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●万延元年(1860)
●文久3年(1863)
●元治元年(1864)
津山藩「医師締方(しまりかた)」仁木永祐が郷校「籾山校」を設立し、漢学と医学を教える。
津山藩に国事周旋の内勅が下され、藩主慶倫は藩論を尊王攘夷に統一する。
薩摩・会津藩により朝廷から長州藩が追放された8月18日の政変で津山藩尊攘派も蟄居・謹慎などの処分をうける。
長州藩征討に際し、「石州口二番手」を命じられた津山藩は総勢4000人が出陣する。
大坂勤番の勝山藩では国元からもあらたに援兵が送られる。
津山藩、大砲の鋳造を始める。