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主宰紹介

川上文代

川上文代(Fumiyo Kawakami)

●「デリス・ド・キュイエール 川上文代料理教室」主宰、料理研究家。
●1965年2月千葉県館山で生まれる。
●1979年より実家近くの料理教室主宰者・池田幸恵先生に4年間師事。
●1983年、辻調理師専門学校を卒業。同校職員として12年間勤務。
この間、フランス三ツ星レストラン”ジョルジュ・ブラン”での研修をはじめ、辻調理師専門学校(大阪)、同グループであるフランス・リヨン校、エコール辻東京にてプロ料理人の育成に勤める。
●1996年、東京・広尾に「デリス・ド・キュイエール 川上文代料理教室」を開設。
持ち前の明るさと気さくな性格と確かな技術に裏打ちされた“本物の技”は知る人ぞ知る存在となっている。
教室では本格的なフレンチ・イタリアン・パティスリーを中心に、基本の家庭料理、世界の料理、オリジナリティ豊かな料理を提案。
辻調理師学校外来講師、NHKきょうの料理講師、雑誌や新聞へのレシピ掲載、企業での料理開発、食育インストラクター、料理コンサルタントとしても活躍。
■著書■
『日曜日に作るらくらくリレーメニュー7day's』、『たれとソースの早引き便利帳』、『イチバン親切な料理の教科書』『フレンチ・シンプルレシピ』『パスタソースレシピ』など多数。
『イチバン親切な教科書シリーズ』は、料理上達の手引き書として「日本図書館協会選定図書」に指定され、中国語版など海外でも販売されている。

●毎日の生活

 私の主な仕事は、主宰する教室の運営ですが、他の教室や教育機関でも非常勤講師を務めるほか、雑誌や企業のオリジナルメニューの開発や作成、店舗プロデュースおよび新メニューの提案、また、各国の料理やお菓子の研究、さらには食育と多岐にわたります。

 毎日メニュー作りに追われていますが、まず主材料を何にするかということから考え始めます。その主材料に合う食材を組み合わせ、考えがまとまったら実際に調理してみて、分量と作り方をメニューに起こして完成です。1ヶ月に考えるメニューは、だいたい40品くらいでしょうか。
 ひとつのメニューの完成まで、早ければ30分ですが、1週間位かかることもあります。いつも、新しいメニューのことや、どうしたら美味しく手順よく作れるかということで、頭のなかはいっぱいです。
 料理教室の先生やレストランで働いている方にお教えすることも多いので、そういったプロの方々にも満足していただけるメニューをつくるために、地道な研究が欠かせません。メニューの巾を広げるためには、好奇心を持って積極的に自ら活動し、刺激を受け、経験を積むことが大切です。私の場合は、専門であるフランス料理以外にも、世界各地の食材や調理法の勉強をしたり、実際に海外に赴いて現地の方に直接料理を教えていただいたりしています。料理は、材料や火加減などによって毎回同じには仕上がるとは限らないこともあり、一回一回が真剣勝負、大変な面もありますが、とてもやりがいのある仕事です。

 とはいえ、息抜きも大切。近場のお台場に海を眺めに行ったり、大海原や満天の星空を求めて館山の実家に帰ったり、ホッとできる時間は確保しています。趣味は、海外旅行、温泉巡り、食べ歩きですので、美味しい物の宝庫であるヨーロッパとアジアなどにもよく出かけますし、国内で、食事の美味しい旅館に泊まって、露天風呂につかって景色を眺めているときには最高に幸せを感じます。食べ歩きの対象も、スナック類や餃子やラーメンから、高級フランス料理までと巾広く、A級・B級といったランクもジャンルも問いません。また、食べ歩き先の、知人のお店や、前の職場である辻調理師専門学校の卒業生のお店に行き、皆さんが頑張っている姿を見ると、元気が出ます。食事と睡眠は大事ですが、私の場合はまず“食い気”ありき。それを取ったら死んでしまうのではと人から言われるほどの、食いしん坊(グルマン)であり、グルメ(美食家)なのです。

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●料理を始めたきっかけ

 我が家は、「好きで一生続けられるものを、早いうちに見つけなさい」という教育方針でしたので、小学校のころから様々なお稽古事を経験しました。油絵、ソロバン、習字、エレクトーン・・・料理も、そのなかのひとつでした。
 「いろいろな種類の料理を食べてみたい」と思って、料理教室に通い始めたのは、中学3年生のときです。
 きっかけは、母の一言でした。料理上手な母に「テレビで見た料理を食べてみたい」と、レパートリーにないものをリクエストしたところ、「じゃあ、あなたが習ってきてくれる?」と頼まれました。そのときから、ずっと私は料理一筋。やめたいと思ったことは一度もないですね(笑)。

 料理には小学生のころから興味がありましたので、大人が読むような料理雑誌を、飽きることなく繰り返し読みました。けれど、実際に料理教室で学び始めると、わからないことばかり。聞いたこともない調味料や素材などが、次々と出てくるんです。でも、それは毎回新鮮な発見でした。また、教室に通う生徒さんはほとんどが主婦やOLの方々。そのなかで最年少の私は、みなさんにとても可愛がっていただき、暖かい雰囲気のなかで、料理の楽しさも一緒に学ぶことができたと思います。
 この料理教室(池田幸恵料理教室)には、中学3年から高校3年までの4年間通いました。教わった料理を家族や友人につくり、みんなに「おいしいね!」と喜んでもらえることが嬉しくて、私はよりいっそう料理の魅力に惹きつけられていきました。

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●大学進学よりも魅力のあったこと

 料理の世界に興味を持っていたこともあって、大学は栄養学科を希望し、晴れて合格通知を受け取ることができたのですが・・・それを手にして、「私が本当にしたいことは、『料理をつくること』ではないのか」という思いがだんだん大きくなってきました。
 そのころ、『料理天国』という私の大好きなTV番組が放映されていましたが、この番組を提供していたのが、辻調理師専門学校というところ。「この専門学校で、料理の勉強をしてみたい!」・・・番組を見るたびに、ますます料理への憧れは強まるばかりです。
 そしてついに両親に、「大学に支払うお金を、辻調理師専門学校へ通う資金として私に下さい」と、自分の考えていることを打ち明けました。両親は、私は春から大学に行くものと思っていましたから、最初はとても驚きましたが、すぐに「もう大人なんだから、責任をもって自分の道は自分で決めなさい」と認めてくれ、念願の調理師学校での生活が始まりました。

 学校では、和洋中の料理とお菓子のつくりかたを一通り全部学びます。1年間に何百品もの料理を学ぶわけですから、毎日授業予定はびっしり。仕送りはいらないからと言い、学校の目の前にある安いアパートで生活し、「エプバンタイユ」と言う大阪の船場にあるフレンチレストランで、アルバイトをしながらの学生生活は大変でした。キッチンはもちろん、床からトイレまでピカピカに磨き、オーナーの子供のお世話、料理補助、皿洗いなど・・・今振り返ると、料理が好きで、進路を決めた私にとっては、この忙しい日々も最高に充実した幸せな時間でした。こうした日々を重ねる事によって今の私があるように思えます。

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●調理師学校の職員〜フランスで得たもの

 私は大阪あべの辻調理師専門学校で料理を学び、卒業後は母校に就職、西洋料理の部署に配属されました。最初の仕事は、料理実習の材料を準備をしたり、先生のアシスタントなどでしたが、勤務6年目に、実際に教壇に立って料理を教えるまでになりました。
 ちょうどその頃、「大学に行かなかったから、通信教育で行こう」と思い、仕事と勉強と、ハードな生活を送っていました。 それからまもなくのこと、フランス・リヨン校への転勤が決まりました。
 日本から来た学生にフランス料理を教えるのですが、「フランスで、日本人がフランス料理を教える」というのは、とても大変なことです。扱う材料も言葉もすべて違う環境のなかで、現地のフランス人講師の方々に混じって教えなくてはいけませんから。
 私は日本人講師という立場から、フランス人講師と学生の間で、双方のコミュニケーションをとるのですが、まずは自分自身がフランスの生活に慣れなければいけませんし、言葉の面の苦労もありました。フランス語の調理用語は普段から使ってましたが、実際に現地での日常会話となるとなかなか難しいものです。
 でも、現地での生活は、大変なこと以上に、楽しく勉強になることが多くて毎日刺激的でした。
 講師の仕事ばかりではなく、当時ヨーロッパに18店しかない三つ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」での研修も体験でき、本場の素材や技術を身近に感じることができたのは、ほんとうに幸せなことでした。

 フランスで得たものはたくさんありますが、なかでも「実際に体験する事で、より自信を持ってフランス料理を教えられるようになった」ということは、その後の私の大きな財産になりました。
 たとえば、フランスの料理を日本でつくるためには、少しアレンジが必要なときがあります。野菜を例にとりますと・・・同じ種類のものを使用しても、フランスと日本では味と香りが大きく違う。日本の野菜は味・香りともに薄い野菜が多いので、そういうときは、ただ茹でるだけでなくブイヨンを加えて茹でたり、ゆで汁を煮詰めて旨みを凝縮させるなどの工夫をしなくてはいけません。
 こういうことは、日本で料理本だけ読んでいても理解できるものではありません。現地で実際に素材に触れて、自分の五感で感じたことによって、より自信をもって生徒のみなさんに教えることができるようになったのだと思っています。

 フランスでの滞在が1年過ぎたころ、急遽日本に呼び戻されることになりました。東京に開校される新設校で、フランス料理の講師として勤務して欲しいとのことでした。学校開校以来、初のフランス料理の女性講師ということで、とてもやりがいのある仕事内容でしたが・・・充実した毎日を過ごしていたフランスを離れるのは、とてもさみしかったですね(笑)。
 大阪で通信教育で通っていた大学も、卒業する事が出来ませんでした。スクーリングを受講する為、夜間に通ったり、休みの日は体育の授業やソフトボール大会などもありますし、更にはフランスや東京の転勤などで、仕事をしながら学生というのは、困難が多いこともわかりました。でも、その時々での選択は、自分で全て決めてきたので、後悔はしていません。

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●自分の料理教室を開きたい

 新しい学校での仕事は順調でしたが、30歳の誕生日を迎えたとき「自分が今までやってきたことが、どのくらいの力なのか試してみたい!」と思い、料理教室を開く決意をし、1年後の辞表を提出しました。そして12年勤務した辻調理師学校を退職し、『デリス・ド・キュイエール 川上文代料理教室』を開校しました。

 料理教室を開いていちばん嬉しかったことは、生徒さんたちとの身近なコミュニケーションです。調理師学校で講師をしていたころは、100人以上の生徒さんにモニターやマイクを通して教えるという授業が多かったのですが、今は個人レッスンに近いかたちで、生徒さんの反応を見ながらお教えすることができます。「ここをもう少し教えてください」とか「家族にも好評でした」とか「ここのレストランが美味しかった」とか「今度食べ歩きに行きましょう」などの会話をしながらレッスンを進めていくことができるのは、とても楽しいですね。

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●最後に ...

 料理の世界に入って“学ぶこと”の多さを感じ、知れば知るほど奥が深く、学びきれないほどスケールの大きい世界だと、痛切に感じています。料理に合わせたお飲み物、テーブル作り、シチュエーションを考える事も大切です。最近では、生産者も消費者も、野菜やお肉一つ一つにこだわり、それを調理する立場に従事している私達は、丹精込めて作られた素材をより美味しく調理する事が求められます。素材は、毎回同じ状態では届かないので、味や状態を見て判断し、最適な方法で調理します。味覚というのも、個々に違うので、その人には辛すぎたり薄すぎたり、スパイス好きの方がいらしたり、優しい味をお好みの方がいらしたりと、体調によっても変わるので、千差万別でどの味が美味しいかという判断基準も難しいです。材料や調味料や器具なども、次から次に新しいものが開発されたりなので、皆さんにより良いものをご紹介するために、このような研究も欠かせません。

 一生かけても制覇できない世界だからこそ、楽しく、やりがいのある仕事だと思います。簡単な事ではありませんが、生涯かけて世界の料理を学び、追求し、皆様に本当の味というものを伝授する事が出来ればと思います。食べる事と色々な方と接する事が大好きな、好奇心旺盛な私にとってこの仕事は、天職です。「料理の勉強」と言いながら世界を巡り、美味しいものを食べ、皆さんと過ごせる時間はかけがえの無い時間です。

川上文代

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