれない」経験をしたことを人に聞かれて話すのは、そうした苦境を乗り越えて一本釣りを続けてきた自己の漁師人生に対する満足を感じ、自己を誇らしく感じることのできる、楽しいことであるに違いない。

他の手柄話があっても、これら恐ろしい事件は、結果において、痛みをこらえつつ片手で暴れるブリを5匹も6匹も取り込むことができたこと、いったん水没した船を運転して無事に帰港したことによって、単なる手柄話以上に自慢できることである。過去の大きな身体的苦痛、精神的動揺は、それに打ち勝ってのちに回想されるときには、快楽を生むのだ。心身の苦は記憶され、思い起こされたときに、場合によっては(つまり、その苦が打ち勝たれたものである場合には)苦としてカウントされるのではなく、むしろ、快としてカウントされることになる、と言える。

彼の釣りは遊びではなく、職業である。否でも応でも釣って稼がなければならなかった。彼の腕もよかったのだろうし、また頑張ったのであろうが、彼はこの曳釣り一本で5人の子供を育て、店を持たせ、大学を卒業させてやった。

最後の1、2年はハマチの値段が安すぎ、「油代がでない」と出漁回数が減っていた。しかし、つい最近受けた腸閉塞の手術の箇所がまだ完全にくっついていないうちから、仕掛けの手入れをしていた。彼は釣りに出たくてしようがないのだ。彼が「釣りが好きだ」ということは明らかだ。そして彼は「好きな釣り」をし、そして時々その釣りを回想して、人生を楽しみながら生きてきた。彼が釣りをすることで幸福な一生を実現することができたということは全く確かなことだ。

第5章見出し一覧に戻る

93歳夫婦船でカツオの曳釣りを行う漁師

2010年であったかNHKテレビのドキュメンタリー番組で見たのだが、足摺岬の近くには、93歳でカツオの曳釣りをやっている老漁師がいる。89歳の奥さんと一緒の夫婦船で沖に出る。彼はエンジンがうまく掛からなくなったとき、ハンドルを分解し、折れていたボルトの代わりに他の釘か何かで代用品を作って、修理したという。彼は最近足腰が弱くなったと感じているが、体が動く限り、這ってでも漁をすると言っていた。

アメリカ型の自由主義的資本主義社会を目指し、北欧型の福祉社会には後ろ向きの日本政府といえども、90歳をすぎた人が仕事ができなくなったからと申請すれば、間違いなく生活保護費の支給を認めるだろう。釣りをやめても生活はできるはずである。つまり愛媛と高知のこの二人の老人は、以前はある時点まではプロの漁師として生活のために、子どもたちを育てるために、ときに、命がけで、あるいは体に無理を重ねながら、出漁して曳き釣りを続けてきた。しかし、90歳をすぎた現在、漁に出るのはやめ、のんびりしようと思えばできるのにやめずに出漁し、釣りを続けている。遊びとしての釣りと職業としての釣りがあり、その二種類しかないとすれば、二人の老人は、ある時点からは、生活のためではないという意味で、遊びで釣りをしていると言って間違いではないだろう。そして、遊びでということは、釣りが好きだから、釣りが楽しいからということを意味するだろう。

それとも、職業には、単なる生活のためでなく、自己実現、自己の能力の発揮・生きがいの実現と言う別な目的があり、二人は遊びではなく、職業としての釣りを自己実現のために生きがいのために続けているというべきだろうか。あるいは生活保護という「人様のお金」で生きることを潔しとしないという昔気質の人のプライドのようなもののゆえに、あくまでも自分の力で生きていこうとして、頑張って出漁し続けているのだろうか。おそらくはこの全部が少しずつ当てはまるのではなかろうか。だが、釣りをすることで、楽しみ、快を享受できているにせよ、生きがいを今も追求し続けているにせよ、また誇り高い人生を全うしつつあるにせよ、二人が釣りを通じて幸福な生を送っている(いた)ということは確かなことであるように思われる。

第5章見出し一覧に戻る

(9) armchair fishermanから先の私の生と死

私の場合、90歳まで釣りをやるなどということ、つまり現役のfishermanであり続けることはとうてい不可能だとしか考えられない。あと数年間釣りをしたあとはしばらくarmchair fishermanとして私は残りの生を過ごすだろう。そしてその先には死が待っている。

扁舟(こぶね)の幻想

死に臨んだ自分を想像するのは急ぎすぎかもしれない。釣りにも様々なものがあることは繰り返し語ったが、イシダイ釣りやハマチの曳釣り、あるいは磯でのグレ釣りなど体力のある人々の釣りにおいては、釣人が今すでにarmchair-fishermanだと考えることには無理がある。このことが当てはまるのは川ならば「寒江独釣」の釣り、海釣りならばマキコボシ釣りのように、小船でただ一人静かに釣る釣りの場合である。もういちど、マキコボシ釣りの小船に戻ろう。

ある年、11月の釣り。北から生暖かい風が吹いている。空はどんよりと曇っている。釣りにはよくないと言われる澄み潮で、朝ちらりと日が差したときには、海の中がずっと下まで見えた。だが、今は、鉛色の空を映して海も暗く、石に巻いた仕掛を落としてもすぐに見えなくなる。仕掛を2、3回入れたが、反応はない。20日ぶりの釣りだ。当たりが取れるだろうか。もしかしたら感触を忘れてしまっていないだろうか。魚が来てくれないと当たりは出ないが、魚が来ても当りがわからないこともある。

私は船の上にいて、まったく別の世界である海の中で発せられる魚信=当たりをキャッチしようと、指先に注意を集中する。なかなか魚信の来ない暗い海の中を、細い糸一本で探ろうとする。目は開いていても何も見ていない。頭も空っぽだ。私は海上のこと、また陸上のこともすべて忘れ、指先に意識を集中する。時々は、私が今釣りをしていることさえ忘れ、集中しようと意識していたことも忘れる。目を瞑る。当たりを取ろうとしている私は、微かな音のようなものがそのなかで響くであろうが、しかし響かないこともありうる薄暗い空洞でしかない。魚がいるのかどうか分らない海は向こう側、下方の、冷たい暗がりでしかなく、当たりを待つ私も魚信が現れるまでは単なる薄暗がりに過ぎない。下方の海も「私」もその存在が不確かなものになる。

当たりが出ると同時に向うに何か生き物のいる海が忽然とその存在を示す。そして同時に、こちらでも空っぽな空間でしかなかった意識が俄然働きを取り戻し、次に取るべき行動に備えるよう私の身体に指令を発する。しかし、かすかな魚信は一度でやんでしまった。魚信が途切れると海は再び単なる闇、沈黙に戻り、そこに存在するのかどうかさえ不確かものになる。いったん、活性化した私の意識は再び空虚な暗い空間に戻っていく。細い一本の糸を通じて、その存在があいまいな二つのものがふれあっており、その存在・働きを取り戻したり、失ったりする。

私はふだん身体を持った存在として世界の中にあり、周囲の物に注意を払いながら、必要な行動を行なう。食事をする。洗濯をする。買い物をするために自転車に乗る。私は、世界の中で、注意し、考え、体を動かし、生きている。世界があって、私は否応なくその中に引きずり込まれてしまっているが、同時に、意識的に、世界に立ち向かい、懸命に行動し、生きている。

当たりを待って指先に神経を集中しているときにはこれと違い、私は、世界の中に存在しているように感じない。魚信を感じ取ろうとし、耳を澄まし、あるいは暗がり覗き込もうとする私がいるが、その私はどこにいるともいえない。私は無である。当たりが出たとき、同じことだが、私が当たりを感じ取ったときに、私は始めて世界に触れ、その瞬間に、その接触点において存在し始めたかのように感じる。私が当たりを取ろうと、耳を澄ますとき、あたかも、私が不在の状態から出て再び世界と交わり世界の中の存在となりうるかどうかを確かめようとしているかのようである。

連続した当りが出ると、私は腕を強く振り上げて糸を引いて合わせ、魚を掛け、一挙に世界の中に躍り込む。私は、雨除けのために張ってあるオーニングの斜めの支柱と船縁とで挟まれた狭い空間で、金具などに道糸をこすらないように注意しながらゆっくりと、だが道糸を弛ませないよう一定速度で、確実に手繰る腕、肩、腰、足になる。

第5章見出し一覧に戻る

三途の川を渡る

私は、脳の腫瘍が悪化して危篤状態にあった80歳のMさんのことを思い浮かべた。目は閉じられたままで、酸素マスクの下で荒い息をしていたが、奥さんが「お父さん、須藤さんが来てくれなはったよ」と声を掛けると、瞼が少し開いた。私は、奥さんの声が聞こえたのだ、意識があるのではないかと思い、一緒に呼びかけた。「Mさん、分かりますか。須藤です。聞えますか」。私がMさんの手に触れると彼も私の手をはっきりと握り返してきた。しかし、意識があるのかどうかは分からなかった。目は少し開いたが、こちらを見ているようには思えなかった。翌日、私が再び病室を訪ねたとき、その10分か15分前にすでにMさんは亡くなっていた。

亡くなる1週間か10日ほど前から、Mさんは脳腫瘍の痛みを抑えるためだという薬によって眠らされており、意識はないということだった。しかし、奥さんが声を掛けると返事をするように声を発し、私がMさんの名前を呼んで手を握ると握り返してきた。意識がなくてもある種の条件反射のように、声が掛けられたときには応答し、手を握られたときには握り返すということがあるのだろうか。

意識が全く無ければそんな反応はおこらないとするなら、眠り薬の量が少なく、いくらか残っていた混濁した意識が働いて、返事をしたり、手を握り返したりという反応がなされたと考えられる。「混濁した意識」と言ったが、たとえば眠りからまだ十分に覚めてはいないが覚めつつあるときの意識、アルコールを飲みすぎてダウンする直前の意識などは「混濁した意識」と言えるだろう。それでもそれらは意識であり、その働きでそれなりの行動を「意識的に」行なうことができる。そして、朝、布団の中で、半分だけ目覚めた「まだ眠い」状態で、目覚めよう、起きようと努力し、その結果、起き上がるということがよくある。

覚醒していなくても意識は自らを覚醒状態に移行させることができるように思われる。意識がないという点では、眠りと死は同じだといえる。事故であっという間に死ぬというのではなく、Mさんのように病の進行により全身の機能が次第に低下して死ぬという場合(睡眠薬を使っていなくても)意識が次第に低下していくと思われる。この時の状態は入眠時と同じだと言える。そうだとすれば、Mさんは、混濁した意識のなかで、ベッドの脇からの呼びかけに答えて、目覚めよう、起き上がろうとしたと考えることができる。生きようとするのは意識の働きではなく、体全体に広がっている生命力のようなものの働きかもしれないが、私には、Mさんは死につつあったが、それでも生きようとし、こちらの世界からの呼びかけに応答し、瞬間的には、こちらの世界にもどるための通路をこじ開けようとしていたかのように思われた。

私の母は76才の時に転倒して、大たい骨付け根の骨折で手術を受けた。病室に戻ってから数時間後、看護婦がベッドを半分ほど起し、麻酔で眠っている母親の背中を激しく叩いて「須藤さん!須藤さん!」と大声で呼んだ。ずいぶん乱暴な叩き方だと思ったが、看護婦の話しでは、刺激を与えてなるべく早く目覚めさせたほうがよい。起こさないと眠り続け、そのまま死んでしまうことがあるという。目覚めること、意識をもつことは、生へと帰還することでもあるのだ。

人が死につつあるときに、三途の川を渡っていると言う。そしてこちら岸から必死に呼びかけ、川を渡らせないようにすることが、死にかかっている人を死なせないことになるともいう。冬山で遭難したり、水に溺れたりして死にかかっていた人が、必死の看護で生き返ったあと、川を渡ろうとしている最中に岸からの呼び声が聞えて戻ったと臨死体験を語ったという話をどこかで聞いたことがある。

Wikipediaによると 三途川の伝承は『地蔵菩薩発心因縁十王経』の一節に基づいて行われた十王信仰(閻魔大王は十王のうちの1人)によるという 。この経典の渡来は飛鳥時代らしいが、信仰として広まった平安時代末期に「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、渡舟によって渡河するという考え方になった。
三途川には十王の配下の懸衣翁・奪衣婆という老夫婦の係員がおり、料金(六文銭)を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取ることになっていた。三途川の河原が「賽の河原」であることはよく知られている。
ところで三途川も賽の河原も実在する。一つは群馬県甘楽郡甘楽町(かんらまち)を流れる利根川水系白倉川支流の小さな川。この上を通る国道254号の橋は「三途橋」という 。この三途橋のたもとには、奪衣婆を祭った姥子堂 (ウバゴドウ)がある。
二つ目は千葉県長生郡長南町を流れる河川で、一宮川水系一宮川の支流。三つ目は 宮城県刈田郡蔵王町を流れる阿武隈川水系濁川支流の河川で読みは「さんずのかわ」。
四つ目は青森県を流れる正津川の上流部における別名。青森県むつ市の霊場恐山は、宇曽利山湖を取り囲む一帯のことであるが、この宇曽利山湖から流出する正津川を別名で三途川と呼ぶ。河川名の「正津川」も、仏教概念における三途川の呼称のひとつである。宇曽利山湖の周辺には賽の河原と呼ばれる場所もあり、積み石がされているという。
写真は恐山へ向かう道にある三途川と太鼓橋で、「編集者Asanaoのブログ(旧)」asanao.exblog.jp (新しいブログはhttp://www.asanao.com/)からお借りした。Asanaoさんは写真の橋を渡っている人はバックパッカーでも行者でもなく旅人だと書いておられる。なるほどと思う。
実は私は20年ほど前に、このむつ市の三途川を、知らずにわたっていた。今この文を書いている私が亡霊だというのではない。私は以前時々ツーリング用の自転車を列車に積んで旅行に出かけたが、このときは、青森から、途中の仏が岩などを見て大間町までいく観光船に乗り、下船後、大間崎に寄ってから国道279号を走ってむつ市(大湊)を通り(下北半島を斧に見立てると、刃の部分を3分の2周ほどして)脇野沢村で一泊した。旅館は予約してあったが、11月で、強くはなかったが冷たい雨の中、午前11時ごろから夜7時ごろまで昼食時間を除き100キロ弱のツーリングだった。東通村に原発が建設される予定になっており、この近くかと思いながら走った。
地図を見ると279号線と並行して下北交通の鉄道が下北(大湊)から18キロほど先の大畑町まで通っており、大畑駅の一つ手前の駅が正津川駅である。つまり、この付近で恐山から流れ出た三途川(正津川)は津軽海峡に注ぎ込んでいる。私は大間から279号を走ってきて、ここで三途の川を渡っていたのだ。だが、まだ生きている!2016年12月記。

私もそう遠くないいつか死ぬ。私が死につつある時誰かが呼びかけてくれたら、私は混濁した意識の中で、その呼びかけに耳を傾け、それに応えようとするのだろうか。私は呼びかけられる少し前には死につつあったのだが、呼びかけに応えてまだ生きていることを証明しようとするのだろうか。

マキコボシ釣りで魚信を待つ間、半分眠っているのかもしれないが、私はこの世に存在し、生きて、何か活動しているのかどうかがはっきりしないという思いに、囚われることが時折ある。人々が生きて活動しているのとは別の世界にいると感じられる。私がいるのは得体の知れないものが幽かにうごめく暗い海中あるいは海底のような世界であり、人々が活動する明るい世界とは全く別のところにある、冥界である。そして、私は非存在に近いもの、死にかかった半存在であるかのように感じる。そしてこの半存在である私は、何か呼びかけがあり、私がそれに応答することができれば、自分の存在を取り戻すことができ、そのあちらの世界に帰還することができる。

その呼びかけ、魚信は海中、海底で発せられるのであって、あちらの明るい活動的な世界から来るものではない。しかし、私がその暗い海中、海底の世界に留まるのでなく、そこから抜け出てあちらの世界に戻るようにと促すのである。もし呼びかけがないか、あるいはあってもそれを聞き逃して応答することに失敗すれば、私は戻ることができず、このまま冥界にとどまり、死ぬことになる。

私が、今、ここで釣りを始めてから相当時間、動かず、目を閉じたまま、あるいは目は開いているが何も見ず、当たりを待ち続けるとき、私は、魚が釣れないのではないかという不安とともに、時として、私が、すでにあの世に来てしまって、再び、この世に戻れなくなるのではないかという不安に似たものを感じることがある。
もちろん私はこのまま眠りながら死んでしまうわけではないこと、私は船の上で釣りをしているだということを十分に承知している。だが、時折、こんな幻想に囚われる。
釣りをしながら、瞑想し、幻想のなかで、死につつある状態を経験する。釣りは空想のなかで老境に赴くことを可能にするが、また幻想のなかで三途の川を行ったりきたりすることを可能にする。私はマキコボシ釣りにおいて、死の練習をしているかのように感じることがある。

第5章見出し一覧に戻る

私の死

私は小学校に入るくらいの時までは死者を見たことがなく、死についての話を聞いたこともなく、死に対する恐れや不安のような感情を抱いたことも全くなかった。小学校1年の夏、川で遊んでいて死にかかった。他の子供たちは岸に近いところで砂遊びをしていたが、私はすこし離れたところで水を撥ね上げながら駆け回っていた。ずずっと足元の砂が崩れ、深みにはまった。あっと思ったが戻ることはできず、たちまち背が届かなくなった。ゆるい川の流れに乗って、私は浮き沈みしながら流され始めた。私は泳げなかった。気がついた上級生が走りよって手を伸ばしてくれなかったら溺れて死んでいたかもしれない。流された時に私は水を呑んで声を上げることができなかったが、慌てなかったし、すこしも怖いとは思わなかった。ゆっくりと遠ざかるほかの子供たちの後姿をただ少し寂しい気持ちで眺めながら流れて行ったことをはっきりと思い出す。私は自分が死につつあることも死が何であるかも知らず、恐怖感を全く感じなかったのだ。

ボーヴォワールは「死に対する態度は年齢によって変化する。死の啓示は子どもを動転させる。青年は死という考えを嫌うが、----他方で生命を投げ出すことを躊躇しない。中年になると用心深くなる」と書いている。「啓示」とはたぶん、突然、はっきりと悟ることであろう。「動転」とはひどく驚き、不安や恐怖を感じることだろう。私は子ども時代を通じて、死についての「啓示」を受けたことはなく、何も理解していなかった。動転しようがなかった。

小学校5年か6年のときに、父親の養父が死に、父に連れられて葬式に行った。隣の県に住んでいた祖父には生前1、2回会っただけであった。棺の中に横たわり、目を閉じ土気色の顔をした祖父の姿を見て、死ぬとこうなるのだなと思っただけで、何も考えなかった。全ての人が死ぬということはこの頃には抽象的には知っていたが、それは、子どももやがて大人になるのであるとか、流れていく川はすべて海に注ぐとか、そういった一般的なほかの事実と同様の、じっさいに体験していない(もちろん、他人の死を見ることは自己の死の体験ではない)がゆえに、実感することのない単なる「抽象的知識」の類に留まっていた。大人であるとはどういうことかを子どもが想像できないように、死とは何であるか全く想像できなかったし、いつか自分にも起こる事柄だとは全く感じられなかった。

第5章見出し一覧に戻る

死に対する恐怖感、嫌悪感

中学、高校時代には、死は存在しないも同様で、死について考えたり、身近なものと感じたりすることは一度もなかった。大人になったときにはすでに死を理解していた。学生時代、東南アジアへの旅行の帰路、香港から乗った飛行機が伊丹空港の上空でエアポケットに巻き込まれた。飛行機が何百メートルか落下した。「このまま地面に激突して死ぬのではないか」と激しい恐怖感にとらわれた。ほんの十数秒であっただろう。しかしこの時の恐怖は忘れられず、以後、仕事でやむを得ず1、2回東京から北海道まで飛行機でいったが、それ以外、飛行機には乗っていない。
23歳か4歳のとき、海水浴の最中に、離岸流らしきものに会い、怖い体験をした。泳いでも泳いでも岸が近づかず、息が苦しくなり、このまま流され溺れて死ぬのではないかという思いに襲われ、パニックに陥りかかった。かろうじて冷静を取戻し、泳ぐのをいったん止め、体を浮かしてすこし休み、息を整えてから再び泳いで岸にもどることができた。「死ぬのではないか」という思いは恐ろしい。

上の経験より前のことだが、20歳に近くなった頃に始めて、「私が」将来いつか死んでこの世界に存在しなくなるという確かな事実に気がついた。私は当時、教養学部の理工系進学コースに在学していたが、高校までの勉強とは違う理工系の学問に向いていなかったのだろう、面白いと感じられなくなり、勉強を続けることに懐疑的になっていた。比較的人気の高かった学科に進学することがきまったが、工学部に進学してどうなるのか。たいした能力のない私にとって、我慢して勉強をするのは、せいぜい、「優良企業」に入ってよい給料をもらうことのためでしかないのではないかと思われた。つまり進学は安楽な生活のためであるように思われた。
しかし、それなら、今、楽しんだほうがいいのではないか。なぜ我慢して、楽しみを先に延期するのか。友人に宛てた手紙の中で、道路の両脇にたくさんのきれいな花が咲いているというのに、車を止めずに走りつづけるようだと書いた。あるいは、人生とは、画布に一生懸命、絵を描きつづけたあげく最後に炉の中に投げ込むようなことに似ているとも書いた。私はこの頃、死を自己の生の限界としてリアルに感じ、日常の納得の行かない生き方に不満を持つとともに、いつか死ぬのだということを身近な脅威、苦しみと感じた。

ボーヴォワールによればイタリアの冒険家カザノヴァは『回想記』の中で「死は広大な劇場で興味尽きない芝居が演じられている最中に、熱心に見ている観客を追い立てる極悪非道な奴だ。この理由だけで死を憎むべきものにするのに充分だ」と、またSFの祖とも言われるH.G.ウェルズは「私はまだ玩具を片付けたいなどという気持ちはすこしもない。去(ゆ)かなければならないなんてまっぴらだ」と、とともに70歳の時に書いている。
彼らは自分の年齢を自覚していたが、まだまだやること、やりたいことがたくさんあったのだ。20歳の私は、今やっていることの意味がわからず、すでに、先が見えてしまったように感じた。まだ他にやりたいことがある(はず)なのに、それをしないままやがて私は死ななければならないということに我慢ができないと思い、死に対する強い嫌悪を感じたのだ。

ルソーは「あらゆる老人は子どもよりいっそう強い執着をもち、いっそう辛い面持ちで生を去ってゆく」〔子どもは死ぬことを知らないから、当然だが---須藤。〕「それというのも、彼らのいっさいの苦労はこの生のためにしてきたのだが、人生のおわりになってすべては徒労だったことを知るからである」。『孤独な散歩者の夢想』。ルソーは現在をこそ楽しむべきであって、虚無が呑み込むであろう未来などというもののためにそれを犠牲にしてはならないと考えていた、とボーヴォワールは、ルソーからの引用文に続いて、付け加えている。私が20歳の時に感じた思いはこれと同じものだ。

このように私は、若い頃、一時期のことではあるが、自分がやがて死ぬのだということを強く意識し、苦しみ、ノイローゼになりかかったこともあった。しかし、70歳に近付きつつある今は(そして2015年には70歳になった)、人間に寿命があることは当たり前のこととして受け入れている。そして、当時は、ナンセンスで何の救いにもならないと思われた、エピクーロスの「死はわれわれにとってなにものでもない。われわれが現に生きて存在しているときには、死はわれわれのところにないし、死が実際にわれわれのところにやってきたときには、われわれはもはや存在していないから」という言葉が、ごく当たり前の真理を述べていると感じられる。

私は、自分の部屋の壁に貼り巡らしてある魚拓、かつての釣りの成果を眺めながら、これを持って私は墓場にいくのだなあと時々思うことがある。また、どんな風に私は最後のときを迎えるのだろうかと漠然と考えることもある。釣りの最中に船から転落するなどの事故で死ぬか、病気か何かで体が利かなくなってベッドの上で死ぬか、死に方は選べないので考えてもしかたがない。しかし、死んだら、魚拓を一緒に棺の中に入れてくれと周囲の人には言ってある。

第5章見出し一覧に戻る

なだらかに死にたい

多くの人はいつまでも元気で、活動的でありたいと願うだろう。しかし、突然の事故や病気で体がまったく動かず、ベッドのなかでしばらくのあいだ死をまつだけという状況におかれることもありうる。だが、人間は重い障害や病気で寝たきりになったとしても、身体的な激しい痛みが続くというようなことさえなければ、その状況のなかで可能な楽しみや喜びというものを常に見出すことができると私は思う。健康が損なわれた状態は苦に満ちているだけだと考えたり、生きるに値しないと考えるのは間違いである。

昼間、体を動かして運動、活動することが好きな人も、夜、テレビのドラマを見たり、歌謡曲を聴いたりして、楽しむであろう。年をとり、体が動かなくなったときには、座ったままあるいは寝たままでできることを楽しめばよい。

病人食も最近では元気な人と同じようにおいしく食べられるような工夫が少しずつだが進んでいるようだ。食品の区別がつかないような、栄養摂取だけを目的にした流動食のようなもので我慢するのでなく、ひとつひとつのおかずを目で見、舌で味わいつつ食事を楽しむこともできるかもしれない。

これらのことが不可能になり、体を一切動かすことができず、食べることも、目をあけるもできず、耳も聞こえないというような状況になったとしても、もし思い出すことができる能力が残っていれば、過去の楽しかったこと、とくに釣り好きな人は何よりも楽しかった釣りを思い起こして、最後の楽しい時間を過ごすことはできるだろう。

「ぴんぴんころり」もいいかもしれないが、人生の最後の段階で寝たきりになることは、決して辛いことではない。寝たきりになり、体を動かすことができなくなるということは、動かない生き物としての植物に移行することである。人間は「動物」であるが、動物であるわれわれが土=無機物に還る前に、それに近い植物の状態にいったんもどり、次に無機物となってわれわれを構成する元素にもどり、始原である宇宙との再一体化をなだらかに実現することだと考えれば、軽やかな気持ちになれる。

第5章見出し一覧に戻る

死と眠りは似ている

現代の車社会では元気盛りであるのに交通事故などで一挙に植物状態に置かれてしまう運の悪い人もある。しかし、老化や病気の進行に従って緩やかに移行過程を迎える人の場合には---そしてこういう人のほうが圧倒的に多いはずだ---一日の生活を終えて、その日を振り返りつつ眠りにつく人と同様に、自己の一生を振り返り、ぼんやりと考えつつ、次第に永遠の眠りに向かう。楽しかった生を回想する、落ち着いた時間をこの段階で持つことができる。

死と眠りはよく似ている。眠りは、目覚めたときに私はそれまで眠っていたのだという仕方で知りうるが、眠っている間は眠っていることを知らない。死は他者の死についてしか「経験」できず、自己の死がいかなるものであるかを内部から経験することは全くできない。内部から経験できないという点では、眠りも死も同じである。どちらにおいても意識がなく、われわれは何も知らない。それがエピクーロスの言っていた「死が実際にわれわれのところにやってきたときには、われわれは存在していない」という言葉の意味である。もし眠りと死が意識の消滅という点でよく似ていることを知っており、かつ死を私の永遠の眠り、私の(意識の)絶対的な消滅として、そしてそれを絶対的な悪として恐れるなら、人は眠りに就くことができなくなってしまうだろう。

年をとり私の脳がすでにかなりの程度機能の低下をきたしているからこそすぐに眠れるのだということも確かだが、すべての生きているものは死ぬという単純で普遍的な事実を受け入れることができるようになっており、若いときのように死を絶対的な悪として忌避しようとはしなくなっているから、したがって、夜、布団に入ったときに、このまま眠りつづけることになっても構わないと頭の隅で思っているから、眠りを恐れず、安んじて眠りにつくことができるとも言える。

心身の不具合は老いに付き物なのだから、完全にというわけにはいかないかもしれないが、身体の強い痛みや強い心の動揺・不安などの苦から免れていれば、間もなく訪れる死は眠りと全く同じであろう。第一章でもふれたが、ルクレーティウスは「死は眠りと休息であり、それまでの生が喜ばしいものであったなら、満ち足りた宴の客のようにご馳走に満足して眠りにつけばよい」と言っている。できれば私は、ベッドに寝たままでなく、肘掛け椅子に坐って、armchair fishermanとして過去の釣りの回想というご馳走を味わう快とアタラクシアーのなかで、永遠の眠りにつきたいものだと思う。

第一章では、エピクーロスとルクレーティウスが死に関して述べていることに若者の立場で、理屈によって反論した。そして「彼〔エピクーロス〕自身、論証は正しく、完全であると考えていたかどうかもわからない。しかし、仮にこの論証が完全に正しいとしても、それを理解することが直ちに死の不安・苦を解消することにはならないということは、彼も知っていたのではないかと思う。かれが「死はわれわれにとって何ものでもないと考えることに慣れるようにしたまえ」と言っている(DL124)ことがその理由である」と述べた。

また、そこでは「ひどい悲しみや恐怖や絶望という精神的な苦痛も、時間をかければ「慣れる」ことによって、苦しみではなくなると彼は考えているのだと思う。要するに、ことさらなにもしない無手勝流が一番で、といっても、時間をかける、つまり年をとる必要はあるのだが、死(の観念)の方からやがてその恐ろしい刃をおさめてくれるだろうというのが私の見方であり、エピクーロスも同じように考えているのではないかと私は推測する」とも述べた。

今ここではこの「見方」に立って二人の述べた言葉を引用し、実感において肯定できることを述べた。

第5章見出し一覧に戻る