●宝永元年(1704) 10月−幕府の公儀普請により大和川の付け替え工事が完了。これによって旧大和川河川敷で1,000町歩余、 石高1万石余に及ぶ新田開発が活発化する。 ●宝永4年(1707) 町人請負新田としては最大規模の鴻池新田が完成する。大阪の新興商人・両替商の鴻池善右衛門が開発したもので 158町8反余、石高は1706石余。これにより鴻池家の基盤が確立。