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第1部 ||その名もファロー四徴症||疾患の経過と現在||児童・生徒・学生として||社会人に成り損ね||
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2004年ラステリ手術後、退院までの1週間の日記(実際に当時書いていたもの)です。

7月11 日(日)  32.35kg
退院の日。
お昼前、母が車で迎えにきてくれた。一緒に、Dr.Tから説明を聞く。手術自体は成功。といっても、生体弁を使っていること、手術して触ったので三尖弁の軽い漏れがあること、パッチで塞いだ周りからも漏れがあることなど心臓が完璧な形になったわけではない。けれど、いずれワーファリンも飲まなくて良いようになるし、今までより動けるようになるとのこと。
パッチで塞いだ周りは、1年くらいたつうちに少し周りの筋肉が盛り上がってきてすきまも小さくなるかもしれないとのこと。
ご飯が食べられない、食欲がないことは、徐々に運動してお腹が減るようになっていくから大丈夫だろうと。
でも、もう3日後には、外来受診が決まった。それまで入院させてくれてもいいんじゃないかな〜とも思ったけれど、なんとなくここまで来ると早く帰りたい気もする。でも帰ったら、2階のベッドと1階のトイレや食卓の移動ができるのか不安だし、こんなに具合が悪いのも不安だ。
複雑な気持ちだけれど、病院着から普段着に着替えると、なんとなくシャキッとする。
まだ胸の傷が痛むので、帰りの車でシートベルトが胸に当たって痛いし、首の痛みもひどいので、シートを倒し気味にした。シートベルトと胸の間にタオルを入れて。
なるべく、急ブレーキをかけないように、スピード遅く走ってもらう。
家に着いたら、疲れたがうどんをつくってもらい食べて薬を飲んでベッドのある2階へ。これからどれだけかかって回復できるのか、不安だけれど、ひとまず退院おめでとう。ありがとう。あっという間の1ヶ月だった。

7月10 日(土)  32.50kg
一晩、一 回も起きなかった。トイレにも起きず。さすがに背中が痛い。夕べDr.から肺血流シンチの結果を聞く。右肺は左に比べて少し血流が少ないが(6:4)が、 まぁ良いほうだとのこと。
半年〜1年後のカテ検査で、狭窄部分を見るしかないですね。胸水(右)はまだ若干残っているが、だんだんはけてきているのでいい。とも言われた。
午前中、3階の売店まで買い物に行く。傷テープを買う。買い物の帰り、3階からエレベータに乗ったら間違えて4階でおりてしまったので、しかたなく、 4→5を階段で昇った。
今日は大変調子が悪い。天気も霧で。
昼もほんのわずかしか食べられず、ずっと横になっていた。
そんなところ、Tさんがご夫妻でお見舞いにきてくれた。横たわったままでお話し。T先生(ご主人の方)によれば、冷たいもののほうが、胃に長く残らないの で良い場合があるとの事。その話をしてすぐ、T先生は売店まで行って、ピーチネクターやゼリー、ジュースタイプのカロリーメイトを買って来てくださった。 しかしながら今日は本当に辛い。
夕方うとうとしていたら、魂をとられるような夢を見た。入院する前日に亡くなった心友会の女の子が出てきて(実際は会ったことはないのだけれど)、連れて 行かれそうになり、もうダメだと思った時に目が覚めた。動悸がしていた。
夢か現実か分からない感じで、夢の中でもずっとナースコールを押そうと必死になっていた。
目覚めてから看護師さんがきたので、変な夢を見て動悸がしたと言ったら、脈を取ってくれたが普段と変わらなかった。
夜8:00過ぎ、シャワーを浴びる。洗髪はせず体にお湯をかける程度。

7月9日 (金)  32.65kg
早 朝5時半頃、寝ているところを起され採血。男性の看護師さんが針を刺したが、針の部分がしびれたり、刺しても血液が出てこない。2回ほど場所を変えて採血 を試みる。苦心惨憺の様子。こちらも寝覚めから痛い、しびれるで泣きそうだ。別の男性の看護師さんがきて、なんとか採血できた。
一人目の人が下手で二人目の人が上手だったわけではないと思う。
結構、うまくいったり、いかなかったりということがある。そういうことは分かっているけど、下手くそと言いたくな気分凹
朝食を少し食べたらぐったり。気分は悪い。休んでいるところにRI(肺血流シンチ)検査の呼び出しがかかる。この検査ははじめて受けるので、どんな検査か わからないのもあり、吐いたりしたらいやだなぁと重い気分で一人、地下の検査室まで行く。
放射線の入った液を注射すると事前の説明書に書かれていたのでイヤだった。
しかも、今朝の注射でもう注射できるところもそうそう残っていないんじゃないか、痛いのもイヤだ。
検査室では、その放射線の入った液を注射する担当の看護師さんがなかなか来なくて、待たされた。そこにいた二人の男性(技師かDr.かは不明)が、その看 護師さんがいつも呼んでから来るまで時間がかかることに文句を言っていた。患者が入る時間は予めわかっているのに、どうして遅れるのかということのよう だ。しかし、どうやら看護師さんは、小児病棟にいる人らしく、病棟は病棟で忙しいだろうなと想像がつく。どっちが悪いのでもないよなぁ。
注射は痛かったがなんとか終った。
それから、機械のベッドに横たわる。腕を上げて細いベッドでじっとしていたりする。首や腕が痛くて大変だった。
次はレントゲン。もう、今日は放射線浴びまくりの流しまくりで、恐ろすぃ〜です。ガンとかならないんだべか凹
日本はCTスキャン検査を欧米よりも多くやり、その放射線がガンを誘発している率も多いという話を聞いたことがある。
病室に戻る途中、院内ポストに上越師匠へのハガキを投函し、みんなに、もう明後日には退院するとメールしてしまった。明後日以降にお見舞いに来る人がいた ら困るから。アストロBBSも覗いた。すごく濃い内容の書き込みが続いている。
ふと思う。私が戻ら無いほうが、書き込む皆のためになるんじゃないかと。管理者が出てきて書き込むと、そこで話題が完結してしまいがちだ。私は特にそうい う書き込みをしてしまう悪いクセがある。
母が来た午後に、母の友人のTさんがお見舞いにきてくれた。元気いいおばさまだ。Tさんが帰ったあとすぐ、自宅の内職でお世話になっているN夫人とその事 務所のSさんがお見舞いにきてくれた。たくさん果物やお見舞いなど頂いて、もう明後日退院するのに、恐縮だ。
夜、夕食を食べたあと、窓の外に花火が上がったのが見えた。近所の町内会などの小さい花火大会だろうか。
病院で打ち上げ花火が見れるなんて、いやいやこの夏に花火が見れるなんて思いもよらなかったのでとても嬉しかった。
病室のみんなが起きてしばらく眺めた。退院祝いみたいで感激だ。


7月8日 (木)  33.30kg
朝食、食 べられず、ヨーグルトのみ。げろげろ気味。
午前中11時、歩いて心電図室へ行く。降りるときだけ階段を使う。心電図室で昨日つけられたホルター心電図をとってもらう。
昼、首の筋が急に痛み出す。
午後3時から、栄養指導室へ歩いていく。またまた降りるときだけ階段。栄養指導を受ける。これまでの私の食事は、間食ばかりで甘いものとりすぎ。それは十 分自覚しているが、今となっては甘いものなど食べたくも無い。目からウロコが落ちたのは、穀類の少なさだ。
母のしつけのせいか? 食が細いため野菜などのおかずを食べれば、まぁご飯は残してもいい。逆にいえば、ご飯でお腹いっぱいにせずおかず優先で食べてき た。でもこれからはエネルギーを必要とするのだから穀類を食べることをすすめられた。
40分ほど話を聞いたり質問したりしてたけど、お尻の骨が痛いのと頭がぼーっとしているのとで集中力が持たず、早く終らないかなと思った。自ら希望したの に。
夜、院内のアナウンスが流れる。母もいたが、「6時から○※×大会です、大会議室にお集まりください」と何度もアナウンスが流れた。が、何大会が開催され るのか? 病室の人もみんな聞き耳を立てるが分からない。謎の大会(^-^;
母が、看護師さんに「なんの大会があるんですか?」と聞いたら、「ボクも分からないんです」と答えた。「お陰で、人手が足りなくて」とのこと。謎の大会 (^-^;
今日は、弟が江別に帰省しているので病院に見舞いに来ると言っていたそうだが、結局来なかった。なんだなんだ、ダメなやつだなぁ。
トイレに行くとおりものが出るようになり不快。しかしこれは逆に普通の身体になってきたことなのだろうか。
今日で抗生物質「バナン」を飲むのが終わり。

7月7日 (水)  33.15kg
シャワー に一人で入った。
午前11時からホルター心電図をつけるため、その前にと思って。
ホルター心電図をつけてもらう。
その後、吐き気、胃の痛み、むかつきなどのために、消化器科を予約してもらっていたので受信する。やっぱり胃カメラ検査をしないと分からないと言われる。 今は胃カメラ飲めません。無理です。
Dr.も、術後間もないし、何かあったら困るから、むりして胃カメラ検査できないのでやめようということになった。
すごい安心した。
心電図室や消化器外来の行き来で、3階と5階の昇り降り、階段で。病室に戻ってきて看護師さんがきたので、計ってもらった。
血圧90−40、脈98、サーチュレーション98%
全く私なりの正常値。こんなに運動したのに。
が、吐き気で夕食食べられず、ダウン。Dr.T、夜、病室に来る。例の如く、吐き気で食べられなかったことを訴えると「うちに帰ったほうがゆっくりやすめ るよ」と言うので、そうだよなぁと思った。
きっと吐き気は薬のせいもあると思う。少しずつ薬が減ればよくなるだろう。いや、なって欲しいよ。
日曜日退院すること決定。

7月6日 (火)  33.20kg
レントゲ ンと心電図をとりに行った。
歩いて行ったがけっこう遠かった。
階段昇り降り+病棟一周(75m)。胃の調子?が悪くむかつく。時々気持ちが悪い。咳がまだ時々出る。足が筋肉痛。疲れ切って午後寝る。
ワーファリン、今夜から1錠ずつに減る。
エコー検査をするって言ってたけどなぁ〜と一日中思っていた。
夜、9時過ぎにDr.Tがエコーとりましょうと呼びにきた。Dr.について、2階まで降りる。全部階段で。
戻りは2階→3階だけ階段。
エコーでは、孔(心室中隔欠損)を塞いだパッチの周りから軽く血液の漏れがある。手術でいじったため三尖弁の軽い漏れ、元々あった大動脈弁の軽い漏れがあ るとのこと。どれも軽度。
さらに、心臓の周りと右肺の下の部分にまだ少し水がたまっているので利尿剤をもう一種類増やす。水分はガブ飲みしないように、ふつう(喉が渇きそうだなぁ と思ったら飲む程度)に摂る事。

7月5日 (月)  33.55kg
朝食の時からむかつきがあってご飯を食べるのが一段と辛い。昨夜は咳も出て寝られなかった。
階段を5階から3階まで降りた。階段は普通、昇るより降りるほうが辛いものだと言われる。
私はこれまで昇ると息苦しくなるから、昇れなかった。
でも、足腰にくるのは、降りるときなんだって。知らなかった。
1mmグラムを2錠飲んでいたワーファリンが効き過ぎのため、今夜一旦飲むのを止めるように言われる。
相変わらず咳ができる。

7月4日 (日)  33.55kg
術後初めてシャワーに入る。母に手伝ってもらいながら髪も洗う。
シャワーからあがってきても動悸などしない。
お昼に、Tさんがお見舞いにきてくれる。

7月3日 (土)  33.50kg
・咳が増えた。
・だるい。だるくて全然動きたくないし、つらい。
 (昨日はこわくてほとんど寝てました)
・お腹が少しはる感じ。
昼から母がきてくれた。
午後、HさんとHさんのお母さんがお見舞いにきてくれた。
母とHさんのお母さんが院内の喫茶店に行った。
1時間くらいHさんと話した。身体は疲れたが、気が紛れる。
・夜からワーファリン1mmグラム2錠ずつ。


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