担当司祭から:2025年1月

川上栄治神父の写真
川上栄治神父

 2009年10月~2010年3月 協力司祭
 2010年4月~2013年3月、2014年4月~ 道後教会担当司祭

 1975年8月16日生。大阪出身。ドミニコ会司祭。
 2006年9月に司祭叙階。2006年~2009年、ローマで勉強。2009年8月に帰国後、松山へ。
 松山教会に在住。

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2024年を振り返って

(「道後教会だより」2025年1月号より)

 2024年は皆さんにとって、どのような年だったでしょうか。昨年は元日に能登地方で大地震が起き、今も多くの人たちが苦しい生活を余儀されています。また、8月には南海トラフ地震臨時情報が発令され、多くの人に緊張を与えました。道後教会のある愛媛県も南海トラフ地震で災害が起こる地域とされているので、道後教会の信者にとっても他人事ではありませんでした。また、昨年は例年以上の酷暑で、7月から9月末まで暑い日が続き、多くの人が大変な思いをしたことでしょう。
 わたしにとって昨年は一つのターニングポイントとなる年でした。この教会だよりでも書きましたが、わたしの恩師ヴィセンテ・アリバス神父さま、そしてホビノ・サンミゲル神父さま、その他にもわたしの親戚の神父さまや関わりのある神父さまが立て続けに亡くなりました。それは、わたしにとって、今まで頼りにしていた方々がいなくなったという寂しさを感じる出来事でした。しかし、それだけでなく、亡くなった神父さま方の遺志を受け継いで、ドミニコ会の司祭として働かなければという思いも新たにしました。
ステンドグラス(ろうそく) そして、仕事面では『こじか』の執筆が昨年12月をもって終了しました(これを書いている時点で、まだ3月号の執筆は終わっていませんが)。『こじか』の執筆は自分にとっては思いもよらぬ仕事であり、今までの仕事とは比較にならないほどの重責でした。最初の頃は、自分の文章が全国の教会や学校に配られる冊子に掲載されるというプレッシャーを感じるばかりで、途方に暮れることも多かったです。それも時間が経つにつれ、少しずつ慣れてきて、若干締め切りに遅れながらも、『こじか』の編集部に大きな迷惑をかけることなく、執筆を終えることができそうです。
 そんな時、昨年12月の初めに『こじか』の編集部の方から連絡があり、「『こじか』の購読者の方(カトリック小学校の先生)が去年のクリスマス号の川上神父さまの記事が心に響いたので、学校の生徒たちに配るために350部以上を追加注文いただきました。ありがとうございました」という、わたしには信じられない知らせを受け取り、大変嬉しく思いました。ですから、『こじか』の執筆はわたしにとって、間違いなく大きな実りをもたらしたと言えます。
 そして、もう一つの大きな仕事は、昨年10月中旬に聖ドミニコ宣教修道女会のシスター方が毎年行う黙想を指導したことです。年の黙想とは1週間午前と午後に45分の講話をし、その合間に黙想会の参加者のゆるしの秘跡を聞いたり、相談を受けたりするものです。わたしの黙想会の参加者は20数名だったので、自由時間はほとんどなく、肉体的にも精神的にも非常に負担が大きいものでした。そして、何よりも『こじか』を書きながら、年の黙想の講話を準備し始めた昨年8月末から10月中旬まではプレッシャーの中で、しんどい日々を過ごしました。けれども、その中で無事黙想会をやり遂げたことはわたしにとって、大きな実りだったと言えます。
 2024年は終わり、2025年がやってきました。日頃から、この教会だよりを読んでいる皆さま、そして、ホームページでわたしの記事を読んでくださっている皆さまに、心より感謝いたします。私的な都合で記事の執筆を休みがちですが、書くときは信仰の事柄、あるいはわたし自身の近況を報告しながら、司祭としてのわたしを身近に感じていただきたいと願いながら、教会だよりの原稿を執筆しています。
 2025年が皆様にとって、平和で恵みに満ちた年となるように心からお祈りすることで、2025年最初の教会だよりを締めくくらせていただきます。